日々雑記


『五百羅漢持物名記』

2020-7-1

過日、文化財保存修復研究センター紀要(東北芸術工科大学)を御恵与。また致道博物館創立70周年記念展で善寶寺羅漢像などが出品。

善寶寺羅漢像には本躰に「弐百六十五」などの附番と「ゑごろもち(柄香炉持ち)」など持物が付されている資料が多い。
全てではないにしろ持物名からなんとか順番(尊者名)が分からないだろうか。
まずは『五百羅漢持物名記』をみないことには、話にならない。《五百羅漢図》を描いた狩野一信もこうした心境だったのだろう。

あれこれと考えるうちに、20日で遠隔授業が終了することに気づく。
行くか、函館市立中央図書館に。

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紙背からみえる苦労

2020-7-2

某先生より檀信徒向けの雑誌に掲載された玉稿、御恵与。あつく深謝。
基本は近世資料の紹介ながら瞠目すべき内容。

拝読していくうちに、腑に落ちぬことも。資料から、また某先生の見識からそうした展開に至るわけはないと思いながらも読み進める。

ふと、合点がいった。そのまま書いてしまうと影響が大きすぎるのだ。
本文にはほぼ確定の事項を掲載しているが、一般向けの寺内報なので、研究者も含めて何が何だか分からぬ文章になってしまう。
そこで、「オブラートに包み、包装紙に巻いて」執筆されている。寺側が固く信じてやまない「(弘法)大師自作の観音像」などの扱いとよく似たようなものか。

そう思って読んでいくと、「この箇所はこういう記述で避けたのか」などと紙背から並々ならぬ執筆の苦労が見えてきた。

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誤り

2020-7-3

昨日の玉稿を読みながら拙稿の誤りに気づいた。
拙稿では康音(西仏所)が康猶(中仏所)の娘寿光照信女のもとに婿入りしたが、娘が生まれ、寿光照信女も亡くなったことで、康音と中仏所との関係が疎遠になったとしたのだが、康音の子息に「大蔵卿音湛」がいる。「音湛」をどう扱うかにかかっている。
音湛は「住江戸」とあって、慶安元年(1648)以降、関東での作例のみ。しかも単独。

『本朝大仏師正統系図幷末流』にみる康音(西仏所)と康音(中仏所)が同一人であることは先生と同じ意見。

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よみがえる正倉院宝物

2020-7-7

4日より御大典記念特別展「よみがえる正倉院宝物ー天平の技ー」が開催(~9月6日)。1995年夏にも奈良博で開催。

正倉院宝物復元模造で思うのだが、近代絵画との対照に興味がある。

例えば、正倉院「螺鈿槽箜篌」を描いた藤島武二「天平の面影」は、第7回白馬会展(1902年)に「天平時代の面影」と題して出品され、未完成の「半双」とされていたがその後対となる作品は描かれた形跡がなく、第10回白馬会紀念展(1905年)には「天平の面影」として一点のみ出品されている、と 解説 される。
そうすると、実見したのは1902年(明治35年)以前の東京美術学校助教授時代。高村真夫「春日野」(1911年)にも「螺鈿紫檀阮咸」、下村観山「毘沙門天 弁財天」の弁財天が持つ琵琶も「螺鈿紫檀五絃琵琶」、青木繁「享楽」(1903-04年)にも「箜篌」と「阮咸」。
正倉院の五絃琵琶、阮咸、箜篌が近代絵画に登場するのは1903年から1911年頃まで。
「正倉院所蔵の箜篌を実見して」とするが、第1回正倉院展は昭和21年(1946)に奈良博で開催なので、どこで見たのかという疑問。

西川明彦「(正倉院宝物関連資料紹介)東京国立博物館所蔵木漆工模造品」(『正倉院紀要』31号)に、明治31年(1898)3月19日付で帝国博物館から帝室宝器主管宛てに「五絃琵琶、阮咸、箜篌今般摹造着手」と紹介されている。

明治34年(1901)『稿本日本帝國美術略史』には、残欠であるはずの箜篌をはじめ、阮咸、五絃琵琶の図版が掲載。おそらく彼らは、『稿本日本帝國美術略史』を見、帝国博物館(東博)でその模造品を見て、作品に取り入れたと思う。

それについて誰も触れないのは、実に惜しい。

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Webサマーキャンパス

2020-7-10

本来は8月1・2日で開催のサマーキャンパスながらご時世の折、一部はWebに変更。模擬授業もWebにて。午後からWeb模擬授業の収録。

20分ほどのwebながら、収録はほぼ1時間。

それこそ大昔、15分番組で収録に3時間かかったこともある。それを思えば1時間で済んだと思えば、気もラク。
とはいえ、スライドを変えずにそのまま講義したり、噛んだりとちょっとたいへん。
事前に最初の数分でみる、みないの判断がなされると聞かされるが、別にYoutuberじゃないし・・・。

大雨のなか部屋に戻り、仕事続行。

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炙り出し

2020-7-11

ようやく授業終了の目途。
とはいえ、授業準備に追われてまだまだ先という思い。

評価の時期が近付いたこの頃、「課題やレポート提出が見当たらないのですが評価方法は?」とか「講義の課題について連絡がない」、「関大LMS、インフォメーションシステム、CEAS、どれも指示がない」などのメールが来る。
片や大半の学生は、コンスタントに課題やレポート提出に応じている。

今頃こうした質問をして来る受講生は、これまで配布資料やパワポをみて受講しなかった学生とみてよい。
こういう事態になるとは予め予想できたので、パワポに「課題」を挿入しておいた。
真面目な受講生はコンスタントに送って来るのに。

そもそも毎回苦労して作った配布資料もみないのに、「はい、課題です」ってインフォメーションに掲示するわけないじゃん。適当に答えて単位取得と思ってもそうはいかない。
面倒だと思う受講生は、単位を諦めた方がよいと思うのだが。

ちなみに「評価方法」の変更は全科目対象。HPにも記してあるのだが、こちらもみていない模様。提出にややミスがあったものの、教務で修正。感謝。
遠隔授業では分かりづらかった、受講欠席者が図らずも判明。

午後から某市で会議。

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飛鳥史学文学講座

2020-7-12

曇天ながら時折晴れ間のみえるなか(終日、雨は降らず)、明日香村中央公民館へ。
厳戒予防体制のなか、飛鳥史学文学講座が開講。
午前は米田先生(博物館館長)の講演、午後から小生のダブルヘッダー。

これまでの仕事を紹介。
配信された写真をみると、ニコニコ顔。
スクリーンが下りておらず、明るいところをみると、「1月に授業が終わって以来、人前でお話するのは半年ぶりです」などと喋っていた時の撮影だろうか。

奈良にはこんな作品があります、こんな状況ですというのは関心ある方にとっては有意義な話題。前の方はスクリーンを熱心にスマホで撮影していた(メッ!)。

終了後に幾人の方から質問。話のはずみで山形の話題をしたが咄嗟の質問で「飯豊町」の読みが出てこない・・・。
「いいとよ」でもなかったし、なんやったやろか・・・・。
正解は「いいでまち」。秋頃には行こうと思っているのに。

つつがなく、飛鳥史学文学講座第1・2講終了。

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巨匠

2020-7-13

授業準備「ピカソ」終了。前々回は「ゴッホ」。
誰もが知っている巨匠である。しかし両者ともに人としては超ダメな部類。
絶対に身内にいては困る人間である。

ピカソも光琳に負けず劣らず、“お元気”。
23歳:フェルナンド・オリヴィエ、36歳:オルガ(27)、46歳:マリーテレーズ(17)、55歳:ドラ・マール(30)、62歳:フランソワーズ・ジロー(22)、80歳:ジャックリーヌ・ロック(43)。〔( )内は一緒になった折の伴侶の年齢〕
伴侶を代え、トラブルると作風も大きく変化していく。
ふと、作風を変えたいから伴侶を代えたのかも思ったり。

色恋沙汰に陥ることにならなかったのは、さすがに「巨匠」。
(作品には現れてはいるが。)

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工房にて

2020-7-16

朝まで授業準備して午後から京都の修復工房へ。
京都といっても周りの景色をみると、とうてい、京都市街とは思えぬ光景が広がる。

とある絵画の修復確認と協議。
こちらは本紙の確認。精製水で洗浄するだけでも画面が明るくなる。
不思議にも思わなかったが、後世、画面下部の描かれていない部分を少し切り取って、上の部分に補絹しているとのこと。それは絹の縦横の目で判明するとの由。裏彩色も確認。

普段は「みることが大事」といっているのものの、こうした状況では「みること」以上に「科学の眼」も必要であると実感。

仏像を台座、須弥壇からおろしている時「お、重い・・・」と思うものの、それ(納入品の可能性)以上の事は分からない。
「そんなの、美術史じゃない‼」と宣った御仁もいたが、美術史が生き残っていくためには必要だと思う。逆に見れば、美術史研究者が修復家と良好な協働関係になれば、作品は見た目以上に輝きを増すものと考える。 よき修復者との出会いが作品の優劣を決めるのかも知れない。

工房を後にして大学に向かう。もう夜なんだけど、仕事が溜まっている・・・。

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君自身の問題

2020-7-17

授業準備等、深夜までフル回転で仕事しているなか、文20の男子学生から「パワーポイントが閲覧できなかったことに伴う諸問題の件」と題したメール。
単刀直入に申し上げると、私はスマホしか持っておりません。その為、私のスマホではプリントしか閲覧することができませんでした。関大インフォの連絡を見て不安に思い、今日急いで大学のITセンターに行って調べ、パワーポイントの存在を初めて知りました。勿論、パワーポイントに課題の連絡があったというのも初めて知りました。これではもはや勉強の問題ではなく、パソコンを持っているか否かという、経済的なところで成績評価をすることになってしまいます。・・・そのあたりを考慮していただけませんでしょうか。お願い致します。
こういった類いのメールが来ると後々厄介なので、先にインフォメーションで指示したが、さっそく届く・・・。

4月18日付インフォメーションにPDFで受講の指示をし、既に大学もパソコンの貸出も行い、ITセンターも開館している。ITセンターが閉まっておればまだ考えなくもないが、開館している以上、「考慮」するはずもない。
そもそもパワポもみていないのに、プリントの空欄が埋まるわけがなかろうが。
「経済的なところで成績評価」って、君が単に情弱で、動かないだけだろ。

ブー垂れてないで、学是(スローガン)のとおり、さっさと「考動」しろ。
「諸問題の件」って、問題は君自身じゃないのか。

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那覇行

2020-7-18

午後から関空へ。明日は、恒例となった那覇での会議。
コロナと言えども、公的機関は通常通り。

関空は閑散。空港に入るゲートは1カ所のみ。体温チェックがあり、通過してセキュリティ検査でも再び体温チェック。36.4℃。空港内のショップは1/3程度が開店。土曜の夕刻とは思えないガラーンとした待合。欠航便もかなりある。

夕刻、那覇着。
大阪は快晴ながら、那覇は曇天、湿度はMAX。ゆいレールに乗ると、すぐさまスコールのような強雨。「県庁前」駅でしばし雨宿り。

宿に到着。体温チェック後にチェックイン。 夕食後はおとなしく室内にて。

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首里城

2020-7-19

那覇は朝から好天。気温も急上昇。

Web参加の先生がおられるため、会議は「美ら島財団 首里城公園管理センター」にて。
懸案事項があり、午後まで食い込んで終了。

会議が終り焼失後初めて、首里城を見学。
正面のプレハブは、正殿のあったところ。地下の遺構を保護するために設置。前にある単管パイプの足場は大龍柱。辛うじて残っているものの火を受けて損傷している。周囲の礎石も火を受けて亀裂、破損が甚だしい。
何もかも失われて、まるで工事現場をみるよう。再建工事は早急に始まるらしい。

市内で遅いお昼を食べて、帰阪の途につく。

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天心・大観も激怒

2020-7-20

日展「篆刻」に続いて、日本美術院展で問題作。

困りますね、理事がこういう作品を出したら。
もうネットの時代なので、写真の無許可トレース(パクリ)はすぐさまばれるのに。

創造力など無限に続くものではないことは自明。色んな事情があるにせよ、枯渇=終了という意識がないとこういう事態になる。

しかし最近の東藝大の関係者(学生も含め)の仕事はどうして毎年の如くパクリが発覚するのだろうか。不思議でならない。

こちらも枯渇=終了という意識で仕事をしないといけない。
本日にて授業終了。

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Go To 函館

2020-7-21

午前中に諸々の案件を済ませ、「心の洗濯」(逃避?)のため名古屋港に向かう。
19:00出港の太平洋フェリー「きそ」にて北海道・苫小牧へ。40時間ほどの旅。

特別給付交付金+αにてGo To Travel。
4月以降の混乱のなか、よくぞ頑張った自分へのご褒美。

健康確認シート・体温チェックを経て乗船手続きを行う。乗客はやや少ない。
雷鳴とどろく夕立のなか、出航。
海が見える特等個室(シングルユース)で、のんびりと過ごす。

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洋上にて

2020-7-22

目覚めれば、千葉県沖合。快晴のもと40㎞/hほどで北上。
朝飯後、デッキに出て海を眺める。快晴、凪。

船内のあちこちに柳原良平の作品。「太平洋フェリーの名誉船長」とのこと。何枚か写真を送ると、「トリスのおじさん」と返事。
まぁ、そうなんだけれど。

インターネットはつながらないが、パソコンで函館での資料を整理しているうちに午睡。
(昼からビールを飲むから・・・)

目覚めれば、TV画面の航路ははや仙台港。16:40、仙台港着岸。下船可能だが、面倒なので客室で再び資料整理。
仙台からは乗客も増え、3時間後に再び出航。

夕飯(バイキング:マスク・手指消毒・使い捨て手袋必須)後、風呂に入ってまったりする。

流石に携帯もつながらなくなった。

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風間壮慶

2020-7-23

朝食後、荷物の整理。名残惜しいが、仕方ない。
11時に苫小牧港着岸。曇り空。
苫小牧駅前で昼食後、JRにて函館に向かう。
時刻表も昼間は普通1本、特急1~2本。阪和線なら暴動が起こるレベル。

函館には16時過ぎに到着。ホテルに向い、リュックからノート、筆記具、資料以外の荷物を出して、五稜郭そばの函館市立中央図書館へ。

利用者カード(1人10冊まで、14日以内に返却―さすがに「借りられませんよね」と確認―)が必要とのことで作ってもらい、明治35年の風間壮慶「五百羅漢尊像彫刻志願書」を閲覧。

志願書によると、明治35年時点で「二十有余年」の風間壮慶、神仏つくること数千躯、仏具数千個とある。「高龍寺御用仏師」を仰せつかったらしい。
羅漢(台座も含めての総高)2尺2寸、1躯8円、計4千円。また本尊(?)付属菩薩5百円、計4千5百円と計上している。総事業を2期に分け、1期は彫刻制作、2期は堂宇建築とした。末筆に高龍寺住職上田大法の承認。

高龍寺は、寛永10年に亀田町に創設、宝永3年に箱館・弁天町に移転、明治3年に旧幕と維新の戦いで焼失。その後、明治12年に弁天町から臺町(船見町:現在地)に再度移転している。
『高龍寺史』では、達磨大師・大権修利菩薩像は文化2年、本尊の釈迦三尊像は明治3年とされる。また付属する羅漢像(阿難・迦葉か)は和田浄慶・和田九右衛門の作。加えて明治34年に大坂・高津新道の岩井弥兵衛作の僧形像がある。

考えるに、旧幕・維新の戦いで、大権・達磨は救出され、焼失直後に和田浄慶らに本尊再建を依頼、落ち着きを取り戻した頃に開山堂と五百羅漢像を風間壮慶によって制作され、またその頃に大坂仏師岩井弥兵衛作の僧形像が高龍寺に届いたのかとも。
開山堂は明治30年代の創建とされ「五百羅漢尊像彫刻志願書」とは確かに符合する。

閉館近くまで閲覧・筆写し、夕食後、ホテルへ。

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『五百羅漢持物名記』と「鵬洋丸」

2020-7-24

朝食をしっかり食べて、再び函館市立中央図書館へ向かう。
開館と同時に特別閲覧申請書を出して『五百羅漢持物名記』を閲覧。
やっぱり「左之部」から始まる完本、しかも直筆書写。 用意してきた一覧表に丁寧に書き込んでいく。「右之部」とは違って記載のない尊者はごくわずか。
その後「左之部」だけを写真撮影。終了し退館(「ご苦労様でした」と言われる)。 終わってみると午後5時前。

その後、近傍の函館市北洋資料館へ。
北前船に関する資料があるかと思って入館したが、ベーリング海などのガチ「北洋」。
ちょっと残念と思いながら展示資料をみていると、別府純一「鵬洋丸」の油彩画(1968年9月)。

鶴岡・善寶寺でも似た構図の油彩を見た。「鵬洋丸」はもと日章丸(2代目)。1959年に北洋水産の所有となり「廉進丸」、1964年に「鵬洋丸」と改名している。
ホテルに戻ってデジカメで確認すると、善寶寺の蟹工船の絵(油彩)も「北洋水産」。

現代版の「舟絵馬」だろうか。そもそも、製作動機や別府純一も不明。

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高龍寺

2020-7-25

曇。午前中、函館市電に乗り高龍寺に向かう。
市電「函館どっく前」で降りてしばらく坂道を上がると、大きな山門。
受付で拝観を乞う。

本尊に礼拝し、須弥壇をみると羅漢像は他所に保管しているらしく、釈迦三尊像のみ。遠目からも幕末頃の京都仏師の作と理解。
明治3年に至って京都仏師の作品、初めて北海道に到達・・・。

続いて開山堂五百羅漢像へ。こちらも作風や表情からみて「志願書」の通り、明治35年以降の制作とみられる。
正面には三祖師像と十大弟子像。「志願書」の付属菩薩に該当する作品が無い・・・。
不思議。
謝辞を述べて寺を出る。

坂を下りながら市電沿いにいくつかの近代建築を見て(こちら)、再び市電に乗って函館駅。

函館から新千歳空港、ピーチで帰阪。

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書き起こし

2020-7-27

さっそく、函館の資料(左之部)を書き起こし。
「左之部」は写真撮影してあるので、安心。

書き起こししながら、尊者(羅漢)の番号順に記載されていないことに気づく。例えば第一阿若憍陳如尊者は、「左之部」では17番目に記載。
また善寶寺羅漢像に付された番号も尊者番号、通し番号とも異なる。「ゑごろもち」だと、119離垢尊者、144修道尊者、145大相尊者にあたるが、「弐百六十五」(三百十五)の造像銘。
もう少し古い事例でないと、番号が合致しないのか・・・。そもそも「立ツ」とありながら、全て倚像である事例も多い(高龍寺)。
ともかく表が出来れば、多少は活用できるはず。

大学で小会議あり。

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山形豪雨

2020-7-29

山形で豪雨、最上川が氾濫。中山町や大江町ほかで被害。
知った土地がら、心配しながらニュースを見ていると、「大江町左沢地区」とテロップ。

「ひだりさわ?」と聞く家人。
「あてらざわ。JRでも『左沢線(あてらざわせん)』とある。」
難読地名。最初はこちらも「?」だった。

ともかく、山形の背骨である最上川が氾濫するとは、尋常じゃない。

被害の少ないことを祈るばかり。

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分類

2020-7-31

近畿地方が梅雨明け。朝から猛暑。

普段なら学生レポートや答案用紙の束が積み上がるのだが、この夏は大量のメール。
日頃から各科目のフォルダーへ分類しているが、それでも学期末でおぼつかない。

分類していくものの、件名が名前だけや(件名なし)のもあり、分類だけでひと苦労。
時折、仕事メールなども混じっており、気を付けないといけないことも。

ちょっとたいへん。

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