日々雑記


バカ殿のふり?

2014-06-01

このところ真夏日。

一部(の書物)では、「バカ殿」と噂された某大名(藩主)。
「生まれつきの馬鹿」「無学で分別がない」「特に色を好むことには限度はなく、手当たり次第に女に手を出して、出来た子供が70人以上」とボロカス・・・。

わけあって、側近(秘書官)と思われる日記を読んでいると、そんなことは全くない。
事情あって「バカ殿」の肖像彫刻を作ることになった(もちろん寿像)。
日記より某日。
晴時々曇。関係者と仏師ともども能を拝見。もちろん仏師はちらちらと殿様の姿を見たであろう。仏師の目的は能の観賞ではなく殿様の姿を目に焼き付けることにあった。
しばらくたった某日。
晴。朝食の後、衣冠束帯姿で仏師の前に現れ、まるでモデルのように坐している。この時、仏師は手控え(スケッチ)でもしたのだ ろうか。
かくして肖像彫刻が出来上り、仏師以下、飾師などにも御礼を下賜。

まったく普通じゃないか。
日記を読むうちに名君であることが明らかに。


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魚膠

2014-06-04

近畿地方も梅雨入り。

近世に書かれた仏教書を見ていると時折、「仏工画師ニモ潔斎セシメ皮膠ヲ用ヒズ如法ニ作ラシメテ」の記述を見る。
当該の仏像・仏画を見ると、潔斎はともかく「皮膠ヲ用ヒズ」の個所が疑問に思ったりする。どうみても釘・鎹は使っていない様子。

大昔、某所で発表した際に「『皮膠ヲ用ヒズ』ってどうやって接合したのですか?」との質問が出た。正直に、わからない、と答えたが、発表後にTさん(中国絵画)が来られて、「中国の絵画では魚から膠をとるのですが・・・。」とご教示いただいた。

「魚膠」にしろ“殺生”を前提にして作られるので「皮膠」と大差ないとは思うのだが、この解答は未だ見いだせていない。
そもそも「魚膠」って木材の接合に使われるのだろうか。
どっかに解答が書かれているような気もするが。

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昇格記念日

2014-06-05

本日は「昇格記念日」。
確か昨年までは休日だったのだが、今年はごく普通に授業。

以前にも記したが、もちろん、ハッピーマンデーの余波である。
月曜日が休日→月曜日の授業を別の曜日に振り替え→別の曜日の授業をさらに振り替え→平日を1日でも多く確保→昇格記念日は授業
となったわけである。

また山の日という祝日(8月11日)が増えた。夏休み中なのが幸い。

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素庵と宗達

2014-06-06

関大博物館が初の夏季企画展。「角倉素庵と俵屋宗達」展。
6月15日~7月19日(6月15日は開館、他の日曜日は休館)
非常勤講師に来られている林進先生のコーディネート。

嵯峨本《源氏物語》、同《観世流謡本》、宗達《伊勢物語図色紙(かざり粽)》(旧益田家本)、宗達下絵・素案書《和歌色紙》等々。なにより寛永7年に後水尾上皇の依頼を受けて描かれた宗達《楊梅図屏風》も出品。

驚くべき内容。関大にしてはもったいない(あり得ない)作品ばかりで、今から楽しみである。

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お前が言うな

2014-06-08

梅雨の中休み、日差しがきつい。

朝から大学にて「学校インターンシップ」の面接。

授業補助や土曜日学習の補助、文化祭のお手伝いなどなど幼稚園から高校へ学生を送り出す。今年は180名弱の学生が参加。その4割が文学部なので面接要員に。

ほとんど問題のない学生だが、面接で最終確認。
動機は様々。
学校に行って学習等を通じて子供と触れ合いたい、というのはたいていは1回生。これが2回生になると、今、教員を目指しているが、このままでいいのか、就職(一般企業・公務員)に転じるべきか、それを見極めるために学校インターンシップを経験、というほうが多くなる。

面談の最後に諸注意。
「いいですか。経験したことは貴重ですが秘守義務がありますので、FacebookやTwitterなどに乗せないように。」

お前が言うな。

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落書

2014-06-11

会議ディ。

日記というものは、本来他人が読むことを想定していない。したがって落書も数多くある。
『北野社家日記』第7「社家引付等」をみていると、花押の上に左のような落書(234頁)。
カマキリとカエルの相撲(?)。

これを翻刻公刊した際に色々と議論があったものと想像される。「ぜったい落書きだよ」「花押の上に描かれているので、きっと何かの意味があるに違いない」などなど。
発行所は続群書類従完成会。
かくして文亀2年(1502)12月の落書が今日まで記録される。

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文化遺産オンライン

2014-06-12

公案で有名な「南泉斬猫」がある。 「子猫に仏性があるか否か」と問うて子猫が斬られるものである。長谷川等伯や海北友松などが画題としている。

徳島県牟岐町普周寺には、南泉が子猫を捕まえ小刀を振りかざす南泉斬猫像がある(牟岐町指定文化財)。
これを見つけたのは、「文化遺産オンライン」
ちなみに「江戸」「木像」で検索すると、北海道の日蓮聖人坐像から和歌山の五劫思惟阿弥陀如来坐像まで57件。もちろん円空や能面も多いが、この結果には驚き。なかには製作者名があるものも。

世の中、少しづつながら変わってきたことを実感。

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実力問題

2014-06-14

とある仏像(銘記なし)。
古記録には18世紀半ば、棟札には19世紀半ば、それぞれ元号が記される。ともに「造立」と。

京都で造られたことはわかるものの、この100年の作風の違いが正直、わからない。
どことなく後者の雰囲気が漂うものの、決定打に欠く。仏像を見ても、後補の部分はなくほぼ完全な姿を保っている。
仕方なく、京都出来の仏像を並べて見比べているうちに授業。

本当によくわからない・・・。情けない・・・。恥ずかしい・・。

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根性試し

2014-06-15

朝から1・3回生の見学。あべのハルカス美術館「ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション」展。

作品(資料)を見ることが好きでないと美術史はやっていけない。日本美術よりも西洋美術が好きなのはわかるが、なにより見ることが大事。
そこで日曜日朝、ハルカス美術館、学生1100円(学生証持参のこと)とアナウンス。 きっと誰も来ないだろうとタカをくくって行ってみると、3名参加。
ちょうど手持ちの招待券が4枚あったので、全員交通費だけで済んだ。
早起きは3文の得・・・。
こちらも解説を見ながらの作品鑑賞。
色々作品が展示されるなか、一般に“うける”のはアトリビュートの話。王冠、殉教のシュロ、鋸歯のある車輪、斬首の剣で「聖カタリナ」、子羊を持っているので「聖アグネス」などと。

個人的な関心はカナレットの「カプリッチョ」。様々な時代の廃墟と古代建築を組み合わせた空想画(?)。こういう発想がどこから来たのか気になるばかり。
気になるといえば、《フランチェスコ会派聖人たちが描かれた宗教行列用十字架》の展示方法。独立ケース中央にアクリルの棒を突き立て(1枚ゴムを敷いているように見えた)その上に直接、直立している。十字架の中央やや下をテグスで四方から引っ張る。それで自立するのか・・・とガラスケースを凝視する有様。
最後はアントニオ・フォンタネージ《風景》で〆。
お昼過ぎに解散。

その後、堺市博物館「法道寺」展へ向かう。

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お膳立て

2014-06-16

講義や発表ばかりではあまり学生の関心度は高くないと思い、図書館で絵巻物を熟覧しようと企画。
強制力を持たせないと、美術史の学生ですら作品を見ない・・・という厳しい現実。

昔の関大生と現在の関大生と比較したなにかのアンケートに、「現在の関大生の81%が、『ほとんど出席している』と回答しているにもかかわらず、30年前の関大生はわずか10%のみ。45%の学生は半分以下の授業しか出席していなかったようです。」とあったが、ただ出席しているだけではまったく意味がないのだが・・・と思ったりするこの頃。当時はあまり授業には出ていなかったが、誰もが何かに一生懸命打ち込んでいたように思う。

熟覧する絵巻は耳鳥斎《別世界巻》。貴重図書閲覧願や研修室の手配などなど。もちろん春に博物館の展示で学生に好評だった作品。
こうして万事お膳立てをして学生に供するという現実。
学生の頃、某美術館へ行って国宝を熟覧したいと直に申し出た強者もいたが、いまや昔がたり。

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神話画

2014-06-17

ギリシア神話は西洋絵画の主題だけではなく、様々な絵画・視覚的芸術の主題ともなる。

翻って日本神話(の絵画)。広く歴史画の中に含まれるが、次第に(というか早くも)絵画の主流から脱落していく。しかも明治後期。
これから"アジアの1等国"になっていく時期、当時の状況としてはむしろ神話(画)は重要な要素となるのに・・・。
我彼の違いはどこから来るのだろうかと思う。

夕刻、ゼミ生らと梅田でコンパ。

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調査

2014-06-18~19

某所へ調査。調査に出かけるのは久しぶり。
共に長谷寺式十一面観音像。ひとつは指定品、もうひとつは未指定品。後者は大型像なのでひと苦労。

素地像、玉眼で、室町時代と推測。
室町かぁ、とやや落胆の声も上がりそう。

なにも博物館に展示できるものだけが文化財ではない。平安時代、でも状態がよくない、作風ももうひとつという作品は文化財から漏れ落ち、価値がないと判断される。逆に破損が少ない、作風もよい、でも江戸時代というのもあまり文化財としてはみなしてくれない風潮がある。困ったものだ。
中世以降の作品は徹底的に調査をして銘文等が出てくれば、また対応も違ってくるだろう。中世は作風プラスアルファが必要なようである。事実、そんな遠くまで展示作品を借りに行かずとも近くにあるじゃないかとアドヴァイスしたところ、いくつかの在銘作品が出てきて、特別陳列となったこともある。
今日は準備の関係で外見の調査にとどまったが、きっと在銘作品だと思ったり。

翌日は某寺収蔵庫でじっくりと仏像を拝見。殆どが指定品、かつて見たことのある仏像が並んでいる。あれこれ色々と考えるところあり。
もう今さら考えても、論をなすには時間的にやや無理っぽいと思いつつある。それでも見たいと思うのは、やはり仏像が好きなのだろう。

午後から出雲市立出雲文化伝承館へ。
日御碕神社宮司小野家旧蔵の神像群26体を拝見。時代は平安時代から江戸時代までバラエティに富むが、平安時代の神像も数多く含まれている。なぜが男神像が多い。
葦津慧隆(いしんえりゆう)、圓桂祖純の師である白隠の作品も展示される。葦津慧隆は永徳寺、圓桂祖純は松江・天倫寺の住持。
こうした作品は地味ながら非常に貴重。丁寧な調査成果に基づいた展示なのだろう。
あと平田の神宮寺の西国三十三観音の板絵も。
別室では大黒天像(18世紀頃か)も展示。千家家・北島家が描いた大黒天像や各種の版木が並ぶ。御師が作成した版木には「神官 法橋源大夫」とも。法橋?

時間の都合で歴博には立ち寄れず。残念。

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國立故宮博物院展

2014-06-26

冷や汗ものながら、無事、東京国立博物館で「台北 國立故宮博物院展」が開催中。印刷やアド関係の人はそうりゃもう、寝ずに必死の突貫作業。それにひきかえ元凶の一部マスコミは相変わらず・・・。

「國立故宮博物院展」はともかく、東博がかける意気込みはすごい。東洋館では故宮展にあわせたラインナップ、なかでも5室「日本人が愛した官窯青磁」、8室では「日本にやってきた中国画家たち―来舶清人とその交流―」の内容は充実の極み。
故宮展を先に見ないと、東洋館を先にみてしまうと、田舎のおっさんが地方の博物館・美術館で語るように「こんなモノやったら、うち(東博)にもある」と暴言を吐いてしまいそうな・・・。

まずは東博に行ったらまずは故宮展へ直行すべし。

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製作期間

2014-06-28

泉佐野公民館での講座(2回目)。

前回の内容で終了後に質問あり。善慶は建長元年(1249)3月15日から4月3日まで清凉寺で模刻像の彫刻を行い、4月5日に西大寺へ運び入れ、その後に厨子、截金等を行ったと述べた。167cmもある像を18日間で彫刻したというのあまりに短期間ではないかと。

奈良・円成寺大日如来像は運慶ひとりで約11か月、小薬正一旧蔵不動明王坐像(像高45.4㎝)は応安7年(1374)9月中旬に御衣木加持を行って11月28日に彫刻を終了、仏師は二人。西大寺釈迦如来像は9人で18日間。東大寺金剛力士像は建仁3年7月24日に御衣木加持を行い、11月30日には総供養。大仏師4人と小仏師25人、番匠20人(阿吽を合算)。
してみると、運慶の大日如来像はともかく単純に何人で仏像を製作するのかによって製作期間がずいぶん異なる。
質問された人は仏像製作が長い期間をかけて・・・と思われたようだが、現実はそうではない。 明治初期には京都観光のついでに仏像を発注し、京都から帰る際に持って帰ることができるというスピード。

なんだか、小学校の修学旅行での「赤福」を思い出した・・・。
終了後、同窓会で梅田へ。

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スマホ

2014-06-30

JR・大阪地下鉄堺筋線・阪急を乗り継いで通勤しているが、地下鉄・阪急では行きは先頭車両、帰りは最後部車両は「携帯電話電源オフ車両」である。しょっちゅう学生が最後部車両でスマホをいじって車掌にとがめられている。
ところが7月15日から混雑時優先座席周辺のみ携帯電話電源オフとなる。
ペースメーカーの改良などにより誤動作の可能性が低くなったことを受けての対処。

スマホや携帯端末があっても実用に使っている人はかなり少なく、老いも若きもひとりでいるときは殆どゲーム機と化した感がある。
夜はタブレットで麻雀(ゲーム)に興じるサラリーマンの姿もかなり見受けられ、唖然とするばかり(画面が大きいので何をしているのか一目瞭然)。

鞄の底に沈んでいる携帯がいつの間にか電地切れになっている者からすれば、理解しがたい光景である。

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