日々雑記


初期不良

2015-10-01

授業が始まって1週間。各授業ともまずは第1回目が終了。
教室によって各設備が異なる。初めて登壇する教室もあり、各ボタンやリモコンを前に戸惑うことが多い。

余裕をもって臨んだ某授業。
貸し出しのパソコンにデータを入れて準備万端。そこでいったんシャットダウンして教室に持ち込み起動させると、あれっ、データが消えている・・・。再びUSBに差し込んで、TV画面(天吊り)に映し出そうとすると今度は画面が真っ暗。あれこれ触ってみてもどうしても映らない・・・。
授業時間が始まっても四苦八苦。とうとうメンテナンス関係の職員氏まで呼び出して映し出してもらう有様。結局15分遅れの授業開始。

何事も初回は混乱することが多い。ご容赦のほど。

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柳沢文庫

2015-10-03

大和郡山・柳沢文庫「柳澤吉保と大和国-郡山藩領の修陵事業と隆光僧正による寺修復-」展へ。

「隆光僧正による寺修復」とあり展示史料を期待したのだが、めぼしい史料はなく説明に東大寺、唐招提寺、長谷寺、室生寺の寺名を掲げるのみであった(11/17からは「唐招提寺戒壇受戒図」が出品)。
そういえば、江戸で亡くなった公慶を看取ったのは護持院隆光だった。

平城宮の北 超昇寺郷は郡山藩領。ここには成務・称徳・平城の天皇陵と文久まで神功皇后陵と治定されていた日葉酢媛陵がある。これらの修陵事業と陵墓管理などに関する史料、絵図がメイン展示。
「神功皇后陵図」には後円部端に鳥居があり石燈籠もある。中央には「石棺」とあって(長さ)9尺、(幅)3尺5寸と記され、石棺が露呈していたことがわかる。また石棺の前後に白い区画が描かれているがなんだろうか。
成務陵の後円部には方形の竹矢来。

超昇寺郷内の古墳に関わる様々な史料。干ばつ時には神功皇后陵で雨乞いの「南無天踊」(釈文では「雨無天踊」と誤植)と「浄瑠璃」が行われ、めでたく雨が降ったので「浄瑠璃満願」を執り行いたいとの願い出。このほかに神事祭礼は超昇寺郷7か村で行われてきたが、神功皇后陵への参詣人が多く散銭もあるため、7か村と山陵村の神主と折半する証文など。
史料の大半は個人蔵。

天候もよく午後からは法隆寺に向い、久しぶりに百済観音像などを拝見。

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伊勢神宮

2015-10-06

『伊勢参宮名所図会』にみる外宮と内宮。

宇治橋下で投げ銭を網で受け取る男や子供は有名だが、内宮の挿絵をみると、今よりもずっと奥に入っていることがわかる。
今は外玉垣南御門の前までだが、近世は内玉垣南御門まで入ることができた。しかも「貴人、高位の人たりとも下駄は禁ずるよしにて皆はだしなり」と素足で。土座礼(土下座)する人もいる。外宮も同じ。
基本は御師の邸宅で神楽を奉納した団体だろうが、個人でふらりと参拝しているようにみえる。

こりゃ面白いと授業で紹介したが、全く反応がない。あれっ。
ひょっとしてと思い「伊勢神宮に行ったことのある人?」と問うと、ゼロ。やっぱり。
小学校の修学旅行で伊勢神宮に行かないとは聞いていたものの、これほどとは。「おかげ横丁」には行くが、伊勢神宮は参拝しないという人も多いという。そうした子供が親になってもやっぱり「おかげ横丁」どまり。

しばし暗澹たる気分に。

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高村光雲

2015-10-07

とある研究者との会話。「近代彫刻の冒頭にいつも『高村光雲』が来るんだけれど、光雲は幕末彫刻の最後にもってくるべきだよね。」と。
深く同意。

何を以て「近代彫刻」とするのかについては異論もあろうが、光雲の生涯や作品をみてもあまり近代彫刻の萌芽が感じられない。
光太郎が、「東京美術学校に教鞭を執ってゐた彫刻家(父 光雲をさす)が悉く徳川末期の伝習に養われた職人で、(略)その作るところの彫刻は彫刻といふよりもむしろ細工物といふ観念に近く、(略)彫刻性の問題の如きは思考に上がることすらなかった。まして理念の如きは風馬牛の事に属し」と厳しく非難しているように、幕末の仏師に位置すべきだと思う。
教科書などで近代の彫刻として「老猿」が掲げられるが、何時みてもなんとなくしっくりこない。

笑いながら「そんなこと公言すると、たちまち”アウトロー”にされますよ」と。
久しぶりに彫刻史談義。

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コピペの達人

2015-10-08

京都国立博物館「琳派 京を彩る」(10/10~11/23)の開催が近づき、JRの車内や新聞紙上でも大々的に広報。
宗達・光悦は先人、光琳は宗達・光悦の、抱一は光琳の作品を学習し、その上で新たな創造を生み出してきた。

創始者の宗達は、中国明代の神仙仏祖などの図像集である『仙仏奇踪』をはじめ『北野天神縁起絵巻』『九相詩絵巻』など様々な過去の作品から引用、換骨奪胎している。
変わったところでは、養源院板戸「唐獅子図」の引用になったのは東大寺八角燈籠扉にみる唐獅子。絵画だけでなく彫刻や工芸からも引用。

有名な風神・雷神図も三十三間堂の風神・雷神像をもとにしたとされるが、これはあまり似ていない。なにかぴったり符合する作品があるのだろう。

「琳派」といえど、宗達もなかなかのコピペ達人である。

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神武天皇

2015-10-09

授業準備で画像を整理していると鈴木松年《日本武尊・素戔嗚尊図屏風》(6曲1双 個人蔵/静岡県立美術館寄託)のうち《日本武尊図》(右隻)にやや違和感。
奈良県立美術館(2009年)や島根県立石見美術館(2010年)での展覧会でも見たが、その時には気付かなかった。

中央(3扇)に古代ぽい衣装を身に着けた主人公(日本武尊)。左端(6扇)に鳥が飛んでおり、4・5扇に腰を曲げ鳥の行方を眺める武将の姿。2扇にも鳥を指し示す人物がいる。
腰を曲げた武将は『前賢故実』「道臣命」からの援用。道臣命といえば神武東征の先鋒。では彼方へ飛ぶ鳥は「八咫烏」ではないのか。とすれば主人公は日本武尊ではなく神武天皇で、神武東征の場面を描いたものかも知れない。

プチ発見し、(授業のネタができたと)大喜びで屏風に関する情報を集めたところ、『静岡県立美術館ニュース アマリリス』113号(2014年4月)に石上充代氏が既に指摘されている。

ちなみに右隻に記された年記は「紀元二千五百四十九年」 明治22年(1889)。この年の2月11日に大日本帝国憲法が公布され、奈良では橿原神宮創建にむけて京都御所賢所と神嘉殿の2棟が下賜。やっぱり神武天皇がらみ。
竹内久一《神武天皇像》と同様にここでも神武天皇と明治天皇のダブルイメージが見え隠れ。

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蘭奢待

2015-10-10

午後から某市で会議。

『大和名所図会』で面白い記述。
「勅封倉」(正倉院)の項で収蔵の名宝のなかに名香2種あるとし、ひとつは蘭奢待。周知のように時の権力者たちが切り取っている。もうひとつは大紅塵(紅沈香)。
ともに天下第一の名香ながら蘭奢待だけがなぜ切られたのか。

『大和名所図会』では、「この香(蘭奢待)を切りたまふとも、また本のごとくに成りて更に減ぜずとかや」とある。名香(の断片)を持つことは天下人にふさわしいとも思えるが、1寸8分を切り取った織田信長はその3分の1を所持し、残りの3分の2は「国々の大小名、外様の侍」に配分したとある。信長はあまり名香に関心はなかったと思えるが、意外にも切ってもまた生えてくると思ったのではないだろうか。

会議は夕刻まで続く。

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調査

2015-10-11・12

東北某所へ向かい、資料(近世仏師関係)調査。

まさに山越え谷越えして某資料館へと向かう。
迎えていただいたのは非常勤と思しき業務推進員の方。書類や日程調整をした学芸員は“休務日”にてお休み。

何でもいいけど、当初こちらの調査希望は先月下旬。それを「展示準備で忙しいからダメ」って言われたので調整の末、本日に至った。業務推進員に任せるなら先月下旬でもよかったんじゃないかと。ここはぐっとこらえて調査を行う。

翌日もまた2時間に1本の時刻表とにらめっこしながら、調査。予定よりも少し早く調査終了。
「展示をご覧になられますか?有料ですが・・・」と勧められた。仕方ない。入館料を払って件の展示をみる。特段気遣いが要らない村の絵図・地図が5、6点。あぁ、これで「展示準備で忙しい」理由なのか。

適当に見流して退館。急がないと大阪に帰れない。退館の挨拶がふるっておりもう涙が出そう。「資料でわからないことがありましたら何でも聞いて下さい」
たぶん、当該資料については日本で一番よく知っていると自負するのだが、某所ではそうでもないらしい・・・。
大急ぎで仙台、そして伊丹に。

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へうげもの

2015-10-14

最近、JR吊広告の佐川美術館「古田織部展」が目につく。
ま、文化果つる関西だからこのくらいしないといけないだろうが、それにしてもアニメ一色とは。

故あって図録が手元にあるが、国宝・重文はないものの、実に美事な名陶や関連資料が勢揃いし、解説もきちんとしたもの。
ポスターに惹かれて美術館へ行くと、「なんじゃ、こりゃ」と勘違いする人も現れるだろう。
それを世間では「猫に小判」という。
普通に考えてみてもやはりなにかおかしいし、度が過ぎている。「へうげもの」たるゆえか。

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完全理系

2015-10-16

科研費の時期。今年は分担者のみ。研究どころではない状況。

科研費(公的研究費)研究代表者であれ研究分担者であれ、「研究費等の適正な使用について」なるe-Learning研修を受講、終了しないといけない。
このe-Learning研修、読みようによっては文系も適用されるかな?と思うが、完全理系向け。はぁ?と思うこと、おびただしい。
ようやくのこと及第点をもらい、エントリー可能。

文科省が出した国立大の「文系廃止」については種々議論はあるものの、研修に悪戦苦闘しながらも、なんとなく「科研費、君らは関係ないからね」と言われているような気がしてならない。

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微妙

2015-10-20

放送大学の「日本美術史」7月試験問題。

「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった」と冒頭部分が大学側で削除。

新聞記事だけでざっと見ただけだが、続く肝心の設問がよくわからなかった。
作問で「ところで法隆寺金堂釈迦如来坐像は・・・」と繋ぐと、やはりマズイ。削除もありかと。
しかし、「1937年に開かれた第1回新文展に朝井閑右衛門の『通州の救援』が入選し・・・」と続けるならば、削除された冒頭部分は必要。しかしこれでは作問者(佐藤康宏先生)の意図とは大きくずれる。

ようやくネットで続く作問をみたが、「村山知義とともにマヴォの主要なナンバーであった、柳瀬正夢は後にプロレタリア美術運動の中心的な活動家・・・」と続いていた。内容と一致しない画家名を選べという問題。
「戦前・戦中期の美術史について、学生に自分たちの身近な問題に引きつけて考えてもらう」とのことだが、なんか要・不要の微妙なところである。

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無謀にも

2015-10-24

今日からミュージアム講座開催。110名ほどの参加者を得てまずまず。

講演が終り、一緒に食事をとり雑談していると、新聞記者氏が来館。過日の新聞記事への追加取材。

一般の方に近世彫刻の細かな話をすることほど、しんどいものはない。
七条仏師なら運慶などと絡められるのだが、「了慶」といってもはぁ?である。あれこれ資料を持ち出して説明するものの、反応はいまひとつ。「『了慶』の代表作は?」と聞かれても考えあぐねてしまう。
資料を見ながら「運慶と繋がっているのですね」と聞かれてもそうとも違うとも言えない(系図の上からはそう辿れるのだが、実はそう見てほしいと作為されたもの)。
要領を得ぬまま帰られる記者氏。
帰る姿を見ながら、無謀にも近世彫刻史の本を出そうかと思ったり。

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高槻

2015-10-27

諸般もろもろの事情があり、秋から週1回 高槻に出講している。

JR高槻駅からバスに揺られて30分ほどで”高槻キャンパス”。
山並みが徐々に色づき始めそろそろ紅葉の季節を実感。講義が終了するのは6時前なので、下界の夜景が一望。

難点を言えば、総合情報学部のみだからちょっと蔵書が偏っているぐらい。
授業を終え、夕闇のなかバスは下界へと向かう。

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キノコ

2015-10-30

キャンパスはプレ学園祭一色。この時期、東日本の博物館(総合・自然系)でのイベントはキノコ一色。

大阪やその周辺では、あまり考えられないイベントだが、東北や上信越地方では、山から採ってきたキノコを、博物館で毒キノコかどうか、食用可能かどうかを「鑑定」してもらう。しかも結構な頻度で開催。
野生きのこは種類が多く鑑定が難しいにも関わらず、「これは大丈夫」と安易に判断をして、毒キノコによる中毒が後を絶たないそうである。
一度、どこかの博物館でイベントをみたら結構な割合で食用不可になっていた。素人目にも難しそう・・・。生半可なことしていたら人命に関わる問題。

なぜか今晩はキノコ飯とのこと。大丈夫 でしょうね。

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