Part3

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KSつらつら通信 Part1

KSつらつら通信 Part2

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<目次>

第93号 ペットからファミマルへ(2002.11.1)

第92号 日本が拉致?! (2002.10.25)

第91号 「平成の大合併」より「平成の大分割」を!(2002.10.12)

第90号 「八方美人」と「愛想笑い」(2002.9.6)

第89号 「地球防衛家のヒトビト」(2002.9.6)

第88号 便利な生活の行き着く先は……(2002.8.21)

第87号 気になるCM(2002.8.13)

第86号 恋をしようよ、男の子!(2002.7.10)

第85号 やっぱり仏像はお寺で見たい(2002.7.7)

第84号 「ニッポン、チャチャチャ」と「一気飲み」(2002.7.1)

第83号 1枚の地図から(2002.5.12) 追記(2002.5.13)

第82号 サッカー日本代表を選ぶ(2002.5.4)

第81号 日本休日制度改革案(2002.4.27)

第80号 『利家とまつ』に異議あり(2002.4.20)

第79号 TEZUKALAND(2002.4.18)

第78号 人生の先達の役割(2002.4.11)

第77号 ささやかな幸せ(2002.4.3)

第76号 新・大衆の時代(2002.4.3)

第75号 温泉の魅力(2002.2.21)

第74号 オリンピックより国会の方がおもしろい(2002.2.20)

第73号 賢さとは?(2002.1.19)

第72号 お正月はやっぱり年賀状(2002.1.5)

93号(2002.11.1)ペットからファミマルへ

 「ロンドン便り 番外編」(199号参照)にも書いたことですが、どうも「ペット」という言葉がひっかかっています。日本語では、「愛玩動物」と訳されるように、ペットとはかわいい存在でありさえすればいいというイメージがあります。現在、室内で飼う小型犬に人気があるのも、犬がペットと考えられるようになってきたからだと思います。もともと、犬は「狩猟犬」として人間とともに暮らすようになり、つい30年くらい前でも、主として「番犬」としての役割を果たすものとして位置づけられており、「ペット」という言い方にはなじまない存在でした。それが、だんだんかわいいだけの存在になり、かつて猫が果たしていたような役割(ソファーの上でごろごろしてたり、ボールとじゃれついているような愛らしい仕草を見せる)を果たすようになってきています。こうした変化を、私は「イヌのネコ化」と呼んでいます。

 もちろん、ペットとしての犬というあり方がいけないということではないのですが、すべての犬があるいは人間と暮らす動物が「ペット」と呼ばれ、かわいいだけの存在になるのは、どうなのだろうかという気がします。時として、犬や飼育している動物だけでなく、子どもも「ペット化」されていないだろうかとふと疑問に思ってしまいます。子どもも動物もしっかりしつけて、TPOに応じた行動のできる存在に成長させなければいけないのですが、かわいいペットでいてほしいという気持ちが強くなると、しっかり成長させるより、ともかくかわいいままでいさせようとして、しつけが甘くなってしまうのではないかと心配です。そこで、何でもかんでも「ペット」と呼ぶのはやめ、「ファミマル」(Famimal = Family + Animal)という呼び方も使ってみたらどうかと思うのです。多くの人は、長く一緒に暮らしている動物に対して家族の一員だという気持ちを持つという話から発想したのですが、家族の一員であれば、ただかわいいだけでなく、家族という集団の中でそれなりの役割を果たさなければなりません。また、かわいく思えなくなったペットが捨てられるなんてこともしばしば生じていますが、これも家族の一員、ファミマルだと思えば、そんな冷酷なことも簡単にはできないでしょう。単なる言葉の言い換えで本質的な問題ではないと主張される方もいるかもしれませんが、言葉ができることによって、現実の事態が変わることはしばしば起こります。(たとえば、「嫌煙権」や「セクハラ」など。)何でもかんでもペットと呼ぶのはやめ、ファミマルと呼ぶようにすることによって、動物に対する接し方や価値観が変わる可能性は十分あると思っています。

92号(2002.10.25)日本が拉致?!

 北朝鮮に拉致された日本人5人の処遇に関して、日本政府は家族の希望を入れ、北朝鮮に帰さないことを決めましたが、私はこの措置に非常に疑問を感じています。なぜ、本人たちの希望を聞かないのでしょうか。彼らは5人とも子どもの待つ北朝鮮にとりあえずは帰りたいはずです。それが普通の親の気持ちです。いくら彼らがそうしたいと主張しても、家族や政府は、彼らは本当のことが言えない立場に置かれているからと勝手に解釈して、日本に留めようとしています。でも、これはおかしいですよ。親は子どもたちのことを何よりも案じるものです。いくら、その親や兄弟の愛から出たことだといっても、40歳を過ぎた子どもの意思を無視して自分の愛情を押しつけるのは間違っています。北朝鮮にいる子どもたちは、みんな日本に来させればいいと言っていますが、彼らは北朝鮮で朝鮮人として育ち、朝鮮語しか使えないわけです。2つ返事で「日本に行きます」なんて言えるわけがないじゃないですか。このままでは、親子生き別れになってしまいます。もちろん、5人が北朝鮮に連れて行かれた経緯から言えば、日本に帰ってくるのが当然ですが、蓮池薫さんの「俺の24年間をすべて否定するのか!」という発言によく表れているように、彼らは彼らなりに自分の境遇を受け入れ、そこで生活を作ってきたのです。それを全部否定し、行動の自由を制約するなら、彼らは2度目の不幸な拉致に合ってしまったようなものです。まずは、北朝鮮の子どもたちのところに戻り、すべての経緯を子どもたちに話し、その上で北朝鮮に住むのか日本に住むのかを決めさせてあげるべきです。もしも、子どもたちが自分は朝鮮人だという強い意識を持ち、北朝鮮に住みたいと言えば、その親である彼らも北朝鮮に住み続けることを選ぶかもしれません。国交を正常化し、自由に行き来できるようにするならば、それでもいいのではないかと思います。住み始めた経緯は違っても、血筋的には日本人でも、アメリカ国民として生きることを選ぶ2世はたくさんいたわけですから、彼らの子どもたちも日本に住みたいと思うかどうかわかりません。日本の世論は、北朝鮮は食料もない自由もないひどい国なのだから、みんな日本に住むのがいいに決まっていると信じ込んでいるような気がしますが、「住めば都」という言葉もありますし、日本がそんなに住みやすいすばらしい国がどうかもわからないと思います。ともかく、5人は一度子どもたちの所に帰してあげるべきです。それを政府も家族も邪魔をすべきではないと思います。

91号(2002.10.12)「平成の大合併」より「平成の大分割」を!

 現在、各地で市町村合併が進んでいます。核になる市に周りの町村が編入されるケースが多いですが、大型合併で新しい市ができたケースもあります。昨年1月に、田無市、保谷市が合併してできた「西東京市」、5月に、浦和市、大宮市、与野市が合体して「さいたま市」などが比較的有名でしょう。これから予定されている合併の中には県を越えての合併もあります。こんなに市町村合併が生じるのは、政府が積極的に市町村合併を推進しようとしているからです。政府が市町村合併に積極的なのは、自治体によっては過疎化が極端に進み、独立した基礎自治体としてのサービスを提供することが困難になってきていることが最大の理由です。合併される側の小さな自治体にとっては他に手だてもないので仕方がないといった感じでしょうし、合併する側の大きな自治体にとっては、財政規模がさらに大きくなり、都道府県からの権限委譲が進むことが期待できるのだと思います。一見すると、政府と自治体の両者の利害が一致していて何の問題もないように思われますが、実は大きな問題をはらんでいると私は思っています。それは、この合併によって、昔から使われ人々が愛着を持つ地名が消えて行きかねないということです。そして、その長期的結果としては、地域の歴史とアイデンティティが失われていくことになるのではないかと危惧しています。政府は、昔からの地名は、自治体内部の地域表示名として残せば十分だと思っているようですが、明治以降の日本で生じてきたことを鑑みれば、事態はそう楽観できるものではないと思います。また、今回の合併で、現在3200強ある基礎自治体が一体どのくらい減るかのか疑問があります。それなりに独立自治体としての自負を持っているところも多いのですから、実際には500も減ることはないだろうというのが、私の予想です。そうであれば、政府が期待しているほどには、事態の改善は行われないでしょう。

 こうした中途半端で効果のない「合併」政策より「分割」政策こそ、今の日本に必要な改革ではないかと私は思っています。分割と言っても、もちろん現在の基礎自治体をさらに細かくしろと主張したいわけではありません。市町村ではなく、都道府県を全部で90〜100程度に分割し、これを新基礎自治体にしたらよいという主張なのです。現在の日本の自治制度は、都道府県と市町村の2層制になっていますが、これは住民にとってあまりうまく機能している制度とは言えません。特に、都道府県という広域自治体が、我々の生活にとって何の意味があるのかよくわからないというのが正直なところだと思います。この範域は、江戸時代まで使っていた延喜式による国名と藩名をベースして統廃合を繰り返してできてきたものです。しばしば、日本でもっとも地方自治がうまく機能していたのは江戸時代だという指摘がなされるように、かつてはそれなりに藩ごとに独立採算でやっていました。藩は約300あり、これを基礎自治体として考えていくこともできるのですが、私としては1000年以上の歴史を持つ旧国名を全面に出す方に魅力的に感じます。藩は江戸幕府の都合により作られた面が少なからずありますが、旧国の方は、日本の地形が生み出したもっとも自然な区分で、はるか昔から日本人はこの範域で主たる生活をなしてきたと言えるのです。この旧国の範域をベースに自治体を考えるのが、歴史を継承し、地域住民としてのアイデンティティを確立する上でも、もっともよいと思います。たとえば、三重県は近畿なのか中部なのか、しばしば議論になりますが、鈴鹿山脈の西側の伊賀と東側の伊勢や志摩を無理にくっつけて三重県を作ってしまったから、こういう事態が生じるのです。旧国の区分に従って分ければ、伊賀は近畿に伊勢、志摩は中部に所属するという風にすっきりと分けられるでしょう。大阪府は兵庫県の東側の一部を含んだ摂津と河内と和泉に分けた方が、文化的にまとまりがよくなりますし、京都府も山城と丹後に分け、兵庫県は播磨、但馬、丹波に分けてみると、ずいぶん地域特性がはっきり見えてきます。

関東より西はほぼこの旧国の区分をベースにして行けばうまくいくと思います(信濃は4つに分けたいです)が、関東以北はかつて大和朝廷からあまり注目されていなかったために、旧国の区分だけではだめでしょう。武蔵国など今の東京都と埼玉県を合わせた範域ですが、こんな広大な範域をひとつの独立自治体にすることは現在では到底できません。東京都だけでも分割が必要でしょう。23区だけで十分独立自治体になれますので、最低でも3つにはしないといけないでしょう。人口の集中度から言えば、もう少し分ける必要があるくらいでしょう。東北も北海道も(そして沖縄も)旧国は非常に大雑把な区分になっていますので、このあたりも丁寧に分けていくと、最終的には100ぐらいになると思います。壮大な地方制度改革案ですが、まじめに考えてみる価値はあるだろうと思っています。皆さんも、自分が旧国名で言うと、どこの人間なのか、そしてその国にはどんな歴史があったのか少し関心を持ってみませんか。とてもおもしろいですよ。

90号(2002.9.6)「八方美人」と「愛想笑い」

 「八方美人」も「愛想笑い」もあまりよい意味で使われていませんが、誰にでもいい顔ができて、たとえ表面だけであってもいつでも笑顔を見せられるなんて、すごいことではないでしょうか。私なんかそういうことが全くできないので、できる人は尊敬してしまいます。誰にだって嫌なことはあるでしょうし、相性の悪い人はいるでしょう。それを相手に感じさせずに、好感をもたれる笑顔をいつも作っていられるなんて、余程自制心の強い人しかできません。私のように「喜怒哀楽」を全部そのまま出してしまうような人間では、絶対得られない称号です。「八方美人だ」とか「愛想笑いが得意だ」と言わる人は、ただ感情を殺しているだけの人ではありません。楽しい顔や笑顔はたくさん見せてくれるのです。今さら、私はそんな人間にはなれませんが、もしもそういう言葉を投げかけられて悩んでいる人がいるとしたら、悩むことはありません。それは、できない人間のやっかみから発せられた不当な批判であって、むしろそういう風に思われていることを自負してもいいぐらいだと思います。あ〜あ、私も生涯に1度くらいは、「八方美人だ」とか「愛想笑いが得意な人だ」と言われてみたいものです。まあ、無理ですが。

89号(2002.9.6)「地球防衛家のヒトビト」

 久しぶりに、朝日新聞夕刊の4コママンガがおもしろいです。しりあがり寿氏描く「地球防衛家のヒトビト」は、実にセンスのよい社会風刺、政治風刺漫画です。関大社会学部の先輩いしいひさいち氏は、朝刊の方で相変わらずよい味を出していますが、風刺のセンスでは今はしりあがり氏の方が波に乗っています。今日の夕刊の4コマも実におもしろかったです。朝日新聞をとっていない方々のために内容を紹介しておきます。(1コマ目)先生「えー、2学期の学級委員を選びたい。誰か立候補する者はいるか?」(2コマ目)生徒たち「はーい」先生「おー、こんなにたくさん。たのもしいな」(3コマ目)生徒A「オマエ、2月の早生まれだろ」生徒B「そうだけど、オマエも3月の早生まれだよな」(4コマ目)生徒A・B「センセイ!!若手は一本化しましょうか?」先生「別にいいよ」

 どこがおもしろいんですかなんて言わないでくださいね。もちろん、民主党の代表選挙を風刺しているわけです。あの摩訶不思議な「若手候補の一本化」を見事に茶化しています。民主党の若手政治家がやっていることは本当にこの漫画と変わりありません。政策的に一致するかどうかではなく、ただ年齢的に近いから一緒にやりましょうなんて、率直に言っておかしいと思わない方が変です。腹を立てた管直人が「若ければいいなら、赤ん坊にさせればいいじゃないか」と言いたくなった気持ちもよくわかります。裏では管直人と仲の悪い熊谷弘が糸を引いていると言われていますが、あやつり人形でもいいからトップに立ちたいなんて輩には、間違ってもトップになってほしくないものです。私は年功序列も支持しませんが、逆に若ければそれだけで価値があるだろうという発想も支持しません。歳をとっていても、きちんとすべきことをする人はいるし、若くたってやるべきことをやっていない人はたくさんいます。政治家には知識や経験が必要でしょうから、ただ若いだけの政治家なんて、価値があるとは思えません。

 横道にそれましたが、とにもかくにも「地球防衛家のヒトビト」はなかなか鋭い漫画です。

88号(2002.8.21)便利な生活の行き着く先は……

 いつも配達してもらっているお米屋さんが休みの時にお米が切れてしまったので、近所のスーパーにお米を買いに行き、「無洗米」と表示された商品があるのを見てびっくりしました。とがず(洗わず)に炊けるお米なのだそうです。うーん、そこまで手間を省きたい人がいるのかと、ある種感動すらしてしまいそうになりました。ちなみに、その時ついでに買ってきた冷凍枝豆は流水で解凍するだけで食べられるというものでした。(ちなみに、私はゆでましたが。)今、スーパーを一回りすると、「おおっ、こんな商品もあるのか」と驚くものばかりです。お総菜売場が充実しているのは当然ですが、野菜売場もカット野菜というのがずいぶん出回っているものなのですね。1〜2人分のカレー用のカット野菜もあれば、焼き肉用カット野菜もありました。一人暮らしの人にとっては、こうしたものを利用した方が安くつくというのはよく言われることですが、カレーに使う玉葱、人参、じゃがいもなんかは、肉じゃが、シチューはもちろん、野菜いためにしたり、みそ汁の具にしたりといろいろ使えるので、1人でもちゃんと自炊していたら使い切れる野菜で、トータルでは安くなると思うのですが……。サラダもカットされてパックされたものがたくさん置いてあります。サラダは新鮮さが命だと思うので、あらかじめ切っておいてあるサラダっておいしくなさそうなのですが……。私が1人暮らしをしていたときには、トマト、レタス、きゅうりなんかは、冷蔵庫に常備していたものですが……。そう言えば、先日問題になった中国産のほうれん草もゆでて食べやすい大きさにカットされた冷凍物でしたね。結局、こうした商品は、安くつくかどうかより、手間を省きたいという志向性が生み出したものなのではないでしょうか。もちろん、中にはなるほどこれは便利だなと思うものもありますが、この程度の手間すら省きたいのかと唸ってしまうようなものも少なくありません。ご飯とカレーがセットになっていて電子レンジにかけるだけでカレーライスが食べられる商品などは確かに便利かもしれないと私も思うのですが、お米をとぐのだけの手間を省けるというのは、それほど魅力的だとは思えないのですが……。

社会は、人々をつらい作業から解放し、より便利な生活を享受できる方向に変化をしてきました。様々な技術革新の最大の原動力は、より楽な生活がしたいという人々の願望だったと言っても過言ではないでしょう。上水道や都市ガスの普及は、しんどい水汲みや薪割りから人々を解放しましたし、洗濯機は、1年間に象1頭分と同じだけの量の洗濯物を手洗いしていた主婦たちを、その苦役から解放しました。スーパーマーケットができたことで、買い物かごを下げて、今度は八百屋さん、次は魚屋さんなんて面倒な買い物をする必要はなくなり、まとめてレジで会計を済ませられる上、ビニール袋もくれるので、仕事帰りでも買い物が簡単にできるようになりました。これで便利だと思っていたら、コンビニエンスストアなるものが現れ、今や24時間いつでも好きなときに買い物ができるようにすらなっています。私自身もこうした便利な生活の恩恵をたくさん受けていますので、こうしたものを決して単純に否定するつもりはありません。しかし、「無洗米」なんて商品の存在を見ると、一体この「便利な生活をしたい」、「手間を省きたい」という欲望はどこまで行くのだろうかと少しは不安になってきます。

今、六甲アイランドにある神戸ファッション美術館で、鉄腕アトムを中心としたロボットに関する展示が行われています。ここで、「ロボット」の歴史について知ることができます。「ロボット」という言葉は、1920年代にチェコスロバキアの作家チャペックが自分の戯曲の中で初めて使ったもので、チェコ語で「労働」を意味しているそうです。この戯曲は、人間が労働の苦役から解放されるために代わりに働く「ロボット」を作り出すが、最後にはそのロボットたちに反抗されてしまうというようなストーリーだそうで、その後の「ロボット観」に大きな影響を与えました。手塚治虫の「鉄腕アトム」にもこうしたストーリーはよく出てきます。人間に奉仕するために作り出されたロボットたちが、人間の奴隷のように扱われることに疑問をいだき抵抗をし、そうした人間に歯向かうロボットとアトムが悩みながら闘うといったストーリーです。

ロボットと言えば、「ドラえもん」もいますが、ドラえもんは23(22だったかな?)世紀に大量生産された「子育てロボット」です。偶然なのかもしれませんが、藤子F不二雄氏はいいところをついていると思います。今、2足歩行のできる人間型ロボットの技術が急速に進んでいますが、こうした人間型ロボットの活躍場所として、「子育て」の領域は現実的に考えられると思います。産業用ロボットであれば、何も人間型をしている必要はないのです。人間型という形態が生きるのは、現実の人間と関わりをもつような場面です。人間型ではないロボットは機械というイメージが強く他の電化製品とあまり変わらない冷たいイメージになりますが、人間型だと仲間、家族という意識を持ちやすくなるのは確実です。AIBOを本当のペットのように考えている人がたくさんいることで、このことは証明されていると思います。人間型ロボットは、お年寄りの相手や子どもの相手として普及していくのではないかというのが私の予測です。特に、新しいものを受け入れる柔軟な感性を持った子供たちの相手役としての「子育てロボット」の誕生は、そう遠い先のことではないように思います。今でも、テレビという機械に子どものお守りをさせている親はたくさんいるのですから、もっといろいろなことのできるロボットが相手をしてくれるとなったら、ロボットに面倒な子育てを任せようと考える人はきっとたくさん出てくるでしょう。その行き着く先はどこなのでしょう?映画公開された「ドラえもん」シリーズの1本に、しんどいことをすべてロボットや機械に任せていたら、ついに人間たちは歩くことすらままならなくなってしまったという物語があったように思いますが、もしかしたら本当にそんな日がいつかやって来るかもしれません。ひたすら便利さを追い求め、楽な生活を求め続けたら、その先には何が待っているのか、たまには考えてみるのも必要なことではないでしょうか。

87号(2002.8.13)気になるCM

夏休みなのに、忙しくて、HPを更新する気持ちの余裕がちっともありません。でも、あちこちから「元気なんですか?」と心配されたり、「HPがちっとも更新されなくてつまらないです」と文句を言われたりしましたので、久しぶりに少し書きます。と言っても、何か書きたいと思うことが強くあるわけではないので、しばらく前から気になっていたCMのことを書きます。それは、消費者金融のCMです。昔は、「サラ金」と呼び、そんなところからお金を借りたら、もう人生はおしまいだといったイメージがあったのですが、最近はそんな暗い感じではないですよね。少なくともCMを見ている限り、実に明るくて気楽に利用できそうな気にさせられます。はつらつと踊る娘さんたちもいれば、さわやかな笑顔で「はじめてですか」と微笑んでくれるきれいな女性もおり、姫と守り役のじいもコミカルに安心感を伝えてくるし、海外旅行に行きたいとかパソコンがほしいと言うと、ビルの屋上から飛行物体はでてくるし、と実に明るい印象を与えるCMが、ゴールデンタイムにも繰り返し流されています。でも、消費者金融は、CMの印象どおりに気楽に利用できるようなものなのでしょうか?もちろん、借りるのは簡単なのでしょうが、返済は無理なくできているのでしょうか?私には「サラ金」イメージが強くあり、足を踏み入れてはいけないところだという印象があります。詳しく調べたことはないのですが、かなり高い利子は取るはずですよね。昔の言い方をするなら、「高利貸し」です。利用者はどのくらいいるものなのでしょうか。調べてみたらすぐわかると思いますが、かなり伸びているはずです。というのも、ここ数年、毎年消費者金融会社のオーナー経営者が納税額の上位に顔を出していますので。誰がどんな形で利用しているのでしょうか?社会問題にはならないのでしょうか?社会的には規制しなくてもいいものなのでしょうか?「高利貸し」や「サラ金」のイメージに結びつけたがる私が時代の変化についていけていないだけで、すでに世の人々は消費者金融を社会の仕組みとして的確に位置づけ、うまく利用しているのでしょうか?あまりにも私のもつ印象とCMのイメージが合わなくて、毎日不思議な気がしています。

86号(2002.7.10)恋をしようよ、男の子!

 私は大学教師になって今年でちょうど20年目なのですが、この間一貫して「女子学生は元気になってきたけれど、男子学生はおとなしくなってきた」と言われ続けてきました。確かに、私自身の観察でも、そうした傾向性は確認できるように思います。もちろん、一方では世慣れた「遊び人」(最近は「ギャル男」というのでしょうか?)を演じる男子学生もいますが、たぶん少数派でしょう。キャンパスで見かける男子学生たちはそんなに「遊び人」には見えません。ましてや、私の講義を熱心に聞いてくれているような男子学生には、そういうタイプはほとんどいないと思っています。別にまじめに勉強している人がみんなおとなしいタイプだと言いたいわけではありませんが、みんな人生をちゃんと楽しんでいるかなと時々心配になります。人生の楽しみ方はいろいろあると思いますが、若いときはやっぱり「恋」をしてなきゃ、楽しくならないと思います。恋をしていますか、男の子たち?(「男の子」なんていい方は、かつての大学生にはほとんど使わなかったのですが、最近は学生たち自身も自分たちで使っていたりするので、こちらもだんだん違和感がなくなってきました。)

 もちろん、恋をしていた方が楽しいのは、男も女も同じでしょうが、なんか最近の状況は、女の子に比べて男の子が何倍も恋をしにくい環境になってきているような気がしてならず、思わず「頑張れ、男の子!」と言いたくなるのです。ストーカーやセクハラといった言葉が簡単に投げつけられ、さらには「女性専用車両」まで現れる時代です。町に出る時は、男の子たちは、自らを去勢しておかないと危険です。「色っぽいなあ」なんて口に出していけないのはもちろん、3秒以上見つめてもいけません。即刻「セクハラ!」というイエローカードが出ます。恋をしても、その相手の女性についていろいろなことを知りたいなんて思ってはいけませんし、告白してだめだった場合は、即座にその人のことを忘れなければいけません。万一、忘れきれず再チャレンジなんかしたら、「ストーカー」でレッドカードです。電車で女性と一緒に乗り合わせた男たちは、すべからく可能性としての「痴漢予備軍」というレッテルを貼られています。こんな状況なのですから、まじめな(というか普通の)男の子たちが恋をしにくいのは、当然です。私にはこの状況はよい状態だと思えません。(たぶん、男の子だけでなく、女の子にとっても。)「健全な肉体に健全な精神が宿る」という格言がありますが、「健全な精神」の中には、「異性に対する興味関心」も当然入るはずです。色っぽい格好をしている女性に対して「色っぽいなあ」と思うのは自然な感情ですし、つい見つめてしまうのも自然な行動だと思います。本当に好きになったら、その人のことを知りたいと思うのも、一度くらいの挫折であきらめきれないのも、自然な感情だと思います。最近は、レア・ケースが大々的に取り上げられて何が自然な状態かわかりにくくなっていますが、人間は雌雄別体の生物なのですから、男が女に惹かれ、女が男に惹かれるのが、自然な状態なのです。恋をすることに臆病になることはありません。「遊び人」や「ギャル男」だけが恋を楽しむのではなく、普通の男の子がもっと自然に恋をし、それを伝えられたらいいのになあと思います。

 ただし、男の子が恋をしにくくなっているのは、上で述べたような男女をめぐる社会環境の変化だけが原因ではないでしょう。もうひとつ指摘しておかなければならないのは、男の子自身が傷つきやすくなっているということです。恋はいつでも実るとは限りません。むしろ、失敗することの方が多いでしょう。その時に、その失敗をしっかり受け止める忍耐力を持っていない人は、恋をする資格はありません。逆恨みしたり、落ち込みすぎたりするようではだめです。(ある程度の落ち込みは当然だと思いますが……。)「遊び人」や「ギャル男」がたくさん恋(愛遊び)をできるのは、ある意味で、こうした過度な繊細さ(傷つきやすさ)を彼らが乗り越えているからでしょう。「遊び人」や「ギャル男」になるのではなく、普通の男の子にぜひ恋をしてほしいと思います。若い時に思いっきり恋をしておかないと、人生後悔しますよ。「恋」は若者だけのものではありませんが、若いときの方が恋をしやすいのは確かだと思います。みんな、いい恋をしてください。特に、男の子!

85号(2002.7.7)やっぱり仏像はお寺で見たい

 あまりに評判が高かったので、見逃すのはまずいかなと思い、私も奈良国立博物館で開催されていた「東大寺のすべて展」を見てきました。噂通りのすごい人出でした。世の中には、こんなに仏像が好きな人がいるのかと驚きました。実際に、国宝・重要文化財だらけで、確かにすばらしい展示でしたが、正直に言うと、私はあまり惹かれませんでした。私の場合、どんなにすばらしい仏像であっても、コンクリートの白い壁を背景にして立っていたり、ガラスケースの中に収まっていると、どうしても感動できないのです。また、たくさんありすぎたというのも、価値を下げるのに一役買っていたと思います。

予定していたよりもかなり短い時間で見終えてしまったので、薬師寺と唐招提寺にも足を延ばしたのですが、そこで見た仏像には惹き込まれました。特に、薬師寺金堂の薬師三尊は美しく見惚れてしまいました。お寺の独特の空気の中に置かれた仏像は、こちらが何かを語りかければ、静かに応えてくれるような雰囲気を持っています。

 歴史的建造物等も移築してしまうと、たとえ本物であっても偽物のように思えてしまうということがしばしば指摘されますが、仏像もそうだなと思います。もともとあった場所にそのままあるなら、歴史的想像も容易になり、感動の度合も高まるのですが、動かされてしまうと、だめですね。そう言えば、大英博物館でパルテノン神殿から運び込まれた彫刻を見た時よりも、アテネのアクロポリスで彫刻を奪い取られた朽ち果てたパルテノン神殿を見たときの方が、何百倍も感動したものでした。やはり、風土と歴史は結びついているのでしょう。

84号(2002.7.1)「ニッポン、チャチャチャ」と「一気飲み」

 ついにワールドカップが終わりましたね。あちこちでいろいろな人が感想を述べていますが、私もずっと感じていたことをひとつ書いてみたいと思います。今回のワールドカップでは、私自身も日本戦を中心として熱心に応援をしましたが、会場や町中で盛り上がる若いサポーターたちに対してはかなり違和感を持っていました。それは何かと言えば、あの「ニッポン、チャチャチャ」です。ああいう風にみんなで声をそろえ手拍子を合わせて応援するというのが、どうも私には気持ち悪くて仕方がありません。確かに集団としてはものすごいエネルギーを生み出していると思いますが、その一方で個人が完全に集団に埋没してしまっているように感じるのです。その状況は、若い人たちが大嫌いな「滅私奉公」的な事態になっている気がしてなりません。一人一人が自分で考えて応援しているというよりは、決まったパターンに自分をはめこみ、大集団の一員になってしまうことに心地よさを感じている姿を見ていると、非常に気持ち悪いのです。もちろん、ゴールが決まった瞬間や勝利が決まった瞬間に、みんなが一斉に喜びを爆発させるというのは自然に起こりうる反応で何も疑問がないのですが、90分通して「ニッポン、チャチャチャ」とか「ウォウォーー、ウォウォウォウォーー、ウォウォウォウォーウォウォ」とか歌い続ける応援の仕方には違和感があります。「ウェーブ」も嫌いです。なぜ無理に同じ行動をしないといけないのだろうかと疑問に思います。

 でも、こうした気持ち悪さは、何も今回のワールドカップで初めて感じたわけではありません。野球やバレーボールの応援でも同じような状況はよく見ます。若い人たちが中心になって応援しているところではどこでもやっていることなのかもしれません。しかし、スポーツの応援という特殊な場面だけでなく、もっと身近な場面でもこうした状況に出くわし、違和感をもつことがあります。それは、学生たちがコンパでよくやる「一気飲み」です。初期の「一気飲み」は「イッキ、イッキ」と声をかけて飲ませるぐらいでしたが、最近はいろいろな囃しパターンができているようで、誰かが囃し始めると、あっと言う間に、その場を構成している全員が声を合わせて囃し始めます。確かに場は盛り上がるのかもしれません。しかし、そこには輝く「個」は見いだせません。口を開けば、「個性の時代」だとか「個性的でありたい」とか言うくせに、私が観察する限りでは、若い人たちはむしろ集団に埋没することで、喜びを感じているとしか思えません。自分というものをしっかり出して、集団に貢献しようという精神(私は、これを「活己為公(かっこいこう)」と名付けています)こそ大事だと思うのですが、「一気飲み」も「ニッポン、チャチャチャ」も、それとはまったく違う行き方で、私は評価できません。

83号(2002.5.12)1枚の地図から

 昨年の秋に開館した「大阪歴史博物館」が気に入っています。資料が充実しているのはもちろんですが、歴史的想像力が豊かではない人でも容易に理解できるような工夫がいろいろとされています。歴史的想像力を馳せやすくするフィルムと実物大の人形もいいですし、ディテールにこだわって作られている模型にもとても興味を引かれます。また、ボランティアの方々が親切にいろいろなことを教えてくれるのもたいへんいいと思いました。お薦めですので、ぜひ一度行ってみて下さい。(8階の「なにわ考古研究所」も子供用と思わず、大人もぜひチャレンジしてみて下さい。歴史的想像力を鍛えるのに、もってこいの思考訓練ができます。)

 さて、その博物館の7階に昭和初期の大阪周辺の地図が展示されています。その地図をよく見てみると、われわれ関大関係者がよく使う現在の「阪急千里線、京都線」が「京阪電気鉄道」となっています。「あれ、なんで京阪なんだろう?」という素朴な疑問から、ちょっぴり「鉄ちゃん」(鉄道愛好者?鉄道研究家?)気分を味わってみました。調べてみると、確かに京阪だった時期がありました。もともと千里線は「北大阪電気鉄道」として1921年に十三―豊津間で営業を開始(半年後に千里山まで延長)し、1923年には「新京阪鉄道」に譲渡され、この「新京阪鉄道」が1925年に天神―淡路、1928年に淡路―西院の営業開始した後、1930(昭和5)年に「京阪電気鉄道」に吸収合併されていたのです。京阪は天満橋―京都五条間で1910年から営業しており、阪急の方は「箕面有馬電機軌道」という名で、同じく1910年から宝塚線、箕面線で営業開始し、1918年に社名を「阪神急行電鉄」(これを省略して「阪急」になったんですね)に変えた後、1920年には神戸線と伊丹線を開通させています。「京阪電気鉄道」に合併された「新京阪鉄道」千里線は、十三から出ていますので、もともと阪急と結ばれていたのではないかと思いますが、阪急と合併せずに、京阪と合併したのです。なぜ、こういう合併になったかという事情は、もう少し調べてみないといけませんね。

いずれにしろ、このように昭和初期に京阪の路線になった千里線や京都線がいかにして現在のように阪急の路線になったかを調べてみると、さらに興味深い事実がでてきます。なんと1943年に、京阪と阪急は合併して、「京阪神急行電鉄」というひとつの会社になっていたのです。これは、時代的に考えて、戦時体制の一環として政府から要請された大同合併ではないかと思います。戦争が終わって落ち着きを取り戻した1949年に、「京阪神急行電鉄」から「京阪電気鉄道」が独立し、その際に、現在の京阪の路線のみが「京阪電気鉄道」に譲渡され(というより、もともとの京阪の路線が戻っただけだと思いますが)、千里線、京都線は「京阪神急行電鉄」に残されたので、現在の阪急の路線ができあがったようです。(ちなみに、阪急が「阪急電鉄」を正式に社名としたのは1973年ですので、それまでの正式名称は「京阪神急行電鉄」だったということになるのですね。)この1949年の分割の際に、なぜ千里線、京都線が「京阪電気鉄道」に譲渡されなかったのかは、さらに調べてみる必要がありそうです。もともと阪急と路線がつながっていたからなのか、でもそれなら昭和初期の段階でも阪急と合併してもよかったはずですね。昭和初期とは違う政治力が働いたのかもしれません。

この地図でもうひとつ興味を持ったのが、阪神電鉄が大阪から神戸方面に向かう路線を2本持っていることです。現在のルート以外に、国道線という路線があったようです。この路線は、現在の国道2号線なのではないかと思いますが、よく調べてみないと正確なところはわかりません。他にもこの地図には、尼崎から臨海部に向かって国鉄(現JR)の引き込み線が存在します。こうしたことから、阪神間は今よりもずっと海岸部に人と産業が集まっていたのだろうということを容易に想像させます。また、大阪と京都を結ぶ路線は、大阪の本来の中心地に近い天満橋から出て旧街道筋沿いを走る京阪電鉄が、早くからできていたこともあり、間違いなく主要路線だったでしょう。こう考えていくと、今では、関西でもっとも高級イメージがあり利用者も多い阪急がかつてはかなり苦労していたのではないかということも推測されます。阪急沿線は、現在は良好な山手の住宅地域という印象ですが、鉄道のルートがかなり直線的に引かれていることから見ても、そのほとんどの地域はかつて農村地域だったことがわかります。それゆえ、明治・大正期はもちろん昭和初期でも、他の関西の私鉄に比べ乗降客も少なめの田舎電車だったのだろうと思います。阪急草創期の大実業家・小林一三はそれを逆手に取って、郊外ゆえの魅力を作り出そうとして、動物園を作り、宝塚少女歌劇団を作り、郊外型住宅開発を行い、現在の阪急のイメージを作り上げていったわけです。

1枚の地図からもいろいろな事実がわかります。実におもしろいものです。

〔追記(2002.5.13)〕早速、調べてみました。やはり、鉄道好きな人(あるいは、古くから関西で生活している年輩者)にとって、この程度のことは常識なんでしょうね。すぐにわかりました。でも、何も知らなかった私にとってはさらにおもしろい事実が発見できた感じです。なんと、現在の阪急千里線、京都線を所有していた「新京阪鉄道」は、もともと京阪電鉄の子会社でした。京阪は、現在の京阪のルート(淀川左岸)だけでなく、淀川右岸にもルートを確保し、左岸よりも高速で京都にたどりつけることを目指したのです。(実際に、1925年時点で京阪の天満橋―三条は急行で70分かかったのに対し、1934年に新京阪の超特急は天神橋―京阪京都(現大宮駅)を34分で走ったそうです。)さらにこの淀川右岸のルート(つまり現在の阪急京都線)は、本来は上新庄から淡路に行く予定ではなく、赤川という駅を経て、桜宮から梅田に乗り入れる計画だったそうです。そして、その赤川という駅と森小路駅を結ぶことによって、現行の京阪の路線も梅田に乗り入れられるようにする計画だったそうです。ところが、関東大震災の影響で、国鉄が京阪に譲渡する予定だった桜宮―梅田間を譲渡しなかったため、計画は変更を余儀なくされ、上新庄から淡路に結び、天神(現在の天神橋筋6丁目)駅へとつながるルートと、十三から阪急を使って梅田に出るというルートにせざるをえなくなったそうです。十三とつながっていたから、阪急系だろうと思ったのは、ただの思い込みでした。(厳密に言うと、十三と淡路を結んでいたのは、もともとは京阪の子会社ではなかった「北大阪電気鉄道」でしたので、「新京阪鉄道」が阪急とつながっていたのは、様々な事情がからんでのことと言えます。)

 1943年の阪急と京阪の合併は、やはり戦時国策に沿ったものでしたが、対等合併でありながら、契約書に「一、阪急電鉄と京阪電鉄とは国策に順応して対等で合併し、京阪電鉄は解散する」という不思議な一文がありますし、合併後の社長も阪急から出ているので、阪急が実質的に優勢な合併だったように思われます。この合併の際の勢力関係が、再び分離したときに、新京阪線がもとの京阪に戻らず、阪急京都線になったのかもしれません。もちろん、淀川左岸の京阪線のルートとつなげられず、淡路経由で阪急とつながっていたのも決定的な影響を与えたでしょう。もしも、当初計画通り、上新庄から桜宮、梅田とつながり、従来の京阪ルートともつながっていたら、京阪間の各地域のイメージと利便性は今とは違うものになっていた可能性はかなりあるように思います。

 最後に、阪神国道線ですが、これはやはり国道2号線でした。この路線は2つの府県にまたがる長距離の路面電車として1927年から1975年(私が関西に住み始めるわずか8年前!)まで走っていたそうです。そう言えば、国道2号線はかなり広めの中央分離帯を持っていましたが、きっとそこにかつては阪神国道線が走っていたのでしょう。調べていると、他にもいろいろな事実が出てきます。たとえば、郊外に遊園地を作ったり、住宅地開発をするというのも、阪急の小林一三より前に、阪神電鉄がやっていたということも知りました。調べて新しい知識を得るという作業は本当にわくわくするほど楽しいものです。まだ近鉄と南海については全然調べていませんし、阪急、阪神、京阪の競争ももっと調べてみたいので、しばらくは関西私鉄の歴史で楽しめそうです。

82号(2002.5.4)サッカー日本代表を選ぶ

 いよいよワールドカップも近づいてきました。私も、ここ数年、かなりのサッカー好きになってきていますので、どんなメンバーが日本代表に選ばれるのだろうと気になって仕方ありません。そこで、これまでの選手起用等から、トルシエ監督が選ぶ23人を予測するとともに、私が監督ならこういうメンバーを選ぶという23人を発表したいと思います。

 トルシエの選択は新聞等でもいろいろ書かれていますし、昨日発表されたヨーロッパ遠征のメンバー等を中心にして考えたら、その予測はそれほど難しいことではないでしょう。まず、GKは、川口、楢崎、曽ヶ端、DFは、森岡、松田、中田(浩)、宮本、中澤、服部、波戸、MFは、中田(英)、小野、森島、戸田、稲本、明神、三都主、中村、市川、FWは、鈴木、西沢、柳沢、久保、以上で23人になります。では、次にトルシエの選びそうな23人ではなく、私が監督になって23人を選んでみたいと思います。

 GKは、正GKとして川口を私も選びます。何度も見せられている川口の神憑り的スーパーセーブは、やはり彼の精神力の強さが生み出すもので、彼を正GKからはずすことは考えられません。他方、一時は川口を控えに追いやって正GKの位置にあった楢崎ですが、彼は平均点のプレーしかできないGKです。昨年の5点も取られたフランス戦、先日の3点取られたホンジュラス戦などを見ると、楢崎には特別なプレーはできないなとしか思えません。DFラインを破られてのものがほとんどなので、GK1人の責任ではありませんが、それでもこういう決定的なピンチのいくつかをスーパーセーブで救ってくれればと思うのは、私だけではないでしょう。どうも楢崎には、そうしたすごさがないので、私が監督なら代表には選びません。むしろ、第2,第3GKには、曽ヶ端と都築を選びたいと思います。都築は確かセネガル戦(?)でよい仕事をしていたと思います。

 日本のDF陣の最大の弱点は高さが足りないことです。相手チームがコーナーキックを得ると、ヘッディングで1点取られるイメージがいつも強く湧いてきます。私が監督ならDFには背の高い、1対1に強い選手を選びたいと思います。森岡、松田、中田(浩)は、フラット3のレギュラー陣ですのではずせないと思いますが、サブメンバーには背の高い中澤、鈴木(秀)、そして秋田を選びたいですね。鈴木(秀)や秋田をトルシエがほとんど試してもみないのは、納得が行きません。フラット3という戦術の理解力がどうだとかいいますが、やっていれば慣れてきて理解も進むでしょう。使わなければ、うまくフィットするかどうかもわからないでしょう。中澤は足元が不安ですが、あのヘッドの強さは背の高い相手との勝負では役に立ちそうです。服部はDF、左サイド、ボランチができるユーティリティ・プレーヤーですので、当然選ぶべきです。最近フラット3の中央を任されている宮本は、私なら選びません。背も低いし、1対1にも強くないし、なんでトルシエが彼を重用するのかさっぱり理解ができません。波戸も市川がでてきた今、選ばなくてもいいでしょう。攻撃の上での突破力はないのに、守備もそれほどすばらしいとは思えませんので。

 日本のMFはよく言われるように、才能の宝庫です。中でも、中田(英)はやはり絶対的なエースです。彼の身体バランスの良さ、ボール扱いのうまさは際だっています。多言を費やす必要はないでしょう。小野もはずせないですね。オランダですっかり自信をつけました。レギュラー組でしょう。中田とポジションがかぶるので、レギュラーとしての出場は微妙ですが、森島も不可欠な選手です。動きが早いだけに、途中から出てきてもよい仕事ができるのではないかと思います。中村は出場できるかどうかわかりませんが、やはりあのボールを蹴る技術は捨てがたいですね。23人に入れておくべき1人でしょう。ボランチは、戸田、稲本、明神に名波を入れておきたいですね。名波に関してはトルシエも入れたいのでしょうが、今回のヨーロッパ遠征に連れていかないということは怪我が治っていないと見ているのでしょう。この点は、私もなんとも判断しにくい所ですが、精神的な主柱にもなれそうですし、やはり入れておきたいですね。戸田は守備の安定感からいって、今はボランチの中で一番レギュラーに近いでしょう。稲本は攻撃はいいのですが、守りの方が少しおろそかになっています。しかし、戸田や明神との組合せなら生きるでしょうから、選んでおきます。明神は地味ですが堅実で好きな選手です。左の服部と同様、右サイドとボランチができるので、選びたい選手です。最後に、右サイドで突破力のある市川を選びます。多少守備に難ありですが、三都主よりははるかにましです。ということで、私は三都主は選びません。左サイドは小野、中村、服部とできる選手がたくさんいます。レギュラーは小野でしょうし、三都主の出番はあまりなさそうです。地味ですが、私は服部のバランスを買っています。服部は守備中心のように言われますが、結構攻め上がってクロスも上げていると私は認識しています。ただし、名波がどうしても使えそうもなければ、代わりに三都主を入れることにします。

 最後にFWです。一番技術のある柳沢とポストプレーに強い西沢はいいでしょう。しかし、鈴木はゴール前で落ち着いてシュートができないので、だめです。カメルーン戦のまぐれ当たりでのゴールしか入っていないのに、守備で貢献するからという理由でトルシエがレギュラー扱いしているのが不思議でなりません。守備にも献身的なのは結構なことですが、まずは正確なシュートをどんな状況でも打てるというのが、FWの第1条件です。久保もポジショニングがいつもあまりよくないし、足もあまり早そうではないので、好きな選手ではありません。私としては高原が戻ってきてほしいと思っています。日本のFW陣の中では、点を取ることでFWは評価されるということをもっとも自覚して貪欲にゴールを狙っているのは、高原が一番だと思います。ただ、体調次第では、高原をあきらめなければならないこともあるでしょう。その時は、やはり久保でしょうか。そして最後にもう1人、中山を選ばなければいけません。日本のサッカーファンの8割は、中山を見たいと思っているでしょう。途中から彼が登場してきたときに、チームには大きなエネルギーが与えられます。中山は、日本代表に不可欠です。

 ということで、私の選ぶ23人は、以下の通りです。GK:川口、曽ヶ端、都築、DF:森岡、松田、中田(浩)、中澤、鈴木(秀)、秋田、服部、MF:中田(英)、小野、森島、中村、戸田、稲本、明神、名波(三都主)、市川、FW:柳沢、西沢、高原(久保)、中山。いずれにしろ、5月17日の日本代表メンバーの発表、そして本番がとても楽しみです。

81号(2002.4.27)日本休日制度改革案

 いよいよゴールデン・ウィークに突入しましたね。(ちなみに、つい最近知ったのですが、NHKでは「ゴールデン・ウィーク」という言葉は一切使ってはいけないんだそうです。そう言われて意識して見たら、確かに「大型連休」って言っていますね。)行楽地はどこもかしこも混んでいるんでしょうね。私は混んでいるところが嫌いなので、あまりゴールデン・ウィークには出かけたくないのですが、子どもたちのことを考えると、どこか連れて行ってあげないといけないかなと悩んでいます。家族ででかけるのが嫌いなわけではなく、ただ混むから嫌だということなのですが……。

 ゴールデン・ウィークは特に極端ですが、通常の土日でもかなり混んでいますよね。3月の第2土曜日にUSJに出かけたときも、「ジュラシックパーク」は「180分待ち」なんて表示も出ていました。仕事柄、平日もたまに自由時間を持てたりするので、映画や込みそうな所はなるべくそういうときに行くようにしているのですが、子どもも一緒となると、平日にでかけることはできなくなり、無駄な混雑を味わわなければならなくなります。「仕方がないんじゃないですか」と言われそうですが、休日制度のあり方について政府が頭を使ってくれたら、もう少しましになるのではないかと思います。そこで、私なりの改革案を提案してみたいと思います。

1.勤労者の週休2日制度は構わないが、全国一斉に休むのは日曜日だけとして、もう1日は自由に取れるようにする。もちろん急に前日に休むと言われても会社も困るだろうから、前々月末段階でどの日を休むかの希望を出してもらい、パートやバイトもうまく組み入れてシフトを組むようにすれば、会社の業務は滞りなく行えるだろう。むしろ、土曜日もフルに使えることになって、業績が上がることすら期待できる。

2.小中学校は週休1日でよい。ただし、水曜日と土曜日は午前中で授業を終える。午前中に学校があった方が友だちと午後から遊ぶ約束もしやすい。休みだといちいち電話等で連絡を取らなくてはならず、せっかく時間がたくさんあっても友だちと遊べないことが多い。なお、年度のはじめに、年に10日ほどの平日休みの日を市町村(政令指定都市の場合は、もう少し細かい区分をして行う方がいいだろう)ごとに設定する。全国一斉の休みは上で述べたようにどこもかしこも混ませてしまうだけだが、市町村ごとにばらばらに平日の休みがあれば、非常に有効に活用できる。こうした他の人が休んでいないときの平日の休みがいかに価値があるかは、創立記念日を考えてもらうとよくわかるだろう。

3.月曜日をむやみに休みにするのはやめる。祝日が日曜日と重なった場合の振り替え休日は、各曜日にバランスよく割り振る。この振替日をいつにするかは5年ぐらい前にスケジュールを発表する。成人の日や体育の日を1月や10月の第2月曜日にしたのは愚策中の愚策。体育の日は、東京オリンピックの開催記念日としての意味がちゃんとあった10月10日に戻し、成人の日は1月5日とする。後者を1月15日に戻さず5日にする方がいいと思うのは、15日は昔の「藪入り」に合わせて設定されたものかもしれないが、成人式と結びつけなければならない強い根拠はなかったはずだし、5日にすれば正月休みとの連続性が強まり有効利用できるようになるから。最近悪評が高く実施に疑問符もつく成人式だが、とりあえず5日にすれば出席しやすくなることはまちがいない。

4.「海の日」は1ヶ月早めて、6月20日とする。7月20日は夏休み直前で、休まなければいけないことが非常に迷惑である場合が多いし、梅雨の時期である蒸し暑い6月に1日ぐらい祝日があった方がよい。

 他にも考えたらアイデアが出てきそうですが、とりあえずこれだけの改革をするだけでも、ずいぶん変わると思います。国民のリフレッシュにつながるだけでなく、時間や施設が有効利用されることで、経済の活性化にもつながるのではないかと思います。「小泉構造改革」よりも効果的だと思いませんか?

80号(2002.4.21)『利家とまつ』に異議あり

 我が家でもほとんど毎週見ているのですが、今年のNHKの大河ドラマ『利家とまつ』は結構評判がいいようですね。民放で恋愛ドラマをやってきたような俳優さんをかき集めてきて、おもしろおかしい筋立てで作っていますので、確かにドラマとしてはそれなりに見られるものになっていると私も思います。しかし、史実とは異なる内容がかなり盛り込まれていて、少し気になります。もちろんドラマなので、事実かどうかわからないことがかなり入るのも仕方がないと言えばそうなのですが、今年の『利家とまつ』は、「ちょっと待ってよ。いくらなんでもそれはまずいんじゃないの」とクレームをつけたくなるところが多すぎるように思います。私は、かなり歴史好きで、特にこの戦国末期から江戸幕府の成立までの時代については多少知識を持っていますので、「そんな馬鹿な!」と思えますが、あまり歴史に詳しくない人たちなら、そのまま史実だと受け止めてしまうのではないでしょうか。日本におけるNHKの権威は、特に人々をしてそのまま事実として信じやすくさせているように思います。実際、私も子どもの頃は、このNHKの大河ドラマで語られることはほとんど事実だと思っていましたので。

 利家の母親役の加賀まり子の髪型とか、若い娘たちが弓矢の訓練をしていることなど、初回から気になるところは多々ありましたが、この2回ほどは特に問題だと感じました。前回は佐脇良之が比叡山から赤ん坊を拾ってきて、その子に「麻阿」という名前をつけて前田家の3女にしたというエピソードが出てきましたが、そんな事実はまったく聞いたことがありません。前田家に「麻阿(まあ)」という名前の3女がいたことは史実ですが、その子がこんな経緯で前田家に来たなんて資料は一体どこにあるのでしょうか?たぶん、全くの作り話だと思うのですが、人物が実在なだけに、これを史実と思ってしまう人がいたらまずいのではないかと思います。また、今回は、秀吉が妻のおねの下女に手をつけて男の子を産ませたというエピソードが出てきましたが、こんな事実も聞いたことはありません。秀吉といえば、その後天下統一をして関白にまで上りつめた日本史上の重要人物です。彼が長浜城主であった時代に最初の子どもを持っていたなどという事実があれば、確実に資料に残っているはずです。ありえない話だと思います。しかし、これも史実だと思う人が出てくるのではないかと心配です。また、今日のドラマでは、秀吉に子どもができたので、おねとの間に子どもができなかったのは、おねの方に問題があったのだとおね自身に語らせていましたが、私はこれも信じられません。秀吉はかなりの女好きで多数の側女を持っていましたが、結局子どもは50歳代後半になってから、後に淀殿と呼ばれるようになる女性との間に2人できただけでした。私は以前からこの淀殿の2人の子どもの父親は秀吉ではないだろうと考えています。(実際、そういう主張をしている歴史家はかなりいます。)というのは、もしも秀吉に問題がないのであれば、他の女性に誰ひとり子どもができなかったという方が確率論的には不自然だからです。実際、淀殿が生んだ2番目の子どもは成人して豊臣秀頼となるわけですが、彼は父親の秀吉とは似ても似つかない立派な体格をした美丈夫だったそうです。あまりに美丈夫だったので、家康は自分の死後、この秀頼に人望が集まって、徳川の天下が揺らぐのではないかということを危惧し、難癖をつけて大阪冬の陣、夏の陣という戦いを起こし、自分が生きているうちに、秀頼を始末しようとしたという解釈すらされているぐらいです。まあ、この「秀頼は不倫の子」説も定説にはなっていませんので、それを強く主張する気はありませんが、NHKも大河ドラマはもう少し史実をきちんと踏まえて作ってほしいと思います。それでは、地味になりすぎて視聴率が取れないというのであれば、せめて最後に「このドラマは史実を参考にしながら、作られたフィクションであり、史実と異なることもあります」といったような断りを入れてほしいものだと思っています。

79号(2002.4.18)TEZUKALAND

 ユニバーサルスタジオ・ジャパン(USJ)が開園1年で予想を上回る1000万人以上の入場者を集め、関西の経済の活性化に大きな寄与をしたことが、最近よく報道されていますが、他方で既存の遊園地が危機に陥っています。阪急電鉄は、来年4月で宝塚ファミリーランドとポートピアランドを閉鎖することに決定しました。昨年エキスポランドに娘たちを連れて行ったときも、天気のよい日曜日だったのに、ガラガラでしたので、エキスポランドも危ないのではないかと思います。確かにUSJは私も行ってみてとてもおもしろいと思いましたので、既存の遊園地では勝負にならないでしょう。東京ディズニーランド(TDL)とUSJの圧倒的な集客力の余波を受け、中小の遊園地やテーマパークは次々に閉鎖されるという時代がしばらく続きそうです。こうした状況になっているのは仕方がないと思いつつも、アメリカのアイデアをそのまま借りたものだけが受けているというのは、少し問題ではないかという気もします。日本発のエンターテインメントはできないものでしょうか?

 日本の伝統文化を生かしたエンターテインメント施設として、「太秦映画村」があります。これは、ある意味で日本版ユニバーサルスタジオですが、残念ながらUSJと比べると、そのエンターテインメントの質はあまりに違いすぎます。お金のかけ方をはじめ多くの点で両者の間には差がありすぎますが、特にひとつだけ強調しておきたいのは、USJやTDLの魅力の背景に確実に存在する物語性が「太秦映画村」からは感じられないということです。USJにしてもTDLにしても、乗り物やパフォーマンスの刺激はそれだけを取り出したらたいしたものではないと思うのですが、観客を物語の中に巻き込むことによって、実際に得られる刺激以上のものを感じさせることができています。「太秦映画村」にはそんな発想はなく、これまでに日本で作られてきた様々な名作時代劇の中の人物になったような感覚はまったく味わえません。観客はあくまでも観客にしかすぎないのです。もっとも、時代劇の物語をうまく取り込んだとしても、かなりの年齢以上の人でなければ、その物語性を楽しめないかもしれませんが。

 日本では、物語性を上手に生かしたようなテーマパークは作れないのでしょうか?いや、そんなことはないはずです。日本も世界に輸出しているエンターテインメントがあります。それは、マンガやアニメーション、それにTVゲームです。この分野は日本がもっとも先進的な位置にいます。これを生かしたテーマパークにすれば、日本発の世界に通用するエンターテインメント施設ができそうです。うちの息子は、以前から「NINTENDOLAND」(任天堂ランド)を作るべきだと言っていますし、ジブリ・スタジオは大規模なものではないですが公開施設を作っています。しかし、それらよりも、より大きな可能性を持ったものとして、私が提案したいのは、「TEZUKALAND」(手塚ランド)です。ノーベル賞をもらってもおかしくなかった手塚治虫という偉大な漫画家の物語をベースにすれば、壮大なテーマパークができるはずです。

TDLやUSJを魅力的にしている物語性に関して言えば、手塚治虫が作り出した物語世界は、ディズニーをはるかに越え、ユニバーサルスタジオが作り出してきた数々の物語に匹敵する、あるいは凌駕していると言えるのではないかと思います。「ホーンテッド・マンション」風の「ブラックジャックの館」、「カリブの海賊」か「ジュラシックパーク」風の「大帝レオのジャングル」、世界の先端を行く最新のロボットと遊べる「アトムランド」なんて、実に魅力的じゃないでしょうか。他にも、「タイムスリップ・陽だまりの樹」で江戸末期の社会を体験できたり、「3D・W3(ワンダースリー)」で「ターミネーター」を越えることもできるでしょう。ランド全体は、「火の鳥」の物語に合わせて、区画を作るのもいいですね。考えれば、まだまだアイデアが出てくるでしょう。実に可能性を持ったテーマパークになりそうです。中途半端な投資で安易に作らずに、本気で投資をして大規模なものを作ったら、絶対世界中から人を集められると思います。そのうち、アメリカが、「TEZUKALAND IN USAを作りたいので、ロイヤリティを払うから提携をしてほしい」と言ってくるのも夢ではないと思います。誰か、この計画を実現してくれないものでしょうか?

78号(2002.4.11)人生の先達の役割

 最近よく思うのですが、人生をより多く生きている人のもっとも重要な役割って、言葉で偉そうなことを言ったりすることではなく、その人自身が楽しそうに生き生きと生きている姿を見せることじゃないでしょうか。たとえば、私が人生は楽しいなって感じで生きていたら、私の周りにいる若い人たちは、あんな楽しそうな46歳もありうるなら、年を取るのも悪くないなと思えるのではないでしょうか。いや、私自身だって、60歳代、70歳代で楽しそうに生きている人を見ると、あんな70歳ならなりたいなと思います。言葉で伝えようとしてもなかなか伝わらないことが、人生を楽しそうに生きている先達の姿を見るだけで、容易に伝わってきます。要するに、「身をもって示す」ということなのですが、しんどいことを率先してやるということではなく、楽しく生きること、これが何よりも大切だと思います。もちろん、その楽しさを得るために、他人に迷惑をかけるようでは困りますが。

 結婚に対する志向性なども、自分の両親がどういう姿を見せてくれていたかということから大きな影響を受けると思います。両親の夫婦仲が良く、楽しそうな姿を見せてくれていれば、子どもたちも自然と自分もいつかはあんな風に幸せな夫婦になりたいと思う確率は高いはずです。他方で、夫婦仲が悪かったり、両親の片方が一方的に耐えることによってなんとか夫婦関係が保たれているような姿ばかり見てきた子どもたちは、夫婦関係を構築することに躊躇するようになる確率が高いだろうと思います。もちろん、結婚に対する志向性に影響を与える要因は他にもいろいろありますので、両親の姿だけでは決まりませんが、重要な要因のひとつであることは間違いないと思います。

 少年犯罪が頻発しているときに、しばしば「子どもたちは、大人たちのまねをしているだけだ」という主張がされることがありますが、これもある意味ではその通りなのかもしれません。人生の先達は、すべての面で後から来る者たちのモデルになっているのです。悪いモデルではなく、よいモデルにならないといけないということを、みんなが少し意識したら、社会ももう少しうまく機能しそうです。少なくとも、女子高生たちに「高校を卒業したら、もう後は下り坂」といった認識を持たれるような大人ばかりの社会では困ります。ティーンエイジャーたちに、あんな20代、30代ならなりたいなと思わせてくれるような人たちがたくさんいてほしいと思います。そう思ってもらうためには、しんどそうに生きている姿ではなく、楽しそうに生きている姿を示すのが一番です。まあ、実際には現実は楽しいことばかりではないので、しんどい顔を隠して、楽しそうに振る舞うことは、なかなか大変なことなのですが……。

77号(2002.4.3)ささやかな幸せ

 小・中学校や高校はまだ春休みですが、わが大学は4月1日が入学式で、4月に入った途端に新年度がスタートします。3月中は閑散としていたキャンパスに、何千、いや万を超える若者たちが戻ってきて、明るい活気に溢れています。私は、そういう明るい雰囲気が好きなので、ついふらふらとキャンパスの中を歩いてみたくなります。授業はまだ始まっていませんが、新入生をクラブやサークルに勧誘するために、上回生たちもたくさんキャンパスを徘徊していますので、時々顔を見知った学生にも出会います。そういう時に知らない顔をしてそのまま行き過ぎられると寂しいものですが、元気に「先生、お久しぶりです!」と挨拶して寄ってきてくれたりすると、とても嬉しいものです。まあ、こういう感覚は、友だちと久しぶりに会ったときのことを思い出してもらえれば誰にでもよくわかるだろうと思いますが、教師と学生ですから、友だち同士とは違うのではと思う人もいるかもしれません。でも、教師と学生だって、基本は同じ人間同士ですから、会えて嬉しいという気持ちをストレートに出してもらったら、嬉しくなるのが自然でしょう。たまに、そういう関係が好きでなさそうな先生もいますが、そういう人は教師をやめて、1人で学問の研鑽に励まれた方がいいのではないかと思います。人間好きでない教師というのは、教師たるための必要条件を欠いているとしか、私には思えません。

 ああ、別にそういう先生の批判をしようと思って書き始めたわけではありませんでした。ただ単純に、学生たちから、挨拶してもらって嬉しかったということを書きたかったのです。とても「ささやかな幸せ」かもしれませんが、今日は4人もそういう学生と出会ったので、とてもいい日だったなと思ってしまいました。声をかけてきてくれるのが嬉しいっていうのは、若者にとって携帯メールが鳴るのと同じ程度の「幸せ感覚」なんだろうと思います。「あなたとコミュニケーションが取りたい」という点で両者は同じ意味を持つわけですから。ただ、携帯メールやパソコンメールも嬉しくは感じますが、私の場合は対面状況で話す方がその何倍も好きですね。たぶん、その違いは、CDやビデオで音楽を聴くのとライブで聴くのとの違いに似ているのではないかと思っています。会って話すのは、まさにライブでしょう。笑顔があって身振り手振りがあって話していれば、たいした話でなくても、楽しく感じたりするものです。現役の学生たちのように会える人とはやはり会って話したいものですね。(最近、メールだとおしゃべりなのに、対面状況ではしゃべれないという若い人が少なからずいるので、ちょっと困った傾向だと心配しています。)

 でも、遠くに住んでいる人とは、簡単に会って話すというわけにはいきません。やはり、そんな時はメールがありがたいですね。昔なら手紙だったのでしょうが、これはかなり筆まめな人でないと、頻繁には出せません。かく言う私も手紙に関してはかなり不精者です。しかし、メールは安くて簡単です。気軽に書いて、パソコンさえつながっていれば、世界中どこにでも送れます。私の知っている若者たちも、北は北海道から南は九州まで様々なところに住んでいます。いや、日本だけでなく、シドニーやロンドンにもいます。そういう若者たちとメールという手段を通して、いつでも連絡が取れるというのは、本当にありがたいことです。「お久しぶりです」なんてメールが届いた日はとてもいい日だったな、なんて感じたりするものです。本当にささやかな幸せですが、私にとってはとても大切な感覚なのです。

76号(2002.4.3)新・大衆の時代

 1960年代を中心とする高度経済成長期は、みんなが同じ物を求める大量生産・大量消費の「大衆の時代」として位置づけられていましたが、その後、他人とは違う物をもちたいという欲求とその欲求を満たすだけの経済的余裕が生まれ、1980年代後半からは「多品種少量生産」の「少衆の時代」とか「分衆の時代」に入ったと言われていました。しかし、ここ数年前から、再びみんなが同じ物を求める「新・大衆の時代」に戻ってきているような気がしてなりません。CDの売り上げが200万枚を超える曲やアルバムがいくつも生まれたり、映画では、「タイタニック」や「もののけ姫」が、史上最高の観客動員数を更新していくといった事態を見ながら、ひそかに思っていたのですが、今日の夕刊に「千と千尋」が興行収入で史上はじめて300億円を突破したことと、「ハリーポッターと賢者の石」も200億円を超え、史上第3位の記録であるという記事を読んで、もう間違いないと確信しました。どちらの映画も見ましたが、まあまあの映画だとは思いますが、史上最高や第3位の興行収入をあげられるような中身ではないと思います。音楽や映画だけではありません。ファッションを見ても、キレイ系と言われる女性たちは髪の毛の色、化粧、服、靴とみんなまるでコピーしたように似ています。男性も、ファッションに自信を持っていそうな人たちほど、実によく似た格好をしています。

 多少不況だとは言われていますが、かつてのように日本が貧しくなり、選択肢がなくなったなんてことはないと思いますので、この「新・大衆の時代」は、あまり余裕がなく選択肢も少なかった高度成長期の「大衆の時代」とは、別の要因が作用して、生み出されたと考えるべきでしょう。おそらく、この「新・大衆の時代」を導いているのは、「自分で考え、自分で選択する能力」の低下なのだと思います。物事を突き詰めて考える――突き詰めるまで行かなくても、しっかりと考える――ことの嫌いな人たちにとって、とりあえず周りの人々と同じように行動しておくのは、もっとも無難な選択です。みんなが浜崎あゆみがいいと言うので聞いていたら自分もなんとなくそういう気になってきたとか、みんなが見に行くので、とりあえず自分も「千と千尋」や「ハリーポッター」を見た、なんて人は多いのではないでしょうか。「無思考・自主的判断停止時代の大衆社会」。これが「新・大衆の時代」の実体なのではないかと私は見ています。

75号(2002.2.21)温泉の魅力

 今、若い人たち、温泉が好きですよね。私も毎年のように学生たちとともに、どこかの温泉に旅行に行っています。でも、温泉の魅力ってなんなのか自分でもうひとつよくわからないまま、温泉に行っていたように思います。しかし、つい最近大分県の由布院に行き、初めて「ああ、温泉っていいなあ」と心から思いました。

由布院は、美しい景色と豊かな温泉で日本に鳴り響いた観光地ですが、その町中はまるで無国籍の町です。由布院を訪れる観光客の7割は女性なのだそうで、彼女たちの趣味に合わせるとこうなってしまうのかと頭を抱えたくなるような、ティディベアのお店、猫グッズのお店、犬グッズのお店、オルゴールの店がずらりと並んでいます。心ある人ならこういう観光地だけにはしてほしくないなあと必ず思うような、実に浅薄な印象を与える町になっています。これはたまらんと思ったのですが、他方で自然は実にすばらしいのです。美しい山並みに囲まれた盆地にゆるやかに川が流れる、まるで「日本の故郷」といった風景なのです。特に温泉がすばらしいです。湯量が多く、山腹のあちこちで湯気があがっています。どこのホテルも露天風呂を持ち、それが実に立派なものばかりです。美しい山並みに囲まれた盆地なので、どの向きに風呂を作っても、すばらしい景色が楽しめるのが原因だと思います。私は泊まったホテルの露天風呂にこっそりお酒を持ち込んで、温泉につかりながら一杯やるという夢を実現させました。そして、なんと初の混浴露天風呂というのも経験してしまいました。と言っても、女性と一緒に入ったわけではありませんが……。

その混浴露天風呂はその方面に詳しい人には有名なところのようですが、「下ん湯」という名前の共同湯です。ホテルの仲居さんに教えてもらいでかけたのですが、これまでの私の露天風呂のイメージをうち破るもので、最初どこが風呂なのかわかりませんでした。金鱗湖という小さな湖のすぐそばに茅葺きの家がぽつんと建っているのですが、それが「下ん湯」でした。入口の郵便受けのような料金入れに200円を入れ、引き戸を開けるとすぐ風呂でした。そして、正面には壁がありませんでした。つまり観光客がたくさんいる金鱗湖からこの風呂は丸見えの状態なのです。1人男性が入っていたのですが、思わず中に入らないままあわてて引き戸を閉めてしまいました。しかし、お金も入れたし、ここまで来たのだから、やっぱり入ろうと思い、覚悟を決めて入りました。落ち着いて観察すると、風呂は2つ(内湯と外湯)あり、風呂の両側に脱いだ服を置く棚がありました。コインロッカーなんてものはもちろんありません。見えるかもしれないと思いつつ、脱ぐものを脱ぎ、風呂に入ってしまうと、なんか思い切り解放された気分になってきました。「ああ、これが露天風呂の魅力か」とちょっと理解できたような気がしました。私の後に入ってきた若い男性たちともいろいろ会話を交わし、楽しい時間を過ごしました。私と入れ違いにカップルがやってきましたが、さすがに女性は入りに行かず、男性だけが入っていきました。こんなに開放的な露天風呂ではいくらなんでも女性は入れないだろうと思いましたが、私と同じ時に入っていた若者のおねえさんはこの「下ん湯」に入ったことがあるとのことでしたし、町の人に聞いても「最近の若い女性は、結構堂々と入っているよ」とのことでした。ちなみに、私にこの風呂の存在を教えてくれた仲居さんも入ったことがあるそうです。さらに驚くことには、昔は正面だけでなく、横の壁もなかったんだそうです。いやあ、すごいものです。裸は恥ずかしいという価値観が大きく揺らぐような経験でした。私は、この露天風呂ですっかり気持ちが解放され、結局、由布院で5回も露天風呂に入ってしまいました。

温泉の魅力と言うより、露天風呂の魅力になってしまいましたが、温泉と言えば、露天風呂というのは多くの人が連想するところでしょうから、まあ許して下さい。なお、由布院に行かれる男性陣は、ぜひ「下ん湯」にチャレンジしてみてください。女性は余程の覚悟がないと入れないと思いますが、どんなところかぜひ見るだけでも見てきてほしいものです。

74号(2002.2.20)オリンピックより国会の方がおもしろい

 日本人の活躍はないし、審判員は信用できないしと、盛り上がりに欠ける要素ばかりのソルトレイク・オリンピックをしりめに、国会がはるかにおもしろいドラマを見せてくれました。田中真紀子、鈴木宗男、外務官僚、小泉純一郎、福田康夫、川口順子、辻元清美と役者がそろい、それぞれに期待通りのパフォーマンスを見せてくれました。今日の午前中の予算委員会では、アフガン復興支援会議へのNGOの参加問題をめぐって、田中真紀子と鈴木宗男の参考人招致が行われ、外務省の役人に対してはもちろん小泉首相への恨み辛みまで語り出す田中真紀子、一切自分に非はないとしらを切る鈴木宗男の、それぞれの表情と独特の語り口を、テレビを通してたっぷり堪能することができました。午後には、「ソーリ!ソーリ!ソーリ!」で有名になった社民党の辻元清美をはじめとする各党の質問者の質問に、小泉、福田、川口の3大臣と外務官僚が答弁に立ちました。小泉首相は相も変わらぬ根拠なき自信を示し(今やこの格好だけが彼の武器になった感じです)、一時はその頭の良さとバランス感覚を高く評価したいとも思った福田官房長官は、田中真紀子がらみになると、父親の福田赳夫が真紀子の父親角栄に痛めつけられた恨みなのか、木で鼻を括ったような実に嫌味な政治家になり、川口外務大臣はさすが官僚出身という感じで、外務官僚と答弁についてひそひそと相談ばかり、そして当の外務官僚は辻元清美の鋭い突っ込みにしどろもどろ状態、と実におもしろい見ものでした。政府・与党はやればやるほど叩かれるのでもうやりたくないでしょう。今日で終わりなのかもしれませんが、できれば第2幕を見たいものです。これだけの役者がそろったパフォーマンスは滅多に見られるものではないです。もしも次回があったらぜひご覧下さい。もしも国会でやらないときには、たぶん田中真紀子がどこかのテレビに出て言いたい放題を言うのではないかと思います。今、田中真紀子を出演させるためなら、テレビ局は何百万もの出演料を用意するでしょう。

 ところで、マスコミの映し出す今回の問題では、善玉・真紀子 VS. 悪玉・宗男&外務官僚+小泉・福田という構図がはっきりしていますが、実際はどうなんでしょうね。確かに鈴木宗男も外務官僚も嘘をついていると思いますが、田中真紀子もかなり勝手な思い込みでものを言っている部分があるように思います。(ブッシュ大統領を迎えての歓迎レセプションへの招待問題では、明らかに福田官房長官に理があり、田中真紀子の方が分が悪いと思います。)大体、「田中真紀子人気」っていうのは、マスコミ受けする田中真紀子のパフォーマンスから作られている表面的なものであって、田中真紀子自身は、人間的には非常に強圧的で嫌な奴だと思います。ある意味では、一番庶民感覚に近いのは、鈴木宗男なのではないでしょうか。確かに彼は自分の選挙区に利益を誘導することに熱心な典型的な「どぶ板政治家タイプ」ですが、今の日本の選挙制度では、「かばん・看板・地盤」を持たずに選挙にうってでた鈴木宗男のようなタイプの政治家にとっては、こうした利益誘導は不可欠の仕事でしょう。選挙民はそうした利益を求めて、彼に1票を投じているのですから。2世議員である田中真紀子や福田康夫、3世議員である小泉純一郎などが味わったことのない苦しみを彼は経験しているし、地位とともにえらそうな振る舞いをしたがったり、役得を手に入れようとするのも、普通の人間なら誰でもやりそうなことをやっているだけではないでしょうか。そもそも、政治家が外務省に意見を言ったって何が問題だというのでしょうか?もし問題があるとしたら、その意見が妥当かどうかを考えて結論を出そうとせずそのまま鵜呑みにしてしまう外務官僚の方でしょう。まあ、私は、別に鈴木宗男ファンではないので、そんなに彼を弁護する必要もないのですが、田中真紀子ばかりが「ヒーロー」のように扱われるのには疑問があるので、ちょっと書いてみました。

73号(2002.1.19)賢さとは?

 前々から思っていたのですが、「賢さ」というのは、受験勉強でよい点が取れるということとは、別物だと思います。受験勉強なんて、はっきり言って記憶力さえ良ければ、なんとでもなります。でも、記憶力がよいだけでは「賢い」とは言えません。確かに、記憶力が非常に悪いと同じ失敗を何回も繰り返すことになり進歩が遅くなりますので、賢いとは言いがたいと思いますが、でも抜群によくなくても賢いと思える人はたくさんいます。誰だって仲のよい友だちの名前や顔は間違いなく記憶しているし、忘れることもまずないでしょう。人間には普通に生活していくのに十分な程度の記憶力は備わっています。では、何が賢いと言える決め手になるのでしょうか?ちょっと前に、IQ(知能指数)に対してEQ(感情の知能指数)というものが提起され、IQよりもEQが高いことが人間関係をうまくやるためには必要だと主張されましたが、これなどもある種の「賢さ指標」と言えると思います。状況判断力(洞察力)、感情統制力、決断力、忍耐力、共感力等々を指数化しようとしたもので、それなりに使いでのある指標ではないかと思っています。インターネットで「EQテスト」というのを見つけたので、私もやってみたところ、大学生の平均より私がかなり高かったのは、「決断力」、「状況適応力」、「自己洞察力」などで、平均よりもやや低かったのが、「愛他心」、「楽観性」、「感情コントロール」などでした。まあそんなところかなと思いつつ、私はEQは結構高いのではと思っていたので、なんとなくこの指標にも納得がいかないなあという気がしたのも事実です。

私が個人的に「賢さ」をはかる規準として重視しているものは、バランス感覚です。例えば、私がEQテストで大学生の平均より低かった「愛他心」をはかる質問として、「何事も相手の立場に立って考えるようにしている」という質問や「たとえ、どんな状況でも、相手を傷つけることはしたくない」という質問があり、これに「非常にあてはまる」と答えるとポイントが上がるのですが、そんな回答は私にはできませんし、またそうすることがいいことだとも思えません。相手の立場に立って考えることは必要ですし、むやみに人は傷つけるべきではありませんが、そんなことばかり気にしていたら、相手に対する「イエスマン」になってしまい、決してよい人間関係が形成されるとは思えません。状況によっては、相手に対して辛口と思われるような発言でもできなければいけないと思います。いつでも自我を通すのがよいわけではないように、いつでも相手のことばかり考えているのがよいわけではありません。感情もいつも抑えているのがよいわけではなく、時として感情を表してみるのも大事でしょう。喜びや嬉しさは多くの場合表出した方がよいですが、同じ状況でがっかりしている人がいる場合は、抑える必要もあるでしょう。怒りや悲しみは多くの場合抑制した方がよい感情ですが、時には明確に示すことによって自分の考え方や気持ちを周りにきちんと伝えることも可能になります。要するに、状況を見極めたバランス感覚が必要なのです。これは、他者との関係においてのみ必要なものではなく、自分自身の生き方をコントロールするためにも必要でしょう。仕事と遊びのバランス、たくさん抱えている役割――たとえば、私なら父親役割、教師役割、研究者役割、行政職役割、etc.――間でのバランスを取る必要があります。このバランス感覚がなければ、自分の生活すらうまくコントロールできなくなります。あることには熱心だが他のことは全然だめという人は、私はあまり賢い人だと思いません。私が敬愛しつき合っていきたいと思う人たちは、このバランス感覚の取れた賢い人たちです。

72号(2002.1.5)お正月はやっぱり年賀状

 新年あけましておめでとうございます。ついにワールドカップの年がやってきましたね。楽しみです。

さて、皆さんどのような年末・年始を過ごされたでしょうか。私は例年同様、実家で紅白歌合戦を見て、おせち料理とお雑煮を食べるという過ごし方でした。昨年は世界でいろいろ不幸な出来事があったので、毎年同じことを同じように繰り返せるのが幸せなことだと思えた年末・年始でした。そんな繰り返しの中で特に幸せを感じるのが、届けられた年賀状を見るときです。1枚、1枚繰りながら、ああ今年もこの人は元気なんだとか、お子さん大きくなったなあとか見るのは、本当に楽しいものです。でも、印刷した文章だけの年賀状はおもしろくないものです。正直に言うと、私も何枚かそんな年賀状を送ってしまっているので、反省しなければならないのですが、どうも仕事関係だけのつき合いだとあまり書くことがなかったりするんですよね。ならば、やめればいいのではと言われそうですが、そうもいかないのが世の中です。仕事関係の年賀状だけだと儀礼的なものが多く淋しいのですが、教え子たちからの年賀状は、そうした儀礼的なものが少なく魅力的です。学生や卒業生から見たら、教師に年賀状を送るのは儀礼と言えるのかもしれませんが、「大人」たちの「儀礼」に比べたら、はるかに心がこもっています。それぞれ何か一言書いてくれているのですが、書いてくれている量も多いし、誰にでも使えるありきたりの言葉ではなく、気持ちが伝わってくるものがほとんどです。今年は、特に結婚したカップルの写真や子どもさんの写真をずいぶん送ってもらいました。教え子たちが幸せに人生を歩んでいると思うと、こちらも嬉しくなってきます。別に、結婚している人や子どもがいる人だけが幸せな人だと言いたいわけではありません。年賀状からそれぞれの生活の充実度がかいま見えます。たぶん、私に年賀状を送ってくれる教え子たちの多くは、それなりに充実した生活を送っているんだろうと思っています。

最近はメールという便利なものがあり、メールで新年のあいさつを届けてくれる人も増えてきました。何も来ないよりははるかに嬉しいですが、やはりお正月だけは年賀状の方が何十倍も嬉しいですね。メールと比べたら、年賀状を出す方が時間もお金もたくさんかかります。でも逆に言えば、それだけの手間をかけて送ってくれるわけですから、メールよりもはるかに嬉しく思えるわけです。日頃の連絡や近況報告なんかはメールで構わないですが、お正月は年賀状がいいですね。メールがどんどん普及していっても、この年賀状をやりとりするという習慣はずっと残ってほしいなと思います。しかし、個人としてのこうした思いと別に、社会学者として冷静に未来予測をするなら、徐々に年賀状はメールに取って代わられることになると思います。理由は簡単です。メールの方が便利で、安上がりだからです。安くて便利なものを選ぶのは、大多数の人々にとって当然の行動選択です。長い目で見たら、年賀状を書かずメールで済ますという人が増えてくるのは確実でしょう。あまり早くそうなってほしくないので、こんな文章も書いてみました。年賀状にはメールでは得られない喜びがあると。この程度のやせ我慢なら、とりあえず私はまだまだ頑張れそうです。