日々雑記


俗人寿像

2014-11-01

学園祭ながら、岡山県立博物館講演会の準備。
相変わらず、間際にならないと始動しないダメなヤツ・・・。

僧侶と俗人、遺像と寿像、こうした軸を設けて話をしようと思ったのだが、俗人の寿像彫刻の最初期の作例がどこにも示されていない。
僧侶の寿像彫刻は、建治元年(1275)の広島・安国寺法燈国師坐像(69歳)や奈良・西大寺叡尊坐像(弘安3年(1280)・80歳)など13世紀後半からみえるのだが、俗人となると・・・?

ふと、気づいたこと。
天正19年2月29日付鈴木新兵衛書状(『伊達家文書之二』)に
「然処ニ右之宗易、其身之形を木像ニ作立、紫野大徳寺ニ被納候ヲ、 殿下様より被召上、聚楽之大門もどり橋と申候所ニ、張付ニかけさせられ候、木像之八付、誠々前代未聞之由、於京中申事に候、見物之貴賤無際限候」とある。
大徳寺山門から引きずり出し一条戻橋に磔にされた利休の木像は、寿像であった。
これをさかのぼる作例があるのかどうか。

基本中の基本がわかっていないのが悔しい限り。

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脱力系のたらし込み

2014-11-02

朝から岡山へ。講演前に岡山県立美術館「光琳を慕う 中村芳中」展を見学。

脱力系の「たらし込み」作品で心がなごむ。うちの大学図書館からもいくつか出品。

展示冒頭の光琳筆《四季草花図》額装はもと巻子との由。画面をよくみると紙継ぎがない。
どういうことだろうかと考えているうちに、出品目録にサイズが36.0×131.0cmとあり、気付いたことがある。
掛軸装(「尺五」)の料紙をそのまま巻子に転用したのかもと。
蒔絵の技法を応用した《燕子花図屏風〕、金箔偽装論争(今はどういう見解だろうか)をよんだ《紅白梅図屏風》を知っているだけに、光琳なら考え付かないこともないと納得。

大坂画壇からは、硬い作品ばかりが登場。せっかく芳中の“地デジカ”も展示されているので、耳鳥斎の“地デジカ”など“脱力系作品”もあってしかるべきなのだが・・・。
色々とみているうちに時間となり、岡山県立博物館へと急ぐ。

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大津&福井

2014-10-03

早朝から大津市歴史博物館「三井寺 仏像の美」へ。
三井寺と大津町の仏教美術を紹介。新出資料も多く、千手観音立像や護法善神立像など既指定品が霞むほど。
乾漆造の宝冠釈迦如来坐像は表面の盛上げ紋とともに中国の影響が大きいと推測。土紋の都風アレンジというところか。園城寺(近松寺)金剛力士立像(二十八部衆像のうち)は安永7年(1778)の康伝・康音か、寛政11年(1799)清水善蔵かの制作判断は正直、難しいところ。
ミニ展示でのメタボな《新羅明神像》。キャプションに「何があったんだ」とあったが、確かに・・・。

大津の後は、福井県立歴史博物館「白山曼荼羅 描かれた神々と観音信仰」へ。
なかなか難しいテーマ。

こちらが期待した如来形・菩薩形混淆の“不思議ちゃん”も1体展示。
左のような仏像(未出品)が、「越前の神社で祀られる観音像に多く見られる」と図録に書かれても、こちらが戸惑う。福井では“不思議ちゃん”もよくあるらしい。

国神神社《白山参詣曼荼羅》や八坂神社《十一面女神像》をじっくり。
展示の導入部に《白山参詣曼荼羅》を持ってきたほうがわかりやすかったかも知れない。
ぽっこりお腹の二天像(平安時代)。邪鬼ともども同作だが、邪鬼には延宝7年の造像墨書銘と天保4年の修理銘。足にかかる重心が平安時代にしてはぎこちなく、延宝7年制作でいいのじゃないかと思う。

はからずも17世紀の仏像を考えた一日。

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院向

2014-11-04

今日まで学園祭。

黒田日出男『源頼朝の真像』に次いで『国宝神護寺三像とは何か』を読了。共にひと昔前の美術史メッタ切りの感。

後者のなかに黒板勝美『特別保護建造物幷国宝目録』(文会堂書店)に掲載された神護寺所蔵旧国宝の一覧が引用(20頁)。そのなかに神護寺薬師如来像の記載がある。

    (彫35、4)木造薬師如来両脇士立像三躯(伝中尊空海脇士院向作)

源頼朝像が足利直義像で、康永4年(1344)4月23日付足利直義願文から足利家と神護寺と深い因縁があるならば、ここに記された「院向」は院派仏師の「院広」ではないのかと。

気になって院派仏師関係年表(横浜市歴博)をみると、当該の記載はない。院派仏師は足利氏とも関係の深い仏師で、まったく理由がないわけではない。が、件の脇侍像は中尊よりやや遅れる9世紀前半の作とみるのが普通。ただ右脇侍(月光菩薩)像は上半身は鎌倉時代の補作とされる。では、旧国宝指定ではなぜ脇侍を「院向作」と断定したのだろうか。どこかに記録があるのだろうか。

「だから美術史は・・・」などと黒田氏に咎められないように熟考するもよくわからない。
実は業界では常識中の常識、自ら無知であったことを思い知るに至ることも多く、メモ代わりにここに記す。

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潜伏キリシタン

2014-11-06

過日、拙ブログ をよんだ同僚が「センセ、こんな本がありますけど」と差し出されたのが、大橋幸泰『潜伏キリシタン』(講談社選書メチエ)。
早速帰途、書店で買い求めて読む。

現時点での歴史家による潜伏キリシタンの実態が大いに理解。「オラショ教」どころではない深い信仰の世界が垣間見えた思い。
「実は業界では常識中の常識、自ら無知であったことを思い知るに至ること」の最たる事例。

それにしても、迫害・弾圧、潜伏、そして解禁などのイメージで固まってしまった長崎や天草の資料館や博物館は、これからどう展示内容を変更するのか(しないのか)が気になるところ。

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生玉宮寺

2014-11-07

大阪市で有名な生國魂神社。明治の廃仏毀釈まで神宮寺である「生玉宮寺」があった。
失われたと思われた生玉宮寺の仏画群が、青蓮寺に残っており、あべのハルカス24Fで展覧会(~11月12日)。

貴重な機会と思いながらも、不思議なのは、あべのハルカス24F。そこは大阪芸術大学スカイキャンパス。
制作系ばかりだと思っていたが、なにゆえ仏画なのか。

ともかく駆けつけるしかない。手帳の隙間を探すありさま。幸いなのはアベノという立地、午前11時~午後7時という開館時間。

今年は仏像展が各地で同時多発的に開かれ、既に行くことのできない展覧会もある(例えば一宮市博「妙興寺展」など)なかで、ひとつ光明をみつける。

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四国へんろ展 徳島編

2014-11-08

徳島県立博物館「四国へんろ展 徳島編」へ。

井戸寺日光・月光菩薩立像や高野山北室院伝来の東林院弥勒菩薩像など興味深い資料が展示されるが、近世・近代の遍路資料は充実。「 四國偏(ぎょうにんべん)路」が「遍路」となるプロセスも何となく理解。

同じ博物館内にある徳島県立鳥居龍蔵記念博物館も見学。
アジア各地の資料がならぶなか、内モンゴル(契丹)慶陵の《四季山水図》壁画(レプリカ)に驚く。1917年には鳥居は本山彦一らと奈良・大阪・和歌山などを調査した由。
鳥居の座右銘「自助而自力」に感動。

その後、坂出へ向かうもカーナビがバグってしまい徳島市内を右往左往。

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讃岐の造仏聖

2014-11-09

朝から雨。山頂に建つ瀬戸内歴史民俗博物館もこんな感じ。
「巡る人々、巡る信仰-讃岐を訪れた木食、全国を巡った六十六部-」展を見学。

木食行道をはじめ、木食仏海、木食観正、などの行者系彫像が展示。岩手・青森で宝永~元文年間にかけて造像活動を行った奇峰学秀と近似した作風を持つ資料が展示されていたのには驚き。専門仏師による彫刻史のほかに別の流れがあることを実感。おそらく全国にも数多くの“民間仏”(弘前大の須藤先生曰く)が残るのだと思う。
常に「木食戒」と「造仏」とが結び付けられるのだが、その典拠がどこにあるのだろうか。

その後、香川県ミュージアム「四国へんろ展 香川編」。
善通寺の金剛力士像が迎えるなか、香川編。仏教美術の展示に慣れているだけあって安心して作品を鑑賞。松尾寺弘法大師像などこちらも香川県下での長年の調査成果をお披露目。

佐々木内匠の愛染明王像(白峯寺)や大威徳明王像(根香寺)もじっくり拝見。巧い作品である。スペシャルメニューとして善通寺薬師如来像の胎内文書。桂昌院、丸亀藩主・京極高或らの名がみえる。もちろん北川運長も。
満足しながら帰阪の途につく。

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熱っぽく

2014-11-10

雨のなか強行軍を重ねたのがたたり、風邪。しかし授業。
たまたま円空・木喰の講義だったので、昨日の瀬戸内歴史民俗資料館リーフレットをコピーして、名実ともに“熱っぽく”語る。
風邪ではなく、こうしたことが面白いと伝染してくれるとよいのだが・・・。

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生玉宮寺の仏画

2014-11-12

午前中、あべのハルカス24階で「生玉宮寺の秘宝―まぼろしの密教画大コレクション初公開―」展を見学。

主催は大阪密教美術保存会。
室町時代(14世紀前半)の如意輪観音像や15世紀の地蔵菩薩像や般若菩薩・十六善神像などを含む70点近くの仏画が展示。
近世では和田呉山や望月松溪のほか長谷川等淑の《両界曼荼羅》、慈雲飲光の一行書も。《津田氏道成寺之能舞の図》は原在正の作。慈雲飲光はとりわけ原派と関係が深い。
カラー図版入の丁寧な(本格的な)調査報告書(1000円)が頒布されているのだが執筆者は記されておらず、連絡先は大阪市教育委員会文化財保護担当となっている。

午後には会議。風邪ひどくなり続く会議は欠席。

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上京

2014-11-14

午後の会議を終えて東京へ向かう。

鞄のなかには、考古学の本数冊とメモノート。考古学担当の先生が別件の学務で出席できずに代役を務めることとなった。元職の先輩、同級生(考古学)に次いで講演を行う。やや気が重い。

旧友と再会、一献。週末の東京の飲み屋はどこもいっぱい。ホテルにもどって明日の準備。

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東山御物

2014-11-15

朝より関西大学東京センターで大阪都市遺産研究センターの打合せ。

11時過ぎには打ち合わせが済んだので、三井記念美術館「東山御物の美―足利将軍家の至宝―を見学。
唐物のオンパレード。絵画の多くに鑑蔵印の「道有」「天山」「雑華室印」が押されていることからも東山御物の基本が、東山殿(足利義政)ではなく足利義満、足利義教であることに大いに関心をよせる。

足利義教といえば、籤引きで将軍となった人物。青蓮院門跡義圓 改め「万人恐怖」政治を行った神に選ばれし最高権力者。
献上の梅の枝一本折ったとして、2人切腹、3人逐電、3人籠舎(『看聞日記』永享5年10月20日条)という風に。
そうした義教がどのような美意識をもって作品を見ていたのかたいへん興味深い。義政が高野山金剛三昧院へ寄進した高麗仏画《水月観音図》も展示される。

午後、東京センターに戻り講座。
堺市文化財課職員にとって必修科目の百舌鳥古墳群と中世堺。今回は古市古墳群とで世界遺産を目指すので、百舌鳥・古市古墳群について話す。及第点がもらえたかどうかやや不安。

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鳥獣戯画と高山寺展

2014-11-16

午後より1回生・2回生合同の見学会。京都国立博物館「京へのいざない」&「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展。

まずは「京へのいざない」展。細見美術館《吉野花見図屏風》、狩野永徳花鳥図襖(聚光院方丈障壁画)、等伯《枯木猿猴図》などを見る。授業を受けた学生もいて、「これこれ、牧谿のタワシ猿」などと。

一時休憩の後、4時半過ぎから「国宝 鳥獣戯画と高山寺」展へ並ぶ。6時過ぎに入館。(写真は17:45頃)
華厳海会諸聖衆曼荼羅図や夢記、白光神立像、善妙立像など注目すべき作品も多数展示。義湘絵、元暁絵も修復され錯簡も補正されている。
「ボクが学生の頃、これを扱った授業があって、先生が『来週はノリとハサミを持って来なさい』と言われ、絵巻のコピーを切り貼りした後、ようやく講義が始まったんやで」と思わず昔語り。

ようやく中央室の鳥獣人物戯画。甲巻の前では立ち止まるなとの由。わずか1分たらずで甲巻を後にする。
その後、乙巻、丙巻、丁巻をみて、7時30分ごろに見学会終了。
17時30分まで並べば絶対入れますと連呼していたので、おそらく8時頃の閉館予定。

何かと話題を多い鳥獣人物戯画ながら、疲れた見学会。

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ゲリラ的

2014-11-19

博物館実習展も済み、只今、授業・会議の合間をぬっての展示作業中。

当初は大阪都市遺産研究センター・泊園記念会・博物館の三者合同の展示会だったのが、展示品のボリュームから前二者の展示となる。博物館新収蔵品展は別個開催の予定。

どちらも平モノがほとんどで立体はごくわずか。行燈ケースをどうするかが課題。「雀百まで踊り忘れず」。

うちの大学博物館の展示はゲリラ的。
平常展示だけなのか、企画展が開かれているのか、外部からはさっぱりわからない。年間スケジュールができればよいのだが、これがなかなか・・・。
最近、常設展示室と企画展示室が入れ替えとなったので、空間の把握がいまひとつ。

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必ず似ぬ様に描くべき

2014-11-21

谷文晁『文晁画談』に次の話がある。
昔日、谷文晁が阿波候の「影像(肖像)」を描いた時に同行していた住吉広行が「悉く似せて描いてはいけない。似ればすぐさま命を損なう(落とす)ことになる。およそ寿像は必ず似ないように描くべきである。」と言った。そのことは文晁自身もかつて狩野某氏の伝えにも聞いたことがあるという。
理想化ということもあろうが、仏師弘教の前に束帯姿で現れ、「御側ニ而とくと奉写候、御面相御座相共ニ御生身ニ寸分茂違無之候」となった池田綱政公の場合はどう理解すればよいのだろうかといぶかる。

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鞍馬

2014-11-22

今秋も鞍馬・貴船に紅葉を見に行く。今年は子供たちも参加。

鞍馬寺宝物館まで紅葉を楽しみつつ、わいわいやっていたが、宝物館から先に進むと、「今日は何の修行や?」と言いつつ次第に無口となる。

650万年前に金星から地球に降り立ったという魔王尊を祀る奥の院魔王殿まで来ると、「なんや それっ!アニメの世界やん」と容赦ない突っ込みも。

貴船神社に詣で、「みたらし団子」などで誘いつつ叡山電車「貴船口」まで歩き、紅葉のライトアップと紅葉のトンネルを楽しんで帰宅。
帰りの車中は皆、爆睡。

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当たり前なのだが

2014-11-23

昨夜の夜風がわざわいしたのか小康状態の風邪がぶり返し、大人しく自宅で静養。

昨日は京都南インター(大混雑)から出たのだが、2台前の車がETCで引っかかり、係員が対処した後、しばらくバーが上がりっぱなしの状態。表示は「STOP 停車してください」と。
停車していると後続の車〔名古屋ナンバー〕が行けとばかりにクラクションを鳴らす。やむなくそのまま“突破”。

そのままでは、これからETCが使えないので、NEXCO西日本へ連絡。
フルナンバー、車種、吹田―京都南インター間、京都南流出時刻、ETCカード番号と事情を説明。しばらくすると、徴収記録があり料金が清算されているとの回答。
もちろんETCもそのまま使用可。

安堵するも、こちらの動きが分単位まで記録されていると思うと、なんだか不気味。

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九州仏

2014-11-24

朝から福岡へ。
九州歴史資料館「福岡の神仏の世界-九州北部に華開いた信仰と造形-」展へ。
個人蔵《男神立像》や《彦山三所権現御正体》などをじっくり。谷川寺《薬師如来像》、浮嶽神社《如来形像》など「九州仏」の前哨戦のようで、興味深い。
宋代の球取り獅子や薩摩塔、高麗仏など対外交流の最前線ならでは仏像も展示。
径山萬寿寺に参じた神子栄尊や天目山幻住庵で修行した無隠元晦の頂相彫刻をみながら石材も交流の証と実感する。
その後福岡市博物館「九州仏-1300年の祈りとかたち-」展へ。
まずは観世音寺《塑像心木》。これに張り付いていたであろう塑像片は九州歴史資料館にて出品見学済。

天福寺奥院仏像群、長谷寺十一面観音像、小田観音堂千手観音像などを見て、東木浦釈迦堂と圓覚寺阿弥陀如来坐像を見比べていると、目の前にIさん、「お、おひさしぶりです」と。その後Tさん、Iさんも現れ久闊を叙すことに。
会場半ばまで来ると、担当のSさんが現れ、「連絡してくれないって、水臭いじゃないですか」と。おもわず「すみません」。

「九州仏」の名に恥じないこれまでの調査研究成果の集大成。九州というエリアで仏像の物差しが完結できる羨ましい状況。対外的にも国内的(太宰府を中心)にも先進性に富んだ、本来なら複雑な状況なのだが、クリアに九州仏の独自性を示した好個の展覧会。
本当は各地域やエリアでもこうしたことが出来ればよいのだが。

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ノックダウン

2014-11-26

起床時より頭痛、腹痛激しく声も出ないほどの痛みが襲う。
会議どころか大学へも行けそうにない状況。家人に会議の関係部署に連絡してもらい、終日寝込む。

風邪ながらむちゃぶりが続いたのだろう。
午後、夕刻に別件の打ち合わせがあって、そこにもキャンセルの連絡。

原因はと考えると、アルコールと風邪薬を同時に飲んだことかも知れない。深夜ようやく頭痛は落ち着くも今度は熱が続く・・・。

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2014-11-28

ようやく復帰。昨日は全面休講。
「歳なんだから、若い人のようにもう無茶はできません」と各所より。

展示作業続行。展示品に帯がひとつ。
衣桁があれば呉服屋さんのように懸けるのだが、展示ケースは行燈ケース。衣桁風に造作していると女性職員氏から「帯ですから帯らしく・・・」と助言。
確かに展示する帯には、お太鼓の部分と胴帯の部分の模様の方向が違う・・・。
急遽、You-Tubeで「帯の結び方(お太鼓結び)」を見る。
なるほど。しかしながらどうやって展示を・・・。

着物で悩んだのは、鞍馬寺へ与謝野晶子着用の着物を借りに行き、出された たとう紙に包まれた着物を前に(点検後、どうやって畳むのか)呆然となって以来。
考えあぐねて本日は終了。

旅館の浴衣ぐらいしか着なくなったわが身にとって、着物はやはり鬼門である。

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衆議院選挙

2014-11-29

午後ようやく展示終了。なんとかオープンに間に合った。
気が付けば、師走慌ただしいなか衆議院選挙。

とある本から面白い記録を見つけた。
1890年(明治23年)7月1日に行われた第1回衆議院選挙。有権者は直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性のみ。議員定員(改選数)300人。これは有権者数ではなく人口12万人に1人という基準である。投票は記名投票(氏名・住所の記載、印鑑による押印)。
そこで起きたのは佐賀1区 松田正久4548票で当選、滋賀3区2700票で落選、島根6区 吉岡倭文麿23票で当選という結果。
彼等からすれば、「一票の格差」どころではなかった。

今回の投票日は12月14日。早くも地元の求人誌には「ド短期バイト」として投票所のアルバイト募集が掲載。

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熊野

2014-11-30

和歌山県立博物館「世界遺産登録10周年記念特別展「熊野―聖地への旅―」へ。

三山の《本社末社図》を眺めながらの国宝4躯が揃いぶみ。県博蔵《熊野権現縁起絵巻》(寛永14年・1637))は山伏(万行法印)が登場するところが興味深い。山伏と熊野。また熊野速玉大社古神宝類も現地ではなかなかもったいない展示方法だが、ここでは壮観。じっくり。
個人的には先達(山伏)と檀那に関係する譲状や願文。薩摩国や陸奥国など全国に展開していたことが理解。
歓喜寺薬師如来坐像や僧形倚像、正平11年(1356)銘の熊野権現本地仏坐像、康俊作海雲寺釈迦三尊像(貞和3年(1347)など、いつものことながら仏像・神像も充実。残念ながら長保寺《細字法華経》はガラス面近くまで寄せて展示されていたが、老眼のため見えず。。。
珍しい資料としては近露王子神社宮殿。よく残ったものと感心。

11月〆(の展覧会見学)として大満足の展覧会。

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