日々雑記


天正

2022-3-1

再び調査。今日は2尺4寸の阿弥陀如来像。
大粒の螺髪、狭い額幅、低い肉髻、細長い目、頬に肉付けが少ない特徴は、天正・文禄頃の特徴。16世紀後半~末期の制作。
調査後、寺の記録を拝見すると「安置于時天正拾一年十月十五日」の胎内銘があると記されている。間違いない。

「じゃ、これ(脇侍)も天正?」という教育委員会の方に、調査すると躰部は一木造とし頭部は面矧ぎとしており「いや18世紀後半頃でしょう」と。
18世紀頃から中尊(阿弥陀如来像)だけでは寂しいということで観音・勢至菩薩を付属させるのですと。

その後4躯の仏像調査(いずれも江戸時代)を終えて、最寄駅まで送っていただく。

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長谷観音の余材

2022-3-3

一見、ごく一般的な平安後期の十一面観音像の解説を執筆。

平安後期なので確かに重要ながら、後補以外に取り立てて特記することもあまりない。
少し歴史事項を説明補足しようと、大正4年(1915)に郡役所発行の郡誌を見る。

郡誌には旧寺があり、暦応年中(1338~1342)に浄阿上人が初瀬寺観世音再彫の余材を以って刻んだ十一面観音像があると記載。浄阿が一刀三礼した十一面観音像。
えっ・・・。
別資料で旧寺を調べると、平安末期の軒丸瓦が出土しているとの報告も見つけた。

浄阿は時宗の浄阿とも思ったが大和長谷寺との関係がつかめず、また十一面観音像が平安後期なので粉飾と思われるが、何ゆえ長谷観音像の余材なのか・・・。
大和長谷寺十一面観音像は、永承7年(1052)8月24日〈『春記』〉、寛治8年(1094)11月13日〈『長谷寺験記』〉に焼亡(ともに頂上仏面のみ残るとされる)。
時期から見て、余材で制作したとしても荒唐無稽な話ではない。

丁寧に執筆したので、予想以上に長い文章となった。

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岸田日出男

2022-3-4

『おおよど百年史』(奈良県大淀町)をご恵贈いただく。感謝。

「吉野熊野国立公園の父」である岸田日出男は明治41年(1890)に吉野郡役所技手に採用。吉野熊野国立公園の指定に奔走し、昭和11年(1936)2月に指定戦後は伐採される原生林の保存、国による買い上げを訴えるも昭和34年(1959)4月に逝去。没後、特定民有地買上事業によって大台ケ原などの森林が保全される。

『百年史』には、岸田の言葉が記されている。
今風景の破壊を意とせず、近代的設備を完備すれば大勢の人を誘致し得るだろうが、やがて大都市に変らぬ殺風景に飽き果てて来なくなるであろう、かくては子孫の生きる道がない、我々の時代の事のみ考えても前途がなければお先真黒というの外はない
岸田日出男「国立公園地帯の保存と開発」『史蹟名称天然紀念物』14-10(1939年)

Youtubeに町指定の「岸田日出男資料・35mmフィルム」(ダイジェスト版)があがっている。
岸田日出男の遺したもの ダイジェスト版熊野路(1937年)瀞八丁実写(1923年)

見れば、戦後に我々はどのくらいの自然、景観を壊してきたのだろうかと。

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Carpe diem

2022-3-5

カルペ・ディエム。ラテン語で「一日(今日の花)を摘め」。
「死を忘ることなかれ」とするメメント・モリ(memento mori)、「人生の空しさの寓意」であるヴァニタス(vanitas)に並ぶバロック期の用語。

しかし若い人物と骸骨(頭蓋骨)が描かれた絵画は、必ずしもヴァニタスやメメント・モリを意味した作品だろうか。若い人が今日一日の花を摘むことはよくないことで、常に人生はむなしく、死を忘れてはいけないのだろうか。
頭蓋骨と人とが描かれる作品は、基本的に若い人物である。
おそらく若い人へのエールではなかっただろうか。
ハンス・ホルバイン《大使たち》にもジャン・ド・ダントヴィル(左:29歳)、ジョルジュ・ド・セルヴ(右:25歳)の若き外交官が描かれ、床にはよく知られるようにアナモルフォーシスによる頭蓋骨が描かれている。前途洋々な若き外交官に対してヴァニタスやメメント・モリではないはず。

フランス・ハルス《頭蓋骨を持つ若者》(1626~28年)もヴァニタスとされているが、本当だろうか。

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友学康道

2022-3-9

龍谷ミュージアム「阿修羅王像 頭部」ひな型には友学康道の墨書銘。
田中宗祐「仏工片岡友輔伝」では、友輔は通称で、天保13年(1842)7月に67歳で亡くなったとある。生年は安永5年(1776)〈数え〉となる。居所は松原の北。

文政5年版以降嘉永5年版までの『平安人物志』には、「片岡安道 号 友学」と片岡友輔が掲出。
安道は康道の誤りかも知れない。ちょっと複雑。

夕刻、堺東で知人と旧友とで一献。
そろそろ退職、転職を含む人事異動の季節。

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平等寺

2022-3-10

午後、奈良にて御用。
その前に奈良博「国宝 聖林寺十一面観音-三輪山信仰のみほとけ-」展へ。

長いコンクリート製の階段を登って聖林寺収蔵庫でみるのとはずいぶん違う印象。もちろん背面の造形もじっくり。旧大御輪寺の法隆寺地蔵菩薩立像、正暦寺日光菩薩・月光菩薩立像や玄賓庵不動明王像(原寸パネル)も展示される。大神神社の木心乾漆造聖観音像は未出品。

満足しながら「三輪山絵図」(文政13年写本)を見ると、大神神社の参道左側(北側)に旧大御輪寺とあるも、右側に平等寺、浄願寺が配置。殊に平等寺は広大な境内である。平等寺伝来の普門院不動明王像や平等寺本尊も展示してこその「三輪山信仰のみほとけ」ではないかと思うものの、今回のメインは聖林寺十一面観音像。

仕方ないかと思いつつ、御用先へと向かう。

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奈良ノ諸君二告グ

2022-3-11

再び奈良にて御用。

明治21年(1888)6月5日、三条通の浄教寺本堂にてフェノロサが講演(通訳:岡倉覚三)。

古代日本人ノ美術思想ノ純粋ハ全ク希臘〈ギリシア〉美術ノ純粋ト同一轍ナリシコトハ、之ヲ今日ニ存在セル銅像彫刻ノ精妙ニ徴シテ照々見ルベシ。其彫刻ハ、即チ其人ノ性質思想ヲ表示シテ、当時ノ美術毫モ欧洲ニ劣ラザルヲ見ルニ足レリ。

奈良二住居スル諸君ハ徒ラニ奈良ヲシテ学者社会ノ古史調査場トナスコトヲ甘ンズ可ラズ、宜シク更二進ンデ美術復古ノ方針ト為リ将来進歩ノ基本トナリテ以テ今日ヲ支配シ利益ヲ世上二及ボサゞルベカラズ

余ハ特二奈良ノ諸君二望ム、諸君ガ奮発率先シテ日本美術復古ノ唱道者トナランコトヲ

然レドモ今日此奈良二存在セル所ノ古物ハ独リ奈良一地方ノ宝ノミナラズ、実二日本全国ノ宝ナリ、否ナ日本全国ノ宝ノミナラズ、世界二於テ復タ得ベカラザルノ至宝ナリ、故二余ハ信ズ、此古物ヲ保存護持スルノ大任ハ即チ奈良諸君ノ宜シク盡スベキノ義務ニシテ、又奈良諸君ノ大ナル栄誉ナリト

フェノロサの発言は、130年経た現在も特筆大書すべき必要性を思う。

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虚々実々

2022-3-14

この頃、原田マハ『たゆたえども沈まず』(幻冬舎)を読んでいるが、実にしんどい・・・。
ゴッホ兄弟と林忠正、加納重吉(架空)との交流の内容ながら虚々実々。著者も「フィクション」と明記しているが、史実に基づくだけに、むん?と考える記述も。
ようやくテオの奥さんヨハンナ(ヨー)の登場まで来た。あとちょっと・・・。

久しぶりに大学。
西門の桜が咲きほころんでいた。春近し。
19日に卒業式(保護者1名限り参加)、23日新2回生ガイダンス、4月2日には1回生専修別ガイダンスなどと、例年の如くこちらもたいへん。

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なら歴史芸術文化村

2022-3-18

終日雨。なら歴史芸術文化村 文化財修復・展示棟の内覧会へ。

地下1階に、仏像等彫刻修復と絵画・書跡等修復の工房。工房見学もさることながらフロアの半分近くを占める企画・特別展示室。
記念特別展は「やまのべの文化財―未来に伝える、わたしたちの至宝―」(3/21日~4/17)。長岳寺「大地獄絵」や合場区如来坐像(共に県指定)などが展示。

ようやく出来た県立の“文化財”展示室。
不思議なことだが、これまで奈良県による仏教美術等の展示場がなかった。奈良国立博物館がその役目を果たしてきたのも事実だが、奈良博だけでは奈良の仏像をフォロー出来ない。
ハードルが高すぎる、競争倍率が高いと言われる所以である。奈良県立美術館もかつては指定文化財や曾我二直庵などの展示を行ったが、現在では専ら近代以降の美術を展示。

もっと様々な切り口で奈良の仏教美術や文化財を展示できる施設があればと長らく思っていたが、このたびようやく開設。

年5~6回の展示企画を行うという。第1回企画展は「観音のいます地 三輪と初瀬」(4/29~6/19)。

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小雨の卒業式

2022-3-19

午後から小雨。卒業式。

各教室にて卒業証書授与式。今年はゼミ別に卒業証書が分けられており、各ゼミごとに授与。
その後、卒業論文優秀者表彰、祝辞の後、お決まりの記念撮影。

学生らとの雑談後、欠席者の卒業証書を纏めて事務室へ返却、部屋に戻る。

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弘法市

2022-3-21

久しぶりに家人・末娘と東寺。今日は弘法市。

家人らはあれこれと露店を物色、こちらは東寺宝物館へ。旧食堂千手観音像を拝見。
展示は「東寺と後七日御修法-江戸時代の再興と二間観音-」。

後七日御修法の二間観音供。
後桃園天皇(宝暦8年~安永8年〉には欣子内親王(新清和院)しかおらず、皇統断絶の危機。傍系の閑院宮家より養子を迎え、光格天皇として即位。何時の世も同じような話題である。
そのほか地蔵菩薩半跏像など色々と拝見。

雑踏のもとを出ると、家人たちは新作の食器などを買い求めたようである。
小春日和の休日。

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春日移し

2022-3-23

春日大社のうち、国宝の御本殿、重要文化財27棟は修復を中心とした“造替”ながら、その他は新築である。旧社殿は近隣の寺社や関係ある神社に下賜されて再利用。
近畿地方で150例ほどあるとされ、大阪・杭全神社本殿も春日大社本殿第三殿を移している。

過日、訪れた室生の龍穴神社本殿も若宮社本殿を寛文12年(1672)に移したもの。建築史的にも興味深い。

午前中、分属を済ませた新2回生へのガイダンス。

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南都・厳島図屛風

2022-3-28

「奈良大学所蔵 絵画優品展-初公開!南都・厳島図屛風-」展を見学。

南都・厳島図屛風は腰高の八曲一双。
厳島図屛風は、何処の名所でもよくセット(一双)になる。知る限りでも、吉野花見、鞍馬、天橋立、住吉祭礼、近江名所、和歌浦・・・。
しかし南都名所とのセットは初めて。しかも露座の大仏。

厳島図屛風の解説にあるように、制作者は厳島神社を実見していない可能性があるとされる。南都も同様に思えるが、どことなく実見していたようにも思える。
画面右端(1~3扇)に元興寺塔、猿沢池、興福寺を描き、3~7扇を上下に分けて、上部には春日一の鳥居から春日若宮おん祭りのお渡り、春日社、若宮を描き、下には7扇から8扇に東大寺を描く。4~5扇の下は不明。
露座の大仏ながら基壇の上に坐し、尊貌は茶色く不明瞭になっている。
南大門には仁王像が描かれていないが、おそらく粉本とした名所記に基づくのだろう。
『南都名所集』(延宝3年(1675))には、門(中門かも)、八角燈籠、露座の大仏が描かれている。
また、春日若宮おん祭りのお渡りには竹馬に乗った人物など、興味津々。
撮影可能ということでじっくり見た後、備忘録的に撮影。

そのほか「源氏物語色紙」や「源氏物語図屛風」もじっくり。
「源氏物語色紙:葵」では、碁盤の上に乗る姫君や「源氏物語図屛風:若菜上」では御簾から飛び出す猫など、興味深いモチーフも。

品のよい展覧会で、大満足。4/23日まで。

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成人

2022-3-30

久々に大学。桜はほぼ満開。

明後日から民法改正により成年年齢が20歳から18歳に引き下げ。ちょっと考えられない事態。

大学1年生でも、携帯電話の契約やクレジットカードやサラ金・ローンの申し込み、なかには親の同意なしでの結婚などが可能となるが、これらは「未成年者取消権」が消滅するので、すべて自己責任となる。

明後日の入学式は“成人”の入学式となるのか。入学式は保護者同伴で来学・・・?
日頃、18、19歳の若者を見ているからかも知れないが、こちらから見れば、不安山積みの“成人”である。

校門前で返済督促のお兄さんが下校の学生を待っていたりして・・・。

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