Part14

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<目次>

第485号 初めての大阪での年越し(2013.12.31)

第484号 おしゃれの変化(2013.11.24)

第483号 パソコンが消える日(2013.11.16)

第482号 「晴れ男」のち「雨男」?(2013.11.8)

第481号 ありがとうございます!! (2013.9.30)

第480号 シナリオか強運か?(2013.9.19)【追記(2013.9.20)】

第479号 恋愛消滅時代(2013.9.10)

第478号 リニアモーターカ―は必要か?(2013.8.29)

第477号 犬島がお奨め(2013.8.24)

第476号 なぜ富士山が世界遺産になって大喜びをするのか(2013.8.21)

第475号 静かなる革命――昭和一桁生れの女性たちが変えた日本――(2013.8.16)

第474号 「ノリ」文化とTV(2013.8.5)

第473号 投票方式を変えてみたらどうだろうか?(2013.7.15)

第472号 もうアナログ授業は通用しない?(2013.7.11)

第471号 ザック・ジャパンでいいのだろうか?(2013.6.21)

第470号 おねえなのか?(笑)(2013.5.27)

第469号 酔っぱらうのが目的?(2013.5.17)

第468号 長嶋にも感動(2013.5.6)

第467号 予想外の感動(2013.5.5)

第466号 ああ、旅がしたい!(2013.5.3)

第465号 就活後ろ倒しについて考える(2013.4.19)

第464号 片桐コレクター?(2013.4.11)

第463号 「旅立ちの日に」(2013.3.30)

第462号 アレルギーってなんやねん?(2013.3.24) 【追記(2013.3.28)】

第461号 エンジンとハンドル(2013.2.28)

第460号 天皇家の家系図は興味深い(2013.2.15)

第459号 実話だったんだ!(2013.2.10)

第458号 「価値感」ではなく「価値観」(2013.1.31)

第457号 うーん……、どういう関係なのだろう?(2013.1.29)

第456号 桜宮高校問題(2013.1.21)

第455号 大鵬の訃報に思う(2013.1.20)

485号(2013.12.31)初めての大阪での年越し

2013年ももう終わりますね。今年は私生活では母と妻がそれぞれ骨折し入院するといった事故もありましたが、総体的には比較的落ち着いて仕事のできた1年でした。今年は人生58年目にして初めて大阪で年越しをします。娘がお節料理をちゃんと作ってくれたので、きちんとした正月を迎えられそうです。帰省しないと、こんなにのんびりと正月を過ごせるのだなあと不思議に思うほどです。全員の卒論のチェックも済んでいますし、せっかくなので、どこか初詣にでも出かけてみようかなと思っています。では、来年もよろしくお願いします。

484号(2013.11.24)おしゃれの変化

 おしゃれかどうかというのは、かつてはほぼ若い女性たちのみの関心事項だったのですが、今や子ども、中高年、男性たちにも広がってきています。なぜおしゃれであろうとする年代がこんなに広がったのかについて分析してみたいと思います。そもそもおしゃれとは何かという根本的な問いは置いておき、とりあえず、外見的なファッションセンスがいいことという一般的なイメージで考えたいと思います。生き方がおしゃれだとか、家具がおしゃれだとかは、ここでは対象としないことにします。では一体人は何のためにおしゃれであろうとするのでしょうか?ストレートに言ってしまうと、かつては異性(特に男性)に対して魅力的な存在に見えるように(若い女性たちが)おしゃれをしていたのだと思います。男性中心社会の中で、男性に選ばれる立場に置かれていた若い女性たちはおしゃれであろうと意識的、無意識的に努力をしていたのだろうと思います。動物の世界では、メスがオスを選ぶことが多いので、オスの方がカラフルな羽毛を持っていたり、装飾的なものをもっていたりします。綺麗な羽を持つ孔雀のオスがそれを見せびらかすのは、メスに求愛をするときですし、ライオンのオスのタテガミは黒っぽくてふさふさしている方がメスに好まれるそうです。動物の世界では、より優秀な子孫を残せそうかどうかを、外見的な魅力で示しているわけです。人間社会は長らく男性が女性を選んできましたので、選ばれる立場の女性たちは、おしゃれをして自らの女性としての魅力をアピールしてきたわけです。しかし、ここ2030年の間に、男女関係は変化し、男性が選ぶ側、女性が選ばれる側という構図は崩れてきました。逆転したわけではありませんが、男性もしばしば選ばれる存在になることはあり、男性もおしゃれになろうというひとつの動機づけになっていたかもしれません。おそらくそれより重要なのは、そもそも男女の恋愛・結婚がかつてほど重要ではなくなってきている気がすることです。結果として、おしゃれは異性に選ばれるためにするという意識がほとんどなくなり、自らを輝かすため――アイデンティティ確立のため――に行うものになってきたのだと思います。異性に選ばれる(気に入られる)かどうかを気にせずに、自分自身が気持ちよく生きるために必要なものになったおしゃれは、若い女性たちだけでなく、異性に選ばれる段階にまだ届いていない小中学生や、もはや異性に選ばれることは基本的にない年齢である中高年層にまで広がっていくことになったのです。ほとんどの男性が好まないギャルメイクもガングロのようなおしゃれも、異性に選ばれるためではなく、自分を輝かすために行われていると考えれば、よく理解できます。男性も内面的な魅力で自分を輝かすより、外見をおしゃれにすることで輝けると思う人がでてきてもおかしくありません。おしゃれをする意味が変ってきたために、幅広い年齢層にまで広がったというのが私の解釈です。

483号(2013.11.16)パソコンが消える日

 最近ふと思ったのですが、パソコンは近いうちに家庭から消えて行くのではないでしょうか?スマホとiPadなどのタブレット型端末が普及し、パソコンの機能の多くがその2つで代替されるようになってきています。学生たちの話を聞いても、パソコンはレポートを書くときだけ使うという人がほとんどです。確かに、今のスマホやタブレット型端末は、パソコンのようには文字を入力しにくいこと、USBが使えないことなど、まだ多少難点がありますが、印刷も無線でできる時代ですから、キーボードやUSBも無線で(あるいは有線で)つなぐなんて技術改善は簡単でしょう。そうなったら、やや重く起動も遅いパソコンを家庭に置いておく必要性はなくなるでしょう。そもそも今でも、多くの家庭では、パソコンをwebサイトを閲覧するだけにしか使っていないのですから、すでにパソコンの多くの機能は宝の持ち腐れになっています。そう遠くない将来、パソコンは、かなり専門的な作業もする人のためだけの道具になっていくのではないかと思います。

482号(2013.11.8)「晴れ男」のち「雨男」?

 私はかつては「ミラクル晴れ男」とゼミ生たちから呼ばれるほど、ここぞという時には雨に降られない人間だったのですが、最近はまったく神通力が消え失せてしまったようです。特に、ゼミ行事にその変化がよく表れています。転機は2010年くらいからのように思います。10期生から毎年実施している万博遠足は雨に降られたことがなかったのに、2010年は大雨になり、2012年は台風が来て暴風警報が出たのでついに中止せざるをえませんでした。また、8期生から毎年連れて行っていた鞆の浦でも雨に降られたことがなかったのに、2010年からは毎年1日目が雨になっています。今年もまた雨予報です。明日香ゼミ合宿は1期生からずっとやっており、10期生からは明日香村を歩いているのですが、今年はまたも台風接近で、初めて歩くことができませんでした。今年のゼミ行事はほぼすべて雨に祟られています。もともと、「晴れ男」や「雨男」なんて単なる偶然で、気の持ちようによって、雨が降っても上手に企画変更して楽しめたら、雨に祟られたという意識が薄れ、いつも晴れていたような認識になっているだけなのだろうと思っていましたが、これだけ雨が続き、うまい企画変更もできない状態が続くと、なんかもう天気に関する「運」を私は使い果してしまったのかなという気分になってきます。自分の人生が下り坂に入ったなと思う時期と、晴れ男の神通力が消えて行ったのがほぼ同じ時期です。逆境をパワーに変える力がなくなってきたようです。しかし、このまま「雨男」として老いていくのには、まだ抵抗したい気持があります。ミラクルまでは戻れなくても、軽い「晴れ男」くらいには戻りたいものです。気力を出さないとだめですね。頑張ります。

481号(2013.9.30)ありがとうございます!!

先日ちょっとした事故に逢いました。妻が山を下る最中に足を滑らせ、足首を骨折してしまいました。かなりの山道だったので、どうしようかと途方にくれていたところに、60代とおぼしき男性と30代くらいの青年の二人連れの方が声をかけてくださり、「手伝いますから、とにかく下に降りましょう」と言ってくださいました。最初は3人で抱えるように運んでいたのですが、青年が「この方法よりおんぶをしてしまった方が楽なので、僕がおんぶをします」とおっしゃいました。妻はかなり重いので、それは無理ではと思ったのですが、なんと妻を背負って30分以上かけて駐車場まで降りてくださいました。「地獄に仏」とは、こういう時に使う言葉なのだとしみじみ思いました。いくら感謝しても感謝しきれないほどの手助けをしていただきました。駐車場で、改めてお礼をさせていただきたいので、お名前とご住所をお教えくださいと言っても、「いえいえ。こういうことはお互い様ですから、いつかあなたたちがまたどなたかに返してくだされば、それでいいことです」と言って、お名前も教えてくださいませんでした。広島から来られたということと、若い方が年配の男性のお婿さんにあたる方で「しんちゃん」と呼ばれていたことしかわかりません。もうお一人、妻の荷物を持って一緒に降りてくださった男性の方もおられます。本当にありがとうございました。人って素晴らしいと感激しました。

その後も、救急車を呼んでくださった竹田駅の案内所のみなさん、そしてすばやく到着し、応急処置と救急病院を決めて運んでくださった南但消防隊員の皆様、的確な処置と対応をしてくださった神崎総合病院の先生、本当にありがとうございました。日本は素晴らしい国です。思いやりの心を持った多くの人が存在し、緊急事態に対応できる仕組みがちゃんとできています。どなたにも直接お礼をすることができませんので、私たちもいただいた言葉通りに、いつか困っている方をお見かけしたら、手助けをしたいと思います。思いやりの連鎖を巻き起こしていきたいと思います。

480号(2013.9.19)シナリオか強運か?

 こんなネタを掲載すると、「先生、暇だなあ」とか思われそうですが、なんか気になってしまい、書いてみることにしました。何の話かって?AKBのじゃんけん大会の話です。昨日の第4回じゃんけん大会で、松井珠理奈が優勝し、センターポジションを獲得しましたが、これにはシナリオがあったのか、偶然だったのかというのがネットでもちょっと話題になっています。確かに、状況証拠的には、シナリオがあったと思いたくなるような条件が揃っています。昨年の島崎遥香がチョキを出しつづけて優勝し、今回は松井珠理奈がパーを出しつづけて優勝しました。ともに次世代エース候補と言われる二人が、そんなにうまくセンターを勝ち取れるのだろうか?少し分析的に見る対戦相手であれば、ずっと同じ手を出しつづけているくらいの分析はできそうなので、なぜわざわざ負ける手を出すだろうか?せめて様子見に相手がずっと出しつづけている手と同じ手を出してみるくらいのことを考えられるのではないか?と考えていると、かなり疑わしくなります。さらに、昨日のジャンケン大会に関しては、録画放送を再生しながら、対戦相手が何の手を出してきたか調べてみたのですが、かなり怪しい証拠を見つけました。それは、準決勝で松井珠理奈に、グーを出して敗れた平田梨奈という子はそれまでチョキを出しつづけて勝ち上ってきていたのです。なのに、なぜか松井珠理奈との対戦の時には、1回目からグーを出し、あっさり敗退してしまったのです。昨年の島崎遙香もそうでしたが、勝ち続けている手を出しつづけるというのが、人が選びやすい行動パターンでしょう。それが、なぜか勝ち続けていたチョキではなく初めてグーを出して負けてしまったのは、どうも人間行動学的には不自然な気がします。他にも外部的状況証拠としては、第1回目のじゃんけん大会は、内田真由美というほぼ無名の子がセンターになり、それで出した「チャンスの順番」という曲は、オリコン1位は取ったものの、CD売り上げは70万枚に届かず、その前の曲の「Beginner」から始まるミリオン超えを途絶えさせてしまったという事実があります。「チャンスの順番」の後の「桜の木になろう」から現在の「恋するフォーチュンクッキー」まで13作連続でミリオンを超えていますので、「チャンスの順番」も超えていたら、15曲連続になっているはずでした。昨日発表された次の曲も小島陽菜初センター曲ということで、ミリオンは固いでしょう。そうなると、12月発売の、このじゃんけん選抜による曲がますます心配になる訳です。昨年来続く卒業ブームの中で、もうAKB48も落ちていくのではという予想している人も多いと思います。ミリオンに届かなければ、「ミリオンに届かず!いよいよAKB48も凋落か?」なんて、見出しがかなり大きくマスメディアで踊ることになるでしょう。そうならないためには、やはり顔となるセンターだけは花のある有名メンバーをもってきたいと運営側が考えるのは自然でしょう。また、第2回の篠田真理子、第3回の島崎遥香の時のマスコミの取り上げ方を、第1回の内田真由美の時と比べるなら、やはり何かドラマチックな物語を作れるような人がセンターになってくれないと困ると思っていた関係者は多いでしょう。

 以上のように、仕込んだのではないかと思われる状況証拠はかなりたくさん挙がります。ただ問題はどうやって仕込めるだろうかという方法論です。最初から松井珠理奈に優勝させようとシナリオを描いていたとは思いがたいです。もしも1回戦の対戦相手となる子から松井珠理奈と対戦したすべての子に、最初からグーを出して負けなさいというのは、ちょっとありえないのではないかと思います。そんな「かませ犬」みたいな役割を、松井珠理奈と同じブロックに入っただけで、最初からさせるのはさすがにできないように思います。もしもそこまでして仕込むなら、松井珠理奈のように、かなり有名で、センターを張ったことのある子よりも、昨年の島崎遥香のように、もっと物語を作りやすい子がいたと思います。なので、とりあえず選抜入りのできるベスト16まではガチだったのではないかと思います。もしも仕込んだとしたら、このベスト16の顔ぶれを見てからではないかという気がします。かなりAKB48グループに詳しい私ですら、16人中6人は名前も知りませんでしたし、いわゆる選抜常連組と言われるメンバーは松井珠理奈だけでしたので、普通の人なら知っている人がほとんどいないという感じではなかったでしょうか。これは松井珠理奈センターでいくしかないと、運営側が考え、そうなるようにそれとなく仕込んだという可能性はゼロではないと思います。一応ここまで来た16人は選抜入りは決まったわけで、ポジションはともかく、どこかで歌い踊れるわけです。むしろ、無名のメンバーあるいはそこそこの知名度のメンバーにしてみると、万一自分がセンターになって、ミリオンが止まることがあってはという、強いプレッシャーを感じたりします。今の自分の立場なら、とりあえず選抜に選ばれたら十分満足という風に思った人も多いでしょう。そこに、運営側が「珠理奈はずっとパーを出して勝ってるよなあ。このまま行っちゃうかもしれないなあ。まあ、珠理奈がセンターになれば納まりがいいよなあ」なんて発言を聞こえよがしにしたりすると、どうなるでしょうか?「確かにそうだなあ」と思うメンバーも多いというか、それが運営側の意向だろうから、その通りにやろうと思うのではないでしょうか。松井珠理奈自身は、あまり仕込みをされるのは好きなタイプではないでしょうし、最後の喜び方を見ていると、たぶん本気で偶然勝ったと思っていたような気がします。割と一本気な子なので、「珠理奈、強いなあ。このままパーで勝負するのか?」なんてさらりと聞かれたら、「このままパーで行きます!」と宣言してしまいそうなタイプです。その情報を得たスタッフが、それを受けて、さっきのような発言をすれば、松井珠理奈優勝=センター獲得というシナリオが完成するわけです。以上、まったく個人的な勝手な憶測に基づく分析です。でも、結構ありそうじゃないですか?

【追記(2013.9.20)】なんか似たようなことを言っている評論家?(インタビュアー?)の人がいるようですね。まあ思いつきやすい発想だったということでしょうね。でも、ベスト16まではガチではないかというところまでは一緒でしたが、その後は、その人は「松井珠理奈の『あなたがセンターでミリオンが出せるの』という無言のプレッシャーを感じて対戦相手がグーを意図的に出して敗退したのだろう」と言っていましたが、それはどうでしょうね。その段階で、松井珠理奈が、ずっとパーで勝ち続けてきたということを、対戦相手となった子たちが、自分でちゃんと認識していた可能性は低いのではないかと思います。誰かがそうした情報を流さないと、負けたいと思ってもうまく負けられなかったでしょう。その意味で、心理的に誘導するような何かがベスト16の対戦前にあったと考える方が説明力は高いように思います。

479号(2013.9.10)恋愛消滅時代

 少し前のニュースですが、ブライダル総研という会社がインターネットを使って行った調査で、20歳代男性で女性との交際経験なしが44.3%もいたという調査結果が発表されました。一般的にはテレビのニュースで取り上げられるほどの驚くべき数字なのでしょうが、日頃から大学生を見ている私にとっては、「やっぱりそうなのか」と思わされた数字でした。もちろん、インターネット調査ですから、インターネットをまめに使わないような層は抜け落ちており、20歳代男性層を偏りなく代表している調査結果ではないかもしれませんが、今やインターネットもかなり日常的ツールになっていることを考えるなら、まったく意味のない数字ではないでしょう。また、大学生たちにとってはインターネットは常にそばにあるようなものですし、20歳代の中でも下の方の年齢に属しますので、もしかしたら交際経験なしの男子学生はもっと多いのではないかという気がします。私は、この「つらつら通信」で何度も恋愛について書いてきました。2002年には、「第86号 恋をしようよ、男の子!(2002.7.10)」と呼びかけましたが、時代はどんどん恋愛離れが進み、2005年には、「第164号 友人になってしまう男と女の時代(2005.7.10)」になっているようだと指摘しました。その後も、「第307号 「草食系男子」を生み出す社会の仕組みと今後(2008.12.30)」を書き、恋愛が消えていく原因とそれを克服するためにはどうしたらいいかを考えてみましたが、結局2009年の暮れに、「第357号 現代の若者の恋はどうやって始まるのだろう?(2009.12.23)」と、もはやお手上げだと白旗をあげて、恋愛については3年以上書いてきませんでした。そして、今回の調査結果ですから、ものすごく納得してしまったわけです。

 テレビでインタビューを受けていた彼女がいない若い男性たちは、全然落ち込んでいる感じではなく、「恋愛ってめんどくさくないですか?友だちといる方が楽しくて気楽ですよ」と何の気負いもなく語っていました。そう、恋愛は昔からめんどくさいものなのです。でも、昔はそのめんどくささを乗りこえてでも得たいものがあったのです。でも、今はそんなめんどうな思いをせずにも手に入るものになってしまっているんでしょうね。そりゃあ、リアルでは「草食化」するのは当たり前でしょう。今や恋愛って、結婚する前にその前段のプロセスとして、その状態にあったことにしていないと格好悪いからという理由だけで必要とされている気がします。結婚をまだ意識しない人にとっては、「おままごと」のような「デートごっこ」をするために必要なものというところでしょうか。もはや「恋愛消滅時代」に入ったと言っても過言ではないように思います。男も女も欲しいのは癒やしです。それは友人でも、アイドルでも、ネットゲームの王子様でも与えてくれます。むしろ、リアルな異性はわがままだったり、勝手だったり、だらしなかったりした姿を見せて、しばしば癒し以上にいらだちを与えてくれたりします。そりゃ、要らないですよね、リアルな恋愛なんて。「恋愛消滅時代」とは、恋愛が、「ごっこゲーム」か、あるいは結婚という「大人人生」のスタート地点に立つための短い助走路としての役割でしかなくなってしまった時代のことです。かつて、「第53号 「愛」と「恋」(2001.5.18)」の違いについて書いたように、そもそも「癒し」なんか求めるのは「恋」ではなく「愛」なのです。今の若い人たちが求めているのは、「愛」であって「恋」ではないのだと思います。「恋愛」という言葉は両方の字が入っていますが、通常は「恋」と同義で使われてきました。それが消えつつあるということです。まあでも、そもそも恋愛なんて、近代とともに誕生したものですから、近代という時代が揺らぐ中では、消えて行くのも不思議はないのかもしれません。

478号(2013.8.29)リニアモーターカ―は必要か?

 リニアモーターカーによる中央新幹線の営業用車両ができ、時速500kmを出したこと、東京−名古屋間は2027年開業で40分で結び、新大阪までは2045年開業で1時間ちょっとで結ぶことなどが、本日のニュースで流れていました。速いことは速いですが、果たして日本にリニアモーターカーは必要なのでしょうか?おそらく、日本人の移動手段としては、現在の東海道新幹線と航空機で十分で、中央新幹線は必要ないと思う人がほとんどでしょう。むしろ、これができてこちらを使わせるために、現在10分に1本走っているのぞみが減らされたりしたら、その方が不便です。東海道新幹線の本数が減らされなければいいのですが、これまでのJRのパターンで行けば、新しい高速ルートを作った場合は、並行して走る路線はなくすか減らすことになるでしょう。東海道新幹線と中央新幹線は大分離れていますので、東海道新幹線がなくなることはないでしょうが、のぞみの本数は減りそうです。国民の多くが望んでもいない超高速交通が作られるのは一体なぜなのでしょうか。ひとつには、技術者の限界に挑戦したいという夢があると思います。しかし、この夢の実現のためには、莫大な費用がかかります。その費用はJR東海だけでは賄えず、様々な名目で、国からの税金が回されているのだと思います。多額の税金をこの事業につぎ込む正当性は、このリニアの技術が完成すれば、世界に売り込めるということなのだと思いますが、果たして本当に売れるのでしょうか?より速く移動できる航空機がこれだけ普及している中で、わざわざ多額の費用をかけて専用のルートを作り、リニアモーターカーを走らせようと思う国がそういくつもあるとは思えません。結果的に開発費用は回収されることはなく、日本の山の中を通り抜けて行くだけの無駄に速い交通手段というままで終わってしまうのではないかという気がしてなりません。

477号(2013.8.24)犬島がお奨め

 最近瀬戸内の島々がアートの展示で有名になりつつあります。現在、「瀬戸内国際芸術祭」と銘打って、大々的に宣伝もしており、観光客も増えているようです。直島が一番有名で人気もありますが、私のお勧めは犬島です。小さな島で23時間 もあれば主要なアートは歩いて見て回れます。このサイズはちょうどいいです。直島は結構大きいので、バスを使わなければならず、バスの時間、移動時間を考えながらの見学となり、都会生活と同じような時間に追われながらの鑑賞になりますし、最近は人気がありすぎて待ち時間も長くなっています。その点、犬島ではゆったりと自分のペースで時間を過せて、瀬戸内の島にやってきたことを実感できます。

岡山県の宝伝港から船で10分もかからずに犬島に着きます。着いてすぐにチケットを買い、犬島精錬所美術館をめざします。まず、このアプローチ(左写真)がいいです。海と島を見ながら旧精錬所の煙突をめざして進んで行けば、精錬所をイメージしたアートの空間に入り込みます。そこはまるで迷路のようです。迷路を楽しみながら、精錬所美術館の入口にたどりつきます。現代アートが苦手な私は正直言って美術館には期待していなかったのですが、この美術館は非常におもしろかったです。こういう現代アートは評価できます。前半は「闇と光の迷路」とでも名付けたいような空間で、後半は「浮かぶ部屋あるいは三島由紀夫の思い」とでも名付けられる空間です。写真厳禁なので、写真が載せられないのが残念なのですが、ぜひ見てみてください。きっと感動すると思います。

美術館を出た後もしばらく廃墟のように残された精錬所跡を散策します。廃墟はどこもそうですが、昔の繁栄と今の衰退とのコントラストが必ず人々に何かを感じさせます。精錬所跡を出て、今度は「家プロジェクト」に向います。様々なアートがいくつかの家の中、あるいは跡で展開されています。その中には、「これはどうなんだろう?」というものもありましたが、「これはいいな」と思うものの方が多かったです。特に、石職人の家跡(右写真)S邸がよかったです。最後にこの犬島で一番よかったと思えたのは、車がまったく走れない昔ながらの島の細く曲がりくねった道をのんびりと歩きながら、こうしたアートを見て回れるという点です。まさに「島ぐるみ美術館」でした。現代アート全般にかなり抵抗感のあった私が、現代アートもいいものはいいんだと認識を変えた旅となりました。

476号(2013.8.21)なぜ富士山が世界遺産になって大喜びをするのか

 ちょっと前のニュースですが、富士山が世界遺産になって、地元関係者を中心に日本中が喜んでいましたが、私はなぜ今更富士山が世界遺産にならなければならないのか、なぜ世界遺産に登録されたことでそんなに喜ぶのだろうかとしらけた気持で見ていました。確かに、世界遺産になることによって日本人にも初めて広く知られることになったような場所は、喜ぶのもわからなくはありません。しかし、富士山は日本の象徴とも言うべき山で、日本に来る外国人であれば誰でも知っている有名な山です。日本人では知らない人はいない山です。それほどの山が世界遺産に認められるかどうかがそれほど重要なのでしょうか?なんだか日本人の自信のなさを感じてしまいます。国立公園、国定公園、国宝、重要文化財、重要伝統的建造物保存地区等々、日本人自身がちゃんと素晴らしいところだと指定している様々な制度があるのに、それらにはあまり関心を持たず、「世界遺産」になった途端に関心を持ち、そしてすぐに冷めて行きます。だいたい、世界遺産とは観光地として素晴らしいという指定ではなく、将来に渡って残すべき大事な世界の遺産だという指定であり、保護・保存すべきだという指定です。世界遺産が観光名所指定のように思われ、観光ブームが起こり、結果として保存や保護のためにはマイナスになってしまっているのは非常におかしなことです。富士山なんかは入山制限をすべきです。あんなアリの群れのように、多すぎる人が富士登山をする姿を見ていると、富士山が踏みにじられている気がします。

475号(2013.8.16)静かなる革命――昭和一桁生れの女性たちが変えた日本――

 このテーマは15年以上前から考えていたテーマで、いつかきちんとした研究論文にして発表しようと思っていたのですが、なかなか本格的に取り掛かることができないまま時間だけが過ぎてしまいました。この際、とりあえず「つらつら通信」にその主張の骨格だけでも示しておこうと思います。

 昭和20年代半ば頃から30年代半ば頃が結婚適齢期に当たる昭和一桁生れの女性たちは、実は静かに、しかし大きく日本を変えてきた人々です。まず何よりも革命的だったのは、彼女たちが少子化を一気に進めたことです。少子化の進行と聞くと、若い人たちはここ20年ほどの事態と思っているかもしれませんが、最近20年よりも一気に少子化が進んだのは昭和20年代後半です。昭和246月に中絶が経済的理由でも許されるようになってから、女性たちは妊娠したら必ず子供産むという選択をしなくてよくなりました。自分自身は56人が当たり前というきょうだいの中で育ってきた昭和一桁生れの女性たちは、自分自身はそんなにたくさんの子の母親にはなりたくないと思ったのです。子どもに教育を与え、貧しくないそれなりの暮らしをするためには、子どもの数が多すぎるのは望ましくないと考え、望まぬ妊娠をしてしまった場合は中絶を選んだのです。団塊世代と呼ばれる人口の大きな塊が昭和22年から24年生れの3年間ときっちり決められるのは、戦争が終わって男たちが帰ってきたことによる子どもの誕生期である昭和22年に始まるのは自然なことですが、昭和24年で終わるのは中絶が実質的に自由化されたからという人工的な理由なのです。そして、2人あるいは3人の子に――特に男の子には――高い学歴をつけさせたいと教育熱心な「教育ママ」になったのも、この昭和一桁生れの女性たちが最初です。

また、生活の洋風化、合理化を進めたのもこの世代の女性たちです。子どもに「ママ」と呼ばせ、料理本を見ながら、カレー、ハンバーグ、シチュー、スパゲッティ、オムライス、ビフテキなど、カタカナ料理を食卓に並べていったのです。自分自身は母親のことを「ママ」などと呼んだことはなく、和食で育った世代だったわけですが、戦後のアメリカに対する憧れから、食生活も洋風化することが豊かな生活なのだと信じた世代でした。クリスマスを祝う習慣もこの世代の女性たちが母親となって広めた習慣です。食事以外の家庭生活でも、「三種の神器」と呼ばれた冷蔵庫、洗濯機、テレビを、多少無理してローンを組んででも家庭に取り入れ、家事の合理化、省力化を進めた世代です。このように見てくると、現代の私生活のベースはこの昭和一桁生れの女性たちが形成したということが理解できるでしょう。

 もちろん、この世代が革命的な変化をなしえたのは、この世代が突然変異的な特殊性を持っていたからではなく、生きた時代が彼女たちをしておのずとこうした変化を選び取らせたということです。少女時代を戦時下でたくさんのきょうだいとともに貧しく過ごし、戦争直後の食糧難を豊かなアメリカを意識しながら経験し、結婚し始めた頃に始まる高度経済成長期の波に乗って、憧れのアメリカ的生活様式――戦後一気に解禁されたハリウッド映画などによって伝えられた――に少しでも近づきたいと思ったわけです。今の若い人たちは、「アメリカより日本の方がクールだ」と無意識に思い、アメリカに行きたい、アメリカのまねをしたいと思わなくなっているのも、時代のなせる業でしょう。時代が人々の意識を作るのです。今や昭和一桁生れの女性たちほぼ80代となっていて、若い人から見たら、日本の伝統を大切に地味に生きてきた「おばあちゃん」たちという印象になるのではないかと思いますが、実は日本社会の少子化、学歴社会化、食生活の洋風化、家事の合理化・省力化といった趨勢的変動を引き起こすうえで重要な役割を果たした人々だったのです。

474号(2013.8.5)「ノリ」文化とTV

 SNS全盛期に入って、おもしろ画像や映像を掲載し、それが問題視されるということが繰り返されています。今日TVで紹介されていたものは、チェーンの弁当店の大型冷蔵庫に入り込んだ若者、コンビニのアイスクリーム用冷凍コーナーに寝そべった若者、ハンバーガーチェーン店でパンを並べてその上に大の字になって寝ている若者の画像が紹介されていました。いずれも、企業は謝罪文を出したりお店を閉めたりする羽目になっています。これまでにも、テーマパークの乗り物を止めたことを自慢気にアップした若者、手製爆弾の爆発する瞬間を映像として流した若者などもいました。みんなこういうことがちょっと非難される行為であることを知りつつ、「ノリ」でウケ狙いでやってしまうわけです。彼らの意識の中では、ちょっとした迷惑行為だという認識はあるけれど、まあ犯罪とまでは言えないし、大迷惑というほどではないので、掲載して話題を呼んだら、ちょっと自分がスターになったような気分になれるので、やってしまっているわけです。第469号で書いた「イッキ飲み」も、サッカーの日本代表が大事な試合で勝った時の繁華街でのバカ騒ぎも、みんな同じように「ノリ」文化が生み出した風習です。なぜ若者たちはこんなにも「ノリ」重視なのでしょうか?

大きなトレンドで言えば、日本が豊かになる中で、勤勉勤労、立身出世という価値観が薄れ、楽しい毎日が過ごせればそれでいいという刹那的な楽しみを求める価値観の持ち主が増えてきたことが原因でしょう。そして、このトレンドを強化する上で、大きな役割を果したのが、実はTVのバラエティ番組だと思います。熱湯風呂だの、熱いおでんを顔に押し付ける、爆薬を背負わせて走らせる、頭をはたく、食べ物を遊び道具として使う、など、お笑い芸人を中心に「ノリ」の一言で、笑いを取るために、視聴率を取るために、無茶なことをさせ、それをおもしろいことだと電波を通して広く知らしめたのは、TV局です。そのTV局が他方で、ニュース番組やワイドショーで、こういう行為を批判したりするというのは、あまりにも自覚が足りないと思います。こんな「ノリ」事件が頻発するようになった今でも、バラエティ番組は相も変わらず、「ノリ」重視で、芸人に無茶なこと、馬鹿なことをさせ続けています。こういうことを本気でやめさせようとするなら、TV局自身がまずくだらない「ノリ」だけを重視したバラエティ番組をすべてやめるべきです。(ちなみに、私は、いじめの構造的誘発性としても、こういうバラエティ番組が間違いなく影響していると思っています。)問題となった画像を載せた若者たちにしてみれば、TV番組がやっているようなおふざけを、自分たちもSNSで発信してみただけなのに、という思いではないでしょうか。TV番組なら、女性タレントの頭を蹴ろうと許される(?)が、SNSでそんな動画が出回ったら、あっという間に炎上するわけです。ネット全盛期とはいえ、価値観形成していく子供時代、青年期に見るTV番組の影響はまだまだかなり大きいものがあると思います。

473号(2013.7.15)投票方式を変えてみたらどうだろうか?

 参議院選挙が近づいてきましたが、盛り上がりはまったく感じられません。100%自民党圧勝という結果が見えている選挙で、かなり投票率は低くなるでしょう。投票率は60%を切るのではないでしょうか。投票に行きましょうという呼びかけはされていますが、そんな呼びかけだけで有権者が動くなら何も心配することはないのですが、そんな呼びかけだけではもともと行く気のなかった人は動きはしないでしょう。どうやったら、投票率は上がるでしょうか?今の時代なら、「ネット投票」にしたらよいというのは現実的に考えられている案でしょう。確かに若者の投票率は上がるでしょうね。ただ、高齢者は対応できないでしょうし、本人確認をどうするかが難しいところです。ここでは、実際には採用される事はまずありえない案を出してみたいと思います。まず、これはずいぶん昔(「つらつら通信」第11号、19991219日公開)に唱えた案ですが、白票投票に意味を持たせるという案です。政党があまりに安易に離合集散を繰り返していた頃で、政党や政治に対する不信感が根強く、消去法でも選ぶ政党、選ぶ候補者がいないという有権者が多かった時代なので、白票投票を可能にし、白票投票分だけ議席数を減らす(比例代表方式でしか使えませんが、たとえば白票が2割出れば、議席数を2割減らす)というアイデアでした。今回は、これ以外の突拍子もないアイデアを2つ提案してみます。まず1つ目は、投票したら、「地域振興券500円分」がもらえるという制度を導入することです。これはかなり投票率が上がるでしょう。ただし、とりあえず投票に行けばいいのだろうという空気が生れ、さらにムードや風に流された選挙結果が出やすくなるでしょう。2つ目は、逆に、投票権は500円か1000円で自分で買ってもらい投票するという方式です。これはAKB48の総選挙を見ながら思いついた案です。投票率は今以上に下がるでしょうが、本気の人たちしか投票に行かないので、風に流された選挙結果は出ないでしょう。本当に、伸ばしたい政党や政治家にしたい候補者がいるという人のみが投票を行い、ちゃんと政治を考えている有権者の意思が反映されることになります。なんだったら1人で100票までは投票できるとしてもいいかもしれません。法の下の平等に反するということで現実には導入できない案ですが、多少豊かな人の意見が通りやすくなっても、それはそれで仕方がないのではないかと思います。政治に関心を持って、お金を払ってでも政治に関わろうという人たちだけで、政治家が選ばれるというのは、政治をまともにする方向ではないかとも思います。民主主義が衆愚政治になってしまっているのではないかという思いが、こんなアイデアを思いつかせたようです。

472号(2013.7.11)もうアナログ授業は通用しない?

大学教師になって32年目ですが、どうやら授業のやり方の転換を図らなければならなくなってきたようです。長く、板書と喋りだけで講義をやってきましたが、多くの授業でパワーポイントが使われる中で、板書方式は現代の学生たちに受け入れられなくなっているようです。確かに、板書ではそんなに大きな字では書けませんし、急いで書こうとするので、やや乱雑な字にもなってしまいます。前と比べて劣化したわけではないと思いますが、板書派がマイノリティになり、パワーポイントでの読みやすい文字に慣れた学生たちには、こんなアナログ方式にいつまでもこだわっている教師はダメなのでしょう。かつて私より一回り以上年上の先生が、「大学生は英語文献くらい読めて当たり前」「難しい話にもついてこられなければ大学生ではない」といった発言をされていて、「いやあ、先生、もうそんな時代じゃないですよ。今どきの学生たちに合わせて行かなければだめですよ」なんて言っていましたが、今や私こそ、「古い先生」になってきたようです。今どきの若い先生は、パワーポイントの使い方も上手ですし、横道にもそれずにシラバス通りの授業をされているのだと思います。私はといえば、相変わらず講義ノートを見ながらの授業ですからね。前説が長くなってしまったら、早口で本題を詰め込んでしまうというその時その時で内容が結構変わってしまう授業です。きちんとしたマニュアルに従った授業に慣れている現代の学生たちにとっては、高く評価できない先生と言われても仕方ないような気がします。特にここ12年急速にアナログ授業が受け入れられなくなってきている気がします。スマホ普及の影響もあるのではないでしょうか。知識がいつでも簡単にきれいに手に入るのに慣れてしまった学生たちには、キーワードだけが手書きの汚い字で黒板に書かれ、後は口頭での説明だけなんて授業はどんどん許容できなくなっているのでしょう。私ももうしばらく大学教師をやっていたいので、「化石」先生にならないように、今どきの学生に合わせて少し授業のやり方を変えてみようかなと思いつつあります。

471号(2013.6.21)ザック・ジャパンでいいのだろうか?

 久しぶりに、サッカーについて書きます。コンフェデレーションカップが2試合終ったところで、日本の1次リーグ敗退が決まりました。まあ強豪国ばかりですから、決勝リーグに行くのは難しいであろうことは戦前から予想されていましたが、3試合目までわずかの可能性くらい残してくれるのではと思っていた人も結構いたのではないでしょうか。さて、その2試合ですが、ブラジル戦はまったく何もできずに完敗、イタリア戦はいい勝負をしながらの惜敗という結果ですが、この2試合、さらにはヨルダン戦以降のコンフェデ前の4試合も含めて感じることは、ザック・ジャパンはこのままでは伸びしろがないのではないかということです。レギュラーがある程度固定されるのは仕方がないことですが、中心メンバーと控えの差が大きすぎます。特に、攻撃陣では本田が出場しない時は、ボールが納まらず、まったく機能しなくなります。今のままだと、万一本田が怪我でもしてW杯の本番に出られなければ、日本の予選突破の可能性はほぼゼロになりそうです。そして、守備があまり不安定です。背が高くなく、ハイボールをはね返せない今野と、まだ経験不足の感が否めない吉田のセンターバックでは、相手攻撃陣からすれば穴だらけに見えるでしょう。大きくて強くて安定感のあるセンターバックを育てないと、今回のイタリア戦のように、攻撃陣が機能してもそれ以上の点を取られるといった試合になってしまうでしょう。GKの川島もレギュラーとして安心しきっているのか、南アフリカ大会の頃のようなキレがありません。まあキーパーはそう簡単に変えられるポジションではないので、最終的には川島でもいいのですが、ライバルとなる2番手を育てるべきです。W杯出場を決めた後のイラク戦など、他のキーパーを試すよいチャンスだったのに、結局ザッケローニはそういう選択をしませんでした。考えてみると、今のザックジャパンの中心選手はほぼ岡田ジャパンで頭角を現した選手ばかりです。ザッケローニが見出し、育てた選手はほとんどいないのではないかと思います。W杯まで後1年あるとは言っても、今のザッケローニを見ていると、ザック・ジャパンのままでは日本は1年間まったく伸びないのではないかという気がします。思い切った選手起用がザッケローニにはできない気がします。日本的文化では、W杯出場を決めた功労者である監督のクビは切れないでしょうが、このままでは危ない気がします。唯一の期待は、岡田ジャパンがそうであったように、W杯予選を突破した時の中心メンバーの力が落ちてきたことが明確になって、大手術を行わなければならなくなるパターンです。ただ、その際に本田のようなハートと技術をもつ選手が育ってきていないと、あんなラッキーな結果は生じないのですが……。とりあえず、背は高いけれどヘディングがうまくなく、足元の技術もなくポストの役割を果せない上に、足も遅く速攻もできないFWハーフナー・マイクはもう要らないことが確認されたので、次から呼ばないでほしいものです。あと、今野はボランチとして育てていった方が絶対いいと思うのですが……。CBに若い適任者がいなければ、闘莉王を呼び戻すという選択もありだと思います。1次リーグ敗退が決まっているメキシコ戦でもいつものメンバーを出場させ、意味のない勝ち点狙いをするようであれば、来年の本大会は終ったようなものかもしれません。

470号(2013.5.27)おねえなのか?(笑)

 現在、言葉の変化を研究している学生がいて、先日ゼミでの議論をこっそり録音して文字におこして、ゼミ以外の友人に発言しているのは男性か女性かを判別してもらうテストをしてみたそうです。その結果で一番間違われたのが私の発言だったそうです。学生が言うには、関西弁ではないので丁寧な言葉のように思えること、結構語尾に「ね」とか「の」がよくつくことなどで、女性と間違われやすいようですとのことでした。そうなのかなあと納得がいかなかったので、そのテストを見せてもらいましたが、自分でもかなりの確率で間違えてしまいました。確かに、女性の発言っぽく聞こえます。ちなみに、一人称はニュートラルにしているので、男女を判別する基準は、選ぶ名詞の違い、語尾の違い、全体的なニュアンスといったところです。私の場合は特に語尾に女性的特徴が出ているようです。考えてみると、結構以前からゼミ生や友人に、「片桐さん(先生)、またおかまっぽくなっている(笑)」という指摘は受けていたことを思い出しました。なんで、そうなったのだろうと考えると、それなりに理由は見つかる気がしてきました。ひとつのきっかけは子育てです。子どもが小さいときには、男性言葉のまま叱ると、子どもにとって怖すぎることになってしまうので、優しく聞こえる女性言葉を意識的に利用していました。「そんなことしたら、だめだぞ!」ではなく、「そんなことしたら、だめだよ」です。他にも「何が食べたいのかなあ」「眠たいの?」という感じです。それがいつのまにか身に付いてしまったところがあるように思います。もうひとつ微妙に意識しているのは、私の声は低く太い声なので、言葉遣いまで男っぽい言葉にすると威圧的になりすぎるので、やや優しい口調で語りかけるようにしていることです。そのため、やや女性言葉に近づいているというところはあるような気もします。この「つらつら通信」の文章もそうですが、とりあえず「ですます調」で書いた方がソフトな印象になりますので、内容的にはきついことでも読んでいる人が受け入れやすくなると思います。荒っぽい言葉遣いは相手に恐怖心と警戒心を与えるばかりです。ということで、おかまっぽいとか、おねえっぽいと言われてもよしといたしましょう(笑)。

469号(2013.5.17)酔っぱらうのが目的?

 先日ゼミで「大学生の飲酒文化」を研究対象にしている学生が、自らの経験を踏まえて、テニスサークルの飲み会は酔っぱらうのを目的に行われていると述べたのを聞いて軽くショックを受けました。確かに、昔から人は、つらいこと、悲しいこと、苦しいことがあったときに、一時的にでも酔っぱらって忘れてしまおうとしたりもしてきましたが、テニスサークルの飲み会はそんな理由で酔っぱらおうとしているのでないことは明白です。おそらく非日常性を高め、祭り気分を作り出すためでしょう。10年以上前に、やはりゼミでテニスサークルの「イッキ飲み」について議論したことがあって、その時には「イッキ飲みのコールに乗せてあげることで、日頃スポットが当たりにくい人にも順番でスポットを当てることができるので、それなりに意味があると思う」という意見があり、「なるほど。そういう側面もあるのか」とちょっとだけ納得したこともありましたが、今回のように酔うのが目的と言われてしまうと、やはりそれは違うだろうと言いたくなります。誰も潰れずにきちんと解散になったら何か物足りないような気持になり、誰かが酔っぱらって潰れるという事態が生れて初めて「ああ、今日も盛り上がったなあ」とか言っているのだとしたら、そんな飲み会は絶対にやめさせなければならないと思います。学生たちがそういう飲み方をしているのを知っていて学生に場所を提供しているお店は営業停止にしてもいいのではないかと思うほどです。酒は食文化の一種です。おいしい料理とともに味わい、食をさらに豊かにするためにあるものです。その意味では、様々な酒を味わえるのは幸せなことだと思っていますので、学生たちにも「ちょっとはお酒が飲めるようになった方がいいと思うよ」といつも言っているのですが、身近でこんな馬鹿な飲み方をしている学生たちがいて、お酒と言えば、酔っぱらい、潰れる、と連想ゲームのようになってしまっていては、お酒をちゃんと覚えようとする学生たちも少なくなってしまうのは当然でしょう。かつて社会慣習的には許容されていた20歳未満の大学生の飲酒が厳しく規制される流れになってきたのも、こういう馬鹿な飲み方が一般化してきては仕方がないところでしょう。

しかし、一体いつからこんな馬鹿な飲み方が一般化してきたのでしょうか?私の記憶では「イッキ飲み」が学生たちの間で普及しはじたのは1980年代初めだったように思います。1970年代半ばに学生生活を送った私たちの時にはまったくない文化でした。せいぜい遅れてきた人に「駆けつけ3杯」と言って、コップに3杯ビールを飲んでもらうという習慣があった程度でした。(たぶん、これは遅れてきてすでにみんないい感じで酔っているので、早くみんなと同じレベルになってほしいというところから始まった習慣だと思います。)私が初めて「イッキ飲み」を見たのは、大学教師になって1年目の1983年のことでした。学生たちが「イッキ、イッキ」と囃し立てる中でビールをあおる学生たちを見て、「関西にはこんな習慣があるのか」と目を丸くした覚えがあります。関西発祥かどうかはわかりません。私は1970年代末から1980年代はじめは東京で大学院生をしていて、一般の学生たちの飲み会を目にする機会がなかったので、東京でもすでにやっていたのかもしれません。まあでも相当に広まっていれば、話題にもなるでしょうし、飲み屋でも見かけたりはするでしょうから、見たことも聞いたこともなかったということは、やはりこの1980年代初めころに生まれた新たな習慣ではないかと思います。こうした飲み方が生れた社会的背景を考えていくと以下のようなことがあげられるように思います。(1)転換期としての1970年代を経て、学生文化が変化したこと。(2)チェーンの居酒屋が増えて行ったこと。(3)ジョッキの生ビールというのがどこでも飲めるようになったこと。(1)は一番重要なポイントです。1960年代までの学生たちは社会関心、政治関心が高く、ある意味でまじめに社会のこと、政治のことを考えていました。そんなに考えていない学生――ノンポリ学生――ももちろんいましたが、キャンパスの支配的な空気が政治的なものであったため、ノンポリ学生は、時代を代表する学生にはなりえていませんでした。それが1970年代の過渡期の10年間を経て1980年代を迎えた時には、ノリを重視して明るく楽しく過ごさなければ大学生活ではないという時代になっていました。楽しいこと、盛り上がること、乗れることをいつもやっていたいという気分が、酒を飲むことすらもエンターテインメントにしてしまおうとして、こうした「イッキ飲み」のようなものが生み出されたのだろうと考えられます。(2)は、もしかしたら原因と言うよりは、こうした盛り上がる飲み会をしたいと考える学生たちが――そして卒業後は若い社会人が――どんどん増えてきたために、それに応える場として、チェーンの居酒屋というのが必要性から次々に誕生してくることになったと言えるかもしれません。ただ、こうした居酒屋が増殖することによって、さらに学生たちは「ノリ飲み会」のようなものがしやすくなり、広まったという面もあると思います。(1970年代頃までは、チェーンの居酒屋というのはほんのわずかしかありませんでした。)(3)のジョッキの生ビールですが、これもチェーンの居酒屋が増えてくる中で一般化したものです。それまでは、ビアホールに行けばジョッキの生ビールを飲めましたが、通常の居酒屋ではビールと言えば瓶ビールでした。(特に、キリンのラガービールが圧倒的なシェアを誇っていました。)このジョッキでビールを飲むというのが広まることで「イッキ飲み」はさらにしやすくなったようなところがありました。以上、簡単な分析ですが、現代のテニス・サークルの馬鹿な飲み方にも、間違いなく社会の変化が影響していることがわかると思います。そして、その馬鹿な飲み方という社会現象がまた様々な影響――特に潜在的逆機能――を生み出していることにも気づいてもらいたいものだと思います。

468号(2013.5.6)長嶋にも感動

 昨日の続きですが、セレモニー後の記者会見の映像を見て、今度は長嶋茂雄氏に感動してしまいました。前号にも書いたように、長嶋茂雄はファン気質に欠ける私が人生で唯一ファンだと公言してきた対象でしたが、脳梗塞で倒れて以来、私が好きだった太陽のように明るい長嶋氏の溌剌たる姿はもう見られないのだろうと思っていました。実際最近10年時々東京ドームに観戦に訪れるようになってからも、ただ観客に手を振るだけで、ジャイアンツの「人寄せパンダ」になっているだけだから出てこない方がいいのにとまで思っていました。しかし、昨日のセレモニーと記者会見を見たら、見事な復活ぶりで、感動しました。60歳代後半で脳梗塞で倒れ、車椅子生活にもなりかけた人が77歳という喜寿の年齢で、ぱりっとスーツを着こなし、明るく楽しそうに野球について語ってくれたのです。77歳になっても長嶋茂雄は長嶋茂雄でした。すごいです。松井氏とはまた、異なる感動を受けました。つらいこと、苦しいことがあってもあきらめちゃだめですね。あんな77歳になってみたいとしみじみ思いました。

467号(2013.5.5)予想外の感動

 先ほどまで放送されていた長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の国民栄誉賞の授与式特番を見ていてあまりに感動し、思わずここにも書きたくなりました。私はもともと大の長嶋ファンで、長嶋が現役の時、監督の時は野球を熱心に見ていたのに、長嶋がグラウンドを去ってからは野球そのものに興味を失ってしまったほどです。今回も久しぶりに長嶋の雄姿が見られるだろうと思って番組も見ていたのですが、長嶋以上に松井秀喜氏に感動してしまいました。長嶋監督時代の巨人の4番ですので、松井の活躍ももちろん見ていたのですが、打者としてはすごいけれど、華もなく、特段興味のある選手ではありませんでした。大リーグに行ってからの活躍と苦難も新聞記事等で知っていましたが、「ふーん」という程度の受け止め方で、今回の国民栄誉賞も、長嶋に与えるためのちょうどよいきっかけになるので松井ももらえるなんだよなあ、甘めの受賞だなあと冷たく見ていました。しかし、今日の引退セレモニーでの挨拶、国民栄誉賞をもらっての挨拶、右手の使えない恩師・長嶋茂雄氏に対する接し方、そして彼の半生を振り返ったビデオと、ヤンキースの元同僚たちの証言などを聞いていたら、感動して何度も泣いてしまいました。松井秀喜という人はすばらしい人間です。「心が洗われるような」という表現をあまり使ったことがないのですが、松井秀喜という人の生き方を知り、本当に心が洗われたような気がしました。立派です。美しい心の人がいるんですね。とてもあんな立派な人間にはなれそうもないですが、やっぱり努力は忘れてはいけないですね。初心に帰ろうという気になった貴重な時間でした。

466号(2013.5.3)ああ、旅がしたい!

 NHKBSでやっている「新日本風土記」という番組が、地味ながらも非常に良質な番組なので、毎回録画して時間がある時に見ています。先ほど先日録画しておいた「駅弁」というテーマの回を見たのですが、無性に旅に出たくなりました。駅弁をめぐる小さな物語がいくつか紹介されていましたが、じーんとしてしまいました。最初に紹介されていた人吉駅での駅弁売りのおじさんには会いに行きたいと強く思いました。まだ首からかけた駅弁売りの箱をもったおじさんがいたなんて……。あのおじさんから駅弁を買いたいものです。私が青年期くらい(1970年代くらい)までは、まだホームでの駅弁売りは多少はいたように思います。列車の出発時間を心配しながら、ホームに急いで降りて「おじさん、お弁当ひとつ!早く、早く!」なんて言っていたものでした。子どものときに親の故郷に帰省するときは、いつも折詰の駅弁とお茶、それに冷凍みかんが楽しみでした。番組でも薄い木でできた折詰がなぜ作られるようになったのか、そして今も昔ながらの製法を守って折詰を作る職人さんが紹介されていましたが、なんだか涙が出そうになりました。今や駅弁もおしゃれになりずいぶん変わってしまいましたが、番組を見ながら、「ああ、旅がしたい!」と強く思いました。別に駅弁を食べたいと思ったのではなく、そういうものが存在する地方に旅に行きたいのです。(今どき、食べるだけなら百貨店でしばしば行われる物産展でも買えるでしょう。)私のイメージする「旅」は、一人旅です。一人は淋しいのですが、それがいいんですよね。旅のイメージが凝縮されている感じです。「ああ、あの旅は印象深かったなあ。あそこはよかったなあ」とふと思い出すのは、ほぼ一人旅で行ったところばかりです。年に2回くらいはそういう旅をしたいし、それなりにしてきたのですが、もう1年以上そういう旅ができていません。ああ、旅がしたいです。一人旅をしながら、いろいろなことを考えてみたいものです。

465号(2013.4.19)就活後ろ倒しについて考える

 安倍総理からの要望を受け、経団連が2016年卒業生(現在の大学2年生)から、3年生の3月求人開始、4年生の8月採用選考開始とするように倫理憲章を変えることを決めました。大学生を教える教員としては、この就活時期の変更には嫌でも関心を持たざるをえません。長らく3年生10月求人開始(一昨年からは12月開始)、4月選考開始でしたので、大きなスケジュール変更になります。このスケジュールを安倍総理が要望したのは、3年生の間は留学に行けるようにすること、また大学側からもなるべく学業に専念できる時期を延ばすために就活時期を遅くするようにという要望が出ていたことなどが理由のようです。さてさて、このスケジュール変更は大学生にとってプラスになるのでしょうか?正直に言うと、かなり疑問です。まず留学には行きやすくなるのは確かでしょうが、かつての若者ほど欧米崇拝信仰のない今どきの学生たちは、行きやすくなったからといって必ずしも留学に行かないのではないかと思います。海外旅行や1ヶ月程度の語学留学なら経験してみたいけれど、1年も留学したいという希望を持っている学生は極少数ではないかと思います。半年以内の留学なら、現在の就活スケジュールでも3年生の春学期までに済ませれば、就活にはまったく問題はなく、行きたい学生たちはそういう行き方を実際にしています。1年行く学生たちは、多くの場合1年卒業を送らせていますが、社会に出るのが1年遅れるのは大きなマイナスにはなっていないように思います。現在の学生たちのドメステッィクな志向性を変えるには、留学していなければ就職はできないくらいの条件にしないと難しいでしょう。ただ、企業も留学したから、英語ができるからと言って、自動的に有能な人材を意味するわけではないと知っていますので、そんな条件をつけて、みすみす有能な人材を逃がすようなことはしないと思います。次に、大学側が求めていた学業に専念できる時期を延ばすという狙いですが、3か月就活開始時期が延びたからと言って学生たちがより勉強するようになるとは私にはとうてい思えません。遊ぶ期間が延びるだけです。むしろ、今のスケジュールなら、長い春休み期間である3年生の23月が説明会などでもっとも忙しい時期で、4月に選考が開始されると一気に内々定をもらい、大学に戻って卒論に取組むようになってくれる学生も多いのに、3月から求人開始、8月選考開始では4年生の春学期は学生たちに大学に来させることすら難しくなり、余計学業の妨げになると思います。また、今のスケジュールなら就活を夏休み前に終えた学生たちは9月あたりで、海外旅行を経験するということもできますが、新しいスケジュールでは秋の予定は立てにくく海外に行くのは難しくなり、結果的により海外経験を持たない学生たちを作ることになりそうです。本当に大学生たちに4年間の学業に励む時間を与えるつもりなら、就活は卒業後に行い、101日から働き始めてもらうというくらいにしないといけないと思います。まあでもそうしたとしても、4年間をしっかり学びのために使おうという学生は極少数で、多くの学生は4年間を遊んで暮らすでしょうが。私は、就活を通して、生き方を考えるようになり、打たれ強くもなり、急速に成長してきた学生たちをたくさん見てきましたので、3年生の冬頃から就活が始めるのは悪くないと思っていました。学業を進める上でも、3年生の春休みを中心に就活の一番忙しい時期があり、4月以降徐々に内々定を取り、学生たちが大学に戻ってくるという現行のスケジュールはなかなかいいと思っていました。それゆえ、今回の安倍総理の要望を経団連が飲んでしまったことが残念です。しかし、この新スケジュールに基づく倫理憲章もいつまで持つかわかりません。かつて存在した、5月求人開始、7月採用選考開始という就職協定がいつのまにか守られなくなって、ついに現実を容認する形で放棄されたように、今回の倫理憲章も徐々に軽視され、「青田刈り」と言われるような憲章破りの動きを見せる企業がどんどん出てくることになるのではないかと思います。今のスケジュールというのは、企業と学生との利害が一致して自然に一番負担の少ない所に落ち着いていたものなのに、それを無理矢理変えるのはマイナスの方が大きいという気がしてなりません。社会学の概念を使って予測すれば、趨勢的変動で一番軋轢の少ない収まりのよい状態にあったものを、上からの計画的変動で無理に変えるのはうまく行かない可能性が高いということになります。まあでも、とりえず数年はこのスケジュールを多くの企業が守るでしょうから、こちらもそれに合わせてスケジュールを組んでいかなければならないことになりそうです。さてさて、どんなことになるのやら。

464号(2013.4.11)片桐コレクター?

 今日の午後、まったく覚えのない女性名からFacebookに友達申請がありました。記憶は全くないのですが、もしかして昔教えた学生の誰かだったりするかもしれないと思い、その人のページにアクセスしてみました。すると、ほんの1時間前にFacebookに登録した人で友達は2人しかおらず、その一人が「片桐」という人でした。「えっ、親戚の友人だったりするのかな?」と一瞬思いましたが、その「片桐」さんにはまったく覚えがありませんでしたので、ただの偶然なんだろうと判断しました。でも情報が少なすぎるので、もうしばらくペンディングにして完全に知り合いではないとわかった時点で、友達申請をキャンセルしようと思い、その時は放置しました。そして、先ほどもう一度チェックしてみようと思って、その女性のページに行った所、友達が8人に増えていたのですが、なんとそのうち6人が「片桐」さんになっていたのです!!私はまだ承認していないので、そこには出て来ていないわけですが、私も承認していたら、9人の友達のうち7人が「片桐」ということになっていたわけです。友達になってしまった「片桐」さんたちのそれぞれのページも見せていただきましたが、年齢も地域もばらばらでどう見ても互いに知り合いではなさそうなのです。唯一の共通点は全部男性だということです。申請してきた女性のページにはなかなか美人の写真がプロフィール写真として載っていましたので、きっと友達申請を承認したMr.片桐たちは、「知り合いじゃないけど、まあ美人だし、友達承認しておいてもいいか」という感じで承認したのではないかという気がします。一体、この女性は何の目的で、こんなに「片桐」さんばかりを友達に集めようとしているのでしょうか?ものすごく気持が悪いです。誰かこんな経験はありますか?たぶんないですよね。何か目的はあるのでしょうか?本人にメッセージを送って聞いてみようかなという気もしますが、なんかコンタクトを取るのも怖いような気もします。とりあえず、この人がどこまで「片桐」さんを集めるのか気になるので、もうしばらくペンディングにして様子を見てみようと思います。きっと申請を承認してしまった人たちも、彼女のページを見て気味悪がっているでしょうね。

【追記(2013.4.12)】本日の夕方にFacebookにアクセスしてみたところ、友達申請が消えていたので、検索してみたら、友達申請をしてきた女性名のFacebook自体がなくなっていました。わずか1日のFacebook人生だったようです。昨晩このコラムをアップした後、もう一度アクセスした時には、友達が9人で、そのうち片桐氏が7人までになっていました。(もちろん、私じゃないですよ。)さらによく見てみたら、そのうち、3人は「かたぎり しん……」(私も含めたら4人もいることになります)で、もう一人も名前が「し」で始まっていました。残りの3人は、「かたぎり まさ……」でした。片桐であれば誰でもよかったわけではなく、「かたぎり しん……」氏か「かたぎり まさ……」氏を探していたのかもしれません。ロマンティックな推測としては、幼稚園とか小さい時に知り合いだった「かたぎり」君を探していたというところでしょうか?小さかったので、下の名前の記憶があいまいになっていて、「しん……」か「まさ……」だったような気がするということで、Facebookで探してみたところ、うまく見つかったか、あるいは気持ち悪がられて(今朝確認した時には、友達が8人になり、片桐氏が6人になっていましたので、誰か私と同じように気持ち悪いと思ってやめたのかもしれません)、もうFacebookもやめようと思ったのかもしれません。まあこれ以上追及する気もないので、このまま迷宮入りですが、なんか小説か何かのプロットに使えそうな経験でした。

463号(2013.3.30)「旅立ちの日に」

 今日の朝日新聞の土曜版の「歌の旅人」というコーナーに、「旅立ちの日」にという歌がどのようにでき、どうして普及していったかについての記事が出ていました。歌詞がすべて出ていましたが、読んでいるうちにメロディも浮かんで涙がでてきました。でも、実は私はこの歌のことは2年前まではまったく知りませんでした。1991年にできた歌だそうで、2000年代以降に小学校、中学校を卒業した人にとっては定番中の定番曲になっているようですが、古い世代の私はまったく知らなかったのです。(子どもたちの卒業式で聞いていたかもしれませんが、覚えていませんでした。)こんないい曲があるんだと初めて知ったのは、16期生との卒業旅行のバスの中でした。運転手さんに「大学の学歌を歌って」と言われたのですが、うろ覚えの人が多くあまりうまく歌えなかったので、誰かが「旅立ちの歌なら、みんな歌えるよね」と言い歌いはじめると、あっという間に見事な合唱になっていました。今でも、この曲を聴くとその時の情景が思い浮かびます。そして、今年も18期生との卒業式の日に朝までカラオケでいろいろな歌を歌っていた時にも、当然この歌も歌ってくれました。メロディといい、歌詞といい、心に響くいい曲ですよね。今もYouTubeで聴きながら、この文章を書いています。今日は330日です。まさに今年卒業した学生たちはこの週末で学生生活が終り、月曜日からは新社会人なんですね。まさに今日明日は「旅立ちの日」になっている人も多いと思います。うちの娘たちも同い年なので、特に今年は感慨深いのかもしれません。月曜日からはまったく違う生活が待っていると思いますが、みんな頑張ってください。応援しています。

462号(2013.3.24)アレルギーってなんやねん?

 先日白目が出血したようになっていたため気になって眼科に行った時のことです。待っている間に視力測定や眼底検査を受け、いざ医師の診察になり、光を当てて目をしばらく見た医師が言ったのは、「アレルギーですね」。私はなんのことやらさっぱりわからず、とりあえず「はあ」としか反応できませんでした。「出血していますね。アレルギーによるものです。薬を出しておきます。」なんかもうそれで終わってしまいそうだったので、「あの〜、アレルギーによるものと言われても、なんだか全然よくわからないのですが……」「まぶたの裏にもぶつぶつがありますし、アレルギーですね。アレルギー体質じゃないですか」「いえ全然」「花粉症とかひどくありませんか」「いえ全然」「そうですか、おかしいですね」「あの〜、アレルギーって何のアレルギーなんですか?」「それはわかりません」「はあ?」「それを知るためにはいろいろ複雑な検査をしないといけないのです」「はあ。でも、なんのアレルギーかわからなければ、今後の対処の仕方とかもわからないじゃないですか」「アレルギーはそんなものなんです」「なんか全然納得が行かないのですが……」このあたりで私の前後に1人ずついた看護師さんたちに緊張が走り始めた気がします。しかし、患者の言う言葉にほとんどちゃんと耳を傾けようとしない医師は、「とにかく目薬を2種類出しますので、14回根気よくさしてください。それと、帰り際に5分間機械の照射治療を受けって行ってください」と無表情に言って終りにされてしまいました。なんかもうこの人には何を言っても無駄だろうと思い、腹の中で「やぶ医者め!」とつぶやき、それ以上はねばりませんでした。ちなみに、その後の機械による照射って、ただライトを見るだけ、それも目をつぶっていても開いていても効果は同じと言われたので、たぶん温めるだけの役割しかしていなかったような気がします。薬局で薬を貰う時に、薬剤師さんも「アレルギーを抑える薬と炎症を抑える薬が出ています」というので、「アレルギーって、なんのアレルギーかわからなくても薬が出るんですか?」と聞くと、「そうなんです」とここでもよくわからないままでした。アレルギーって何なんですか?ちなみに、やぶ医者の指示には適当にしか従わず、11回さすかどうかといういい加減な対応をしましたが、とりあえず赤みは消えました。前にも一度なったときにも、自然に消えたので、結局今回も自然に消えたのだろうと思います。今度また症状が出たら、他の眼科に行ってみます。それにしても、アレルギーってなんやねん?

【追記(2013.3.28)】 10期生MoK君のお父さんが眼科医で、私のこの文章を読んで診断結果をメールで伝えてくれました。そのまま載せるのは医師の倫理上問題があるでしょうから載せませんが、私の場合は、アレルギーよりも加齢による可能性が高く、年齢が進んでいる人には割とよくある症状なのだそうです。飲み過ぎでも生じる症状で、自然に治癒するそうです。とても丁寧な説明で、すごく納得できました。全てのお医者さんがこういう方だったらいいのにと思いましたが、教師もいろいろいますし、お医者さんにも名医もいればやぶ医者もいるのは仕方がないことなのでしょうね。患者には医師を選ぶ権利があるので、納得のいくお医者さんを探すしかないのでしょうね。私は、説明が論理的で丁寧な人でないと納得がいきません。ああでも、この条件は医師選びだけではないですね。教師も上司も基本的にそういう人間でないといけないですね。心したいと思います。

461号(2013.2.28)エンジンとハンドル

 組織の長の役割をエンジンとハンドルに例えることができるのではないかと思います。トップが自分で立ち上げた様な組織では、そのトップ自身がエンジンとハンドルの役割を果しているように思いますが、大組織や歴史ある組織ではトップの役割でもっとも重要なものはハンドルになっているのではないかと思います。自分の馬力で組織全体を引張っていくというより、組織メンバーの力を出してもらい、その調整判断をトップがするということの方が多いように思います。その場合のトップの大事な役割は組織のメンバーに力を出したいと思える環境作りをすることと、調整判断を間違えないようにすることです。それができるトップリーダーのいる組織はうまく行くと思います。しかし大組織でも、組織が活性化していない時は、トップ自身から動き出すということも必要でしょうね。うまく動き出したら、後は上手に任せていき、方向性だけは間違えないようにハンドル操作をしていくことです。状況を的確に把握し、適切な場面で適切な手段を遅漏なく打っていくことが大事です。こうやって考えてくると、小集団のリーダーと大集団のリーダーの役割の違いも質的なものではなく、量的なものにすぎないですね。エンジンとハンドルのどちらかの役割を果せばいいのではなく、その比重を状況に応じて適宜変えて対応するということになりますね。アクセルを踏むタイミングとハンドリングを間違えなければ組織はうまく動いて行くはずです。

460号(2013.2.15)天皇家の家系図は興味深い

 ちょっと興味が湧いて天皇家の家系図をつらつら見ていたのですが、「万世一系」と言われる天皇家ですが、血のつながりがかなり薄い人が継承したことが結構多いのに気づきました。

現在の民法では、血縁6親等までが親族ということですので、それを超える7親等以上の継承がどのくらいあったのかをここに記してみます。天皇家という特別な一族のことですので、民法規定を適用するのもいかがなものかと思いますが、6親等というとふたいとこ(いとこの子同士)がそれにあたりますので、まあぎりぎり親族感覚が持てるくらいの関係というのは一般人の感覚としては妥当なところでしょう。

さて、天皇家ですが、前の天皇と新天皇が一番遠い関係にあったのは、南北朝時代の第99代後亀山天皇の後の第100代後小松天皇で12親等も離れています。具体的に言うと、後亀山天皇の祖父の曽祖父のひ孫のひ孫の子どもが後小松天皇です。遠いですよね。まあでも、この時は南朝と北朝に天皇がいてという時代が60年以上続いた後、ようやく統合がはかられた時でしたから仕方がないところでしょう。

次に離れているのが、第25代武烈天皇の後を継いだ第26代継体天皇で10親等離れています。具体的には、武烈天皇の祖父の曽祖父のひ孫の孫が継体天皇です。この血縁関係は歴史家にはかなり疑われており、応神・仁徳朝が継体朝によって実力で取って代わられたのを糊塗した系図ではないかと言われています。

次に8親等離れている時が2回あります。最初は、第48代称徳天皇から第49代光仁天皇への継承です。称徳天皇の祖父の曽祖父のひ孫が光仁天皇です。もう少しわかりやすい言い方をすると、祖父がふたいとこにあたります。この時は天武天皇の子孫である称徳天皇が道鏡と怪しい仲になり、天皇の地位すら譲ってしまおうと考えるほど政治がめちゃくちゃになっていたため、天武系に継承させるのはやめ、天智系の子孫である光仁天皇に継承させたということのようです。ここでも遠い関係の人に継承させる妥当な理由はあったと言えるでしょう。

もうひとつの8親等離れている関係は、第101代称光天皇から第102代後花園天皇への継承です。称光天皇の祖父の祖父の孫の孫が後花園天皇です。つまり、ふたいとこの子同士という関係です。しかし、この時は南北朝のすぐ後ですので、南朝の大覚寺統まで戻したわけではないので、それほど遠い血縁関係に戻したという意識は薄かったのではないかと推測されます。

さて、最後に7親等離れた継承だったのが、第118代の後桃園天皇から第119代の光格天皇への継承です。22歳の若さで亡くなった後桃園天皇には内親王(娘)しかおらず、急遽後桃園天皇の祖父の祖父のひ孫(すなわち、祖父のいとこの子)にあたる光格天皇が跡を継いだわけです。ちなみに、この光格天皇のひ孫が明治天皇ですから、割と最近の話です。

ちなみに、こういう過去の慣習に基づけば、悠仁親王の後継者も得られるのかなと少し調べてみましたが、悠仁親王の祖父の曽祖父が明治天皇になりますが、そこまで戻っても男系は大正天皇しかおらず、男系子孫は現天皇家以外にはいないようです。明治天皇の父・孝明天皇、祖父・仁孝天皇、曽祖父・光格天皇まで遡っても、男系男子は生き残っていないようです。だからこそ、明治になって、皇室の藩屏として宮家をたくさん創設したときには、明治天皇とは南北朝時代まで遡らないと共通の祖先にたどり着かない伏見宮家系から作らざるをえなかったのでしょう。

旧宮家を復活させて男系男子の伝統を守るべきだと言っている評論家がいますが、そうなると親等数では30親等以上という信じられないほど離れた「血縁」継承ということになります。そこまで戻るなら、南朝の末裔でもいいのではということにもなりそうですね。天皇家の家系図は眺めていると、歴史が見えてくる気がします。

追伸:調べていたら、ついでに明治天皇誕生をめぐる噂にもたどり着きました。あまりにも驚くような話で、その割には事実かどうかはまったくわかりませんので、ここには書きませんが、100%とガセネタとは言えないような状況証拠も多少ある気はします。

 

459号(2013.2.10)実話だったんだ!

 昨夜放映された「上意討ち〜拝領妻始末〜」というテレビドラマを見た人はいるでしょうか?田村正和が久しぶりにテレビに登場した作品です。私はこの物語の原作を読んだことがあり、かつ昔三船敏郎主演で映画化された作品も見たこともあり、なかなかおもしろい作品だと知っていましたので、今回のドラマ版も楽しみに見てみました。

ストーリーは、会津の殿様の側室で、男子も生んだ「いち」が殿様に刃向ったということで、笹原与五郎の嫁として下されます。笹原家では快く受け止めきれずにいたものの、いちはよい嫁でいつのまにか夫婦仲はむつまじく娘まで生まれ、幸せに暮らしていました。ところが会津松平家では跡継ぎだった兄がなくなり、いちが生んだ息子が跡取りとなることになり、生母が家臣の妻ではまずいということで、再び奥御殿に返すようにという命令が笹原家に下ります。しかし、与五郎と父の伊三郎はこの命令に従わず、またいちも奥御殿には戻りたくないと言います。結局、殿様の命令に逆らう与五郎と伊三郎は「上意討ち」となります。

ドラマとしてはまあまあの出来だったと思いますが、最後に配役名をみていて、大杉蓮が演じたどうしようもない殿様役の名前が「松平正容」と出ていたので、「あれっ、舞台は会津だったし、松平正容って本当にいた会津の殿様の名前じゃないだろうか」と思って調べてみたら、本当にいました。名君と言われる初代・保科正之の息子で、兄の養子となった第3代の会津藩主でした。そして、ドラマでは仲間由紀恵が演じたいちが生んだ子供が後に容貞と名乗り、第4代の会津藩主となっています。

となると、この物語はまったくの創作ではなく、実話がベースなのかと思って調べてみたら、本当にそうでした。いやあ、びっくりしました。原作の小説は9年も前に読みましたが、上司の不当な要求に悩む男の話なんて、現代の組織と人間の話を、武士の話に置き換えたに違いないと思いこんでいました。実話では、笹原家はいち(奥御殿に戻されてまもなく22歳の若さで病死)の「返上願い」を3か月後に出したそうですが、君命に逆らったということで、所領没収、父子ともに流罪幽閉になり、幽閉が解かれた後も与五郎(実際は、与五右衛門というそうですが)は64歳で亡くなるまで、弟に預けられたまま「謹慎」させられたそうです。

会津藩の君主と言うと、初代・正之や幕末の9代・容保など誠実な人間を思い浮べがちですが、こういう歴史的事実もあったんですね。いやあ、歴史はおもしろいです。

458号(2013.1.31)「価値感」ではなく「価値観」

 試験の採点をしていて思ったことですが、「価値観」を「価値感」と間違えて書いている人がものすごく多いです。昔から結構多い間違いでしたが、最近は9割くらいが間違えているように思います。誤字はたくさんありますが、この間違いは非常に気になります。

「感」は感情を表しますが、「観」は考え方です。価値に関するものは考え方、思考であって、感情や感覚ではありません。社会学を学んでいる学生たちが、「価値感」と何の疑問もなく書き続けているのを見ると、がっかりします。「かちかん」と入れたら、「価値観」と変換され、「価値感」などという変換は出てこないはずです。日頃こんな文字は打込んでいないということでしょうね。

以前、「一所懸命(いっしょけんめい)」(一つの土地を命懸で守る)が「一生懸命(いっしょうけんめい)」と書かれるのも気になってよく指摘していたのですが、最近は「一生懸命」も辞書にも出ている言葉になってしまったようで、私の疑問も通用しなくなってきました。(しかし、「一生命懸で守る」という意味通りで使うなら、めったやたら使える言葉ではないという思いは消えませんが……。)

言葉は生き物で時代と共に在る程度変って行くのは仕方がないとはわかっていますし、私自身も間違って覚え込んでいる字も多々あるとは思うのですが、「価値感」では意味内容まで変ってしまいそうで強く抵抗を感じます。この文章を読むことで、間違いを自覚してくれる人が出てくることを期待して書いておきます。

457号(2013.1.29)うーん……、どういう関係なのだろう?

 昨日新幹線で乗り合わせた親子が妙に印象に残ってしまいましたので、ここにも書いておきます。

私がA席に座っていたところ、年のころ50歳ほどの着物を綺麗に着たお母さんと20歳代前半の女子大生かもしれない娘さんがB席とC席に座りました。何かお母さんの方が東京でパーティでもあったようで、その帰りのようでした。聞く気はなかったのですが、ABC席ですので、嫌でもいろいろ聞こえてきてしまいます。

最初のうちはまあ普通の会話だったのですが、途中からお母さんがしくしくし始めて、「○○(娘さんの名前)ちゃんなんかキライ。謝らなければ許してあげない」と、ごね始めました。娘さんの方は、「そう?」「ふーん」「泣かないの」といったわりと冷静な対応だったのですが、お母さんの方はまるで少女のような口調で「もういいわよ。○○ちゃんなんてキライ。もう知らない」といっただだをこね続けます。

しかし、ずっとそんな調子かと思っていたら、急に楽しく話し始めたり、スマホをいじって写真を見せあったり、お菓子を一緒に食べたりして、「おいしいね、これ」なんて会話になります。これでもうお母さん落ち着いたのかな、大丈夫かなと思って安心していたら、また「○○ちゃんはそんな子なのね。ママの気持をわかっているでしょ。ヒドイわ。謝ってよ」とまた始まります。本当に泣くので、娘さんがハンカチを出して拭いてあげたりもするのですが、一体どっちが大人かわかりません。

こんなことが東京から新大阪までずっと続きました。なんだ、この親子は、とずっと頭に「?」がついたままでした。娘さんの方は別に普通の若い女性という感じだったのですが、お母さんの方がまったくよくわかりませんでした。

新幹線の車内という公共の場なのに、まるで小学生のような喋り方と甘え方で娘にだだをこね続けていました。きちんと着こなした着物とのギャップが大きすぎました。着物もよさそうなものでしたし、きっとお嬢様育ちのお母さんなのでしょうが、それにしても50歳前後でここまで大人になっていないのかと、愕然としてしまいました。

子どもから下の名前で呼ばれたがる母親が増えているとか、「大人カワイイ」が流行っているといった情報はよく知っていましたが、娘にだだをこね、甘える母親というのも増えているのでしょうか?どうなっているのでしょうね、最近の母娘関係は?

456号(2013.1.21)桜宮高校問題

 本日橋下市長の強い要請を受け、大阪市立桜宮高校の体育科の入試が中止と決まりました。しかし、その同じだけの入学者数を体育科の入試選抜方法のまま普通科で受け入れるという名目だけの中止案です。

とりあえず、自分が主張していた桜宮高校体育科の入試中止という看板だけは確保できた橋下市長は満足そうでしたが、4月以降の桜宮高校はどうなるのでしょうか?カリキュラムを変えるようなことも教育委員会は言っていましたので、結局普通科の中にスポーツコースのようなものを作り、実質的には体育科と変らない授業をすることになるような気がします。単なる看板の掛け替えにすぎないでしょう。

そもそも、あるクラブの顧問が問題を起したからといって入試まで中止するというのが発想が飛躍しすぎています。もちろん、体育会系の無駄な「鉄拳主義」は大嫌いですし、そういう体質がスポーツに強い桜宮高校に蔓延していたという事実はあるでしょう。それはぜひとも改善しなければならないと思います。しかし、そのための方法が入試の中止だったり、全教員の入れ替えだったりするのは、あまりにも味噌も糞も一緒にしてしまうような暴論です。もっと丁寧に対策を打ってほしいものです。

私は「1か0か」的な発想が好きではありません。確かに時にはそういう判断が必要な時もあるとは思いますが、それは最後の選択肢に留め、できる限り良いものは残し悪いものは直すという発想で対処すべきです。全教員の入れ替えなんて、メリットよりデメリットの方がはるかに大きいことは、組織について多少知っている人間なら誰でもわかることです。

小泉以降、単純な強い言葉を発する政治家が大衆的な人気を得る時代になっていますが、その先には何がやってくるかと考えると非常に怖い気がします。

455号(2013.1.20)大鵬の訃報に思う

 この秋から冬は寒いせいか有名な人が例年よりたくさん亡くなっている気がします。昨日、大鵬という大相撲のかつての大横綱が亡くなりました。今や相撲に興味のある学生なんて絶滅危惧種のようなもので最近は出会ってもいません。しかし、日本が高度経済成長期には野球とともに日本人が好む二大スポーツだったのです。バブル期に登場した若貴兄弟が現役時代だった時が相撲界の最後の輝きの時代だったでしょうか。若い人たちに関心がなくなっているので、今後はもう相撲に大きく人気が戻ってくることはなさそうな気がします。興味のある人は少ないかもしれませんが、自分の記録のためにも私の相撲に関する思い出を書いておきたいと思います。

 私は相撲に興味を持つようになったのは父親が相撲好きだったからです。凝り性の父親は星取表を自分でつけていましたし、ベースボールマガジン社が発行していた『相撲』という雑誌も1952年の創刊号からとっていました。物心ついた時から相撲に興味をもつ環境はできていたわけです。ちょうど大鵬とそのライバルの柏戸がぐんぐん出世していく時代でした。

父は大鵬が納谷という本名でまだ関取になる前から「この力士は必ず出世する」と言い続けていました。その大鵬がライバル柏戸とともに横綱に同時昇進したのは、1961年秋場所でした。私が6歳の時で、60年安保も前年に終り、所得倍増政策が打ち出され、高度経済成長に日本人がまっしぐらに走り始めた頃です。ここから大鵬は1971年に引退するまで32回の優勝を遂げ、安定的な高度経済成長時代の象徴的存在でした。ちょうど巨人も1965年から秋にオイルショックが起きた1973年までV9を続けていたので、子どもの好きなものというだけでなく、安定的な時代の象徴という意味でも、「巨人、大鵬、玉子焼き」と並べられやすかったのだと思います。ちなみに、私は柏戸ファンで、父と一緒に国技館に相撲を見に行った時に、「大鵬、負けろ!」と叫んだ時に、「勝てという声援ならいいが、負けろ!なんて声をかけるのはよくない」と注意されたのをはっきり覚えています。

その大鵬が引退を決めたのは、貴ノ花(今の若い人たちの記憶にある若貴兄弟の父親)に敗れた時でした。大鵬・柏戸の前の名横綱若乃花の弟で角界のサラブレッドと言われた貴ノ花の登場と大鵬を破り出世していく物語にファンは夢中になったものでした。実際私も貴ノ花のファンでした。細い体で前に出る力が弱く、土俵際の粘り腰で逆転をする相撲はサーカス相撲と言われ、ファンをハラハラドキドキさせる力士でした。

そんな力士でしたので、優勝はなかなか手が届かず、そのチャンスがようやくやって来たのは、1975年の春場所でした。当時大学1年だった私は、初めての本格的な一人旅をしている最中でしたが、携帯ラジオで取り組みを聞きながら旅していました。千秋楽、星ひとつの差でリードしていた貴ノ花は千秋楽の本割で北の湖に敗れたものの、優勝決定戦では必死に北の湖にしがみついて勝利を得た時の感激はいまだに忘れられない思い出です。

相撲について語り始めたら、いくらでも語れそうなのですが、きりがないですね。いつか相撲に興味のある絶滅危惧種に出会えるのを楽しみにしながら、今回はここまでとしたいと思います。