日々雑記


また阪和線か

2014-04-01

各先生方の原稿も集まり、カタログ編集もピーク。
何のカタログかといえば、 こちら のカタログ。もう入稿が10日ほど遅れている。本来ならば初稿が終わって再校に移っているはず。あちゃ~。
満開になった桜のもと、保護者と新入生が記念撮影している(今日は入学式)雑踏をかき分け、仮レイアウトの束を抱えて学内を走る・・・。

夕刻、ようやく目処がたち、提出、帰宅の途に。途中、別件で連絡が入ったが、「一任」。
素人が設計図面を読めて、玄人に読めないはずはない・・・。

帰宅するも”また阪和線か!”(延着)。
大慌てで荷物をまとめて、再び阪和線。安堵する間もなく弁天町駅で人身事故発生のため、電車は天王寺駅手前で立往生。
ようやくのこと電車は天王寺に到着、慌ただしくコンビニで缶ビールと弁当を買って、あべの橋(天王寺)発山形行きの夜行バスに飛び込む。滑り込みセーフ。

最寄駅まで車で送ってもらった家人に御礼のメールをすると、末娘から「さすがは親父、物語作ってくれるわ」と。好き好んで“ドタバタ劇”を演じているわけではない。

ともかく乗車。

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福地善慶

2014-04-02

山形駅前8時前に到着。山形駅から8:15の奥羽線に乗り赤湯。赤湯から山形鉄道フラワー長井線に乗換え、四季の郷へ。
フラワー長井線沿線は映画『スウィングガールズ』のロケ地になったところ。朝日山地の残雪を見ながら、あのシーンはここだったのかなどと。

白鷹町文化交流センターあゆーむで「白鷹町の仏像展③ 金剛道智開山・相応院の文化財」。
メインは福地善慶作大日如来像(像高52.4cm)。七条仏師作品コンプリート?を目指すこちらとしては必見の作品。 光背裏に「金剛界大日如来 寛政八辰年 京佛師 福地善慶作」と朱漆銘。銘記がないと18世紀末とは思えないほどの完成度の高さ。お約束通りにやや猫背。
大正期の記録(『旭嶺録』)には「京 建仁寺中門前 禁裏宮法橋家 大宮仏師 福地善慶作」と記される。居所・肩書も一致することからきっと「注文(書)」か何かあったのだろう。相応院の現本尊。旧本尊は横に並ぶ不動明王立像。最近彩色を改めて極彩色の像となっているが、面部や体躯の四角い造形から室町時代(15世紀頃)の作。
本尊を違えることや文化13年(1816)の毘沙門天像、焔魔天立像もあることから、18世紀末から19世紀にかけて相応院に大きな変化があったものと想像。

室町時代の笈などを見ているうちに地元TVと館の方、そしてO氏。別室で「梅津五郎展」を見て、仕事?が終わるのを待つ。

その後、あれこれ話しながら作品を見、午後はO氏の案内で某所。
「細工人」や「奉献」などの銘記がある仏像を拝見。仏像製作の時期が付属建物の時期に遅れるとの由。
これはそう珍しい(不思議)ことではない。仏像と建物は別会計。どちらも地元が負担するので建物だけで予算いっぱいになり、仏像製作が遅れることもある、あるいは篤志家から寄進ということもある。建物と仏像の制作時期(建立時期)との間に天変地異等だってあり得る。そうした地域の事情を読み解くと、自ずと製作事情もわかるのではないかと。
夕刻はN先生を囲んで、皆さんと一献。仏像の話題で盛り上がる。

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慈恩寺ほか

2014-04-03

午前中、寒河江の本山慈恩寺。

6月1日~7月21には秘仏御開帳。本堂の巨大な宮殿。その周囲に仏像が並ぶ。
本尊前立の弥勒菩薩坐像、二天像、歯吹阿弥陀如来像、聖観音像、聖徳太子立像(正和3年)等々。聖観音像は檀像風。宮殿内にも秘仏が安置されるが、おそらくひしめき合っているのだろう(写真パネルあり)。

薬師堂に導かれ「花洛院保」の薬師如来像。説明によれば脇侍は地元作とされ、脇侍像はホウの木らしい。脇侍面部は院派の面相ながら衣文など多少の隔たり。 その背後にある十二神将像は見事。辰・午・未・申の各像は江戸時代とされ、重要文化財(附)となっているが、江戸時代にしても群を抜く出来栄え。鎌倉時代の像との一体感も損なわれておらず、よくよく見ると違うことがわかる程度。
午後からは、見学をお願いしていた某所の仏像。最初「盗難のこともあり、研究者以外には(拝観を)ご遠慮していただいてます」とやんわりと断られたが、「一応、研究者なんですが・・・」と。
O氏も来てくださり、始終和やかに見学。関心を寄せる点はO氏とまったく同じで、まるで京都・某所の仏像をみるようである。変わった涅槃図も拝見し、色々と考える点が殊のほか多く、いっぱい宿題を頂いた感じ。

夕刻、2日間にわたってのご厚意に感謝して別れ、山形駅前から再び夜行バスに乗る。

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さっそく

2014-04-04

朝、あべの橋に到着。10時から天六で打合せがあって、自宅に帰ると間に合わない。そのまま地下鉄で天六へ向かう。

たまたま地下鉄で出勤中の大学事務の方と出会う。向いの座席に座られたが、早朝ゆえ職員氏はそのまましばし睡眠。天六で降りる際に声をかけようと思ったが、そのまま下車する。目が醒めたら、いるはずの長谷センセがいない、さては・・・、などとやや不審がられるかもしれないが、こちらもお仕事である。

喫茶店に入り、ノートを広げて打合せの準備。山形のホテルで行うはずが、つい盛り上がって仕事どころではなかった。

同僚と待ち合わせて打合せ。同僚が作成した詳細な資料もあって、お昼過ぎには無事終了。
その後ようやく帰宅。

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都内ホテル

2014-04-05

就活中の上娘、ただいま上京中。親馬鹿ながら希望業種や性格からみて、関西より東京のほうが性に合うように思う。家人に「2次面接クリア」との連絡。
本人はOKだが、親にとっては心配ごとがまたひとつ。家人ともども「このまま東京で決まると・・・」との思いもなくはない。

さて、東京に行くたび日帰りでは済まされない。中1日あけて、別企業の面接もある(そうしたスケジュールを既に組んでいる)。そこで宿泊地。
交通機関は夜行バス(メイン)、新幹線(サブ)なのは仕方ないが、放置しておくとホテルはカプセルホテルに。女子なので親としては、はなはだ心配。

家人曰く「どっか、(ホテル)ないの?」と。
こちらは“大人”だから多少価格にはこだわらないものの、子供が身銭を切るとなれば、別問題。あいにく上娘は東京の地理には詳しくないので、ごく普通に「八王子」「町田」のホテルを選ぶありさま。「(会社)どこへ行くの?」「新橋・・・。」

大急ぎで山手線内でホテルを検索。幸い、お茶の水で泊ったことのあるホテルが見つかったが、チエックアウトが10:00。本人に連絡すると、「えっ~、早い!」「ぜんぜん普通やん。」
学生と社会人との意識の格差を実感。

予約後、「頑張れよ!」と言いつつ、心の奥で「やっぱり、自宅から通える会社が・・・。」と思う。
普段、学生には「グローバル時代です。乞われれば地の果てまでも・・・。」と言っている張本人なのですが。

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沖縄と内地

2014-04-07

今日から授業開始。
某日、沖縄県立博物館から講演依頼が来た。長年のお付き合いもあって即快諾。

「それでねぇ、ハセさん。日時なんだけど、8月16日はご都合、いかが?」と。
「8月16日? いや"お盆"ですよ。大丈夫ですが、それでもいいですか(集客は大丈夫)?」。
受話器の口を半ば塞いで、同僚に尋ねる知人。「今年の“ウンケー(お迎え)、いつね?”・・・。」
ごにょごにょあって、
「じゃ、8月16日ということで。それで演題については・・・」と完全にスルー。 え゛~、ヲイヲイ。

快諾したものの、沖縄のお盆は今年は8月8日~10日。8月15日は終戦記念日ながら、沖縄では6月23日(沖縄戦終結・慰霊の日)となり、8月15日あたりは、沖縄市(旧コザ)では「沖縄全島エイサーまつり」があるが、博物館の集客にさほど影響があるわけではない。普段の日曜日とほぼ同じ感覚。

それからが大変。
飛行機は若干あるもののホテルが“内地”並みのハイシーズンで、すでに満室状態。 四苦八苦しながらようやく確保。
金銭と時間に余裕のある方は、どうぞトップピークの沖縄へ。

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仏像ワールド

2014-04-09

新年度初の会議。事務方にも異動あり。

今春の関西は「仏像ワールド」。

あべのハルカス美術館では「東大寺展」(~5月18日)、奈良国立博物館「鎌倉の仏像」(~6月1日)、大阪市立美術館「山の神仏-吉野・熊野・高野」(~6月1日)、京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」(4月22日~6月15日)など。

手帳を見ながら、色々と(見学計画を)思案する。

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高僧像

2014-04-10

広報課を通じて朝日新聞の記者から問合せ。

記者がハルカスの東大寺展を見ていると、僧侶の坐像が江戸時代に多く造られたのはなぜなのかと疑問が生じたらしい。まだ見に行っていないので、大急ぎで出品目録をネットで確認。

行基像(享保13年・1728))、実忠像(17世紀)、鑑真像(享保18年・1733)、聖宝像(元禄15年・1702)、公慶像(宝永3年・1706)。確かに・・・。

授業と授業の合間だったので、「江戸時代になると祖師信仰が高まります。真言は弘法大師、天台も智顗・伝教大師像、鎌倉新仏教(浄土・浄土真宗・禅・日蓮)でも、法然と善導、親鸞と蓮如、禅では達磨と大権修利など。東大寺は「八宗兼学」の学問寺ですので、こうした流れを受けて、特に鎌倉新仏教と対抗すべく、祖師や高僧の坐像が多く造られたのではないでしょうか」と回答。

これはテストでいえば「良」。「優」や「秀」を狙おうとすれば、公慶像は別として聖宝像は大仏開眼より950年目、鑑真像は来朝980年目、行基像も没979年(980年)目の節目にそれぞれ造られている。祖師像製作は祖師信仰の高揚だけでなく、ある事情(契機)が必要である・・・って、電話で即答できるわけはない。

東大寺関係者よりこちらを紹介されたとの由。

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現場対応

2014-04-12

展示作業初日。来週いっぱいは、これに費やされる。
サブのS氏と来週はほぼ休講状態でこれに専従。もちろん、これらは補講や見学会でフォロー。

今の(うちの)大学生は休講を嫌う。平日15回、決まった時間に座学を行うのが、ベスト。
日曜日に京都や奈良の寺社・博物館の見学(授業・もちろん出席はとらない)なんぞはもってのほかという意識が強いのかも知れない。
美術史なんかは隔週で臨地見学をしてもいい位だとこちらは思っているものの、交通費がかかるやら、既に予定があるなどさまざまな理由で座学を好む。 実際の資料や作品を見ずとも・・・という思いらしい(「授業評価アンケート」から)。
ネットや座学ではわからないことも多い。

今日も写真でしか見たことのない資料が含まれており、実物をみると「げっ!こんなに大きいのか」と思うと同時に、展示計画を大きく変更。いわゆる”現場合わせ”である。
よく「そんなこと、聞いていません。」と抗弁する人がいるが、世間ではよくあること。
これに対応できないと、生き残ることは出来ない。

本日のお昼は、「マルトミ」のミックスランチ也。

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ガンタッカー

2014-04-13

展示2日目。
ことのほか資料の数が多く、展示作業が難渋。展示面積から展示数は少ないと思い、余分に資料を搬入したにも関わらず・・・。

どこの資料館や博物館も10年を過ぎると、サイコロ(展示台)の隅はほつれ、汚れも目立つ。
そこで出来ることは、資料で覆い隠す。展示台中央(の汚れ)は基本的にこれでオッケー。左右上下の角(の汚れ・ほつれ)がどうにもならない時には布を巻く。
その時、役立つのが「ガンタッカー」。 ロール状の布を適当なサイズに裁断して、ガンタッカーで、展示台の裏側で留めながら布を巻く。鑑賞者から見えない展示台の後ろは”すごい”世界。

「大学教授が『ガンタッカー』をもっている事自体、不思議でしょ?」と話すと、現役学芸員はおもわず苦笑。無くなっていたとのことで、展示作業終了後、置いて帰ることにした。ダイソーでも販売している(100円ではないが・・・)。
展示は70パーセントほど終了。


本日のお昼は、「春夏冬」のワンコインランチ(日曜限定)。珈琲を頼むと、くじ引き。「会席」と「ボトル」があたり、すべて、籤をひいた強運の学生とS氏 に。

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徹夜

2014-04-14

展示3日目。夕刻、作業終了後に大学へ。

展示が始まる前から「申し訳ありません!」と手を合わせるところが多く(原稿やレジュメの遅延)、かなり限界となったので研究室で作成。
22:45、自宅へ電話し、その後も続行。3:50に終了。そう、自宅に「今日は帰れません」と。
((家族に)その兆しはあったのか「はいは~い」と軽い返事。 )

ソファーに広がる書類や本をそのまま床に落として、仮眠。

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“手は抜かない”

2014-04-15

午前中の授業が終わって、再び博物館で作業。ひと通り、展示品はケースの中に収めることができた。
あまり知らない設計図なども午後に専門の先生がこられ、ご教示を受けて展示位置を修正・・・。
作業終了間際、明日、会場造作の業者が来ることに気づき、大慌てで、余った展示台や道具類等を会場一角に集める。

今日は別件で来た元職上司が現れて驚く。「大学に移っても、(前と)同じことしている」と思われても仕方ないが、現実はこんなもの(大学で展示作業ができる教員は3人もいない)。

ここ数年の地方博物館、資料館をみていると、学芸の「手抜き」とわかる展示が目につく。展示を見てどこが「手抜き」と指摘できるのがツライが、こうした経験、感覚を次世代に伝えることが出来ないのが悔しい・・・こともないか。

帰宅後、夕食もそこそこに爆睡。

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疲労も限界

2014-04-16

会議終了後、作業。会場造作(建てつけ等)を終えて、山場は過ぎた。
S氏とこれまでの慰労を兼ね、また明日からの頑張りを期待して、夜半、「すし政」で一献。

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あと少し

2014-04-17

朝から展示、午後から授業、その後解説パネル製作のため、学内某所。
大学と天六と行ったり来たりの毎日。

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終了

2014-04-18

午前中授業。午後から展示作業。
やや遅れて会場に着くと、今回のメインである「幻の浪花座」模型の製作者による確認(検収)。
その後、解説パネルやキャプションを入れて、スポットライトを入れて調光をして、一応完成。

(展示資料をよりよくみせるため)まだまだ時間がほしいところだが、まずは、ひと区切り。
図録も無事納品との由。

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始まりの終わり

2014-04-19

扉の向こうでは、学長・理事長そろい踏みでのオープニングセレモニー。
扉のこちら側では、最後の確認作業。
あいさつパネルにピンスポットがなく、脚立を出して設置。来賓のあいさつがはじまっても床の細かなごみ拾いなどなど。
テープカットも無事済み、オープン。

展示会は今日から開催だが、我々は今日で終了(しばらく)。ふぅ~。
夕刻、本町で関係者との懇親会。

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今日は観覧者

2014-04-20

午後、確認を兼ねて今昔館に見学会。

出品のひとつに「大阪営業案内・大阪商品仕入便覧」 (明治31年・1901 復刻版ではないオリジナル)がある。各町の地図に沿って店舗名、所有者が記される。 道頓堀の浜側(北側)には60軒ほどの芝居茶屋が並び、南側には芝居小屋が立ち並ぶ。

学生に説明しながら、展示ミス発見。芝居茶屋と芝居小屋が記された頁を開いて展示したはずだが、1頁手前の小見出しのあるほうが開かれている・・・(図録は間違いなかったが)。
水曜日夕刻にでも直しに行くか。館は明日から連休。

(見学会の)参加者が少ないため、図録を進呈(予定)。
毎日ご飯を食べるように、資料や作品を見なきゃダメだよ。

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耳寄り情報

2014-04-21

今昔館の展示に際して“耳寄り情報”。

こうした展示も学生の学習活動の一翼を担う。そこで関西大学の学生に限り、受付で学生証を提示すると、企画展(「再現!道頓堀の芝居小屋~道頓堀開削399年~」展)はもちろん、常設展も無料で見学できるという特典(企画展開催中のみ)がある。
ビルの9階に江戸時代の町並みを原寸で、当時の技術でもって再現されている。落語に出てくる長屋や屋根の猫や子犬までも。

展示作業中もこちらは開館していたが、ネイティブの来館者の多いこと、多いこと・・・。

文化的にめぼしい資料が全くない地方の大学生ならいざ知らず、自らの足元に広がる歴史や文化を顧みずして(知らない、説明できない)、グローバル化ってあり得ないと思うのだが、それはさておき、タダでも行かないってどういう心境なのかがまったくわからない・・・。

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紺紙金泥経

2014-04-22

鳥羽上皇の皇后である美福門院が発願し高野山に奉納した紺紙金泥経に「黄銅(真鍮)」が使われていたとの報道。
真鍮の使用が一気に平安時代後期まで遡る(従来は18世紀)ことは画期的。

「運慶願経」とよばれる寿永2年(1183)書写の法華経がある。
運慶と女大施主(運慶の奥さん)、阿古丸(長子の湛慶)が願主。既に安元年中に紙工に沐浴精進させてすかせた料紙を準備し、墨をする水は比叡山横川、園城寺、清水寺の霊水を使い、軸木には東大寺柱の焼け残りを使っている。運慶の経は僧珍賀が、阿古丸の経は僧栄印が書写。筆始講師は園城寺に住む卿阿闍梨。
料紙、硯の水、軸木など写経にかかる諸材料すべてを運慶が手配、準備した後、初めて珍賀・栄印が書写できる。運慶はあくまで諸材料を調達し、全体の管理を統括する願主(プロデューサー)。

そうすると、紺紙金泥経に使われた「黄銅(真鍮)」も美福門院が用意したものと。
新聞によれば、専門家から「職人が利益を得るために行ったでは」と原材料偽装説も出ているが悪いのは職人じゃない。金泥と「黄銅(真鍮)」の区別もつかなかった美福門院か、彼女の命で金泥を調達した者のごまかしとも考えられる。写経僧が金泥や真鍮をあらかじめ所持していたとは到底、思えない。
それにしても写経僧を“職人”とするコメントは滑稽。

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隕石仏

2014-04-23

会議ディ。

A先生からB先生を通じてコメントが求められていた“隕石仏”。
ご教示の通り、ググるとこちらだが、元ネタは朝日新聞。

チベット高僧が被るような頭巾を付け、耳には耳環、甲冑姿で、左手には巾着を持つ。どこをどうみれば毘沙門天にみえるのか。ましてや11世紀ってどういう根拠?

隕石には間違いなさそうだが、彫刻を施したのは、毘沙門天像を知らない人、つまりドイツで、近代作の仏像と回答。
B先生(仏教学)もわが意を得たりと、「あんなん、ニセモノですよ。ホント。」と。
中国の道端で売っている仏像でも、もう少し本物っぽく作っている・・・。
それにしても、最近の新聞は裏付けをとるということをしないのだろうか。

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天そば

2014-04-24

珍しく食い物のはなし。

大阪の食堂で「たぬき」といえば、油揚げがのった蕎麦が出るが、東京で「たぬき」といえば、「『そば』ですか?『うどん』ですか?」と聞かれる。「蕎麦に決まってるやん」と思いながら、『そば。』と応えると、(関西人にとっては)なんと驚くことなかれ、天かすがのったそばが出る。
はぁ~。
このあたりはサラリーマン初期の東京出張で洗礼?を受けて、もう慣れた。

大阪で「天ざる」「天そば」を頼むと、駅構内の立ち食いであっても赤い海老が衣に包まれて蕎麦の上にのせられている(あるいは別皿で供される)。たとえ、赤くみえたのがほとんど尾っぽだけであっても、一応は「天ぷらそば」である。
これは東京でも同じ。

今年になって2度ほど山形。
山形で「天ざる」を頼むと、赤い尾っぽすらなく、なんとざるそばの横に「げそ天」の別皿がついてきた。初めての折に地元の方に教えてもらったが、別の店にひとりで「天ぷらそば」を頼んだ時も蕎麦のうえには「げそ天」が鎮座していた。

関西人にとっては、山形と「げそ天」とが結びつかない。おいしかったことはもちろん、(居酒屋で出された)刺身のイカ本体も美味しかったのだが・・・。
不思議。

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卒業生、見参

2014-04-26

夕刻、研究室でベタ遅れの原稿(当初の締切は3月末日)を書いていると、卒業生(2010年3月)が来室。

この年はみんなで沖縄へゼミ旅行に行った学年である(写真右端は教員)。みんな元気に仕事しているとの由。もう就職して5年にも。
愚痴も「職場の上下関係」「上司の無能ぶり」など一人前の社会人である。
だいたい、仕事中に上(上司)は能力、経験の低い者にも仕事をシェアしてあげてって言うけれど、そいつ(指導教員に似て言葉も荒い!)に仕事させるためにはそこまでの段取りをしてあげんとあかん。そんなん、時間の浪費やし、自分でやったほうがよっぽど早いと思いませんか?センセ!

あぁ~、「(その考え)ちゃうやろ、考え直せ!」「もういっぺん、資料をみてみぃ」とセンセに“怒られ”ても、ホンマ、大学生活はバラ色の楽園やった・・・。
(会社)辞めたい、夏のボーナスまで待てないというのを遮り、「じゃ、みんなで久しぶりに同窓会でもしましょう。夏のボーナス前に」と。
俄然、目が輝く卒業生。GW明けから「働く目標が出来ました」とも。
・・・と言うわけで、2010年3月卒業のゼミ生、6月末頃の土曜日午後は空けておいてください。

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「山の神仏」展

2014-04-24

午前中、大阪市立美術館「山の神仏」展。

黒滝村の大日堂阿弥陀如来像(天文5年)や鳳閣寺如意輪観音像、和歌山県博で見た作品も出品されるが、これだけ一堂に会すると、さすがに壮観。ほとんどの彫刻は露出展示か独立ケースに入って背面までみることが出来る。驚きは櫻本坊の子守明神像、勝手明神像。板絵だが軸装が描きこまれ、まさに描表装。吉野曼荼羅図も多数ならびあれこれとじっくり拝見。金剛峯寺《愛染明王坐像》(17世紀)はもと天野社“持所”の本尊。明治6年に高野山へ移され、昭和51年9月に准てい堂から移管。

竹林院《童形神坐像》や大峯八大童子立像をはじめとする興味深い資料も多く展示されるが、午前中ゆえか入館者はいまひとつ。
「神仏習合」といっても一般の人にはなかなか難しい。
誰かが言っていたが、「名品ばかりならべても大阪の人は展覧会に来ません。ああいう展示(「山の神仏」展)は、パッケージにして、東博か江戸博に持って行けば、行列間違いなしですわ。関東の人が熊野に行こうと思ってもなかなか難しいですから、(入館者が)入りまっせ、そりゃ」と。むぅ・・・。
おかげでゆっくりと堪能することができたのだが。

午後から今昔館に行き、「列品解説」。これも“お仕事”。

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松浦武四郎

2014-04-28

松阪市松浦武四郎記念館へ。

「北海道」の名付け親である(雅号は「北海道人」)。晩年、古物(古器旧物)の蒐集にあたった。蒐集品は『撥雲余興』として出版されたほか、蒐集過程の一端は『壬午遊記』『辛巳紀行』などの自筆旅行記、日記に記される。

例えば松浦武四郎コレクション中の「来朝坊仏」。作風からみると、正直、はぁ?というのもだが、18世紀後半の儒家である吉田桃樹『槃游余録』によれば、来朝坊(895~977)が諸国を行脚して法華経を納め(六十六部)、晩年には伊豆・久昌寺で千体の阿弥陀仏を造り参詣客に分け与えたというシロモノ。

武四郎が記した『癸未溟誌』には鈴木香峰(吉原宿脇本陣当主)より来朝坊仏1躯が譲られている。もう1躯は市川米庵の子である市川万庵から譲与。そのほか様々なコレクションの由来と関係する人物群が登場。
古代中国の甲冑を身にまとった「田村(坂上田村麻呂)将軍像」も『撥雲余興』に掲載。

モノに関わる記録と人物の相関関係で、まるで頭の体操。

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大人の事情

2014-04-29

あいにくの雨模様。

本日の毎日新聞関西版(12面)で「山の神仏」展についての金峯山修験本宗宗務総長 田中利典氏とイーデス・ハンソン氏との鼎談記事。

なにゆえにアンタが・・・という疑問も、実際の紙面をご覧いただければお分かりのように、記事の下には関大の単独広告。展覧会チラシにも「協賛:関西大学」と。

さっそく記事を読んだ家人も「わかる、わかる。」と。
研究者が面白い、これは話さなければと思う内容ほど、一般の人には面白くもなく、また関心をひくものではないと、某先生が仰っていたが、難しいことほどやさしく丁寧に話さないといけないとこの頃は実感する。

これからも心して臨まねば。

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