日々雑記


人は自分が思う評価はしてくれない

2023-10-2

秋の講義はミレーから。

歴史画家ポール・ドラローシュに学んだミレーは歴史画家になりたかったように思える。
しかし、その後は歴史画+農民画の折衷画で大成。
ミレーのパトロンでもあったアルフレッド・サンシエがミレー伝を執筆、1864年末のところまでを執筆するもサンシエは1877年に亡くなる。
その後、サンシエの草稿をもとに1881年にポール・マンツが『ジャン=フランソワ・ミレーの生涯と作品』を刊行、「農民画家」の評価が決定づけられ、ゴッホや白樺派「新しき村」に影響を与える。

棺の蓋が閉じられても、なかなかミレーの思いは後世に伝わらなかったのかも知れない。
参考文献2件、掲出して授業は終了。

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公盛

2023-10-4

昨夜、飛鳥史学文学講座のパワポをいじっていると、公盛を偲ばせる資料がメトロポリタン美術館地蔵菩薩立像(12世紀後半~13世紀半ば)の台座天板裏墨書しかないことに気づく。
考えると、奈良・五劫院墓地に公慶と公盛の墓があったはずと、さっそく五劫院へ。

手前の大きな五輪塔は公慶。こちらには公盛の銘、奥の小さな五輪塔は公盛。銘は公俊。

17歳で公慶の後を継いだ公盛は東大寺大勧進職に就き、大仏殿落慶法要を見届けその後も勧進を行うも享保9年(1724)5月29日に36歳の若さで亡くなる。

もっと注目されても良い僧侶なのだが・・・。

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若冲と応挙

2023-10-5

見学会に先立つ事前講義。若冲と応挙。

若冲は相国寺僧・梅荘顕常(大典)、応挙は円満院祐常と、親交深い僧侶があればこその画業大成。

若冲は『釈迦三尊像』『動植綵絵』『虎図』『鳥獣花木図屏風』など、応挙は、円満院祐常の知遇、祐常の死去、妻里也の死、天明の大火の4期に分けての解説。

香川・金刀比羅宮障壁画については、金毘羅大権現の御用仏師・田中弘教家31代の弘教利常が第10代別当宥存の意を受けて円山応挙に依頼し、資金については三井北家第5代当主高清に援助を仰いでいる。
そんなことはおくびにも出さず、淡々と応挙の画業を説明。

本当は、田中弘教家はこれ以降、円山応挙との繋がりを深め、息子応瑞の妻は田中弘教の長女幸で、次女ゑんは森徹山の妻となり、息子蔵之丞と進之丞は共に田中弘教家に養子にやり、進之丞は後の田中浄慶となったと講義したいのだが・・・。 無事に終了。

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湛海と公慶

2023-10-8

明日香中央公民館にて飛鳥史学文学講座。湛海と公慶。

湛海は院達(吉野右京)や初代清水隆慶と交友、造像を補佐。常に思うのだが湛海の「自作」というのは何処までなのだろうかと。

過日の恩師の話だと「仏像は仏様の入れ物、器と考えればよい。だから博物館などの仏像展示には『入魂』『抜魂』という法要がある」とおっしゃていたが・・・。

話しながら、院達は神鳳寺本堂の釈迦如来像を製作しており、真政円忍や快円などの交際から湛海と結びつくが、初代清水隆慶との関係は理解できていない(勉強不足)。

ともかく「時折小話もはさみながら終始和やかな雰囲気で進み」時間通りに終えて、無事終了。

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相国寺承天閣美術館

2023-10-9

午後より見学会(久しぶり)。
同志社大学構内を抜けて相国寺承天閣美術館へ。同志社大学は授業日。

奥壁に『釈迦三尊像』が展示され、左右に『動植綵絵(コロタイプ版)』が一堂に展示。既に学習済なので自由に拝見。 落款は三幅とも「平安藤汝鈞亝宿(しんしゅく)拝写」とある。クリーブランド美術館・静嘉堂文庫美術館に分蔵される以前、若冲が相国寺で模写したものである。奥にはひっそりと久保田米僊『若冲居士像』。
見終わった頃合いを見て2階へ移動。

円山応挙『七難七福図巻』全3巻。応挙のデビュー作である。応挙の下絵もさることながら円満院祐常の画稿(構想図)もなかなか巧い。
鹿苑寺大書院障壁画「葡萄小禽図床貼付」(伊藤若冲)なども拝見。
天袋には何もなかったのかと質問。床貼付などとは違った趣向が凝らされると。

裸形不動明王像(彫刻)の前で、学生曰く「この年(2003年・重文指定)の翌年に私たち、生まれたんですよ」と。「いやいや、その年は私が大学に赴任した年ですよ。」と。軽いショックを受ける。

全て見終わると4時過ぎ。「お茶」にするか「相国寺特別拝観」にするかと尋ねると「特別拝観」。法堂を見学後、方丈。方丈には原在中や維明周奎などの襖絵。室中には加藤信清「法華観音」。もちろん文字絵。

開山堂を見学、延宝8年(1680)了無作の「無学祖元」「高峰顕日」像、枯山水を見て解散。

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洒落にならない

2023-10-10

10月7日にハマス側からイスラエルに2000発のミサイルが発射、イスラエルは報復としてガザ地区を空爆。

ロシア語の先生やロシア人の友人等がいる学生もいるのに、早々と「ロシア軍のウクライナ侵攻について(学長声明)」や中止を求める声もある「(大阪)万博ををつくるのは、関大だ」は、百歩譲って洒落になるけれど、パレスチナ問題については、ガチで洒落にならない。

学長室はいらんことしないように。

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全てが現存するとは限らない

2023-10-12

学生発表第1回目。

前夜、「所蔵が書いていない作品があり、教えてほしい」との連絡。
明治と言えども、現状では所蔵不明の作品も多い。例えば、共進会第2回出品作品入賞といえども作品が失われることも多々ある。
逆に発見されれば、「幻の作品、発見」とニュースになることも。

正確を期そうと思ったのだろうが、無いモノ(作品)はない。
まぁ、明日はそのあたりから説明しよう。

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高村光雲

2023-10-13

夕刻、恩師と仏像修復者らと奈良で一献。

ふと話が高村光雲に及び、「老猿は光雲の自作ではない」と。「そうだ。幕末仏師は弟子等に彫らせて仏師の名を記すだろ」とも。
確か『幕末維新懐古談』にも米原雲海と俵光石の名が見えたはず。
老猿は「矮鶏」や「団扇に眠る猫」の彫り口とも異なり、長野・善光寺仁王像も雛型と試作(本作)とでは、ずいぶん違う・・・。「鷲の羽根の細かい彫りなんか、光雲にできるわけない」とも。酔いが醒めそうな内容。

以前、光雲の肖像彫刻を調べたことがあって、光雲作の肖像の大半は光太郎が「父の依頼された肖像の(油土)原型」を作り「星取り法」で木彫に写されており、「光雲によってむざんに歪められてしまうような事も少なくなかった」と光太郎は記している。
中途半端に酔いながら閉店まで。

酔ってはいるが、あれこれと幕末仏師光雲の作品が脳裏に浮かぶ・・・。

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波の画家?

2023-10-16

朝、西口エスカレーターに乗っていると、前方にゴッホ「星月夜」のカバンを持つ女子学生。
珍しいなと思いつつ、追い抜こうとすると、「センセ!」と。
うちの学生だった。

学舎まで歩きつつ色々と雑談。
「今日の授業は?」と聞かれ「ギュスターヴ・クールベ」。「『石割り』は出るのですか?と聞かれて「出ますよ、でもあれは世界大戦のドレスデン爆撃で無くなったよ」と答える。
「でも、教科書や資料集でカラーで載っていましたけど」。「カラー複製です」と。

いくら社会主義っぽいクールベでも現行の教科書にも掲載されずに「波の画家」のイメージだけでは、クールベは理解できない。

彼女と別れてから、《波》(1870年頃・国立西洋美術館)をベースに《波》(1869年・愛媛県美術館)、《波》(1869年・島根県立美術館)などを作成。
こんな同じ作品、たくさん国内で集めても何の意味もない。まだ《エトルタ海岸、夕日》(1869年・新潟県立近代美術館)や《フランシュ=コンテの谷》(1865年・茨城県近代美術館)のほうが話題がある。

なんか、日本の美術館も貧相であることが図らずも露呈。

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浜松市美術館

2023-10-18

朝から浜松市美術館「みほとけのキセキⅡ」へ。見たい仏像は、康祐作宝林寺四天王像4躯。
幸いに四天王像は写真撮影可。まずはじっくり観察。

毘沙門天(多聞天)像は、木地+布貼+白土?+朱漆+金箔+漆線彫(あるいは砂粒を混ぜた金泥・梨地)の仕上げ。
ところが他の3躯は、あまり漆線彫や梨地を使用していない。特に毘沙門天像の前楯は漆線彫+梨地ながら、 他像は漆線彫も認められるものの、メインは沢潟紋を繋いだような金鎖甲が占めている。
広目天像は遊脚(右脚)を彫り出すため、股の部分で水平に切断しそこから両脚を矧いでいる模様。同様の技法は増長天像にも認められ、少なくとも製作者は2グループ、細かく見れば3グループに分けられる。
萬福寺天王殿四天王像とも微妙に手の形や持物も異なっている。不思議。

四天王像を観察しながら見比べながら、あっという間に時間が過ぎる。
もう一度見る機会があるかもしないと、他の仏像を駆け足で拝見。

奈良でもよく見る仏像。
県指定や市指定も多いが、奈良ではなかなか指定レベルに届かないと不遜なことも。

夕刻、再訪を期して帰阪。

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各種入試

2023-10-22

好天。各種入試。今回は編転入試験。

他大学(理系学部)、うちの他学部、専門学校から受験。
昨今のご時世、専門学校といえども「大学編入コース」もあるらしい。

誰が編転入しても2年間で卒業とはなかなか難しい状況。一般教養の読み替えもままならず、2回生の専門科目群も履修しないといけないので、面接では留年は覚悟の上での編転入を希望かと問う。

うちの他学部受験生に冒頭一番、「●●学部、そんなに厭か?」と。苦笑いしながらも「はい。」と回答。
雰囲気的に●●学部が合っていると思うのだが、当人はそうでもないらしい。

人は見かけで判断してはいけないと脳裏の隅で反省・・・。

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空気も読まずに一直線

2023-10-24

授業準備。画業わずか8年(実質5年)の青木繁。

東京美術学校在学中の1903年の第8回白馬会に《黄泉比良坂》を出品、第1回白馬会賞を受賞、翌年の卒業後に第9回白馬会《海の幸》を未完成ながら出品(1967年に洋画初の重要文化財指定)、時代の寵児となり1907年の東京勧業博覧会では 《わだつみいろこの宮》を出品。自信満々ながら3等末席に終わり、黒田清輝を批判。
東京勧業博覧会では、白馬会派(新派)が優遇され太平洋画会派(旧派)は全員受賞拒否という荒れた受賞であった。

《黄泉比良坂》は黒田が目指し苦労していた「構想画」を学生が制作すると黒田が高く評価したが、黒田批判が美術雑誌「方寸」に掲載されるに及び、中央画壇から抹殺、以後、天草・佐賀など各地を放浪、持病の肺結核も悪化し1911年 3月25日に28歳の若さで亡くなる。

晩年の平凡作品を見ると、生気が失われていくのがありありと見える。

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指定文化財の精華

2023-10-26

午前中、尼崎市立歴史博物館「指定文化財の精華」展へ。

前期・後期に分かれ、今回(前期)は指定文化財のうち市所蔵の指定文化財以外の展示。前期分のうちでも10月29日までの展示資料と10月31日以降の展示資料もある。

長遠寺「涅槃図」は~10/29、浄光寺縁起図は10/31~。ちょっと困惑。11/5のパワポは「涅槃図」メインだが、大学に戻ってから構成変更が必要。

治田寺十一面観音像が台座と共に展示され、やや仏像を見下ろす展示。地震対策もあるので、目線の位置まで上げろとは言えない。腰を下ろしてじっくり拝見。図録は正しく正位置で撮影。

これを不遜という意見もあるが、これが逆なら文句を言ってよいと思う。正面位置で展示しておきながら、図録では見下ろす位置で撮影、しかもご丁寧に正・側・斜め・背面が掲載。そんな図録は必要か、写真も使えるかと思う。SNSでは学芸員の奮闘ぶりがUPされ、仏像を前に真剣なポーズながら、仏像の見下げた写真を見る限り、ド素人丸出し(SNSからもわかる素人ぶり)。
小生が住職だったら、速攻返却を求めるのだが。

じっくり拝見して、大学へ。

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携帯は機内モード

2023-10-27

初年度授業(秋学期)開始。教室後方にべたっ~と学生が並ぶ。
毎年のことながら1年生は秋学期にしてこの体たらく。

秋学期は、希望専修の初年度授業も既に成績が出て後は卒業単位の加算、あるいは希望専修の初年度授業が思ったほどではなく変更を考える学生がいる。
だらけた学生と真摯な学生の混成。

授業中でも、会話こそしないがピーンポーンと着信音。3度目でさすがにキれて「電源を切れ。いやなら退出しろ」と。

今年から定員オーバーの選抜はDPAとすることから、レポートを厳密に採点して、DPAをさげてやれば前者の学生は減るはず・・・。
課題を提出することに。

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関東進出?

2023-10-28

何を思ったか、建築、絵画、彫刻で「近世仏教芸術の諸相」でシンポジウム開催。開催告知のチラシが送られてきた。
コーディネーターも近世仏教史研究者。

内容はまだまだ煮詰まっていないが、江戸仏師・鎌倉仏師・京仏師の関係を話そうと考えている。

過日、資料を整理しながら内容を固めようとしていたら鈴木萌花氏「近世鎌倉仏師と母里藩藩主松平直興との交流」を見出し、早速取り寄せて拝読。

題名だけ見ると、「母里藩」は松江藩支藩(現安来市伯太町)で近世鎌倉仏師が安来へ?と、ちょっとびっくりしたが、母里藩主は参勤交代をしない江戸定住の定府大名で、江戸後期から幕末期にかけて交流があったとの由。たいへん興味深い論考で、資すること多し。
江戸仏師と鎌倉仏師との関係も、もっと知りたいのだが・・・。
時間が欲しい。

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大阪天満宮

2023-10-29

日曜日、快晴、大安。
私事にて大阪天満宮へ。

梅花殿は、昭和2年の建築(登録有形文化財)。伊勢神宮の古材の使用とのこと。神殿内には「高天原神留座」の額(本居宣長筆)。反対側にも気になる衝立画。
私事どころではなく、あちこちきょろきょろ。

ロビーにも月に老梅図。「三□」と落款があるが、よもや三熊花顛ではあるまい。

無事に私事終了。帰宅の途につく。

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これだけは許す

2023-10-30

今日の西洋美術は「ドガ」。

講義後半、《14歳の小さな踊り子》の話題に及び、「この環境テロの代表は石油王ポール・ゲティの孫娘。各地の美術館でテロせんと、ポール・ゲティ美術館でやればいいのに。しかし『これだけは許す』」と。授業中ながら大爆笑。

流石に芸美の学生だけあって、授業終了後に「この作品は知ってるし、かなりキモい」と漏らしていた。

講義の流れから、やってしまった(2022-4-14「ドガは扱わない」)と反省しながら、帰途ニュースを見ると、またもルーブル美術館のピラミッドに登りペンキをかけたりした記事が目に入る。

自分ちの美術館でやれよ。

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