日々雑記


扇子

2012-8-1

猛暑。
扇子ひとつで、これほど印象が変わるものかと自分でもびっくり。

この暑さのなか、人と会う時でも扇子をパタパタされる。話題が本題に入ると、たいていの人はパタッと扇子を閉じて、扇子をペンに持ち替えて話が進行。
ところが、肝心な話になってもまだ扇子をパタパタしながら、相手が話をしだすと、もう許せん。
あんたは何様のつもり、田中角栄か!と敵意むき出し。別に上司でもなく対等な立場なのに扇子をパタパタしながら話しかけるとは、失礼千万、手打ちにしてくれるとばかりに・・・。

こういう感覚はひょっとして私だけなのかもしれないが、どうも見下されているような感覚で、気分は最悪。適当に相槌を打ってさっさとお引き取り願う。もちろん話の内容も右から左へスルー。
そんなん知ったこっちゃない。

暑いのはわかるが、人と会う時の礼儀ってものがあるだろう(って感覚は変か?)。

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水墨の涼み

2012-8-2

自転車に乗って正木美術館へ。

チラシは縁側に広げられた絵巻物。ひと目見て、はっとした。雪村筆《瀟湘八景図巻》。見たことのある縁側。自前ではこんなこともできるのかと感心する。
《瀟湘八景図巻》はほぼ全て広げられ、至福の極み。壁面に掛かる雪村《破墨山水図団扇》も強い風雨のなか傘をさす2人の人物。

神亭壺や秋篠寺技芸天宝冠(神護景雲2年3月10日 「多太麻呂」)を眺めて、《伊川院春川院唐画写画帖》へ。
冒頭は徽宗「桃鳩図」。鶉図や南蘋派の鹿もあって、貪欲な姿勢がうかがわれる。河辺に咲く芙蓉の花びらが水面に浮かぶさまは見た目にも涼やか。岳翁《春景山水図》や《山荘図》も然り。

俵屋宗達筆・鳳林承章賛《鶏図》や以天宗清《猿(猿猴捉月)》の後、可翁《牧牛図》対幅や能阿弥の絶筆?(「老能七十五歳」)の《蓮図》。

平日とて入館者も少なく、名品をゆっくりと鑑賞。空調ではなくこういう涼み方もありだなと思う。

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道昭

2012-9-3

某市文化財審議会へ。

会議終了後の雑談で、道昭が話題に。
道昭は653年の第2回遣唐使で入唐、三蔵法師に直接師事して経・律・論(経典・戒律・仏教学)と禅を学んだ僧。行基の師でもある。661年に遣唐使の帰国船にて帰国し、飛鳥寺東南隅に禅院を建て禅を広める。西暦700年に没すると、奈良・粟原寺で日本初の火葬に。

帰国に際して唐から持ち帰ったものはに仏舎利と経論だけではあるまい。小型の塑像やせん仏も含まれていたのであろう。チベットにもサッチャ(ツァツァ)と呼ばれるせん仏があるが、玄奘三蔵に直接師事したことから、こうした存在を道昭は知らぬはずはない・・。

ところが663年には白村江の戦いで、日本は唐に敗北、一時的に唐とは鎖国状態へ。
道昭がもたらせた「貴重な」の造形資料をパーツとして試行錯誤しながら“鎖国後”の飛鳥時代後期(白鳳文化)の仏像がつくられる・・・。もちろん百済からの亡命民も大きく関与。

歴史の上でも道昭の存在は大切だと思うものの、知名度は行基ほどには知られていない・・・とは、共通した意見。

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オープンキャンパス

2012-8-4

朝からオープンキャンパス。
相談コーナーには、「文学部:芸術学美術史」のプレートと傍に「文学部」のプレート。文学部総合(相談)窓口はないので、「芸美」の札を伏せると、「えっ、今日は『国文』来てないのですか?」と喧しい。受験生の相談ぐらい、誰でも応えられると思うのだが・・・。
結局、相談事は「“国語”に関心があるので、国文って、どんな雰囲気ですか?」などと。“国語”って何や?国語学のことか国文学のことか。

親子連れでお越しの方も多い。ところが、悲しいかな親は経験値しかないので「文学部では就職が不利だと聞きますが・・・」と。あのな、おたく(父親)の会社、法学部限定とか経済学部限定で人材を採用しているか?日頃勤めている会社で考えればわかることやろ。「人物本位」「学部不問」で採用しているはずや。たとえ自営であっても日頃の新聞をみれば分かるやろ。「○○新聞社社員募集:経済学部限定」ってあるか。さすがにそうとは言えずに「今は・・・」などと口はばったいことも。

もうっ!と思った頃に「芸美」の札を立てる。そうすると相談に来る親子や学生が激減し休息タイム。
9000人ほどが来学。

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心理学とラーメン

2012-8-5

今日もオープンキャンパス。ミニ講義付き。
心理学専修と初等教育学専修への質問が圧倒的に多く、来年から「義務」として出席すべし。

小学校教諭の希望も大きいが、児童だけでなくあれこれ要求する「保護者1年生(別名、モンスターペアレンツとも)」の対応もしないといけないので小学校教諭はたいへんである。高校生(受験生)は児童だけを見ており、背後の保護者の存在など目には入っていない。
小学校ではあれこれ理不尽なこともままあるが、教諭も児童も「常識がある」ので、「大人の対応」で対処(おっちゃんの経験則)。でも鬱積や理不尽なことはたまる一方で、次第に双方の心は「病む」。そして心理学へ。
相談に対応しながら社会が病んでいることが痛いほど理解。

午後のミニ講義。焼物の模様にも意味があるという話。後方で聞いていたよく知る事務職員氏がミニ講義の内容を学生スタッフに。学生曰く「ラーメン丼の『龍』って意味あるんですか?」と。
お任せ下さい、ラーメンの縁には「雷文」がある。雷文のなかには雲海(ワンタン)が浮かび、雲間には雨(麺)がある。雨を超えると龍が浮かび上がる・・・と、説明。

話しながら嘘かも知れないとも思うが(脳裏には食べ尽くすと「天下一品」の文字)、ラーメン丼の縁の雷文や丼底の龍文も事実である。知って別段、明日から得することはないものの、同じラーメンをすすりながらも知った以上、ワクワクするではないか。

理詰めだけで考えると、社会は不毛になりがちだが、文系の思考は社会に「潤い」を与える。
皆、社会が病んでいると考えながら、目先の「文系」を避けたいのは、理詰めでギスギスとした社会を求めているのだろうか。それにしては、その根拠が基盤が30年ほど前から何ら変わっていないように思えるのだが・・・。

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えひる

2012-8-7

とある方から『國華』の抜刷をいただく。
コピーにてと恐縮されていたが、なんのなんの。深謝深謝。

明治22年(1889)10月に創刊された美術の学術雑誌。創刊号には、「それ美術は国の華なり」と岡倉天心と思しき創刊の辞が掲載。
今は朝日新聞社から刊行。とはいえ、「オレ、美術、好き好き!」と定期購読してはいけない。大型の版面ながら1冊6500円(税込)。手に取るとこの頁数で・・・とたいていは戸惑う。

もちろん伝統権威あふれる学術雑誌なので、「抜刷」なんぞはもってのほか(執筆したことはなく、知らないが)。比して中身も相当。

全面旧漢字のみ。「台座」は「臺座」、「装身具」は「裝身具」となる。 以前は加えて旧仮名遣い。冗談ではなく、授業で読ませるとほとんど「古文書講読」の時間となる。「ひる(昼)は写生風で、えひるのなかでも・・・」。はぁ~?
横(の学生)からは、ぼそっと「若鶏のエヒフ」・・・。いらんこというな。
頑張って調べたのだろうが、本文には「畫」。「晝」(昼の旧漢字)じゃないんだなぁ、これが。もちろん「えひる」は「絵畫(画)」。「まぁ、習ってないんで、しょうがないよね。」と思わず学生に同情。
真偽不明ながら、版下は台湾で組まれるので、初校は台湾から来るらしい・・・。

さて、明日から10日ほどシルクロードの中継地点であるウズベキスタンへ行きますので、しばらくはここも夏休み。猛暑つづくなか、皆様、何卒ご自愛のほどを(彼地も猛暑です)。

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ウズベキスタン

2012-8-8~16

ウズベキスタン行

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セルゲイ薬

2012-8-18

ことのほか、今回の旅はきつかった。

3日目あたりから腹痛を訴える者が多く、終わってみれば9名中8名が腹痛と下痢、発熱。
かくいうこちらもシャフリサーブスあたりから下痢。カシュガルでも羊肉での胃もたれはあったものの、ここまでひどくはなかったのに・・・。

「ウズベキスタンでの病気はウズベキスタンの薬でしか治りません」とガイドのセルゲイ氏。
なんか沢木耕太郎『深夜特急』で読んだようなセリフ・・・。確かに正露丸やエビオス等々日本の薬はまったく効かない。ブハラで買った市販薬を皆で回し飲み。箱のラベルはウズベク語で書かれているため皆「セルゲイ薬」と呼んでいた。帰途のタシケントでは錠剤がなくなる始末。

以後、摂生につとめ小康状態を保ちながらなんとか帰国したものの、気の緩みか、再び発症。
無理せず「セルゲイ薬」を飲めばよかった・・・。
終日、自宅にて安静。

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辺路(遍路)

2012-8-19~21

愛媛県某所(東予・中予)へ調査。仏画がメイン。

「お遍路さん」を多く見かける。1番→88番(右回り)と巡礼するのを「順打ち」、88番→1番を「逆打ち」といい、後者は前者の3倍の「ご利益」があるという。もとは「衛門三郎伝説」。

天長年間、伊予の豪農である衛門三郎のもとへ托鉢僧がやって来たが、衛門三郎は僧を追っ払いついに鉄鉢を割ってしまう。
翌日から子が次々と急死し、衛門三郎はその罪を悔い、托鉢僧が空海であることを知る。大師を追ってて四国巡礼の旅に出たが20回巡礼を重ねても空海に出会えず、今度は逆に回ることにし、阿波・焼山寺の近くの杖杉庵で衛門三郎は病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった衛門三郎の前に大師が現れ、衛門三郎は今までの非を詫び、空海は「衛門三郎再来」と書いた小石を握らせて再来を祈願し、衛門三郎は息を引きとる・・・。
許さへんかったんや、空海は。
難しい絵もあり、間違うと許さへんで・・・、とは関係者のジョーク。

空海が阿波・大滝嶽や室戸岬、石鎚山で山林修行をしたことは疑いない。そうした山岳に寺院が建立され、次第に拡張したのが八十八か所であるならば、その由縁を示す物証として仏教美術の作品があるように思え、丁寧に調べれば、色々な作品も出現しそうだが、「生きている信仰」を赤裸々にするのは難しい面も。

「そんなことしたら、歴史(的遺品)のある札所の寺とない札所の寺が丸わかりになって、格差ができてしまいます。88か所は平等なので、それは無理ですね。」とのこと。納得。

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MUSEUM

2012-8-22

大学へ。あれこれどっさり。

ウズベキスタンでは図録や本をほとんど買っていない。というか売っていなかった。
アフラシャブ(の丘)博物館では、関連書籍を押し売りするオバサンがいたが、タシケント歴史博物館では絵ハガキなどごくわずか。ともに「permanent collection」(常設展)で企画展はなさそうである。カトマンドゥの博物館でもそうだが、埃がかぶった展示資料や変色したパネルなどを見ると、学芸員がいるのかと幻滅することも多い。
タシケント歴史博物館3Fは帝朝ロシア後の歴史、独立後の展示で、「ナショナル アイデンティティ」高揚を意識したもの。「装置」としての博物館を意識せずにはおれない。

企画展もなく展示図録もなく、撮影料(タシケント歴史博物館 20000スム≒10ドル)を取る博物館を思い出しながら、MUSEUMとは何だろうかとがらにもなく考える。

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想定外

2012-8-23

某所へ仏像調査。

事前に調査寺院は浄土真宗(東)と聞いていたので、阿弥陀木仏1躯、絵画若干とたかをくくっていたが、外陣で合掌し仏前に出ると、紡錘形の裾、着衣の形、盛り上がった頭部・・・。あれっ、平安時代後期の阿弥陀如来立像じゃないかとびっくり。
「室町時代に天台宗から真宗へ改宗しまして」と関係者。このあたりでは天台宗の寺院など見たこともない。

ようやく仏像の調査が終わると、絵画。
「真宗の五尊」といい、木仏(仏像)と浄土七祖・聖徳太子像・親鸞・蓮如の各画像が定番。
改宗時期よりも古い「方便法身画像(阿弥陀如来画像)」も登場し、かなり手間取る。正午を過ぎても格闘中。「はいはい、これ(浄土七祖・聖徳太子像)が終わりましたらお昼にしましょう」と。だって、親鸞画像はどこでも“木枠”に嵌って取り出せない状態なのだから。

蓮如画像が明治期の製作とわかり、残すは親鸞画像。
正面から写真を撮って寸法を測っていると、「これ(親鸞画像)、後ろから外せますけど・・・。」
厨子の後壁がそっくり取り外しできるようになっていた。改めて写真撮影と採寸。残念ながら裏書はなかったが。

真宗寺院だからと言って甘く見ていてはだめ。

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修復

2012-8-24

スペイン・19世紀のキリスト像(フレスコ画)が自称プロ画家による修復を受け、悲惨な結果になったとの話題。
外電では「世界最悪」の修復と、報じている。
教会が画家に修復依頼をしたのだからいいんじゃない。

例えば、鎌倉時代の仏像の金箔がかなり剥げていると思い、修理に出したところ金ぴかになって戻ってきた。これを「こうごうしい姿」ととるか、オリジナルが損なわれたととるかの判断は、寺側に委ねられる。いくら、こちらが「えっ~!」と絶句するような修理であっても仕方ない。

似た事例は足元の日本でも山ほど。キリスト像(修復の善悪)が判断出来て、仏像が判断できないわけないやろ、と思ってしまう。

写真はウズベキスタン・某モスクの修復。ボケボケに拡大されたパターン紙を横手に、若い衆みんなで「お絵かき」。こっちに見てないで(左端のふたり)、ちゃんと仕事せぃ。

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岐阜

2012-8-25~26

教育後援会地方懇談会(岐阜)へ。
末娘より「講演会、頑張ってね」とのメール。事情を知らせていないものの、残念ながらそっちではない。

初日のミーティングは事情で遅刻ながら、駅前に立つ金の銅像が目につく。家紋を見るまでもなく「織田信長公像」と記している。
はぁ?
信長の岐阜城在住はわずか9年。むしろ、いわゆる「国盗り物語」斎藤氏(道三)のほうがふさわしい。土地柄、それぞれ事情があるのだろう。

肝心の地方懇談会。5月の千里山(教育後援会)では、学生の成績表のみ配布。ところが、地方ではご丁寧に出席状況や単位修得の目安まで記した用紙までも。

「このロシア語の13/11というのは・・・」と質問され「前期で15回じゃないですか?」とご質問。
たぶん非常勤の(露語の)先生が学会か所用で2回休講されたのだろう。正直、そんなことまで把握していないし、今年は台風による休講もあった。
「そうですね・・・」と口を濁しつつ上述のような返事。頭の中では「なるほどそうですが、13/11の11ということは、どういうことでしょうか?13/13なら話は別ですが“おあいこ”ですよねぇ。」と思うものの、ここは平身低頭に。

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本地堂

2012-8-28

再び某所へ調査。

あらかじめご住職から「仏壇から降ろさずに調査してくれ」との由。え゛っ~と思いながらお寺へ伺うと納得。台座が崩壊寸前。仏像を須弥壇から取り出すと台座は崩壊、仏像の帰る場がなくなる・・・。

住職の座る位置に三脚を立て撮影。んっ?
お顔の中央に沿ってファインダーを覗くと、腰までは正中に沿っているが足がかなり左寄りに。肉眼で見てもかなり曲がっている。
決して稚拙ではない作風で材木自体が曲がっているのだ。ありゃありゃと思い、ふと見上げると「本地堂」の扁額。神宮寺の本尊。
その他にも神宮寺関係の仏像や仏具が現れる。

こういうのを目にすると、「廃仏毀釈」は堂宇を潰して、聖教焼いて、といった派手なパフォーマンスだと思うのだが、ひどい所もあったらしい。複雑。

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その時は諦めますわ・・・

2012-8-29

「南海トラフ巨大地震 最悪で死者32万人」ですが、なんか殆どイソップ「狼と羊飼い」の態。

「地震が起きたら、テーブルの下などに身を隠して、揺れが収まるまで待ってください。揺れている間に、慌てて外へ飛び出すのは危険です。」とNHK臨時速報が流れますね。たぶん巨大地震だから5分以上は揺れ続けるはずです。家の中もぐちゃぐちゃ・・・。すぐさま停電。
津波は早い所で10分ほどで到達。
残り5分でどこまで逃げられるのか・・・。不動産屋の換算だと400mながら、発生が夜中で、外も倒壊物件多数散乱しているので、せいぜい100mぐらいか。
100m以内で最大34mの津波を避ける建物を探すと・・・無し。
そもそも34mってビル何階建てだ?(オフィスビル:8~9階建、マンション:11階建)
しかも夜中は閉扉中。

もし来たら、その時は諦めますわ・・・となるやろ、普通。
何が言いたいのか(したいのか)よくわからん。

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肉体と魂

2012-8-31

所用で沖縄へ電話を掛けたら、「(担当は)お盆休みです」と。
えらく長い夏休みと思って、仕事を続けているとふと気付く。沖縄はマジな旧盆である。8月30日~9月1日が旧暦の7月13日~15日。

台湾や中国と同じく、「紙銭(カビジン)」を焼く。線香6本ほど並べたような「平御香(ヒラウコウ)」も焚く。たぶん親戚中集まって墓参りした後、墓前でプチ宴会だろう。

肉体は単なる霊魂の容器にすぎず、魂はまた戻ってくる、あるいは輪廻するからこそ、「先祖(の魂)を迎える」という行為につながる。キリスト教やイスラム教では肉体と霊魂はひとつなので、「お盆」はもちろんない。盂蘭盆会に関わる「不慮の死」も神様が定めた運命なのでなし。しかしあれほど「食のタブー」があるイスラムも天国では「酒池肉林」の有様。
そういえば、今年は墓参りに行かなかった。今からでも間に合うか・・・。

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