日々雑記


遷座

2020-3-1

好天。某所で仏像の移動&調査。

観音堂が破損し、修復再建の運びに。しかし問題なのは、堂内にある仏像類。傍の会館へ移動することに。
6尺程の立像はすでに簡易な記録が残るものの、移動に伴って詳細な調査を希望される。

すでに180cm×20㎝の板材数材、綿ぶとんが搬入済。日曜日ゆえ地元の方も多数集合。
板材を組み上げてタンカを作り、さて移動と思うものの、光背が仏間天井に引っかかってどうしても外れない・・・。
昼を挟んであれこれ試しながらようやくのこと外れる。どうして仏間に入れたんだろうかと疑問にも。

慎重に台座から外してタンカの上に寝かせて、綿ぶとんを当て晒布で縛る。地元の方がタンカの四方をもって会館へ移動。綿ぶとん・晒布を開梱?しながら、皆さんは普段は見ることが出来ない背面やら足枘などに関心、質問等も出る。

元通り立ち上げて何枚かスナップ写真を撮影し、本日は終了。

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調査

2020-3-2

再び現地。法量やら構造などを調査。

幸い、像底から躰部内が観察可能。割り矧ぎ?と思うものの、年輪をたどると弧を描かない。同行の研究者曰く「材質は広葉樹系なので、”割り矧ぎ”は無理です」と。広葉樹では教科書通り裂けないらしい。
あれこれ悩みながら観察をし、同一材の寄木造で、割首との結論。難しい。

その後、気づいていた足枘の銘記。これもなかなか難読。「實」「□永三年」は読めるが、□は?
「□永」の元号はたくさん。元永、寿永、建永、貞永などなど。ひとまず「大永三年」としておく。もちろん修理銘。

調査終了。夕暮れのなかお堂を後にする。

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危機管理

2020-3-4

夕刻、3月19日の卒業式、3月21日の大学院学位記授与式が中止との発表。

発表文を読んでいると「全国から1万人が集まる式典」とある。今の状況を見ればもっと早く中止とすべきところだが、なにしろうちですから・・・。

先月27日には、「本学が主催するさまざまな行事(後期入試・卒業式を除く)については、原則として中止または延期の判断」と発表(3/12に削除更新)。
同日には、関西学院大学・同志社大学が卒業式・大学院学位記授与式を、立命館大学は入学式も、それぞれ中止を発表していた。
独自路線?と思ったが、やっぱり決断が遅い。

これからは他大学の情報をもとに行動すればよいのかと、うちの情報発信にやや不信感。

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西琳寺

2020-3-5

御用の後、松岳山古墳へ。

とある先生が「船氏王後墓誌」について触れられる。
墓誌(天智7年〈668年〉)には「贋葬於松岳山上、共婦」と記されており、寛政8年(1796)の藤貞幹『好古小録』には西琳寺蔵とされ、「松岳山」は安宿郡国分村にあるとする。
「松岳山」と表すのは墓誌発見以降、それまでは「松岡山」とされていた。

船氏は西琳寺がある河内国丹比郡野中郷を本拠地とすることから、野中郷の「松岳山」ではなかったのかとも。確かに松丘山古墳は4世紀後半、墓誌は7世紀。

藤貞幹『集古図』には西琳寺蔵として伝安閑天皇陵出土の「玉碗」が登場。ところが、享和元年(1801)『河内名所図会』3の西琳寺には、墓誌の記述はまったくなく「玉碗」のみがみえる。
複雑な事情ながら、当時の西琳寺住職は「好古家」だったのかもと。

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上京

2020-3-6

上京。新幹線はかなり空席が目立つ。

國學院大學博物館「古物を守り伝えた人々―好古家たち Antiquarians―」へ。
モース直筆の根岸家器物図など色々と拝見。
うちの博物館では普段、漠然と展示されている資料もこうした経緯を併せて展示されると輝いて見える。見世物から博物館へと言われるが、なんか徐々に研究の成果が不在になっている感じ。

いつもは会合のみで、初めて?常設展を拝見。大嘗宮の模型など色々と興味深い資料が展示。なかにちょっと気になる資料が展示されている・・・。

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無観客試合

2020-3-7

シンポジウムが中止となりごく内輪だけの研究会。いわゆる「無観客試合」。
告知を知らずにお越しになった方もおられ、残念ながらお引き取り願う。

展示を見て昼食を頂いて12:20頃から18:00まで研究会。
こちらは幕末の好古家のフレームと近代博覧会の変化をざっくり発表。
大学南校博覧会、湯島の文部省博覧会、地方での各博覧会は幕末の好古家のフレームを踏襲したものだが、明治10年 (1877)の内国勧業博覧会以降、大きく方針変更。
「考古ノ徴証ニ可相備品物」によって「知見を広げる教育の場」であった博覧会は、「人々必用の物にて追々繁盛に致度き見込あるもの」に規定され「古代の瓦曲玉書画等の類は此会に出すべからず」(『明治十年内国勧業博覧会出品者心得』)と。
美術に関してはしばらく迷走の時期に入る。

「無観客試合」ながら長かった・・・。

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江戸?鎌倉?

2020-3-8

再び、國學院大學博物館の常設展へ。

展示の阿弥陀三尊像を凝視。江戸時代としている。脇侍像と中尊の躰部は確かに江戸時代ながら、中尊の頭部は鎌倉時代じゃないかと思って、じっくり観察。

耳朶は新しそうだが、小粒な螺髪。引き締まった面相、躰部の漆箔とは異なり、面部だけが下地の漆が露呈。
鎌倉時代ぽく造ったとしても江戸時代ならこんなことはしない、あんなことはしないと思いながらじっくり。
残念ながら頸あたりの観察が難しい。
一度、熟覧希望をだそうかと思ったり。

結論を見出せぬまま帰阪。

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とある会議にて

2020-3-9

午前中から会議3つ。最後の会議は欠席。

会議前、とある教員が「決断が遅い。どのようになっているのか見通しでも教えてほしい」と事務方へ質問。

いやいや、事務方だって何も知らされていないのだから答えようがないじゃないか。
判断が遅いのはいつものことで、それほど気になるのなら同じ文学部なんだから学長に問えばいいのにと思う。
なんか筋違いの話題。

最後の会議を欠席し、長崎へ向かう。
深夜に長崎到着。長崎は雨。

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長崎調査

2020-3-10

雨。朝から他の研究者ともども某寺で調査。

銹漆下地の上に、ケーキのお名前プレートに字を書くような盛り上げの界線がある。その周辺には、金泥?塗と梨子地の金泥?塗。
梨子地の粒々は粒子の大きさが小さくそろっており、(非接触)モバイル顕微鏡で確認すると石英か長石とのこと。
構造は以前に調査したことがあるが、寄木造より角材を寄せて彫刻したもの。挿し首や両肩矧ぎなど日本(の仏像)のような規則性はない。
下地を黒漆とする例もあり、難しく頭を抱える。

そもそも中国に同様の作例がないのも不思議。

よく理解できぬまままま、本日の調査は終了。

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五拾三番船之仏師

2020-3-11

快晴、調査続行。こちらの調査はおおむね午前中で終了。

調査をちょっと抜け出して崇福寺裏山墓地に向かう。ここに「范道生墓」があるが、広大な墓地で何度も探しているものの見つからない。
思い切って堂守の方に尋ねてやっと発見。

福建省泉州府安平県出身の仏師 范道生は、万治3年(1660)夏に五十三番船に乗って長崎に来て福済寺や興福寺の造像に携わる。
『即非禅師全録』によると寛文3年(1663)に隠元の招致を受けて萬福寺へ上り、翌年夏までにに弥勒(布袋)・十八羅漢像・祖師像を製作し、父賛公の古希祝いのため一時帰国し広南に向かう。
寛文10年(1670)、范道生は二十六番船にて再び来日。ところが入国は認められず二十六番船にて帰国命令。出帆を待つうち、范は9月より吐血し、11月2日夜、三十六歳の生涯を遂げる。(『唐通事会所日録』寛文10年11月3日)。

墓石には「安平石甫范公墓 寛文十庚戌年/十一月初二日立」と刻まれる。

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長崎の唐寺

2020-3-12

快晴、長崎・唐寺の韋駄天像や弥勒(布袋)像などの仏像拝見。

とある寺院。これは唐人仏師、これは日本人仏師などと言いながら天王殿の仏像を拝見していると、日通の方。搬出、搬入?
大雄宝殿に向かうと、なんと達磨大師像の調査。どこの博物館だろうか。見るからに日本人仏師の作品。同行の研究者は「友学」という。

同行の研究者がおそるおそる「どちらの博物館ですか?」と尋ねると、某博物館。思わず「Kさんですか?」と問うも「Kは堂内に」と呼ばれる。
Kさんはその方面の先達。思いがけず名刺交換に及ぶ。
こんなこともあるんだと、狭い世界を実感。

3時過ぎまで唐寺の仏像を見て、帰阪の途に。深夜帰宅。

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転向者

2020-3-13

某市へ出向く。車中で今谷明『籤引き将軍 足利義教』(講談社選書メチエ)を再読。

室町幕府第4代将軍足利義持は嫡子の義量に将軍職を譲り、道詮と号して出家。
ところが応永32年(1425)に義量は19歳で急死したため、再び幕政は義持に。

義持に死期が迫ると、重臣は後継者指名を懇願するも拒否され、やむなく重臣が生前に内々に「籤引き」を作って後継者候補に引かせ死後に開披することで決着。

応永35年(1428)1月18日に義持は亡くなり、「籤引き」の結果、青蓮院准后義円が将軍職となり正長2年(1429)足利義教となり徐々に「万人恐怖」政治へと移行。

僧籍から還俗、そして「万人恐怖」政治に。まるで転向者の行動をみるよう。
怖い怖い・・・。

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1マス分

2020-3-14

もともとプレ・スチューデントプログラムだったが中止となり、入学式も中止との由。
既に学生(まだ高校生)レポートが提出され、過日の会議でコメントを付けて返却とのことで、大学に来てコメントを作成。

このホームページもそうなので、あまりきつく言う資格もないが、レポートなど改行後は冒頭1字を空けるということを、この頃は高校では教えていないのだろうか。
2字空ける者もおれば、1文が行末に至らずとも適宜改行している者もいる。さらには、ここのように、段落を1行空白にする者も。レポートはブログじゃない・・・。
当たり前だが、こちらは文章や原稿等ではもちろん空けている(HPだけが特殊)が、大学生でもたまに見かけ、なんだかなぁと思ってしまう。

普通にワードを使っても改行すれば自動的に1マス分が開くはずなのに、どうしてといぶかざるをえない。

コメントしたレポートを学生個人ではなく3月末日までは高校生なので、出身高校へ直接返却してもいいのかもしれない。

雨天も重なり、ちょっと憂鬱。

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扇町

2020-3-17

恒例になりつつある年度末深夜のキンコーズ通い。
第1回目。堺筋線扇町駅、下車。

明日には発送、とひと心地ついた折に、改札近くの壁面。
「2019年度、卒業を迎えられた皆様へ ご卒業おめでとうございます」と。
普段は多言語飛び交う殺伐とした駅を利用しているので、読んでいるうちに、ちょっとホロリ。

ふと扇町高校の学生向けと思ったが、扇町高校の最寄駅は扇町ではないし、すでに廃校。市立扇町総合高校も最寄駅ではない。専門学校はあるものの???
ひょっとしてビジネス街の一角なので、企業を卒業(退職)された方に向けてのメッセージかも。

まぁ、誰向けでもいいや、おめでとう、と思いながら家路を急ぐ。

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卒業証書授与式

2020-3-19

午後、各専修での卒業証書授与式。総合の卒業式がなくなったが、いつもとあまり変わらない。

学長式辞・理事長祝辞がHPに掲出され、卒業式恒例の満足度アンケート用紙もQRコード付の案内文を配布。
いつもは鉛筆持参で卒業式に来るわけないので、こちらが右往左往するも今回は案内のみ。
内容も用紙と変らないような多くの設問に時間内に終わらず、一時保存する者も。

ゼミ生諸君、世相に流されず力強く活躍して下さい。卒業おめでとう!!

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卒業証書・修了証書

2020-3-21

引き続き、大学院修了証書授与式。こちらも30分を目途に終了せよとのこと。
少人数なので、修了証書授与・祝辞と淡々と行う。これで今年度のお役目も終了。

時折、やむを得ない事情(企業研修など)で、卒業式や修了式に出席できない学生、院生から「『卒業証書・終了証書』はもらえないのでしょうか」と連絡が来る。

大丈夫。
当日、本人に渡せなかった卒業証書・終了証書は大学が責任をもって永久保存。手元にない方はいつでもどうぞ取りに来てください(事前連絡があれば、なおスムーズ)

今春、ご退職の某先生。
卒業証書、終了証書かを授与できなかったまま大学院、そして(母校の)専任教員へ。
ある時、古参の事務職員から「先生の証書、ありますが・・・」と。
晴れて、卒業・修了時から時久しく過ぎて「授与」された。

気になる方は、どうぞ大学へご連絡のほどを。

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非常事態

2020-3-23

4月6日(月)~4月18日(土)まで休講の告知。
ただし新入生指導行事(オリエンテーション)や履修ガイダンスは4月1日~4月4日の期間内に実施との由。

むぅ、新入生3千人以上の学部がいくつもあるのに、千里ホールやBIGホール100で大丈夫だろうか。 このままだと、クラブやサークルの勧誘(履修ガイダンス)に現れる在校生も多数いるので、普段と変わらない状況が目に浮かぶ・・・。
ちょっと心配。

連休中の大阪府と兵庫県との「往来自粛」に続き、東京都は最悪「首都封鎖」で、なんだか非常事態。

休講とあっても、授業が行われないだけで会議等は実施の見込み(学園祭と同じ措置)。

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巨樹昇天

2020-3-24

御用が済んで大学に行くと、博物館前にある大クスノキの1本(幹回り435㎝)が伐採。

博物館に出入りしていた頃は青々とした葉を茂らせていたのだが、徐々に弱り周囲に防護柵が出来、養生していたが、近頃はすっかりモニュメントと化していた。
この頃の状況については、千里山建築会(大学情報:2018年12月26日)の記事に掲載。
夕刻までチェーンソーの音が聞こえる・・・。

明石に巨大なクスノキがあり、朝には淡路島が、夕方は大和が木陰になった。このクスノキを伐採して船を造ったところ、鳥のように速かったので「速鳥」と名付けた(『播磨風土記』逸文)、また、速鳥が壊れたので燃やし、残り木は美しい音色の「琴」になった(『古事記』)など、巨樹にかかわる神話はことのほか多い。

伐採したクスノキは何に変わるのだろうか。

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在外作品

2020-3-26

訳あって、とある近世仏師の作品を探す。
残念ながら、こちらは地方にある小さな作品ひとつしか知らない・・・。

誰か奇特な方がネットにあげていないだろうかと検索すると、なんと左の阿弥陀三尊像が出現。
画面のレファレンスには、1737年(元文2)の制作で、子息の名前も流出寺院も判明。銘記等があるのだろう。
アメリカ東海岸の某美術館(個人蔵)。

ちょっと行ってみるか!と思うものの、しばらくは渡航厳禁。

もちろん作者についてはUnkown。
説明できるでぇと思いつつ、気になる在外作品の仏像。

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履修ガイダンス

2020-3-27

4月3日の専修別相談会は中止が決定。
賢明な措置とは思うものの、不安は尽きない。

高校は50分授業、大学は90分授業(現状)。高校生気分のまま大学で科目履修すると、かなり大変。
例えば、必修科目や一般教養などで2、3、5時限に授業を入れると、4時限にもそれほど関心のない科目を入れてしまう・・・。
隙間恐怖症。昼休みを除いて10:40~17:50までびっちり授業。
4時限allで授業を入れると360分。高校の7時限分。多くの場合、半期間続くはずもなく3or4時限は自主休講(休憩)となることに。結果、未取得(不可)。
クラブやサークルに入ると、時には授業をサボらねばならぬ・・・。
共通教育科目(一般教養)については、2年計画でクリアするほうが良いと思うのだが。

教職資格(中学校・高校)。
国語=国語国文学専修、社会=日本史・文化遺産学専修/世界史専修/地理学・地域環境学専修、英語=英米関連の専修と一般には思いがち(大半の保護者もそうした理解認識)だが、決してそうではない。

先生になるための科目(例えば「日本国憲法」)と何の教科を教えるのかを指導する科目(各教科教育法)を取得すればよいのであって、文学部ならほぼ全員、そう無理せずとも英語や国語、社会各科目の教職資格の取得が可能である。これは学芸員資格でも同様。

「うち(の専修)は有利です」とPRする向きもあるやに聞くが所詮、各自の学習意欲次第である。

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日本遺産

2020-3-28

7名が出席しての某市の会議。自粛の折だが、7名だと大丈夫だろう。
マスク必携(必帯)。ロの字の会議机も普段よりは広い。

日本遺産に認定されると、ガイダンス施設の整備が求められる。
1道2府12県にまたがる「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~」などはそもそも無理だが、地域型の認定では重要な施策。
ここでは、既存施設(博物館・資料館)の一部を利用する方向。

現在は休館中ながら、工事期間と企画展の会期との調整が生じる。
困ったことに、4月より担当者が異動。

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迷走

2020-3-29

自宅にて自粛。
昨日、大学のHPが更新されて、ちょっとびっくり。

〈新型コロナウイルス感染症に関連するお知らせ(詳細)〔3月28日更新〕〉があり、「(学部)新入生指導行事日程表」が掲載。
開いてみると、文学部4月3日の欄に「14:30~ 専修別相談会(希望者)」とある。
ところが、既に27日午前の段階で教員には「専修別相談会」の中止が告知されている。
開催するのか、しないのかどっちなんだろうか。

ま、一般社会でもよくある話。
会社でも「部長と課長で言う事が違う!」ことがしばしば起こる。
恐らく、しらっと日程表を差し替えるか、2日に突如、3日の相談会は中止になりましたとのアナウンスで処理するだろう。

しかし相手は右も左もわからない新入生。混乱が起きなければよいのだが。

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納品完了

2020-3-31

昨日午後。
地方からの初稿を済ませてほっとしたところ、別のところから納品催促。

もう無理ゲー。
とはいえやらねばならず、恒例となった年度末の徹夜。
始発に乗ってキンコーズ(第2回目)に行き、戻って納品物を整え再びキンコーズに寄り、納品先に向かう。
今年もかなり遅かったが、年度末日午前中に無事納品完了。

歳を考えぬ自転車操業。
帰宅後、爆睡。

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過去ログ