日々雑記


洗髪

2013-07-02

学生の発表後、まず学生から質疑応答。発表者が回答に窮した時にこちらが答える、あるいは質問が出ない時などは「時間つなぎ」にこちらが質問する・・・。しかし時には発表者もこちらも窮する質問も出る。 近代絵画にみる髪型と服装の変化についての発表。服装に先行して髪型が変化するとの由。
質問は「毎日、お風呂に入るのは何時からですか」。
「束髪」「庇髪」から「耳かくし」や「断髪」へ変化するものの、普段のお手入れはどうしているのだろうかという女性ならではの質問。
なるほどと思うものの教卓前の二人(発表者は女性)は天を仰ぐ。
「そもそも髪結いがひとりではできないはずですし・・・」「男女完全分離の銭湯は明治から・・・」などとお茶を濁す。
「散髪用・美洗粉」が現れるのが明治15、6年。やっぱり毎日お風呂に入るのは戦後になってからだと思うのだが、わからない・・・。

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文化創造学科

2013-07-04

奈良市にある帝塚山大学が来年(開学50周年)に「奈良学」の伝統を引く「文化創造学科」を開設。さすがに奈良にある大学と記事を読んでいると、「英語コミュニケーション学科」の募集停止。
英語を捨てて、奈良を基盤にした文化をとるという戦略は、どこかの大学では、あり得ない選択肢である。うらやましい。 奈良は寺社や工芸家など人材も豊富だし、きっとうまくいくだろう。

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収拾

2013-07-05

能力の低下もさることながら、積んでいた(「積み残した」とはいえない)事の上に、あれこれと各方面からどっさりと仕事が飛び込む。収拾がつかなくなり、曜日も不分明になりながらも、ようやく「積んでいた」状態に近いところまで戻ってきた。
もつれた仕事の糸をほどくのに、こんなに時間がかかるものなのかと嘆息。
疲れると記憶力も減退。書架にあったはずの『報告書』がないなど、いつもあるべきところに資料がない。“捜索”→時間ばかり経って出て来ずじまい→図書館へ借りに行く・・・。
ある程度見切りをつけて図書館へ行けばよかったと“後悔”。
あきませんなぁ。

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運慶伝説

2013-07-06

佐野公民館講座最終回。質疑応答は「運慶伝説」。
明治23年の修身教科書(『尋常小学修身口授教案』)に、運慶は登場。
「第七十九章 一がいになるをのぞむな 彫物師運慶の話」
運慶の弟子のひとりが何を彫ってもうまくいかないので、運慶に教えを乞うたところ、運慶は「初めに耳と鼻は大き過ぎる位に、目と口は小さ過ぎる位にして、それから段々と丁寧に格好のよい」ようにするだけであると伝授する。

目と口は大きすぎると直せず、耳と鼻は小さすぎた時に直せないので、皆下手にできるのじゃとその理由を説く。以後、弟子は後にたいそうな名人になったというのがオチ。
「初めから早く仕上げようとすると下手にできるのでだんだんと仕上げるのが第一」と締め括る。
小さいと彫り直しがきかないのはわかるのだが、目と口が大き過ぎると直せないというのはどういうことだろうか。

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楠葉西忍

2013-07-08

「唐船之理(利)」は生糸で大儲け。
『大乗院寺社雑事記』文明12年(1480)12月21日条、楠葉西忍(くすば さいにん)と尋尊との会話。

中国(明)で「唐糸」1斤250目、日本では5貫文(5000目)で売れる。備中、備前の銅1駄は10貫文、これを中国にもって行き、「唐土雲州・明州糸」に換えて日本で売ると、40から50貫文。また「金 1棹10両」は30貫文、これを生糸と交換して日本で売ると120から150貫文になると。大内船、細川船もそりゃ必死になるわなと。
文明元(1469)年に帰朝した大内船・細川船・公方船。応仁の乱で瀬戸内海航路は大内氏の勢力下。雪舟が乗った大内船は無事、山口へ戻ったが、細川船・公方船はやむなく宮崎、高知の太平洋側経由で堺に入港。

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地頭

2013-07-10

企業関係の人(友人)と暑気払い。 「会社説明会が終わって『なにか質問がありますか?』と聞いても学生は手もあげない。尋ねてみると、やはり理解していない。」
「大学では各種入試がさかんだが、結局“地頭”(じあたま)ができていないんだよね。」
「体育会はダメ。会社で30過ぎたら“書類書き”がメインでしょ。30 過ぎて文章力ゼロでは使い物にならない。」
「日清食品を知っていても日清製粉は知らない・・・。」

酒席とはいえ、言いたい放題。でも、思い当たる節がないわけではない。
「成績表とSPIの成績もたせて、大学から、この学生は“この会社へ”って指名してくれれば、そんなに競争率も高くならないんだけど。猫も杓子もTVに出る企業しか受けないんで、偏りが生まれるんよ。」
大学が各学生の人生(とはいわんが、10年位までの将来)まで決めていいのかと思うのだが、大学の自由が逆に今の学生を縛っているのかもと思ったり。
「会社っていうのは、自由があるところじゃないんだ・・・」とちらりと本音。
「明日もお互い仕事やし・・・」と帳場へ向かう。

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誤字脱字

2013-07-11

慶長年間の如来立像、できれば七条仏師の作品を探していたのだが、見当たらず。
坐像はそこそこあるのだが、立像となると見当がつかない。
仏師名もあるのだが、そのうちの一文字が先方とこちらで異なる。
紙の上とは異なって、胎内銘は粗彫りや小さな矧ぎ面に書かれているので読みづらく、しかも誤字、脱字もざら。「銘記全体から判読すると・・・」とコメント。先方の読み方に該当する仏師もいるのだが、肩書があわない。
やむなく面貌表現のみの比較と仏師の考察にて。

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死んだ自然

2013-07-12

美大入試の定番「静物画」。17世紀オランダで静物画(still life)という用語が誕生。もともとは「natura morta(死せる自然)」と呼ばれた。日常生活への関心という市民感覚と宗教改革による宗教画の衰退は、世俗の事物に宗教的な寓意を投影する画種を誕生させる。
スライドには「花卉図」も。
過日までサントリー美術館に出品されていた谷文晁《ファン・ロイエン筆花鳥図模写》を思い出す。
享保11年(1726)6月、徳川吉宗がオランダ商館に油彩画5点を注文、その1点がファン・ロイエン筆花鳥図で、その後、原図は目黒五百羅漢寺へ下賜。石川大浪・孟高による同じ模写が存在。
当たり前だが、吉宗にしろ、谷文晁、石川大浪・孟高にしろ、綺麗な「花卉図」にキリスト教の寓意が秘められていたとは、誰も気付かなかったはず。

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天三

2013-07-13

午前中、大阪駅前第3ビル「コンソーシアム大阪」でリレー講義(第1回目)。
昼食後、扇町に出て天神橋筋3丁目の「関西大学リサーチアトリエ楽歳天三・天満天神楽市楽座」(長い!)での写真展「三村幸一が撮った大阪の祭り-大阪歴史博物館所蔵写真から-」を見学。
到着すると展示解説が始まったばかり。建坪が狭いので、一部の展示パネルは入口そばに並べられ、関係者も外へ。
さすがに天神橋筋だけあって「天神祭」の写真は大人気。ポスターにも使われた写真(船渡御・1954年)は天神橋から東を望み、大阪城も生駒山もはっきりとみえる。橋の上には見物人が多数。 なお大阪歴史博物館でも9月2日まで「戦後大阪の祭り-三村幸一撮影資料より-」が開催。古き良き大阪のひとコマ。

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正倉院宝物

2013-07-14

午後、奈良県立美術館「正倉院宝物と近代奈良の工芸」展へ。
元禄・天保の開封と宝物図記録、奈良博覧会、奈良博覧会社・温古社による模造製作。
元禄8年の「東大寺正(ママ)蔵(ママ)院天平御道具図」には「白瑠璃鉢」(高8寸、径7寸)も記載。これは今は失われている。

最初は宝物記録として描かれたもので正確に形を写し寸法を記してくるが、徐々に各宝物の装飾や文様、技法が重視される。技法は復元模造という方向、文様、装飾は近代工芸へと向かう。
森川杜園絡みで法隆寺九面観音像模造も出品。杜園だからなのだろうが、ちょっと困惑。1Fの常設展示室も無料スペースとなってオリジナル作品を展示しない学習コーナーへと変貌。無料だから実物を展示しないのは、なんか中途半端。
図録も変型版だともっと大きな図版を掲載できたのに。せっかくの写真がもったいない。

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レンブラント

2013-07-15

今日のGOOGLEは「レンブラント・ファン・レイン生誕407年」。
407年はどうでもいいが、素材はワシントンナショナルギャラリーの《Self-Portrait》(1659年)から。
レンブラントが愛人ヘンドリッキとの問題に頭を悩ませ、画業も破たんに陥りながら、プライドだけは持ち続けていた頃のもの。
レンブラントの自画像はすごい。自信に満ちながらも一抹の不安を抱える若き日の肖像、サスキアとの結婚で有頂天になった自画像、晩年の老醜を隠すことのない自画像などなど、これほどまで自らの生涯(の起伏)を赤裸々に自画像に託した画家も珍しい。
西洋の画家をひとり選ぶとするならば、彼しかいない。

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ビゲロー

2013-07-17

ボストン美術館コレクションや日本近代美術の理解に欠かせないのがビゲロー(William Sturgis Bigelow)だが、フェノロサほどには知られていない。「医師で、コレクターです!」と単純に括られてしまいがちだが、《法華堂根本曼荼羅図》を見抜いた目は確か。
訳あって、ボストン美術館の小林永濯や木村立嶽の作品を調べていたら、共にビゲローコレクションであった。
フェノロサとビゲローは共に三井寺法明院に墓があるが、当然のことながらフェノロサの眼とビゲローの眼は違う。フェノロサが収集した近代日本画とビゲローが収集した近代日本画を比較してみると、かなり面白い傾向がみえる・・・。
大学では(でも)、なんでもしないといけないのかとやや嘆息気味。

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ウールマーク

2013-07-18

授業もほぼ終了。合間にコンソーシアム大阪(2回目)の資料を作成。

焼物は「コピペ」であるというのが持論だが、摺鉢(擂鉢)もしかり。近世、備前や越前、丹波などが擂鉢を生産。江戸城下の遺跡では美濃・瀬戸の摺鉢も。

ところが、堅固な備前摺鉢が生産されなくなると、堺や明石で「備前もどき」の摺鉢を生産、全国に流通。
見分けは比較的単純。側面の摺り目がそのまま底まで付いているのが「備前」、底の部分に2~3か所斜めに摺り目を施すのが、堺(明石)擂鉢である。「ウールマーク」と勝手に呼んでいる。写真は某所で見た植木鉢転用の堺(明石)摺鉢。
伊万里でも「京焼写し」を生産するなど、焼物は「コピペ」である。

テーマは大阪の都市遺産「堺」。陶磁器の話に傾かないように苦心するが、堺(泉州)は、陶邑以来、基本的に窯業メインの土地柄である。

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ジオフロント

2013-07-20

午前中、コンソーシアム大阪に出講。「大阪駅前第2ビル」は大阪駅前からまっすぐ歩きマルビルを越えたところのビル。
地下街はよくわからないので、ずっと地上を歩く。人は少なく多くの店舗もシャッターが降りて休日のオフィス街といった感じ。
講義を終えあまりに暑いので地下へ行くと、おそるべき人の多さとにぎわいを見せる店舗。地下街がこんなに賑わっていた事を初めて知る。昼飯にありつけたのはいいが、大阪駅へはどこへ向かえばよいのかわからず、「駅前ビル」を繋ぐ地下通路で右往左往。

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開票

2013-07-21

参議院選挙。投票後にA新聞社の出口調査。こんな田舎の投票所でも「出口調査」をするのかと思ったり。結果は、大方の予想通り。
投票所が閉まって間もない時間にTVでは早々と「当確」の文字が出る。まだ投票箱が開票所に集まっていないのに。幸いなことに、開票所にはTVもなければ開票状況もまったくわからない。中途半端に開いた紙(投票用紙は特殊用紙)を広げて、候補者の籠(箱)に入れていく。
期日前投票でもすでに「卍字固め」とか記入したアホがいる。この候補者が出ると開票所は“荒れる”。無効票とか疑問票の籠もあるのだが、「闘魂」とか「新日本プロレス」とか書くバカが多数おり、無効票の籠がいっぱいになる。もういいかげんにしろよと、思いながら開票。だから最初の開被作業は非常に厳しい。「偖木」は疑問票、「猪本」は無効票の籠へと行くかもしれない。
そうした末端の抵抗も、2~3回の点検、開票立会人の確認を経て、誰もが納得できるところに落ち着く。
子供じみた大人は投票に来るなと思う。

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放光樟像

2013-07-23

欽明天皇15年(553)5月、大阪湾(茅渟海)で雷鳴のような音を発し、光り輝くクスノキの大木を発見。帝は画師に命じて2躯の仏像を造らせ、それが吉野寺の放光樟像である。(『日本書紀』)

昔から大阪は雑踏の街。今ならさしずめ、呼び込みで煩く、ネオン輝く道頓堀にふさわしいクスノキだったのかもと。
本日で授業終了。

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アウト

2013-07-25

試験期間は通常の時間割とは異なる。4時限目は試験担当。終了10分ほど前にドアを開ける者。「まだ、入って来ないで。」と制止。
終了後、答案枚数を確認して退出しようとすると、学生が「時間を間違えました。4回生なんで試験を受けさせて下さい」とやってくる。キミハ イッタイ ナイヲ イッテイルノデスカ?
授業は14:40から90分、試験は15:00から60分。試験の入室は開始後30分まで認められているので、普段通りに来れば全く問題はない。たとえ、電車が遅れても「試験本部」でしっかりとリアルタイムで把握。虚偽の延着証明も通用しない。
ぐじゃぐじゃ言うので、試験本部に連れて行き、事務職員からばっさりとアウトを告げてもらう。

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人定確認

2013-07-26

大学に移ってから、人の顔と名前が覚えられない。どこでお会いした人なのか分かるとある程度、推測できるのだが、それすら分からないと途方に暮れる。過日も大学前で顔をあわせた方がおり、「一度、ご挨拶にうかがわないと思っていましたが・・・」などと仰る。
頭の中では「誰?」と思いつつ雑談しながら学舎へと向かう。「夏の調査のご予定は?」などと問われ「学校の用事でなかなか・・・」と答え「そちらはいかがですか?」と尋ねると「四国に」と答えられ、ようやく「人定確認」が出来た次第。毎年年賀状をやり取りする間柄なのに分からないとは情けない。
こちらの講義終了と入れ違いにご挨拶される先生がおられる。I氏にちょっと似た風貌だが、まったく記憶にない。時折「新聞、みましたよ」などと声をかけて頂くのだが、以前にお会いした記憶はないように思えるのだが。
昨日、またお会いして雑談すると、この夏はイスラエルの発掘調査だと仰る。「橿考研の人?いやいや。あそこはシリア。」などと頭のなかを整理しながら、それでも分からない。いつまでも話を濁しているばかりでは、いけない・・・。
よくないとは知りつつも教員(常勤・非常勤)一覧を手元にググる。この先生と判ったが、過去に面識はなかった。安堵。
秋学期もお世話になるのだが、話題も出来たことだし色々とまたお教え願いたいものである。

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大学

2013-07-28

日曜日ながら大学。校内は「博物館なんでも相談会」と「一級建築士試験」で大にぎわい。試験期間ゆえ図書館もかなりの学生。
慌ただしい毎日で、気がつくと8月ももうすぐ。


工具

2013-07-29

歴史の先生と雑談しながら「美術史での工具は?」と尋ねられる。ニッパーやドライバーのことではなく、「工具書」のこととわかりながらあまり思いつかない。
「もっと日本美術史について知るための文献案内(佐藤康宏氏編)」(『辻惟雄著『日本美術の歴史』(東京大学出版会 2005)』)に詳細に述べられているが、仏教美術だけに限っても所蔵していない書籍も多くある。
普段、気にも留めていなかっただけに不安。

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過去ログ