日々雑記


城下豊栄

2013-2-1

某寺にて仏像や仏画など。
「童子経曼荼羅図」や「三宝荒神図」など絵画類が興味深い。

廊下の長押をふと見ると、「鳥瞰図」が掛けてあった。「豊栄作」と、書き判にて「城下」。布地に描かれた額装図。吉田初三郎の門下である城下豊栄の作品である。

はるか遠景には「朝鮮」「大連」、そのすぐ左に「富士山」、やや手前は「鳥羽」・・・。地図をどうみればそのような視角になるのか全く理解できないが、手前にクローズアップされたご当地は詳細、これが“吉田式”鳥瞰図の面白いところである。ところが、描いた画家は吉田初三郎以外、一般にはほとんど知られていない。そうしたひとりに「城下豊栄」がいる。

福井は新旧色々、考えさせられる作品がことのほか多い。
夕刻、帰阪。

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入試

2013-2-2

昨日から入試が始まり、今日から参戦。写真は大学HPから。
こうした受験生が来る時間に、我々は早やスタンバイ。同じように登校していては“大目玉”必至である。

「入試は大学最大のイベントです」と真顔で話された某学部長もいたが、現場はなかなか大変。
今日は暖かいはずなのに出席確認した後「トイレに行きたい」受験生が何人も。そのたびに不正防止の観点から職員や教員がトイレまで同行。

試験終了後、レポート採点など。あれこれと忙しくなる2月が始まった。

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OCR

2013-2-3

答案採点、その後“卒論コピー”。
両面コピーながら、なんか全然3cmではないような・・・。

ふと年末の飲み会での話題を思い出す。他所事ながら、普通に読めばわかる間違いが(ネットに頼る)学生にはわからないらしい。例えば「二条城」。ゴシック体で表記すると、「二条城」・「ニ条城」と両者は殆ど変わらないが、論文基本の書体である明朝体で表すと 「二条城」「ニ条城」と、あきらかに異なる。後者は「に」のカタカナ。

「こんな間違いを見つけたら、OCR、使ぅてると思って、間違いあらへん」とは旧知の先生(学外)。
著名サイトの例で申し訳ないが、「観仏三昧」を含む文章をOCRにかけると、「観イム三味」となる(横書き。縦書きでも「観仏三味」となるらしい)。
「某神社にある八葉蓮華座に坐す薬師如来像は像高二尺余をはかり」は「某神杜にある八薬連華座に坐す葉師如采像は像高ニ尺命をはかリ」などと。

「こっから、じわじわコピー元(盗作元)をたどっていくんや。」と豪語されるが、こちらにはそんな元気もない。「ここはどうなってるんや?」と聞けば、済む話じゃないのかと思う。

今更ながら卒論ゼミの重要性を認識。

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清水寺別当

2013-2-4

試験監督。今日は200余名が入る大教室。

もう解禁だと思うが、国語の試験開始後に問題をみる。古文は『更科日記』「夢物語」。
菅原孝標女32歳の夢物語。清水寺の礼堂で出会った別当とおぼしき人曰く、前世は清水寺僧でもあり仏師でもあった。生前、 仏像を数多く造って徳を積んだので、こうして生まれ変わった。この御堂の東にある丈六仏は私の造った仏像ながら箔を押さずに死んでしまった・・・と、聞いた孝標女。
「では、私が箔押しを・・・」というと、「とっくにもう別の人が箔押しをして開眼供養までしてくれている」と。よかった、よかった。

定朝が僧綱位を得た頃とはいえ、一般にまだ仏師の社会的地位は低かった・・・。
前世が仏師で、現世が清水寺別当(あくまで夢物語)というと、円勢か長円の話題かと思ってしまう。清水寺別当に加えて興福寺大仏師職も得た長円は、奈良坂で興福寺僧に袋叩きにされて重傷。

もちろん日本彫刻史の問題ではなくて「入試国語」。
現実に戻り、他の教職員同様に広い試験場内を静かに巡回。

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中村儀右衛門

2013-2-5

帰宅後、「仕事中に寝てたらアカンやろ」と家人。藪から棒に何を・・・。

見せられたのは、ネットに掲載された写真。過日のトリイホールでのフォーラム。確かに見ようによっては・・・。

「この頃、『大学の用事』と言っては、難波やミナミに行っては、『晩御飯、いらんから』と深夜に帰って来るし。」と、疑惑の眼差し。むろん、フォーラムも含めて一点の曇りもない。

やり取りの後、そっとPCの「閲覧履歴」をみる。googleで検索し、関西大学、大阪日日新聞、なんば経済新聞などに行き着いた軌跡がありあり。別の写真ではちゃんと“仕事”しとるやろ・・・。

「もっと背筋を伸ばして・・・」とぐだぐだ言われながらも、これでも(居並ぶ面々のなかでひとり)朝から仕事してんねん、と思っていると、「ところで、『中村儀右衛門』って役者さん?」と。
ネットの記事、読んでへんやろ。今回のメインは女性陣による中村儀右衛門資料のご紹介。こちらはあくまで前座に過ぎない。

(不確かな)ネット管理の社会をしみじみ。

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鉛筆削りと消しゴム

2013-2-7

2月期、最後の試験監督。

巡回中に気になることがいくつか。受験に「時計」持参は必須ながら、腕時計ではなく「卓上置時計」を机上に置く受験生が目立つ。 携帯電話と同様に試験中に鳴れば、持ち主の許可なくして試験場外に持ち出して保管しても構わないとのお達しだが、万が一、アラームが鳴ればと・・・ドキドキ。
さすがに鳴動しなかったが。

あとは鉛筆削りと消しゴム。マークシートなので多くの受験生は鉛筆削りを持参するが、四角い鉛筆削りには「THINK × ACT」のロゴと“Kansai University”。消しゴムケースにも。
生協で販売しているのか、オープンキャンパスでの配布物か。なかなか良いところに目をつけたものだと思う。

悪乗りをひとつ。鉛筆、鉛筆削り、消しゴムをセットにして島本町にある「関大明神社」で御祈祷済みとすれば、もっと人気が出るのかも。(日ごろ、懇意な「垂水神社」でもありだが、『滴り落ちる』ので、ちょっと合わない。)

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資本主義

2013-2-8

大阪・老松町や京都・新門前の古美術商の店頭には、各地の展覧会ポスターが貼ってある。
決して“店の好意”や“送られてきたから”で掲出しているわけではなく、過去(現在)、そこから作品資料を購入した証でもある。タダで店先のウインドウを塞ぐバカはいない。
あちこちの古美術商に貼ってあるポスターを見ながら「どれだけ作品を買えば、あそこまでポスターを貼ってくれるのか?」と当該美術館関係者に真顔で聞いたこともある。いくら、よい展示であっても最寄駅の構内に貼ることさえ有料で、予算のない展覧会が広報する方法は限られてくる。

閑話休題。
「山田伸吉」にしろ「中村儀右衛門」資料にしても、業者からの「持ち込み」ではなく、市井の古書カタログから見出したものである。カタログを見て資金さえあれば誰でもが購入可能な資料であった。
資料を見出したのは、もちろん我々ではなく、「リサーチ・コーディネーター」と呼ばれる事務職員氏。この人たちがいないと、資料は私蔵され、あるいは、大学ですら演劇博物館のある早稲田大学あたりに流れたことは想像にかたくない。現に(価格)交渉時には、「(関西大学が)いやなら、早稲田大学へ・・・」と言われたらしい。

こうした事務職員氏の存在や私立大学の(資金の)融通性が貴重な資料を呼び寄せている。予算にないことは基本的には何も出来ない 機動性に乏しい公立(博物館等)とはまったく違う体質。
展覧会ポスターを送付してタダで貼ってくれるという感覚も「民」ではまったく通用しない。嘘だと思うのなら東京駅構内にポスター掲示依頼をしてみるがよい。

我々があれこれ動けるのも事務職員氏のおかげである。すべては「お釈迦様の手のひらの上」。

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枝葉末節

2013-2-9

入試も終わり、明日から連休でもあり、図書館も1日だけの開館。終日、卒論などを読む。

読んでいると「『日本考古学会』では・・・」との文章。最近の事象を扱っているので、残念ながら「日本考古学会」ではなく「日本考古学協会」である。よもや私が読むとは、想像だにしていないし、3専修(哲・宗・美)の教員のなかでも気づく人は少ない。。
内容とは別次元のこうした枝葉末節が気になると、卒論コピーに続々と“赤鉛筆”が入る。びぃーっと下線を引いたところは質問すべき根幹の部分。

なんか今年 もしっかりしたものが多い。枝葉末節にとらわれずに“直球勝負”で行く予定。
私が誰の論文の副査になっているのかは当日のお楽しみということで。

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春力

2013-2-10

好天。チャリンコに乗 って正木美術館「墨梅」展に。

《北?(石+間)居簡(ほっかんきょかん)墨蹟 梅の偈》。南宋時代。
「自是霊根鐘間気不従春力借吹嘘」(自ら 是れ 霊根の間気を鐘(あつ)めて 春力に従って 吹嘘を借らず)
キャプションには、「春力を、機を逃さず自らのものとすることの大事を悟れ。決して何 らかの後押しを借りてはならぬことを心に刻め」と。
背筋が伸びる思い。

「墨梅」は、華光仲仁(北宋)が始め、楊補之(南宋)によって様式が 確立したとされる。月明かりで窓に映った梅木のシルエットとも。
チラシにも採用された 弓なりの梅枝が美しい絶海中津賛《墨梅図》。賛には黄昏時に月 光に照らされ斜めに横たわる梅の枝・・・とある。
没する前年に天琢宗球が賛を寄せた《墨梅図》は雪中夜梅の図。

作品はかなり高い位置に掛けら れているが、手前には畳敷きの展示台(青銅器等の小品が展示)。座敷に座って墨蹟を鑑賞した時の目線の位置に合わせている。こうした姿勢も安易に素人に媚 びておらず、気持ちよい。ふと、“正座”させての墨蹟鑑賞も「体罰」だろうかとも。

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墨梅

2013-2-11

「墨梅」展 その2。

王冕《墨梅図》(元時代・至正15年(1355))。
大幅いっぱいに描かれた 垂れ下がる梅枝 と梅花。「千花万蕊」の墨梅。横には狩野探幽の小模写。
スケールが違いすぎてせっかくの探幽も色なしの感。

してはいけないが、「梅枝」は折っ た枝である。物外《墨梅図》は折り取られた梅枝を描いた。折られた切り口が荒々しい筆致で表現。まっすぐに伸びた一枝の周囲に賛が寄せられ、典型的な詩画 軸。着賛は仲方円伊、大愚性智、玉わん梵芳、大白真玄、謙岩原冲、大周周奝、西胤俊承、厳中周?(げんちゅうしゅうがく)、惟肖得巌と錚々たる顔ぶれ。足 利義持を囲む相国寺・南禅寺グループの中でもコアな小グループ。円伊は「勢は飛騰して蒼穹に上るが如く」と着賛。
《墨梅図》(個人蔵)は物外《墨梅図 》と同じモチーフながら枝の切り口は植木鋏で切られて丸い小口を見せる。梅花も薄墨で紅梅を表し、好対照。こちらも得巌、周奝、梵芳、性智の着賛。

「墨梅」とはいえ、色も香りも漂う展示。

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歳寒三友

2013-2-12

「墨梅」展 その3。

山本梅逸《花卉雑画帳》。「梅逸」の画号は名古屋の豪商神谷天遊(永楽屋伝右衛門)とともに王 冕「墨梅図」(現宮内庁三の丸尚蔵館)を観たことに由来。雑画帳の1頁目はもちろん「梅」。

岡田米山人《歳寒三友図》(文化13年・1816)。松・竹・梅の傍らに「水仙」。横には「酔中して筆硯に対す 画を成してまた枕肱」と。また飲んどるがな・・・と思う。

「梅は岡本、桜は吉野、みかん紀の国、栗丹波」だそうで、岡本とは阪急岡本(神戸市東灘区)。
橋本青江《岡本梅林図巻》(明治3年・1870)。巻頭に高台から梅林を観る人と巻末に梅枝を持って帰る人を描いて、そのほかはすべて梅林が一面に。
橋本青江(1821~98 )は岡田半江に師事した女流画家。画巻冒頭の題辞(メモには『雪夜』とあるが・・・)は藤澤南岳。青江は私(南岳)のために種々の作 品を描いてくれたが、この画巻はなかでも絶品であると激賞。キャプションには南岳・青江・半江の「心の交流の証」と。
師である岡田半江(1846年没)も 《岡本梅林図巻》(天保8年・1837)を描いており、三者それぞれの思いが岡本の梅林に集う。

そのほか、銅造蔵王権現像や二月堂鐃(「嘉禎三年酉三 月十二日」銘)、「んめも」などが展示。

大学。いくつかの専修でははや口頭試問。現実逃避もほどほどに。

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ご禁制品

2013-2-14

昨日より風邪。熱っぽいが、会議に出席。

過日、信頼できる院生に貸した「赤外線カメラ」が戻ってきた。専門機材ではなく10年以上前に子供の運動会用に買った家庭用ビデオカメラ(handycam DCR-TRV9)。メディアもMiniDV・・・。

なぜ“信頼できる”学生かというと、カメラのナイトショット(赤外線)機能が強すぎて問題(薄着だと透けるらしい)となり、買って直後に赤外線機能が制限された後継機種が出たのである。
本品は規制前の一品。もちろんムフフなことはなく、久しぶりにみた映像は子供の運動会や学芸会に挟まれて、仏像の胎内銘や美しいチョウナ痕が残る柱に記された墨書や掛幅の落款などなど。

貸した折には「えっ?これですか!」との表情ながら、その機能は絶大。返却時には「この字は・・・」などと解説もしてくれる。「さすがは『ご禁制品』」とまで。あとはMiniDVからDVDなどに変換。

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口頭試問

2013-2-16

昨日、今日と口頭試問。いつものように芸術学・美術史以外にも哲学倫理学、比較宗教学の副査も。
例年になく、クロスした研究テーマが並んでいる。「宗教」とタイトルにあるので比較宗教学と思いきや哲学倫理学からのアプローチであったり・・・。

真宗関係を扱った論文を読んでいると、どうも実家がお寺のよう。「出来るだけ、“門徒 門徒”したものでなく学問として・・・」と述べていたが、やりとりの中で、実家(大谷派)の五尊の配置に驚く。

「阿弥陀像の左右に親鸞と法然、後は歴代住職の御影が・・・」と。浄土七高祖や聖徳太子、蓮如はないの?と尋ねると、ないという。にわかには信じられないが、本人は得度も受けており、知らないということでもないらしい。
論文よりもイレギュラーな配置のほうに興味津々。

夕刻、終了。今年も色々学生(卒論)から学ぶこと多し。

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京都タワー

2013-2-17

午後、京都にて会議。

寒いなか京都駅前の206系統のバス停には行列ができる。三十三間堂や清水道、祇園、知恩院前と京都名所をぬって走るので混雑もやむを得まい。どの みち東山三条からは座席も空くだろう。

行列に並びながら「京都タワー」を見ると、キノコのようなスタイルに変身中。1964年に開業ゆえリニューアルとの由。
新幹線に乗ると、東寺五重塔と並んですっかり京都のランドマークとして定着。

予想通り、東山三条からは立つ人もなく、目的地に到着。いつも気の重い会議だが、あと1回で「赦免」との由。
体調不良のため「多田 寺」や「ウフィツィ」もスールー。思った以上に(風邪が)長引く・・・。

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終わった人

2013-2-18

終日、雨。
過日、分野違いの 某先生との雑談を思う。
雑談のなかで学生の頃に読んだ内容を思い出し「○○先生は、・・・と考えていましたよね。」と言うと、先生曰く、「○○さんですか。もう“終わった人”ですよね」と。かつては斬新な見解であったが、(その後反証されて)今や学史(研究史)の通過点のひとつにしか過ぎないと。

ところが、なまじ知名度があるので、“終わった”見解を今度は一般向け書籍としてリバイバルする。でも一般の人はそれが既に業界では「古い見解」であることを知らないので、“通説”であると思ってしまう。市民講座などで丁寧に説明しても、聴講者からはリバイバルされた「古い見解」に踊らされてしまう。「もう、老害以外のなにものでもないです」と辟易した表情。

なんかどのの世界でもありそうな・・・。

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敵国降伏

2013-2-19~20

資料調査のため博多へ。

県立図書館横には筥崎宮。珍しく参拝しようと楼門までくると、この扁額。さすがにビビる。亀山上皇の寄進。
福岡・東公園にも山崎朝雲による亀山上皇銅像の台座に同じ文字のプレートがある。銅像は、日蓮聖人銅像とともに元寇(文永の役・1274年)を記念して1904年に建てられたもの。折しも日露戦争の最中。ちなみに来年は文永の役から740年。むぅ・・・。
図書館では関連資料をコピー。大阪にいては手間暇かかる資料も楽々と閲覧。

翌日は九州歴史資料館へ。「三国が丘」駅で下車し、小山(三沢遺跡)を越えたところにある。
「聖地四王寺山」展。いわゆる大野城のエリアながら、宝亀5年(774)に四王院が建設。6尺の塑造四天王像が安置されるが、新羅からの呪詛に対して、眺望のきく清浄の地(四王寺山)を選んで四天王像を造立し、呪詛返しとしたもの。その後も聖地として経塚などが埋納。

夕刻、帰阪。

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等伯

2013-2-21

今年の直木賞は安部龍太郎『等伯』。肝心の書籍は地元の書店経由で、いまだに届かない。
〈上〉の表紙は《松林図屏風》の一部をネガポジ反転させたもの。藁筆や竹筆の筆致がよくわかると、妙なところで感心する。

それにしても《松林図屏風》の料紙のつなぎ目の食い違いが気になるところ。つなぎ目を補正するとより遠近感も強調され、当初から屏風装でよいとは思うのだが、ただ巨大な屏風になってしまう・・・。
最近はどういう見解になっているのだろうか。

等伯の死後、等伯の名は忘れ去られ、その末裔も「雪舟流」と称したことで雲谷派と混同する有様。末裔は仏画師になったのである。いや、等伯(信春)の画業からみれば、“先祖返り”したと見るべきか。京阪地方を少し回るだけで、展覧会ができるほどの作品があるのだが、近世仏画ゆえに関心を寄せる人も少ない。当時 京都でも名にし負う仏画師なので、下手ではあるまい。

某市文化財審議委員会にオブザーバー(専門委員)参加。こういう方法も賢明だと思ったり。

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奈良絵本

2013-2-22

久保惣記念美術館「やまと絵」展へ。
《和泉式部物語(絵巻)》は、もと冊子体の奈良絵本。絵本(冊子)を解体して絵巻にするのはよくみられる。内容は御伽草子「和泉式部」に準拠。なるほど・・・。

和泉式部は百人一首にも登場する歌人だが、御伽草子で語られる「和泉式部」はかなり違う。
和泉式部14歳の時、橘保昌との間に男児をもうけたが、菖蒲の産着を着せ守刀を添えて五条橋のたもとに捨ててしまった。男児は町人に拾われて養育され、後に比叡山に上り「道命阿闍梨」と呼ばれる僧となった。
道命18歳、内裏の法会に出仕した時、垣間見た女性に一目ぼれ。道命は柑子売りに化けて女性と再開、深い契りを結ぶ。そして女性が道命の守刀に気付き、女性が持つ鞘とが合った時、事の真相を知るに至る。和泉式部は暗いうちに都を出て播磨国書写山の性空上人のもとで出家、弟子となった・・・。
あんまりおっぴらに出来ない内容。

《伊勢物語貼交屏風》ももとは絵本。本文125段、絵は49面。こちらは綺麗に裁断され、本文料紙には金粉が巻かれて屏風仕立てに。

なんかこれまで見たことのない作品が数多く展示されているのだが・・・。

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宗達

2013-2-23

恒例?の土佐久翌《源氏物語手鑑》は宇治十帖からの15面。《源氏物語「朝顔」図扇面》(室町時代)はもと扇に貼られた作品。「扇は都俵屋が、源氏の夕顔の巻、絵具(えぐ)をあかせて書きたりけり」(『竹斎』)とあるが、「朝顔」だったか。

伊勢物語の普及は嵯峨本『伊 勢物語』の刊行によるところが大きい。嵯峨本とは、慶長13年(1608)に角倉素庵が本阿弥光悦や俵屋宗達の協力を得て出版した古活字本。表紙装丁も光悦や宗達による雲母刷り。
場面構図でも嵯峨本が後世の元図となった。菱川師宣→西川祐信→下川辺拾水とクローズアップのさまがありあり。

「広純筆」と「住吉」の落款がある住吉具慶《西行物語画帖》は小品だが、7段、25段、25段、37段と続く。画面構図は、「(西行物語絵巻)禁裏御本」を寛永7年に宗達が模写、詞は烏丸光広が書いたものと近似するという。

伊勢物語と源氏物語、どちらが高い素養であるとみられていたかといえば、出品された「歌かるた」をみればよくわかる。源氏物語は「雲隠」も入れて55枚、伊勢物語は209枚。源氏物語の絵札には「源氏香」のヒントまである。

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伎楽面

2013-2-24

昨日は大学。大学博物館に立ち寄る。
授業もなく博物館も新学期を控えて“ひと休み”の展示。郷土玩具や雛人形、復元甲冑などが並ぶ。見ていくと、伎楽面の複製品。力士や酔胡王、迦楼羅など。「東大寺」原蔵とあるが、もとより忠実な複製ではなくやや時代がかったもの。ケースからみると、複製品はどうも桐製。なぜこんなものがあるのかと逆にいぶかしく思う。

博物館の収蔵庫に入ったことはないが、考古資料については大部の資料目録ができているものの、それ以外はまだまだ知られざる資料が所蔵されている模様。
収蔵しているものの、価値を見いだせないまま、まさに「お蔵入り」になっている資料が、“ひと休み”の展示に出されて、陽の目をみることもある。そのためにはそれに気付く人も不可欠。
中島誠之助風にいえば「捨て目」が効く人が必要で、そうした人材を育てるのも大学の務めかも知れない。

一度、収蔵庫を“探検”したいものである。

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絵馬・雛飾り

2013-2-24

各社寺の絵馬も展示。
マル金の朱印が押されたのは、京都・安井金毘羅宮。
縁切り神社として有名である。
絵馬は「藻刈り図」。落款は「一鳳」ではなく「一芳」。定番のダジャレ〔も(う)かるいっぽう〕である。
でもなんで「縁切り」なのだろうか。

お雛様も展示。段飾りではなく雄雛・女雛。大きなケースにちょっとさびしい。ちょっとあり得ない光景を目にするがここは黙殺・・・。

「人形」というのは捨てがたいものであるらしい。爺様婆様が孫に買い与えるものの孫が大きくなり、別居や独立するようになると、昨今の住宅事情、そのまま「お蔵入り」。手入れもしないので古くなり処分に困る。なぜかリサイクルもきかない。そこで地元の資料館や博物館へ寄贈というのが雛人形の行く末である(断られると淡島神社か)。

年に1度しか展示できませんが、校友の方々で「ご不用になりました雛飾り」(特に7段、8段の段飾り)がありましたら、どうぞ大学博物館へご寄贈・・・って勝手に資料収集するなって。

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文化財指定

2013-2-26

某市文化財審議委員会へ。

報告の後、質疑応答。報告のなかで興味深い(指定候補)物件があるが、指定すればすぐさま修理が必要となるのでしばらくは保留とし、折を見て指定ということで・・・と述べると、座長から「(この場で)そういうことは考慮しなくてよいのではないか」と。
いやいや、担当課の年度予算に匹敵する修理予算が別枠で取れるのかと思う。どのみち、座長が予算折衝に臨むわけでもなく、議会答弁することもない。困るのは担当部局。物件も「国宝級」とか「重文クラス」などではなく、こちらも強力に推せるほどでもない。

どこの自治体でも同じように思うのだが、財政状況厳しい折、またシーリング枠があるなかで指定後に修理等で高額予算を別途に計上するようなことはあまりしたくないというのが本音である。少ない補助金ながらやりくりしながらも既指定物件の修復を進めるなかで、新規指定はできるだけアフターケアの少ない物件や博物館・資料館の寄託品、果ては館蔵品などが無難な選択肢となる。時には修理(全額所蔵者負担)後に指定ということだってあり得る。
本当はこんな指定は本末転倒だし、座長がいうように作品の価値以外は何も考えずに指定していけばよいのだが、昨今の事情は許さない。

もう少し実務(現場)に対しての理解があれば、すんなりいくものを・・・と思いつつ散会。
「言うだけ番長」ではあかんと思うのだが。

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王羲之

2013-2-27

東博では円空と並んで書聖 王羲之展が開催。

授業時に持ち歩くカバンは、台湾・故宮博物院で買った「王羲之 蘭亭序」(定武本・拓本)トートバックである。
「定武蘭亭」と描かれているにも関わらず、学生たちは「呪文のカバン」や「呪いのバッグ」などと称してくれる。

大学でも、教員(国語)免許取得で書道も行う。今はどこで授業を行っているのか知らないが、旧学舎では時折墨の匂いがしたものである。

今日は会議ディ。「呪いのバッグ」に書類などを入れて学内各所。効き目があったのかどうかは知らないが、メールボックスに分厚い封筒。相変わらず忙しい限り。

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続 摩多羅神坐像

2013-2-28

願成就院諸像(運慶)や文殊院・文殊菩薩及脇侍像(快慶)が国宝に指定。一方、清水寺・摩多羅神坐像も重要文化財に指定。国内最古の折り紙付き。

ただ、こちらの凡ミスも露呈。寄木造としたが、頭躰根幹部は一木割矧造で割首である。手元の写真でも確認済。相変わらず詰めが甘く、そそっかしいと反省。でも各新聞記事の「一木造」とはちょっとニュアンスが違う・・・。

初めて訪ねたのが2008年3月。終日、肌寒い雨。翌年2月に再訪。この時は厳寒。なんかいつも震えながら調査していたことが印象に残る。
肝心の摩多羅神坐像は、東博での「出雲展」以来しばらくお帰りになっていない。この後も(お披露目の)新指定文化財展(於 東博)への出品が待っている。
昨秋に訪ねた折には収蔵庫に新聞記事が貼られており、お祝いにスナップ写真ながら御像の写真を数葉プリントして送る。今夜は祝杯。

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