日々雑記


井伊直弼坐像

2021-7-1

ちょっと面白い資料をみつけた。

万延元年(1860)3月3日に刺客に殺害された井伊直弼。いわゆる桜田門外の変。
その12月22日に仏師福田曾平に清凉寺護国殿の歴代尊像を見せて「積書」(見積書)をとらせたところ、「存外」な値であった。
長寿公(井伊直興)像が「極上之刻」で百二三十金で出来るとも言ったので像は拝見させなかったが、同様の仕様で85両と言ってきた。 「直引」(値引き)させようと思ったが、万一「それでは出来ませんが・・・」と言われたら困るので、仕方なく曾平に発注したという。

なんか弱みに付け込んだ悪徳仏師のようである。
福田曾平「井伊直弼像」は井伊神社に鎮座する。(彦根城博物館『井伊家歴代の肖像』)

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とりあえずジャポニスム

2021-7-2

学生の発表。
『北斎漫画』を取り上げ、途中まで面白かったのに、この比較を出してきて興ざめ。

上は『北斎漫画』初編(1814年)の「布袋像」(反転)、下はメアリー・カサット「青い肘掛け椅子に座る少女」(1878年)。
元ネタは国立西洋美術館「北斎とジャポニスム」展(及び関連ネット)だが、カサットの作品は『北斎漫画』から影響を受けたのか。

形態が似てる(とも思えないのだが)といっても、すぐさま影響があるとは言えない。
ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」と『北斎漫画 11編』の相撲力士に至っても、扇面ならいざ知らず、形態の類似=影響関係を云々するレベルではない。
論証が絶対的に不足しているのである。
メアリー・カサットの作品に浮世絵の影響を受けた作品はひとつもない(中国扇をもつ人物は若干あるが)

やんわりと否定しながら、わかったように思えるがまったく何も説明できない「とりあえずジャポニスム」でいいのでしょうかと。

国立西洋美術館も罪作りである。

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ピニン ブランビラ バルシロン

2021-7-3

授業準備でレオナルド・ダ・ビンチ『最後の晩餐』を見ながらわずかな違和感を覚える。
朧気ながら40年前に授業で見た記憶とは違い、なんとなく鮮明な画像。

キリストのわからない表情や着衣の赤や緑など上の画像が、記憶にある『最後の晩餐』。
記憶の『最後の晩餐』と現状の『最後の晩餐』はこれほど違う。もちろん修復成果。

イタリアの修復家ピニン ブランビラ バルシロン(Pinin Brambilla Barcilon 2020年12月没)が大規模な修復プロジェクトを1978年から1999年にかけて実施。
彼女の修復に批判的な研究者もいるが、修復によりキリストの表情など鮮明にわかるようになった。
昔のように不良学生(私)に「なんかよくわからんが、すごい作品なんや」と言われずに済みそうである。

授業ネタを考えながら、よい時代になったと実感。
「ほら、ここに魚の切り身があるやろ。これは過越祭で・・・」。

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初稿

2021-7-5

いつ書いた原稿だろうかとふと考える。
年末だったような気がするものの、思い出せないでいる。
初稿には2018年6月 受付、2019年5月 審査終了と記されている。
ようやく初稿が送られてきた。

校正を行うも、どうしてこう記したのか年号表記から間違っている。
(×天保7年(1835) 〇天保7年(1836))
これらも含めて丁寧に確認作業を行いながら校正を行う。
「てにをは」の修正どころではない大仕事とあいなる。

共著者(first author)とのやり取りで「もう、一から書き直したいほどです」とおっしゃっていたが、激しく同意。

返却は15日必着との由。

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我が家の美術室

2021-7-8

駅前のダイソーで小物を購入。その折、以前からあったデッサン人形(330円)も購入。
なんか、こっちを見ていたようなので・・・。

研究室の本棚に置くと、なんとなくよさげ。
「今必要なのはこちらの『義演准后日記』です」

実は自宅にも30㎝バージョンのデッサン人形がある。こちらは壁時計を指差ししている。
IKEAで購入したが、家人曰く「次はまさかの『石膏像』ではないですよね?我が家は学校の美術室ではないので。」と言われた。
かく云う家人もレンブラントのパステルやフィキサチーフを所有(2014-08-05)

次はイーゼルか油絵具、絵筆あたりか・・・。

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アンケートがお好き

2021-7-9

学内某所より「授業アンケート」の再依頼。一斉配信と記しながらも名指し。

昨春はなく、秋に実施。既に紙ベースではなくQRコード。
今年も春学期は3/2がオンラインながらも実施。

そもそも「Q この授業はどのくらい出席・参加しましたか」という初手の質問がない。
(「この授業について意欲的に取り組みましたか。」という曖昧な質問はある〈欠席多し、でも意欲的に取り組んだ?〉)。

先ほどまで、学生(1回生)から逆切れメール-初回(対面)で注意事項(就活生のため1ヵ月はオンライン上で残す)を説明、次回からオンライン(パワポ・資料配布)。
初回授業を欠席(1回生の初授業)したので注意事項を知らず、資料だけをダウンロード。当り前だが、パワポと資料は関連付けてある。気が付くとオンライン上から消えていたので、試験も近づいたので復活できないか(出来ません!)-の後なので、なおさら。

こうした学生とオンラインで一生懸命に学修している学生を同列に扱うことに、どういう意味があるのだろうか。

学習指導(成績不良者)もそうである。
昨秋に対面で実施したにも関わらず今春も実施。「心入れ替えて頑張っているのに、大学は信じていないのですね」と小言を言われた。そりゃそうだ。学生が努力しているか否かは、我々教員が一番理解できている。
入学時アンケート、授業アンケート、卒業時アンケート・・・。

繁華街の怪しげなアンケート(「ちょっといいですか~? 今はシアワセと感じておられますか?」など)を思い出すほど、アンケートがお好き。
回答する学生もややウンザリのご様子。

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先生。自由がこわいです。

2021-7-10

地下鉄に乗ると、ドア上の広告に「先生。自由がこわいです。」「夏の自由研究 超サポート制度 7月26日予約受付開始(先着)」と見え、とうとうこういう時代にもなったかと。
広告を見ながら、ふと「予約受付開始(先着)」って?と疑問に。
企業ならwelcome!welcome!なはずだがと思ってよく見ると広告右に「京都水族館」。
えっ、梅田地下街の変態予告で話題となった京都水族館なのか。

公立水族館だと思っていた時もあったが、変態予告広告の折に「オリックス」運営企業と判明。 ほかにも「ペンギン相関図2020公開中」広告など、大人向けの広報に集約。

AD関係にバイトしたこともあって、歩む道を間違わなければ、こういう業界にいたかもしれない(今は上娘がまさにこの業界にいる)。

お盆の帰省には、一緒に広告を見に京都水族館にでも行くか・・・。

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雑芸員

2021-7-11

大学院入試。

その後の進路はと尋ねると、判を押したように学芸員と回答。
いやぁ、何処の美術館・博物館を希望するのかしらないけれど、もう少し現実をみよう。
君が読んでいた近代絵画の解説図録の担当って、仏像(快慶)を勉強していた院生じゃないか。 西洋絵画を専攻しても、基本は地元の功成り名遂げた洋画家が大半じゃないか。幸い学芸員になっても専門以外のことが圧倒的に多い。
その点を考えると、大学院=就職には殆んど結びつかないと言っても過言ではないはず。

大昔のように美術館・博物館が競って造られる時代は当の昔に終わった。
如何に少ない学芸員で多くの展覧会が開けるか―多くの美術館・博物館の上司はそう考えている。その上で自分の研究を続けていく覚悟が必要。
なんでもします、何でも出来ますというのが、上司らにとって理想の学芸員。

まあ、美術の学芸員が古文書を読めとは言わないまでも、美術だったら絵画・彫刻・工芸は出来ます(ただし染織は苦手です)と言えるぐらいではないとアカンとは思うのだが。

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センセは右翼ですか?

2021-7-12

続 授業評価アンケート。

かつての某授業(講義:文学部限定)で「神道美術」(2016-10-14)を講義
とある学生が、授業評価アンケート(自由記述)に「センセは右翼ですか?」と記述。
さすがにムッと来て、次の授業冒頭で「そうです。なんなら次の休日に街宣車で家庭訪問に行きますけど。」とネタ。

「神道美術」なので須佐之男命や天照大神、日本武尊、神武天皇など伝説上の人物が登場するのは当然。もちろん「架空の人物」であることは、こちらは百も承知ながら、戦前までは「歴史的事実」として語られ、美術作品にも多々表現されている。
その理解(竹内久一《神武天皇像》の相貌が明治天皇に酷似しているとの内容も行った)もなく、いま現在の単なる思いつき・印象だけで即断するのはおかしい限り。

まぁ出席もせず、「授業評価アンケート」を提示した授業にたまたま出席し、思い付いたことを述べたに過ぎないのだろう。
「日本の風景画」展を企画し、根津美術館に《那智瀧図》を借用依頼しすぐさま出品拒絶された学芸員と同じ感覚。

初手の質問がないまま自由記述させると、こうなる。

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寛文3年

2021-7-14

今週末から九州国立博物館で「范道生」展が開催。

范道生の萬福寺行については、『普照国師年譜』(大光普照国師:隠元)で寛文2年としているが、『即非禅師全録』では寛文3年としている。

萬福寺関係の文章を書く際にどちらを採用するのか-寛文3年説を採用したいが-に心悩ます。
『普照国師年譜』では寛文2年、本山刊行の『黄檗研究資料三輯 黄檗山と范道生―萬福寺の仏たち―』でも、寛文2年に初度の登檗を果たした後、長崎に一時帰郷、寛文3年に再登檗したとしている。出版関係は特に過敏。

「范道生」展では、長崎最後の造像である興福寺の作品が展示。ようやく寛文3年の京都行が認知の方向に。

『普照国師年譜』寛文2年の項に「閩南有范道生者善造命眉監院造観音韋駄伽藍祖師監斎等像」とあるが、「督」(「うながす」)を誤読しなければ、済んだものを・・・。

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小早川秋聲

2021-7-15

今夏、京都文化博物館で小早川秋聲の大回顧展が開催(8/7~9/26)。

「小早川秋聲」の名は大昔、門外漢ながら小磯記念美術館で「日本美術の戦中・戦後」で講演(2009-11-14)(準備)の折に初めて知った。

《國之楯》は、戦争画の代表作として知られ、天覧のため陸軍からの依頼を受けて制作したが、受領を拒否された作品。でも陸軍は再制作を依頼(命令)することも出来たはず、小早川秋聲も「戦死者の視覚化」というナーバスな点は知っていたはず・・・と思っていた。

その後、米子へ調査で通っていた(2012-4-15)頃、日南町美術館でオリジナルを見た。その傍らに《出陣の前》が展示され、両者をみると従軍画家ながら密かに反戦を訴えていたようにも思い始めた。
《出陣の前》は、出陣の前に茶を飲む姿を描いた作品で兵士の前には急須、茶筅、棗が置かれている。しかしヘルメット、軍刀の傍には「LIPTON YELLOW LABEL」の缶。

《國之楯》があまりにも強烈な印象なので「従軍画家」「戦争画」のレッテルが貼られているが、僧侶である点や文展・帝展・新文展に入選した点からも、横山大観・高村光太郎のように小早川秋聲は「戦争協力者」ではない。

チラシを見ると、「戦争画家」でない戦前の作品も展示。
是非、見てみたい展覧会である。

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不思議な図書館

2021-7-20

以前、気になる戦前の資料(謄写版 全6頁)があったので、Cinii Bookで検索すると「所蔵館1館」と出た。
ラッキーと思って所蔵館をみると、「関西大学 図書館」。マジか。燈台下暗し。

改めて検索すると、貴重書ゆえに特別閲覧許可願が必要で、手続き。
ところが、受付では「撮影(全頁)」にやや難色。図書館受付等は某書店からの派遣社員?なのでなんとなく理解。受付職員には「撮影(全頁)」は著作権法に抵触するという危惧があり、口こそ出さないが、図書館事務職員の決裁に拠るのだろう。

本日、特別閲覧。
内容が知りたいのでダメなら筆写でもするかと思っていたが、申請書に「全頁撮影(許)可」の書き込みがあり、口頭でも説明を受ける。
撮影しながら、この資料がどうしてうちの図書館に架蔵されているのか不思議に思う。
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人事は棺を蓋うて定まる

2021-7-21

朝から猛暑。午後に秋学期卒業(予定)の口頭試問。

卒論は生存中の現役作家。
参考文献も含めてすべて礼賛一色。そりゃそうだろ。下手に批評すれば、今どき名誉棄損にもなり兼ねない。
試問をしていても、現状では批評家Aと批評家Bとの間で主導権争いもあるとの由。
だから、亡くなった作家を扱うのが(卒論の)定番である。

もっと深く掘り下げれば面白いテーマなのだが、如何せん情報収集不足、いや礼賛情報だけでは何ともならない。
いっそ、能天気に礼賛に始終したほうが熱意も感じられるが、卒論でちょっと“批評”しようとしたのが、徒(あだ)となった。

人事は棺を蓋うて定まる。

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“スキマ”

2021-7-23

再び、大学時代の同級生(複数)が来室。プチ同窓会。
学食で食事し、学内各所を案内後、雑談に及ぶ。

そのうちのひとりが、こちらの専門分野(近世彫刻史)を知っているらしく、利いた風に「やってること、“スキマ”やし。」と。
「あぁ、そうやね」と打っちゃっておいたが、眉間に皺が寄る。

近世(大雑把に300年間)の日本彫刻史が、空白のままでよいのか。
日本絵画史だと狩野永徳(あるいは雪舟)の次は高橋由一か?西洋美術史でもルーベンスの後はポスト印象派に移るのか。違うやろ。
作品がないなら仕方ないけれど、少なく見積もっても日本の全仏像の8割は近世作品。
“スキマ”どころか大きな欠損(Missing-link)があるとしか、私には思えない。

「作品の美術的価値が低い」(2015-06-30)(とは言わなかったが)と人はいうが、結局のところは、単なる“仏像の美人コンテスト”に過ぎず、こちらは地域史、宗教史などのひとつとして「美術史学」(いやなら「彫刻史学」とでもしておこう)を構築しようとしているのに、それを“スキマ”とは。

大学時代、共に美術史を学んだにも拘わらず、幾星霜を経てそうした旧来の認識のままであったことにちょっと残念。

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桃尾の滝

2021-7-25

朝から猛暑。納涼かたがた奈良・桃尾の滝へ。

旧龍福寺(桃尾寺)境内の滝。滝から500mほど登ったところに大親寺不動堂。ここは旧龍福寺阿弥陀堂跡地。
龍福寺の創建は奈良時代に遡り明治の廃仏毀釈で廃絶。
旧龍福寺十一面観音像(永正4年(1507)・仙算作)は東大寺に移される。

マイナスイオンを浴びながら、「なんで東大寺に移したんやろね?」と家人。「・・・。調べておきま~す」。
近傍の内山永久寺の多聞天像・持国天像・聖観音立像も東大寺に移されている。
「内山永久寺は興福寺大乗院末やし、龍福寺は?」と東大寺との関係が思い浮かばない。

素朴な質問ほど難しい。汗は引いたが、今度は脂汗が出る・・・。

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東叡山大猷院霊廟炎上

2021-7-26

享保5年(1720)3月27日午後(午刻・未上刻)、江戸・中橋箔屋町で火事。南風にあおられて日本橋・馬喰町・下谷寺町から箕輪・千住まで焼失。29日深夜(子下刻)に下谷金杉町2丁目で鎮火。

この大火を受けて東叡山大猷院(家光)霊廟が炎上。この折、救出された四天王像は厳有院(家綱)霊廟相殿に移される。

吉宗は東叡山大猷院霊廟再建を考えるも、歴代将軍の法事も財政難の折、重荷(「御代々次第ニ重リ候」)になっており、新規霊廟の造営禁止と法事等の簡素化を進言・・・。

なぜ、その部分に今まで気づかなかったのか。
マイクロフィルムも閲覧したのに。

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最後の秘境 東京藝大

2021-7-28

春学期最後の会議終了後、天王寺の本屋へと向かう。

コミックコーナーながら配架場所が分からず右往左往。やむなく店員に場所を乞う。

二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』〔新潮社〕(読了済み)のコミカライズ。最終刊を知って4冊購入。

「最後の秘境」とされ、「天才を集めて巨匠を見い出す」ともいわれる東京藝術大学。
入試倍率は、美術学部絵画油画(ゆが)科15.5倍、日本画科13.5倍、デザイン科13.2倍、彫刻科9.5倍・・・。
同校教官もよく知っており、仕事も共にしているが、正直ちょっと気後れ。

帰宅後、食事もそこそこに予習復習かたがたコミックを熟読。

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再取材

2021-7-29

以前、学生から取材を受け対応したのだが、改良の余地があるらしく、「夏休みに(来て)見てもらえませんか」と再びのご依頼。
県指定品のある寺院(実家)を訪問、再取材。

市街地にある近代的な4階建てのビルが御寺。
ちょっとびっくり。

案内されて2階の本堂で本尊(阿弥陀如来立像)を拝見。鎌倉後期ながら、作者も製作時期も判明している非常に洗練された快慶風の作品。

御寺の草創は慶長(あるいは天正)頃なので、関西から運ばれた作品。両脇侍像は江戸時代。寛文8年に本尊が京都仏師(有名な!)によって修理されているので、その折に製作追加されたものだろう。 県指定に相応しい優品である。

御礼と激励を述べ、帰阪の途につく。
駅の反対側にベンチがみえて喜んだのも束の間、流石にここに座る度胸はない・・・。

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昼飲み

2021-7-31

午後、家人が買い物に出掛け、仕事もひと段落。
さて少し早いが、缶ビールでも・・・と冷蔵庫を開けると背後からなにやら視線が・・・。
いや、ええやん、仕事もひと段落したし・・・。
最近は、家政婦ならぬ”ネコの見た”状態。

以前は”キャットフード”でなんとかごまかせたが、最近はキャットフードをあげても動じなく(見向きもしなく)なった。

昼間に当方の監視をして起きていると夜中に“大運動会”をして家人に怒られることはないけれど、どうも気になるようである。
プシュッ!とともに、あぁ~と言わんばかり、2匹共お気に入りの場所へと散っていく。

家人が帰宅すると、いつもどおり冷蔵庫の周りで2匹揃ってみゃぁ、みゃぁと”告発”。

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