Part2

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KSつらつら通信 Part1

KSつらつら通信 Part3

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<目次>

第71号 旅について(2001.12.24)

第70号 人さし指(2001.11.25)

第69号 ゼミ所属に関する誤った認識(2001.11.13)

第68号 学園祭(2001.11.1)

第67号 徳のあるお坊さんに会いたい(2001.10.14)

第66号 戻っておいでよ、4回生(2001.10.14)

第65号 品と美(2001.10.12)

第64号 「大坂」を歩く――坂道の魅力――(2001.10.12)

第63号 敬遠フォアボールは禁止すべき(2001.10.5)

第62号 大相撲の危機(2001.9.24)

第61号 戦争と正義(2001.9.13)

第60号 ドタキャンのコスト(2001.8.10)

第59号 大国のわがまま(2001.7.26)

第58号 3分の1の幸せ(2001.7.20)

第57号 「義務結婚」の時代がやって来るかもしれない?(2001.7.8)

第56号 なんとかならないか、学校行事(2001.6.16)

第55号 郵便屋さん、気をつけて!(2001.6.2)

第54号 ちょっと気になる"!"マーク(2001.5.24)

第53号 「愛」と「恋」(2001.5.18)

第52号 ちゃんと子供を注意して!(2001.4.27)

第51号 活己為公(2001.4.27)

第50号 生まれ変われるなら、何年に生まれたいですか?(2001.4.24)

第49号 準ともだち?――あるいは友達論――(2001.4.21)

第48号 なんでICHIROで号外が出るの?(2001.4.4)

第47号 田中康夫と美濃部亮吉(2001.3.27)

第46号 歴史を作るのは社会(2001.3.14)

第45号 街の裸像(2001.3.14)

第44号 バーミヤン大仏の破壊と鞆の浦(2001.3.13)

第43号 啄木鳥(きつつき)(2001.3.13)

第42号 リーダーの資質(2001.2.17)

第41号 引きこもりと甘え(2001.2.17)

第40号 社会学的想像力と歴史的想像力(2001.2.5)

第39号 ぼちぼち行くか、頑張るか(2001.1.21)

第38号 子供は親のおもちゃじゃない!(2001.1.18)

第37号 戦後史を学ぼう!(2001.1.12)

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71号(2001.12.24)旅について

 先日「学校W」という映画をTVで見ました。学校が嫌になった東京の中学3年の少年がヒッチハイクで屋久島の縄文杉を見に行くというストーリーですが、見所は途中でのいろいろな人との出逢いです。いかにも山田洋次監督作品らしい、まっすぐなヒューマニティ溢れる映画で、「ひねり」なんか何もないですが、私のような単純人間にはこういう映画がいいんですよね。それにしても、この映画を見ていたら、旅に出たくなりました。本当に旅の魅力って、人との出逢いだと思います。特に一人旅だと、人との出逢いが貴重だと思えます。

 私がはじめて一人旅をしたのは、高2の夏でした。急行列車で東京から九州まで向かいました。でも、行き先が親戚のところで、途中の旅程は楽しむというより、不安だらけで早く着かないかなとそればかりを考えていました。親戚のところ以外に出かけた最初の一人旅は、大学1年の夏の東北旅行でした。このときも友人宅や知人宅を訪問し、新たな出逢いを楽しむというより、旧交をあたためるという感じでした。本格的に人との出逢いを楽しんだ一人旅は、1年の春休みに行った伊豆への旅でした。はじめてユースホステルに泊まり、たくさんの人と出逢いました。名前はもうみんな忘れてしまいましたが、写真が残っているので、その時一緒だった人たちの顔ははっきり思い出せます。なんか私も嬉しそうな顔で写真に写っていて、この出逢いを楽しんでいたことをよく示しています。学生時代(私の場合は大学院にも行っていたので、9年間も学生時代がありました)は、夏休みと春休みが来るたびに旅をしていました。一人旅以外にも思い出深い旅はたくさんあります。大学時代の友人たちと車で行った中国地方1周の旅、高校時代の友人たちと行った北海道1周の旅、そこで出逢った女の子に会うために高山、金沢を経て、京都まで行った旅、友人と2人旅のつもりだったのに、見送りに来ただけの別の友人がそのまま列車に乗って3人旅になり、さらに列車で知り合った一人旅の女性が加わり、不思議な4人旅になった奈良・飛鳥への旅など、思い出がいっぱいあります。どの旅の思い出にも人の顔が浮かんできます。もう連絡がつかなくなった人もたくさんいますが、みんなどこかで元気にしているんだと信じています。無理に探そうとは思いませんが、いつかどこかでばったり再会できたら、なんて思うだけでわくわくします。

ありがたいことに、いまだにそれなりに夏休みと春休みが取れる生活をしているので、最近は学生たちとともに旅をして、さらに思い出を作りつづけています。試験が終わったら、また素敵な出逢いと思い出を作る旅をしてきたいと思っています。

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70号(2001.11.25)人さし指

エレベータのボタンをなんとなく中指で押してから、ふと「あれっ、こういうボタンは人さし指で押すのが普通かな?」と思ったら、妙に気になりはじめました。皆さん、エレベータのボタン、どの指で押していますか?小指や薬指はまずいないでしょう。小指は力を入れるのには不向きな指ですし、薬指は一番細かい動きをさせにくい指です。中指もあまりいないでしょうね。でも、一番長い指だし、力も入るので、ボタンを押すのに向いているような気もします。親指は一番力が入るし、携帯メールなどでは一人で活躍している指ですので、エレベータのボタンも親指で押す人は結構いそうです。でもやはり、圧倒的多数派は人さし指でしょう。中指や薬指ほど長くはないですが、細かい動きも可能な指ですから、何か作業をしなければならないとなると、この指が活躍することになります。(キーボードを1本指で打つ人もたぶん人さし指でしょう。)

「人さし指は……」、「人さし指が……」とか何回も言っていたら、「そうか、この指は人をさす指だった」ことに改めて思い出しました。でも、実際にこの指を人をさすために使うと、あまり好印象をもたれません。指さされるのって、なんか嫌ですよね。昔々、教育実習に行ったときに、当時の高校生から、こんなことを最後の感想に書かれました。「先生は実習生としては授業がとてもうまかったと思いますが、生徒を当てるときに指さすのはやめたほうがいいと思います。」この感想を読んでから、人をなるべく指さすのはやめておこうと思って、今日に至っています。まあ、時々は無意識に指さして嫌な気分にさせているかもしれません。そんな人がいたら、ごめんなさい。

それにしても、何で指さされるのって嫌なんでしょうね。攻撃をされているように感じるのでしょうか。銃、槍、弓矢といったイメージにつながるのでしょうか。そんなものを実際に突きつけられた経験はほとんどの人が持っていないでしょうが、感じるんでしょうね、伸びた指先から、ある種のエネルギーが向かってくるのを。特に腕もピンと伸ばされていたりしたら、ものすごい攻撃的エネルギーが向かってくる感じがします。攻撃状況にさらされるのは、誰でも嫌なものです。こんなに嫌がられるのですから、「人さし指」という名称を変えたらいいのではないかと思うのですが、何かよい名称はないでしょうか。英語でも、”forefinger”とか”index finger”というそうですので、その訳語ではあまり変わらない感じですね。一番器用に動いて鍵になる役割を果たすので、「鍵指」なんてどうでしょうか。泥棒でもしそうなイメージになりますかね。

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69号(2001.11.13)ゼミ所属に関する誤った認識

 もうじき新ゼミ生のゼミ所属が発表されますが、学生たちの間にちょっと誤解があるようなので、書いておきたいと思います。ゼミ所属が決まると、別のゼミに所属することになった学生たちがそれまでと違って妙によそよそしくなることがしばしばあります。片桐ゼミを選ばなかったから、もう距離ができてしまったのだとでも思うのでしょうか。別にそんな風に思うことはまったくないと思います。1回生で担当して知り合った学生たち、2回生で講義を聴いてくれている学生たち、みな同じように教え子であることに変わりはありません。確かに、先生方もどんな学生がゼミに応募してくるかに興味を持っていますし、ゼミ生とは様々な面でつき合いが深くなりますが、自分のゼミを選ばなかったからという理由で、もう関係ない学生だなんて誰も思わないと思いますよ。もちろん、私たち教師の時間も有限なのでゼミ生と同じようには手をかけることはできませんが、ゼミ生でなくとも、ある程度は相談に乗ったりつき合ったりできると思います。少人数クラスなどですでによく知っている先生なら、気軽に話しかけていけばいいと思いますよ。少なくとも違うゼミに所属するようになったからといって、挨拶もしなくなるなんてことはないようにしてほしいものだと思っています。多くの先生は、少人数クラスで担当した学生の顔ぐらいしっかり覚えているものですよ。

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68号(2001.11.1)学園祭

 関西大学は明日から学園祭です。今日は、キャンパス中で準備が忙しく行われていました。それを見ながら、大学の学園祭もすっかり様変わりをしたなと改めて思いました。学園祭がいつ始まったのか調べてないのでよくわかりませんが、文化系の団体を中心にその成果を発表する場として設けられたのは、かなり昔のことだと思います。そして25年ぐらい前までは、少し形を変えながらも、ほぼその精神を継承してきましたが、その後急速に娯楽の場と化してしまいました。20年ぐらい前には「大学の学園祭はこれでいいのか?」という議論がしばしば話題になったものです。しかし、今や大学の学園祭なんてそんなものとみんな割り切っており、「屋台ばかり」だとか「くだらないイベントばかりだ」と心で思ってはいても、真顔で非難する人もいなくなってしまいました。私も今さらそんな非難をしようと思ってこの文章を書き始めたわけではありません。むしろ、屋台であろうと、おもしろおかしいイベントであろうと、その実施に向けて一所懸命努力している学生たちを見ていると、頑張っているなあと思ってしまうぐらいです。しらけて見ていたり「学園祭は秋休み」と関心を示さない学生よりずっと魅力的に見えます。敷かれたレールの上をはみ出すことなく歩くことしかできない学生が増えつつある時代ですから、いつもと違うことに挑戦してみようという学生は、やっていることがお遊びでも輝いて見えます。(もちろん、始終そんなことばかりやっていて、日常的に勉強もしない、本も読まないということでは評価できませんが。)学園祭を秋休みにしている学生たちの中にも、積極的にそうしているのではなく、関われるものがないので、結果的にそうなっているだけで、本当は何かしたいんだという人も少なくないでしょう。でも、待っているだけでは、おもしろいことはやってきません。自分で1歩踏み出してみないと。これは学園祭だけのことではないですね。日常生活をきちんと送ることはとても大切なことだと思いますが、ちょっと生活にアクセントをつけてみたいなと思ったら、小さな勇気を出して1歩踏み出してみることです。そこには思いがけない世界が待っているかもしれませんよ。

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67号(2001.10.14)徳のあるお坊さんに会いたい

 先日親戚がなくなり、その告別式に参列しましたが、そこに来ていたお坊さんの話があまりに中身がなく、心の中で実に憤慨しました。学校の先生をやっていたという方でしたが、こんな話では生徒たちもさぞや退屈だったろうなと思いました。こんな中身のない話とお経を読み、戒名をつけただけで、50万円もぶんどっていくのですから、なにをかいわんやという感じでした。しかし考えてみると、今回ばかりではなく、私はこれまでに心にしみいるような話を聞かせてくれるお坊さんに出会ったことがありません。自分の父親の葬儀の時に来たお坊さんも大学の先生(確か英文学か何かでした)をやっているとかで、私が大学の教員だと聞くと、悲しみにうちひしがれている私に向かって「大学もこれから大変だ。君の大学はどうだい?その大学ならなんとかって先生がいたはずだけど、知らないか?」といった現実的な話ばかりしてくるしょうもない奴でした。それでも、時が時なだけに抗議することも叶わず、ただ適当に相づちを打つしかありませんでした。通夜や告別式の時のお坊さんの話ってどんなに下手くそでも、参列している人たちはとにもかくにも神妙な顔して聞かなければいけないのですから、彼らの話も進歩しないわけです。たまに冗談を言って笑いを取ろうとするお坊さんがいますが、「場をわきまえろ!」と言いたくなります。お坊さんは、えてして教師を副業(?)としてやっている人が多いのですが、教師だから話が下手なのか、坊主と教師の二足の草鞋だからだめなのか、よくわかりませんが、本当にがっかりさせられることばかりです。一度でいいから、徳のあるお坊さんに会いたいものだと思っています。通夜や告別式の時に、心にしみいる話というのを聞かせてほしいものです。片手間で坊主をやっているような人ではなく、プロの宗教者としての自覚をもったお坊さんに会ってみたいのです。

 現在「葬式仏教」とも揶揄されるようになった既成仏教も、かつては人の心の苦しみや悲しみを癒すものとして誕生したり、導入されたはずです。今、苦しいことや悲しいことがあったときに、お寺に行って、お坊さんと話をして癒してもらおうと考える人がどれだけいるのでしょうか?たとえ行ってみても、「住職は、今日は授業があるので学校にいっています」なんてことを言われてしまうかもしれませんね。既成仏教がこんな体たらくだから、新宗教、新々宗教などがはびこるのです。こんなことを言ったら、臨床心理を専門にしている人に怒られるかもしれませんが、宗教がもっとちゃんと機能していたら、臨床心理もこんなに流行ってはいないのではないでしょうか?臨床心理の盛況は既成仏教の衰退と表裏の関係にあるように思います。既成仏教に対してきつい書き方をしてきましたが、密かに期待する部分はあるのです。せいぜい百何十年かの歴史しか持たない学問を大学院でちょっと勉強しただけで「臨床心理士」とかの肩書きをつけてカウンセリングしている人よりも、2500年も前から人間の懊悩について考えてきた仏教の伝統を真摯に受け継ぐプロのお坊さんの方がきっと人の苦しみや悲しみを癒す力があるはずだと、まだ一縷の期待を持っています。どこかにそういう素晴らしいお坊さんはいないでしょうか?会って話を聞いてみたいのですが……。できれば、高名なお寺の高名なお坊さんではなく、町中のなんということもないお寺のお坊さんで、そういう人はいないかなと思っています。誰か知っていたら、教えて下さい。

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66号(2001.10.14)戻っておいでよ、4回生

 前期の授業の「前説」で、大学生たちがあまりに就職活動に翻弄されているのを危惧して、「楽しめ1回生、気にするな2回生、焦るな3回生、戻ってこい4回生」というキャッチフレーズを提起しましたが、10月ともなってくると、少し状況は変わってきますね。今、唱えるとしたら、「まだまだ楽しめる1回生、ちょっとずつ考えておこう2回生、気になるよね3回生、なんで戻ってこないの4回生」というところでしょうか。3回生たちの就職活動に向けての準備が始まる時期です。焦る必要はないですが、気にするなと言ってももう無理でしょうね。自分は何をしたいのかという「夢」と、どんな仕事ができそうかという「現実」との狭間を、少しでも夢に近い方で埋められるように努力してみましょう。ただし、その努力はすべて大学の外で行われるものだと思わないで下さい。大学の授業に真剣に取り組み、先生や友人たちと腹蔵なく話をしたりすることで、見えてくるものもたくさんあるはずです。(もちろん、大学以外の場がどうしても必要だったら、そうした場にも積極的に入っていったらいいと思います。)

 3回生の就職活動が始まるということは、逆に言えば4回生の就職活動はもうほとんど終わったということのはずです。ところが例年のことですが、就職が決まっても大学に戻ってこない4回生がかなりいます。理由はいろいろあるのでしょう。もうゼミ以外の単位は必要ない、今のうちにアルバイトでたくさんお金を稼いでおきたい、前期の就職活動ですっかりさぼり癖がついてしまった、教室に行っても同学年の友人に会えない、等々。もったいないなあと思います。確かにどうしても取らなければいけない単位はもうあまりないでしょうが、だからこそ本当に興味のある授業を聞けるチャンスじゃないですか?大学に入学した頃は、心理学の授業やマスコミ学の授業なんかもたくさん履修してみたいと思っていませんでしたか?履修しなければいけない科目をほとんど履修し終えた今こそ、好きな科目を聴講できるチャンスなのに……。お金も何かと入り用でしょうから、アルバイトもしなければならないのでしょうが、平日の昼間をほとんどアルバイトで埋めてしまうのはもったいないですよ。週に3〜4日ぐらいは授業を聞くために大学に来ても、まだアルバイトをする時間はたっぷりあると思うのですが……。実際はアルバイトに行くわけでもなく、だらだら過ごしている時間がいっぱいあるんじゃないですか?昼まで寝ていたりしていませんか?

 実は授業に行っても同学年の友人に会えないというのが、4回生をして授業に行く気にさせない最大の理由なのかもしれませんね。きっと昼ぐらいから起き出して、ゆっくり朝昼兼用の食事をして、サークル活動が活発になりはじめる3時、4時くらいに大学内外のサークルのたまり場に集まるなんて4回生は多そうな気がします。多くの人が友だちに会えるのを最大の楽しみにしていますからね。そんなことは重視していないという人は一人でも授業に出るのでしょうが、たぶんそういう人は少数派ですよね。邪道ですが、みんなで連絡取り合って、「今日は理論社会学に出席しよう」とか「明日は○○心理学を聞いてみよう」とかやってみたら、どうでしょうか?大教室だったら履修登録してない学生がもぐって聴いていても何の問題もないでしょう。友だちには会えるし、授業も聞けるしで、一石二鳥だと思うのですが……。まあでも、実際にはそんな奇特な行動を取る学生なんてまずいないでしょうね。言ってみただけです。

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65号(2001.10.12)品と美

9月まで放送していた「非婚家族」というドラマを毎週見ていました。2枚目だけれど結構くせのある演技をする真田広之という俳優が好きで、彼の主演するドラマはおもしろいのが多いのでいつも見ることにしています。これまでの作品では、「高校教師」、「タブロイド」などが非常におもしろかったですね。今回の「非婚家族」も、原作が柴門ふみ(彼女のマンガはそんじょそこらの心理学書より心理学的だと思います)でしたので、おおいに期待していたのですが、結局ストーリー的には特筆すべきものはありませんでした。それでも、このドラマを毎週見てしまったのは、鈴木京香という女優さんの品のよい美しさのせいでした。彼女、きれいですね。10数年前にどこかのキャンペーンガールとしてデビューしたように記憶しています。当時は、確か東北の方の大学の学生だったのではなかったでしょうか。その頃からきれいな人でしたが、今の方が美しさを増していますね。品が増しているような気がします。

多くの男性がそうなのだと思いますが、私も品のよい美しい女性にはひかれます。「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン、小津映画の原節子、「夢千代日記」の吉永さゆり、みんなため息が出るほど美しいですね。顔立ちが美しいというだけでは、彼女たちの域には到達しえないでしょうね。何か内面からにじみ出るような美しさというのが、彼女たちにはあるように思います。それを「品のよい美しさ」と呼ぶのでしょう。今、街にはきれいにお化粧をし、セクシーな格好をした女性たちがあふれていますが、滅多に「美しい人だな」と思うことはないですね。もちろん、上にあげたような女優さんたちのレベルを期待しているわけではありませんが、「品がいいな」と思う人に出会えないので、「美しい」と思えないのでしょう。「品」は何も女性のみに求められるものではなく、男性にも求められるものでしょうが、男の場合はワイルドな魅力というのもあるようで、女性ほどには「品のよさ」は求められないかもしれません。

「品」とは何なのでしょうか?九鬼周造という戦前の哲学者が「粋」を分析した有名な『いきの構造』という本がありますが、「品」も分析に値するでしょう。ブルデューが「ハビトゥス」という概念を使って分析したかったのも、この「品」の違いだと言えるかもしれません。私たちは、どういう時に「品がいい」と思うのでしょうか?丁寧な言葉遣い、マナーをわきまえた作法、感情的にならない理性的な態度、相手を思いやる気持ち……。自分で書いていてあまりにも自分に足りないものばかりで恥ずかしくなってきますが、まあ自分のことは棚に上げて言えば、これらはすべて人の外見部分ではなく、内面に関係したものです。時間をかけて経験と知識と鍛錬を積むことによってはじめて作り出しうるものです。小さい時からのしつけというのも大きな影響を与えるでしょう。成人してからでも品をよくしていくことはできるでしょうが、意識して演じるのではなく、自然とにじみ出るようになるのは、時間がかかります。子供時代からそうしたしつけを受けてきた人にそうしたしつけを受けてこなかった人が追いつくのはなかなか大変でしょう。

 本当の美しさは「品」とともにあります。外見ばかり磨くのではなく、この内面の美しさとも言うべき「品」を身につけるように鍛錬してほしいものだと思います。

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64号(2001.10.12)「大坂」を歩く――坂道の魅力――

古い町を歩いていて魅力的だなと思うもののひとつに路地があります。「えっ、こんなところに道があったの?」と思うほどの狭い路地を抜けたら、ぱあっと海が開けていたなんていうのも素敵ですし、家々の軒が連なる路地は昔の生活の生業を容易に想像させてくれます。こうした路地に傾斜がついた坂道はまた一段と趣深いものです。寺の多いところでは、お寺の白壁がそうした坂道にアクセントをつけてくれます。特に急傾斜だと、坂下からは坂上の様子が窺えず、一番上まで行ったら何があるんだろう、どんな風になっているんだろうと、わくわくします。そして上まで登って見下ろすと、今度は視線をずっと先まで送ることができて実に気持ちがいいです。こういう坂は港町に多く、魅力的な景観を形作っています。港町がロマンティックだと言われるのは、こういう景観がたくさんあるせいでしょう。尾道なんかはそうした景観をもつ典型的な町のひとつでしょうね。だいぶ近代化されてしまっていますが、長崎や神戸にもこういう坂道があります。いずれもみんなが旅をしたくなるようなところですよね。

実は大阪にもそういう場所があります。近くに住んでいる人や近辺の学校に通っていた人はよくご存知かと思いますが、四天王寺・夕陽丘周辺がそうした坂道の多いところです。大阪はもともと、上町台地が南から北に半島のように突き出た場所でした。「浪速(なにわ)」と呼ばれるようになるだけの自然条件はあったわけです。台地の周辺が河川の運ぶ土砂等で陸地化した後も、高低差はかなりあったため、坂の多いこの地は「大坂」と呼ばれ、それが明治期以降「大阪」と書かれるようになったのです。この上町台地の東側は比較的緩やかな勾配ですが、西側は急勾配の崖地のようになっていますので、上で述べたような魅力的な坂道があちこちにあります。今宮戎と四天王寺を結ぶ国道25号線沿いにある安居神社(真田幸村の戦没地)脇の天神坂から北側に、清水坂(大阪市内唯一の滝のある清水寺脇の坂)、愛染坂(愛染かつらと豊臣秀吉が建てた多宝塔の残る愛染堂へ続く坂道)、大江神社の坂、口縄坂(ここにあげた中で一番趣のある坂)、源聖寺坂といった坂が、直線距離で約1kmぐらいの範囲に並んでいます。周りは寺社と学校が多く、通天閣からすぐ目と鼻の先のこんな所に、こんな静かな空間があったのかと驚くばかりです。大阪の南の方は猥雑な感じがして嫌いだと思っている人も、このへんを歩いたら大阪の印象が一変すると思います。ぶらっと町歩きをしてみたい人にお薦めの場所です。

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63号(2001.10.5)敬遠フォアボールは禁止すべき

 狂牛病、同時テロ、ロシア機墜落と心胆を寒からしめるような事件が続く中で、スポーツの方は、まるで漫画のように劇的な近鉄の優勝、高橋尚子の世界新記録達成、イチローの新人最多安打記録更新など明るい話題が多くあり、少しだけ心を和ませてくれます。私にとって物心ついたときからのヒーローである長島茂雄巨人軍監督の勇退も暗いニュースと言うより、久々に野球界でビッグ・イベントが行われたという印象です。そんな中で、納得がいかないのが、ホームランの新記録を狙う近鉄のローズ選手に対するダイエーの敬遠策です。今回に限ったことではないのですが、ホームラン王争いをしている選手が対戦チームにいたりすると、敬遠で勝負をせず打たせないようにするということは、これまでにもしばしば行われてきています。私は以前から、敬遠フォアボールは禁止したらいいのではないかと思っていました。今回のように記録やタイトルがかかったときばかりでなく、試合に勝つためのひとつの作戦として、強打者を敬遠するという作戦は頻繁にとられます。かつて松井選手が高校時代に甲子園で4打席連続敬遠で打たせてもらえず、松井のいた星陵高校は明徳義塾に敗れたのを覚えている人は多いのではないかと思います。こういう作戦で勝っても心から喜べるのでしょうか?アンチ巨人にしても、ピンチで松井が敬遠されたら喜ぶのでしょうか?そんなことはないでしょう。ピンチで松井と勝負をして討ち取ったときに、はじめて溜飲を下げるのでしょう。スポーツの世界くらい裏表のない真剣勝負の場であってほしいと思います。

 そうは言っても、ルールで認められている限り、敬遠という作戦はとられ続けるでしょう。そこで、こうした盛り上がりに水をさすような敬遠をなくすために、敬遠フォアボールを禁止すべきだと思っています。敬遠フォアボールが禁止されて残念がる野球ファンはほとんどいないと思います。しかし、中には露骨な敬遠はしないけれど、ぎりぎりのところを狙ってフォアボールを出すということは可能ではないか、敬遠フォアボールとそうでないフォアボールの境界はあいまいではないかと心配される方もいるでしょうが、そこは審判員の判断に任せればいいと思います。ストレートでフォアボールになったとしても、それなりに勝負の意思が見えていれば構わないでしょうが、故意のフォアボールだと審判員が判断した場合は、バッテリーともに退場に処すことができるということにしたら、力の入った勝負が増えて、今より野球はおもしろくなると思います。

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62号(2001.9.24)大相撲の危機

 相撲好きという学生がまわりにほとんどいないので、あまり話したことはありませんが、実は私は結構相撲通です。母親が昭和34年に現天皇夫妻の結婚式見たいがために奮発してテレビを買ったのですが、4歳の私には、結婚式の映像をテレビで見た記憶はまったくありません。なのに、引退間近だった横綱・栃錦の汚いお尻(栃錦のお尻は、傷やら出来物やら絆創膏やらで、汚いことで有名でした)を家のテレビで見た記憶ははっきりあるのです。その時以来、40数年、熱心さにはいろいろ波がありましたが、ずっと相撲を見続けてきたわけです。その上、父親も大の相撲ファンで、ベースボールマガジン社が出していた(今でも出していますが)『相撲』を創刊号から家にとってあったので、暇があると、古い相撲の本を眺めていたので、自分が生まれる前に活躍した力士でも結構詳しく知っています。

 その「通」の目から見て、現在の大相撲界は未曾有の危機に直面していると断定していいように思います。この危機は数年前から始まっていましたが、今場所は実にくっきりと顕れてしまいました。1横綱3大関が休場し、うち一人の大関(雅山)は、先場所の出島に続き、関脇への陥落が決まりました。出場している強いはずの横綱・武蔵丸が平幕力士にころころ転がされ、腰に不安を抱えた大関・武双山も多くは望めません。上位力士が弱い時代は過去にもありましたが、そういうときにはスター性のある若手力士が幕内上位に現れてきたりしたものですが、今はこれといった力士が見あたりません。もちろん、誰かが負ければ誰かが勝つのが相撲ですから、相対的によい成績をあげる若手力士は今場所もいたわけですが、琴光喜にしても、栃東にしても、朝青龍にしても、時代を担えそうな気はしません。琴光喜は今場所優勝しましたし、大関にはいずれ上がるでしょうが、もう相撲ができあがっていて、これから大化けする力士ではありません。性格は良さそうなので、応援したくなりますが、かつてのまじめな大関・琴風まで行けばいい方でしょう。栃東も同じようなものです。どちらかといえば、朝青龍の方が大化けする可能性を秘めています。体はあまり大きくはないし、相撲も荒っぽいですが、大横綱・千代の富士が伸びてきたときをちょっと思い起こさせます。ただ、その後千代の富士は相撲の取り方を正攻法に変えて成功したのですが、それが朝青龍にもできるかどうか。飛んだり跳ねたりして簡単に勝てたりすると、その安易さに慣れて正攻法の相撲を身につけないまま、大成せずに終わってしまう力士の方がはるかに多いのですから。他にも、有望な力士は何人か名前があがりますが、時代を作るスター性は感じられません。一番最近時代を作っていたスターと言えば、やはり貴の花でしょうが、もう彼はだめでしょう。あの「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」で終わりでしょう。今後1,2度優勝することはあっても、あの膝の怪我は力士としては致命傷でしょう。精神的にも数年前から、もうだめになっていますし。魁皇もあの慢性的腰痛を抱えていては、うまくいって短命の横綱でしょう。本当は、武蔵丸あたりが50連勝ぐらいすれば、大相撲も少しは盛り上がるのですが、実力はあっても淡泊な性格のようですから、何十連勝もしそうなタイプではないですね。

 こうした危機状態は過去にもあったもので、次のスターが現れるまでの過渡期なのだという解釈をする人もいるでしょうが、私にはそうは思えません。これはしばしば指摘されることですが、力士がみんな大型化してきて、相撲が単純化してきています。「寄り切り」、「押し出し」、「はたき込み」、「上手投げ」の4種類ぐらいの決まり手で、6〜7割の勝負が決まっているのではないかと思います。かつての相撲で醍醐味を見せてくれた土俵中央から一気に持ち上げて土俵外に運び出す「吊り出し」や、土俵際での「うっちゃり」なんて、まったくお目にかかれなくなりました。みんな太りすぎて、持ち上げたりできなくなってしまいました。たまに変わった技が出ても「足取り」ですからね。まるでレスリングですよ。かつてのように多様な個性と技をもった力士によって相撲界が再び盛り上がる日が今後来るかと言えば、その可能性は低いと思います。サッカーのように、あるいは野球のようにマスメディアに注目され、スマートさを感じさせるスポーツなら、これからもそのスポーツのスターになろうと努力する若者は出てくるでしょうし、マスメディアも間接的にその手助けをするでしょうが、相撲ではそうはいきません。ただでさえ、しんどいことはしたくないという時代です。いくら「土俵にはすべてのものが埋まっている」(相撲で頑張れば、お金も名誉も何でも手に入るという意味)と言われたって、もともと結構裕福に暮らしている今時の若い人が相撲取りになって頑張ろうなんて思うはずはありません。出世していくのは、大学相撲からプロへ転身して行くような力士ばかりでしょう。安易に促成栽培のようにできあがった力士が一時の勢いで大関まで上り、勢いがなくなると、大関を守れず落ちていくということの繰り返しになりそうです。時代が相撲というスポーツを見捨てつつあるという気がしてなりません。

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61号(2001.9.13)戦争と正義

 アメリカで起こった事件のあまりのすさまじさにしばらく言葉を失っていました。アメリカはこの同時テロをアメリカに仕掛けられた「戦争行為」と解釈し、いつでも戦争ができる体勢を整えつつあります。NATOもそれを支援する声明を発表しました。テロの計画・実行主体はまだわかっていませんが、イスラム教原理主義の過激派の仕業という推測が強まっています。実際はどうなのかは現時点ではわかりませんが、TVで何度も流された今回の事件を知って喜ぶパレスチナの民衆の姿を見たり、オサマ・ビン・ラディンという人物の発言を聞いたりしていると、今回のテロが彼らと関係なかったとしても、いつの日かイスラム教圏とアメリカを中心とした先進資本主義圏との戦いの火蓋は切って落とされるのではないかという気がしてなりません。その時は、日本も逃げられないでしょう。なぜなら、この戦争は、宗教を前面に出しつつも根底の部分では貧しい国々と豊かな国々との「南北戦争」の様相を呈するからです。

 まともに考えたら、貧しい国々が豊かな国々に勝てるはずはないという結論に達しそうですが、必ずしもそんな単純な結論にならない可能性も考えられます。現にアメリカは小国ベトナムとの戦争に勝てなかったし、イラクとの湾岸戦争だって一応勝ったことになっていますが、サダム・フセインは相変わらず健在で、イラクの民衆は反米の立場を変えていないわけです。さらに、最近大きな国際会議が開かれるたびに、過激な行動を起こして耳目を集める各種のNGO団体は、「獅子身中の虫」としてアメリカをはじめとする豊かな社会に混乱を引き起こそうとするでしょう。また、宗教がからめば、人は死を怖れなくなるのは、今回の自爆テロばかりでなく、歴史の中では何度も証明されていることで、「コスト−ベネフィット」計算で、戦争を終わらせることは困難になります。

 第2次世界大戦が終わって56年。現在に至るまで実際には毎年のように世界の各地で戦争は起こっていたのに、日本人は「朝鮮戦争」が終わり、「キューバ危機」が回避されて以降、世界大戦が起こるという心配を本気でしてこなかったと思います。特に、ソビエト連邦が解体し、「資本主義 vs. 社会主義」という構図が薄れてからは、ますます戦争は遠いどこかの話になっていました。しかし、今回の事件で、日本も巻き込まれる世界的な規模での戦争はまだまだ起こりうるのだということを再確認させられたと思います。日本には、「戦争の放棄」を唱った憲法がありますが、この憲法を前面に出して、今後も日本だけは戦争に巻き込まれないように逃げ切るのか、それとも「マッチョ」な小泉首相の下、憲法を改定して、同盟国アメリカとともに、戦争に突っ込んでいくのか、今微妙なところにあると言えるのではないかと思います。

 それにしても、今回の展開を見ながら、戦争というのは、こうして起こるんだなということを実感しつつあります。ともに、自分の行動を正しいと信じる集団同士が互いに譲り合わないことで、結局軍事力を行使しあわなければならなくなるということです。どっちが「正義」かなんて誰にも決められないのです。今回の大量殺人につながったテロ行為は当然非難されるべきですし、その実行主体には責任を取らさなければなりませんが、本来それはまずは法的裁きであるべきなのに、今回は最初から軍事的報復を行うということで、世論が作られつつあるのが怖しい気がします。しかし、これがニューヨークではなく、東京だったら、やはりわれわれ日本人も、「軍事的報復」を考えるのかもしれません。いずれにしろ、大量の人間を巻き込んだ自爆テロなどという行為までを可能にさせるほど自らの行為に対する正当化をはかれた背景にあるものを無視しては、今回の事件は理解できないし、その背景の改善がなければ、こうした事件は今後も何度なく繰り返すだろうと言わざるをえません。「正義」と「正義」がぶつかりあって、人は再び戦争へと駆り立てられていくのでしょうか?

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60号(2001.8.10)ドタキャンのコスト

 土壇場になってからキャンセルすることを「ドタキャン」と言いますが、最近この「ドタキャン」を軽くする若い人が少なからずおり結構気になっています。前日や当日になって、急に行けなくなったと言い出すのは、大変迷惑な行為だということをもっとちゃんと自覚してほしいと思います。フォーマルな旅行会社のツアーであれば、払い込んだ額の50〜100%のキャンセル料を取られるところですが、インフォーマルなイベントや人間関係においては、そういう目に見える形でのサンクションはありません。しかし、実は「ドタキャン」のコストは、インフォーマルな関係においても非常に大きなものです。いや、明確な責任の取り方をしていない分だけ、フォーマルなキャンセル料を支払った場合より、より後の余波は大きいと言ってもいいかもしれません。「ドタキャン」を1度すれば、「えっ、そんな人だったの?」と懐疑の目で見られ、2度、3度とするようであれば、もう誰も信用しなくなります。人間社会を生きていく上で、「信用」というのはもっとも大事な要素のひとつです。それを失ったら、ろくな人生を歩めません。一度行くと約束したら、余程のことがない限り行くべきです。親族に不幸があったとか、全く動くことができないというなら、仕方がありませんが、「体がしんどい、痛い」なんて、「ドタキャン」をする正当な理由にはなりません。こういった甘ったれた「ドタキャン」は圧倒的に女性に多いですね。「ごめ〜ん」ですべて済むと思っているのでしょうか。そんな無責任な姿勢では仕事はもちろん、家庭だってうまくやっていけません。

 どうしてこんないい加減な風潮が広まっているのでしょうか?小さいときから責任感が身に付くように親がきちんと教育していないということも一因でしょうが、携帯電話の普及もこれに加担しているように思います。携帯電話が普及することによって、いつでもどこでも連絡が取れるので、正確な待ち合わせ場所と時間を決めない、あるいは決めていても気楽に遅れていく、そして果ては「ドタキャン」をするということが行われやすくなったのではないかと思います。連絡さえつけばそれでいいんですか?「ごめ〜ん」と一言言えばそれでいいんですか?その集まりを成功させるために準備してきた人に対する申し訳なさで心は痛みませんか?ポケベルや携帯電話などというものがなかった頃は、みんなもっと約束を大事にしていました。時間と場所を決め、行くと言った限りは時間に遅れないように必ず行く、これは常識でした。携帯電話は確かに便利です。しかし、その便利さが人間をだめにすることがないように、自らをコントロールしてほしいものだと思います。

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59号(2001.7.26)大国のわがまま

 「先進国で世界のことを勝手に決めるな!南北の貧富の差の固定化につながる」と抗議するNGOの過激な行動で、死者まで出すほど荒れたジェノバ・サミットが閉幕しました。ニュースの解説で指摘している人もいましたが、私ももうサミットなどという会議はやめた方がいいと思っています。一体、誰がサミットをやりたがっているのでしょうか?おそらく、国際的政治家として全世界の注目を浴びる先進各国の首脳たちなのでしょう。日本国民がサミットのおかげで恩恵を被ったなんてことは、私の記憶の限りでは何もありません。大体、ロシアは先進国なのでしょうか?まあ、バランス・オブ・パワーを考えれば、人口も多いし、核兵器も持っているし、入れないわけにはいかないのかもしれませんが、それでいったら、中国だって入れなければいけないでしょうし、インドだって入る資格がありそうです。明確な基準もないまま、先進国、大国と自負する国々が集まって勝手な話し合いをしているのが、サミットです。そこで話がまとまるならまだしも、「京都議定書」をめぐる問題で明らかになったように、8カ国で話したってまとまらないものはまとまらないのです。そもそも地球全体に関わるような問題を話し合う場は、国連総会であるべきではないのでしょうか?サミットとは実に中途半端な会議です。

 では、その国連はちゃんと機能しているのでしょうか?詳しいことはよくわかりませんが、サミット以上に疑問に思うのが、国連安全保障常任理事国というポジションです。今は、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国でなっているはずですが、これは第2次世界大戦の戦勝国ばかりです。世界経済に大きな影響力をもつドイツも日本も、第2次世界大戦の敗戦国であったがゆえに常任理事国にはなっていません。今、日本の中で、常任理事国入りをめざすべきだという主張もあるようですが、そんなことをするよりも、常任理事国という制度自体をなくすべきです。国際平和の維持に大きな影響を与える大国といったって、結局の所、最後は自国の利害で動いているのですから、特別な役割を果たす常任理事国を固定化しない方がいいと思います。国連総会の場で投票によって、2年間なり3年間なりの任期を勤める理事国を選べば済む話です。現在、世界のほとんどの国は、民主主義の原則に則り、投票で権力行使者を選んでいるはずです。その総元締めとも言うべき国連で、その制度が採用されていないのはおかしな話です。これもサミットとともに大国を自負する国々のわがままによって続いている制度としか思えません。

そのわがままの最たる国がアメリカです。ブッシュ大統領に代わってから、特にアメリカのわがままは露骨になったように思います。クリントン政権時代に実質的に承認していた「京都議定書」からの離脱を宣言し、北朝鮮や中国を仮想敵国としてミサイル防衛構想押し進めています。日本との関係でも、「不平等条約」そのものである日米安保条約の地位協定の改訂は断固として行おうとせず、運用改善で押し切ろうとしています。世界の警察、世界の盟主のような顔をしてアメリカがやっていることは、結局自国の利益の最大化にすぎないのです。私は、地位協定の改訂すら行おうとしないアメリカ軍の基地は日本に一切不要だと思っています。今や、日本にあるアメリカ軍の基地は日本の安全のためにあるわけではなく、東アジアにアメリカが睨みをきかせるためにあるのです。なのに、日本はこのアメリカ軍のために「思いやり予算」などというわけのわからない名称で、厖大な額の国家予算を提供しています。そして、毎年のように繰り返されるアメリカ兵による犯罪。はっきり「出て行け!アメリカ軍」と言える政治家はいないのでしょうか?対アメリカ関係においては、小泉純一郎は全く期待できそうにありません。ほとんどアメリカ追従と言ってもいいような発言しかしていません。この点では、石原慎太郎の方が「骨太」です。サミット廃止、国連安全保障常任理事国制度廃止、米軍基地の日本からの完全撤退、言葉として並べてみるとすごく過激な感じがしますが、当然の要求として出されていいものだと思うのですが……。

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58号(2001.7.20)3分の1の幸せ

心理学の専門家ではないので、何の学問的裏付けもないのですが、自分自身のこれまでの経験からすると、3分の1ぐらいの確率でいいことがあれば、結構楽しくやっていけるような気がしています。3日に1日ぐらい今日はいい日だなと思えたら、結構幸せですし、3人と知り合いになった時に、そのうちの1人とかなり気が合えば、十分ラッキーだし、3回デートして1回がとても楽しければ満足してもいいのではないでしょうか。でも一般的に、人は2分の1ぐらいの確率でうまく行くことを無意識に期待しているように思います。「今日はだめだったから、明日は必ず」とか「今回は負けたから、次は勝つ」といったぐあいに。世の中には二者択一のように見えるものが多いので、半分ぐらいは成功することを自然と求めてしまうのでしょうね。でも、日々の生活の中では、実際には二者択一でないことの方がはるかに多いのですから、2分の1もうまく行くとしたら、うまく行きすぎでしょう。まあでも、こんなことを書いている私自身がしばしば半分どころか、95%ぐらいの成功を求めて得られず(そんな確率で求めたって得られないのは当たり前なのですが)、落ち込んでいるのですから、如何に頭で理解していることと気持ちや行動を合致させるのは難しいかということですね。でも、自分のことは棚に上げて言えば、この「3分の1の幸せ」で満足できるようになれば、絶対楽になれると思いますよ。

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57号(2001.7.8)「義務結婚」の時代がやって来るかもしれない?

 ゼミの卒業生から「結婚しました」というメールを受け取って「おめでとう」と返事を書きながら、「何がおめでたいのだろう?」とふと疑問に思ってしまいました。かつては結婚した人の方がしていない人より幸せであるという前提が単純に信じられていたのかもしれませんが、今やその前提を何の疑いも持たずに信じている人って一体どのくらいいるのでしょうか?もちろん、現実の結婚がまだはるか遠くにあると思っている学生諸君の中には、「すてきな結婚」を夢見ている人も少なくないとは思いますが、結婚を現実的な問題として考えなければならない20代後半や30代前半のいわゆる「結婚適齢期」にある人たちは、「結婚=幸せ」という図式を信じているのでしょうか?最近の未婚率の急激な上昇という事実をみれば、少なくともその図式を信じられなくなっている人が増加していることは間違いないでしょうね。

最近20年間ぐらいの結婚に関連した流行語を思い出してみても、「幸せな結婚」をイメージできるようなものはほとんど頭に浮かんできません。逆に結婚なんかしない方がいいと思いたくなるような言葉ばかりが浮かんできます。結婚するパターンとしては子供ができたからやむをえず籍を入れる「できちゃった結婚」が当たり前になり、結婚式を無事にあげても新婚旅行から帰ってきてすぐに別れる「成田離婚」、同居を始めてもしばらく経てば「セックスレス夫婦」、いずれやってくる「家庭内離婚」、下手をすれば「熟年離婚」。子供を持てば持ったで、「お受験」から始まる受験競争と多額の教育費に悩まされるか、「家庭内暴力」や「援助交際」をしたりしないか、いやいや自分が「児童虐待」をする親になりはしないか、心配の種はつきません。こんな状況なのですから、「結婚しないかもしれない症候群」や「パラサイト・シングル」が流行語になるのも当然でしょう。

「幸せになれるとは思えないのに、なぜ結婚しなければいけないのですか」と問われたら、なんと答えたらいいのでしょうか?従来社会学者は、夫婦になることによって、個人は、「性的欲求の充足」、「子を持ちたいという欲求の充足」、「経済的安定」、「孤独感の解消」などが得られると語ってきたのです。しかし、性道徳観が緩くなった今では結婚しなくても性的欲求は容易に充足させうるし、自分の自由を束縛する子はあまり持ちたくないという人は増えているし(どうしても持ちたい人は結婚せずに「シングル・マザー」になることだって、昔に比べたらしやすくなり)、女性が生涯働くことに社会的な制約はなくなってきたので経済的には自立できるようになり、孤独感は情報通信機器も発達したので同性の友人たちとのつきあいで十分カバーできるようになっていますので、個人に対して結婚が何か特別の役割を果たしてくれるというミクロ機能主義的説明では、結婚へ人々を向けさせることはできそうもありません。

となると、後はマクロ機能主義的な観点から必要性を語るしかありません。男と女が結婚して子供を生み、育てることは社会の存続にとって必要なことなのだ、と。でも、そんな社会的必要性を説かれても、個人としてメリットが得られると思わなければ、人は動きません。それでも、無理にでもその方向に動かしたいなら、社会はいろいろな手を打ってきます。まずは、「アメ」を示すでしょう。新婚の夫婦に住居手当をつけますとか、3人子供を産んだら車を1台あげますとか。(現実にこういう手だては打たれています。)でも、「アメ」で効果が出ないとなったら、次は「ムチ」を使い始めるかもしれません。男女とも35歳までに結婚しなければ重税を課すとか、結婚が法律で義務化されるなんて発想も出てくるかもしれません。子供たちは勉強が嫌いでも、社会成員となってもらうためには、「義務教育」を受けなければならないのと同じように、男と女が結婚し、子供を生み出すことも、社会成員としての義務だと言い始める人が出てくるかもしれません。「義務教育」ならぬ「義務結婚」です。

なんだか怖しい発想ですね。自分で論理を展開させながら、自分で嫌になってきました。もちろん、「義務結婚」なんて法律化されるはずはないと思います。ただ、そんな発想も生まれうるような結婚をめぐる深刻な現状があるような気はします。「結婚は幸せへの道」と思ってみんな結婚に向かえれば、それにこしたことはないのですが……。でも、よくよく考えてみれば、昔の人たちも「結婚はしなければいけないもの」と思って結婚していたのかもしれません。法では決められていなかったけれど、社会的慣習として実質的な義務であったと言えるかもしれません。「結婚は義務ではなく、幸せになるためにするもの」というイメージは、戦後「恋愛結婚至上主義」が広まる中で短時間で急速に肥大化した「幻想」にすぎないのかもしれません。

56号(2001.6.16)なんとかならないか、学校行事

 先ほどまで子供の小学校で行われていた「親子スポーツ」なる行事に参加していましたが、あまりのセンスの悪さに一言書きたくなってしまいました。小学校5年生とその親が集まってただひたすら「玉入れ」です。もう少し工夫をしてほしいものです。貴重な時間を割いて出かけていって「玉入れ」では、なんともむなしかったです。まあ、これが1,2年生ならわからなくもないですが、5年生ですからね。子供たちも満足していたようには見えませんでした。

 昔に比べ、最近は親も参加させられる学校行事が随分増えています。しかし、どの行事も非常に安易な発想で行われていて、参加してみて充実感を得られることは滅多にありません。先日行われた「日曜参観」でも、子供たちの発表があると聞いて楽しみにでかけたのに、急に予定が変えられて丸々1時間、先生が「タバコの害について」の講義をしました。一体、どこの親が小学校教師による「たばこの害について」の話を聞きたかったのでしょうか。そんな人は誰もいなかったと思います。親を参加させるなら、よく考えてそれなりの準備をして行ってほしいものです。2年前に子供たちが通っていた「ロンドン日本人学校」で行われた「文化祭」は実に立派な行事でした。小学校1年から中学校3年まで各学年ごとにしっかり練習をして劇やミュージカルに挑戦していましたし、教室には何種類もの展示がなされており見応えがありました。他にも、お化け屋敷や、イギリスでは手に入りにくい日本語の本が激安の値段で売られるバザーも行われており、参加してよかったなと心から思える実に見事な企画でした。日本の小学校もちょこちょこと何回もつまらない行事をやるのではなく、こうした文化祭と運動会と後は1,2回の授業参観ぐらいで十分ですから、やる限りはしっかり企画を練って練習もしてやってほしいものです。選ばれて海外まで赴任してきた先生と大部分が公務員意識丸出しの日本の先生とでは、実力が違いすぎて、こんなことを望むのは無理な要望なのかもしれませんが。

 こうした安易な親参加型行事が増えることに関するもうひとつの危惧は、なんらかの理由で親があまり来られない子供たちに悲しい思いをさせてしまうということです。「みんな来ているのに、うちのお母さんは来られない」、「どうしてこんな行事をやるのだろう?」そういうつらい思いをせざるをえない子供たちの中に、学校不信の芽を生み出してしまいそうです。また、そういう思いを子供にさせたくないと思えば、小学校に子供が通っているうちは働きたくても働かないでおこうという判断に、母親たちを誘導してしまうことにもなると思います。学校は、先生と子供たちでしっかり作り、親は子供から学校の話をたくさん聞くことで、間接的に参加するのを基本とする方がいいと、私は考えます。「参加型教育」という美名に安易に騙されてはなりません。

55号(2001.6.2)郵便屋さん、気をつけて!

 さっき娘が帰ってきてこんな話をしてくれました。「今、そこで郵便屋さんに会ったけど、うちに来てたの?書留?ふーん。下に(うちはマンションの10階です)郵便屋さんのバイクが止まっていたんだけど、3人の中学生が、郵便屋さんの鞄の中を、なんかガサガサ探してたよ。なんか取ってたような感じがしたけど……。」おやおやと思いました。書留を届ける郵便配達の鞄の中には、現金書留も含む大切な郵便物ばかりが入っていると思いますが、その鞄に鍵をかけず、バイクから離れたら、あまりに危険です。娘は、はっきり見たわけではないと言っているので、ぎりぎりセーフだったかもしれませんが、日本の治安はよい、郵便物を盗むような人はいないという安心感は、もう通用しないと思います。郵便屋さん、くれぐれも気をつけて!(とここに書いても、これを読む郵便局関係者はほとんどいないでしょうから、郵便局に電話をして、注意を促しておきました。)

54号(2001.5.24)ちょっと気になる"!"マーク

 最近女子学生を中心として、携帯電話からメールをもらうことも少なくないのですが、そうした携帯電話から発信されたメールには、"!"マークが多く使われています。自分が携帯電話を持つまでは、「"!"マークをたくさん使うなんて、元気な子なんだ」と勝手に思い込んでいたのですが、携帯電話を持ってみて、必ずしもそうではないことに気づきました。どの携帯電話も同じ入力方式になっているのかどうかは知りませんが、ドコモでは、「かな入力」の時に、数字の0を6回押すと"!"マークが出てきます。そして、さらに3回押してようやく"。"(句点)が出てきます。6回でも結構面倒ですが、文章の最後に置ける記号としてはこれが最初に出てくるものですから、後3回押すよりは、"!"マークでいいやとなるのは、当然の選択でしょう。そうした事情を知らなかった私は、"!"マークを使うことには、特別な意味があると思い込んでいました。本来は、"。"(句点)で終えればいいような普通の文章も、"!"マークで終えることによって、印象が大きく変わります。"!"マークで終わっている文章は、とても元気ではずんでいるような印象を与えます。携帯電話の入力方式を知った今でも、しばしば誤解します。元気だと思われて困ることはあまりないのかもしれませんが、書かれた文章からでも相手のパーソナリティを推測しようとする私は、ちょっと困惑させられています。なんで、NTTはこんな入力方式にしているんでしょうか?考えすぎかもしれませんが、この入力方式の結果、日本のあちこちで、仮想「元気印」同士が「メル友」になっているような気もします。メールでやりとりしているときは、もっと積極的で元気な人かと思っていたけど、会ってみたら全然違っていたなんて話をしばしば聞くのですが、もしかしたら、これも"!"マーク効果ではないでしょうか。

53号(2001.5.18)「愛」と「恋」

 「恋愛」という言葉が広く普及しているので、誰もあまりこれを分けて考えないですが、実はこの2つは、かなり異なる感情だと思います。「愛」はいろいろな対象に向けられます。異性にも向けられるでしょうが、子どもにも、兄弟姉妹にも、友人にも向けられます。さらに人間だけではなく、動物にも植物にも、いや無機物にも向けられます。かわいいペット、大事に育ててきた観葉植物、こつこつ集めてきたコレクション、みんな愛情の対象になります。では、こういう「愛」の根源にある共通な感情とはどんなものなのでしょうか。私は、「愛」の基本は、慈しみや愛(いと)おしさ、つまり「かわいがる、大切にする」といった気持ちだと思います。そういう気持ちで満たされている時、人は精神的な心地よさを感じます。愛はゆったりした安らぎの感情なのです。

 これに対して、「恋」の方はまったく違う感情です。人は一般的には無機物に恋はしませんし、植物にも動物にも恋をしません。さらに、友人や兄弟姉妹や子どもにも普通は恋はしません。基本的に、恋は異性のみに向かうものです。(同性愛の人は、同性に向かうのでしょうが。)そこには、どんな感情があるかというと、ゆったりした安らぎの感情ではなく、どきどきする感情です。つまり、「恋」の方は、興奮につながるような刺激的な感情なのです。人は、ゆったりした安らぎの感情も好みますが、実はこの「どきどき感」もまた好きなのです。ゆったりした安らぎの感情で満たされた生活をしている人はとても幸せな人なのですが、しばしば「平凡でつまらない。何か刺激がほしい」とつぶやくのです。恋をしたがるのも、スリルが味わえるテーマパークのアトラクションを体験したいと思うのも、実は根っこの部分では同じようにこうした「どきどき感」を求めているからなのではないかと思います。

 この「どきどき感」は興奮という急激な生理的変化を伴いますが、こうした急激な生理的変化を起こしやすいのは、肉体的生理的柔軟性をもった若い人です。年をとった人は、何か刺激の強いことに出くわすと「心臓に悪い」という言い方をよくしますが、実際肉体的生理的柔軟性が落ちている年輩者にとって、急激な生理的変化を伴う興奮は危険です。こうした生理的な違いによって、「恋」と「スリル」は若者が主として楽しむものになっているわけです。もちろん、若いけれど、「どきどき感」より「安らぎ感」が好きだという人はたくさんいると思います。これは当然です。いくら若い人でも始終どきどきしていたら疲れます。刺激はたまにあればよいのです。しかし、もしもそのたまの刺激も要らないという人は、「恋」には不向きなタイプでしょう。でも、「愛」には向いているかもしれません。たぶんそういう人は「恋人」としてはおもしろみがないでしょうが、よい夫や妻、あるいはよい父親や母親になれる可能性は十分持っています。

 「恋」は若いときにたっぷり味わって、年をとったら穏やかな「愛」を、というのが、人の生理的変化に合った恋愛の変遷でしょう。つまり、いわゆる「恋愛」には「どきどき感」を求め、結婚してからは穏やかな「愛」を育んでいくという人生です。でも、実際には「恋」で得られる「どきどき感」をいつまでも欲する人も少なくないようです。まあ、結婚もしておらず、肉体的生理的柔軟性も落ちていない人なら、「恋」を求め続けてもあまり問題はないでしょうが、結婚している人たちが、「恋」を求め続けるとなると、話は違います。「どきどき感」というものは新鮮なものに対してしか生じません。「スリル」を味わうアトラクションでも、何回も経験したら、全くどきどきしなくなるように、「恋」は常に新鮮な相手を対象にしないとできないのです。だから、最初どきどきする相手だった異性(恋人)でも結婚して月日が経てば、どきどきしなくなります。つまり、配偶者はどきどきする「恋」の対象ではなくなります。つまり、あくまでも「恋」を求める人は、配偶者以外の異性に「恋」をせざるをえないのです。

 こうした「恋」は、しばしば「浮気」と呼ばれます。短期的であっても「恋」をしている限り、それは「本気」のはずですが、なぜか「浮気」と呼ぶのです。それは、配偶者や子供に対する思い(愛)と「浮気」相手に対する思い(恋)は別種類のものだという社会的認識があるからです。実際、家庭を壊す気のない浮気者たちが、あまり心を痛めずに「浮気」という「恋」ができるのは、この「恋」と「愛」の感情の違いを無意識のうちに利用して自己正当化を図っているからだと思います。しかし、配偶者が自分以外の異性に「どきどき感」を感じていると知ってしまえば、いくら浮気している方が、「君のことを愛おしいと思っている」「大切だと思っている」と言ったとしても、それは多くの場合、相手に受け入れられません。そして非難されれば、浮気している方も、もう相手に対して「安らぎの感情」(愛)も持てなくなります。「愛」と「恋」は別の感情ですが、対象が同じ異性である限り、互いに無関係というわけにはいかないのです。特に男女の「愛」は最初は必ず「恋」の時期を持っていますから、新たな「恋」が新たな「愛」へと転換しないという保障はどこにもないのです。こうした問題がたくさん起こりすぎないように、人間は歳とともに「どきどき感」という生理的興奮をしにくく――「恋」に向かなく――なっているのでしょう。

52号(2001.4.27)ちゃんと子供を注意して!

 最近ファミレスで食事をしていて続けざまに何度か嫌な気分を味わいました。それは、騒ぐ子供を全く注意しない母親たちとの遭遇です。小さな子供は、社会のルールを知らないから、大きな声を出したり、走り回ったりすることがあります。これは仕方がないことです。しかし、それを母親たちが黙認している(というより全く気にしていない)のは、おかしいのではないかと思います。確かに、大声で怒鳴りつけたり、叩いたりする光景も見たくはありませんが、一言も注意しないのは絶対おかしいと思います。こういう場面できちんと注意することで子供たちは、「ああ、こういうところでは騒いじゃいけないんだ」ということを学習するのです。注意しなかったら、子供たちは社会のルールを学べないじゃないですか。

 ここのところ、こういうことが続くので堪忍袋の緒が切れかかっています。今度そういう場面に出くわしたら、そういう母親たちに「ちゃんと子供を注意しなさい」と言ってしまいそうです。どんな反応が返ってくるでしょうか。「何よ!騒いでいるのはうちの子だけじゃないでしょ!」なんて、逆に怒鳴られそうな……。なんか恐いですね。話してわかる相手なら、忠告するのも意味があるのですが、そんな母親なら、他人に言われるまでもなく最初からちゃんと子供のことを注意しているでしょうしね。となると……。恐いなあ。やっぱり注意するのは、やめとこうかな……。

 それにしても、ちゃんとした子育てができるほどに大人になっている――社会のルールを知っている――のかどうか疑問を持ちたくなる母親――もちろん父親もですが――が多すぎます。親になる準備ができていない若い人が「できちゃった結婚」なんかで親にならないでほしいと思います。子供を殺す親や虐待する親は問題外ですが、注意しない親、ペット化する親、パラサイトさせる親もイエローカードです。「理想は友達親子」なんて言っているのも変です。親子は親子です。もちろん、子供が成人し独立すれば、同じ大人同士として話もできるし、尊重もし合わなければいけないと思いますが、中学生や高校生の娘と母親が「うちは友達親子」なんて言っているのを聞くと、「何考えているんだろ、この母親は」と疑問に思います。親として、きちんと威厳をもって、子供に向かってほしいものです。

51号(2001.4.27)活己為公

 「活己為公って何?」と思われたでしょうね。私の作った四字熟語です。もう前総理になってしまった森さんの座右の銘は「滅私奉公」で、これを朝日新聞はずいぶん叩いていました。悪しき戦前の思想を押しつけようとする不埒な総理大臣というところでしょう。でも、これに関しては、森さんは「滅私奉公の気持ちで、私は総理大臣を務めている」と悪びれるところはなかったですね。私は「滅私奉公」なんて考え方は、嫌いです。でも、それは戦前に金科玉条のように唱えられた言葉だからではなく、「私」(個人)を滅ぼして奉る「公」なんてないと思っているからです。「公」が大切ではないということではありません。私は、「公」を「国家」や「天皇」ではなく、「社会」と考えています。社会学者である私が、「公」(社会)が大切ではないなんて思うはずはありません。ただ、「私」(個人)を滅ぼして、という発想は受け入れがたいのです。

 確かに現代社会においては、健全な個人主義が利己主義にすり替えられ「公」(社会)を軽視する風潮が強まってきているという印象は私も持っています。「滅私奉公」なんて言葉を持ち出したくなる人が出てくるのもわからなくはないとも思います。でも「滅私奉公」は良い言葉ではないので、代わりに「公」と「私」がうまく調和できるようなものはないかなと考え作ったのが、この言葉です。「活己為公」と書いて、(かっこいこう)と読みます。意味は、漢字を見ていればわかると思いますが、「己を活かして、公の為となる」ということです。つまり、自分の能力を精一杯活かして生きることによって、結果として「公」の為となっているというのが、一番望ましい個人と社会のあり方ではないかということです。自らの欲求充足水準を上げるために勤勉・勤労の精神でこつこつと頑張ることによって、社会も豊かになってきた高度経済成長時代などは、まさに「活己為公」が自然と一般化していた時代と言えるかもしれません。

 今は難しい時代です。もう日本社会は豊かになりすぎ、これ以上は豊かにならない方がいいというムードが漂う時代です。高度経済成長時代のように己の欲求充足水準を上げるために、ただこつこつと働いていれば、それが「公」のためにもなっているなんて単純に思えなくなっています。「『公』なんて知らないよ、自分が楽しければそれでいいじゃないか」と割り切れる人は、何も悩まずに済むのでしょうが、そんな風に割り切れる人は意外に少ないのではないでしょうか。自分の存在が、自分の行動が、自分以外の誰にも必要とされていないなんて思い始めたら、さぞかしつらいでしょう。だから、みんな友達をたくさん欲しがるのです。友達は自分を必要としてくれる人たちと考えられるからです。携帯電話が鳴るとちょっと嬉しく思えるのは、「今、誰かが私のことを必要としている」という実感を持てるからです。だから、「おはよう」「何してる?」の一言でも意味のあるやりとりということになるわけです。「暇だよ〜」なんてメールを入れるだけでも、それで喜ぶ友達がいれば、友達関係という小さな「公」のためにはなっているのかもしれません。でも、この小さな「公」は大きな「公」につながるのでしょうか?

 友達とともに自分が必要とされていると実感しやすいのが家族です。まだ子供の立場にある学生諸君は自分が家族で必要とされているかどうか実感できないかもしれませんが、とりあえずお母さんが毎日の食事作りを放棄することなく続けてくれていることで、自分たちはひもじい思いをせずに済んでいるなあとか、お父さんがこつこつ働いて給料を稼いでくれているから自分は大学に行けるんだな、と想像するくらいは容易なことでしょう。家族は新たな社会のメンバーを作り出す集団なので、この小さな「公」は、大きな「公」につながっていくと思います。(だから、とりあえず将来結婚して子供も作って、その子たちをしっかり育てていくというのも、「公」のためになる立派な目標だと私は評価しています。)

 しかし、家族や友達との関係性だけでは、自分の存在が十分に活かされていると思えないまじめな人は、家族や友達の範疇には入らないような誰かのために何かをしようとします。たとえば、ボランティア活動などがその典型です。ボランティアをして、「ありがとう」と感謝されると、自分の存在が他人から必要とされているという感覚を味わえるのです。ただ、ボランティア活動はボランティアをする人にとって非日常空間で行われるものという位置づけなので、ボランティアをしているから自分の存在は「公」のためになっていると常に思えるわけではありません。より大事なのは、日常空間で何をするかでしょう。とは言っても、日常空間でも始終ボランティア的活動ばかりしているわけにもいきません。大多数の人は、日常空間では収入の得られる仕事をしなければなりません。結局行き着くところ、平凡でも自分の能力を精一杯使って一所懸命生きることでしょう。ただし、その際に他者のことも考えることが必要です。自分や自分にとって大切な人のことは誰でも考慮するでしょうが、もっと枠を広げて他の人のことも考慮すべきです。目に見えない他者のことまで考慮に入れるのは難しいとしても、目に見えている他者なら考慮に入れることはできるでしょう。家族じゃないから、友達じゃないから、知人じゃないから、なんて思わずに考慮に入れて下さい。そんな風に考えながら一人一人が自分の能力を精一杯使って生きていれば、その行動は巡り巡って「公」(社会)のためになっているし、まともな「公」(社会)ができあがると思います。オプティミスティックでしょうか?まあいずれにしろ、言うのは簡単でも実際に行うのは難しいのでしょうが……。

50号(2001.4.24)生まれ変われるなら、何年に生まれたいですか?

 今日、1980年生まれを中心としたゼミ生たちにこんな質問をしてみました。2001年生まれがいいという人、1985年生まれがいいという人、人間の生き方が単純であったずっと昔の時代がいいという人、いろいろいました。私も自問自答してみました。私は、現実の私の出生年である1955年生まれがいいと思っています。もちろん、誰しも自分の人生以外は経験したことがないわけですから、自分の出生年を答える人は多いのかもしれません。でも、戦争を経験している年輩の方々は、自分の出生年を答えるでしょうか?戦後のひもじさを経験している人は、もう一度あの経験をしたいと思うでしょうか?そう考えてみると、自分の出生年にもう一度生まれたいという人が必ずしも多数派になるとは限らないと思います。お父さんやお母さん、お祖父さんやお祖母さんに一度聞いてみて下さい。

 私は単純なのかもしれませんが、実にいい時代に生まれたなあと思います。戦後の貧しさからようやく抜けだしたがまだ豊かというにはほど遠い時代、政治的には安定期に入り、戦後作り直した日本の社会システムがうまく機能しはじめた時代、それが1955年頃だと思います。政治的に安定した日本が国際的地位を上昇させていく、日本人の生活が向上していく、そういう時代を体験しながら自らの価値観を作っていくことができたことを、とてもラッキーなことと思っています。少し上のベビーブーム世代なら、もう少しイデオロギーに引きずられやすかったでしょうし、もう少し後に生まれていたら、豊かさに侵されたのではないかと思います。今、自分が子育てしていて、しみじみ難しい時代だなと思います。この豊かさと溢れんばかりの自由さの中で、物の価値や忍耐を教えることは至難の技だと実感しています。時代に囚われずに、必要なことは教えればいいではないかと言われるかもしれませんが、子供には社会に対する適応を教えるのも大事なことですから、世間から隔離して仙人の子供のように生活させることはできません。結果、自ずと時代の風潮に巻き込まれます。

 まあ、でも実際には人間は生まれ変わることなどできないのですから、こんな机上の空論をいつまでも言ってても仕方がありません。必要なことは、どの時代に生まれた人も、その時代に生まれてよかったなと思える社会にしていくことですね。こんな時代に大学生をやっていたくなかった、こんな時代に老後を迎えたくなかったなんて思わなくてもよいような社会にしていくことです。1930年生まれも、1955年生まれも、1980年生まれも、互いに他の年生まれの人たちを羨ましがらせることができるような社会であるといいですね。とりあえず、私は1955年生まれでラッキーだったなと思っています。

49号(2001.4.21)準ともだち?――あるいは友達論――

 つい先日、職場の同僚に「片桐さんや○○さんは友達じゃなくて、『準ともだち』。職場に本当の友達はいない」と言われました。別に「友達」と思ってもらえなくてショックを受けたというわけではありません。友達じゃない「準ともだち」という規定の仕方を非常に興味深く感じたのです。「準ともだち」というのは、その言葉を使った方からすれば、決してマイナス評価で使ったわけではないと思います。むしろ、職場という本当の友達関係になれない環境の中では、かなり親しくしている人という意味だったのだろうと思います。今朝の『朝日新聞』にも、「だれと飲むのが楽しいですか」という質問に対する回答が、「友人・知人」(43%)「夫・妻」(23%)「職場の仲間」(5.6%)という結果で出ていました。「友人」と「知人」を一緒くたに扱っているかなりいい加減な調査ですが、いずれにしろここでも「職場の仲間」は「友人」とは別枠になっていました。一般的にはそんなものなんでしょうか。確かに、私も職場の同僚がみんな友達だとは思いませんし、飲んで楽しくないお酒に誘われることもあります。(まあ、私は嫌なことは嫌と言える方なので、断ってしまうことも結構ありますが。)でも、職場にも「友達」はいると思っています。別に職場だからと言って、友達にはなれないとは思わないのですが……。

 「友達」って何なんでしょうね?「本当の友達」、「親友」、「準ともだち」、「知人」、「顔見知り」、ずいぶんいろいろな言葉があります。若者言葉では「ツレ」っていうのもありますね。定義は、難しいでしょうね。かつて、大学生を調査した際に、「親友と呼べる人が何人ぐらいいますか」という質問をしたことがあります。0人と答えた人が3.4%、1人と答えた人が5%、他方20人以上と答えた人も2.3%いました。ちなみに平均値は、4.92人でした。(参考:片桐新自「現代学生気質――アンケート調査から見るこの十年――」『関西大学社会学部紀要』第30巻第1号、1998年)その他の項目との関連などから分析すると、この差は、現実の人間関係の差という以上に、「親友」という概念をどう規定するかの違いであると考えた方が良さそうです。「親友」を非常に深いつき合いのできる友人と考える人は、親友数が少なくなりがちで、もっと軽く楽しくつき合える友人程度で「親友」を考える人たちは、親友数が多くなるということでしょう。

 「親友」ひとつでもこんなに違いがあるのに、ここに「ただの友達」や「準ともだち」が入ったら、大混乱を起こしそうです。でも、現実にはみんな結構上手に友人関係を管理しています。ネーミングはともかくとして、どの程度のつき合いをしたらよい人なのか無意識のうちに計算して応対しています。最初は「顔見知り」程度のつき合いからはじめ、次に「知人」、「準ともだち」、そして「友達」となるのでしょう。そして、その友達の中で特にウマが合う人が「親友」になるのかな?私は、あまり意識的に友達づくりをしてきたことがないので、こういうプロセスを踏んで「親友」までたどりついたという実感はあまり感じないですね。ウマが合うかどうかは1,2回話して見ると、大体わかるし(もちろん、自分を作らずに率直に語り合えないとだめですが)、後は関心と利害を共有できるものが増えれば増えるほど親密さの度合いが増すように思いますが……。私が友人に求めているもの(そして自分自身にも課しているもの)は、誠実さです。友人関係という社会関係が持続するには、「誠実さ」が不可欠なものと思っています。

48号(2001.4.4)なんでICHIROで号外が出るの?

 昨日はニュースがたくさんありました。中でも、号外まで出たのが、ICHIROが大リーグの開幕戦に先発出場し、5打数2安打という好成績を残したというニュースです。でも、私ははっきり言って、「なんでこんなニュースで号外が出るの?」とおおいに疑問に思いました。ICHIROは野球選手としては、間違いなく実力のある人です。日本の野球界で7年連続首位打者になったバッターです。大リーグといえども通用しないはずはありませんそのICHIROが開幕戦で2本ヒットを打ったからと言って、号外で流すような特別な出来事とは思えません。

 大体、最近のマスメディアはニュースの流し方が大げさなんです。しょうもないようなことでも、番組中に臨時ニュースのテロップを流します。1月ほど前に見た臨時ニュースに、「森首相、実質的に退陣を表明」というのがありました。例の「自民党総裁選挙の前倒しを示唆した」という話です。でも、その後、森首相も政府、自民党の有力者も「退陣するなんて一言も言っていない」と否定し、現実に1ヶ月近く経ってしまいました。あの臨時ニュースはなんだったの、とマスコミ各社に問いたい気分です。ニュースの重要性を判断する基準が、単に話題性だけになっているような気がしてなりません。

 今朝の新聞では、教科書検定の結果、理数系を中心に教科書で教えられる内容が大幅に削減されたことで、学力が低下するのではないかと憂う記事がたくさん出ていましたが、しょうもないニュースで号外を出したり、臨時ニュースを流したりすることでも、国民の思考力の低下と価値基準の混乱を生み出すこともマスメディアはきちんと自覚すべきです。

47号(2001.3.27)田中康夫と美濃部亮吉

 今週、千葉県で無党派層に支持され堂本暁子が知事に当選しました。しかし、無党派層に担がれた知事と言うことで言えば、何といっても長野県知事になった田中康夫に注目しないといけないでしょう。20年前に「記号消費時代」の走りとなった『なんとなくクリスタル』という小説でデビューし、その後はテレビに出たり、週刊誌に連載を書いたりしていましたが、どの仕事もぱっとせず、とても魅力的な人物とは思えませんでした。彼のイメージが変わり始めたのは、「阪神淡路大震災」のボランティア活動を始めた頃からだったように思います。それでも、私などはそれまでの仕事ぶりから、かなり懐疑的に見ていましたので、長野県知事選挙に立候補を決めたときにも、「当選するのかな?当選できても、せいぜい青島幸男程度の仕事ができればいい方だろう」と見くびっていました。しかし、その後の彼の行動は、既成の地方政治の利権構造を断ち切るような思い切った政策を次々に打ち出しており、高く評価できると思います。人気があるのもむべなるかなという気がします。

 人気がある知事という点では、東京の石原慎太郎も負けてはいません。彼も47年前に『太陽の季節』というセンセーショナルな作品でデビューし、その13年後には参議院選挙に立候補し、全国で300万票以上という得票を集め、政界入りをしました。現在でも、総理大臣にしたい政治家でいつも上位にランクされるほどの人気を保っていますが、実はこの石原慎太郎が選挙に負けたことが一度だけあります。それは、26年前の東京都知事選挙です。相手は、3選を目指していた美濃部亮吉。父親は『天皇機関説』で有名な美濃部達吉で、社会党や共産党に推薦された革新系知事でした。「ミノベ・スマイル」と呼ばれた柔和な笑顔がトレードマークで、都民との対話を打ち出し、都営ギャンブルを廃止したり、福祉に力を入れたりして、主婦層を中心として無党派層に根強い人気がありました。自民党は、選挙に強いこの美濃部を唯一うち破る可能性をもった候補として、石原慎太郎を立てたのですが、結局、勝てなかったわけです。

 なんで、美濃部亮吉のことなど語りだしたかというと、今、秘かに私の頭の中で、田中康夫のイメージが美濃部亮吉のイメージにオーバーラップしつつあるからです。2人とも無党派層を中心として大衆的な人気を持ち、開発よりも、環境問題や福祉・教育に関心が高い政治家です。おそらく、田中康夫も本人さえやる気なら、3選ぐらいできるでしょう。ただ、ここで注意を促したいのは、美濃部亮吉が現時点でどう評価されているかです。1979年に引退した時、東京都の財政はがたがたになっていました。都立高校は、美濃部時代を通して行われ続けた「学校群制度」のせいでレベルが大きく下がり、私立校全盛時代を導いてしまいました。(「学校群制度」が導入されたのは、美濃部知事になる1年前ですが。)ギャンブルを廃止し、経済開発よりも福祉や教育に力を入れるというのは、タテマエとしては批判しにくい清廉な政策ですが、都財政にとってはマイナスになります。公共事業のために集中的に大きく使われるお金は、建設業界を潤わせますが、また新たな生産も生みだし、経済を活性化させ、ひいては自治体の財政も潤わせます。しかし、福祉や教育で広く浅く使われるお金は、総額は同じだとしても、消費に使われ、あまり大きな経済活性化は引き起こしません。結局、美濃部知事の12年間は、都の財政を悪化させただけだったという評価が定着しているように思います。

 「脱ダム宣言」を出し、公共事業の見直しを進める田中康夫も、下手をすると、美濃部亮吉の二の舞になって、後で酷評されることになるやもしれません。もちろん、私は経済開発至上主義者ではなく、むしろ経済開発懐疑論者ですが、他方で理想論だけで政治はできないだろうとも思っています。現時点では、私も田中康夫におおいに期待する一人ですので、ぜひとも田中康夫には美濃部亮吉と同じ道ではなく、理想と現実をうまくミックスさせ、政治的無関心層の意識改革をはかり、日本の政治を変えてほしいと願っています。

46号(2001.3.14)歴史を作るのは社会

 NHKの「その時、歴史は動いた」という番組は、いつも今ひとつの出来であまり評価していない番組なのですが、時々おもしろそうな見出しをつけるので、何回も裏切られているのに、つい見てしまいます。今日も、「もしも史実通りのことが起きていなかったら、その後の歴史はどう変わっていたか?」という、歴史好きなら誰もが一度は考えたことのある興味深い設定だったので、つい見てしまい、またも裏切られました。今日取り上げられたのは、「大化改新で蘇我入鹿が暗殺されていなければ?」、「壇ノ浦で平家が勝っていたら?」、「元寇で日本が敗れていたら?」という3本でしたが、たった45分でこんな大きなネタを3つもやろうとするので、全く分析に深みがなく、実につまらない番組でした。

 宮部みゆきの『蒲生邸事件』(文春文庫)は読んだ人も多いと思います。ストーリー的には駄作としか言いようがありませんが、ただ、歴史を知っている「タイムトラベラー」が過去の時代に行って歴史を変えようと思っても結局無力で、個人の力で大きな歴史の流れを変えることはできないという主張は、「個人と社会」という社会学の根本問題にも関係するテーマで、非常に興味深く思いました。ある事件が起きていなければ、ある個人が死んでいなければ、歴史は変わっていたのではないかと誰もが思いたくなるけれど、実際には大きな流れはあまり変わっていなかっただろうという宮部みゆきの主張にはなるほどなと思わされました。今日のNHKの番組でも、作家の杉本苑子が大体そういう主張をしていましたが、やはりそうなのでしょう。結局、社会がその時代ごとに必要とする人間を歴史の表舞台にあげてきているのです。たとえ織田信長が「桶狭間の戦い」で敗れて死んでいたとしても、その40年後ぐらいには、やはり江戸に幕府が開かれていたのではないかという気がします。長い戦乱の世に飽いた人々は、安定政権の出現を待望し、そうした政権ができあがる方向に時代を動かしていったのだろうと思います。

 過去の歴史に関してはそういう大きな流れがつかめるのに、今を生きているわれわれには、今以降の歴史の大きな流れがまず見えません。100年先にタイムトラベルして振り返ることができるなら、今の時代がどこに向かっているのか容易にわかるはずなのですが……。しかし、歴史を作るのは個人ではなく社会だということに気づき、社会学的分析力を養い、マクロに社会を捉えることができるようになれば、この社会の行方もある程度見えてくるはずです。森首相がだめだ、首相が代われば経済も良くなるなんてみんな言いますが、あんな首相を生み出した根本的な原因は、「5人組」にあるのではなく、この社会にあるのだということに気づくべきです。あんなに選挙に無関心で、自民党にあれだけの議席数を獲得させている有権者が望んだリーダーが彼だったのです。社会や人々がこんな状態を続けるなら、これからも第2の森、第3の森が出てくるでしょう。それでも、別に構いはしないと、有権者が考えているのですから。

45号(2001.3.14)街の裸像

 我が関西大学の図書館前には、裸の若者が肩を組んだ不思議な像がありますが、一般的には街には女性の裸像の方が溢れています。私は以前からこうした彫像をなぜこれ見よがしに街なかに置くのか疑問で仕方がありませんでした。「平和の像」とか「愛の像」とか立派な名前がついていても、その実そこに飾られているのは、女性の裸の像なのです。芸術家が自分の創作意欲の湧く対象として、女性の裸像を作りたければ作ればいいと思いますが、なぜそれを誰もが目にするような公共空間に置かなければならないのでしょうか。子供を連れて歩いているときに、こういう彫像に出会うと本当に困ります。「なぜ『平和の像』が女の人の裸の像なの?」と子供に問われたら、なんと答えられますか?

 芸術とは、結局なんらかの刺激を受け手に与えることをめざしているのでしょうから、従来男性中心に動いてきた芸術家とそのパトロンの間で、女性の裸像のような対象がしばしば主題化されてきたのは、当然と言えば当然だったのでしょうが、もうそんな時代は終わっているはずです。ましてや、街は美術館ではなく、公共空間です。なぜ、そんな場所に堂々と女性の裸像を据えられるのか、その感覚が私には理解できません。大阪府知事も、相撲のことばかり言わないで、こういう問題に取り組んでみたらいいのではないかと思うのですが……。

44号(2001.3.13)バーミヤン大仏の破壊と鞆の浦

 アフガニスタンのバーミヤンで1500年もの間偉容を誇ってきた石窟の大仏が、タリバーンという現地のイスラム原理主義集団によって破壊されたらしいというニュースを見ながら、鞆の浦(とものうら)のことを考えていました。鞆の浦は、私がここ10年以上調査地とさせてもらっている広島県東部にある歴史的港町ですが、しばらく前からこの港の一部の埋立と架橋をめぐって議論が続いています。歴史家、画家、建築家、都市計画家、その他様々な研究者や歴史と旅の好きな人々は、こぞってこの埋立・架橋計画に反対しています。しかし、地域内部では、道路が狭すぎて危険だ、駐車場が足りない、このままでは働く場所のない過疎の町になってしまうという危機意識から、この埋立・架橋計画をなんとしてでも推進したいと考える有力者たちがおり、彼らがいつも言うのは、「外部の人間に口出ししてほしくはない。自分たちの町のことは自分たちが決める」という主張です。確かに、こうした「民族自決主義」的議論には、それなりの説得力があり、初めてこの町にやってきて話を聞いた人は、「それはそうだ。自分はよそ者。余計な口出しはしない方がいい」という気持ちにもなります。しかし、また一方で、この町のすばらしさは、この鞆に住む人々だけのものではなく、日本の、いや世界の財産なのだから、鞆に住んでいない人でも単なる「よそ者」ではないという主張をする人もいます。

 もちろん、私はもともと後者の立場に立っていたつもりですが、生活者の立場に立って考えるべきと言われる「環境社会学」からすると、これで間違いがないと言えるのだろうかという自問自答にすっきりとした回答を出せていないような不安感が、自分の気持ちの中に少し残っていました。しかし、今回のバーミヤン大仏の破壊を見て、はっきりとわかりました。やはり、いくら住んでいる地域にあるからと言って、その地域にいる人がすべてを決めていいわけではない、と。バーミヤンの大仏破壊も暴挙ですが、鞆の浦の埋立と架橋も暴挙です。決してやってはいけないことです。江戸時代の港の目の前を車がびゅんびゅん通っていくなんてことはあってはいけないことです。地域の人々の生活ももちろん大切です。しかし、その生活改善は個性無き近代化によって進めるべきではありません。その地域のすばらしい財産を生かしながらの改善であるべきです。和歌浦(注1)の二の舞になってはいけないのです。鞆の浦の歴史と風景には、それだけのことを可能にさせる魅力が間違いなくあります。「よそ者」か「地の者」かで分けるのではなく、鞆の浦の魅力を感じる者と感じない者とに分かれるのです。魅力を感じない者に、決定させてはならないと思います(注2)。

(注1)和歌山市の干潟・和歌浦は、万葉集にも読まれた古くからの景勝地。ここに不老橋という古い石橋があるのですが、数年前にこの古い不老橋の目の前に車を通すための新しい橋(というより道路)ができ、不老橋と干潟は分断されてしまいました。

(注2)鞆の浦の状況については、私の本『歴史的環境の社会学』でも知ることができますが、より詳しい情報を知りたい人は、http://www2.odn.ne.jp/tomonoura/にアクセスしてください。

43号(2001.3.13)啄木鳥(きつつき)

 さる地方都市の城跡を歩いていたら、どこからともなく「カツン、カツン、カツン」という音がします。何の音だろうと思って、音源の方を見てみると、鳥が太い木の幹をつついていました。「あっ、啄木鳥だ!」思わず、声に出して叫びたくなりました。というのも、私は啄木鳥を見たのが初めてだったからです。別に前々から見たいと思っていたわけではありません。ただ、すごく小さいときから名前だけは知っていたのに、実物を見るのが初めてだったということにその瞬間思い至らされ、自分でびっくりしてしまったのです。動物園に鳥類も飼われていますが、啄木鳥って、見ていないような気がします。いや、いたとしても、動物園という人工的に造られた空間の中で見る「キツツキ」と、自然な空間の中で見る「啄木鳥」ではまったく印象が異なります。なんだかちょっと得をしたような、嬉しい気持ちになりました。

 でも、その後つらつらと考えていたら、啄木鳥だけでなく、われわれは名前だけ馴染んでいて実物を見たことがない動物ってたくさんいるなあと思いはじめました。皆さん、狸は見たことがありますか?狐は?蝙蝠は?鷹や雉は?もしかしたら、動物園で見ているかもしれませんが、今回の私のように、自然の中で動いているところを見たことがあるという人はごくわずかだと思います。動物園で見る動物たちって、外見は実物ですが、行動は実物じゃないですよね。ライオンっていつも寝ているってイメージがありませんか?ゾウもキリンゆったりのんびり歩いている動物って印象じゃないですか?でも、ライオンは餌を取るために俊敏な行動をし、捕まえた獲物の皮や肉を鋭い歯で引き裂くはずです。一見ものすごく鈍重に見えるゾウも走りはじめたら、時速60kmぐらいで走るんだそうですよ。ましてや、キリンはもっと早いのではないかと思います。でも、動物園ではそんな姿は見られないのです。そして、吠えないライオン、餌をもらって頭を下げるゾウが、われわれの中に焼き付いていくのです。まあ、それでもライオンもゾウもキリンも日本に生息している種ではないので、動物園で見られるだけよしとしなければならないのかもしれません。しかし、啄木鳥や雉は日本で生息している鳥です。全然出会わないというのも、寂しいものです。

 これだけ有名だということ、昔はそれなりにいたはずです。いつの間にか、だんだんと減っていき、町中や町近郊では見かけることがほとんどなくなりました。そう言えば、最近は雀もあまり見かけなくなったような気がします。雀はもちろん、啄木鳥も狸も狐もよく見るという人は、かなりの「田舎」に住んでいる人なのでしょうが、実はとても豊かな所に住んでいる人なのではないでしょうか。人工的に造られたものに囲まれ、それらを真実と思いながら暮らすことに、たまには疑問をもってみませんか。

42号(2001.2.17)リーダーの資質

 「神の国」発言から始まって、よくもこれだけ叩けるものだと思うぐらい、森首相は叩かれていますね。打たれ強さがあだになって、各方面から総攻撃を受けているような感じです。ついこの間まで大騒ぎだった「外務省機密費流用問題」や「KSD問題」が、「えひめ丸」事件とそのからみでばれてしまったゴルフ会員権無償提供問題で、もう過去の事件のように扱われています。(実際は何も解決していないのですが。)まあ、私も森首相を高く評価はしませんが、マスメディアの報道も評価できません。私は、日本社会(政治)の改善のためにもっとも重視すべきなのは「外務省機密費流用問題」だと思うのですが、マスメディアというのは、政治家の人事が大好きなので、人事にからめられそうな話ばかり大きく扱います。(その方が新聞が売れるからでしょう。つまり、大多数の国民も難しい話より、わかりやすい政治家の人事の話の方が好きだということです。)しかし、毎回マスメディア批判ばかりしていても仕方がありません。今回は、リーダーの資質について考えてみましょう。

 「神の国」発言の時に、「総理大臣としての資質」がないとあちこちから言われた森首相ですが、どんな資質があればいいのでしょうね。「神の国」は自分の意見を出しすぎて、「幹事長ならいいいが、総理が言ってはいかん」と言われました。つまり、総理大臣は自分の考えなど語るような人ではいかんということですよね。でも他方で、総理大臣は強いリーダーシップを持った人でなければいけないとも言われます。自分の意見を出さずに、どうやってリーダーシップを発揮するのでしょうか。官僚たちの本音を言えば、自分たちのシナリオをまるで自分の考えのように演じてくれる首相というのが、最高なんでしょうね。マスメディアから見れば、実質的にマスメディアが操作している世論の空気をうまくつかみ、マスメディアに対するサービス精神がある首相を好ましいと受け止めるでしょう。前者は竹下登、後者は細川護煕あたりが典型タイプでしょうか。森首相はどちらのタイプでもなさそうです。官僚が作った文章を読むときはいかにも読んでますといった感じになり、なおかつそのことをわざわざ自分で指摘したりもします。そのパーソナリティからすると、「宴会部長」というのがぴったりの役どころという感じです。でも、実は総理大臣は官僚が作るのでも、マスメディアが作るのでもなく、政治家たちが作ります。当選回数の少ない若手政治家は別ですが、長く政治をやってきてそれなりの地位まで来た政治家たちにしてみると、待っていると順繰りに自分の番が回ってくるというシステムは、魅力的なのでしょう。「森でもできたのだから自分にも可能性はあるな」と思っている人はたくさんいると思います。

 何もこうしたリーダー選びの方法は政治家の世界だけに限りません。どんな組織にもリーダーが必要です。そのリーダーを決めるときに、その能力ではなく、長く関わっていたかどうかで決めることは、よくあることです。まして長くいる人が「いい人だ」なんて一般的評価を得ていたりしたら、もう確実にリーダーになってしまいます。そして、ならせてみてから、「こんな人だとは思わなかった。リーダーとしての資質に欠ける」と批判を始めます。しかし、やめさせるのは難しいものです。本人の経歴の汚点にもなりますので、可哀想だという同情を寄せる人たちも出てきます。組織の仕事がルーティン・ワークをこなすだけで良い時代にはこんなリーダーでもなんとかなるのでしょうが、危機状況や改革をしなければならない時代にこういうリーダーは役に立たないどころか、組織にとって大きなマイナスになります。中長期戦略を持たないリーダーではこれからの時代を乗り切っていくことはできないでしょう。リーダーがすべてを考える必要はありませんが、官僚や部下が考えた様々なアイデアを取捨選択し全体として整合したものにして実施に移す判断を下さなければいけません。その判断力があるかどうか、これがこれからのリーダーに求められる最低限の資質なのではないでしょうか。

41号(2001.2.17)引きこもりと甘え

 先日、「ニュース23」で「引きこもる若者」が紹介されていました。今は、こういう行動に対して多くのマスメディアは理解を示そうというポーズを取ります。この番組でもそうでした。でも、私はよくわかりません。何ヶ月も家から出ないで生きていけるのはなぜなのでしょうか?結局、一緒に住んでいる誰かが働き、買い物をし、食事を与えてくれるから生きていけるのではないでしょうか?それって、家族に甘えているということではないのでしょうか?一人で生計を立て、一人で暮らしているなら、生活費を稼ぐためにも、食料を買うためにも、外に出なければいけないし、最低限ではあっても家族以外の他者とコミュニケーションを必ずとらなければいけないでしょう。徹底した引きこもりを続けられるとしたら、それは家族に対する甘え以外の何物でもないという気がしてなりません。結局、これも一種の「パラサイト」(寄生)状態なのではないでしょうか。頑張ってきて疲れてしまったので、引きこもりになっていると言っていた人がいましたが、疲れたら休めばいいのであって、何も徹底して引きこもることはないでしょう。他者との関係がわずらわしく引きこもる人が、家族という他者には無制限に依存しているのはどう考えてもおかしなことのはずなのに、そういうことを一切指摘しないマスメディアの偽善性に疑問を感じます。家族が甘えさせなければ、社会に関与せずには生きられないのだということを、「引きこもる若者」も理解するはずです。

40号(2001.2.5)社会学的想像力と歴史的想像力

(『関西大学通信』第287号(2001.2.1号)に掲載されている巻頭エッセイです。大学になかなか来られない人のために、ここに掲載しておきます。)

 はるか昔、私が受験した大学は、1,2年が教養課程で、3年から専門課程に入るという制度になっていた。だから、何を専門にするかなどという難しい問題を、受験勉強をしている最中に考える必要はなかった。ところが、受験票を見たら、一応将来志望したい専門を書かなければいけないことになっていた。そこで書いた専門領域に将来必ず進まなければいけないという拘束性はなかったのだが、そこはまじめな受験生。はたと考え込んでしまった。悩んで書いたのが、「国史(日本史)」。小さい時から、歴史が好きだったからという単純な理由で。そして、運良く私は合格したが、2年後専門課程に進むときには、歴史ではなく、現代を扱う学問を選んだ。その学問は、社会学という。歴史もおもしろそうだとは思ったが、書物の中に展開される過去の世界に浸りながら、現実社会を生きていくのは、単純人間の私には不向きな気がした。結果として、今の時代に一番関わっていられそうな学問として、社会学を選んだのだった。それから、四半世紀。あのときの自分の選択が間違っていたと後悔したことは、一度もない。しかし、最近は、社会学的思考の中で歴史が重要な役割を果たさねばならないことに気づき、社会学的想像力と歴史的想像力を融合させつつある。

 社会学的想像力とは、一言で言ってしまえば、個人とマクロな社会をつないで考えることのできる想像力である。しばしば、若者は、「自分は親や友人以外の誰の世話にもなっていない」と豪語する。しかし、本当だろうか?その楽しそうに利用している携帯電話は、誰が作ったのだろう?ドライブに行って、あちらこちらで突進してくる車に出会わないのは、なぜだろう?「紙幣」という名の紙切れで、素敵な服が買えたりするのはなぜだろう?少し考えてみたら、決して「誰の世話にもなっていない」どころか、「ありとあらゆる人と制度のお世話になっている」ことがわかるはずだ。そして、こうした近視眼的思考は、実は歴史に対しても適用され、歴史と言えば、「年号の暗記」とだけ思い、「好きではないし、必要もない」と言う若者を多数生み出している。実際には、歴史を知らずして、現在も未来も語れないのだが……。歴史は、実は書物の中だけにあるわけではない。我々の存在それ自体が歴史的営為の積み重ねの結果以外の何物でもないように、今という時代も歴史的営為の積み重ねの結果である。ちょっと関心を持ってみれば、そこにもかしこにも歴史的想像力を喚起させるものがある。道端のお地蔵さん。段々畑。きれいな和服も、おいしい郷土料理も。そうしたひとつひとつのものに歴史的想像力を働かせることと社会学的想像力を働かせることは、それほど大きな差のあることではない。一度は袂を分かったと思った歴史だが、今では豊かな歴史的想像力を持たない人間には、真の意味での社会学的想像力を持つことも不可能なのではないかとまで思っている。(ちなみに、昨年『歴史的環境の社会学』(新曜社)という編書を刊行したので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。)

39号(2001.1.21)ぼちぼち行くか、頑張るか

 新聞にある若手(中堅かな?)社会学者が、こんなことを書いていました。「この社会は危機ではないし、将来は格別明るくもないが暗くはない。未来・危機・目標を言い立てる人には気をつけた方がよい。」日頃から、そんなことを言っている私は、さぞや気をつけてつき合わないといけない人間なのかなと自問しながら、読んでみました。全文を読むと、現状の政治批判の面が強く、必ずしも全面否定しなければならない文章ではありませんでしたが、やはり気になる箇所は、何カ所かありました。上の引用箇所もそうですし、「いま考えるに値することは、単なる人生訓としてでなく、そう無理せずぼちぼちやっていける社会を実現する道筋を考えることだ」とか、表題が「つよくなくてもやっていける」であることなどがそうです。(表題は、新聞社の方でつけたのかもしれませんが……。)

 現代社会を危機と見るかどうかは意見の別れるところです(参照:「社会学を考える」第14章)し、このままではどんどん危機が深まると考えている私も、その原因が景気の悪さにあるなんて主張に、賛同するつもりは毛頭ありません。ただ、この文章を読んだ人が、「そうか、別に頑張らなくてもいいんだ。ぼちぼちでいいんだ。強くならなくてもいいんだ。社会のことなんか考えなくてもいいんだ」という印象を持つのではないか、ということが気にかかります。確かに、頑張りすぎてしんどくなっている人はいるでしょうから、そうした人たちが読めば、これは救いの文章になるでしょう。でも、まだ本気で頑張ったことのない人が、これを読んで「頑張らなくっていいんだ。ぼちぼちでいいんだ」と思ったら、自分の能力を十分に発揮しないまま、歳を取ってしまうことになるのではないでしょうか。現実社会には、前者より後者の方がはるかに多いはずです。「社会学を考える」(第11章)にも書いたことですが、こうした社会学者の常識をひねったような見方とそれを流布させるマスメディアは、こうした行為がどういう社会的影響を及ぼすのか、ちゃんと考えているのかなと疑問に思います。自分自身は頑張って一流大学を出て大学教師や大新聞の記者になった人たちが、その自分の人生を否定せずに、どうしたらこういう文章を書いたり、掲載したりできるのだろうと不思議に思います。

 頑張って自分の人生を切り開いてきた人なら、とりあえず「頑張ってみようよ。努力してみようよ。そうしたら、自分のやりたいことがやれるようになる確率は高くなるよ」と言うべきではないでしょうか。もちろん、頑張ったからと言って、いつでも希望は叶うわけではなく、あきらめなければいけない時もあるでしょう。でも、最初から頑張ってもみずにあきらめているより、ずっといいと思います。別の目標を立てるにしても、やるだけやったのだからと思えた方が、ふんぎりがつくと思います。こんな「頑張り人生」はしんどそうと思うかもしれませんが、大丈夫です。人間って、そんなにずっと頑張れません。意識しないと、楽な方に流れるようにできています。いつのまにか、ちゃんと休息を取っています。かくいう私なども、スケジュールで縛られていないと、本当に怠け者だなと思います。せめて、意識的に行動するときは、「ぼちぼちでいいや」ではなく「頑張ろう」と意識したいものだといつも思っているのですが……。いずれにしろ、「自分で自分をほめてあげたい」と言った有森裕子さんではありませんが、誰しも頑張っている自分の方が好きでいられるのではないでしょうか。怠けたり、ぼちぼちやっている自分の方が、頑張っている自分より好きだっていう人はいるのでしょうか?

38号(2001.1.18)子供は親のおもちゃじゃない!

 少年たちの犯罪ほど大きく扱われていませんが、親が子供を殺す事件というのも最近とみに増えてきているように思います。ある意味では、こちらの方が少年犯罪より現代的で、恐ろしいのではないかと思います。子供が親に反抗的だったり、反社会的行為をしたりするのは、昔から大なり小なりあったことです。しかし、親が子を殺すというのは、飢饉の際の「間引き」や無理心中を別とすれば、そんなによくあったことではないと思います。それが、1980年前後からでしょうか、しばしば生じるようになってきました。村上龍が小説のモデルにしたことで有名になった、コインロッカーに乳児を置き去りにした事件が起こったのが、ちょうどその頃だったと記憶しています。それから、時々この種の事件は起きてきたのですが、昨年、奈良で看護婦をしている母親が十代の娘に保険金をかけて殺そうとした事件は衝撃的でした。夫や妻に保険金をかけて殺す事件や幼児を親が虐待して殺したという事件は、今やそれほど驚くべき事件ではなくなりつつありますが、十代――それも確か16歳ぐらいでしたよね――の娘に保険金をかけて殺そうとしたなどという事件は、前代未聞だったのではないでしょうか。母性愛が本能だなんて毛頭思いませんが、慈しみ育てていく過程で「愛」は生まれるはずです。十何年も育ててきて、あの母親に「愛」は育たなかったのでしょうか?

 「愛」は、突然生まれるものではありません。育つものです。男と女の愛も、親子の愛も。いえ、すべからく愛は、と言ってもいいでしょう。「一目惚れ」なんて言葉がありますが、あれはまだ「愛」ではありません。単に、ちょっと気に入ったというだけにすぎません。「愛」になるには、時間が必要です。時間をかけて、大事に大事に育てていくものです。かけた時間だけ「愛」は深まるのです。ただ時間が経てばいいというわけではありません。大事に育てようという気持ちがなければ、「愛」は深まりません。男と女の愛は、またいずれ機会を改めて書きたいと思います。ここでは、親子の愛についてのみ書いておきたいと思います。

 愛は時間をかけて育つものだという観点に立つと、「母性愛」と言われるものが一般的にどうやって生まれるかの説明は容易です。それは、10ヶ月強に及ぶ長い妊娠期間とつらい出産を経て形成されるのです。(この体験を共有できない父親は、生まれたばかりの子供に対して、母親のようには愛情を感じられません。しかし、その後の育児に関われば、「父性愛」も育ちます。)こうして、ほとんどの母親は生まれたばかりの赤ん坊にすでに強い愛情を感じることができるわけです。でも、最近、このプロセスを経て生まれてきた子供に「愛」を感じられないという母親が少なからず、出てきています。この子を妊娠してしまったために、この子が生まれてしまったために、それ以前のように、遊べなくなった、自由な時間がなくなった。この子さえいなければ……。「自己中心的」な発想が自明視されると、こういう親が出てくるのも不思議ではありません。確かに、自分で自分のケアができない子供は、親の時間を奪う存在です。でも、それはヒトとして、当然のこととして受け止めなければいけないことなのです。ヒトという種を存続させていくために、かよわい生命を守っていくことは、本来我々の遺伝子に組み込まれた最大の使命なのです。生命体としての根源的な欲求を、肥大化した大脳が抑圧します。「私は個として輝きたい!」

 他方で、「子供が欲しい」という人がいます。「結婚はしたくないけれど、子供だけは欲しい」という「シングル・マザー」志向の人すらいます。これは、ヒトとしての根源的な欲求に根ざした叫びなのでしょうか?残念ながら、そうではないでしょう。私は、これも「自己中心的」な発想と近いところから出ていると思います。「プレステ2が欲しい」、「AIBOが欲しい」と言うのと、それほど大きな違いはないと思っています。子供はおもちゃではありません。おもちゃは飽きたら捨てることもあるでしょう。(こうした「使い捨て文化」も批判したいところなのですが。)しかし、子供は捨てられません。絶対、捨ててはいけないのです。結婚もせずに――法的に結婚していなくても構いませんが、パートナーはもっていてほしいと思います――安易に子供だけ欲しいなんて言う人は、かわいいおもちゃをほしがっている子供と変わらないと思います。

 では、結婚して子供を持ち、その子供に愛情をたっぷり持っている人なら、何の問題もないかというと、実はここでもまだ問題が起こる可能性があります。どんな愛の示し方をしていますか、という問いかけがなされなければならないのです。かわいい子供だから、その子の望むことは何でもさせてやろう、一切不自由は感じさせない、いたれりつくせりで、なんて思っている親がいたら、大馬鹿者です。子育ての基本は、いかにして子供を自立した社会の一員に育てるか、という一点にあると言っても過言ではないのです。子供にブランド物の服を買ってやったり、海外旅行に連れて行ったり、高級な料理を食べさせたりなんてことは、子供が育つ上で、「百害あって一利なし」です。そんなことをしたいなら、成長して自分で稼いだ金でやればいいことです。そんな贅沢に慣れ親しんだ子供は、贅沢ができない生活に耐えられないため、薄給の会社員などとは結婚できない人間に育ってしまいます。あるいは、家事・育児はもちろん、自分がかゆいなあと思っているところにも何も言わなくとも気づいてくれるような女性としか結婚できない、なんて男になってしまうのです。子供は親のおもちゃではありません。自立した社会成員に育て上げるのだという自覚をもって、子育てをしてほしいものです。(ちなみに、学校教育も目的は同じだと思います。)

37号(2001.1.12)戦後史を学ぼう!

 ここ何年か前からあちこちで成人式が荒れたというニュースが流れていましたが、今年はついにある市が20歳の若者を告訴するという事件まで起こりました。大多数の20歳の若者は、そんなひどい行動を取っていたわけではないのは、重々承知していますが、今やもう「成人式」をやる意味はなくなったという気がしてなりません。その最大の理由は、20歳が今やまったく「大人」を意味しないからです。20歳になったから、大人としての自覚を持たなければいけないなんてことをまじめに考える若者がどれだけいるでしょうか?あるワイドショーで成人式に集まった若者に「大人って、どういうことだと思いますか?」と尋ねていましたが、ほとんどの若者は気楽に「わかんな〜い」と答えていました。もちろん、テレビ局の編集によって、まじめな回答が紹介されなかった可能性は多少ありますが、日頃その年齢の大学生をいつも観察している私から見ても、テレビで「わかんな〜い」と答えていた若者は、決して特殊な若者たちではないと思えました。確かに「大人とは何か」などという問いに回答を出すことは容易ではありません。しかし、まじめに考えてみようともしない態度は、非常に気になります。なぜ、税金を使って成人式をやるかと言えば、こうしたフォーマルな式を通じて、「大人とは何か」、「成人とは何か」を考えてもらうためでしょう。たとえ、クラッカーを鳴らさなくても、汚いヤジを飛ばさなくても、まじめに「大人とは何か」を考えてみようともしない人たちばかりなら、貴重な税金を使って式など開く必要はないのです。

 40年前なら、20歳の若者の大部分は、すでに親元を離れ、自分の給料で自分の生活をすべて切り盛りしていました。20歳どころか、18歳ぐらいでも、「自分は大人だ」という意識を持っていた人が少なくなかっただろうと思います。ところが、今や20歳をはるかに超えた人々でも、親元にいて、親の金で基本的な生活をし、自分が稼いだ金は、自分の遊びや趣味のためだけに使う「パラサイト・シングル」という「子供」、すなわち、親の脛を囓り続けることに何の疑問も感じていない若者がたくさんいます。よく、「フリーターをしながら気楽に生きていきたい」という発言を聞きますが、自分一人ならそうやっても生きていけるかもしれませんが、家族はどうするのでしょうか?当然、結婚はしないから問題はないとか思っているんでしょうね。じゃあ、だんだん年老いていく両親はどうするんですか?親はしっかりお金をためているはずだとでも思って安心しているのでしょうか?育ててもらった恩は、いつ返すのですか?自分一人が楽しく気楽に生きられればいいんだという考え方から脱却できたとき、「大人になった」と言えるのだろうと思います。それが、今は何歳で来るのでしょうか?あるいは、ずっと来ないのでしょうか?

 過剰なほどの豊かさが、こうした「お気楽な若者」を作り出した根本原因であることは間違いないと思います。景気が悪い、悪いと言いますが、社会全体として見た場合、こんな若者を多数許容できるほど、日本は豊かなのです。しかし、豊かさは永遠に続くわけではありません。将来こうした若者が日本を背負うのです。20年後、30年後、いったい日本はどんな社会になっているのでしょうか?間違いなく、衰退しているでしょう。なぜなら、日本がどうして豊かになれたのかを知らず、豊かさを生み出した要因を継承しようとしていないからです。私は、正直言って今の日本の過剰な豊かさ――一般庶民が高級ブランド品を買い漁れるような豊かさ――が好きではないので、少し衰退するのはそれほど悪いことではないと思っているのですが、それも程度によります。あまりに急速な衰退はその変化に誰もついていけず、社会は危険な状態になるでしょう。ゆっくりと静かに衰退して行かなければなりません。20〜30年後なら、まだ今と比べてほんのわずかな衰退ぐらいで留まっていなければならないと思うのですが、今の若者が社会の中堅として支える時代になっているわけですから、想像すると、どう考えてもわずかな衰退で留まっているとは思えません。そうした悪しき予想を覆すために、若い人たちに、ぜひ日本の戦後史を学んでほしいと思っています。

 日本がこんな過剰なほどの豊かさを享受するようになったのは、せいぜいこの20年くらいのことでしょう。現在45歳の私も、もちろん食べる物に事欠いたなどという経験はしていませんが、子供時代、青春時代を思い出すと、まだまだ日本が発展途上であったなあと思えることは、たくさんあります。子供時代の例を少しだけあげさせてもらえれば、まだ冷蔵庫がなかったので、氷屋さんに氷を買いに行ったこと、洗濯板と固形石鹸で洗濯していた母親の後姿、掃除機が初めて家に届いた時は、嬉しくて掃除をしている姿を写真に撮ったこと、カメラも昔は家になくて、持っている人が羨ましくて仕方がなかったこと、蝿がたくさんいたので、蝿叩きで叩きつぶし、袋に入れて持っていったら、紙風船か何かと代えてくれたこと、どれひとつ今の20歳前後の人――いや、20歳代の人――にはない思い出でしょう。「そんなの時代が違うから、しょうがないじゃないですかあ」と若い人は反論するのかもしれませんね。でも、そのあなたたちが享受している豊かさは、あなたたちが生み出したものですか?違いますよね。あなたたちは、日本の豊かさを生み出してはいないのです。今の豊かさを生み出したものは何なのか、考えてみたことがありますか?日本はどうしてこんな豊かな国になれたのでしょうか?第2次世界大戦が終わった時、日本が壊滅的な状態にあったことは、知っていますよね。それから55年あまりの年月で――実質的には30数年で――、日本は豊かな国になってしまったのです。資源も豊富ではなく、インフラも破壊され尽くした日本がこんなに早く立ち直り、豊かになれた原因は何だったのでしょうか?

 ここで、私の答を書くのは簡単ですが、書かずにおきます。日本の戦後史を勉強して、その原因を自分なりに見つけて下さい。そして、何を自分たちが継承すべきなのかを考えてみてください。高校までの日本の学校教育の中では、時間がなくて戦後史はほとんど勉強していないと思いますが、実は今の若者に本当に必要なのは、戦後史の勉強なのではないかと強く思っています。ぜひ、ぜひ、戦後日本の来た道を知り、これから行くべき道をつかんでください。

追伸:「親爺臭い説教」だと批判されるのは承知で書きました。たとえ口うるさいと言われようと、45歳はもうそんなことを言わなければならない責任ある年齢だと思っています。安易に若者と時代の風潮に迎合する人間より、若者とこれからの社会のことを真剣に考えているという自負心は持っています。