日々雑記


饒舌

2014-01-02

近所のシネコンに映画「利休にたずねよ」を観にいく。観客は少ない。
小説も読んだ、時代背景もよくわかる。映画をみるよりスクリーンに映る茶器を見に行ったようなもの。「熊川(こもがい)」や「黄瀬戸」など時代に応じた茶器が登場したが、どれも新しい。
ぼぅと観ていると「北野大茶湯」のシーン。利休に群がる人々を押しのけてやってくる秀吉。
利休の手元には黒楽茶碗。ん?これはホンモノ。パンフレットには利休所持の「万代屋黒」。
茶碗や茶道具に饒舌なのは山上宗二。『山上宗二記』を書くぐらいだから・・・。口は災いのもと、小田原で打ち首。

ところが小説を読んでいないと、いったい誰が誰なのかまったくわからないらしい。終わってからあれが山上宗二、中村嘉葎雄は大徳寺の古渓宗陳、團十郎は利休の師匠である武野紹鷗などと解説。
年頭の一言は「饒舌を戒めよ」と思ったばかりなのに。

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図版

2014-01-04

大学へ。初校返却時までには渡すと約束した図版30枚を作る。

プリントした図版にトレペを掛けていく昔ながらのやり方。
さすがに厚紙に方眼紙を貼り付け、そこに紙焼写真を貼ってトレペをかけて・・・という作業はしなくなり、写真を貼りこんだレイアウトと別建ての“画像”を用意する。そういえば「○○○○○」だけが印刷されたレイアウト用紙もすっかり見なくなった。とはいえ、時折レイアウト通りに印刷されないこともあってトレペをかける。

30枚のトレペにトンボを切り、余白に青鉛筆で指示を書きこみ終了。

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初夢

2014-01-05

神戸で「木心乾漆像」が見つかったとの新聞記事。

「本尊・釈迦如来坐像(高さ69センチ)」とあるが、髻を結い身体には条帛。蓮弁も魚鱗葺き(これはありか)。仏像を知らない人が記事を書くとこうなる。

なにより8世紀後半としているが、わき腹の部分がきゅっと細くなって大きな空間が出来ている。ある意味、巧く作るものだと感心。
大発見か大誤報か、それは後日、他紙が追随するかどうかでわかるかもしれない。

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ワード三部作

2014-01-07

昨日から授業再開。卒業(論文)演習最終日。
もうこの時期になると、内容云々ではない。打ち出された論文にささっと朱を入れた後、表紙、目次、本文、図版に分ける。MSワードの「ページ番号」の機能には、「先頭ページのみ別指定」というのがあって、表紙には頁数が打たれないが、確認すると、目次が2頁、本文が3頁から始まっている。
これを「表紙・目次」「本文」に分割し、本文が1頁からくるように修正。それに伴って改めて目次に頁数を打つ。相変わらず註記の後に図版が来るものもあり、これも別建てにして、テキストボックスにタイトル。美術史ながら図版もきれいに整っていないので適宜、修正。

普段より早く時間が過ぎる。後は自宅のパソコンがクラッシュしないことを祈るのみ。
本年度の卒業演習、これにて終了。

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死ぬのは法律違反です

2014-01-09

荒川修作のパートナーであるマドリン・ギンズが亡くなる(72歳)。

荒川とギンズの共著『死ぬのは法律違反です―死に抗する建築 21世紀への源流』(邦訳)があるように、せっかくABRFの方々とも親しくなったのに。 驚きとともに残念でならない。

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書類

2014-01-11

六甲山荘で3回生合宿セミナー。

このところ、書類のミスが多い。もう10年近くたつのによく理解できないでいる。
こちらの事務処理能力の低下もあるが、ひとつは出来事(行為・行動)に対して時系列で示されていないのだ。
一例では(7)(4)を提出した後(14)を受理し、その後(13)を提出する。このフローチャートが出来ていないのでいつも何かしらの書類を失念し“怒られる”。
こうした合宿でも引率教員は宿泊代や交通費が支給されるが、Web上とは別のところにあって、見れば「1週間前に提出」とある。始末書決定。

ひとつ書類を出しては「これがない、あれがない」と指摘され、再提出、再々提出し、ようやくのこと、受理に至る。 まるで往時のお役所仕事を見るようでもあるが、未だに大学というものに慣れていない証拠。
六甲は残雪があり、ツララも出現。

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自画像

2013-01-12

六甲ケーブルが昨秋の台風で運休中。なんでも復旧の重機が現場へ入れないらしい。タクシーにて下山。 阪急六甲でいったん解散したのち、有志の学生らと、小磯良平記念美術館「あなたが選ぶ小磯良平作品選」へ。

話題となったのが《自画像》。東京美術学校西洋画科は明治36年から今日まで卒業制作(規定課題)として自画像を提出させた。日本近代洋画家の自画像として一大コレクションを誇る。
若い時の苦悩や希望、あるいは甘酸っぱい思いなど、自画像は鏡に映った自己の姿を赤裸々に表現している。「襟をたて胸元を少しはだけた」小磯の自画像は、若い情熱と優等生(首席で卒業)らしい自負に満ち溢れている。誰かが言った「自分をカッコ良く見せるため」というのもなまじ当たっていないことはない・・・。
「西洋絵画では『レンブラント』」。レンブラントが生涯にわたって描いた自画像とレンブラントの年譜を重ねると、面白い(興味深い)」とも。

企画展「小磯良平の線の世界」(素描・版画)では、室生寺や法隆寺の仏像を描いた素描が出品。東京美術学校洋画科(の学生)であっても、奈良・京都の古寺仏像は、夏休みの自習など画業研鑽の上で重要な位置を占めると思われるのだが、「近代洋画家が描いた京都・奈良の仏像」といった企画がないのを見ると、違うのかも知れない。
JR住吉で解散。

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帝室技芸員

2014-01-13

京都国立近代美術館「皇室の名品」展へ。隣接する「みやこめっせ」で成人式があり、周囲は騒然としている。会場も最終日とあって大混雑。

明治宮殿「千種の間」を模した空間に川島甚兵衛のタペストリーをはじめ、工芸、絵画、彫刻などが展示。いずれも見事な作品で、これの汎用品が輸出され、近代化の原動力になったと思うとなかなか見応えのある作品群である。
会場内を見ているうちに、半分ほどの作家は知らないことに気付く。《京都市画帖》でも未知の作家が多数。未知の作家の何人かは「帝室技芸員」であろうが、今となっては忘れ去られた存在である。
数ある名品に囲まれて前田青邨《唐獅子》は哀れ。誰も立ち止まらずに素通り。名声はあれど、やっぱり駄作。皇室の前では近代日本絵画の新派もかすみがちで、荒木寛畝や瀧和亭が大活躍。

洋画は4階に展示。キヨッソーネ描く明治天皇肖像画は鉛筆や木炭などでモノクロームに描いている。これが「御真影」の原画となる。最後の展示は床次正精《噴火山之光景》(明治16年)。正直、銭湯のペンキ絵となんら変わらないことに驚く。もっとも皇室は銭湯のペンキ絵なんかは知るはずもないが・・・

せっかくの展覧会ながら図録はB5サイズ。

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作品記述

2014-01-15

帰宅すると、「助けてくりぃ~」と上娘。
「“ハンカン”のなんとか旅図で、レポート書かんとあかんねん。」「それは“谿山行旅図”(范寛)。ちょっと(レポート)みせてみぃ。」

見ると知識ばかりが羅列。基本的に作品をみていない。子供の課題を手伝うのもどうかと思ったが、パソコン上で台湾故宮博物院のHPを開いて谿山行旅図を拡大縮小しながら、「な、ここに「隠し落款」があるやろ」などとビール片手に迷解説。

ひとしきり喋り、「以上!」とビールを飲み干す。
「作品記述をしてから“理屈”に入る。そうすりゃ、いくらでも書ける。」
「書いてくれへんの?」「そんなこと、できましぇん。さっき喋ったことを思い出して書け。」

親バカながら、「優」は手堅い。

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北海道の古仏

2014-01-17

とある方から森川不覚『北海道の古佛』をご恵贈いただく。

内表紙にある発行年は1962年、奥付は昭和38年(1963)3月になっているが50年以上も前の書籍。著者の森川不覚は「『カメラ』玩り」(文中から 函館市交通局勤務・写真家)ながら、内容はかなり濃い。
明治以降、高野山をはじめ京都、岡山、東京、奈良、大阪など日本各地から仏像が集まった感がある。制作時期も平安から鎌倉時代はもとより室町、江戸と一通り揃っている。巻末には詳細な年表も付属。

拝見しながら北海道の仏像を軽視していたと反省。そもそも北海道で仏像の展覧会など聞いたことはないので、円空や木喰などてっきり江戸時代以降の作品が数多く存在するとばかり思っていた。
北海道は仏像の移動、移坐の研究にはうってつけのフィールドであることを思う。

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古美術展

2014-01-20

午前中、阪急百貨店(梅田)で「開館60周年 藤田美術館」展。

内容もさることながら、目を引いたのは「谷松屋 戸田商店」。
百貨店の美術ギャラリーに学芸員などいない。いたとしても藤田美術館の茶道具など扱える力量などない(私もない)。そこでお得意先である戸田商店が登場し、展示一切を仕切る。これなら藤田美術館も安心。

では、なぜ「梅田の阪急百貨店が?」との疑問が生じる向きもあるが、それは『汎究美術』以来の阪急百貨店(旧6階)と古美術店の関係である。昭和40年代の雑誌『日本美術工芸』広告をみると一目瞭然。

それにしても大阪から目利きのある旦那衆がいなくなったのだろうかと思うほど、会場は閑散。

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3号配備

2014-01-21

昨日で授業終了。
今年度最終授業は専修内講義「文化財を守る、伝える」。

文化財は大事だといってもいざとなれば事実上難しい。学芸員といっても公立博物館・美術館では一介の公務員なので、大きな災害が起きれば「3号配備」が出され、大多数の職員が避難所である公民館や小中学校へ派遣されます。いやだと言えば退職です。美術館、博物館も事実上、避難所となって資料・作品の保全どころではありません。まさに衣・食・住足りてのミュージアムなのです。スクリーンには、阪神淡路大震災の際に避難所となった西宮市大谷記念美術館のロビー(写真)が投影。
どうすればよいのか、正直まだわかりません・・・と。

終了後、学生に難問をぶつけたとやや反省。関東大震災での仏像被害の話がここまで脱線。

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迷わず成仏

2014-01-22

会議ディ。

とある書籍に法隆寺金堂釈迦三尊像の解説。当たり前だが、講義で喋っているのと同じ。

釈迦三尊像光背銘「蒙此願力轉病延壽安/住世間若是定業以背世者往登浄/土早昇妙果」
(此の願力を蒙り、病を轉じ壽を延し世間に安住したまわんことを。若し是れ定業にして以って世に背きたまわば、往きて浄土に登り、早く妙果に昇らせたまわんことを。)
「君たちが病院へお見舞いに行って、『病気回復と日常生活に復帰されんことを願ってます。でもこれも運命。もしアカンかったら迷わず成仏してくれ』って言いますか?ふつう。」
「なぜこう書いたのか?答はカンタン。仏像の制作が間に合わんかったのです。病気平癒のために釈迦三尊像を造ったが、先に聖徳太子が逝ってしまった・・・。残念!」

不思議なことに、銘記には「斑鳩寺(法隆寺)」など一切記されていない。

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定期試験

2014-01-24

昨日は担当科目、今日は監督応援。
どこかで“不正行為”があったようで、持箱には注意喚起の紙片も。

担当科目は200名強で2教室で受験。詰めていない他方の教室で質問が来る。30字にも満たない回答なので、問題文の下に空白欄を設けたが、どうも回答をどこに書くかわからなかったようである。条件は同一なので、別教室でも説明。
今日は150名。

昨日は開始後40分ほどで、多くの学生が答案を提出して退室したが、今日は大多数の学生が時間いっぱいまで粘る(頑張る)・・・。
終了後は受験者数と答案枚数の照合がある(その間、学生は待機中)ので慌ただしい。

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悪書

2014-01-25

プレ・スチューデントプログラム。
書籍を一冊紹介し、批評意見を加え、質疑応答するもの。

とある書籍の紹介。「狩猟時代の音楽は踊りと深く結び付き・・・」などと。
著者はものごとの本質もわからずに書いているらしく、著書自体突っ込みどころ満載(学生は悪くない、著者が悪いと繰り返し弁明)。縄文人が音楽とともに踊っていることをどう証明するんだ、そんなことがわかれば世紀の大発見なのだが。
どのみちアフリカなどの原住民から来るイメージをそのまま太古を投影したもので、実に偏見、無理解に満ちた記述。
書籍を取り上げて、著者(男)紹介をみると、生年が書かれていないが、国立大学教育学部芸術科(音楽専攻)で、高校教員免許も持っているらしい。教員としてはアウトである。

「音」と「音楽」の定義も出来ないのに何がプロだと憤る。悪書追放。

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日焼け

2014-01-27

某所で襖絵を拝見。もちろん未指定。
水墨による楼閣山水図。裏面は彩色の花鳥図。楼閣山水はお決まりの構図ではなく、どこかの風景を描いたようである。残念ながら落款印章は見あたらないが18世紀頃の作品。

襖4面を閉め切り画面を確認。あれっ?、左端の1面は真っ白。眼鏡をはずしてよくよく見ると墨跡のような痕跡。
むぅ・・・。
襖の左側にある障子を開けると、雨戸が閉められてはいるが縁側が出現。
どうやら長年光があたって絵が消えてしまったようである。

さて保存の話。「保存して下さい、大事にして下さい」というのは容易いが、ではどうやって と聞かれると費用のこともあってなかなか難しい。襖のある部屋(奥の間)は応接用で、襖絵はその家の伝統や格式を感じさせるいっぽう、来客用としては傷みのある襖は少し恥ずかしくもある・・・。
「(費用の)比較しないと分かりませんが・・・」と前置きをしつつ襖を掛幅にされて新しい襖を入れてはいかがでしょうかと。

日本美術ではよくあるパターン。屏風装も考えたが、いまどき屏風が必要な家など存在しない。

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文化財

2014-01-28

某文化財保護審議会。

あまり、文化財保護には熱心でない行政。委員会も形骸化(「委員会、開いています」というアリバイ作り)。おざなりな説明を聞きながら早く世代交代しろよと思ったり。

駅前の喫茶店でコーヒーを飲む。喫茶店のコーヒーは久しぶりなのでおいしかったこと。

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御仏のかたち

2014-01-29~30

午前中に急きょ打合せが入り、午後に大阪を出発。品川から成田へ向かう。到着は18時過ぎ。なにも出来ず(というか東京での予定がキャンセル)。

翌日、成田線で佐原(さわら)へ向いバスにて県境を越えて中神下車。利根川と新利根川・霞ヶ浦に挟まれた広大な耕地のなかに稲敷市立歴史民俗資料館。「御仏のかたちⅢ」を見学。

鎌倉時代の不動明王像や平安時代の地蔵菩薩像などをじっくり。興味深かったのは“立てる(金剛界)大日如来像”。
大日如来像は坐像で智拳印を結ぶのが一般的だが、智拳印を結んで立っている。整った目鼻立ちや細かく刻んだ髪筋などは鎌倉時代風ながら下半身の衣文は定慶風ににぎやかに衣褶を重ねており、そのため重く感じられる。室町時代というのもうなづける。“立てる大日如来像”は茨城県下でいくつか作例が確認できるとあって、ある種の地域的な流行であろう。腹くびれの線が水平に刻まれ、正面からは感じられないがやや“メタボ”な腹部の表現(水平に腹くびれの線を見せるのは聖観音菩薩像も同じ)も興味深い。

江戸時代の作品も展示されており、圧巻は二十八部衆。琵琶を持つ像の頭部は撲頭冠を被り明らかに男性像。翼を広げたカルラ像は鼻先を掻いているユニークな姿。
いくつかは作者や時代か判明するが、グルーピングは、同じ形姿の像があったり後世の彩色のためになかなか難しいと実感。

ご苦労も多いと察するが、地道な調査研究の成果がこうした展示活動に結び付き、地域史解明の基礎資料として蓄積活用されるよい見本である。

昨日来の雨も上がり快晴。成田山新勝寺へ向う。目指すは釈迦堂(旧本堂)羽目板及び扉板。
釈迦堂は安政5(1858)年の建立で、側方・後面の二十四孝の彫刻は嶋村俊表による。嶋村俊表の末裔が牙彫家「島村俊明」。扉板の間には五百羅漢像の彫刻。周知のようにこれは狩野一信の下絵を仏師松本良山がレリーフにしたもの。
銅製の金網に阻まれながら釈迦堂を“お百度参り”。後の一信がみせる過剰な表現はあまりみられない。
風雨にさらされているが、大丈夫かとやや杞憂も。

嶋村俊表・松本良山のレリーフはともに幕末仏師・彫刻と近代黎明期の彫刻との関連をうかがわせる貴重な資料だが、大著『近代日本彫刻集成』には記されていない(嶋村俊表はある)。幕末彫刻と近代彫刻との断絶はよく強調されるが、連続性、両面性といった点での関心は薄い。
「彫物師」についても研究が必要と実感。本来は大工組織の末端に位置するはずだが、いつしか独立して仏像まで制作する。「越後のミケランジェロ」とされる石川雲蝶も程度の差こそあれ「彫物師」である。

羽目板・扉板を堪能した後、最近塗り直しを行い豪華絢爛となった三重塔(正徳2年・1712)の十六羅漢像の羽目板や天保元年(1830)の仁王門の仁王像、二天像も門と同時期の製作とみえ、興味深く拝見。
仁王門裏側の柱に掛けてある銅製燈籠?のデザインは秀逸。近代の製作と思いきや「文久二年」の銘。驚き。

門前で遅い昼食を取り帰阪。

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