日々雑記


名称

2019-9-2

10月1日から阪急宝塚線石橋駅が、「石橋阪大前」駅と名称変更。

例えば、これが「阪大前」駅と改称すれば、阪急へはしばらくクレーム続出すること、必至。
今もあるのかどうか不明だが、受験要項には、タクシーで受験に来る際にははっきり「関西大学」と指示する旨が記されていた。「関大」といってしまうと、「阪大」へ連れられていくとか。

閑話休題。
このところ、問題となっているのは「京都造形芸術大学」が「京都芸術大学」へと改称する計画。
京都市立芸術大学が混乱を招くとして抗議。
「京都造形大学」にすれば丸く収まったものを、なにゆえ「京都芸術大学」に改称するのか疑問。
長く「市芸(いちげい)」「京都芸術大学(京芸)」と呼ばれた京都市立芸術大学の抗議も当然。

「『造形芸術』の枠を超え」ての改称理由ながら、東京造形大学や長岡造形大学、成安造形大学もあるし、 2008年には「名古屋造形芸術大学」が「名古屋造形大学」に名称変更している。
世情に逆行するような名称の変更計画。

なんか「京都造形芸術大学」の学生がかわいそうな気も。

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お疲れ

2019-9-4

他の先生から博士論文(論文博士)提出のための書類一式が必要とのことで、事務方へ連絡。
インフォメーションからダウンロードできるとの事であったが、論文博士なのでログインできない旨を伝えて一式を取りに行く。連絡後、早々に受け取りに行ったが、まだ印刷中。

ようやく受け取るも「インフォメーションからダウンロード可能」との再度の旨。
受け取った書類を先生に渡した後、改めて考えるも小生はログインできる・・・。
試みにログインすると、書類一式がダウンロード可能。猛省しきり。

最近、淡路乗換え地下鉄ながらそのまま乗っていて十三でようやく気づいたり、黒板に書かれた会議時間が赤字(変更)にも拘らず部屋にいたりで、なんとなくお疲れの態。
積み残した仕事も多数あるなか(現在も増殖中)で、大過なく処理できるのだろうかとやや不安。

一応はまだ”夏季休暇”なんだろうけれど。

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聖地巡礼

2019-9-5

とある事から京都・上品蓮台寺境内「仏師定朝墓」へ。
私の聖地巡礼。

露天のため碑文もかなり見えづらくなっているが、梵字の下に「日本佛師開山常朝法印康□」と刻まれる。□は「城」なのだろう。裏面にも文字が刻まれるが、判読困難である。

「定朝」を「常朝」とするあたり、やや疑問に感じる人もおられる(もちろん「伝定朝墓」である)が、『京羽二重』に「定朝墓 蓮台寺南ノ坊」とあって、元禄年間以前に建立され、近世には知られた存在。
現在地には大正9年に塔頭の照明坊から移築したとの由。

京都仏師の開祖ともいうべき定朝。今でも定朝忌の11月1日には、京都仏像彫刻家協会と京都仏具共同組合で法要が営まれる。

なお、廬山寺にも「仏師定朝墓」があり、こちらも検討課題である。

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頸部の漆

2019-9-6

研究者から「首枘」底部が黒漆塗りであったので、頭部内になにかあるような気もするとのご連絡を頂く。
写真をみるとなんとなく首枘側面にも漆を塗っているような・・・。

昔、近世肖像彫刻の頭部(昔なのでモノクロ写真)を抜いたら同じような状況だったが、特に何もなかったような気がする。その後も幾例か見ているはず。

ではなぜ、通常では見えない箇所を黒漆塗りとするのかについては全くわからないとしかいえないが、製作時にはきっと何かの意図があったはずである。
頸部の漆塗りについては、どの論文も指摘していない・・・。

答えを見出せずに、返事が滞っている。

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観音堂

2019-9-7

伊丹市立博物館で講座。演題は この時の話題

話しながら、施主の「坂野治兵衛」って誰か知りませんかと呼びかける。花押もあるというのに身元不明。予定時刻より早めに終わって質疑応答。

気になっていた方もおられ、お聞きになられて納得の表情。で、当該の仏像はどこにあったのかという根本的なご質問。
あまりにも根拠がなく話題とするのも憚ったのだが、『摂津名所図会』の当該項目には八幡宮の横に「観音堂」「牛頭天王」とあっておそらく観音堂に祀られていたと思うと回答。
身近なところに意外な仏像があると強調。それにしても不思議な仏像。

終了後、担当者や館長と雑談。講座で述べた「厄年」の話となり、担当者が「私も(今年は)厄年にあたります」と。こちらも「厄年」。
暑い一日。

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羅漢

2019-9-9

羅漢像の図像に関心を寄せるも、日本では定型の図像は無かったように思われる。(近世の話)

例えば、五百羅漢像のうち百二十六番尊者は「休息尊者」。
知られる図像集の姿は「読書」。経巻を広げて読んでいる。しかし布団を抱きかかえる姿の羅漢像もあってバリエーションがある。

どことなく文字のみしかも漠然たるものが規範となっていたのではないだろうか。どう解釈し造形化するのかは、作者の腕次第だったと思うのだが、相変わらずよくわからない。

写真は朝の通勤時、駅ホームでゴルフのイメージトレーニングをするサラリーマン羅漢。

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大至急

2019-9-10

先日、仕事をしていると、某市から調査報告はお送り頂いたでしょうかと問い合わせ。
「少し間の抜けたお問い合わせ」と。調査をしてもう半年が過ぎている。
「間抜け」はこちら、やばい。

佳境に入った仕事を一時中断して、未処理の報告を作成。
調査メモは幸い「未処理」のフォルダーにあり、早急に報告。
既に指定書は「平安時代中期」とあり、写真に色補正しながら11世紀と判断。
概要報告と画像の入ったCDを2部作製。
発送は明日。

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いいね!

2019-9-12

JRの車内吊り広告に大谷大学のポスター。

7月頃には「無知は罪か。知れば知るほど無知を知る。そして、人は深まる。」という吊り広告。「無知の知」という名言がすぐさま想い起こさせる名コピーであったと記憶している。
今回は、「『いいね!』で、いいのか。Realはもっと複雑かもしれない。」。

思いあたる節がある。
とあるSNSで専門的な質問。多少知っていたこともあり、書籍を引っ張りだして確認し、慣れぬ五十音キーを使って回答する。
ところが返事すらなく「いいね!」と返ってきた。何度か同じことが続いた後、退会してしまった。
「報恩謝徳」の欠如。家人は、SNSなんてそんなものだと悟ってはいるが。

続けさまに名コピー。
カレンダーの「今月の名言」にできそう。あと4回ほど車内吊り広告してくれないかな。

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興福寺・春日大社

2019-9-14

関西大学千寿会による興福寺、春日大社の見学で案内。

聞き慣れぬ会であったので、同僚の先生に聞いたところ「PTA(教育後援会)のOBじゃないの」とのこと。
失礼があってはいけないと、8頁建てのミニパンフレットを作成。

集合場所で事務の方から参加者を聞いて驚愕。
法人関係からは、千寿会会長をはじめ元理事長(現顧問)、現理事長、教育後援会会長、大学からは学長、副学長ら、本学のお歴々。
完全に場違い。出来上がったミニパンフだけ置いて帰ろうと思ったほど。

興福寺中金堂で国宝館ともどもミニ解説し、自由散策。適宜質問対応。その後は春日大社へ。
こちらは宮司さんによる案内。
春日大社的には奈良博本「鹿島立神影図」。鹿島と香取から白鹿に乗って神様がやってくる。

夕刻は菊水楼で「観月会」。
半端ない気疲れ。JR奈良から帰途、弁天町まで寝過ごしてしまう。

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ガチャの自販機

2019-9-17

関大前駅構内の売店が閉店して久しい。

車両の関係で、閉店した売店前を通ることがあまりなかったが、自販機が2台設置されていることに気づく。
1台はパンやお菓子の自販機、その横は・・・とみると、ガチャ(カプセルトイ)の自販機、はぁ?
ガチャガチャとハンドル?を回すのではなくて・・・。
密かに試してみようとおもうが、学生が多くて無理。

いくつか「売切」の赤ランプも。
なぜ、駅構内にガチャの自販機、しかもトイが指定なのか、よくわからない。
一度、ゼミ生にでも試させようかとも。

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シミ取り

2019-9-18

某所で打合せ後、雑談に及ぶ。

大型の木造女神像。
もとあった安置場所の環境がやや悪く、お顔や衣服に昆虫による黒いシミが転々。
えくぼもあるというのにちょっと残念。

「『シミ取りクリーム』があればいいのに」と冗談交じりで言っていたところ、このたび展覧会に出陳されるとのことで、応急に「シミ取り」処置がされるという。
最小限、目立たぬようにする予定が、トップの一声で「(シミを)取る!」とも。

わが家族のようによかった、よかったと安堵。
木彫といえども人間の世界と同じようなものか。

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妙法院日次記

2019-9-19

『妙法院日次記』25が届く。24も併せての備忘録。
寛政5年(1793)11月21日
大仏師七条左京参上、此度御所表より家督相続被仰付難有、右為御礼扇子一箱三本入献上也、
寛政7年(1795)12月21日
御仏師東寺定慶参上、例年禁裏御所より御拝領之御星、触穢中ニ付、御仏師より相納候様被仰出候由ニ而持参、松井多門面会、受取也、
前者は、30代康傳死去(寛政5年9月17日没)に伴う31代康朝の相続、後者は禁裏と東寺定慶との関係。
東寺定慶の名は伊丹・小西酒造の古文書中にも確認。神鏡台他注文品の造作寸法変更のお知らせ。別文献では御所清涼殿の獅子狛犬の修理も。
こちらのほうもかなりサボり気味。

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神馬

2019-9-20

とある研究者から木造「神馬」の問い合わせ。
予想できたこととはいえ、とうとう神馬か・・・と思う。

類例?と問われて思いつくのは香川・金刀比羅宮の「木馬」。
慶安3年(1650)に高松城主松平讃岐守賴重から献納、木馬の作者は「京師田中環中斎弘教宗圓」。
初代田中弘教と思われる作品。この後、田中弘教は代々、金刀比羅宮お抱えの仏師となる・・・。

こうした大手顧客を持つことが仏師存続の重要課題だったと思われる。
そのきっかけが何だったのかが、ぜひとも知りたいところ。

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レンブラント

2019-9-23

レンブラントほど自画像を描き続けた画家はいないと思う。
23歳から亡くなる63歳まで、人生の折々、自らを包み隠さず描いており、思わず何があったのかと想像させる。

学生の頃、英書購読としてケネス・クラーク(Kenneth Clark)『An Introduction to Rembrandt』が与えられた。
輪番なので欠席しそうな学生の分まで訳して授業に臨んだこともあって、興味をもってブリジストン美術館『エルミタージュ美術館秘蔵レンブラント展』(1982年)を見に行ったのも昔語り。

当時は「自意識過剰?」と思ったが、今ではなんとなくわかるような気もする。

現在の齢を考えてみると、これか(上の写真)と思ったが、『聖パウロに扮した自画像』(1661年)でレンブラント55歳の作品。
こちらと同じ年齢だと、恰幅のよい姿が描き出されている。

今日から授業開始。
当時の教室とは違うが、若い学生を相手に日本画の見方を教えている。なんか不思議。

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蔵書票

2019-9-24

最近、通勤時に古書を読んでいる。しかも学生時代に買った古書の年代物。
意外な驚きや発見があり、飽きずに古書を読んでいる。

昨日から谷信一『室町時代美術史論』(東京堂・昭和17年8月初版)。
電車内で開くと裏表紙に蔵書票が貼ってあるのに気づいた。
「日本銀行松江支店蔵書」。購入は昭和18年6月30日。上に文書課図書係の改印が押されている。横には、角がやや磨耗した角印と同店の新しい蔵書番号票があり「10門 F61號」と昭和29年9月1日の押印。
戦後、備品番号変更になったものであろう。いずれも消印が押印。

日本銀行が『室町時代美術史論』?と思ったが、そうした大らかさをもつエリート集団はほほえましい。

蔵書票であれこれ妄想を重ねていると、はや関大前駅に。

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みずゑ

2019-9-26

絵の具について話した後、学生からの質問。「水彩絵の具は?」

絵の具=顕色材(色材)+溶剤+固着材という話題から。
雑駁ながら、西洋画でも日本画でも、色材は鉱物顔料(岩絵の具)である。つまり油絵の具と日本画の絵の具は、溶剤+固着材が油か膠の違いだけである。
日本画では色の濃淡は粒子の大小で変化するが、もっと薄い色は胡粉を併用(具色)。

そこで上記の質問と相成った次第。
うまく返答できなかったが、水彩絵の具は、溶剤+固着材が「アラビアゴム」だったのか。

水彩画は明治30年代後半に水彩画は大ブームとなり明治38年(1905)には水彩画の指南雑誌『みづゑ』(水絵)を生み出す。
『季刊みづゑ』は1992年をもって休刊。尤もこの頃は美術雑誌であったが。
高校で油彩を描いていたという学生に「何の油、使っていたの?」と尋ねると「知りません」。
「リンシード」「テレピン」と返答してくれるかな思っていたので、愕然。

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2019-9-27

所用の帰途、某神社へ参拝。

高地ゆえに霧が発生。霧に包まれた社殿、しかも「那智参詣曼荼羅図」にみる「生抜き杉」である(屋根を突き抜けて育つ杉)。
霧に包まれながらもしばらく佇む。
参道を降りていくと霧から小雨に変わる。

「擬死再生」に、久しぶりに熊野へ詣でたい気分のこの頃である・・・。

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はや来年度

2019-9-30

秋学期の授業が始まったばかりなのに、さっそく来年度の授業科目について諸々。
新たに加わりそうなのが、「図画工作科教育の内容」。

原則、小学校教諭を目指す学生への配当である。

日本の美術教育はずっ~と「実技一本」。
遠足や社会見学でも「鑑賞教育」がない。作品をどのように観ればよいかなんて、教員自身がわかるはずもない(そうした教育法はないので)。畢竟、児童からの質問に応対できず、児童の監視役。

そうして成長し、大人になって理解できるはずもない。美術館では、作品を前にして全く関係ない井戸端会議を始める・・・。
どこかで「無鑑賞」という負のスパイラルに一撃を加えないといけない。
「蟷螂の斧」かもしれないが、引き受けた次第。

西洋では、児童が三角すわりして作品の鑑賞をうけているのに、なぜその部分を真似ることができないのだと若干の憤りも。

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