Part6

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<目次>

第185号 戦後は終わった(2005.12.27)

第184号 「M−1グランプリ2005」感想(2005.12.26)

第183号 はまる息子、はまらぬ母(2005.12.21)

第182号 八方「超」美人はつらそう(2005.11.13)

第181号 総理大臣を外見で決めるなら……(2005.11.11)

第180号 ミニ・バブルの時代が来るかもしれないけれど……(2005.11.4)

第179号 思いを伝えることの大切さ(2005.11.3)

第178号 雅子妃はわがまま(2005.11.3)

第177号 ドラマ「火垂るの墓」のもうひとつの見方(2005.11.2)

第176号 いやはや、青春って奴は……(2005.10.29)

第175号 筋を通せ、造反組!(2005.9.21)

第174号 小泉的社会とホリエモン的夢(2005.9.10)

第173号 ミニ修験道体験(2005.9.7)

第172号 いつか消える戒名と法事(2005.8.31)

第171号 人間の本能(2005.8.30)

第170号 「新党日本」の哀れさ(2005.8.23)

第169号 ディズニーランドは正しい日本語なのかな?(2005.8.21)

第168号 なめるな、小泉!なめられるな、有権者!(2005.8.17)

第167号 久しぶりに政治が熱くなりそう(2005.8.8)

第166号 戦後60年に思いを馳せるために(2005.8.6)

第165号 キャスター付バッグの普及(2005.7.26)

第164号 友人になってしまう男と女の時代(2005.7.10)

第163号 居酒屋にて(2005.7.10)

第162号 育児休暇(2005.6.24)

第161号 人生八掛け説(2005.6.15)

第160号 ブログ……?(2005.6.14)

第159号 お兄ちゃんがかわいそう(2005.6.3)

第158号 朝青龍が大化けした!(2005.5.22)

第157号 タイミング(2005.5.13)

第156号 自らを表現すること(2005.5.1)

第155号 「小言新兵衛」の一言言いたい!(2005.4.8)

第154号 「愛・地球博」見聞記(2005.4.3)

第153号 「大学3年制時代」がやって来る?(2005.2.24)

第152号 「ババシャツ」と「大阪のおばちゃん」(2005.2.20)

第151号 バレンタインデーのチョコレート(2005.2.14)

第150号 日常空間における雪(2005.2.9)

185号(2005.12.27)戦後は終わった

 「戦後は終わった」なんて、何を今更言い出すのかと思われるかもしれませんが、あと数日で2005年が終わるのを前に、ふとそんなことを思ってしまいました。今年は第2次世界大戦(or太平洋戦争or大東亜戦争)が終わってちょうど60年でしたが、結局そのことに関する盛り上がりはほとんどありませんでした。10年前の戦後50年の時は半世紀ということもあって、メディアもかなり大きく取り上げましたが、今年は人々の関心が「戦後60年」に引きつけられることは結局ありませんでした。「戦後は終わった」という言葉は、1956年の『経済白書』に書かれた言葉で、前年の1955年に戦前の最高の経済水準を超えたことで戦争を原因とした経済的な落ち込みは完全に回復したという意味で使われた言葉でした。しかし、その1955年に生まれた私たち世代にとっても「戦後」という言葉は「戦後日本」「戦後史」といった形で始終耳にするなじみ深い言葉であり続け、現代を「戦後」という枠で捉える癖がついていました。若い人たちにとっては大分以前から主観的には「戦後」と言われてもピンと来ていなかったかもしれませんが、世間(メディア)では「戦後」という言葉がそれなりに通用していたように思います。でも、今年の状況を見ていたら、もう「戦後」という言い方は、死語あるいはある時代を表す歴史的な用語(言わば「昭和」と同じ)になったことが、社会的にも確認されたように思います。来年以降は、メディアでも「戦後」という言い方はほとんど使われなくなりそうです。

184号(2005.12.26)「M−1グランプリ2005」感想

 ミーハー社会学者としては、お笑いもチェックを入れておくべきポイントなので、「M−1」はきっちりチェックを入れています。で、早速今年の「M−1」の感想を一言述べておきたいと思います。今回は正直言ってあまりおもしろくありませんでした。昨年は、「アンタッチャブル」と「南海キャンディーズ」が圧倒的におもしろく、「来年はこの2組は人気者になるだろうな」と確信しましたが、今年優勝した「ブラック・マヨネーズ」は大ブレークしないでしょう。よくて「ますだおかだ」程度で、冠番組は持てないと思います。悪くはなかったですが、声を張り上げ無理矢理テンションをあげて行くところ、オチを2回とも同じものにしてしまったセンスのなさ、またキャラクターとして大衆に受け入れられにくい顔などを考慮すると、「アンタッチャブル」と「南海キャンディーズ」のようにはならないでしょう。その「南海キャンディーズ」ももう飽きられてきていますね。昨年の「M−1」で見たときのようなインパクトはもう何も感じられません。キャラが強すぎる分、他の芸風に変わりにくいでしょうから、来年は凋落の年になりそうです。また、「笑い飯」が「M−1」でいつも高く評価されるのが、私にはまったく納得が行きません。私から見ると彼らは全然おもしろくありません。彼らの漫才(なんですかねえ、あれも)で一度も笑ったことはありません。彼らが来年も「M−1」の決勝の舞台に立つようなら、もう「M−1」も終わりかもしれません。今回漫才としておもしろかったのは、「ブラック・マヨネーズ」と「麒麟」の1回目でした。「麒麟」も毎年のように「M−1」の決勝には出てきますが、後1歩届きません。今どきの若手漫才師の中では正統派に近い彼らはインパクトがやや足りないのかもしれません。いずれ優勝することはあるかもしれませんが、正統派すぎますので、大ブレークはしないでしょうね。「M−1」の決勝に残った漫才が、ほぼすべて叫んでテンションを上げる漫才ばかりだったのが非常に気になります。まあお客も知識がないですから、言葉遊びなんかを高度にやってしまうと理解できず笑わないのかもしれませんので、結局叫んでテンションを上げていくという選択肢になるのかもしれませんが。「フォー」とか「チッチキチー」といった単純な「低級笑い」が幅をきかすようでは、日本の「笑い文化」の将来は暗いかもしれません。ほのぼのとした「いとしこいし」のオチのきれいな漫才が恋しくなりました。やっぱり私ももう歳なのかもしれませんね。

183号(2005.12.21)はまる息子、はまらぬ母

 「本を読もう!」のコーナーにも紹介している映画「ALWAYS」ですが、とても気に入ったので機会があるたびにいろいろな人に勧めています。そのせいで最近、私の母と息子がそれぞれ見に行ってくれました。高1の息子はこういう映画をどう受け止めるのだろうと思っていましたが、「どうだった?」と聞いたら「ヤバイよ、あの映画。後半、涙が止まらなかったよ」とちょっと興奮気味に語ってくれました。一緒に見に行った友人たち(男の子ばかり)もみんな感動したそうです。勧めた人間としてだけでなく、同じ感動を共有できたことで父親としてもとても嬉しく思いました。さて、母の方ですが、こちらはまったく冷静なものでした。一人では映画なんか見に行かない人なので、生まれて初めて母親と2人で映画を見るなんてことまでして見てもらったのですが、見終わっての感想は「あなた、よく泣いてたわね」でした。確かに2度目でストーリーを知っているにも関わらず、私はぼろぼろでした。「全然だめだった?」と聞くと、「いい映画だと思うけど、なんかあの時代をすてきな時代って思えないのよね」という答えでした。その答えを聞いてなるほどという気もしました。現在75歳の母はあの映画の舞台になっている昭和33年には、すでに28歳で2人の子を持つ母親になっており、大人の目線であの時代を見ていました。おそらく記憶の中には、生活に追われる時代の貧しさが克明に残っているのだと思います。3歳だった私はもちろん、まだ未成年だった人たちには見えなかった、あの時代の暗さ、貧しさを、映画を見ながら思い出してしまうのかもしれません。「ALWAYS」にはまれるのは、あの時代にまだ大人になりきっていなかった世代(現在の年齢で言えば60歳代半ば)以下なのかもしれません。

182号(2005.11.13)八方「超」美人はつらそう

 以前(「つらつら通信」第90号)、「八方美人」になれる人はすごいと書きましたが、最近「八方美人」の本当のすごさはどの友人との関係を深めすぎないところなんだと気づきました。人はつき合っていたら、関係を深めたくなるものです。でも、理想的な「八方美人」であるためには、その気持ちを抑えて適切な関係で止めないといけないようです。滅多にいませんが、たまにどの友人とも関係を深めようとする「八方超美人」みたいに見える人がいますが、これはそのイメージを維持するのがなかなか大変だと思います。「超美人」ですから関係を作っている友人は、みんな「自分のことを一番仲の良い友人と思ってくれている」と思いこんでしまいます。そうなると、「超美人」だと思われている人は常にどの友人に対してもスペシャルな対応をしていかなければ、友人たちに不満を感じさせてしまいます。しかし、現実にはそんなことは無理なはずです。誰とでもうまくつき合うためには、どの人との関係も深めすぎないという自制心が必要でしょう。「超美人」を「八方」に対して続けることは不可能、あるいはとても苦しいのではないかと思います。「八方美人」にはなれるならなってみたいですが、「八方超美人」はなりたくないですね。まあ「一方超美人、二方美人、四方十人並み、一方ブス(失礼な言い方ですが、「美人」の対語で適切なものが思いつかなかったので、お許し下さい)」といった人間関係しか作れない私には、とうてい無理な話なのですが……。

181号(2005.11.11)総理大臣を外見で決めるなら……

 小泉首相が来年9月で自民党総裁の座を降りる、すなわち総理をやめることが確定的な中で、世論では安倍晋三官房長官が次の総理候補として他の候補を引き離しつつあります。しかし、安部官房長官のどこが国民に支持されているかと言えば、結局は外見なのではないかと思います。政策や政治経験なら麻生外務大臣や谷垣財務大臣、福田康夫氏などの方がはるかに上でしょうが、いつも苦虫をつぶしたような顔をしている麻生氏、のび太君みたいな平凡な雰囲気の谷垣氏、妙に鼻の下の長さが気になる福田氏では日本の国民は、その外見に魅力を感じないのでしょう。安部氏が政治的に目立った活動をしたのは、拉致被害者問題のみです。当選5回の議員(昔なら漸く国務大臣候補として名前が上がり始める程度の政治家歴)なのですから、仕方がないと言えば仕方がないのですが。外見だって背が高くてソフトな雰囲気というのは悪くないのでしょうが、それほどたいしていい男ではないのではないかと私は思います。で思うのですが、政策や識見があるかどうかより外見で総理大臣を決めていいなら、この際思い切って後藤田正純氏を総理大臣にするというのはどうでしょうか。彼自身、結構2枚目なのですが、それ以上に女優の水野真紀さんが奥さんというのが重要です。もしも後藤田総理になって水野真紀さんとともに、外交で世界各地を回ったら、注目を浴びることは間違いないと思います。女好きそうな北朝鮮の金正日氏などは水野真紀さんが握手したら、一気に対日政策を変えようという気になったりするのではないかと夢想してしまうぐらいです。もちろん、まだ当選3回で大臣経験もない後藤田氏が来年総理大臣になることは現実に100%ないと思いますが、水野真紀さんを奥さんにしている限り、彼にはいつかチャンスが巡ってきそうな気がします。かつてではとても考えられない当選5回の安倍晋三氏が総理になるなら、当選3回の後藤田氏だって近い将来チャンスはあるでしょう。まだ目立った政治活動はしていないので政策はよくわからないのですが、首相夫妻として海外に出すなら、外見的には一押しだと思います。

180号(2005.11.4)ミニ・バブルの時代が来るかもしれないけれど……

 今日4年半ぶりに東京株式市場で日経平均株価が14,000円を超えたことがニュースになっていましたが、まだまだ上がっていくのではないかと思います。安部官房長官は、小泉内閣の進めてきた改革の方向が正しかったことの証明だなんて言っていましたが、あまり関係はないでしょう。もちろん、金融機関が抱え込んでいた不良債権がかなり整理され、基礎体力が回復したことは一因でしょうが。私はここに来ての株価上昇には、村上ファンドの村上氏、楽天三木谷氏、ライブドア堀江氏らの存在が大きいように思います。彼らによる有名企業の株式の大量所有が大きく報道される中で、今、日本の株は割安で買い得だという意識が醸成されてきているように思います。大体、銀行があまりにも預金者を馬鹿にしたような利子しかつけていない上に、正規時間帯以外に自分の口座からお金を下ろすだけでも100円を取るという、預金していると損になるようなシステムにしていますから、株が確実に上がりそうなら、そちらにお金を投資したいと考える人は潜在的にはかなりたくさんいると思います。80年代後半から90年代初頭のような異常なバブル経済(日経平均株価で38,000円を超えました)は起きないでしょうが、20,000円は十分超えていく可能性は持っているでしょう。しかし、この文章を読んで、「なら、株をやってみよう」と安易に思わないで下さいね。株は買い時、売り時が難しいですからね。素人はちょっと株価が下がっただけでドキドキしてしまうものです。私もバブルの頃、まだ日経平均株価が1万円台の時に買い始めたのに、結局ほとんど利ザヤを稼ぐことはできませんでした。難しいですよ、株は。

179号(2005.11.3)思いを伝えることの大切さ

 何か滅多にできない経験、素晴らしい経験をしたときには、その時の思いを言葉にして記録したり、その経験をさせてくれた人に伝えたりしたくなりませんか。心の中で思っているだけでは相手にも伝わらないし、自分の記憶としてもすぐに薄れていってしまいます。小学校の時に、事あるたびにたくさん作文を書かされて嫌だったでしょうが、あれもやはり大切なことなのだと思います。たとえ強制であっても、大事なことを記録させる、文章化させる癖をつけさせることは大事だと思います。まあ、そのやり方があまりうまくないので、癖になるどころか、多くの子どもは作文嫌いになってしまうのでしょうが。しかし、大学生ともなったら、強制されなくても言葉にすることができるはずですよね。「以心伝心」なんて余程の関係でなければ無理です。ちゃんと言語化して思いを伝えないと、何も思っていないことと同じことになってしまいます。思いがないならそれは仕方がありませんが、もしも思いがあるなら、ちゃんと言葉にして伝えるべきです。それができる人間とできない人間の評価は大きく異なってきます。ゼミの応募書類を書くのだって、愛を伝えるのだって、結局同じことです。どれだけ自分の思いをちゃんと伝えられるかで、結果は大きく変わってきます。文章を書くこと、思いを伝えることを面倒がらないでください。「ありがとう」は素敵な言葉です。でも、それだけでは足りないときもあります。何を自分は感じ、何をありがたいことだと思ったのか、言葉を尽くして語った方がいい場合もあります。日本には言語で明確に表現することを苦手と感じている人が多すぎます。思いをきちんと言葉にすることの大切さを改めて投げかけてみたいと思います。

178号(2005.11.3)雅子妃はわがまま

 ずっとタブー視されていた女子による天皇継承問題が昨年あたりからタブーではなくなったと思ったら、一気に女性天皇への道が開けつつあります。天皇制を継続しようとする限り当然の変更かと思います。私は現皇太子が結婚する前から、男子のみの継承だと天皇家は続かないかもしれないとしばしば語ってきたのですが、ついでにどうしてフェミニストたちが男子のみの継承ということをもっと問題にしないのだろうということも指摘してきました。どうも天皇家の話は、自由主義国家・日本に残されたタブーなのかもしれません。で、これから語ることもあまり大きな声では言われていないように思いますが、私は、そしておそらく多くの国民も、ここしばらくずっと疑問を持っていることだと思います。それは、皇太子妃雅子さんの生き方です。皇族なんて本当に窮屈な仕事で、外務省のばりばりのキャリアであった小和田雅子さんにしてみれば、もともと皇太子との婚姻自体をなんとしてでも避けたいと思っていたであろうことは想像に難くありません。本来なら、片山さつき氏と同様、今頃は衆議院議員に、そして将来は外務大臣といったコースも、決して夢ではなかったでしょう。皇太子妃候補として追いかけられていた時の、小和田雅子さんのマスコミに対するきつい態度は、かなりの気の強さをよく示していました。そんなパーソナリティの女性が、結局逃げ切れず皇室入りしてしまったのですから、さぞや不適応に悩んだことだと思います。十分同情の余地はあります。実際多くの国民がしばらくはそういう目で、雅子妃のことを暖かく見守っていたと思います。しかし、もう結婚して12年です。いい加減、自分の役割を認識して適応してもらわないといけません。もう国民もそんなおおらかな目で雅子妃を見てはいないと思います。一般の多くの若者も社会に出て、最初は自分の仕事に不適応感を抱き、やめようかと悩みつつも、徐々に適応していくわけです。皇太子妃というのも日本国家という組織に設けられた制度上の地位です。最初は嫌々だったとしても、最終的にはその地位につくことを納得したはずです。いつまでも不適応だ、決められた仕事なんかしたくないなんて、わがまま以外の何物でもありません。皇室メンバーは国民の税金で養われている世襲制の特別国家公務員だという見方だって可能だと思います。現天皇、皇后、皇太子をはじめ他の皇室メンバーは、ある意味でそうした自らの地位をよく理解して、よく期待に応えていると思いますが、雅子妃だけがあまりに役割をこなさすぎです。もしも企業組織なら、仕事をしない人はクビです。雅子さんも皇太子妃という役職が務まらないなら、離婚して民間に戻るしかなくなってしまいます。イギリスの王室では頻繁に起こっている離婚ですが、おそらく日本の皇室では過去には例がないのではないかと思いますので、雅子妃が望もうともそういう結論は絶対に出ないでしょう。万一、そういう結論が初の試みとしてなされるとしても、愛子ちゃんは皇室に置いて行かざるをえないでしょうから、母子が離ればなれになってしまいます。そんな悲しいことにならないためにも、雅子妃がいい加減自分の運命に逆らうのを止めて、自らの地位に課せられた役割をきちんとこなすようになってほしいと心から思っています。もしも、今課せられている役割が旧態依然のものばかりで自分の能力を活かせないと考えるのであれば、新たな役割も創設していけばいいのではないでしょうか。「地雷撲滅」や「貧困にあえぐ世界の子どもたちの救済」といった活動などを皇室の活動に新たに加えたいということであれば、国民は支持をすると思います。新たなことをやろうとすると、宮内庁は抵抗するのかもしれませんが、めげずにチャレンジしつづけたら、きっと変わると思います。皇太子もそういう改革意欲のある人のようですから、彼が天皇になった暁には大きく変わるかもしれません。しかし、いつ来るかわからないその日まで今のような「引きこもり」のような生活を続けるべきではないでしょう。そもそも改善とは、伝統的な役割もきちんと演じながら徐々に行うものです。過去の慣習を全否定して、新たなことを行おうとするのは改善ではなく、多くの人が望まないラディカルな革命になってしまいます。雅子妃は、まずは今やらなければならないことをきちんとこなすことから、始めてほしいものだと思っています。

177号(2005.11.2)ドラマ「火垂るの墓」のもうひとつの見方

 昨晩、読売テレビ系でやっていたドラマ「火垂るの墓」をご覧になりましたか?野坂昭如の原作小説ですが、アニメが名作として名高いので、アニメ版と比較しながら見ていた人も多いのではないでしょうか。かく言う私もそのひとりで、あの名作アニメのイメージを壊されたら嫌だな、特にあんなアニメのような演技の出来る幼女はいないのではと思っていましたが、せっちゃん役をやった佐々木麻緒という6歳の子役さんは抜群の演技力で、見事に演じきっていました。あれだけの演技力を持った彼女は、きっとこれからテレビ、映画に引っ張りだこになることでしょう。清太役の少年もなかなか熱演でしたので、全体としては、アニメのイメージをうまく再現できていたと思います。しかし、私は役者さんの演技以上に、ロケ地がどこか気になって仕方がありませんでした。あちこちの古い町を歩いているので、家並みが映った瞬間、あっ、どこかで見たことがあると思って記憶を呼び起こされたのです。見ているうちに、松島奈々子一家の住む家は岡山県の吹屋、清太と節子の元々の家は広島県の竹原、清太たち中学生と松島奈々子の長女ら女学生が出くわす港は広島県の鞆だということがわかりました。いずれもよく知っている町でのロケでしたので、「ああ、あの辺が映るとまずいので、この角度からカメラを回しているんだな」とか「そっち行っても道がないのに、まるであるように映しているな」と、一風変わったドラマの楽しみ方ができました。古い町をたくさん歩いているので、しばしば今回のドラマのように、映画やドラマの舞台となっている町が、訪ねたことのある町だということに気づくことがあります。そうした町々は私の故郷ではないのですが、なんだか故郷が映ったような嬉しい気持ちになるのが不思議です。

176号(2005.10.29)いやはや、青春って奴は……

 最近ちっとも「つらつら通信」が更新されていないと苦情がちらほら出ていましたので、軽く書いてみます。実は、ちょっと昔の写真を探す必要があり、引き出しの奥の方まで探していたら、高校生の時に書いた「手紙」の書き損じが出てきました。ついつい読んでしまったのですが、いやあ本当にこんなこと考えていたのかと自分で唖然としてしまいました。もう、恥ずかしいを通り越して、大笑いをしてしまいました。はっきり言って今ならストーカーと言われても仕方がないような、未練がましい、いじましい内容ばかりでした。でも、便箋は結構減っていましたから、このトーンで実際に何通も出していたのだと思います。もらった方も大変だったなと今更ながら妙な同情を感じてしまいました。でも、私は平凡で特別変わったことなどできない人間でしたから、こんな「手紙」も1970年代初めには決して珍しいものではなかったのだと思います。それにしても30数年経ってから見る自分の「青春」はまるで掘り起こされた不発弾のようでした。廃棄した方がいいのかもしれませんが、これも自分の歴史の一部です。もう爆発の危険性はないし、再び奥の方に埋めておくことにします。20年後ぐらいにまた掘り起こしてみましょうか。

175号(2005.9.21)筋を通せ、造反組!

 小泉純一郎が衆議院で340票も獲得して三度総理大臣の座に着きました。もちろんあれだけ勝ったのですから、こうなることは当たり前の結果ですが、340票が気に入りません。自民党と公明党を合わせて327票でいいはずなのに、13票も多く入っています。これは、いわゆる「造反組」とレッテルを貼られた元自民党の無所属議員13名が小泉に票を投じたからです。「綿貫民輔」と書けなくてもせめて白票で出せないものでしょうか。TVのインタビューに対して、臆することもなく「小泉総裁に投票した」という人もいるぐらいです。彼らはここに来て何とか小泉の歓心を買って、自民党に戻らせてもらおうと考えているわけです。おそらくこの13名は自らの信念などぼろ雑巾のように捨てて、前に反対したのと全く同一内容の「郵政民営化法案」が提出された暁には、今度は恥ずかしそうに賛成することでしょう。それはみっともなくないですか?小泉自民党の大勝で「民意が明確になったから」といったことを理由にしている輩がいますが、彼らが当選した小選挙区にも郵政民営化法案に明確に賛成する自民党候補者がおり、彼らはそれを破って出てきたのだから、彼らの選挙区では少なくとも小泉自民党のしたいようにさせるべきでではないというのが民意でしょう。特定郵便局長会「大樹」が票を取りまとめてくれて当選できた人もたくさんいるはずです。自分の選挙区の民意を反映しないならば、小選挙区選挙に意味はなくなってしまいます。その政党に所属していなくても当選した議員は、勝った政党の言うとおりにするのが民意に従うことだということなら、民主党も共産党も社民党もみんな自民党の提案に賛成しなければいけないことになってしまいます。そんな馬鹿な話はないでしょう。復党という目先の利害にこだわらずに、同じ内容の法案が出てきたらまた反対票を投じるのが筋を通すことです。そうできなければ、彼らは自己保身にのみ関心を持つ「日和見政治家」です。こういう政治家こそ一番消えてもらわなければならない人々です。今回賛成に回っても即自民党に戻れるとは限りません。むしろそうさせてしまったら、今度は小泉自民党が、筋が通っていないと批判されるようになるでしょうから、復党には小泉および自民党執行部は相当慎重になるはずです。1年以上経って、小泉が総理の座を降りたら、郵政民営化法案に賛成したか否かに関わらず、元自民党議員には復党のチャンスが巡ってくるでしょう。その時、信念を貫いた政治家なのかそうでないのかが、白日の下にさらされることになります。有権者もちゃんと継続して見ていかなければなりません。「小泉劇場はおもしろかったね」で終わりにしてはいけないのです。「小泉と327人(340人?)のこびとたち」というお話は、今始まったばかりです。すでに古賀誠、小渕優子など信念を捨てて自民党公認をもらった15人の根性なし(参議院の中曽根や鴻池なども含めれば一体何人になるのやら)に続いて、後何人の信念なき政治家が生まれるのかチェックをしておきたいと思います。ちなみに、郵政民営化法案の賛否とは関係ありませんが、公明党が小沢一郎とくっついていたときにはクソミソに言っていたくせに、今は「公明党様々」になっている自民党議員や、自分の立場次第で人の評価をころころ変える田中真紀子のような政治家も絶対信頼してはいけません。政治家には信念を貫いて欲しいものです。かつての日本人は信念を貫く「敗者の美学」を愛したものです。今や「勝者の利益」にしか興味がなくなってしまったのでしょうか。今回の選挙では、岡田民主党前党首が一番美しかったと個人的には思っています。小泉的やり方がいくら大衆受けをしようとも決して己の信念を曲げずに正々堂々と彼のやり方を貫き、政権が取れなければ党首に留まるつもりはないという高い目標設定をし、負けたとわかったその日に退陣を表明し、後任党首に関しては一切口出しをしませんでした。見事じゃないですか。これこそ「敗者の美学」ですよ。私は、彼のような政治家にはいつの日か再びチャンスが訪れるように念じてやみません。

174号(2005.9.10)小泉的社会とホリエモン的夢

 いよいよ衆議院選挙が明日に迫りました。すべての報道機関が小泉自民党の優勢を伝えています。正直に言ってがっかりです。何で、みんな小泉がいいのでしょう。あんな荒っぽい「ワンフレーズ男」の言葉にどうして惹かれるのでしょうか?「自民党をぶっこわす」どころか自民党を強化しているのに、それでいいのでしょうか?確かに小泉は従来の自民党政治家とは違うタイプですが、その背後には「小泉純一郎」という仮面をつけた森「神の国」喜朗前総理大臣や、青木「昔ながらのキングメーカー」幹雄自民党参議院会長などがいて、郵政改革以外は彼らが従来型の政治を動かしていこうとしていることが見えないのでしょうか。有力議員が自分の選挙地盤に公共事業を引っ張ってくるといった仕組みは、政権交替が行われない限り継続されるでしょう。国の金を使って自民党有力議員に恩を売っておけば、何かあったときに官僚の言うことを聞いてくれる、だから官僚も自らの匙加減ひとつで、公共事業を提供する。そんな仕組みがこれからも継続されます。私がいくらこんなことを言っても、世間では小泉は何かを変えてくれそうだという期待感はかなり高いようです。確かに変えていきそうな部分もあります。それは何かと言えば、日本をより競争社会にし、勝ち組、負け組の差を拡大する方向への変化です。「小さな政府」「官から民へ」といった言葉に多くの人がうなずきます。でも、それって、初期資本主義の牽引力となったアダム・スミスが唱えた「夜警国家論」とほとんど変わりはありません。「民」に任せきっていたら、貧富の差が拡大し経済恐慌が起き、大混乱を極めたという歴史を再度繰り返すことになりはしないでしょうか。アダム・スミスが復活するなら、カール・マルクスも復活してきそうです。私は選挙権を得て30年になりますが、今回ほど共産党の主張がまともに聞こえる選挙は初めてです。日本という社会は、実は「もっとも成功した社会主義社会だ」という見方が長らくありました。国による経済統制がよく効き、高い累進課税率で高額所得者から高い税金を取り福祉等に回すことで所得の再分配を行い、公共性のある事業は採算の如何に関わらず国が責任を持って行うという社会システムでしたので、自由主義経済国家というより、まさに社会主義経済国家というのもあながち間違いではなかったと思います。9割以上の人が自分の生活を「中程度」と意識し「一億総中流」という言葉が流行した1970年代後半あたりが、「日本型社会主義社会」の絶頂期だったと言えるでしょう。こういう時代においては、より過度な社会主義化を求める共産党の主張は、私も含む多くの大衆には説得力を持って聞こえてきませんでした。しかし、1980年代半ばの中曽根内閣以降、日本は「行政改革」「民間活力の導入」を合言葉に、自由主義経済化を進めてきました。その結果として今や日本も勝ち組、負け組のはっきりした階層格差の大きな社会になりつつあります。この方向性をより加速させようとしているのが小泉改革です。採算の取れない地方の郵便局はなくなってもよい、地方の公共事業に使われてきたお金を銀行から企業に流すようにする。これが小泉の「官から民へ」の正体です。筑紫哲也も言っていましたが、「官から民へ」の「民」とは誰なのかということをよく考えて見なければならないだろうと思います。おそらく「庶民」の「民」ではなく、「民間企業」の「民」です。郵政事業が民営化されて、庶民の生活がよくなることはほとんどないでしょう。サービス精神のほとんどない郵便局員の愛想が多少良くなり、都会では一日2度くらいの配達が行われるようになるかもしれませんが、経済的なプラスはないし、近くにあって便利だった「特定郵便局」がどんどん統合され、不便になるのは間違いありません。(「特定郵便局」なんて田舎にしかないと思っているかもしれませんが、不在郵便物を預かるような郵便局以外はほとんど特定郵便局ですから、都会でも多くの人が特定郵便局のお世話になっているはずです。)今回共産党が主張しているのは、言ってみれば、こんな「弱肉強食」の自由主義経済化を進めて行っていいのですかという問いなので、非常にまともに聞こえるのです。そうは思っていますが、共産党が1議席程度増やしても、今の政治システムでは「焼け石に水」ですので、私は共産党に投票はしません。しかし、小泉の主張がアダム・スミス的になればなるほど、新たなマルクスが出てくるのではないかという気がして仕方ありません。

 小泉改革が進んで喜ぶのは、大企業や金持ちです。自家用ジェット機を購入するようなホリエモンが小泉改革を支援するのは当然でしょう。より豊かな人・企業をより豊かに、より貧しい人をより貧しくするアメリカ型経済体制が、小泉の理想なのでしょう。アメリカでは今回のハリケーン被害にあった町で強盗・略奪が日常化しています。通常の合法的手段では豊かになれないと絶望した人々は、非合法的手段を利用することに躊躇がなくなります。いずれ日本もそんな社会になっていくのかもしれません。「おやじ狩り」「老女のカバンのひったくり」など、日本でもすでに萌芽は現れているような気もします。しかし、アメリカには他方で寄付や奉仕の精神を持った金持ちもかなりいます。日本はどうなのでしょうか。一般庶民がボランティアをする話はよく聞きますが、ホリエモンが災害の起こった地域に寄付をしたなんて話は聞いたことがありませんし、他の金持ちでも災害支援で寄付をしたなんて話はあまり聞いたことがありません。ホリエモンの夢って、何なんでしょうね?お金を稼ぐのがそんなに楽しいですかねえ?お金はないと困りますが、ちょっとした旅に出たり、たまにおいしいものを食べられる程度の余裕があれば十分じゃないですか?自家用ジェット機を買うほどのお金を持っていて、さらに儲けて彼は何をするつもりなのでしょう。お金を稼ぐのは手段ではないのでしょうか?ホリエモンはお金を稼ぐこと自体を目的にしていないでしょうか?汗水垂らして働いて家族と小さな幸せを得ている人間と、株の売り買いやITという訳のわからない情報産業で厖大な収入を得ている独身男のどっちが幸せなんでしょうね。誰かホリエモンに聞いてほしいものです。「あなたの夢は何ですか?あなたの考える幸せって何ですか?」って。政治を目指す限りは総理大臣になりたいと彼はどこかで語っていましたが、弱者も視野に入れた社会の運営が彼にできるとは思えないのですが……。そもそも「社会」というものを彼はちゃんと考えたことがあるのでしょうか?「公」を無視した「私」の欲望の体現がホリエモンという存在ではないかという気がしてなりません。それでも、小泉的社会になればなるほど、能力のある多くの人はホリエモン的夢を追いかけていくことになるのでしょう。

173号(2005.9.7)ミニ修験道体験

 今トップページに写真を掲載していますが、鳥取に「投入堂」という岩壁に貼りついたように建てられているお堂があります。どうやって建てたのか、いまだに建築方法は謎と言われています。修験道の祖と言われる役小角が岩山に投げ入れたという伝説を信じたくなるような建物です。前からこのお堂を一度見たいと思っていたのですが、先日漸く夢が叶いました。しかし、お堂そのものよりもそこにたどりつくために通らなければならない登山道を無事に往復できたことから、より大きな充実感を得てしまいました。というのも、下調べが甘くちょっと急な登山道ぐらいに考えていたのですが、実際には、木の根や岩の窪みに足場を探しながらようやく登っていける「崖登り」といった方がよい実にハードな道だったからです。安全確保のためのロープ等も最低限度しかなく、ひとつ足を踏み外したら即転落という道が続きます。なんとか登りきり、崖伝いに進んでいくと突然眼前に現れる「投入堂」に感動するわけですが、これも崖の途中です。広場があるわけでもなく、後から来る人に場所を譲ってもと来た道を戻ります。登りが怖い道は、下りがもっと怖いものです。とても両足だけでは降りていけず、つかまれるものには何でもつかまり、お尻を落として座るように降りるか、後ろ向きになってハシゴを降りるように降りていかなければならないところだらけです。この道の写真を掲載したいなと思って何枚か撮ったのですが、どれも一瞬見ただけではどこに道があるのかさっぱりわからないようなものばかりになってしまいました。(せっかくですからここに1枚掲載しておきます。どこに道があるかわかりますか?木の根を足場に登っていく道です。)まさに「道なき道」を進んだわけです。無事に戻ってきた時の達成感は実に大きなものでした。危険な場所を登り降りしている最中は煩悩がほとんど消えていました。ただなんとか無事にお堂までたどり着き、また無事に下界に戻りたいということしか考えられませんでした。何も要らないから生きていたいなって真剣に思いました。この道は修験者たちが修行のために作り出した道なのだと思いますが、ほんのちょっとだけ私も修験者気分を味わったのかもしれません。でも、下界が近づいてきたら、「ああ、冷たいビールが飲みたい!」と思ってしまいましたから、やっぱり悟りの境地にはほど遠いのですが。

172号(2005.8.31)いつか消える戒名と法事

 私は結婚式に媒酌人がいるのは当たり前だと思っていた世代ですが、今はほとんど見なくなりました。ここ20年間で何百年も続いてきた日本の結婚式のこの慣習は大きく変化し、あっという間に消え去ろうとしています。伝統的な儀式でも残るものもたくさんあると思いますが、消えていくものも結構あるように思います。で、私が今後20〜30年で消えて行きそうだと思っているのが戒名と法事です。戦前の記憶を持った今の70歳代以上は、まだ戒名も法事も大切にしたいと思っている世代だと思いますが、60歳代を過渡的世代として50歳代以下になったら、戒名なんか要らないし、法事よりお別れの会、偲ぶ会といった宗教に関係ない形でやってもらいたいという人の方が間違いなく多数派を占めると思います。20〜30年経った時に死んでいく本人たちがそういう意向を示せば、より伝統的行事に関心のない子世代があえてそれにさからって戒名をつけたり、法事をしたりはしないでしょう。「葬式仏教」とも言われる既成仏教各派にとっては財源を断たれる死活問題です。まあ現在の仏教と僧侶を評価していない私に言わせれば、お布施という名目で不当に高い収入を得ながら、税金は払わずに済ませてきている既成仏教が、いずれ必ず味わわなければならない既定のコースだと思いますが。そうなった時に、仏教がどうするか?何もせずに「信仰心にかける者どもには仏罰が下る」なんてぶつぶつ言っているだけなら、座して死を待つのみです。きっと、戒名や法事の価格破壊をする寺、宗派が出てきそうです。これは、値段やサービスによっては多少人気が出るかもしれません。まあそれでも厳しいでしょうね。そのうち、経営が成り立たなくなって、放棄されるお寺がたくさん出てくるかもしれません。これを避けるためには、墓地を持っているお寺なら、民間墓地管理会社+宗教サービス提供会社に変貌して行くという思い切った変身をしそうな気がします。無縁墓になったところはどんどん整理して、新たな墓希望者にそこを分譲していく。その際には、葬式・法事サービスもセットで売るといったところでしょうか。本当は、宗教の原点に立ち返って、檀家であるか否かに関わらず、お布施を包むか否かに関わらず、人々が悩みを話し、相談に乗ってもらい、癒されるといった場所としてお寺に復活して欲しいのですが、そんなボランティア的なことをできる僧侶がたくさんいるとは思えませんので、潰れるか、墓地・法事販売会社になるかでしょう。お寺の将来は間違いなく暗いと思います。

 他方、神社の方は、お寺よりはるかに生き延びられそうです。人々が神社でする行事と言えば、「お宮参り」「七五三」「初詣」「祭り」様々な「祈願」といずれも若い人を含めて結構根強い人気があります。少なくともいずれも後20〜30年で消えるような行事ではありません。お寺に比べたら神社の方が先行きの見通しははるかに明るいと思います。こうやってお寺と神社を比べてみると、より日本人の心にフィットしているのは、やはり日本の自然風土に対する怖れ・崇拝といったアニミズム的自然信仰を元に生まれてきた日本独自の神社信仰の方で、仏教は1500年経っても実は日本人のDNAに浸透しきっていなかったのかな、なんて思ったりします。いずれにしろ、2030年を迎える頃(あるいはもっと早いかもしれませんが)、「寺院の危機」が日本各地で叫ばれるようになっているのは確実だと思います。

171号(2005.8.30)人間の本能

 人間の本能ってどんなものなのでしょうね。人間は学習能力が非常に高いので、ある程度の年齢以上になると、すべての行動が知識と経験に基づいてなされているようで、本能に基づく行動ってあまり見あたらないような気がします。もちろん、食欲、睡眠欲、性欲という三大欲求に基づく行動はしているでしょうが、三大欲求は本能なのでしょうか。単に肉体的な不充足を補えというサインにすぎないのではないかという気がします。たとえ三大欲求が本能だとしても、それら以外にも人間にも本能があるのではないでしょうか。たまにTVであるいは町で動物たちの行動を見ていて、誰が教えたというわけではないのに、こんなことができるのは、まさに本能によるものなのだろうなと感じることがあります。たとえば、ウミガメの子は卵から孵るとひたすら海に向かって這っていきます。雄犬に片足をあげておしっこをすることを教えた人(犬?)もいないでしょうし、それで自分の縄張りを明確にするのだということも教えられていないでしょう。みんな本能に基づく行動です。鳥はどうして交尾の相手を他の種類の鳥と間違えずに選べるのでしょうか?泣く以外何もできなさそうな生まれたての人間の赤ん坊も、母親のオッパイ(あるいはそれに類したもの)を吸うことはできるんですよね。あれは誰も教えていないのだから明らかに本能に基づく行動ですよね。母親の方はどうなのでしょうね。かの有名な「母性本能」は人間に関しては今やすっかり影を潜めてしまった感じですが、ほ乳類の雌が生んだ子を保護し乳を与えようとする姿を見るなら、人間にもやはり母性本能はあってもおかしくないのかなという気もします。異性を好きになるというのも、動物行動から類推すればやはり人間においてももともとプログラミングされた本能ではないかと思うのですが、これも最近では学習だと主張する人も結構います。大脳が発達し、学習による知識、経験が圧倒的な影響を与えるようになっている人間においては、本能が見えにくくなっています。(中には、「本能が壊れている」という言い方をする人もいるようです。)でも、きっとゼロになってはいないはずです。「闘争本能」「群居本能」なんて言葉もあるのですが、そんな本能も人間にもあるのでしょうか?本能のままに生きるのがいいとは思わないのですが、本能が何かを知った上でコントロールすべきものをコントロールしながら無理せずに生きたいなとは思います。

170号(2005.8.23)「新党日本」の哀れさ

 綿貫・亀井の「国民新党」が都市票を掘り起こせそうもないということで、合流しなかった郵政民営化反対派の一部議員が、長野県知事の田中康夫を担いで「新党日本」を立ち上げましたが、あまりに哀れで見ていられません。田中康夫は確かにそれなりに有名人ですが、彼が代表だからと言って有権者は都市型政党のイメージを持つでしょうか。決してスマートな知識人というイメージではありません。何よりも、周りを囲んでいた4人の議員があまりにおっさん臭くてスマートさが全くありませんでした。「チーム、ニッポン!」のポーズのダサさに涙が出そうでした。評価したくはありませんが、それなりに雰囲気がスマートな人ばかり「刺客」として送り込んでいる小泉の方が、やはりはるかに今どきの有権者の心理をつかんでいます。確かに綿貫、亀井はスマートではないかもしれませんが、「あんたたちもスマートじゃないよ」と誰かちゃんと言う人はいなかったのでしょうか。はっきり言って戦略的に失敗しています。こんな中途半端な政党を立ち上げるくらいなら、「国民新党」を9人でスタートさせていた方が余程インパクトがありました。政治において数は力です。9人もいれば、それなりの勢力です。選挙用駆け込み寺的政党でも、自分も入れてくれと言う人がまだ出てきたかもしれません。今のままではどちらの新党ともに比例区はゼロになってしまうでしょう。よい参謀がいなかったんでしょうね。哀れです。

169号(2005.8.21)ディズニーランドは正しい日本語なのかな?

 前にゼミで議論をしていたときに、「デズニーランド」と発音し、若者たちに「先生、デズニーランドじゃないですよ。ディズニーランドですよ」と失笑を買ったのですが、我々の世代以上では「デズニーランド」と言う人は結構いるのではないかと思います。昔、テレビでディズニーアニメを紹介する番組があったのですが、あれは「デズニーランド」って書いてあったような気がします。「そう言えば、うちの親も時々言います」って言ってくれた子もいましたので、「そうだろ。昔はデズニーランドって、みんな言ってたんだよ」って開き直ったのですが、まあ今は間違いなく「ディニーランド」ですよね。で、ふと思ったのですが、「デ」に小さな「ィ」を書くのって、正しい日本語なのでしょうか?小さな字で書くのって、学校では「ゃ」「ゅ」「ょ」以外には習わないのではないでしょうか。今は「ィ」だけでなく、「ァ」「ゥ」「ェ」「ォ」もよく使われていますし、「ャ」「ュ」「ョ」にしても、日本語では本来はイ音にだけつくはずですが、それ以外の使い方もされています。もしも正しい日本語なら、小学生のうちにちゃんと教えておかないといけないのではないでしょうか。「ディニーランド」なんて言葉は小学校に入る前から書ける子もいるでしょうし、他には「ジェット機」の「ジェ」や「ドレミファソラシド」の「ファ」もみんな小さいときから知っていますよね。こんなに人口に膾炙しているのだから、ちゃんと学校で教えるべきだと思うのですが、子どもたちに聞いてもみんな教わった覚えはないという答えでしたので、たぶん教えていないのでしょう。分析的に考えれば、外国語の音をなるべくオリジナルに近い音で表記するために工夫されてきたものであることは間違いないでしょう。どれぐらいあるんでしょうね。ぱっと思いつくだけでも、「チェche」「ディdi」「デュdu」「ドゥdo」「ファfa」「フィfi」「フェfe」「フォfo」「ジェje」「ティti」「トゥtu,to」「ヴァva」「ヴィvi」「ヴvu」「ヴェve」「ヴォvo」「ウィwi」「ウェwe」「ウォwo」なんかが挙げられます。探せばまだ出てくると思いますが、とりあえずここで挙げた表記程度は学校で教えなくてよいのでしょうか。英語を勉強しはじめるまで必要のない表記だし、英語を習い始める中学生では改めて教えなくても応用で理解できるということで教えていないのかもしれませんが、こういう形のままにしておくと、そのうちマンガの擬音語で使われているような妙な表記まで、正しい日本語として使っていいということにもなりそうです。文科省の国語審議会や国立国語研究所等で基準は示されていないのでしょうか。ちょっと調べてみないといけないですね。また、こういう表記の仕方が一般化したのはいつからなのかも気になります。戦前からでもある程度は使っていたのではないかと思いますが、外国語を日本語に翻訳せずに、オリジナルの発音に近いままカタカナ表記するのが一般化するようになって、急速に広まっていったものではないかと思います。上に挙げたものでも、私は子ども時代には使わなかった表記が随分混じっているように思います。直感的には1970年代半ば以降かなという気がしています。

〔追記〕古い日本の社会学書で、外国の社会学者の名前がどう表記されているかを調べてみました。まず明治37年に出版された建部遯吾の『普通社会学 第1巻 社会学序説』では、デュルケームを「ヂュルケイム」と表記していましたが、「ファ」「フィ」「フェ」「チェ」「トゥ」「トェ」「ツェ」などといった文字は使われていました。ちなみに、テンニースは「トェンニイス」、ジンメルは「ジムメル」でした。次に、大正8年に出版された高田保馬の『社会学原理』では、小文字がほとんど使われておらず、「オオギユスト・コムト」「フイイアカント」「デヴイス」「ギデイングス」といった表記でした。デュルケームはいろいろな表記が使われていて、「デルケエム」「デユルケエム」が多いのですが、「デュルケム」という小文字を使っているところもわずかにありました。同じ著者が大正11年に出した『社会学概論』では、大正8年同様「デユルケエム」「マクス・ヴエエバア」「テニイス」「ヴイイゼ」といった大文字ばかりの表記が多いですが、「シユテフインガァ」「ディルタイ」といった表記も出てきます。高田保馬は、この『社会学概論』の改訂版を30年後の昭和27年に出しているのですが、そこでは、「デュルケム」「フィアカント」「ジンメル」「ギディングス」「マキヴァア」「マクス・ウェエバア」とかなり現代の表記に近くなっています。結局小文字があまり使われていない本もありますが、明治時代から「ャ」「ュ」「ョ」以外の小文字も使われていたことが確認できました。決して最近のことではなかったようです。ちなみに、昭和30年代の後半に放映していたディズニーアニメを紹介する番組も、ちゃんと「ディズニー」と書いてありました。「デズニー」は私の記憶違いでした。たぶん外国語に慣れていなかった私を含めた多くの日本人が「ディ」とうまく発音できずに「デ」と言っていたため、そのまま覚え込んでしまったということなのでしょう。(2005.8.23)

168号(2005.8.17)なめるな、小泉!なめられるな、有権者!

 小泉自民党は、郵政民営化に反対した自民党議員を公認せず、その選挙区に別の自民党候補者を次々に立てていますが、その人選を見ていて、小泉の有権者のなめ方が不快で仕方がなくなってきました。兵庫を地盤としていた小池百合子を東京に持ってきたのはまだしも、財務省高級官僚の片山さつき、国際政治学者の猪口邦子、そしてホリエモンまで、自民党から立候補という事態に至っては、要するに小泉の選挙戦略は、マスコミの注目を如何に集めるかということでしかないということが丸わかりです。片山、猪口、堀江のいずれも郵政民営化に直接的には何の関係もない人たちです。ただ、いずれもマスコミの寵児になったことのある人たちだという共通点があるだけです。小泉にとってはマスコミの注目度が増すという点で利益があり、選挙に打って出る人たちにとっては、「郵政民営化に賛成です」というだけで、政権与党の衆議院議員というポストが得られるという利益があるわけです。はっきり言って、有権者を馬鹿にしています。にもかかわらず、解散以後、小泉内閣の支持率が上がっているのです。なんで?と思いたいのですが、今の日本の有権者はこんなものなのでしょう。大多数の有権者は、自分で問題を見つけ、判断する力がないので、政治がドラマとしておもしろければそれだけでいいのでしょう。郵政民営化はかくかくしかじかの理由で進めるべきだとか急ぐべきでないと言える人が、一体有権者の何割いるのでしょうか?年金だ、経済だ、とテーマは挙げられても、そのどこに問題があり、どうしたらいいかなんて考えることのできる人が、何%いるのでしょうか?もちろん、自分で全部考えなくてもいいのですが、各党のマニフェストを読み理解できる人が、いや読んでみよう、関心を持ってみようという人が何%いるのでしょうか。結局、政治をドラマとしてしか見ておらず、派手なドラマ作りのうまい小泉にもっと監督兼主役をやらせておきたいと思っているだけでしょう。昔、政治家の利権漁りや選挙地盤への無意味な公共事業の獲得などが批判されていた時に、ある政治家が「この程度の国民にはこの程度の政治家」という発言したことがありますが、今、私もそんな発言をしたい気分になりつつあります。今回の選挙だけに関して言えば、100対1ぐらいで、岡田民主党の方がまともです。郵政民営化しか頭にないパフォーマンス男・小泉純一郎は、日本社会にとって百害あって一利なしです。政策にはバランスが必要です。ひとつの政策だけに血道をあげているような総理大臣の下では、他の機能的要件が不充足に陥ります。自分で物を考える力のなくなった国民と、マスメディアを利用して巧みにそれを操作する政治的指導者という構図は、かつて全体主義を生み出した構図です。小泉は意図せずに、日本社会が危険な社会になっていることを示してくれています。こんなわかりやすい問題点を、マスコミがきちんと取り上げずに、「刺客」だ「くの一」だなどと、小泉の尻馬に乗って、ドラマ化ばかりに熱心になっているのですから、ますます有権者は何も考えられなくなるのでしょう。今回の選挙で、小泉が勝つようなら、日本国民のアホ度はここに極まれり、という感じがします。

 腹立ちついでに、もう少し批判をしておけば、衆議院の郵政民営化法の採決の際に欠席した14議員が、引退者以外は揃いも揃って、「郵政民営化に賛成し、小泉内閣の構造改革に協力します」という文書にサインをして、自民党公認をもらっているというのは、あまりに情けなくないでしょうか。欠席は実質的反対の意思表示だったはずです。一人でも二人でも、投票前に言っていたように、「小泉のやり方は支持できない。サインはしない。公認してくれないなら、それでもいい。無所属で闘う」という気概を見せてくれるかと思ったのですが、ひどいものです。特に、福岡の古賀誠元幹事長は最悪です。小泉嫌いの野中広務の弟子を自認し信念のありそうなことを言いながら、選挙となったら、結局小泉の足元にひれ伏すのですから。彼は落選して欲しい候補No.1です。それだけ屈辱にまみれても自民党という看板が欲しいんですね。反対派議員も、綿貫・亀井の「国民新党」(新球団「東北楽天イーグルス」並みの弱小政党)にはついて行かず、今回は無所属で闘い、当選後には、小泉が勝っていたら、「郵政民営化に賛成します」と一札入れて元の鞘に収まるのでしょう。(小泉が負けていたら、堂々と自民党議員として活動することでしょう。)野球では、かつて確実に視聴率を稼げていた巨人戦がまったくだめになったように、いずれ自民党時代にも幕が来るような気がします。早ければ早い方がよいので、それが今回であれば、日本の有権者も捨てたものではないと思えるのですが……。

167号(2005.8.8)久しぶりに政治が熱くなりそう

 参議院で郵政民営化法案が否決され、小泉首相は予定通り衆議院解散に打って出ました。衆議院の採決の際に反対した自民党議員には公認を与えず、全選挙区に郵政民営化に賛成する候補者を立て、公明党とともに過半数を獲得し新政権を目指すと宣言しています。そして、過半数を取れなければ退陣するとまで言い切りました。まったく筋違いの解散ですが、日本の政治にとっては非常におもしろいことになってきました。小泉首相が周りの意見を無視して自らの意思を貫き、郵政民営化反対派議員を公認せず、かつ再選された時にもまだ公認をしないとすれば、自民党+公明党で過半数を超えることはないでしょう。かと言って、民主党も単独で過半数を取るのは難しいと思いますので、結局、郵政民営化に反対して無所属で出馬し当選してくる自民党系無所属議員がキャスティングボードを握ることになるのでしょう。彼らは小泉さえ退陣したら民主党と組む理由はないですから、小泉が自分の公約通り過半数を獲得できずに退陣した際にはもっと無難な自民党政治家を首班にし、自民党と公明党と自民党系無所属議員(しばらく経ってほとぼりが冷めたら全員自民党席に戻っているでしょう)で支える政権ができるというのが、おもしろくはないですが、一番可能性の高い予想です。しかし、民主党政権というのも、今回はこれまでになく可能性が高まっていると思います。郵政民営化しか念頭にない小泉自民党よりは、今の岡田民主党の方が全体に目配りがきいていてバランスが取れていると思います。政策だけ比べたら、今は民主党の方がいいかもしれません。また、若い議員が多いですからフレッシュな印象を与えることがうまくできれば、自民分裂選挙の追い風を受けて、大勝ちし過半数に限りなく近づく可能性もあるように思います。小泉自民党は、自分たちを構造改革を進める「改革派」と位置づけ、郵政民営化反対派や民主党を「改革抵抗勢力」と位置づけるのでしょうが、郵政民営化がそんなに意味のある構造改革なのかどうかおおいに疑問があります。「民間でできることは民間に」「国家公務員は減らさなければいけない」というスローガンだけでなく、こういう改革をすると公費支出も減るので税金もこれだけ減らせますという減税案をセットに法案を提出してくるなら、国民も郵政民営化に賛成できるでしょうが、郵便3事業自体は赤字に悩んでいるわけではありません。郵便貯金はどの大銀行以上にお金を集めていますので、その収入で郵便事業関連公務員の給与ぐらい、問題なく出るでしょう。問題があるのは、集まりすぎているお金の使い方と、競争相手として民間にも郵便事業を認めないという点です。とりあえず郵政公社のままでも、競争相手を認め、郵貯の使途を考え直せば十分ではないかと思います。また、郵政を民営化しても、過疎地の郵便局も絶対になくならないと強弁していましたが、民営化したらどの地域に郵便局を置くかは政府の管轄外のはずですから、絶対になくならないと保障はできないはずです。私も、長期的には必ずしも郵政民営化反対ではないのですが、今拙速にやることはないだろうと思います。

 もしも民主党が大勝ちをして、本格的な政権交替ができたなら、それが小泉純一郎の歴史的な役割だったと後々位置づけられることになるでしょうが、中途半端な負け方をして小泉以外の従来型の融和を重んじる自民党政治家が首班となって内閣を構成するなら、変人・小泉純一郎はやはりドン・キホーテかピエロだったという位置づけをされることになるでしょう。今回自民党が大負けをすることが国民の政治意識を改革する上ではもっとも効果がありそうです。政権交替が現実的なものになれば、「どうせ自分が1票入れても政治なんて変わりはしない」という国民の政治意識も変わるはずです。とりあえず、今回の選挙は久しぶりに投票率が高くなるはずです。もともと小選挙区大反対論者だった小泉が、小選挙区制度を利用して自分の言うことを聞かない者を締め付け、さらには小選挙区制度の下では自民党安定政権も崩れるのだということを実践して見せてくれるのかもしれないと思うと、何だか感慨深いものがあります。私ももともと2大政党になれば、政策が似てきすぎるという理由で小選挙区制度反対論者だったのですが、政権交替が行われるなら、この制度も悪くはないと思えてきました。別に民主党の支持者ではないのですが、政権交替が可能な政治にすることが大切だと思うので、今回の選挙ではぜひ民主党に勝ってほしいものだと思っています。選挙は9月11日に行われます。例の「9・11」に掛けたのかどうかわかりませんが、ある野党議員が「小泉自爆テロ解散」なんてネーミングをしていました。いずれにしろ、しばらく政治がおもしろそうです。

166号(2005.8.6)戦後60年に思いを馳せるために

 今日は広島に原爆が落とされてからちょうど60年目です。この後、9日には長崎で、そして15日には日本各地で60年という節目の年を考えるイベントがたくさん行われることでしょう。当然、マスメディアでも、これに合わせて様々な企画がなされ報道されると思います。でも「戦後60年」はあまりに長すぎて20歳代はもちろん、30、40歳代以下の人たちにとっても、第2次世界大戦と言っても歴史上の出来事としか思えず、何の実感も湧かないというのが正直なところではないでしょうか。今年20歳になる若者にとっては、1945年は自分が生まれる40年前です。これを1955年生まれの私に置き換えてみると、ちょうど第1次世界大戦が終わった年になります。私も第1次世界大戦のことを歴史上の出来事としか思えなかったのですから、今の大学生に第2次世界大戦に思いを馳せよと言っても難しいだろうなということはよくわかります。しかし、歴史は連続しており、過去があるから今があるのです。実感が湧かないからと言って、何も考えずに過ごしてしまうのは残念です。せっかくの区切りの年です。なんとかこの機会に戦後60年に思いを馳せてほしいものです。で、そのために提案したいのが、少しずつ時代を遡って考えてみたらいいのではないかということです。今年20歳になる若者が生まれたのは1985年。昭和で言えば60年でした。この年の9月にはG5(先進5カ国蔵相会議)が開かれ、円高を進めることが約束されました(プラザ合意)。この合意に基づき、実際に円はドルに対して短期間で倍の価値になり、結果として輸出企業は不況に陥り、国内需要の拡大が求められるようになり、バブル経済がスタートしていったのです。海外旅行に多くの人が当たり前のように出かけられるようになったのも、この円高が契機です。その10年前の1975年は初の国際婦人年で、この年を契機にようやく政府もジェンダー問題を真剣に取り上げるようになった年でした。11月にはJRの前身の国鉄がストライキ権の獲得を目指して8日間も列車を走らさないという強固なストライキをやり、「親方日の丸」の国鉄という組織のあり方とストライキという手段に対して国民の気持ちが明確に離れ始めた年でもありました。1965年は日本と韓国の国交回復がなった年です。戦争が終わってから20年も日本と韓国の間には国交がなかったのです。現在の韓流ブームもこの時の国交回復がなければ生まれることはなかったわけです。(ちなみに、中国人民共和国とは1972年に、北朝鮮との間にはいまだに国交回復がなっていないことはご存知ですよね?)他方、アメリカはこの年内戦を続けていた北ベトナムに対する本格的な爆撃を開始し、アメリカが考える自由と民主のためなら、内戦にも首を突っ込んでいくというパターンを確立した年です。1955年は自由党と民主党が合同して自由民主党が結成され、他方で社会党右派と左派が合同し日本社会党ができ、いわゆる「55年体制」ができあがった年です。社会党は今や消えてしまいましたが、自民党はこの年以来ほんの一時期を除いて、政権を維持し続けてきたわけです。そして、その10年前が終戦(敗戦?)の年ということになるわけです。その敗戦の結果、国の理念を示す憲法が作り直され、新しい日本国憲法は1946年11月3日に公布されました。それ以来、一言一句変わっておらず、我々はその憲法理念のもとに現在も暮らしていることになります。どうでしょうか。多少は現在との連続性を感じてもらえたでしょうか。

165号(2005.7.26)キャスター付バッグの普及

 ちょっと前までは空港でのみよく見かけていたキャスター付バッグを、最近はいろいろな旅先でよく見かけるようになりました。利用者の年齢はかなり幅が広いようです。私も持っていますが、確かに便利です。ちょっとサイズが大きくて通常のコインロッカーには入れにくいという難点がありますが、重い荷物を軽く運べるのは、何にも代え難い魅力でしょう。この便利なバッグがここに来て急に普及し始めたのは、技術の改善と低価格化がもたらした単なる流行なのかもしれませんが、それ以外にいくつかの社会的原因も考えられるような気がします。第1の原因として、駅を中心に都市のバリアーフリー化が進み、ほとんどの場所でバッグを引っ張って歩けるようになったことがあげられます。エレベータやエスカレータが設置されておらず、町に出たらでこぼこだらけが当たり前だった時代には、キャスターの良さを活かすことはできませんでしたが、今やそれなりの都会なら、バッグをスムーズに引っ張って歩けます。第2に、田舎を歩いて見て回る旅よりも、都会を中心に観光ポイントから観光ポイントへ乗り物で移動する旅が主流になったためではないかと思います。1970年代には大きなリュックを背負った「カニ族」と呼ばれる旅人が、北海道を中心にあちこちで見られたものですが、今はもうそういう旅人に出会うことは滅多になくなりました。北海道に若者が旅行に行っても行くところと言えば、札幌、小樽、函館という都会、それ以外のところに行くときはレンタカーで、というのが現在の旅の一般的なスタイルでしょう。そして第3に、日本人が総じて筋力が弱くなった(あるいは筋力を使いたがらなくなった)という要因もあるように思います。少しでも楽がしたい、しんどい思いはしたくないという気持ちが、年齢に関わらず強まっているように思います。生活が便利になる中で、我々はどんどん肉体の力を使わない生活をするようになってきています。「箸より重い物を持ったことがない」というのは極端にしても、若い女性たちの多くは本当に華奢な腕をしています。あれじゃ先々子どもも抱けないんじゃないのかなと心配になるような人も結構います。2泊以上の旅をするときには、キャスター付バッグでないと、となるのもむべなるかなと思います。男性にしても細い人が多いです。細くなくても、昔の人と比べたら筋力はみんな相当に落ちているのは確実だと思います。こうした要因が相まって、キャスター付バッグが普及しているのではないかと、私は見ています。

164号(2005.7.10)友人になってしまう男と女の時代

 最近大学生たちを見ていて思うのは、男女を問わずみんな仲良しだということです。私が若い頃は「男と女の間に友情は成立するか?」なんて問いが真剣に議論されていたものですが、今やこんな問いはまったく意味のないものになってしまいました。今の若い人にしてみたら、「なんで成立しないなんて考えたんですか?」と逆に質問したくなるところでしょう。昔は、男と女の生き方は異なっているのが普通で、それに合わせて男女の価値観も異なっており、互いに異性であることを意識しやすい環境にありました。しかし、ここ30年間、ジェンダー(社会的文化的性差)の見直しが訴えられ続ける中で男女の価値観、はどんどん近づいてきて、今や、男だ女だと言うことをあまり意識せずに若い人たちは友人つき合いをするようになっています。女性が活動的で積極的になり、男性がおとなしく気配り上手になってきて、両性は非常に似てきました。こうした男女関係になってきたことはある面でよいことなのでしょうが、他方で異性を異性として求めるエネルギーは確実に減退しているような気がします。こんなに友人として仲良くなってしまうと、ここから恋をする男と女に発展することはあるのだろうかとちょっと気にかかります。もしも長年親しくつき合う異性はみんな友人になってしまうとしたら、あまりよく知らない人としか恋はできなくなったりはしないでしょうか。最近の芸能人の結婚報道でも、長くつき合ってきてゴールインというケースが減り、出会って数ヶ月でのスピード結婚というケースが増えてきているような気がするのですが、こうしたことももしかしたら長くつき合うと友人になりやすい男女関係が影響したりしているのではないでしょうか。先日ゼミで、結婚願望があるかどうかを学生たちに聞いてみたのですが、ある男子学生が「願望というより、35歳ぐらいまでに結婚していないと世間体から言ってまずいので、結婚しているんじゃないかと思います」と言ったら、他の多くの男性陣も「ぼくも同じですね」と同意しました。私なんかは若い時に、異性を求める気持ちから強い「結婚願望」がありましたので、しみじみ時代は変わったなと思いました。男性陣の回答を聞きながら、女性陣は「え〜、そうなんだ」とびっくりしたような声も上げていましたが、女性陣の方もどうなんでしょうね。相手もよく見えないうちに勢いで結婚してしまう「スピード結婚」や計算なき「できちゃった婚」を忌避する人は、結婚を就職活動と同じくらい情報集めをして将来性を分析して結論を下すべきものと非常に現実的に考えてはいないでしょうか。頃合いの年齢で自分のパートナーとして適当な男(結構この基準が高いような気がしますが……)がいれば「就婚」するけれど、そう判断するに値する男がいない場合は、「株式会社・実家」の一員であり続けた方がいいという感じではないでしょうか。こういう現実的な結婚観にはやはり異性を異性として求める気持ち(=愛?)などほとんど入り込む隙間がなさそうな気がします。性差が小さくなり親しい異性とは友人になってしまう時代の中で、結婚に至るパターンは「できちゃった婚」と「スピード結婚」と「友情婚(くされ縁婚?)」の3通りぐらいでしょうか。「できちゃった婚」の先には「生んじゃった離婚」が、「スピード結婚」の先には「こんなはずではなかった離婚」が、「友情婚(くされ縁婚?)」の先には「セックスレス夫婦」という将来が待ち受けていそうです。う〜ん、ちょっとシニカル過ぎますね。そんな暗い未来ばかりではないことを信じたいと思います。

163号(2005.7.10)居酒屋にて

 カウンターと小さなテーブル席しかないような居酒屋に1人でふらりと入り一杯飲んでいると、しばしば興味深い体験をします。地方に旅に出たりしたときなどは、よい居酒屋を見つけられるかどうかで、旅の楽しさが全く変わってきます。地元の酒と肴を味わいながら、たまたま隣に座った地元のおじさんやお店のおやじさんから、地元の人しか知り得ないような話を聞かせてもらったりすると、何だかすごく得をした気分になります。最近は、地方に行ったときだけでなく、大阪でも、そんな居酒屋を見つけたいと思って、時々探しています。つい先日行ったお店では、お客さんが個性的な人ばかりで、観察していて飽きませんでした。カウンターだけの10席程度のお店でしたが、私が入った時には、男性2人組が2組ともう1人男性がいました。1人でいたおじさん(60歳代?)はひたすらせっせと毛ガニをむしっていましたが、左側にいたおじさん2人組(60歳代?)は、ロンドンの同時爆破事件を話題にし、日本が狙われるとしたらどこだろういう話から日本の都市間格差についてかなりレベルの高い話を真剣に話していました。他方、右隣にいた男性2人組(50歳代半ば?)は柔道か相撲でもやっていたのかなと思う程、体格のいい人たちでしたが、ノリがよくしばしばカウンターのお店の人に冗談ばかり飛ばしていました。「最近痩せたから、2人でタッキー&翼でもやろうかと思ってるんや」という発言や、お勘定の際の「学割でよろしく!」という発言には、思わず笑ってしまいました。さすがに大阪人は笑いのつぼを心得ているなと感心しました。私が入った後、左隣に1人でやってきたサラリーマンとはとうてい思えないおじさん(50歳代後半)は、すごくこだわりのある人でした。付出しには一切手をつけない、お刺身には醤油を使わず、レモンと塩をもらってそれで食べていました。その上、刺身の切り方にまで注文(「鯛は薄切りにしてほしい」)をつけるこだわりぶりでしたが、なぜか、飲むのはチューハイだけ。(それもこだわりのひとつだったのかもしれませんが……。)それも飲む勢いが半端じゃなかったです。最初の一杯なんか、文字通り一息で空けてしまい、すぐに2杯目を頼んでいました。たぶん30分しかいなかったのではないかと思いますが、その間に7〜8杯は飲んでいました。あては刺身以外には、おでんを何度も何度も頼むのですが、頼むたびにほとんどじゃがいもを入れてもらっていました。じゃがいもだけで3個は確実に食べていました。余程好きだったんでしょうね。猛烈な勢いであっという間に飲み食いして帰って行かれました。毛ガニを食べていたおじさんが帰った後に、入ってきた2人組は髪の毛のかなり茶色い若い女性とかなり薄い50代とおぼしき男性の2人組でした。親子ほどの年齢の開きでしたが、会話からするとたぶん親子ではなさそうでした。怪しい関係と言えばそうも見えそうなペアでしたが、単なる知り合いだったのかもしれません。この人はいくつぐらいだろう?この人はどんな職業なんだろう?この2人はどんな関係なんだろう?と心の中で人間観察をたっぷり楽しみました。でも、1人ちびちび酒を飲みながら、論文を読んでいた私もきっとかなり変わった客と見られていたかもしれません。いずれにしろ、居酒屋コミュニケーションや居酒屋人間観察を楽しめるのも、こういうお店にふらりと1人で入れるおじさんゆえの楽しみかなと思っています。

162号(2005.6.24)育児休暇

 NHKで少子化問題を扱っていて、後半では男も育児休暇を取るべきかということが議論されていましたので、私も意見を述べてみたいと思います。結論から先に言ってしまうと、男も女も育児休暇以外の形で子育てに関われるようにすべきだというのが、私の考えです。現行の育児休暇は、一定期間仕事を休んで子育て専業になるわけですが、それはストレスが溜まる生活だと思います。もちろん、子育てをしながら、友人とのおしゃべりや趣味を楽しむことができるなら、子育て期間に家庭にいるのも悪くはないでしょう。実際、専業主婦生活を楽しんでいる方の中には、そんな風にうまく子育てを楽しんでいる方もおられることと思います。しかし、急に短期間だけ育児休暇を取ることになった人――特に男性――にとって、そんな風に時間を使うことは困難です。子育てはしんどいこともありますが、笑った、お座りができた、ハイハイができた、立った、歩いた、喋ったと、子どもの成長を目の当たりにするたびに感動を得られるすばらしい体験です。男だって、こうした体験になるべく関われた方が幸せです。しかし、そのために仕事を完全に休んでしまう必要はないと思います。どんな職場でも、子育て期間は勤務時間に関しての相当の配慮をすることにしたら、十分対応可能です。勤務体制のフレックス化(出社時間や退社時間に関する十分な配慮)、有給休暇の増加などを徹底させれば、育児休暇よりもよい形で男も――働いている女性も――子育てに関われるはずです。これまでの日本人は働き過ぎだったと思います。「モーレツ・サラリーマン」の時代なんかとっくのとうに終わったはずなのに、教え子達の働きぶりを見ていると、長時間残業や通常の有給休暇さえ取ることができないという状態が一般化しているようです。「仕事か子育てか」ではなく「仕事も子育ても」という社会になるべきです。政府は、男性社員に育児休暇を無理に取らせるような政策などに力を入れるより、有給休暇利用の徹底化や、各自の事情に応じたフレックス勤務体制を作るように企業に強く働きかけるべきです。私は育児休業制度のない時代に3人の子育てをしてきましたが、その方がよかったような気がしています。まあ比較的時間に融通のきく仕事ですから、ちょうど「仕事も子育ても」味わえたのだと思いますが。

161号(2005.6.15)人生八掛け説

 「人生八掛け説」というのは、結構よく聞く話なのですが、ご存知でしょうか。「昔の人と比べて、今の人は精神年齢でみると、実年齢に0.8を掛けたぐらいではないか」という説です。よく言えば若々しい、悪く言えば幼いということになります。20歳で16歳、30歳で24歳、40歳で32歳、50歳で40歳、60歳で48歳、70歳で56歳、というわけです。「幼稚な大学生」、「婚姻年齢の上昇」、「元気な高齢者」といった言葉がしばしば聞こえてきますが、この「人生八掛け説」で見ると、なるほどと思いませんか。私も今年50歳になりましたが、みなさんから「先生は若いですよ」とよく言ってもらっていますが、「若い」と思ってくれている人もまさか20歳代には見てくれていないでしょう。たぶん、「昔なら40歳って感じじゃないですか」というのが妥当なところでしょう。かなり説得力のあるこの「八掛け説」なのですが、ひとつ疑問があります。それは、「昔」って一体いつの時代だろうということです。もともと私がこの話を初めて聞いたのは、私の父親からでした。私の父親も還暦を迎えた時に、「今は還暦と言っても、昔の八掛けだから、48歳ってところだな」と笑っていました。つまり、私の親の世代(現在の学生たちから見たら、祖父母の世代)でも、この感覚を持っていたわけです。私の父親が考えていた「昔」と私が考える「昔」が同じはずはないですよね。どう説明したら、より説得力のある「人生八掛け説」になるのだろうとずっと考えていたのですが、ようやく自分なりに納得のいく答えが見つかりました。それは、「人は一世代前と比べて、一世代後の精神年齢は実年齢の八掛けと思いがちである」という形で一般化できるのではないかというものです。「昔」と言っても、人が本当に自らの直接体験として知り記憶できる「昔」は、親世代までです。自分の親のことなら30歳過ぎあたりから、自分の体験に基づく記憶として持っている人が多いと思いますが、祖父母となると60歳代半ば過ぎ以降のイメージしかないはずです。自分が30歳ぐらいになったときに、「あれっ、昔の30歳はもっと大人だったような……」と思った時に、無意識に思い浮かべている昔の30歳は親の30歳であることが多いのではないかと思います。自分自身で昔と比べうるのは、早くて30歳くらいからでしょう。それより若い年齢に関しては、現在の若い世代が昔と比べて「自分たちは幼いな」とか「若いな」と思うのではなく、一世代前の親世代が一世代後の子世代のことを批判的に語るときによく使っているように思います。「最近の学生は幼すぎる」「お母さんがあなたの年齢だった頃には……」etc.最近は、七掛け、六掛けではないかなんて声も出てきているのですが、これも長生きしている祖父母世代から孫世代を見れば、0.8×0.8=0.64でありえなくはない話です。

この精神年齢の低減はいつの時代でも通用するのかどうかですが、社会が豊かになり生活が楽になる方向に向かっている時代なら通用するのではないかと思います。戦後日本社会のように急速に豊かになり、生活が楽になってきた社会では、「八掛け」というような急速な低減が生じるわけですが、一世代前と比べてあまり豊かに楽になっていない社会であれば、「九割九分九厘掛け」といった小さな低減しか起こらないでしょう。(人類史的に見れば、つい最近までずっとそんな時代だったと言えると思います。)理論的には、一世代前より社会が貧しく生活が苦しくなるような時代が来たら、親世代が「最近の若者は自分たちの頃よりしっかりしているな」(十割以上掛け)と思うこともあるかもしれません。これまでのところ、短期的な逆転の時期はあったものの、長期的には人類社会はより豊かに、より人々の生活を楽にしてきましたので、前の世代が後の世代を見て精神年齢が上がったなと思うことはほとんどなかったのだろうと思いますが、果たしてこれからはどうでしょうか。まあ大多数の人々は――つまり社会は――より楽になる方にしか進みたがりませんから、前の世代より後の世代の方が精神年齢が高くなるという時代が来るとは思いがたいのですが……。

160号(2005.6.14)ブログ……?

 ブログの可能性を力説し、それを研究対象にしようとしている学生がいて、一所懸命説明してくれるのですが、どうもよくわかりません。説明を聞いていて通常のWEBサイトとは構造が違うことはある程度わかったのですが、それが本質的な違いを生み出すのかどうかがもうひとつ納得できません。「見てみればわかる」というような声もあったので、一番トラックバック数が多いと言われる某女性タレントのブログを見てみました。まあ確かにノリのよい文章で頭の回転のよい人なのだろうということはわかりましたが、要は不定期に書いているエッセイ(日記に近い?)のようなものですよね。彼の話でも日本のブログにはそういう日記風のものが多いという話でしたが、別にそういう内容でなければならないことはないんですよね。もっと本格的な内容の文章を書いたっていいんですよね?そういうのもあるって、彼も言っていましたし。私のHPは構造が違うので、もちろんブログではないわけですが、別に書こうと思ったら、もっと日記風に書くことができますし、発信内容的にはブログだからできる通常のhtmlのWEBサイトではできないということはあるのでしょうか?ホストに転送するといった作業なしに、誰でもより簡単に発信できるようになったという意味では、ブログの意義はわかる気もするのですが、結局それだけじゃないのかな、というところで、理解度が止まっています。もっとブログはすごいんだとわかりやすく教えてくれる方がいたら、ぜひお教え下さい。

159号(2005.6.3)お兄ちゃんがかわいそう

 ここのところ、元大関貴ノ花の二子山親方が亡くなったのをきっかけに、マスコミが「若貴兄弟の確執が再燃」といったタイトルで毎日のように報道していますが、TV報道を見ていると、「喧嘩両成敗」的な発想で作られている番組(特にTV朝日の取材力は最低です)が多く、お兄ちゃんである花田勝氏(元横綱の三代目若の花)がかわいそうで仕方がありません。今回の問題は99%、弟・貴乃花親方に問題があります。いや今回の問題だけでなく、彼は最近人間関係において問題ばかり起こしています。昨年生じた、二子山部屋の功労者である元安芸乃島が二子山親方から借りていた藤島親方株を取り上げてしまった問題などもあまりにも冷淡で非人間的なやり方でした。(この時すでに父親の二子山親方との確執が一部週刊誌で取り上げられていました。)基本的に、貴乃花親方は現役時代の1998年頃からおかしくなってしまっています。かつてこの「KSつらつら通信」(第94号)にも書いたことがありますが、それまであまりにも立派に生きようとしすぎていた青年が、その生き方に耐えられなくなってキレてしまってからは、問題行動の連続です。メディアによっては両方問題があるという語られ方をする今回の「兄弟喧嘩」も、弟・貴乃花親方の嘘と異様なまでに肥大化している彼のプライドに基づく言行によって引き起こされています。多くの関係者から情報集めをして報道をしているメディア(これまでにチェックしたところでは、毎日放送と週刊ポストがまともだと思いました)によれば、貴乃花親方は、何も兄とだけうまく行っていないのではなく、自分の母親(離婚して籍は抜いていますが、お兄ちゃんはちゃんと母親として遇しています)、伯父(元横綱初代若乃花)、伯母などの花田家の親族すべて、そして相撲協会の親方諸氏ともうまく行っていません。たぶん今彼の味方は、元アナウンサーの奥さんと、きっとまだどこかで繋がっているであろう7年ほど前に話題になった怪しい人物ぐらいではないでしょうか。マスコミもちょっと取材すれば、この事実に気づくはずなのに、にもかかわらず、「兄弟の確執」という形で番組を作っていくのは、(1) 弟・貴乃花親方が戦略として、攻撃を他の人にはあまり向けず兄・花田勝氏に1点集中型にしているから、(2) 「兄弟の確執」というテーマはわかりやすくセンセーショナルなものだから、(3)あまり事情に詳しくない大衆は、かつてのさわやかな青年横綱だった貴乃花親方の好イメージがいまだに強く、彼を悪人役にはしにくいから、などが理由でしょう。でも、結果として生じていることは、花田勝氏を報道の被害者にしてしまっているということです。「花田勝氏は勝手に部屋を出て行って、相撲界に残っていない人間だから、出しゃばるべきではない」という貴乃花親方の主張に乗っかったコメントを言う人もいますが、私はお兄ちゃんは自分勝手な都合で相撲界を辞めたのではなく弟との軋轢が増さないように身を引いたというのが事実だろうと思っています。貴乃花親方が自ら深く反省して生き方を変えない限り、彼は今後ますます孤立していくことでしょう。相撲界に居ても彼を支持する親方衆は1人もいなくなるでしょうし、弟子も集まらないでしょう。たとえどんなに現役時代に素晴らしい成績を残した人間でも、謙虚さを忘れては人間的に失格です。貴乃花親方は若いやんちゃをすべき時代にやんちゃをせずに、あまり自分を抑えて生きすぎたがゆえに、いい歳になってから反動が出てしまっています。千代の富士や朝青龍のように若い時やんちゃだったのが、横綱になってからだんだん人間ができていくというプロセスならよかったのですが……。まあ彼が生き方を変えるのはそう容易ではないでしょうが、せめてマスコミは、兄と弟を同レベルで扱って、結果的にまともな人間である花田勝氏を貶めるような報道の仕方はやめるべきです。あまりにお兄ちゃんがかわいそうです。

158号(2005.5.22)朝青龍が大化けした!

 2001年9月に「大相撲の危機」(「KSつらつら通信」第62号)というテーマで、今大相撲は未曾有の危機に見舞われていると書きましたが、その後、やはり年々大相撲は人気をなくしてきています。しかし、今場所の朝青龍の相撲と、千秋楽の今日のスポーツニュースでの彼のインタビューを見ながら、相撲界にもわずかながら光明が見えてきた気がしました。4年前の文章で、スターの不在が人気衰退の直接的な原因だと書いたのですが、今や朝青龍が完全にスターとなりました。4年前の文章でも大化けする可能性があるとしたら朝青龍だろうと書いておきましたが、まさに大化けしました。今場所の朝青龍は本当に強かったです。大関陣がその突進力が怖くて立ち会いから逃げて勝った土佐ノ海に対しても朝青龍は正面から堂々といき、はね飛ばしてしまいました。決して現在の幕の内では重量力士とは言えない朝青龍ですが、体中に力がみなぎっているのでしょう。しかし、その相撲ぶりよりも私が感心したのが、今日のインタビューでした。本物になった人間だけが持ちうる余裕と自信がそこには表れていました。本人は「「余裕」とか「自信」という言葉は好きではないです。一番一番一所懸命慎重に取っているだけです。ライバルはみんなですが、最大のライバルは自分です。逃げる相撲は絶対に取りたくない。お客さんが喜んでくれるいい相撲を取りたい」といった話を笑顔を見せながらしていましたが、決して自分をよく見せるために演技して語ったわけではなく、今、朝青龍は心からこう思っているんだろうなと感じられました。相撲ではよく「心技体」というのですが、今の朝青龍はまさに「心技体」がそろった状態です。しばらく誰も朝青龍には勝てないでしょう。「地位が人を作る」とよく言いますが、相撲の横綱ほど人を作る地位も珍しいように思います。やんちゃで、慣習に従わないわがまま人間だった朝青龍が、後輩や相撲界やファンのことを考えた発言・行動をするようになったのです。この心のあり方が、私をして「朝青龍は大化けした」と言わせたくなる最大の理由です。「心技体」のそろった朝青龍は、このまま怪我などをしなければ、6場所、7場所と連続優勝を重ねて行くでしょうし、連勝記録だって50ぐらいは軽く超えそうな気がします。連勝記録が45を超えたら、マスコミは騒ぎ出すでしょう。次の7月場所、その後の9月場所を連続全勝優勝すると、47連勝になります。そのなった際には、9月場所後から大相撲がマスコミで取り上げられる機会は激増することでしょう。ぜひそうなってほしいと、「隠れ相撲ファン」の私は願っています。

157号(2005.5.13)タイミング

 タイミングが大切だということは誰でもよく知っていることですので、今更ここで書くのもなんなのですが、ちょっとだけ面倒がってタイミングをはずしてしまったという経験を私自身もたくさんしてきましたので、自戒も込めて書いておきます。タイミングをはずしたら、同じことをしてもまったく評価が変わります。逆に言うと、タイミングさえぴったりならたいしたことをしなくても非常に高く評価されます。社会学の専門用語で「期待の相補性」という概念があります。これは、相互行為(相互作用)を行う両当事者に満足感を与え、良好な関係を形成させる上で重要な要素になるものです。Aさんが「○○という行動をすれば、Bさんは××という行動を取ってくれるだろう」と期待して○○という行動を行ったときに、BさんがAさんの期待通りに××という行動をすれば、両者の関係は非常に良好なものとなります。Bさん側から見れば、「○○という行動をAさんがするのは、自分がそれに対して××という行動を行うだろうと期待してのことだろうから、その通りすればAさんを喜ばせることができるだろう」という期待をしての行動ということになりますので、まさに「期待の相補性」です。タイミングの話は、この「期待の相補性」の中には時間基準も重要な要素として入っていることに注目したものと言えます。Bさんが××という行動を行うとしても、それがすぐではなく大分後になってしまったら、Aさんとしては十分な満足感を得られず、Bさんとの関係も微妙になってしまいます。まさにタイミングをはずしたということになるわけです。

よくタイミングをはずしてしまう人の中にもいくつかのタイプがあるように思います。@相手が期待しているものを読み取れない「鈍い人」。Aわかってはいても面倒がってなかなか動き出さない「ルーズな人」。B完璧な行動をしたいと考えて動けなくなる「完璧主義者」。しかし、実はAもBも@の亜流と言えるかもしれません。Aの人は時間に関する期待がどの程度のものか正確に読み取れていないからルーズになってしまうとも言えますし、Bの人はどうせ主観的にしか決められない完璧さなど相手はほとんど期待していないことを読み取れていないとも言えるからです。相手の期待がある程度読み取れるなら、完璧など求めずに面倒がらずにさっさと行動を起こすように日頃から心掛けたなら、高く評価されるようになるでしょう。

156号(2005.5.1)自らを表現すること

 私のように、ありとあらゆる場面で自分をさらけ出している人間からすると、自分をうまく表現できないという人が不思議な存在に見えます。でも一般的には、私のような人間の方が珍しいのであって、自分をうまく伝えられないという人の方が多いのでしょうね。まさかできるのに、自分を表現しない方が得だと思っているわけではないですよね?授業(特に指名される可能性のある少人数授業)をやっていると、どうしてこんなに無表情な顔をして聞いているのかなと思わせる学生にしばしば出会います。わかっているのかいないのか、おもしろいのかおもしろくないのか、表情からまったく読み取れないという学生はよくいます。確かに、反応のよい表情豊かな子には、こちらもつい指名して意見を聞いてみたくなりますから、もしかしたらそういう意欲を自分に対しては起こさせないようにするために、長年かけて作り上げてきた表情なのかなと、時々思ったりするのですが……。でも、当てられるのって、そんなに嫌ですか?何か言わされて恥をかくよりみんなの中に埋没している方が幸せですか?そんなことないと思うのですが……。少なくとも、大学の社会学の授業で議論をしているときに、たったひとつの正解なんてありません。間違ったことを言って恥をかくなんてことはほとんどありません。単純な意見でも素っ頓狂な感想でも何でも言ってみたらいいのです。それが素直に自分の心に浮かんだものなら、きっとあなたがそう言いたくなった原因は何かあるはずで、プロの教師なら、そこを拾って、うまく議論に持って行ってくれるはずです。しかし、それ以上にあなたの発言が大事なのは、あなたという人間を周りのみんなが知るきっかけになるからです。自分という人間を表現し、周りに自分のことを理解してくれる人が増えたら、人生楽しいですよ。誰も自分のことをわかってくれないなんて最大の不幸だと思いませんか?「仲のいい人たちの中にいるときはすごくおしゃべりなんですが……」という人がよくいますよね。それは誰だってそうです。わかってくれる人と話すのはとても楽です。でも、そこに安住していたら、人間関係がなかなか広がらないじゃないですか。1回しか生きられない人生です。人間関係をいっぱい広げて、自分の理解者をいっぱい作った方が、絶対おもしろいですよ。「先生は自分に自信があるから……」と、誰かが呟いてる声が聞こえてきそうですが、私だってだめなところだらけです。そんなに自信家でもないんですよ。でも、今更他の人間になれるわけではないし、今の自分なんかだめだ、嫌いだなんて言ってたって、何もいいことなんかありません。だめなところもあるけど、良いところもあるし、自分で自分のことを好きになって、その良い部分をなるべく出すようにしていくしかないんじゃないでしょうか。言語表現が下手でそこが自分で好きになれないなら、表情豊かに反応することから始めてみたらどうですか。少なくとも、無表情よりははるかに自己表現になっていますよ。ともかく、自分を表現し、多くの人に理解してもらうことは、楽しいことだということに、ぜひとも気づいてほしいものだと思っています。

155号(2005.4.8)「小言新兵衛」の一言言いたい!

 私も歳なのか「小言辛兵衛」のように一言言いたいと思うことが多くなってきました。メールが便利な時代ですが、そのメールによって時々不愉快な気持ちにさせられる時があります。学生たちに添付ファイル付のメールを送り、添付ファイルに書き込みをして折り返し返信を送ってくれるように連絡したところ、確かに添付ファイルには書き込みはしてあるが、メール本文には何の文章も書かずに「Re: 」で送り返してくる輩や、いわゆる「ため口」で1行だけ書いてくる輩などがおり、なんで状況や関係性を考えて行動できないんだろうと腹が立つやら、首を傾げるやら、の毎日です。大学生なら、その程度の「常識」はあるはずだと思っているこちらが甘いのでしょうか?教育以前のしつけからしなければならないのが、現在の大学教育の実態なのかもしれませんが、それならそれで私も頻繁に「小言新兵衛」に変身して、一言も二言も言わせていってもらわないと仕方ないですね。

154号(2005.4.3)「愛・地球博」見聞記

 早々と愛知万博(=愛・地球博)へ行ってきました。8時間ほどいただけですので、その全貌をつかんだとはとうてい言い難いのですが、これから行ってみようかなと思っている人も少なくないでしょうから、ちょっと書いておきます。

 私は1970年に大阪で行われた万博にもちょっとだけ行っています。ちょうど中3で修学旅行の年だったので、通常の京都+奈良というコースが、京都+万博になったのでした。修学旅行で時間もなかったので、有名なパビリオンなんて何も見ることはできず、生まれて初めて「動く歩道」(要するに、阪急梅田のコンコースにもある平面型エスカレータですが)に乗り、感動していた程度です。それでも、太陽の塔を初めとして、各パビリオンがいずれも奇抜な姿を見せていて、そこは明らかに異空間を感じさせてくれる場所でした。今も70年EXPOファンは多いのですが、やはりあの未来を感じさせてくれた異空間が強いノスタルジーを生みだしているのだと思います。さて、今回の愛知万博はどうかと言えば、全体的な印象は広い公園に来たという感じで、70年EXPOのような異空間はあまり感じることはできません。唯一企業パビリオンゾーンが、大阪万博の後継者らしい姿を呈示していますが、全体の中で占める割合はわずかです。「自然の叡智」をテーマにしているので、「進歩と調和」がテーマ(調和はおまけで「技術による進歩」がメインテーマ)だった70年EXPOとは、違う様相を呈示するのは当然と言えば当然です。しかし、日本の大衆はまだまだ「技術による進歩」の方が好きなようで、もっとも「自然との共生」を感じられる瀬戸会場に向かおうとする人は少なく、企業パビリオンの所だけ長蛇の列ができあがっていました。私も空いていたら、企業パビリオンも見てみたかったのですが、120〜180分待ちなどをする気にはとうていなれず、会場全体を歩き回りながら、空いていた各国のパビリオン(ただの展示場?)を見て回っていました。

ドイツ館とフランス館はひとつの建物を共有していますが、前者は120分待ちで、後者は0分。ドイツ館は6人乗りキャビネットに乗り込み遊園地さながらのワクワク体験ができ、フランス館は映像で如何に人間が環境を破壊してきたかを見せるという重たい企画ですから、こういう差が出てくるのも当然でしょう。多くの大衆にとって、万博はテーマパーク以外の何物でもないのですから。時間を惜しむ私は当然のことながら、ドイツ館をパスし、フランス館は見てきました。しかし、これは最悪でした。地球には何も素敵な未来がないような気持ちになってしまうひどい映像を、フランス人が書いたと思われる下手くそな日本語のメッセージとともに10分ほど見せられます。私のような中年ですら、見終わったら心が押しつぶされそうな気になっていましたので、子どもや若い人には見せたくありません。環境や自然の大切を訴えるのにも、もっと他に方法があるだろうと強く疑問を感じました。他の国々の展示も決してそんなに立派なものではありませんでしたが、こんな気分にさせるものは私が見た中では他にはありませんでした。人間は失敗もしてきたけれど、大きな可能性も切り開いてきたという見せ方をしなければ、万博を見ることがマイナスになってしまいます。こんな展示を出すくらいなら、フランスにはすぐさま引き上げてもらった方がいいと思ったぐらいです。フランス館は絶対行かない方がいいですよ。(ここまで書くと、逆にどれほどひどいのか見てみたいと思う人も出てくるかもしれませんね。)

 よかった方も書いておきましょう。冷凍マンモスは予約しておいたので見られたのですが、マンモス自体よりそこにたどり着くために通るグローバル・ハウスの展示がなかなかよかったです。なんと「月の石」も置いてあり、35年前にはとうてい見ることのできなかったものを近くでまじまじと見ることができて、ちょっと感動しました。(石は石ですから、特別な思い入れを持って見なければおもしろくもなんともないのですが。)今回私が見た中で最大のお薦めは瀬戸会場の日本館です。ぜひ愛知万博に行く人は長久手会場の企業パビリオンの長蛇の列の中で不毛に時間を過ごすのはやめて、瀬戸会場に向かってみて下さい。まずお得なのは、長久手会場の中だけのゴンドラ(キッコロ・ゴンドラ)は600円も取るのに、長久手会場と瀬戸会場を結ぶゴンドラ(モリゾー・ゴンドラ)が無料だということです。このゴンドラは15分くらい乗っているのですが、途中走るリニモを上から見ることができますし、周りの景色もなかなかのものです。途中でプライバシー保護のため、窓ガラスが透明から曇りガラスに変わるのも、なかなかおもしろい見ものです。さて、瀬戸会場の日本館ですが、私は非常に感心しました。「日本の美」をうまく伝えることができています。1階部分では、壁に360度障子が張ってあり、その障子をスクリーン代わりにして、日本の美しい風景や芸術的な造形美が映し出されます。その後2階部分に移って、「一粒の種」という15分程度の「群読」というパフォーマンスを見るのですが、これがかなりいいのです。日本のことわざ、おとぎ話、かけ声など、声に出して伝えたい日本語(誰かの本のタイトルみたいですが)をアクションとともに30人程度の俳優が演じ上げます。パフォーマンスが終わった時、自然に拍手が湧き起こりました。日本館の出口に出るとそこには何百という風車が風に吹かれて回っているのです。みんな口々に「わあー、きれい」と感嘆していました。この瀬戸日本館は、フランス館とは逆で、こんな素敵な文化を創り上げてきた日本という国を、ひいては人類の文化を大切にしたいという気に自然にならせます。ここを見なければ、「愛・地球博」を見てきたとは言えないのでは、とまで思いました。それぞれの国が、自分の国の自然、環境に合わせて生み出してきたものが、その国の文化です。その素晴らしさに気づき、こういうものを守っていきたいなと多くの人に思わせることができたら、この「愛・地球博」にも意味があったと言えるのではないでしょうか。

153号(2005.2.24)「大学3年制時代」がやって来る?

 大学卒の資格を得るには、決められた単位を取得するだけではだめで、4年間以上在学することが必要と決められていましたが、近年の規制緩和の流れの中で、文部科学省が、特別に優秀な学生は3年間で卒業することも可能であるという方針を打ち出したため、様々な大学がこの「早期卒業制度」を導入し始めています。現時点での主たる狙いは優秀な学生を3年で卒業させて大学院に進ませることにあるようですが、私はいずれ大学院に行くかどうかに関わらず、大学全体が3年制に向かって動いていきそうな気がしています。これは、費用対効果を考えれば当然のことで、通常の授業料の4分の3で同じ資格が手に入るなら誰だってその道を選びたくなるはずです。「特別に優秀」をどの程度の基準にするかは大学が独自に決めればいいのでしょうから、このハードルを比較的低く設定(例えば、取得科目の平均点が80点以上などと)し、うちの大学は3年で大卒資格が得られますというのをウリにするところが出てきたら、あとは雪崩をうったように他の大学も追随することでしょう。そして、3年で卒業する学生が全体の中で無視できない割合になったら、カリキュラムも3年卒業用に変えて行かなければならなくなるでしょう。1年生からどんどん専門科目を取らせてゼミは2年生からの2年間でやる、あるいは1年間だけで済ませるなどというカリキュラム変更が考えられます。

 私は無駄な足掻きかもしれませんが、この早期卒業制度の導入には抵抗したいと考えています。確かに、わが学部でも4年生の時には授業はゼミしかないないという学生がたくさんいます。たったひとつの授業のために1〜3回生と同じ授業料を払うのはわりに合わないなと思っている人も少なくないでしょう。しかし、一見無駄も含んでいそうな4年間という時間が持つ意味は非常に大きいと思っています。3年では中学や高校と同じ修学期間になります。中学や高校の3年間ってあまりに早くなかったですか?1年経ってようやく学校に慣れたかと思っていたら、夏休みにはすぐ上の学年がクラブを引退して最上位学年と言われ、秋になったらそろそろ受験のことも考えなければいけない時期になる。そんな慌ただしい3年間だったと思います。受験に関係のない本を読んだり、趣味に没頭したりする時間も取りにくいのが3年制です。大学も、最近は就職活動のスタートが早くなり、研修という名の「強制労働」も卒業前から行われるのが一般化してきているので、昔の大学生に比べると、ずいぶん慌ただしい4年間になってしまっていますが、それでも4年間は中高に比べたら、まだ余裕があります。その時間的余裕があるからこそ、「人間力」とも言える「教養」や「思考力」や「経験」を増すことができるのです。3年で卒業して就職なんてことになった日には、そんな力を身につけようという人はほとんどいなくなってしまうでしょう。人間は「促成栽培」できません。時間があるからこそ身に付くものがたくさんあるのです。特定の専門に関する知識だけなら3年で学ぶことも可能かもしれません。(現に専門学校は3年以下のところがほとんどでしょう。)しかし、大学はもっと総合的な力を養う場ではないでしょうか。人間は工業用ロボットのように同じ仕事だけをしていては満足できない生き物です。自らの中の様々な能力を使って、様々な関心、欲求を満たして、初めて自らの生に納得が行く、そういう存在であるはずです。大学3年制(=早期卒業制度)は、総合的な人間力の弱い、視野の狭い人間を作り出す「大学改悪案」だと思います。しかし、10年経ったら、きっと広まっていそうで、非常に不安を感じます。

152号(2005.2.20)「ババシャツ」と「大阪のおばちゃん」

 昨日の朝日新聞の投書欄に、50歳代の女性の方からの「ババシャツという言葉に疑問を感じます。名前を変えてもらえませんか」という意見が載っていました。ちょっとおもしろいと思ったので、取り上げてみます。ネーミングに対する異議申し立てが起こって、名称が変わったというケースは多々あります。大体は差別的なイメージを与えるのでというのが理由かと思います。最近では「統合失調症」なんかがその例です。「トルコ風呂」なんて言葉は、若い人は知らないでしょうが、これもトルコ人(大使館?)からクレームがついて名称が変わった典型例です。さて「ババシャツ」という名称は消えるでしょうか?消える可能性はあると思います。今はまだ新聞の片隅の意見にすぎませんが、誰か社会的影響力のある女性(例えば、吉永さゆりとか)が「私も変えてほしいと思っています」なんてTVで一言発言したら、一気に変わるのではないでしょうか。私はあまりセンスがないのでだめですが、今どきの人のセンスなら、すぐに適当な代替名称を考えつくことでしょう。ちなみに、「ババシャツ」という言葉を抵抗なく使っているのは、やはり若い女性たちでしょう。自分自身が「ババ(ア)」に近くなればなるほど使いたくない名称でしょう。その点では、やはり「ババ(ア)」は差別的な言葉なのでしょう。

女性の呼び名では、「おばちゃん」や「おばはん」はどうなんでしょね。「お」という丁寧語がついているので、単純に差別語とは言えないでしょうね。ただし、30歳代前半(後半?)以下の女性が「おばちゃん」と呼ばれると、むっとするようですので、一定年齢までは嫌な呼ばれ方なのでしょう。こうした一般的な「おばちゃん」という言葉の前に「大阪の」とつけると、さらに何十倍も特殊なイメージが付加されるようです。今、この「大阪のおばちゃん」をめぐって論争が起きています。これは、「振り込め詐欺」の防止のために、静岡県がCMに「大阪のおばちゃん」3人を登場させ、「大阪は振り込め詐欺の被害がめっちゃ少ないんやで。静岡の人も気いつけや!」と早口でまくしたてさせたところ、おもしろいという声とともに、大阪のイメージを落とすという意見も寄せられたそうです。「大阪ブランド戦略」を推進中の大阪府は見過ごせないと思ったのか、静岡県に出向きクレームをつけたところ、今度はCMに出演した女性たちが「私たちは大阪の恥なのか?」と逆に大阪府にクレームをつけて「論争」になっています。とりあえず、太田房江大阪府知事が「私も大阪のおばちゃんのひとり。大阪のおばちゃんにブランド戦略のHPに登場してもらってはどうか」と言って納めたようですが、まだまだ再燃する可能性はあるようにも思います。「大阪のおばちゃん」はこれまでにもTVでおおいに「活躍」していて、確かに大阪のイメージ形成に強い影響力を持っています。たぶん、大阪の内部で議論すれば「大阪は庶民的なイメージこそ積極的に打ち出して行くべきなのだから、こういう大阪のおばちゃんこそ、大阪のイメージにぴったりだ」という声が大勢を占めるでしょう。しかし、昨年から学部のHP作りに積極的関わり、どう関西大学社会学部を外部に向けて宣伝していくかを考えてきた私から見ると、「大阪のおばちゃん」の評価は微妙です。確かに「大阪のおばちゃん」のパワーはすごいと思いますし、ある面で大阪の活力を作っていると思いますが、果たしてそれは大阪以外の人――特に関西圏以外の人――からも肯定的に見てもらえるかどうかも考えなければいけないと思っています。関西大学は、まさに大阪の大学なので、例えばこうした「大阪のおばちゃん」的なイメージが大阪のイメージとして広まることで大学にとっても影響が出ると考えられます。その評価がプラスになるかと考えると、やはり難しいような気がします。「庶民的な雰囲気の大学」というイメージ自体は悪くはないと思うのですが、「大阪のおばちゃん」や「吉本の笑い」よりも、もう少しソフトで知(小難しい知ではなく、日常から紡ぎ出される知)的な庶民性イメージが形成できないものでしょうか。「大阪ブランド戦略」、うーん……、難しそうです。「ババシャツ」の話から随分飛躍してしまいました。

151号(2005.2.14)バレンタインデーのチョコレート

 今日はバレンタインデーですね。男性の皆さん、今年はチョコレートをもらえましたか?最近は「義理チョコ」風習が廃れかけてきているようなので、本命の彼女でもいないと、なかなか入手困難だったかもしれませんね。バレンタインデーにチョコレートをあげるという習慣については、すでに調べている人がたくさんいて、1936年にモロゾフが、日本で発行されている英字新聞紙に「バレンタインデーにはファンシーケースボックス入りのチョコレートを贈りましょう」と広告を出したのが初めとされています。その後、1958年にはメリーチョコレートが、新宿・伊勢丹の売り場に「バレンタインセール」と看板を出し、1959年には、不二家がハート型のチョコレートを発売し、「女性から男性へプレゼントしましょう」と宣伝し始めたあたりで、現在の形が整ったようです。しかし、一部のおしゃれで流行に敏感な若者たちならいざ知らず、一般大衆レベルではこの頃はまだ「バレンタインデー」の「バ」の字も知らないという人がほとんどだったと思います。私が初めて、バレンタインデーに女の子が男の子にチョコレートをあげるなんて習慣(行動?)があるんだと知ったのは、中1の時でした。ある男の子がある女の子からチョコレートを渡されて受け取らないと拒否したため、先生が仲介して受け取らせたという事件があったため、学校中の話題になったのです。1969年のことでした。初めてバレンタインデーにチョコレートを女の子からもらったのは、中3の時でした。名前も知らない中2の女の子に「これ、受け取ってください!」と渡されました。その子は名前も言わずに走って行ってしまったし、手紙もついていなかったので、結局その子の名前はわからず仕舞いでした。(うーん、青春だなあ〜。)さて、別にそんな「自慢話」を書こうと思ったのではなく、自分の記憶から、バレンタインデー文化の変遷を考えてみようと思ったのです。上記の私の体験から1960年代の終わりぐらいになって、漸く普通の中学生も「バレンタインデーにチョコレート」という文化を知り始め、70年代以降に急速に広まっていったと考えてよいのではないかと思います。ちょうど時代が政治紛争の時代から私生活の時代に転換したのと期を一にしています。恋を囁く甘っちょろさが時代の追い風を受け始めたわけです。ただし、上のエピソードにもあるように、私が中高生の頃(68〜74年)は、まだ「義理チョコ」というのはそれほど一般的ではなかったように思います。しかし、70年代半ば過ぎには、すでに家庭教師先のお母さんからチョコレートをもらった記憶がありますので、もうその頃には「義理チョコ」は一般化していたようです。広まり始めたら一気に普及したのでしょう。

長らく「本命チョコ」と「義理チョコ」の2種類しかないと思っていた私が、「友チョコ」の存在を知ったのは2年ほど前のことでした。しかし、30歳代の方が「私も昔やってました」って言っていましたので、女の子文化の中では大分前から行われていたようですね。確かに「義理チョコ」をあげるついでに、仲のいい女友だちにもあげるということは、「義理チョコ」の誕生と同じくらい古くから行われていた可能性がありますが、「友チョコ」という言葉はかなり最近になって出来た言葉でしょう。いつ頃誕生したのでしょうね?小学校高学年や中学生が「友チョコ」の中心世代だと思いますが、このHPを読んでくれている皆さんが、その年代の頃には「友チョコ」って言葉はありましたか?教えていただけると幸いです。今は、この「友チョコ」が大流行のようで、うちの娘たちも昨日頑張って20人分もチョコレートとチーズケーキを作っていたと思ったら、今日はしっかり20人からクッキーやチョコやらをもらって帰ってきました。「男の子にはあげないの?」と聞いてみたのですが、「あげないよ」とあっさり言われてしまいました。なんだか、今やバレンタインデーは「新ひなまつり」(=「女の子のための祭り」)という様相を呈している感じです。小中学生の間では手作りお菓子の交換をする「友チョコ」ですが、OLや主婦の方々の間では、頑張った自分へのご褒美としての「自分チョコ」が流行っているそうです。チョコレートメーカーとしては、あまり高い物を買ってくれない「友チョコ」年代より、高級チョコレートなどを買ってくれる「自分チョコ」年代の方が大事なお客さんでしょう。「自分チョコ」も実質的には、「義理チョコ」と同時に誕生しているのではないかと思います。我が家のパートナーは昔から私が食べきれないほどのチョコレートを買ってきては、嬉しそうに自分で食べていましたが、そんな家庭は結構あったのではないでしょうか。ただ、今ほど堂々と自分のためと買うのではなく、形の上では夫のためとか息子のためと言って買ってきていたところがまだ可愛かったかもしれません。

最後に、問いをあげておきますので、気が向いた方はよかったらご自分の考えをお伝え下さい。(1)「友チョコ」は手作りのお菓子でないとあまり意味がないように思うが、どうだろうか?(2)お菓子を手作りすることに対する関心も薄れ、自分のために高いお金を出してチョコレートを買う気も起こらないであろう女子大生は、結構「本命チョコ」+「義理チョコ」年代のような気がするが、どうだろうか?

150号(2005.2.9)日常空間における雪

 卒業旅行で学生たちと奥飛騨に行ってきました。1月末から襲来した寒波のせいで、大量の雪が積もり、期待通りの雪国となっていました。雪と温泉を楽しみに行ったので、私も学生たちに混じって大はしゃぎで、ソリだ、雪合戦だと、すっかり童心に還って遊んでしまいました。「先生、何十年も若返っているんじゃないですか」と冷やかされて、「何十年はひどいなあ」と思ったのですが、確かに40年若返って小学校3年ですから、確かに何十年で合っているんだと気づき、1人愕然としてしまいました。一体いつも自分は何歳のつもりでいるのだろうと、改めて自問しなければならないかもしれません。まあそれはともかく、今回の旅はバス旅行だったのですが、往路は雪が降っておらず比較的運転しやすそうだったのですが、帰路はまた雪が降り、道路が真っ白になってしまい、これはかなり怖かったです。慎重に運転してくれる運転手さんだったので、大丈夫だろうとは思いつつ、はらはらしていました。また、途中しばしば見かけた屋根に登っての雪おろしもまさに重労働という感じでした。雪は非日常空間で楽しむには魅力的なものですが、日常空間に存在すると思うと、やはり大変なものだと改めて実感しました。今年はどうも雪と縁があるようで、実は1月末から2月初めにかけての寒波襲来の際には、地方入試の担当で北陸にいました。入試ですから、1分1秒のずれもなく時間通り進めていかなければなりませんので、頻繁に天気予報と交通情報をチェックし、万一の場合の対処を考え、といろいろ気を使いました。長靴も何十年ぶりかで購入しました。結果的には大きな支障はなく進行できたのですが、日常生活をする上での雪は難儀なものだとしみじみ思いました。