日々雑記


何をしている!

2016-07-01

押し迫る原稿締切。見たはずの資料や書籍が続々と消え失せていく。
脳内もぐじゃぐじゃだが、机の周りもたちまちカオスな状態。当面必要な資料(コピー類)や未処理の案件も不要な書類も混在して連山をなす。

取りあえず、このカオスな状態をなんとかせねば原稿も書けないと、ぐじゃぐじゃの資料の山からまず書籍を救出。次にこれは必要な書類や資料、これは不要な書類とに分類。そばにあるゴミ箱はたちまち満タン。次に必要な書類や資料をはそれぞれクリアファイルに入れる。

クリアファイルの小山が出来あがり、当座、原稿に必要なファイルを選択していくも、この資料は後々必要になるからとか、こういう資料も取っていたのかと手を留めて眺める始末。

時間だけが無駄に過ぎてゆき、気付けば、はや夕暮れ時。
俺は午後からいったい何をしているのだ!

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撮影条件

2016-07-04

大学某所からプロフィール写真を送れとのこと。しかも1~3Mという大きなサイズで。

ナルシストじゃないので、大きな自画像を持っているわけはない・・・。いや待てよ。右の写真の元画像が1.75M。とはいえ、講演のチラシに中国石窟でのピース姿では全く使いものにならない。

パスポート写真や社(職)員証の写真を転載する方もいると聞く。最近でも授業風景や文学部のホームページなどで撮影されているが、原版は業者。印刷物が完成すると、”おっさんの顔写真”などは破棄されているに違いない。

困った・・・。この猛暑に背広着て自撮りするのも面倒だし、先方へは大学各所から「漁って(拾って)来て下さい」と懇願する始末。

これからは「原版(元画像)各1枚を提供すること」と撮影条件を付けようとも思ったり。
他の先生方はどうされているのだろうか。

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研究のサイン

2016-07-05

30歳前後の頃、変わった組合せや特異な像容の近世仏像を幾つか見ながら、この仏像は単に特異なものか(弧例)なのか、研究テーマになるのか悩んだ時期がある。

そうした折、師匠や大師匠から言われたことは、「同じ(特徴)をもつ作例が3つ見つかれば、それは研究テーマになる」というアドヴァイスであった。
関係者とメールのやり取りをしながら、今日ほど、そのことを実感したことはない。

たまたま送られてきた1枚の写真がこちらにとっては不思議に思い、現地で作品を見て(まだ未調査)、別寺へお邪魔するともうひとつ見付け、無理を言って行ってもらった別寺でも“あった”。
これで3つ“揃った”ので研究テーマに浮上。
意外なところで意外(分かれば意外でもないが)な結びつきがあって、それを辛抱づよく辿っていくと光明が見えてくる・・・。

やはり現場(寺院)はワンダーランド。不思議なことがいっぱい。

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たいへん失礼いたしました

2016-07-06

午前中、和歌山県立博物館「防ごう!文化財の盗難被害」&「初公開・粉河寺の千手観音立像―粉河の名宝とともに―」展(~7/10)へ。

平日午前中しかも朝から猛暑とあって企画展示場をほぼ独占。広利寺十一面観音像及び新納忠之介・菅原大二郎の箱書(「二二天王寺大仏師」銘のほか願文もあり)をじっくり拝見し、歓喜寺の胎内仏や古記録を見る。
監視カメラか監視員からみて「不審者あり」と思われたのか、担当のO氏が現れてご挨拶の後、再び阿弥陀寺薬師如来像をじっくり。

盗難被害。中津川行者堂役行者坐像のほか円福寺愛染明王立像のオリジナル・レプリカが並置。また海雲寺釈迦如来坐像(運慶5代康俊の初期作)及び阿難・迦葉像と釈迦如来像のレプリカ。所蔵者に戻っても再び盗難被害に遭わないための措置である。レプリカは3DプリンターとABS樹脂によるもので、その出来栄えは受付の七夕飾り横にある神像を見れば驚くばかり。
盗難被害に遭い、行方不明となっている仏像写真や幸い犯人が逮捕されても所蔵者が未だ不明な仏像類が展示。詳細はこちら

10世紀末頃の阿弥陀如来坐像など手掛かりとなる銘記があるものの未だ所蔵者不明。大学の図書館に行くたびに町村誌や町村史史料編などを見ているが、所蔵者の特定までには至っていない・・・。
知足院の毘沙門天像は最近のこととて大学博物館にも手配状が来ている。

和歌山(“和歌山県博”)から学ぶことは多数あるが、盗難文化財の大半に写真、法量が付属していること。たとえ江戸時代の仏像であっても。指定品ばかり目を向けていると、被害届も出せないし、見つかっても警察はすぐさま引き渡してくれない。

初公開の粉河寺千手観音立像。12世紀の京都風。話題の掌に眼(玉眼)がある脇手はすべての江戸時代の補作。矧ぎ方にちょっと悩むが「前面材」とのことで納得。あと清信院寄進の五大明王画像や国次の太刀など。

余韻に浸りながら駅に向かうバス車中、あぁっ~!と気付く。
O氏から過日、論考や案内を送って頂いたにも関わらずすっかり失念。せっかくO氏がご挨拶してくれたのに御礼も言わずに・・・。最近、どうも仏像をみていると、他のことがすっかり脳から抜け落ちる・・・。

大学(今日は学長選挙)に戻り、夕刻SNSにてお詫び。

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クモノルイ

2016-07-08

午前中授業、午後から東西研。水陸会(水陸画)に関する発表あり。

発表を聞きながら配布資料の志磐撰 袾宏重訂『法界聖凡水陸勝會修斎儀軌卷』第三を見ていると、以下の記述に注目。
  鸚鵡白鶴。燕雀烏鳶。鷄鴈鵝鴨。諸飛禽眾。
  牛馬羊鹿。虎狼豬犬。猴兔貓鼠。諸走獸眾。
  蛟蜃鼉鼈。蟲魚蝦蠏。螺貝蚌蛤。諸水族眾。
  蚊蚋蚤蝨。蠅蝱蛆蟻。蜉蝣蛣蜣。諸微類眾。
  蚖蛇蝮蠍。蜂蠆鴆毒。蜈蚣壁鏡。諸毒類眾。
  鱗甲羽毛。有足無足。四足多足。諸旁生眾。
  梟咎狐毒。蛔食服應。休循十類。諸旁生眾。

どっかで見たことのあるような文言。よくよく考えると、唐招提寺釈迦如来立像(正嘉2年・1258)に納入された結縁交名文書。
人名の交名に混じって「・・・クモノルイ(蜘蛛の類) イホノルイ(魚の類) トリノルイ(鳥の類) シゝノルイ(獣の類) ツヒノルイ(螺貝の類) ノミノルイ(蚤の類) シラミノルイ(虱の類) ムカテノルイ(百足の類) キクワウ丸 タツ女 トムハウノルイ(蜻蛉の類) アリノルイ(蟻の類) ミゝスノルイ(蚯蚓の類) カヘルノルイ(蛙の類) ヲト丸 金剛丸・・・カノルイ(蚊の類) 五郎・・・」とある。

順不同ながら、なんとなく同じような意趣なのかもしれないと思ったり。

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迷宮梅田

2016-07-09

午前中、大雨警報発令中のなか梅田のコンソーシアム大阪へ向いレポート課題の連絡へ。

諸々の事情があって、関西大学提供の2科目のコーディネーターは共に小生。課題を記したコピーを事前に配布してもらい、共に授業終了(講義は他の先生)に説明。
幸い、両科目の終了時間が25分ほど異なるので、説明を終えた後、別教室に移って再び説明(当然、授業内容が異なるので別説明)。

終了後、大学へ向うも雨なので迷宮・梅田地下街に入る。
恐れていた通り、迷う迷う・・・。見覚えのある店舗は次々と見知らぬ店舗、松葉(立ち飲み屋)や旭屋書店、アリバイ横丁など“ランドマーク”もなくなり、幾つか新しい地下通路も出来ており、もう自分がどこに居るのかすら分からない。
ひらすら「JR大阪駅」への案内表示を探し、その方向へと進みようやく見慣れた光景が広がる。

いったい、何時からこんなにややこしいことになったのかと訝るばかり。

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遅刻は必定

2016-07-10

日曜日ながら大学院入試。欠席あり。
ようやく授業も最終コーナー。あともうちょっと。諸々の予定を手帳に記入。ふと机上の試験監督等の一覧表を確認。
ぎゃっ!!

春学期試験期間なので授業(学部)はないはずだが、土曜日にひとり(小生)だけ1・2時限に授業(於 コンソーシアム大阪)。その後3時限に千里山で本部待機。
ということは・・・。10:30~12:10に梅田で授業、13:00過ぎには千里山の試験本部に集合。
昼メシ抜きどころか、間に合うかどうかも分からない。タイト過ぎる・・・。

遅刻必至、ご容赦のほどを。

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ビニール傘

2016-07-13

天候不順・急変のゆえ、自宅にも研究室にもビニール傘が増殖中。

たかがビニール傘ながら、サイズ(半径)は60・65・70とあり、手開き式、ワンタッチ式のものまで。なかには6000円のものまであるという。

そういえば、関大駅前にあった「善意の傘」。いつの間にか箱ごと撤去になっていた。
次使う人のために傘を返そうという「善意」のない人が多かったのだろう。
なんとなく最初から予想されたことではあるが・・・。

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レポート課題

2016-07-14

授業が終り部屋に戻ってしばらくすると、見知った学生(専修の学生)が来室。
聞けば、一般教養科目でレポート課題(日本美術院の画家について論述せよ)が出され、それで図書館に行くと、近代日本美術関係の書籍が軒並み貸出中。上位学年なので書庫にも入れるが、当該書架もごっそり空白との由。
ただでさえ貧相な近代日本美術関係、一人で2冊も3冊も借りると、たちまち品切となる。
なまじ一般教養でレポートを課すとこうなってしまう・・・。

「日本美術院、2部でええか。新納忠之助や明珍恒男なんか、やりごたえあるぞ~!」と無駄口を叩きながら、大観や春草などの本を見繕って貸し出す。
「『松本楓湖』でもええかも知れん。いや、学生が松本楓湖を取上げると、却って不信感を招くかもしれん。大観か春草にしとき」と。

レポートはあまり好まない。やむを得ずレポートにする際も、授業中にちょこちょこっと専門書や論文を紹介して、それに沿った形で課題。出席しない学生には雲をつかむような課題に。
ネットでは何の役にも立たず、一般書でも取り上げない。かくして評価は両極端。
私が担当ならやっぱり「美術院第2部」だな。

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墓穴

2016-07-15

世の中は不思議。

あまりポリティカルな話題は好まないが、天皇陛下が生前退位の意向を示された。
かたやことあるごとに「憲法守れ!」とラップ調で連呼する若者たちや某政党。彼等は憲法全文を読んだことがあるのだろうかと、つい疑ってしまう。

条例にしろ法律にしろ、ましてや憲法も、第1条は大切な、正確に言えば法・条例の根幹を示す重要な条文である(これは甲乙からなる一般の各種契約書・覚書でも同じ)。

さて、憲法第1条には何が記してあるのか。
第1条から第8条までが「天皇」に関わる事項。次に「戦争の放棄」第9条と続き、その後にようやく「国民の権利及び義務」が登場。
これをお役所風に解すれば、日本国憲法では、「天皇」>「戦争の放棄」>「国民」ともみえる。

そうなんや。
何だかんだと言っても、実は天皇制を全面的に肯定しているんやと理解(誤解)する元役人。

せめて「9条守れ!」「憲法改正!」って叫んでおれば、自己矛盾は起きなかったろうに。

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消灯

2016-07-16

終日、大学にて新規採用教員人事の模擬授業と面接。

終了後、「センセ、最近は(個人研究室)、電気消えていますなぁ。」と同じフロアの同僚の先生。
ひと頃、事務職員の間でもその先生とこちらの部屋だけが灯りが灯っていると話題にもなった。
「いやぁ、学務関係が忙しく・・・」と弁明。消灯しているからといって帰宅しているわけではない。学内には居る。

あれこれと飛び交う案件、突如起こる「想定外」の事案等々、夜半になっても届く学内メールや電子決裁。ずっと落ち着かない日々が続いている。
あと少し、あともう一寸と、自分に言い聞かせる。

今の大学は研究と教育だけではやってはいけない。分かる人にはわかるが、依然として分からない、分かっていても見て見ぬふりをする人たちが現実には存在することも。

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京都

2016-07-17

朝から家人ともども京都へ。こちらは京博、家人は祇園祭。京都駅は普段にも増してすごい混雑。

新国宝・重文展、大徳川展(家康像のみ)に引き続き3度目の知恩院徳川家康像・秀忠像。じっくり拝見。家康像は若い頃の面貌である。左拳の下に脇刀を差したり、頭部の“うなじ”が明瞭に表わされていないなどちょっと不思議。そのほか、色々と考えるところあり。
秀忠像は整理された造形。『知恩院旧記採要録』によれば康猶に自らの寿像を造れと命じたとする。解説や図録には家康像も康猶作と。ほかにも伝狩野永真筆徳川家綱像。軸裏に「御木像之下絵」「延宝八年申十一月九日 大仏師 左京法眼康祐」等の墨書銘。こちらは遺像のための下絵。

宝誌和尚立像や透玄寺如意輪観音坐像、金戒光明寺不空羂索観音坐像などをみていると、背中のリックからキンコーン♪とLINEが連打。まだこれから土佐派の絵画などを見ようと思っていたので、電源OFF。

土佐派の絵画は何と言っても源氏物語。京博「画帖」や光吉の屏風等々。光起《伊勢物語図屏風》は時代や京都の地に合わせた作品だろうか。
作品をみながら土佐派といい、徳川家康像(画像)といい、旧職で取り扱った記憶が甦る。

大満足しながら退館。ようやく携帯の電源を入れると、こんな画像。家人も楽しんでいる様子。
ひと足早く帰宅の途につく。

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雑な仕事

2016-07-19

図書館に論文の複写依頼を頼むと、通常は論文所蔵の大学から複写が送られてくる。複写料金と送料が必要。
ところが、今回頼んだら「国立国会図書館の送信サービス」がありますが?と聞いてきたのでお願いをし、本日受領。
もちろん複写代金は必要。

受領したコピー(B4)には、コピー下端に「著作権法に基づき、国立国会図書館の送信サービスにより提供された複写物です。著作権者等の許諾がなければ、掲載・配信等が出来ない場合があります。」との長い長いクレジット(?)。
ま、仕方ないかと思いつつ、コピーを半分に折りファイリングしようとしたが、冊子(原本)のノドがコピーの中央に来ておらず、ひどく ずれている。このままではファイリングできず、ミスコピーの類いに近い。大学間での複写はこんなことは滅多にない。
利用者の立場に立って考えておらず、ただ複写すればよいという感覚がありありと窺える。

図書館員が「便利なのですが、あまり学生さんには周知されていないようで」と仰るが、そりゃそうだ。複写代金払って、ミスコピーのような複写物を誰が利用するものかと。

久しぶりに雑な仕事を目にした。

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我が原点

2016-07-20

博物館で所用を済ませた後、「センセ、“阡陵”の原稿!?」と問われた。阡陵とは博物館の彙報で、春と秋の2回の刊行。

昨年もこの時期に執筆したので「はいはい」と気軽に答えたが、「(締切は)今月末ですよ。」とのたまう。
確か、昨年も書いたのだが、今頃締切?と思いつつ担当者の机を見ると、誰かの初稿に朱が入っている。あらっ。

了解しつつ部屋に戻って考えるも、そう簡単にテーマが見つかるはずもなく・・・。困った・・・。
ふと、昭和50年代前半、某公立博物館が発行していたわら半紙のパンフレット(今風の「博物館だより」)が創刊号から20号まで揃っていることに気づいた。幸い(不幸?)にも当時の博物館の詳細はこれ以外に記されておらず(公文書請求すれば別だが)、等身大の博物館が記録されている。これを何とかすればと。

中・高生の頃しょっちゅうこの館を見学していた。
後年、前職で当時の学芸員(このイラストを描いた方)にお会いした際に、これを綴ったファイルをみせながら「博物館を追っかけてここまで来てしまいました」と。

我が原点である。

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御山の魅力

2016-07-21

南海電鉄、総本山金剛峯寺との共催で東京センターにて公開講座&写経。

打合せで、あっという間に定員に達するだろうと予想。もちろんメインは写経。写経・宗務総長の前座を務めるこちら。さて、1時間ほどでどれだけ高野山の魅力を伝えられるかが問題。
世間では、話の長いことで定評のある大学教員と僧侶。それを察してか写経の終了が16:00と明記。
この話があった時、知人の高野山関係者の名前を出したのだが、いやぁ、関大関係者が誰も出ないというのもおかしな話になりますよねと諭される。

自宅で高野山関係の録画番組をみてみると、高名な歴史学者曰く「京都から真南に下ると、高野山に当たります。空海の天文術も・・・」と。
むぅ?ホンマかいな。
三鈷の松あたりを起点に真北に遡っていくと、意外な所に到達する。もちろん京都ではない。
翌朝の新聞には、「若者よ、高野山で開花せよ」のコピーとおかざき真理氏描く若き日の空海。高野山大学130周年の全面広告。ほぅ~。これをマクラにして・・・。

やっぱり平安・鎌倉の仏教美術がメインだろう。泣く泣く大門金剛力士像を外す・・・。南海電車の吊り広告にも登場するものの、そこまでは無理か。
まさに夏休みの宿題発表の態。

(追記:予想通り、翌日夕刻には定員に達したとの由)

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遅刻、免れる

2016-07-23

午前中、コンソーシアム大阪で授業。
10分前に終え(てへっ!)、退出しようとすると、事務の方が2回とか3回しか出席していない学生さんにレポート課題はどうしましょうかと相談。
笑いながら「そりゃ、もう“切り捨て御免”ですわ。」「ですよね。」「なにかありましたら、私の方へ連絡を」と言い残して退出。
結局、てへっ!は意味がなかった。大急ぎで千里山へ向かう。
梅田12:26北千里行き。関大前12:44着。部屋へは13:00ちょうど。
(この暑さ、坂道ダッシュはツライ)。

カバンを放り込んで試験本部へと向かう。筆記試験は1科目。万が一の代行要員。しばらくすると、教員・職員打ち揃い、御役御免と相成る。
あっけなく校務終了。

ふたたび坂を下りて遅い目のお昼ご飯。松屋の「山形だし牛めし」。

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試験期間中

2016-07-25

終日、他大学にて書籍閲覧。紹介状あり。

大学では試験期間真っ只中。図書館も大賑わい。カウンターに行き、件の書籍が手渡される。予想以上に分厚い。学生の邪魔にならないように閲覧席の隅に坐り、傍らにメモを置いて頁をめくる。当該あるいは関心のある頁数をメモしていく。
その間も学生が慌ただしく出たり入ったり。試験の終了時間と開始時間がなんとなくわかる。

ようやくのこと全頁に目を通し、さて複写と思いきやコピー機の前に学生が行列をなしている。見れば手には講義ノート(図書館の書籍以外をコピーするのは御法度だが・・・)
再度、座席に戻って機会を待つ。学生が少なくなった頃にコピー機に向かう。複写頁の3分の1ほどを取っていると、再び背後に行列。ここで粘ってはあかんので、いったん退去、再び学生が少なくなった頃に残りをコピー。
背後に学生が並ぶのを気にしながらコピーを続行。しかし学生が並ぶどころか図書館内の学生も少なくなっている。むぅ?
予定頁を全て複写した後、はたと気づいた。本日の試験は終了したのだ。

閉館時間近くまで、再度書籍を見直して退館。

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一日書道教室

2016-07-26

朝から博物館で1日書道教室。講師は昨年同様、万葉書家の鈴木葩光先生と伊賀本妙智先生。

思い思いの字を書き、"消しゴムハンコ"、色紙に揮毫というコース。最後に大きな紙に寄せ書き。
(間違っても、寄せ書きに「サービス残業の撲滅!」「人件費抑制反対!」などと書いてはイケナイ)

色紙はいったん回収、寄せ書きとともに展示ケースの中に“展示”されて、「キッズミュージアム」で披露、その後色紙は返却。

昼食時の話題は“姿勢”と“墨汁”。
もう今の子供たちは椅子の生活が普通で、お寺の子以外は「正坐」が出来ない。従って姿勢が悪くなる、力の入った文字が書けなくなると。また墨で書くと古文書のように長持ちすると思いがちだが、硯で墨を摺ってはじめて長持ちするわけで、ケミカルな墨汁では容易く劣化するなどなど。
折よく内藤湖南愛用の硯や筆、墨などが展示準備中、昼食後に先生方にみてもらう。
午後からも同じコース。明日には企画展示場に色紙と寄せ書きを展示。

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出るらしい・・・

2016-07-27

試験が終わると、学生は三々五々帰宅あるいは学内、図書館へ向かうのだが、この夏はヘン。試験が終わっても博物館周辺でうろうろしている。御存じの通り、博物館周辺には大きな楠木が幾本もある。その周りを坐るでもなし、どこかへ向うでもなし・・・。

「彼等はいったいなんや?」と博物館でつぶやくと、「出るんです、ポケモンが。しかもいっぱい」。今流行りのポケモンGOである。

任天堂も目先の利益欲しさにこれほど社会に大迷惑をかけていることをどう思っているのだろうか。当然ながらマスコミはそのあたりのコメントは皆無。社会現象としてただただ煽るのみ。
任天堂の創業以来の商品は「花札」。これを考えると、花札作って何が悪い!博打に使う君らが悪いんやないか!という筋立てとなる。ポケモンGOを開発販売して何が悪い!運転しながら、あるいは礼拝すべき場所で、遊ぶ者が悪いんじゃ!ということだろう。

バカな大人が多くなった何よりの証拠。
いったい何が楽しいのやら・・・。

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事前通告

2016-07-29

午前中からお昼にかけて夏休み直前の会議2ヶ。

事前にお昼の会議は審議1つのみと聞いていたが、レジュメにはその後に報告事項がずらずらと並んでいる・・・。この会議の後に別の部署で相談の約束。まずいことになった・・・。

以前、30分ほどで済むと思われた案件が小1時間になり、文科省の方々のお出迎え(博物館)に危うく遅れそうになった。これは大学にとって大問題。刻々と迫る予定時間、長々と続く説明。その後にこちらの登場。ようやく発言したが自分が何を話しているのかわからないほど、むちゃくちゃ。議長からはやんわり訂正。了承後、すかさずダッシュ!もう2度と経験したくない・・・。

眉間に皺を寄せながら時計を眺めている。約束時間まで残り10分、報告はまだ半分・・・。
あらぁ~。
残り5分。ちらほらと先生方が退席。今だとばかりこちらも退席。

皆さん、同じように別の予定を入れられていたんだと納得。
大急ぎで別部署へ移動。
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最終授業

2016-07-30

午前中、コンソーシアム大阪で授業。

授業は4F10:40~、5Fが10:15~と25分の時間差。今日は共に「まとめとレポート提出」。5Fでの講義(大学ミュージアム)は小生。昨夜どうしようかと悩んだ「大学ミュージアムのまとめ」。考えた挙句に「館長1年3ヶ月の歩み」をぐだぐだと講筵。まぁ、それこそいろいろありました。50分近く話して、レポート及びアンケート回収。

階下(4F)に降りると、最終日ながら若い講師の先生が熱い講義の真っ最中。しばし事務室にて待機。90分間の熱い講義後、こちらが登場しレポートを回収。我ながら歳の差が講義にかける情熱の差だと諦観。

昼食後、大学博物館へ行き展示作業の手伝い。学芸員諸氏の展示をみながらちょこちょこと鏡やサイコロをもって手を加える。
行燈ケースに白磁瓶がポンと置かれている・・・。むぅ・・・。
瓶の正面。写真は胴下にトチンの跡が付いている。まずは180度回転。ケース正面に据えて、下に小さな袱紗を敷く。
さてテグス。このままでは、グラッ!ガッシャーン!!ともなりかねない。テグスを把手にかけるか、輪にしたテグスを胴部に掛けてそこから四方向から引っ張るかと熟考、後者に決める。
細長いビニールチューブを探しているうちに今日の作業は終了ちかい雰囲気。やむなく作業は来週へ。
展示ケースを前にすると、どうして情熱が涌くのであろうかと苦笑。

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居職と出職

2016-07-31

朝、年上の知人(先輩)より電話。作者某は知っているかとの問合せ、ひいてはデータを送るのでメルアドを知らせろと。半分以上、まだ寝ている・・・。あいにくデータベースにも未掲載なので、ゆるゆると起きて大学へ向う。

データをもらうと、アフロ 五劫思惟阿弥陀如来坐像。ありゃ。
調べていくと、近郊に1例、東北地方に数例の作例。製作時期は殆ど大差なし。
近郊の仏像(丈六坐像)は仏師が出向いて製作したとある。東北地方の仏像は依頼者が京都まで出向いて製作依頼し、海路で運んだと(一説には船が難破し、再度製作、今度は陸路で運んだとも)。

仏師が出向くのか、京都で製作し運搬したのかは結構重要な問題。
丈六坐像などの大型仏像の場合、半完成品のパーツで運ばれ、現地の人たちだけで組み立てが出来るように金具が付いていることも(東根の大仏)。仏師が現地に出向いて製作する場合、そうした処置は必要ない。
工房と依頼寺院との距離が微妙な場合、注文書で“出張製作(修理)”となった折には、1日4匁3分の手間賃を頂戴するとも(道明寺文書)。中世はコミコミだった(「皆料」)のだが、近世になると再び、座・光、本体、運送費諸々と様々な明細付。

どことなく携帯電話の明細に似ている。お得なのかどうかも分からない点も含め・・・。

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