日々雑記


東病棟368号室

2009-1-5

遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。本年もなにとぞ宜しくお願い申し上げます。

さて年末年始の休みを迎えて気が緩んだのか、はたまた海外逃避のバチが当たったのか、大晦日朝に猛烈な腹痛に襲われ、堪らずに救急病院で診察してもらうと《急性腸炎(腸閉塞の疑い)》との診断で、即入院という事に。

「海外渡航」ながら家人たちはまったく異常なく、ひとり、「点滴」とともに病院で正月を迎えることになり、見舞いの娘たちからは、
「正直に言うてみぃ、(ヌメアで)ひとりで何、食べた?」と疑われる始末。
もちろん心当たりはない。

3日午後から24時間の「外出許可」が出たものの、書きかけの年賀状などで終ってしまい再び病床へ。
本日再検査を受け経過良好とのことで、夜にようやく退院。
結局のところ、原因はよくわからない。

回復したものの、身体が病院食に慣れたのか、食事量は以前の半分、酒量も激減。ちなみに元日の昼食は小豆粥220g、ブリの照焼、煮しめ、だて巻、かずのこ、フルーツ、雑煮〔餅なし〕と正月モード。ごく薄味“風味仕立て”が基本の病院食でのブリ照、煮しめとはこういうものかとも。

まだ倦怠感が残るが外では既に初仕事も済み、今日、退院できたことにひとまず安堵。

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初仕事

2009-1-6

小春日和のなか大学へ。卒論の学生数名来室。

構内裏手にナンテンの実がなっている。初詣も出来なかったゆえになんとなくすがる思い。

頂いた年賀状(非研究者)のなかに近世仏教美術が世間で認知されないのは何事かと、憤慨ともハッパともとれるコメントがあった。以前に比べるとずいぶん認められたほうだと思いつつも、初論文の時に指導して下さった方が、50年先の叩き台となるように励みなさいと基礎研究の重要性を示唆して頂いたことを思い出す。

天の邪鬼の基礎研究といえども、なかなか昨今の大学では難しいことも実感。即席ラーメンならぬ即席業績はどうにも危ういし、性分にも合わない。
シラバスをささっと書きながら、慣れてきて余裕のできた時間だけでも、徐々に研究にシフトしないといけないと、年頭の誓い。

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経験者優遇

2009-1-6

我ながら呆れるが、新聞の《求職欄》はいつも欠かさず見ている。
タクシーの運転手やビルメンテナンス、営業企画などあらゆる業種の求人が正社員、アルバイトを問わず掲載されている。ここ数年「実は私もそうなんです。」と告白する知人(正社員)もあって、酒宴のネタになるほど、意外と楽しみ?にみている人も多い。

職種によっては「2種免許」や「電験3種」の資格を要したり、経験者優遇のところもある。初心者だと業務に支障をきたすからである。もちろん給与はやや高いが、ゲームの〔ドラクエ〕ではないが、武器(免許・資格)を持っていても経験値が低ければ、どうしようもない。

知人から「見てください」と知らされた某博物館での学芸員採用の情報。
経験者限定、昭和24年以降に生まれ(60歳以下!)、実技試験あり。
首から職員証をぶら下げたまま、あるいは胸ポケットにペンを刺したまま、資料を扱う者もいるなかでごく当り前の試験内容だと思う。
経験者優遇。大いによろし。

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ひとまず無事に

2009-1-9

昨日、今日が卒論の提出日。
授業も始まったものの気が気でなかったが、ひとまず無事に。
毎年のことながら・・・。
後は口頭試問にて。

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車争図屏風

2009-1-12

年末メモから。
関西国際空港国際線到着エリアに京都市歴史資料館蔵《源氏物語車争図屏風》のレプリカ。
「和の演出」ということと、昨年からの源氏物語千年紀とも関連しての展示だろうけれども、窓側のスポットに並ぶ旅客機を車に見立てると、内容が内容だけになかなか意味深な展示に見える。
いつも苦境が伝えられる空港会社のなかにもオモシロイことを考える社員がいるものだと感心する。

残念ながらウィングシャトルへ急ぎ、この前で立ち止まる日本人は少ない。これからパリ行に乗継ぎされる碧眼の老夫婦としばし拝見。
そうか、「車」とは飛行機ではなくて帰国する人たちだったのかとも。

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美術総合雑誌『日本美術工芸』

2009-1-15

授業曜日の変更もあり散発的に授業やら会議やら。
細切れの時間(待ち時間)が多く、何をするにしてもなんとなく落ち着かず、ふと書架にある『日本美術工芸』を読む。

発行は梅田阪急百貨店内にあった日本美術工芸社で、12年前(平成9年)の1月に700号をもって休刊した美術総合雑誌。書名にある日本のみならず、東洋、西洋、現代芸術などあらゆる分野にわたる論文や連載をはじめ、書評、展覧会紹介など、若手、重鎮を問わず第一線の研究者による本格的な内容が毎号紙面を飾っていた。

400号あたりからのバックナンバーがあるが、専ら古書店で端本として漁ったもので不揃いが多い。裏表紙端には鉛筆で¥50.などと書かれており、喫茶店でのコーヒーが250円ほどの頃だから、いくらでも揃えることができた。
いくつかの連載は単行本になって今でも読むことができるが、単行化されずに終わった貴重な連載(新しいところでは《障壁画の旅》など)もあり、また今日では著名作家の当時の評論もうかがうことが出来、関心はつきない。
残念ながら総目次が刊行されなかったが、欲しいと思う研究者?も多いかもしれない。シラバスは、書いたものの、学生28人を使うと1人25冊、1年ちょっとで総目次完成。下手な授業(演習)よりもよほど実りあるものとも思うのだが。

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乱数表

2009-1-16

朝より某先生と共に卒論の口頭試問の時間割編成作業。
これまで他の先生が“神ワザ”のように組んだ時間割を見ながら、「今年は16本(の論文)!」とか「(次の休憩まで長いので)ここが山場!」などと勝手なことを言っていたのだが、今年は、事情により編成作業に参加。
これも専修代表者会議委員(≒学科主任?)の仕事。

出来上がった一覧表からは単純な順列・組合せのようにみえるのだが、意外に難しい。
3専修合同しての試問で、提出論文数×3÷教員数=1人あたりの担当論文数。
口頭試問は3~4室で同時進行。主査(指導教員)となる本数はまちまちながら、副査を含めた総数はもちろん、休憩時間数も出来る限り平等でないといけない。
論題や時には内容をみながら相談のうえ第1副査と第2副査を決定。総数はあくまで平等に・・・。

スタメンが決まったのち「A先生に休みを取ってもらうためこの試問をこの時間帯に」と移動交換。しばしば移動先の別室では既に主査や副査として試問されていることも(パソコンの画面上)。
全てのダブル・ブッキングをようやく解消して、各時間帯で休憩できる教員が確定。この時点で、既に疲れ果て、主査で試問中ながら休憩されている先生もちらほら(画面上)。
また、画面上では10本連続で試問される先生もいるので、時間帯を移動して休憩の間隔を均す。夕方遅くの試問が突如午前中に繰り上がることも。
・・・と、日も暮れた頃にひとまず完成。

その後も提出レポートの採点など。

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センター試験

2009-1-17

今日・明日とセンター試験ながら、図書館も開館しており大学にて終日仕事。
臨時の喫煙所も設置されていたが、さすがに不要のようで・・・。

夕刊では福井大学会場での国語で1分早く終了したことが話題に。
わずか1分ぐらい・・・と思うのだが、受験生にとってはそうではないらしいとやや同情しつつも、続く
この教室での受験生のコメントに唖然。
「一生を決める試験でこんなミスはしないでほしい」
センター試験ごときで一生が決まるか!
こういう学生はうちには来ないだろうし、また来てもいらんなぁというのが実感。
もとより受験と授業とは違うが、大学の講義を毎回チャイム1分前に終わると、別な意味でクレームやら指摘(授業評価アンケート)やらが来る。

人の一生は棺の蓋が閉じられてから決まるのである。
高校生でもそのくらいの事はおぼろげながら理解できそうなものなのに。

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洞山渡水

2009-1-18

書くのも憚られるが、なぜ「曹洞宗」というのかを知る。
晩唐の山良价と彼の弟子である山本寂を祖としたから。
達磨大師より禅の正統を受け継いだ洞山良价が行脚の途次、川を渡った際に川面に映る自分の影を見て豁然と前事を省し、大悟する。
「洞山、這岸を離れて未だ彼岸に至らざる時、水に臨みて影を覩、大いに前事を省し、顔色変異し、呵呵底に笑えり。」(『祖堂集』第五)
馬遠 「洞山渡水図」(東京国立博物館蔵)が有名。

知らないこと、多すぎ・・・。

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身色は緑

2009-1-21

授業が終了しても各種論文が積み上がる。恒例のことながら、1日1本読んでも期限に間に合わないが読まねばなるまい。
困ったことに読んでいると、ふと、いらぬことを考えてしまう。しかも執筆者にとっては唖然とするほど想定外の事で・・・。

今日も読みながら「なんで風神像の身色は緑なんだ?」と。
いかん、いかん、と思いながら気になって仕方ない。休憩かたがた5分間だけ調べる。
琳派の風神雷神図はもとより日光東照宮(←)しかり、三十三間堂しかり。禅林寺本は不明、果ては莫高窟まで至って、249窟壁画の風神と思われる「烏獲」でようやく肉色?。
でも、すぐにはわからずじまい・・・。

学部学生ではないけれど、当たり前と思っていたことが突然疑問に思い、当たり前に思わなくなると、他人様より知識が不足しているのか、まったく未解明のことなのかの分別がつかず不安に思う。根拠のないネットや雑書がそれらしく見えたりもする。
「素朴な疑問ほど大論文になる」と仄聞するが、なかなか勇気のいることだと思う。
時間が過ぎてしまった。

さて、口頭試問では雑書からの引用を指摘しようか、それとも想定外の質問をしようか?
どちらがいい?

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試験

2009-1-22

午後、小雨のなか筆記試験のため坂を下る。私の担当科目。
試験本部に行くと、事務方が「ハセセンセ、ちょっと・・・」。むぅ、またなにごとと、話を聞くと、受験生が50名足らずなので1人で試験監督せよとの由。(通常は事務方が付く)婉曲ながら50名位で筆記試験するなとも受け取れそう・・・。
普段の授業では出席を取らないので(取ると出席票目当ての学生が来て、真面目な学生と授業の妨げになる)、何が何でも筆記試験である。もとより試験には出席していないと解けない問題が多く含まれている。

「何かありましたら、携帯で本部へ連絡してください。」とのお言葉。もちろん、試験の責任者兼監督でもあるので携帯なんか持って来ているわけがない・・・。
もし試験中に学生が気分が悪くなって「く、苦しい~」などとなれば、どうしよう?とやや不安がよぎる一方で、同時多発的にカンニングや暴動!?が起これば対応できないじゃないかとも思うが、学生を疑ってはイケナイと思い直して「ま、何とかなるでしょう」と脳天気な返事。

教室に行き、注意事項など所定の所作を済ませて試験開始。
見慣れぬ顔も多く混じるなか、気分が悪くなった者もおらずもちろん暴動も起こらず無事終了。ただ後方の女子学生からさかんにメンチを切られていた(ガンを飛ばされていた)が・・・。(皆、答案用紙に向っているために教壇に立つと頭髪しか見えないのに、ひとりだけ顔を上げたままキョロキョロしているので、いやがうえにも不審で目立つ。こちらもしばしば凝視。)>答案用紙の枚数を数え試験中にカウントした受験者数と一致していることを確認して退室。
ところが、傘立てに置いた傘がなくなっている。試験中、強く降りだした雨で誰かが持っていったようである。仕方なく、答案用紙の入った箱を濡らさないように上着を被せて本部へ返却。

強い雨のなか、坂を駆け上がる気力も失せ、ずぶ濡れになりながら研究室へ。
憤りを通り越して、いいようもなく虚しい気分。

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プレ・スチューデント

2009-1-22

午後より第2回プレ・スチューデントプログラム(入学前教育)。
他の先生と同様、ここ数年来担当だが、1回目はやんごとなき事情にて代理の先生にお願い。
今年も様々なプレゼンテーションが披露される。
自明であるはずのことが発表を通した質疑応答によって自明でなくなる・・・というのが眼目。
知識は問わず、である。

知っているテキスト・素材もあれば、知らぬものもあり。
さすがに発表者から「《AxisPowers ヘタリア(Hetalia)》を知っている人?」と問われて、ひとりだけ勢いよく挙手したのはまずかった・・・。
「どうしたん?最近のゲイビ(=あんた)は?」と不審がられることしきり。

しかしどうして毎年、男子学生は後ろで並んで座るのだろうか。余計目立つのに不思議。

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偽装

2009-1-25

朝より大学。筆記試験やレポートの採点等々の雑務。
全学共通リレー講義分担のレポートは殊のほか早く終了。

ひと通り読んでみると、かなりのレポートに「シルクロード」とか「源氏物語」など、設問とはおよそ無縁に思えるキーワードが登場。しかも同じ文章。もちろん講義にはなかった内容。
そこで、試しにテーマ〈タイトル1〉をググってみると、はい、Wikipediaに解答がありました。
赤鉛筆をマーカーに持ち替えてWikipediaからの引用部分に引くと、殆どがA41枚程度のレポートの冒頭か末尾の1、2行だけが提出者の文章と相成った次第。
そこでテーマ〈タイトル2〉もググると、あらっ、Wikipediaの解説は短く、到底字数に足らない・・・。
そこではたと考え(外部リンク)先から適宜、コピペして不足字数を埋めた・・・。
当然、全員【不可】。
もちろん誤字脱字ながらも自分で文章を考えて書いたレポートは一応、合格点。

ま、3月末からの成績発表では「成績評価に対する疑義」ということでクレーム?も多数来るだろう、ひょっとしてその保護者までもが・・・。
「規定の字数どおり書いたのになぜ【不可】なのか」と。

こういうのを世間では「偽装」という。あるいは「不正表示」とも。
書いたようにみせかけてネットからコピペしただけである(ご丁寧にハイパーリンクのアンダーラインまで残っているものもある)。
こういう連中が食品会社に入社したらと思うと、ぞっとする。
「あきれた○○社〔学生〕、営業自粛〔不可評価〕後も牛肉〔コピペ〕を出荷〔で提出〕」
「産地偽装〔コピペ〕は誰でもやっていることと弁明した社長〔学生〕」
「企業防衛〔単位習得〕が勝手な理由で、偽装〔コピペ〕を計画する社長〔学生〕達」
見事な対応関係。
権利や自己主張からのクレームもよいが、まずはマーカーだらけのレポートのいったい何処に自分で書いた文章があるのかを説明してからだな。
これでクレームが来ると思うこと自体おかしいのだが、コピペを不正と思わない者がいる現状では、やむをえまい。

レポートとはいえ「レポート試験」なのだから、「不正行為」は0点である。他科目の試験が不受験になったとしてもおかしくはない。
こういう学生ばかりでないことも事実で、その分救いではあるのだが。

それにしても格差が著しい。

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文化財指定

2009-1-26

某市にて文化財審議会。
指定候補物件の答申。歴史資料のほか仏像も。開催前に見学会も開かれる。

委員の方から後補等の質問を受ける。何でまた・・・と、いぶかりながら口頭で答えながら改めて説明書をみると、作成した調書〔形状、構造、後補、制作年代、説明〕が添付されていない。こちらの事前チェックミスでもあるが、調書と指定説明書を別立てにするなど、親切すぎるのもやや問題であると反省。
事務局かたがた慣れぬことも多いが、ともかく無事指定の答申。
後は市民にその大切さをどう周知するかの仕掛けが必要。議員対応もあるとの話だが、残念ながら彼らの多くは文化財にはあまり関心がない・・・。雪松に囲まれた社の板絵をみながらそう思う。

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とある美術館にて

2009-1-27

ガテン系の同級生が昨春に美術館へ異動になったことを聞き、また「ご相談ごともあって・・・」と仄聞したので、午後、慰労?かたがた出向く。
全く畑違いの職場でさぞ困惑・憔悴していることだろうと思ったが、意外にも順応しており、ほっとする。
「物静かで何も語らない作品に語らせるのがこの仕事」と利いた風なことも。

一緒に展示場をまわりながら「中宮寺弥勒」や「広隆寺不空羂索」のスケッチを発見。作家の若い頃の作品。「東京美術学校の夏休みの宿題みたいなもんやな、これは。」と与太話を向けると、「何、それ?」と興味津々のご様子。やっぱり、変わった・・・。

「ま、困ったことがあったら・・・」と思ったが、プロパーの方、バンバンこき使ってやって下さい。
実は、一番困惑しているのは、プロパーのひとり(後輩)。意外?な関係を知ってオロオロ・・・。

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入口と出口

2009-1-29

大学構内は受験番号が記された矢印の立看板が立ち、塩カリの袋も置かれて、2月1日からの入試準備も万端。

昔は入試といえばこの2月入試ぐらいしかなかったが、各種入試の影響で受験者も減少しているとの由。複数校受験して、入学するのかしないのかが微妙な受験生よりも入学率の高い各種入試のほうが経営上もなにかと安心できるということである。
これが入口。

さて、出口。
世間では「学生の採用内定取り消し」が話題となっている。ひと頃前まで、ひとりで「内定」を3社も4社も貰っていることを不思議にも思わなかった。確かに1社に絞った時期より後に「内定取り消し」になる、あるいは某社1社のみを目指して内定を得た学生にとっては可哀想とは思うが、これまで内定を出しても「自己都合」で入社してこなかった元学生も数多く存在するはず。
今だから話題になることで、入口と出口の構造はとてもよく似ているように思える。

厚労省が「採用内定取消し企業名の公表」といっても、内定通知を法的誓約書と引き換えに出す、あるいは内定を出さずにずるずると引き延ばす、入社後の社内教育を経て「試用期間」13日目で、バッサリ解雇する、など抜け道はいくらでも考えられる。真面目な学生ほど、憂き目に遭う可能性も高くなり、あまり効果は期待できない。

円高不況の折に就職した中年オヤジとしては、「派遣切り」と「青い鳥症候群」との関係もそうだが、同情しつつもなんとなくすっきりしない。

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造り手の苦労

2009-1-30

午後より雨。出勤途中に私用で造り酒屋へ立ち寄る。
「雨傘はここへお入れください」との札が掛けてあって、入れそうになるもやや躊躇。取っての中央が丸く窪んでおり、酒造用具である「暖気樽」の再利用である。タガを巻いているが「桶」ではない。

昔、酒造用具を借用に行ったが、手元には名称の棒リストしかなく右往左往したことをふと思い出す。
「ぶんじ」「きつね」「強飯掠」等、名称をみただけでは皆目、その姿を想像することは難しい。先方にその用途を教えていただきながらの借用であったが、おかげでどのようにして日本酒が造られるのかを理解。

食品にしても、それがどのようにして出来るのか、なかなか知らないことも多い。産地や生産者の顔がわかって安心したりするが、基本的な理解もままならないことも多くあり、道具を通して初めて生産者の苦労を思い知ることもある。

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日帰り

2009-1-31

慌しいとはいえ今月の見学は散々。明日からは入試も。
むぅ~。
早朝に思い切って(思い立って)、見学。

昼前に東京・丸の内OAZO:丸善での「引き継がれる仏教美術展」(主催:立正大学仏教学部)に出没。
学生や社会人受講生による模写・模造・模刻展。「作品理解」には全体像はもとより細部に至るまでよく観察しないとイケナイことを、実技を通した内容&試み。

一角には同大学「仏教文化財修復研究・実習室」のコーナーも。
同大学は「立正安国論」に由来する日蓮宗の大学。修復を終えた日蓮宗寺院の多聞天像と日蓮聖人像が展示。
多聞天像は頭部が小さいながら量感、動勢もあって17世紀後半~末の京都仏師による作品。顔色の青は、スマルト(コバルト+カリガラス)という人工顔料との由。彩色も色々な分類があるものだと感心する。
日蓮上人坐像は、胸・腹とも量感が少なく体型も直角で、18世紀前半から中頃の作品と思われ、この像の修理報告等も配布。像底写真を見ればすべり留めの板材の痕跡があったり、いびつな木寄せからは地元仏師か江戸仏師の作のように思える。
その他にも色々と思うところあり。
傍らに置かれたその他の修理報告書をみていると、なかに某寺山門上の宋風釈迦如来像が掲載。一見古い作品にみえるが、像内には正保2年(1645)10月、七條大仏師兵部■(卿?)康與作の墨書銘。静岡・鉄舟寺仁王像作者のもうひとりは康與だったのかと。
再び修復作品のケースを眺めていると横でも同じように眺めている人がいる。見れば美術院の藤本所長。3時から平等院神居文彰住職とともに講演会とトークライブを予定されている・・・。
もうそんな時間かと思い、許可をもらって会場入口を撮って、退出。

その後、地下鉄で江戸川橋に出て神田川沿いに永青文庫へ。
2階に上がると、金箔の残る石造如来坐像(唐)。背面までじっくり。仏像の前に立つと頭上には滑車があり、床面には蓋板状になっている。ここであまりアホなことを考えると、床が抜け落ちる・・・というのはウソ。細川氏の邸宅ゆえ重量・大型物を2階へ運び込む工夫か。

「源氏千年と物語絵」展。とはいえ、専らの関心は絵巻物。
北野天神縁起絵巻(室町)では、伴大納言絵巻と同じように子供の手を引いた親爺がよその子供を蹴っている・・・。
《長谷雄草紙》。紀長谷雄が男(鬼)に誘われ朱雀門へ向う場面。右端の店では店内に草履と鳥をぶら下げ、見世棚には魚が並び、赤子を背負った女性が買い求める、コンビニ風?の店舗。牛馬のいない車の韓(ながえ)に猿が繋がれているのはわかるものの、戸口いっぱいに坐すメタボな男性はいったい何者なのか?姿勢といい、メタボな体型といい、宇治・萬福寺の弥勒(布袋)とそっくり。右手には棕櫚団扇を持っている。まったく興味深く面白い画面である。
《吉備大臣入唐絵巻》や小説「羅生門」をもちだすまでもなく、門の上には鬼が住み、後ろめたい事(双六賭博)をするのもやっぱり門の上かとも思ってしまう。

十二類合戦絵巻や申陽洞記絵巻(狩野派?)も楽しく拝見。《秋夜長物語絵巻》には、ちょっと驚く。叡山の僧桂海(瞻西上人)の「稚児物語」。男色がもとで、三井寺と叡山の対決へと展開・・・。
別室では白隠や《聖賢図巻》など。今村紫紅《八戒・三蔵・悟空》の三幅対もユニークだが、下村観山《一休禅師像》は画面から飛び出さんばかりの迫力。目録にはないが、梅原龍三郎《紫禁城》は現地の雰囲気がよく出ており、大原美術館《紫禁城》よりも素直な感じ。北京飯店5階からの眺望との由。中村岳陵《魔女》は四天王寺金堂壁画下絵からのスペシャルバージョン。

閉館も近づき、東京駅へと向う。大満足の1日ながら、《秋夜長物語絵巻》が気になって仕方ない。
駅前の大型書店で、丹尾安典氏『男色の景色-いはねばこそあれ-』と、たいへんお世話になっている石田美紀先生の『密やかな教育-〈やおい・ボーイズラブ〉前史-』を購入し帰途へ。(すみません、車内で読むのでカバーを付けて貰いました・・・)

なるほど、それで「梅若」なのか・・・。

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