日々雑記


寄り道

2009-10-1

昨年に引き続き、明日香村稲渕・飛鳥セミナーハウスで地域アカデミー「古都飛鳥・河内の歴史と文学」の講義。

昨年に引き続いての受講生もおられ、またエリアが河内へも広がる。もちろん内容もブラッシュ・アップ。
講義中に思っていたのは、河合隼雄元文化庁長官の「文化の力で日本の社会を元気にしよう」との言葉。
拙い内容が少しでも元気の素となればと思う。今朝の寄り道は橘寺と仏頭山。

東大寺・奈良町・元興寺へと向かう一行を見送った後、授業ひとつを「校務」で休講としたため、次の授業(卒業演習)開始までちょっと余裕。ゼミ生を明日香村まで呼ぼうと思ったが、今日は、各企業で「内定式」。そこで、安倍文殊院まで、午後の寄り道。

一部で周知のように、修理のために文殊菩薩像(快慶作)が獅子から下ろされている。傍では美術院が修復中。
「麦漆、もってる?」「接着用ですか?」(たぶん、対語は「充填用」。これに挽き粉を混ぜれば、木屎漆となる)などと、眼と気分は仏像と修理現場を行ったり来たり。

堪能した後、横の釈迦三尊像(多武峯妙楽寺(現 談山神社)本尊)をしげしげ。左右の脇侍像の面相が違うのは、 寛文9年に康祐が頭部を補作したため。『紅葉拾遺』には、康祐が多武峯で前年からの修復記事が掲載。きっと美術院のように現地で修復。
多武峰(談山神社)は、もと十三重塔を中心とする妙楽寺と鎌足廟を中心とする護国院からなり、神仏分離で見事に神社に変貌。
寛文期、十三重塔には康祐作の騎獅文殊菩薩像(長1尺2寸)が安置されたが、今はどうなったのだろうか。

あれこれ思ううちに、そろそろ大学へと向かう時間。「寄り道」も亦楽しからずやと、大学で再び、次の準備に取り掛かるとするか。

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苦爪楽髪

2009-10-2

あいかわらずの時間に帰宅。静かに家扉を開ける。
只今皆、就寝中(上娘だけは起きている)。
素足・胡坐で新聞を眺めつつ晩酌しながら、足の爪が伸びていることに気付く。
起きている上娘に「爪切りは?」と尋ねても要領を得ない。
やむなく、がさごそと自宅で家捜し。
物音で目覚めた家人に爪切りの所在を問うと、「右の引出し、奥!」。 
あった、あった・・・。

「どうした?こんな遅くに。」と、至ってまっとうな疑問。
不精なだけ と答えると、「さては、最近、ラクしてるな」と。
「もう大変!」に続いて必ずと言ってよいほど出る言葉「最近(ヘア)セットにも行っていないし・・・」。
最近は娘たちにも影響。この人たちは「苦髪楽爪」派。
「やっぱり、苦爪楽髪!」と思い、明日朝にでもひと言、意見しようと思って、広辞苑を引くと、どちらも載っている。しかも末尾に「苦○楽○とも。」とわざわざ反対語まで。
アカンか・・・と思いながら、広げた新聞をそっと折り畳む。

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「勉強」

2009-10-3

昼頃、軽いノックの後、「(研究室)探しましたで~。」と旧職の同僚が来室。
既に20年近く経つのに嬉しい限りである。

あれこれ旧交を温めつつ、アルバイト諸氏の名前を耳にして驚く。私も彼等・彼女らと一緒に仕事をしたことがある。既にベテラン中のベテランである。実測図(作成)ひとつ取っても、今や彼等のほうが上手だろう。
生活していくには色々とありそうだが、悲壮感がなく「自分流の生活」を送っているように思える。定職についていないとはいえ、しっかりと地に足がついている感じで、こういう生活スタイルもありだなぁと思う。

老舗の専門古書店の親爺が「今の学生は本も買いよらん。あいつら、いったい何で(何を用いて)、勉強してるんや?」とボヤいていたらしい。
確かに古書のマンガには立読みする若者が大勢いるが、専門古書店は冬の時代でもある。

学生の頃は、あの本はA古書店でいくら、B書房ではいくらと、古書に関しては独自の情報網と互いの情報交換があって、その網をかいくぐり独自に開拓?した店で最安値で買うことがひとつの勲章でもあった。喜んで買った本が、しばらくすると別の所で思いがけないほど安く売られていて悔しい思いもした。授業もよくサボったが、サボった時間はそんな風に過ごしていた。

そもそも、古書店の親爺や同僚がいう「勉強」と、今の学生が言う「勉強」とが、まったく別種のように思えてならない。
「そやから、採用条件にも“既経験者対象”って増えてるんですわ。」とは同僚の弁。

雑談しているうちに日頃の暴言・迷言がずいぶんまっとうに思えるほどの錯覚すら抱く。

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レジュメ

2009-10-4

昨夜は十五夜。今宵も見頃。
各地で展覧会も始まっているが、あれこれ用務も増え、搭載CPUも低いので、この体たらくである。
学生絡みのややこしいメールも回っていたが、担当セクションからこちらへは何も来ていない。先方も多忙なのでおそらく“合算”でもしたのだろう。知らないものは知るか! である。

昨夜ようやく出来たレジュメを送ろうと、送付書類を見れば、先方の希望枚数の半分しかない(わざわざ「枚数はあくまで目安です」と恐縮されていたが) 。
今日、内容を若干増量し図表を入れ込んで、ようやく完成。あとは用務をいくつか。

個人的な好みだが、時折、パワーポイントの「印刷(配布資料)」を使ったプリントアウトが渡されるが、「手抜き」に思えて好きになれない。細かな図表やグラフが入り、頁あたりのコマ数が多いと、数値も潰れて絶望的、いや「知られたくないのか」と懐疑的ですらある。

ハンドアウトなしにスライドを見ながら、あるいはパワーポイントの「配布資料」を配っただけで、人前に立つことは、「今日の内容は“手抜き”です」と自ら暴露しているようで、まずあり得ない。
レジュメは配布資料だが、「配布資料」はレジュメではない。

低いCPUなので、その分、時間もかかるのだが・・・。

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球子フィルター

2009-10-5

ゼミ生。
(片岡)球子が描く山の絵は、実物とちっとも似てなくて、火山でも富士山でも同じように見える。けど球子は富士山と仲良くなろうとしていたのではないかと思う・・・。
そうですね、同じ山でも四季折々時々刻々、その表情をかえるので、お付き合いしようと思ったかもしれませんね、と伯耆富士でちょっとアドバイス。



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強制終了

2009-10-7

午後会議があり、夕刻から日本‐EU学講義。
南蛮貿易から始まり、ゴッホの作品を眺めつつ、エンジンも全開モードでサミュエル・ビングへ。
不意にノック。誰や、こんなに遅刻するヤツは!と荒々しく 「はい!」

件の学生は、「18時35分に大阪府全域に暴風警報が出されました。すぐさま帰宅してください」。授業支援のスタッフだったのね。思わず、教壇で仰け反ってしまう。少し小さな声で「授業も中止です」とも。
18:35?って、一応20分は配慮してくれたのである。

関西大学は緊急避難所指定なので、「まぁ、このまま“避難”ということで、しばらく授業でもして待機・避難しましょうか?」と本気とも冗談ともつかない言葉を残して、仕方なく「強制終了」。
この分だとは明日は休講か。

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ねぇ、○○氏、○○氏・・・。

2009-10-8

演習が終わって、ちょっとコーヒーブレイクかたがた、学生らと某先生の研究室へ。

「オタク・ファッション」の雑談。
彼らが背負うリュックはなぜパンパンに膨れていて真四角になっているのか・・・。
曰く、当初は、あの中にA系雑誌の該当頁を保存するためのB4サイズのクリアファイルがきっちりと入っていたが、次第に薄いボックスに代わり、そのためにリュックサックが真四角になった・・・。へぇ。
ではなぜ、クリアファイルからクリアボックスに替わったのか。

とある学生と私が声を揃えて「(当該)頁が(ファイルと)くっつくから!」。高画質の印刷物をファイルに入れて圧力をかけると、紙がファイルにひっついてしまうのである。だから『奈良六大寺大観』でもトレペ(みたいなもの)が挟み込んである・・・。
その言葉を聞いて、傍にいた学生らは「隠れヲタク、見っけ!」と言いながら、どん引される・・・。

別に不思議でもなんでもないのだが。(もちろんヲタクでもない)
じゃ、これからは、卒演でも指でツンツンと押しながら、「ねぇ、○○氏、○○氏・・・。これって、いいでしょ」と参考資料を提示することにするか。

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パブロフの犬

2009-10-9

朝、大学で会議。終了後すぐさま新大阪に向かい、午後遅くに東京大学(本郷)にて会議。
ちょっと段取りよくすれば、こんなことにならなかったのにと後悔。
会議も終わる頃、昨夜も遅くに帰宅し疲れているはずなのに、ふと、今日は金曜日であると気付き、いそいそと上野・東京国立博物館へ。
今日(今夜)は夜間開館。

珍しく「法隆寺宝物館」。久しぶりの金銅仏をしげしげ。小金銅仏とはいえ一筋縄でいかない作品も。押出仏や伎楽面、光背を眺めた後、2Fへ。
《龍首水瓶》の胴部に刻まれたペガサス。室内が暗いので周囲の誰も気づかない。独り占め。
海磯鏡を眺めた後は聖徳太子絵伝の一大パノラマ。延久元年(1069)の作。まさになめるようにじっくりと堪能。
本館に移動し、光得寺と真如苑の大日如来像。神護寺・愛染明王像(康円)や伝浄瑠璃寺十二神将像(辰・未)もじっくり。至福なり。最近、明らかになった光得寺像納入品の3次元プリンター成果品も。驚き。
狩野秀頼《高雄観楓図》。なんだかんだといいつつもすごい。これも“かぶりつき”で観察。
借りてきた猫のような石恪「二祖調心図」や毛松《猿図》、梁楷《出山釈迦図》までみると、もう満腹。デザートというか、とどめは《尊海渡海日記屏風》(天文8年・1539)。展示は歴史資料なので、日記側が展示ケース正面に。壁とケースとの隙間に身を挟んで背後の「瀟湘八景図」を覗く次第。

餓死寸前の人に普通に食事を与えると頓死するという。展覧会に飢えた者がすぐに東博に行くと、体によろしくない?夕食もそこそこにホテルでぐったり。

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ご所属とお名前を・・・

2009-10-10

美学会全国大会初日。午前中は「総会」なのでちょっと寄り道。
都電荒川線に乗って巣鴨・善養寺へ。「お岩通り」すぐの所。お岩というのはあの「お岩さん」である。
目指すは善養寺。もとは上野にあったが明治に移転。
墓地に入ると、すぐに「乾山深省蹟」の碑と墓標。陶工 尾形乾山は、正徳・享保年間に輪王寺宮公寛法親王に従って江戸に下り、入谷に窯を開く。寛保3年(1743)に81歳でなくなり、下谷坂本の善養寺に葬られた。それで江戸に墓があるのかと。鳴滝で日々作陶三昧の生活と思っていただけに意外といえば意外。
朝は晴れていたものの、次第に曇って雨も降り出す。急いで本郷へと向かう。

研究発表をいくつか拝聴。
受付でもらう「発表要旨」集には、発表者の所属(○○大学など)しか書かれていない。院生であれ教員であれ、美術館等であろうと、発表者は聴衆の前では1人の発表者に過ぎず、学問の上では、皆対等であるがゆえである。

とある発表。当日配布された資料にも氏名だけ。
発表に使うDVDも編集せずハンドアウトもなしに発表。
学部の演習でも、「これ(演習)はDVD鑑賞会とちゃう、いつまでちんたら DVDを見させられんねん!」と、発表者も卒倒しそうな勢いで指導?するのだが、この発表でも同じ状況。
見た目からすれば、やや年食った大学院生か・・・。最後の結論も要領を得ないもので、思わず質問の挙手。はぐらかした返答。

発表が終ると発表者がこちらに来て名刺を差し出し質疑の御礼。何ごとと思いつつ、名刺をみれば、現役の「准教授」。ひょぇぇ~。
ヲイヲイと思いながら、うちの学生よ、いつも厳しいこと言って、「すまん、ごめんね。」という思いも。
東京大学まで来て荒れる必要もないが、まぁ「Cの下」というところ。
「不思議とか、(理屈が)おかしいと自分で思わんか!」と、なんだか普段の演習よりも悲惨な状況。
気分とは、裏腹に午後からは快晴。

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アカデミズム

2009-10-11

全国大会2日目。
某学芸員(後輩)にも会う。「大学、どうですか?」「いやぁ、学芸員(時代)よりヒマ」。社交辞令也。

件の学芸員が先行研究で名指しされた発表(若手)は、正攻法で組み上げた発表で、手堅く纏められたもの。
昨日のこともあって質問は控えるものの、的外れ、或いはどうでもいい質疑で時間が過ぎていき苛立ちを覚える。昨日の一件が頭をよぎったが、業を煮やして挙手。
「冒頭の疑問に立ち返ると、どうなるのか?」と。
頼もしい(期待通りの)回答が返ってくる。
そう!その通り!

具体的で緻密な分析は精緻、確実ではあるものの、最後の結論が当初の疑問とは齟齬することがある。発表者はそこに到るまでの説明が強固であるため気づかない場合が多い。何を明らかにしようとしたのかが見えなくなる。そこを問うたのである。
発表後、ご指導の先生は恐縮されて挨拶して下さったが、納得、理解できる説明でした。

閑話休題。パリ万博の日本館は、政府が「日本趣味的なもの」を要求したが、板倉準三はそれを無視してコルビジェ風の作品を作っている。次のニューヨーク博では岸田日出刀が、モダニズムを捨ててあっさりと「日本的なもの」。山脇巌だって純日本趣味。

軍靴が聞こえる時代にはモダニズムは沈黙し続けた。そのなかで岸田の「日本的なもの」なる問いかけは、当時の政府や時局への迎合以外の何物でもない。それはなぜか。
岸田は1929年から「東京帝国大学教授」であった。東大の先生は「日本」に提言・助言しても反旗を翻してはいけない(という偏見)。さりとて、在野から「迎合」と非難されるのは心外で、理屈(言説)で自らを武装したのである。

再び研究発表へ。
皆スーツ姿で発表するなか、素肌に胸元がはだけた黒シャツと黒スーツ、首元にペンダント、両手指にはシルバー・リングを嵌めた発表者がひとり。もちろん髪は茶髪、長髪。
360度、どっからみても「駆け出しのホスト」である。
その姿を眺めていると、「自己の客体化」や「行為の美」などと聞こえてくるが、「夕方からの出勤前にちょっと学会発表でも・・・」といった感じ。
実は、この発表者は「長谷ゼミ」1期生。

赴任1年目、諸般の事情により卒業演習の学生は「美学」志望。彼もそのうちの1人。
モノ(作品)が全ての世界から突然「美学」の世界に投じられて、彼らからすれば、自らの主張をなかなか理解してもらえない無能な教員でもあった。今振り返れば、反省すべき点も多々あるが、最も感慨深い学生達である。
彼はその後、別の大学院に進級。現在博士課程。
“子”は“親”の姿を見て育つというが・・・。
独自の世界を語るのは昔と変らない。「つまんないアカデミズム」にこだわらず、これからもガンバレ!

昼は発表を抜け出して浅草寺二天像、夜は懇親会を欠席して在京の知人と一献。

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青山散策

2009-10-12

午前中、研究発表を聞いた後、青山にある根津美術館「新・根津美術館展」へ。
東では根津、西では逸翁美術館が大規模リニューアルで、共にこの秋 グランドオープン。
「新創記念特別展」と銘打つだけあって、新築棟に過去の面影はない。庭園に出て坂道を下って眺めて初めて旧館との位置関係を理解。連休最終日でかなりの混雑ぶり。

展示も一新。中国石仏が来館者を迎え(北斉・如来立像が秀逸)、久安2年(1146)の地蔵菩薩立像や定慶作・帝釈天像(旧興福寺)へと。以前より美術館ぽくなった感じである。ちなみに梵天像はサンフランシスコ・アジア美術館。その後、春日宮曼荼羅などを見た後、那智瀧図へ。
日本刀の刀身を思わせる瀑布で三筋となり、上部に日輪、画面下に社の屋根が描かれる。凛とした神(瀧)の影向である。続いて伝狩野元信筆『四季花鳥図』。見ていると、なにか永徳の真珠庵襖絵の発想源がここにあるようにも。
次いで古筆切。すごい、すごいと堪能しながらも、過去の記憶に「古筆切」はない。若い頃は、あまり関心がなかったのであろう。その後も中国青銅器、明清の漆器と陶磁器、そして「初陣茶会」の諸道具と続く。
ゆっくりと庭園を散策。まさに「市中の山居」である。もと河内丹南藩高木主水正の下屋敷で、根津嘉一郎邸となる。

東洋・日本古美術を堪能した後は、近くの「岡本太郎記念館」へ。
ここは初めて。「タローちゃん」のアトリエ兼住居。建物も坂倉準三の設計だが、今日は「建もの探訪」ではない。

アトリエは、2階ぶち抜きの窓に比べ意外に狭い。よく考えれば、ここは“構想の場”である。このアトリエで、展示されている油彩(下絵)が作られ、それをもとにモザイクや壁画を別の場所で制作しているのである。
2階には「太陽の塔」の構想メモ・スケッチが「タローちゃん人形」と共に展示されていたが、あの形に決まるまでずいぶん熟慮している。でも背面の「黒い太陽」はここにはまだ見出せない。

居間にも庭にも彼の作品が雑然と展示されているが、いずれも「太陽の塔」の源泉イメージであったり、その継続であるような気がしてならない。あらゆるイメージが「太陽の塔」に結実し、以後の作品が「太陽の塔」から発していると思う。
太陽の塔はまさに彼の分身でもある。

これまでの「岡本太郎像」に付加しえたものもあって、表参道へと向かい、東京駅へ。
散策自体はよかったが、長い地下鉄の乗換えがやや疲れた体に堪える。

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演習(9)河鍋暁斎「地獄太夫」

2009-10-13

不覚にも「地獄太夫」が堺・高須であったとは知らずにどこだろう?と考えあぐねる始末。「地獄太夫」だから一休宗純との絡みで骸骨が出ているのだろうと。骸骨の上で踊りまくっている一休の作品も。そのうちチビ骸骨も登場し、一休自身が消えて、骸骨だけが描かれる・・・。

閻魔・奪衣婆図。閻魔王を踏み台にして木に短冊をつける遊女と木の下で若衆に白髪を抜いてもらう。美と醜との妙。達磨が遊女に耳かきしてもらう「達磨耳かき図」も暁斎であり、そのバリエーションと想像。そのうち「地獄太夫 がいこつの遊戯をゆめに見る図」が登場し、洋椅子に座る朱衣の太夫。おっ、達磨だ・・・。
幕末明治を描いた新旧ごちゃまぜの現実・架空の世界が画面に広がる。

種々の質疑応答があり、骸骨は一休の“目印”とまで言ったが、冷静にみると月岡芳年「地獄太夫」にも複数の骸骨があり、地獄太夫・一休のアトリビューションなのか。そうするとチビ骸骨が何を表しているのか疑問に思う。「暁斎の骸骨趣味」なのだろうか。
ちょっと、しくじったかも。

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里むすめ

2009-10-14

朝より健康診断最終日。委託会社が替わったとみえ、検査各所で大混雑。
「あ゛~、かなり血圧が高いですね、上も下も。」
それは、受け付けて1時間半を過ぎても未だ検査が終わらないから・・・。

朝食抜きでようやく終わると、赤い暖簾が眼に飛び込む。
おっ!食堂(大学生協ではない)もなかなか、やるものだと関心。
まだお昼まで少し時間があり、看板を覗き込む店員。イチオシは「里むすめ」(なると金時)使用である。これは絶品。
これでうまくいけば、さらにタコ焼きやら焼きそばが出たりして・・・と縁日モードになるとは考えすぎ。
ただでさえ構内はそろそろ学園祭モードになりつつあるのに。

夕刻は、日本‐EU学講義。台風で中断した残りと2回目をまとめて暴走。たぶん血圧も急上昇。

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熊野ファミリー

2009-10-16

午前中、和歌山県立博物館「熊野三山の至宝」展へ。

基本は熊野速玉大神(オヤジ)・夫須美大神(オカン)・家津御子大神(息子)。それと独立した(かなり若いが)飛瀧権現(娘)。

住まいは、オヤジが新宮(熊野速玉大社)、息子が本宮(熊野本宮大社)、オカンが熊野那智大社。オカンの傍には娘(那智滝)もいる。神仏習合により ホンマのところ(本地仏)は、オヤジは薬師如来、オカンは千手観音、息子は阿弥陀如来。
これは例の「行燈ケース」を使ってうまく展示されている。

神様にも「本生譚」。
インド・マガタ国の善財王(オヤジ)は五衰殿女御(オカン)との間に王子が出来たが、他の后の嫉妬によって女御は深山で王子を生んだ後に斬首、息子は獣たちに養育される。
やがて王子は「ちけん上人」に保護されて、オヤジとの再会を果たす。
その後、オカン(!)ともども、「ちけん上人」に随ってマガタ国を捨てて熊野に飛来。
本宮に「ちけん上人」、新宮に「善財王」、那智に「女御」、王子は「若一王子」。本宮に養父としての「ちけん上人」をあてるのは熊野垂迹曼荼羅の影響。

熊野は神仏の住まう処。そこに我々(人間)が訪問するのは、「死んだつもりで頑張ってみろよ!」という「擬死再生」に基づく。でも本当に「行路死亡人」になってはまずいので、多くはツアー・コンダクター(先達)がおり、現地には御師(現地係員)がいる。
住まいでの全家財道具は遷宮ごとに新調され、古い調度品は古神宝。

展覧会にはそうした資料がずらりと学術的に並ぶ。
バカっぽい話が続いたが、会場で配布していたポケットブックをよりくだけた誤変換。我ながらあきれるが、なるほど、こうしてみると熊野信仰も展示資料もすんなりと迷理解。
もちろん、下御門仏師の作品群をはじめとする仏像もじっくり。
写真パネルをみながら、大昔に聞いた新宮からの瀞峡・プロペラ船の爆音がよみがえる。

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新型インフルエンザ

2009-10-17

新型インフルエンザの感染拡大により上娘の修学旅行(韓国)が延期に。
超短期ホームスティもあり感染源になっては面目立たずということでやむを得ない処置。

意外に冷静な上娘。
先日、両替したばかりのウォン紙幣の札束(2万円=約24万ウォン)をひらひらさせて「また(一緒に)明洞や東大門市場で大人買い(の買物)しようぜ!」と家人に告げる。同情のあまり、家人も「う、うん・・・。」と。オレは知~らないっと。

「なんで学校行事(修学旅行)のために、私らが“パスポート”用意せんとあかんの?」と、のたまうモンスター・ペアレントも居ると仄聞するなかキャンセル料も発生し、修学旅行先が国内へ変更になると、説明する校長センセも頭が痛い・・・。
残念ながら「新型インフル」ぐらいではキャンセル料は免除にならない。

こちらも傍観している場合ではない。風邪は引いても「新型インフル」だけには、かかるな!頼むぞ。

手洗いとうがいは必須事項。

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献血

2009-10-18

お昼前から大学院入試。
坂を上がってくると、千里第二小学校内に献血のバス。
むぅ、今から内容しだいでは血圧が上がるかもしれないので献血でもして、ちょっとでも下げておくかと、バス前に立つ・・・。

もう十数年ぶりのことでどぎまぎ。既に血圧は高い。もう「手帳」ではなく「カード」。風貌・人相ゆえなのか、念のためかは知らないが、「エイズ検査はしていませんので・・・。」と、ちょっと茶目っけに説明を受ける。
チェック項目(通常は殆ど問題ない)にも答えて、バスの中へ。

看護師?と雑談しながらあっという間に「A型 400cc」完了。
A型人口はかなり多い。なのでA型の血液は充足しているだろうと、献血される人は少ない。でも血液を必要とする患者は、人口比にあわせてA型が最も多く、A型血液が慢性的な不足であり、冬場は寒いので献血者が少ないので事情はなお悪化すると、看護師さん。ぐだぐだと話すなか「献血では血圧はさがりません」とも。

「ご気分が悪くなったり、めまいを感じたら」「何かご心配なときは」血液センターまでご連絡下さいとある。でもこれは血液に限ってのことで、口頭試問で「気分が悪くなったり、めまいを感じたり」しても、センターに連絡してはイケナイ。

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ハンドアウト

2009-10-19

とある授業。
ちょっとした勘違い(最近、お疲れ気味)で、パワーポイントは作ったものの配布資料(ハンドアウト)が作れずにそのまま講筵。同じ事柄を何度も言ったり、肝心なところを後で思い出したり、自分自身でもボロボロなのが痛いほどわかる。大反省。

その後、演習(学生発表)。
ここでも学生がボロボロに。ハンドアウト(配布資料)をみると散漫な内容。「ゴラァ~!」と思いつつ、先ほどの事情もあって、ややトーンダウン。人(学生)を非難できる資格はない。

一般社会では絶対ご法度ながら、大学ではOK(◎)なのがプレゼンのハンドアウト。
「書いてあることを読まんと(読まないで)、さっさと、要点だけ言えんか、このボケッ!」と課長あたり(明王・注:授業ネタ)から罵倒されるが、文系アカデミカルな世界では「発表原稿を朗読する」ことは、至極真面目な態度に映る(特に学生 未だに私もこのスタイル)。
知る範囲での哲学系発表は、配布資料がそのまま朗読原稿である。だから発表後の質疑の際にも「2頁下あたりの『投企』は・・・」などの質問も。

一般社会でも「何が言いたいんじゃ!」と思うこともあるが、学生のうちは、まずは朗読原稿を作ってそのまま読み上げるということだけでもずいぶん違う。読み上げることで、自分自身の理解度を計ることにもなり、あわよくば、卒論のベースにも利用可能。

くれぐれも言っておくが、コピーにマーカー引いて読み上げると、逆鱗に触れる・・・。あくまで自分の言葉遣いで。
たどたどしくても言葉遣いが下手でもいいんです、別に。

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キャリア アワー

2009-10-20

午後、学生が来室。見知った学生ながら初来室。
「はい。なにか 御用?」「ちょっと相談ごとが・・・。」

何事かといぶかりながらも、聞けば就活。まずは新卒の求人倍率1・62倍から。
「あ、これね。ほら「従業員1000人未満の会社」での求人率は3・63倍。倍以上。言っとくけど、“中小企業”は従業員300人以下ということになっている。中堅企業も入れると、大丈夫、大丈夫」。
不景気感を煽りたい新聞の策略にハマってはいけない・・・。

話は希望職種に及ぶ。余った授業資料の裏側に大きく三重の円を描いて「まずは真ん中の円に・・・」(以下“企業秘密”)。話題は授業に及び、これもごにょごにょと内緒話。

小1時間ほど会話して退室。来室した時のタテ筋顔(“ちびまるこ ガーン”)がすっかり消えたものの、まだ狐につままれた表情もちらほら。「なんなら、オフィスアワーやめて キャリアアワーに変更しようか。」と言うと、「だめですよ、こんな話、オフィスアワーで皆に話しては・・・」とも。
というか、この曜日この時間、「オフィスアワー」じゃないんだけど・・・。

この類の相談もいつもよりは早い時期。

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カベルナリア・ニーチェ

2009-10-21

ひと仕事の後、総合図書館でがさごそと伊波普猷やらカベルナリア吉田やら(驚愕!)。
ちなみに「カベルナリア」とは、メキシカン・プロレス(ルチャリブレ)の技であると、以前とある先生からお聞きした。

伊波普猷の琉歌。
    「深く掘れ 己の胸中の泉 余所(よそ)たよて 水や汲(く)まぬごとに」。

なんとなくよい言葉だとメモっていたら、ニーチェの『悦ばしき知識』が下敷きであることを知る。
    ひるまずに
    お前のたつところを 深く掘り下げよ!
    その下に 泉がある!
    「下はいつもー地獄だ!」と叫ぶのは
    黒衣の隠者流に まかせよう。

かなり琉球モードになっていたところに、突如ニーチェ見参。驚きつつも、へぇ。

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愛に溺れる。

2009-10-22

某講義の後、女子学生から質問。
ひと通り答えた後「センセはどの仏像が一番好きですか?」と。
「奈良の大仏。」「大きいから?」「ま、そんなところです。」と言うと、ちょっと期待外れの表情。
たまに関係者からも似たような問いかけがあり、その時は「東大寺 公慶堂の地蔵菩薩像(快慶)」と答えることにしている。

「研究テーマにしたい」という付箋付の仏像や調査に苦労した仏像はあれもこれもと、いくつも掲げることができるが、無条件で「好きな仏像をひとつ掲げよ」と問われても、「ない。」というのが偽らざる心境。
でも正直に答えると、事態は更に複雑面倒なので、如上のような返事に。
(部屋の机の前には「鎌倉大仏」の絵葉書が貼ってある)

がっかりした表情を見て「仏像ならぜんぶ~!」とオーバー・リアクションすべきだったかと思いつつ、小一時間ほど後には、「好きな研究対象なのに、このお粗末な出来はなにごとか?」とも。

末端研究者として基本的資質が疑われるかもしれないが、古墳時代の研究者に対して「どの埴輪が好きですか?犬?踊る人物?」と聞く人はあまりいないように思う。
「好きこそ 物の上手なれ」とはいうが、研究対象への愛や憧憬に溺れているばかりでは、客観的な思考分析が停止するだけである。作品を前にして、大いに感動・驚嘆するものの、付箋を貼らない(貼れない)以上、耽溺までには至らない。

溺愛だけでは飯は食えぬということかと嘆息しつつも、やっぱり基本的資質が欠如しているのかも。

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大阪平野 むかしむかし

2009-10-23

とあるパワーポイント。大阪平野の成り立ちについての説明資料。
もちろん梶山彦太郎・市原実・日下雅義 各氏の業績を大いに参考とする。河内湾→河内潟→河内湖の変遷が実によく理解できる。それ自体まったく問題ないのだが、インパクトというか生々しさにやや欠ける。

総合図書館地下室で漁ってみると「大坂古地図」を発見。
2部あって1枚は「神武帝カラ応神帝マテ」もうひとつは「仁徳帝カラ安閑帝マテ」。
いかにも胡散臭い名称。
「故大和川流」とあるので18世紀以降に書かれたもの。内容も自然科学的に裏付けられたものではない。手続きをして撮影し、パワーポイントに入れると、いかにもかつてはこうであったように不思議な現実感が生まれる。
上には「大隅宮」、下には「仁徳帝難波宮」があり、間には、難波入江に浮かぶ「比賣島」「田蓑島」「都賀野」の島々。
昔の大阪には離島があったのか。

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TAOISM

2009-10-24

朝より大阪市立美術館「道教の美術」へ。
入口近くで大阪のおばはん曰く「いやぁ~、私、こんなんアカンねん“キョンシー”やろ・・・」。外れていないこともないが、正答まではずいぶん遠い認識・・・。

閉幕直後ながらさほどの混雑でもない。入館してまもなくこちらも気合を入れ直す。入口のおばさんほどではないが、こちらもちょっと異質な中国の「神々の戯れ」と思っていたが、この展示会は「アジアの仏教美術」展の「道教」版、日本や中国・朝鮮の美術を道教の切り口で貫いた「名宝展」なのだと。1Fと2Fで3会場也。
あれもこれもと見るのに、かなりの時間。本当に久しぶりに「榴樹(ルージュ)」で昼飯を食い、再び展示場へ舞い戻る有様・・・。

ひとつだけ作品を上げるなら、小原慶雲「仏涅槃図」。釈迦は寝台もなく地面に敷物を敷いて横臥。まるで六道絵「人道不浄図」のようである。その周囲には多数の神仏や僧侶。海辺には歌川国芳「玉取姫」に出てくる魚の化物まで。キャプションに「祝祭」とあったが、まさにその通り。さらし者状態の釈迦。大型の仏像はほぼ露出展示で、珍慶の十王像ともどもこれもじっくりと。

展示は11章立て。担当者が展示場の図面にレイアウト。あれこれ配置を考えても、2階展示場北側は使わない。どうするべや?
もし 私が担当者なら・・・。
ちょっと参ったなぁ、北半分・・・。常設展で埋めても(展示しても)ちょっと狭いし。そやアヒルちゃん、いや「水都大阪2009」で特集展示やな。大阪や水にちなむものを展示・・・と。最初はむぅ、そうそう、中国山水。これなら「道教」との違和感もあらへん。あとは「水モン」資料を収蔵庫から集めて・・・。
こんな乏しい発想で、よくぞ某館で十数年も展示担当してきたものだと、我ながらあきれ果てるやら遅まきながら上司の嘆きもごもっともかなとも。

念のために言うが、人材・所蔵資料ともに手堅い「市美」のことだから、決してそんなアホな発想で、展示場の埋め方はしていない。むしろ色々と企画を考えていてもあらぬ所から突如、トップダウンのミサイル(不可避也)が飛んでくるものである・・・と同情も。

葛飾北斎「潮干狩り図」やら大阪画壇。素人の戯言ながら「倣李成江山雪霽図」「倣巨然聴泉図」を見ていると、「倣」といっても本家の作品と似ていないように思う。「模」と「倣」。比べてみると、「倣」は「そんな気分や思いで描きました」ぐらいの軽い調子か。

結局夕刻4時まで在館。図録もずっしり重い。帰ってヘルスメーターに載せると1.7kg。400頁也。
図録も展示内容と同様にヘビー級。

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慣れ

2009-10-23

各種入試。
朝9時に千里山集合。ちと辛く思うが仕事である。事務方はもっと早い。つい近い過去まで8時50分までに出勤(もちろん日曜日も)というのが普通の生活だったのに、この堕落ぶり。「慣れ」というのは恐ろしい。

授業もそうである。朝1時限目(9:00~)なので履修者も少ないと油断していると、高校生活にまだ順応している1年生が大挙して、履修する(特に前期)。でも高校生活の延長で来ているので、出席しているだけで、後はずっと寝ているという者もいる。何しに朝から大学に来ているのかとも思う。もちろん午後にバイト等があるために1時限目から真剣モードの学生も多い。

そうした学生もたちまち大学生活に慣れ、夕刻4時からの授業でも眠そうな目。
「おはよぅ~。しんどそうやな」と声をかけると、「寝たのが朝9時ですよ、まだ眠たくて。」とほざく。もちろん朝まで勉強・・・などはしていないご様子。
「お勉強のほう」も早く大学モードになればと思うが、こちらのほうはなかなか・・・。
これ以上のことは秘守義務也。

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うぶ

2009-10-26

画像を使っての学生の大真面目な発表。
「かなりエロっぽいのですが、(スクリーンに)大写しして、いいですか?」「いいですよ、バ、バーン!と写してください。」

以前、諸事情で夜の授業があり、受講生は女子学生がひとりだけ。なにを研究するのかと問うと、「写真」と。そこでシラバス(授業計画)を無視して、横山松三郎や丹平ハウス、ハナヤ勘兵衛やら。

何回かの講義後、「ちょっと勉強していること、教えて下さい」と聞くと、いつも大切そうに持ち歩いている布カバンから取り出された大型の写真集。
表紙には『MAPPLETHORPE』(メイプルソープ)。
お、おっー、これが噂の“ご禁制品”。男性器を強調した写真も掲載され、その「猥褻性」で、当時はまだ係争中。(2008.2 最高裁 原告勝訴)
件の学生が熱く語るカット(フラワーやら人物だったと思う)の隣にはまさにその頁。
手元のノートを見たまま一生懸命に言葉をメモしたり、教室の扉を少し開けたまま黙考するように目線をそらして話を聞いたり。(ゴキブリでも出て、きゃっ!と叫ばれたりでもしたらアウトだと思っていた)
うぶな教員というか、そのまま写真の話をすればよかったのにと、頭の片隅でやや後悔。

爾来、学生に鍛えられて真面目に「春画」を研究する学生(女子)も出現する始末(優でした)。今では、「あ、(パソコン)画面の「拡大」をスライドすれば、大写しになるから・・・」と要らぬアドバイスまで。
度胸がつくというか、胆がすわるというか・・・。

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関西 祈りの道-巡礼と旅-

2009-10-27

夕刻から天六学舎で「関西大学おおさか文化セミナー(後期講座)」。天六学舎は30年ぶり。夜学の伝統を感じさせる渋い造りである。

セミナーは309教室で行う旨と424名の申込みがあったとの事前情報にちょっとビビる。姫路市民会館での講座以来の受講者数。
いつもながら配布されるレジュメを1部いただいて演壇の上に置いての講筵。このところかなり「老眼」なので、普通の文字で、レジュメを作成すると、眼鏡を外したり、レジュメを持って腕を伸ばすような醜態を壇上でさらけ出す。だから文字も他の先生方のレジュメとは違ってかなり大きい。

いわゆるリレー講義形式なので、「この続きはまた来週」には出来ない。しかも初回。ここでコケてしまうと、今季のセミナー自体の印象に直結し、責任重大。

しかし悲しい性かな、300名以上の真剣な受講者を前に、沸き立つ屎尿の河に突き落とされる多数の僧侶(『沙門地獄草紙』)や関東で「道明寺」と呼ばれる桜餅、あげくのはてに「ポニョ」までがスライドに。
最後まで(5分ほど時間超過)熱心に聴講していただき、厚く感謝。よく存じあげた方もおられ、終了後にご挨拶。

いつもながらの話(通常モード)にも拘らず、職員氏に「こんなこと、初めて・・・」「今までに見られないレスポンス」と言われ、ちょっと気を良くする。
反省かたがた、レジュメの訂正(もう遅いって)。
p5.キャプション  大日本早引再見絵図 → 大日本早引細見絵図
p6.真ん中あたり  3月8日~4月8    → 3月8日~4月8
p6.下から2行目  狂言師儡師 → 狂言師儡師
こんな所(↑)で話していても馬脚が露呈。

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産直 学園祭

2009-10-28

午後から会議が連続。構内を走り回る、走り回る・・・。

分厚い資料群の中にモノクロコピーが1枚、目に留まる。
11月1日(日)~11月4日(水)まで学園祭である(11月4日は創立記念日)。お笑い芸人やシンガーの来校、模擬店など、構内を走り回っているだけでも、プログラムの予想がおおかたできる。

ところが、そのプリントには「地域連携自治体が学園祭集結」とあって、各自治体が出展をするという。パンフレット配布だけのところもあるが、試食・試飲もあって、さながら「産直市場」の様相。写真からみて、昨年もあったようで、添えられたキャッチコピーは「ご当地自慢が集まります!」。

11月1日は、レモングラスなど特産品販売とレモングラスハーブティーの試飲(佐賀県武雄市)、若狭塗り箸の販売(福井県)、特産品(梅・いちじく)を使ったジャムの試食販売(京都府城陽市)。
11月3日(2日は自治体が公務日)は、名産品・市バスグッズの販売(高槻市)、黒豆パン、松茸ご飯販売(丹波市) 、新米・清酒・有機野菜の販売(加西市)。
吹田市や池田市、明日香村はパンフレットや紹介のみ(と読み取れる)。天神橋筋商店街も学生の模擬店(粉モン系)とバッテングするのか、パンフのみ。
頑張る自治体とそうでない自治体の差がありあり。大学院も通常通り授業などせずに、パンフレット配布や各種相談コーナーを設ければよいのに。

学園祭も様変わり。

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卒業アルバム写真

2009-10-29

今年の ゼミ生 は元気である。
「センセ、卒業アルバム写真、撮らへんのですか?」と。以前、打診した折には「まぁ、1カットだけの卒業アルバムを買わないといけないので、卒業式の時に、記念写真を撮るか」ということでその場は収まったのだが、どうも気になる様子。

はい、12月第1週目の授業、10分遅れで博物館前にて集合です。
“卒論もほぼ完成し、悠々自適で毎日をお過ごしのことと思います”なので・・・。

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DNA

2009-10-30

午前中、小磯記念美術館「宮本三郎展」展へ。 別に隠すつもりはないが、美術講座の「取材」である。
なぜ、アンタがそんな話題で、といぶかる向きも多いが、それは、また後日に“告白”。

展示は留学・従軍・戦後期の3つに分かれる。記念碑的作品として「婦女三容」(1935年)、「山下・パーシバル両司令官会見図」(1942年)、「飢渇」(1943年)、「海軍落下傘部隊メナド奇襲」(1943年)、「死の家族」(1945-55年)、「人間群像」(1955年)など。
鉛筆を借りてせっせと「取材」。

折しも小学生の団体。紙片と色鉛筆をもって気に入った作品をスケッチ。
はぁ?引率の先生は展示作品とスケッチする生徒を交互に見ている。ぼぅと作品を見てないで、でたらめでもいいから作品について語ってやれよ。だから大学生になっても“作品を語る”ことができないのだと憤慨。
大作「海軍落下傘部隊メナド奇襲」を一生懸命に写す児童たち。異様な光景。

困惑しながら見ていると、後輩(女性)とばったり遭遇。旧交を暖めつつ、心落ち着けて、件の印象を話すと、さすがに「バカ」とまでは言わなかったが、「男の人のDNAです、戦争好きは。」とばっさり。
よく見ると、「海軍落下傘部隊メナド奇襲」の前に陣取っているのは、男の子ばかり。紙を覗き込むと、飛行機、落下傘のみをクローズアップ。女の子はモネぽい「風景」やターナー風の「風景 帆船」。「少年航空兵」をスケッチしていても青い空とイケメン風の風貌だけ。思わず納得。
そういえばアーミーマニアも男、戦車やゼロ戦、戦艦大和のプラモデルも男向けである。

展覧会の趣旨とは大きく違うが、プラモデル・パッケージの「オタク」(予備軍)に憤っても仕方ないかと、諦観。

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正倉院展

2009-10-30

紙面?の都合で、今日はもうひとつ。
事務の方と雑談のなか「センセは、もう“正倉院展”へは行かれましたか?」と。
いやぁ、ま、そのうち・・・。

隠れた自慢話で大変恐縮ながら、「正倉院展」に限っては、小学校6年生から20年近く毎年通って、今ではもういいか、という思い上がりと錯覚がある。

初めての正倉院展は、昭和47年。(左のグレーの表紙:麻布菩薩)赤銅柄香爐から漆皮箱まで61点。もちろん、本館で展覧。図録もオールモノクロで32頁。経典とか袋には写真が添えられていない。そのうちほぼ全ての写真が掲載され、口絵に1枚だけカラー図版も(右上:螺鈿琵琶)。76点42頁。
1977年あたりではカラ―図版が4点に増え、100頁あまりに進化。1980年頃(中央上)になると150頁で写真は内部で白黒とカラーが混在。1981年秋には、昭和天皇80歳記念で東京国立博物館にて「正倉院展」が開催(左中:銀表紙)。慶賀の意を含む「人勝残欠」を筆頭に143点が出品。これはチケットにも使われた。ここで10年目。
そろそろ2度目の作品も登場。平成に入ってもB5版で、白黒写真とカラーが混在。部分図やアップも掲載される。
書架をざっと見たところ平成3年あたりで途切れている。77点、136頁。最新版は平成10年(左端)。A4版でオールカラー。

20年も通えば大体の作品を見ることが出来る、と思ったりするが、いつも初公開の作品が含まれている。ま、そのうち行こうと思いつつ、昨今は大々的に広報しているので人も多いだろうと嘆息。
ちなみに昭和47年の正倉院展は「初デート先」。ませたガキである。

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まーさん

2009-10-31

沖縄ゼミ旅行。今年も総員16名からなる3個大隊による1連隊。8:10 ANA1731便にて那覇へ。
昨年からもう丸1年。早いことしきり。

那覇到着後、半袖となり、荷物を預けて国際通りへ。曇がちながら気温28度、亜熱帯の風が吹く。各人昼食を兼ねて自由行動。行き交う人のほとんどが半袖姿。風土の違いに順応できていない学生たち。無理もない・・・。

ここは“ショック療法”とばかりに学生を引率し「市場通り」の路地裏へ。まずは、腹ごしらえ。大衆食堂ぽい所へ。
「ごーやちゃんぷる」には普通の汁物に加え「中味汁」「イナムルチ」からのチョイス、「ソーキそば」は「もずく」or「ぜんざい」、ご飯も「白飯」「あずき(赤飯)」「玄米」からのチョイス。もずくとぜんざいのチョイスってどうよ、といいながら、「まーさん」(おいしい)と完食。「くわっちーさびたん」。
その後、第一牧志公設市場を見学。足テビチ(豚足)あたりは想定内ながら、イラブチャーやミーバイの“熱帯魚”や食用ブタマスク(チラガー)、サングラスかけたブタの頭など、徐々にうちなーに順応。

再び集合し、ゆいレールで首里へ。久しぶりに円覚寺址を見学後、首里城。外壁半分は現在修理中。中庭では「首里城祭」で「獅子舞」の上演。
定番の首里城解説(解説は昨年とあまり変らず)をした後、ぐだぐだと見学。南殿では、薩摩の絵師木村探元の原画による「中山花木図」写本が展示。写本は西尾文庫等のほかハワイ大学にも。

途中より雨も降り出しコーヒーショップへ。ここでは米ドルも流通。本日のレート1$=85円。予報では、この3日間の天候は思わしくない・・・。

雨もやみ、「金城の石畳道」を通って夕宴会場へ。
雨上がり、夕暮れ、石畳、下り道、滑る滑る・・・。
本来は中庭で亜熱帯の夜風を受けてのまったりした酒席ながら今宵は「離れ」。この蒸し暑さでは、むしろ良かった・・・。
「海ぶどう」や「島らっきよ」「ラフテー」「ミヌダル」等のうちなー料理に舌鼓。
「おいしい」「まいぅ~!」と箸を伸ばす学生たちを見ながら、なんだか自分の娘たちをみるよう・・・。
3個大隊なので宴たけなわながら自己紹介。とある学生曰く「うちのお父さんはハセセンセと同い歳です・・・。」むぅ、やっぱり。

その後ホテルに行き、部屋割りをして解散。当初の予定では明日は離島行ながら、天候不良にて、ロビーで急遽、隊長会議。

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