日々雑記


嵐の夜

2017-6-1~2

書類が出来ずに切羽詰まりいきなり徹夜。明日までに提出しないと各所で困難が生じる。
22時過ぎに食事から戻ってくるや、強風雨、落雷の嵐。
しばらくすると何事もなかったかのようにもとの静寂。

翌朝まで書類を書いて、そのまま授業(1時限)に向かう。
午前中の授業を終え、再び書類を書きあげて午後遅くに帰るも意識朦朧。

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住吉大社

2017-6-3

午後から住吉大社「『ガラス乾板』に記録された住吉大社の風景」展を見学。

24枚のガラス乾板からプリント。現在デジタル化の作業と分析が進行中。昭和7年(1932)元日の『住吉大社写真帖』と同一カットがあることから昭和初期の撮影と判明。
プリントを見ながら復刻『住吉大社写真帖』+α(限定版)で刊行すればよいのにと思ったり。

帰途、絵馬堂に懸かる「高砂」(?)絵馬(昭和6年)を見る。後援者筆頭に本山彦一。他に、「谷川茂次郎」「宝生(九郎)重英」「辰巳孝一郎」「白川朋吉」など。
ちなみに白川朋吉は大学の元理事長である。

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貴殿の知的水準は?

2017-6-4

大阪(市)の一般的な(と思われる)市民の声。
大阪市ミュージアムビジョンでの「美術館及び博物館」の廃止について政策の提案があります。
(1)「新美術館」等は、維持費が掛かるので政策を廃止するべきです。例えば、「大阪市立東洋陶磁美術館、大阪市立科学館、大阪歴史博物館、大阪市立美術館、大阪市立自然史博物館」は、維持に税金が掛かるので、廃止し民営化にする事が望ましいです。
(2)財政利益の計算方式では、「税収収益-維持コスト=財政利益」で、「維持コスト」が膨大に掛かり「財政利益」がマイナスになります。結論を言えば、「税収収益」を上げても「維持コスト」で圧迫するので、「財政利益」が全く出ません。約10年以上経過すると美術館及び博物館は老朽化し、「負の産物(不要物)」です。維持コストの方を重点的に考え、税金で補助している「美術館及び博物館」を減らすべきです。
(3)「ミュージアムのあゆみと実績」の「アーカイブ化(保存)」ですが、維持費が掛かります。「ミュージアムを取り巻く環境」の「学習ニーズの高まり」ですが、人類が「人工知能(AI)」の様に、自己学習する能力が存在すればの用件なので、人間に学習させても無駄です。「外国人観光客の急増」ですが、外国人の知的水準では、中間層が主体に成ると思いますので、大半が学習能力の普通な、外国人が日本を訪れています。「都市大阪(伝統と市民力)」の「学びと活動の拠点へ」ですが、人類の約50パーセントは勉強嫌いです。
(4)大阪市ミュージアムビジョンの、「知的水準(インテリジェンスレベル)」を上げて頂きたいです。 「大阪城」を売却し、民営化にするべきです。〔大阪市「市民の声」〕
粉モン食べて腹が膨れて吉本みて馬鹿笑いしていると、こういう市民になる。
文化枯れ果つる不毛の大阪の姿。

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メモ書き(1) 横山由清

2017-6-7

横山由清『尚古図録』(明治9年(1876)8月刊)。

横山由清蔵として《一字蓮台法華経(普賢勧発品)》〔現大和文華館〕、柏木政矩蔵として《辟邪絵(鍾馗)》〔現奈良博〕、《病草紙残闕(白子)》、《駿牛図》が掲載。
その後、《一字蓮台法華経》は原三渓、《辟邪絵》は益田鈍翁のもとに。

なにゆえ、そうしたものがそんな所にあるのか不思議。

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“小銭稼ぎ”

2017-6-10

阪神高速・JH西日本が値上げ。

JH西日本などタクシー通行料を当面無料など、値上げ先行、設備後回しという杜撰な発想だが、距離制導入でせこい“小銭稼ぎ”に気づく。

極小ローカルネタで恐縮だが、阪神高速堺線 堺インター。
地図(公団HPより)をみれば、たくさん入口があるように思うが、どれもC(安井町交差点北・15-07)からしか高速に乗れない。ところが、出口は大小路につながる出口(15-07)と国道26号線に直結する(ここから一般道路の看板あり)(15-08)の2か所。

同じ入口・出口なら同一料金。ところが出口を(15-08)とすると、たいてい20円が加算。 これまでは(15-07)で降りようが(15-08)を通ってそのままR26で浜寺船尾まで行こうが同じ料金。ETCセンサーの位置からみれば、入口(15-07)と出口(15-08)は200mぐらいしか離れていない。

気づいていない人が、かなりいると思うのだが。

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院延

2017-6-11

好天、久しぶりに海住山寺へ。

時折、ハイキングの人が来るのみで、まじかにじっくりと十一面観音像(大)を礼拝、拝見。残念ながら下半身はみえない。
こころゆくまで拝見した後に、平安時代末の象像(普賢菩薩は江戸)など他の諸像を見ていくと、院延作 元徳2年(1330)役行者像(二鬼附属)。奈良文化圏での院派仏師の作品もないこともないが、珍しい。

その後、和束町へ。地元では「茶源郷」とも。京都府の文化的景観「和束町の宇治茶の茶畑景観」に選定。
「宇治(市)に宇治茶なし」というのは言い過ぎながら、宇治で売られている茶はほとんどが和束や宇治田原で生産。カフェには某大学生の卒論が置かれ、パラパラ見ながら「急須で淹れたお茶」を楽しむ。

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不落随意契約

2017-6-13

甦った記憶。

初めて展覧会図録を作成編集した時、カラー・白黒図版混在、文章も混在した束見本(文章完成)を提出し、入札と相成った。なぜか入札は不調に終わり、再入札も不調。展覧会開催までの時間的余裕はない。事務の上司は青ざめるこちらを横目に見ながら、再入札時に最低価格を示した業者と電話で交渉。数日たって件の営業社員がやってきて、引き受けると。やがて開催日まで何度かかやり取りがあって、無事に納品。

感謝しつつも不調になった案件、なぜ最低価格を示した業者が現れたのかとふと疑問。上司のコネかと、恐る恐る尋ねてみると「不落随契!」という返事。「ふらくずいけい」?

「不落随意契約」ということで、会計法・予決令に示された正規な手続きと知ったのは、ずいぶん後になってから。

今回も入札ではなく「プロポーザル」。徹夜の甲斐あって採択の報。

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七生報国

2017-6-15

出勤前に某所に立ち寄って大学へと向かう途中、とある神社の境内。

高い石製台座のプレートには「七生報国」とあり、台座上には、楠木正成像(銅像)。
やや甘い出来ながらどうみても皇居前広場にある楠木正成像の縮小「レプリカ」。
いやもう、びっくりである。
いきさつを記した銘板によれば紀元二千六百年を記念して、地元出身の名士(!)がこれを地域の小学校(!!)に寄贈したという。(戦後、神社に移転)

戦争画ならぬ戦争彫刻の好例ではないのか。込められた意味を受け継ぎながら再生産される銅像。

いまどき現存しているのが珍しい作品だったので、ここに掲げておく。

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富岡鉄斎

2017-6-18

午前中、堺市博物館「富岡鉄斎ー和泉国茅渟海畔の寓居にて-」展へ。

富岡鉄斎は42歳から3年ほど大鳥神社の大宮司・宮司として堺に居住。大鳥大社宮司時代の湊焼扁額「盥而不薦」や茅海晩景図(翰墨良縁巻)など20点ほどが展示。

昨今の堺らしい展示と思ったのは「御陵調査と明治天皇行幸」なる章立て。荒川豊蔵資料館蔵(税所篤旧蔵)「堺県行幸道筋官幣大社御陵位置図巻」(明治10年)や同「堺県行在所御飾付図巻」などが並ぶ。
後者はまるで明治版『君台観左右帳記』である。図録の高木博志氏の論考に拠れば、大和の行在所で切り取った蘭奢待を焚いたというまさに古物会の延長。
「堺県行幸道筋官幣大社御陵位置図巻」も阿保神社を初めとする神社等が描かれているのが興味深い。
仏像も檀像と岩湧寺愛染明王像が展示。

午後から大学。

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画僧古礀

2017-6-21

梅雨空ながら大和文華館「古礀(月→日)」展へ。

正面に薬師寺「薬師浄土曼荼羅図」が露出展示。絶筆となった泉涌寺の大涅槃図の大きさは図録に人物スケールを入れての比較。法然上人像や知恩院「円光大師贈号絵巻」もさることながら、薬師寺や法隆寺での作画、「大仏殿虹梁木曳図」など南都諸大寺関係の作品群が多い。

予習かたがたマニー・ヒックマンの連載を読んできたものの覚書程度の内容であまり輪郭が明快にならなかった(読解力不足?)が、展覧会で諸作品を前にするとよく理解。 まだまだ古礀の作品が南都・京都の諸寺に残っていそうな雰囲気。研究者が多いともっと作品が出てきそうなのだが、近世ということで・・・。

元禄10年(円光大師贈号)の部分が公刊されていないので何とも言い難いのだが、京都・知恩院の古記録には、版本以外作画に関してはあまり登場していない。不思議。
「薬師寺縁起絵巻」第3巻巻末の阿弥陀如来坐像。詞書には「當寺の講堂食堂より丈六金銅の弥陀三尊を安置」とある・・・。

大和郡山・菊屋の屏風には驚きつつも、まだまだ作品はあると妄想。

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富士信仰

2017-6-24

午後より奈良某所。用事を終えて杉岡華邨書道美術館横の奈良市史料保存館「-講の行事とその史料-」へ。

地蔵菩薩来迎図(肘塚椚町自治会)、瓦町旧蔵富士講・山上講資料を拝見。
屏風形式になった障屏に富士講・大峯講の掛軸が懸架、第1扇、第7扇には花瓶に挿した花木が描かれている。その左右に提灯が掛かるもの(富士講側に「大峯山上 」の提灯が掛かるのはご愛嬌)

興味深いのは、障屏正面上部には「理」「役」(不明)「不」「三」と墨書され、それぞれ掛軸が掛かる。 中央には「富士浅間大菩薩」の名号、向って左側に理源大師像、役行者倚像、右側に不動明王と三社像。
理源大師像は頭巾、梵天結袈裟をまとった山伏姿。それと対になるのが役行者像。かつて指摘した通りの姿で安堵しつつも、問題は右側(「富士講」)。
不動明王像はわかるものの、三社像は雨宝童子像の下に神鹿に乗る神?像と弓矢を持つ甲冑姿の騎馬像。はて?
関西にとって大峯講は馴染みあるものの、富士信仰(富士講)はほぼ憧憬の対象。よくよくみるが「三社像」が理解できない。

消化不良のまま帰宅。

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北野恒富

2017-6-28

午前中、あべのハルカス美術館「北野恒富」展。

大昔、東京ステーションギャラリーで展覧会が開かれたがその時のタイトルが「北野恒富展 浪花画壇の悪魔派(デカダン)」。
その折には、なんと偏見に満ちたタイトルと思ったが、今回は「なにわの美人図鑑」とサブタイトル。まぁ、どうでもいいが・・・。

出品点数150点以上の大回顧展。
さすが恒富、平日午前中にも関わらず大盛況。 大阪商大《水やり》は初期の小品で珍しい。《いとさんこいさん》《星(夕空)》は絶品。作品だけでなくポスターや素描、手紙類、後継の作品ともりだくさんである。時がすぎるのも忘れて見入る。

チラシには「今は忘れてしまった情緒豊かな「大阪」がここにあります。」と。確かに。

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所在不明

2017-6-30

授業を終えると、学生が教壇にやってきて質問。

授業の内容かと思っていると、コピーを差し出し、この対になる画像を知りたいのですが・・・と問う。
はぃ?。見れば、大和文華館子守明神像と個人蔵御子守明像(正面向き・玉依姫命彫像の絵画)。
次(の授業)まで探しておきます・・・と。

先行研究にあたっていると(『国華』は未所蔵)、『大和文華』19・22号に関係論文が掲載されていることを知る。
書庫でめくっていると、22号(1957年)に件の画像が掲載、しかもカラー版。さっそく借り出してスキャン。
とはいえ、1957年の発行だからカラーといえども・・・。
そこで補正をかけると、もうびっくり。緋色の袴、紺の筒袖などが再現。

よくないこととは言え、所在不明ながら甦った色彩に驚き、ここに掲げる。

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過去ログ