日々雑記


チラシさまざま

2010-10-1

展覧会や各種催し物などのチラシを拝受。なかには東京芸術大学大学院 文化財保存学専攻 保存修復彫刻研究室への受験説明会案内も(学生向け)。思わず、私、受けていいの?と。(違う!)
でも受験生へ事前説明会への出席を強く求めるというごく真っ当な方針に強く共感。正直なところ、「アンタ、何者? 」「私の専門を知っている?」「さぁ~。」という者も少なからず現れる。

なかに秀逸なデザインのチラシ。
おっ!と思いながら内容を見ると、理化学研究所・高輝度光科学研究センターによる「SPring-8 特別企画 夢の光が照らす文化と歴史」講演会。11月20日(土) 於)奈良県新公会堂能楽ホール。

純理系のチラシ・デザインが秀逸で、文系がどうもいまひとつというのはなんだろうかと考える。たまには「理系」でセンスを磨くことも必要と。チラシは集客の命運を握る・・・。
学生諸氏で参加希望者は10月12日まで私へ連絡。ご案内頂いた高輝度光科学研究センターN氏に深謝。

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就活と妖怪

2010-10-3

本屋(郊外型店舗)へ。
単行本(といっても学参やPC関係、旅行ガイドが主)は壁際に並び、中央を漫画、文庫・新書、雑誌等が占めるレイアウト。「講談社学術文庫」や「岩波文庫」も4、5冊ほどは陳列・・・。
入口すぐのところには“旬の平積みコーナー”。しばらく前まで「仏像本」というポップが掛かっていたが、今は「妖怪フェア」。仏像ブームの次は妖怪ブーム。

水木しげる関係の書籍に混じって安村敏信『河鍋暁斎 暁斎百鬼画談』や小松和彦『百鬼夜行絵巻の謎』、澁澤龍彦・宮次男『図説 地獄絵をよむ』等々、普段は見かけない品揃えに驚く。仏像本は、既に壁際に追いやられて2、3冊ほど。

しばらく店内をうろついて、楠木新『就活の勘違い-採用責任者の本音を明かす-』(朝日新書)と水木しげる『神秘家列伝(其ノ壱)~(其ノ四)』(角川文庫)を購入。
前者はパラパラと立ち読みしながら、日頃こちらが仄聞する“歪な”就活イメージや誤解をすっきりと解消してくれる。就活を始める前にまずは読むべき書と思う。帰宅後、読み始めるとびっくり。著者は現役の企業人 兼 うち(関大)の非常勤の先生。
今後の「就活相談」のネタ本。

後者は、娘から「おっ!マンガを買う?」と揶揄されて一度は躊躇したが、再び手元に4冊も。明恵、役小角、出口王仁三郎、長南年恵、仙台四郎などの人物に惹かれたのもあるが、なんとなく。
「出雲の神サンからの指令」(其ノ参・解説)かもしれない。

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長鋏帰らんか、食に魚無し

2010-10-4

最近では自治体採用も「要実務経験」条件付。

即戦力が期待できるものの、「要実務経験」となると、普通では既に収まる所に収まっているので、多くは同業他社からの「ヘッドハンティング」となり、なおのこと難しい。

自治体ゆえ、多くは年齢制限を設けない(定年まで)ものの、採用ポストの提示もない。
例えば、実践力優秀で、その筋では高名な人物ながら年齢は55歳。採用後のポストは、実力もなく常に上司の顔色しか見ず馬齢を重ねただけの管理職のもとで「ヒラ社員」でよいのだろうか。
おかしいやろ、そんなん。
新聞等の「求人広告」では、実務経験を問う以上、「幹部候補生」や「店長」とかのポストが示されており、給与も大きいが仕事もそれなりにあるゼィ!と明示されている。

「前例に従ったまで」と抗うだろうが、きっと、どこかが「課長職」「主査級」と示せば、ほかも必ず追従するし、転職にチャレンジする者も現れる。ただでさえ、給与は下落の一途で、公務員パッシングは止まぬなかで、誰が好き好んで今ある(一応)職を捨てるのだろうか。 安泰?
「年収4割カット」の夕張市は85%が退職(退職希望)ですが・・・。

公務員「実務経験」ながら、自治体自らが体質を変えないと無理だわ。やっぱり。

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朝帰り

2010-10-6

幾つかの書類等が重なり、自分でも信じられないが、今年度初の「大学泊」。

「『キェルケゴール』でも『キルケゴール』でもどっちでもいいのに(業界は理解)、つまらん添削をする者はいったい誰や?、なにが“独創的研究”かどうかもわかないようなら、誤字脱字だけ確認すればよいものを、このボケが!」と異口同音に聞いたことを思い出して、提出前の点検もなし。
だって外は白々と夜が明けて、鳥やカラスが鳴いてるもの・・・。完全に能力の欠如。

帰宅。
世間は、かくも早朝から活動しているのかと思うほど、近所の人に遭遇。
普段は「あれっ、こんな遅くにご出勤?」という眼差しを受けているので、今朝は「夜遊びが過ぎてのご帰還ですねっ!」の視線。お仕事!と心の中で叫びつつ、交わす挨拶はかなりひきつり気味・・・。
玄関先では、登校する娘たちとも遭遇。「お帰りっ!今まで、どこで遊んでたん?」と軽口。
自宅には深夜に連絡し、事情は了解済。「おまえら、絶対にしばく!」とつい、宜しからぬ口調に。

玄関を入って再び同じジョークを浴びながら、冷蔵庫に直行し缶ビール(!)をあける。
つけっ放しのTVからは、「心ときめく運命的な出会いの予感。」(今日の占い)と告げるが、わたしゃ、これから寝るところです・・・。

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浄土の浜

2010-10-7

お昼に起床、出雲市へ。途中で色々と予定を考えていたが、いつもながらの行き当たりばったりに。

中国山地の山並みを抜けながらこのままホテルへ・・・というのももったいなく思い、稲佐の浜へ。ちょうど日没前に到着。

「国引き神話」「国譲り神話」の舞台。出雲では旧暦10月を「神在月」という。旧暦10月10日夜に、やおよろずの神々がこの浜に上陸し出雲大社へと向う。上陸後、神職が左右に隊列を組んで大社まで神々を先導。もちろん沈む夕陽をみれば、神仏混淆時には浄土への入口とみなされたことも容易に推測。
弁天島の周りではゼミ旅行と思しき複数の若者が遊んでいる・・・。近くにいた引率の先生と思しき人が沈む夕陽を見ながら「きれいですねぇ」とぽつり。「そうですね、まるで極楽浄土の入口のよう。」と応えると、驚いた表情で「仰る通りで・・・・」と。別段、驚くことはない、たぶん同業者ですから。

夜の帳が迫り、「みんな、帰るわよ~!」と声をかける件の先生。さて、こちらもそろそろホテルへ。

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神々のすがた

2010-10-8

朝から島根県立古代出雲歴史博物館で開会式。テープカットの後、展示を拝見。

初出品の彫像は、女神坐像(出雲市・個人)や多聞院・智伊神社の神像群、横田八幡宮(奥出雲町)騎馬神像と件の摩多羅神像。
多聞院・智伊神社の神像群は従来の神像彫刻のイメージを覆すユニークな作品群。こういう作品を大真面目に考えるのが楽しい。

神在月に神々が集まり、その後は宮崎アニメ「千と千尋の神隠し」での湯屋「油屋」の場面を見るように「神様御一行、おくつろぎ」と漠然と思っていたが、歌川国久(二代)《出雲大社之図》(浮世絵)等を見ると、さにあらず。
独身男・女の名前を木札に書く神サマ、大己貴命(おおなむちのみこと)と天照大神との前で縁結びの協議をする神サマ、カップルの札を結びつける神サマ、二人の名前を帳面に記す神サマと忙しいことしきり。ということは旧暦11月以降は翌年まわしなのか・・・。

見学後、館内外の関係者とも久闊を叙した後、益田に移動。

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神々のすがた in 石見

2010-10-9

石見美術館「神々のすがた-古事記と近代美術-」を拝見。

日本神話をモチーフとした日本画・洋画・彫刻の展示。見たい資料は竹内久一《神武天皇立像》。誰もみたことがない神武天皇の尊顔は明治天皇。かくして日本神話をモチーフにしながら、そこから浮かび上がるのは近代国家ニッポンの息遣い。歴史画たるゆえんでもある。

展示作品をみながらちょっと面白いことに気付く。日本画には当時の考古学等の研究成果がふんだんに採用。甲冑は鋲留めから革綴じに移り、描かれる器も須恵器の横瓶、平瓶、有蓋高蓋から土師器へ。ヘアスタイルは人物埴輪の美豆良に準拠。時には三尾鉄や蜀江錦も。架空の神話ながら個々のモチーフは出来る限り、当時知り得る学問水準(時代考証)に即して描かれている。

それに対して洋画・彫刻では「実在を思わせる」モチーフは皆無で、まさに描きたいように自由奔放。甲冑姿ながら肩甲もなく、甲冑も1枚の鉄板をプレスしたようにも。髪の表現ひとつみても「茶髪」や「サラサラヘア」の神様がどこにいるのかと思いたくもなる。洋画習得定番の裸体表現も随所に看取(ありえん!)。

極めつけは中村直人《草薙剣》(昭和16年)。軍神として制作されたらしいが(針生一郎他編『戦争と美術 』にも掲載)、三つ編みのお下げ髪姿で、顔はイタリア人?風、草薙剣は右手に持つ有様。右手に剣を持つなど無知も甚だしく、反戦彫刻かと思ったほど。
西洋絵画に追随しようとするあまり、歴史画(日本神話)を描く際にいかに日本を勉強していないことがはからずも露呈。今日から見れば、洋画での歴史画表現は自滅ともいえるプロセス。日本神話画を通してあれこれと学ぶ。
洋画・彫刻では苦笑しながらも竹内久一《神武天皇立像》を直接観察できたことを幸とすべき。

その後、医光寺で南北朝、室町時代の仏像を見て帰途に。

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美学会全国大会

2010-10-11

昨日より関西学院大学で美学会全国大会。

学会概要にあるように「哲学的美学や芸術哲学、音楽学・演劇学・映画学などの芸術諸学、そして美術史などからなる、広い意味での美学・芸術学・芸術史の研究」。従って発表内容も千差万別。

関西学院大学(芸術学)の大きな伝統として「音楽学」がある。
研究発表やシンポジウムも恣意的ではないが、ややそちら寄りがめだち、エクスカーションも「タカラヅカ」。

今回は特に御用も当たっていないので、ぼんやりと若手フォーラムや研究発表を拝聴。一知半解どころか皆目わからないのもあったが、これはこちらが学生時代に真面目に美学を学んでこなかった報いとも思うが、それにしても「美学」の守備範囲は広くなった・・・と実感。

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破却

2010-10-12

大学。たまたま図書館前で同僚の先生と。
「この前、新幹線の社内誌に某さんが『廃仏毀釈の嵐はなかった』みたいな説明してたけど、違うよな?」と。

地域によってかなりの温度差があるものの、総体としては内心そう思っているので、そう間違いではないかもと、やんわり否定したが、「どういうことや」と追加説明を求められる羽目に。書庫に行かんといけないのだが・・・。

廃仏毀釈格好のターゲットになったのが真言・天台宗の神宮寺系の寺院で、内山永久寺など壊滅した寺院も確かに数多く存在する。それでも神官や官吏がお経や絵画を山積みして火を放ち、仏像を叩き割るというイメージは、各地に残る旧神宮寺の仏像などの什宝を見ても現実とは程遠いように思う。
『大乗院寺社雑事記』によれば、盗人は原則死刑で、その住宅は破却(解体)されて、材木が没収となる。時代は違うものの、建物のみが破却される(什物は勝手次第?)というのが実情じゃなかったですか、と説明するも「また、おかしなことを言う(ハセさん)・・・」と。
むぅ。嵐と台風とゲリラ豪雨は違うのだが・・・。

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もう終わりですね。

2010-10-13

書類提出や来客があって、ようやくひと心地。自販機に向う途中、事務方の方とばったり。
久々に顔をみながら「もう、終わりですね。」と。
無理もない。昨年は時間割とか非常勤とかでひとかたならぬお世話をおかけし、また会議が先ほどまであって、周囲では、はや来年度の時間割をどうするかという話題も出ているので、既にそろそろ2011年モード。3週間前に秋学期が開始したばかりなのだが・・・。

雑談しながら、来年4月から「うぉりゃ~!! 」と全開モードになるかどうかちょっと不安にも思い、「また(教員)1年生からやり直しですわ。」と応える。
ひと頃に比べ日没も早くなり、そろそろリハビリが必要な時期なのかも。
(でも学務系の仕事は振ってこない下さい。)

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ようこそ、アムステルダム国立美術館へ

2010-10-14

久しぶりに梅田ガーデンシネマで映画。

Rijksmuseum Amsterdamの改築工事をめぐる舞台裏。出演は館長、学芸員、ペーパーコンサバター等々の現役スタッフ。
お国柄なのか、折衝はややぬるま湯気味ながら「やっぱり、そうなるわなぁ」と妙に生々しい現実味。見ながら「記録映画」を公開したのかもと思ったり。

映画を見ながらも、アムステルダム国立美術館の広大な展示場と気が遠くなるほどの作品群を思い出す。
アンネ・フランクの隠れ家のような安宿(35ギルダー/日)に泊まり、ミュージアムカード(museumjaarkaart:しかも学生用)とトラムの回数券をもって5日間通い詰め。その後もデンハーグやライデン、ロッテルダム、レワールデン、フローニンヘン等々の美術館三昧。既に働いていたが、2月にその年の有給休暇を全部使って(もちろん軍資金も少ない)の「無茶ぶり」旅行。後の10ヶ月は何が何でも休めなかったが、あの時だったからこそと思う。

今の学生には「北(南)周り」とか「アンカレッジ空港の立ち食いうどん」(!)といってもピンと来ないのだが、それだけ生活が豊かになったのだろう。

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壊れている

2010-10-15

身の回りにあるパソコンはXP(一部はvista)。ごちゃごちゃと蓄積もあるが、取り敢えず許容範囲内でさっと起動。一部のソフトをクラウドにしたのでずいぶんと早くなった・・・。

パワーをオンにして20数分間も起動中で、動いたかと思えば、途中から「ほかの作業もできます」(と言い訳しながら)バックグランドでウィルス検査が働くも、案の定、反応は信じられないほど鈍い・・・。保存したはずの文書も出てこないわとなると、普通、んっ?壊れたかも?と思うはず。こんなことが何度も起こると、「つぶれた!もう古いし、破棄して買い換え!」との決断に至る。

壊れたままで「ギュィ~ン」と頑張ってもクラッシュするだけなのに。
パソコンならすんなり下される結論が、「人間」になぜ適応できないのかといぶかる今日この頃。

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大坂画壇

2010-10-17

午後、八尾・安中新田会所跡旧植田家住宅で講演会。
「近世大坂画人と河内」というテーマ。

よほどの近世絵画フリークは別として、「大坂画壇って何?」というのが一般的な理解。なかには「大坂(大阪)に関わりある画家」など漠然たる定義も。毛馬村出身の与謝蕪村を「大坂画人」と断じるのはちょっと・・・。
ヒンターランド(後背地)としての河内と画家との関わりを中心にあれこれと。

奥座敷に座布団を敷いて、こちらも座布団に座り低い長机を前に、襖絵(開いているが)を見ながらの講演。聴講される方と同じ目線で話すのはなんとなくいい感じである。

一部の人は博物館や市民グループなどでの講演、講座を自嘲気味に「お座敷」と称する人がいるが、非常に不遜な態度と思う。若い人がそうした研究者(先生)の口真似などすると、いったい何様のつもりだと言いたくなる。
「研究者」という職業がら、調査・研究成果をなんらかの方法で社会に還元しないといけない。学会発表やシンポジウムもよいけれど、こうした講演・講座は身近な成果発表の貴重な機会である。
決して 「爆縮先生」 になってはいけない・・・。
科研費の書類でも「研究成果を社会・国民に発信する方法」の項目がある。ここに「一般向け講演会6回開催」などと書いても一笑に付されるだろうが、税金を使いながら本当にそれでいいのかとも。

ともかくこうした講演会は重要な位置づけ。つつがなく無事に終了。

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聖地巡礼

2010-10-18

「聖地巡礼」と聞いて、こちらはメッカとか中国・五台山を思い、家人は縄文杉や高千穂を考え、子供は、らき☆すたや涼宮ハルヒなどのアニメが思い浮かぶ。ずいぶんと「聖地」も様変わり。

このレベルでは笑ってすまされるものの、「この日本列島に住んでいた、国家が生まれる前の人々の生活や自然観、心のありかた全体をふくめて「縄文」と呼ぶとき、厳密に考古学的な意味とは別に、ひじょうに多様な意味を包摂する言葉です。」などと前宣伝で謳うのはどうかと思う。(坂本龍一/中沢新一『縄文聖地巡礼』)

こういう軽いアカデミックぽい読み物を読んで、勘違いし続ける若者も現れるものと危惧。もっと正当な学術書や古典を読みこんで足腰を鍛えないといけない。
「絵から世俗を排除するには、本を読むしかない。」とは『芥子園画伝』(昨日の話)。研究するなら、もっとちゃんとした本を読まないとダメなのだが、気づく頃にはもう手遅れ・・・ということにも。
罪つくりな書籍。

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自縄自縛

2010-10-19

首元に蝶ネクタイを結び、バニーちゃんの耳をつけ、3本髭のない 全身 そら色の「ドラ“ざ”えもん」。
これが「ドラえもん」の「著作権侵害」にあたるかどうか。
正規には、「ドラえもん」の著作権者(藤子プロ・小学館・テレビ朝日・シンエイ・ADK)いずれかからの訴えがあってはじめて、裁判所は該当作品が「創作物」か「著作権侵害」かどうかの判断を行う。その判断が出来る権限は裁判所にしかない。(すみません。1年生向け授業のネタばらしで・・・)

某氏の「個人的意見」として発掘調査報告書の電子書籍化に際して「著作権」を楯に反対論。
その著作権とは、発掘調査報告書で人骨などの鑑定を外部研究者に依頼し報告文を寄せた場合、組織内の研究者(要するに担当職員)であっても、発掘調査報告書に自分の論文を掲載した場合の「著作権」を掲げておられる。

この場合は「法人著作権」に基づくものである。「法人著作権」の成立要件としては、
①著作物の創作が法人等の意思に基づく ②法人等の業務に従事する者であること ③その職務上、著作物を創作すること ④法人等の名義によって公表 ⑤契約、勤務規則等に(著作権等の)別段の定めがないこと
の全てを満たしていなければならない。

①:課長から「今度の(発掘調査)現場はここやで」と言われたので、②:文化財の職員である私が、発掘調査を担当し、③:年度末の3月56日に発掘調査報告書を書き終え、④:所属の教育委員会(文化財事業団)の名で報告書を刊行、⑤:遺物整理の途中で人骨と見慣れない石があったので、知り合いの先生に分析をお願いして原稿を書いてもらって掲載した・・・。
この過程のどこに「法人著作権」の欠格要件(組織内研究者の著作権発生)があるのだろうか。

「ごじゃごじゃ「考察」なんか書かんと報告だけでいいんや、報告だけ。」とか「仕事してると思うたら論文書いとったんかい」「これからは、(実測図を書く)調査補助員や調査員、分析を頼む先生にも一応、著作権放棄の“念書”取っといてや、ついでに君も。」と言いそうな上司がごまんといる業界、こうした間違った根拠が示されると、現場の者が苦労するだけだと思うのだが。
ちょっと嘆息。

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曽爾高原

2010-10-22

曇空のもと、伊勢本街道をぶらぶら。家人も同行。カーナビに導かれることのない運転に助手席で「はぁ?」という表情。
「昔、『伊勢本街道に点在する文化財』調査に参加したから・・・」と。それでも新しい道やトンネルも出来、やや不安なことも。

初生寺や春日神社を通って御杖(菅野)まで。もう少し走ると三重県。人家がまばらに点在。そういえば当時、お昼(ごはん)は駅前で買い込んだドーナツ。
お昼事情は当時とあまり変わらず、曽爾高原でお昼。風が吹くと、一斉にススキの穂がなびいた波に包まれる高原を眺めた後、大阪へもどる。秋本番である。

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新聞

2010-10-23

新聞での大学PRで「学生顧客主義」。アホかと。
こういう大学が軒並み潰れて、大学進学率を下げれば就職氷河期から脱出できるのにと思う。

1980年の大学進学率は25~30%、今や倍増以上の進学率。それでも皆が一応に昔(’80)と同じような企業(とはいえかなりの偏り)をめざすので、就職難。加えて低成長時代。「就職超氷河期」を迎えるのも無理はない。
ぶっちゃけ、80年代なら高校卒業後就職した生徒が、就職も出来ずにやむなく大学進学する昨今である。往時は厳しかった「演習」での原書(独・仏・ギリシャ・ラテン)講読も、夢また夢の物語。

こういう状況で一部の学生は「コピペ」に走るのだが、最近は「コピペ発見システム」もあるらしい。
ところが、その解析に520台のパソコンを使用し12時間掛かったとのこと。はぁ?
そもそも専門に関わるレポート・論文なんだから、ネットや大学図書館、はては近所の図書館で関係図書を調べれば、すぐに判明する。レポート作成に時間をかけない者が、どうしてコピペ元を探すのに時間をかけるものか。コピペ元も「お手軽 簡単」である。

こういう者が間違って朝日新聞社に入ると、共同通信の記事をコピペしてしまう・・・。
「表現が引きずられた」「本文の表現が酷似していることは否定できない。」
普通、それを「コピペ」というんじゃないの。

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頂蓮

2010-10-24

某所へ仏像調査。鎌倉から江戸までいくつかの像を調査。途中で雨も降りだし、カメラの調子も悪くやや滅入る。

台座をひっくり返すと「大坂西高津 今来久兵衛」。19世紀初頭の作品。こんなところまでお仕事。

室町(安土桃山)時代の不動明王坐像。頂には「頂蓮」を載せる。
不動明王像の頭頂は、「七莎髻」を頂くタイプ(滋賀・園城寺など)と「頂蓮」を頂くタイプがある。前者は天台僧安然の「不動十九観」、後者は東寺西院像にみられるように「大師様」に基づく。

そばには千手観音立像や毘沙門天像も安置され、天台宗系寺院では観音を中心に不動と毘沙門天を脇侍とする三尊構成であるため、よもやと思ったが、「頂蓮」タイプであることからその可能性は低い。村のお堂なのでもと点在していた寺の仏像が集合したようである。

いつもように仏像をお掃除して写真撮影、計測等を行う。普段、仏像のお掃除(どころか仏像に触れることも)はなかなか難しく、こうした折にホコリを払わないと、きれいにならないのはお寺でも同様である。

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わらしべ長者

2010-10-26

「木枯らし1号」も吹き、ひんやりと肌寒い1日。
研究棟の玄関脇には、「○○大学 △△学 締切日」の「教員公募」一覧が貼ってある。
会社入口すぐのところに同業他社の求人情報が貼ってあるようなもので、赴任直後は「(仕事が)気に入らんかったら、どこ(の大学)でも行ってくれていいから」と大いに勘違いした。これは院生(博士課程)以上への情報で、教員側から当該者へお知らせ下さいという一覧である(と信じたい)。今では JREC-IN とほぼ重複。
このところかなりの頻度で追加掲載。教員採用の時期である。

「適当と思われる方をご存じの方は、提出をお薦めください」と婉曲な表現だと思ったら、応募書類に「推薦状」の項目があったり、書類提出先が学部長や人事課等ではなく「学長(個人名)」だと、トップダウンの雰囲気も色濃く感じられたり・・・。

それにしても「任期付」が多い。うち(アカデミック・ライティング)もそうだけど・・・。
[働かずしてある種の社会的地位が確保できる]といまだに妄想する者は論外としても、こうなると「わらしべ長者」の心境で臨まないといけないのかも。
「(主人公は)いずれも高価なものを入手する動機はなく、需要と供給の均衡の上に成り立った等価交換を繰り返した結果として富の上昇がもたらされている」(Wikipedia)との指摘に思わず納得。

「なんや、藁やんか~(泣)」と手放すようでは、前途多難なご時世。

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プロフェッショナル職

2010-10-28

最初、聞いた時は悪い冗談だと思っていた。JR西日本の駅員や運転士は「プロフェッショナル職」と呼ばれる。

尼崎事故以来、社是を「安全第一」に変えても体質は一緒。
緊急停止装置の電源切ったり、ヒューズ抜いたり、また警報装置にトイレットペーパー詰めたりで、今度は、事故現場でのスピード超過を公表せず(いくらなんでも事故現場ではまずいやろ)。どこに「プロフェッショナル」と称する資格や矜持があるのだろうか。
今日のような雨天では相変わらず遅延。ダイヤが乱れ、ホームでイライラが募る特急未満の乗客の前を、“空気”を運んでいる関空発の「特急はるか」が悠々と通過。

大阪には「大阪環状線」という“山手線もどき”があり、阪和線、関西線、東海道線等とも繋がっている。山手線のようにそれぞれ単独の線路を持っていないため、京都あたりで事故・障害が発生しても、その影響は和歌山(阪和線)まで波及する。そうした事情も分かりたくないのだろう。
「関空リニア」を声高に叫ぶ橋下知事もこうした事情は知らないようで、「万年遅延」のJRと代替輸送の南海が共にリニアで乗り入れするというのは関空への鉄路を断つに等しい愚策。

「もう2、3回大きな事故して、会社が“左前”にならんと気付かんのか、お前らは!」と駅員に毒づいていた会社員もいたが、不謹慎ながら、そうかも知れないと思う。

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出張先にて

2010-10-29

同僚の先生(役職)、事務職員氏と共に鳥取県・某所に出張。この街を訪れるのは何年ぶりだろうか・・・。

交渉の後、資料のボリューム、コンディションの確認も。
来年度の仕事ながら既に装備は事務方によって準備万端。何時でもGOサインが出れば出撃できる体制。

その後近くの土蔵群を見学。いつの間にか重要伝統的建造物群保存地区に指定され、観光地となってレトロな雰囲気が満載。やや年配の人たちが観光バスで訪れ賑いをみせている。一方で道を挟んだ博物館は静寂そのもの。この違いは何だろうかと考える。

レトロな雰囲気のなかでタイヤキや饅頭をほおばり、竹細工や醤油などの土産物屋を覗いて次の観光地に向う人たちにとって「博物館」は縁遠い。観光ツアーの旗のもと、皆バッジを付けて、時には既にほろ酔いかげんの爺さんたちが大挙して来館したらと思うと、ぞっとする。勢い余って資料に触れて壊されてはたまったものではない。
「博物館」「美術館」へこれまで自発的に行ったこともなく、何ら関心をもたなくても、こうやって日々楽しく過ごすことが出来る。そう思う層は老若男女問わず殊のほか多い。

伝統的な土蔵群での喧騒に、まだまだ日本は豊かではないと思ったり。

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摩尼寺

2010-10-30

朝から雨。同僚の先生からの希望もあって摩尼寺へ。

長い石段の途中に仁王門。
県教育委員会の説明板では文政7年や安政2年、文久の墨書銘があり、創建年代を18世紀後半とするが、寺側の案内板は文禄3年(1594)創建で、廃仏毀釈の際、隠岐・焼火(たくひ)権現〈雲上寺〉から移築したとの由。ちなみに隠岐・焼火神社に残る「仁王尊像門」の棟札は宝暦9年(1760)銘。
都合よく考えると、宝暦9年に創建され、明治初年頃に隠岐から移築したのであろうか。門内の仁王像は都ぶりの作風で、宝暦よりも古い時期の作品にみえるのだが・・・。
石段を上り切ると、本堂。
本尊は帝釈天像で他に千手観音。奥には善光寺式阿弥陀三尊像を安置する「善光寺如来堂」も(共に閉扉)。 途中に三祖堂もあり、中央に伝教大師像(ただし持物は如意)と左右に弘法大師・慈覚大師像を安置。天台宗の寺院ながら仏像だけを取上げても、非常に不思議な構成。

食事後、帰阪まで少し時間の余裕があり、鳥取県博「海と生きる-海から見た江戸時代のとっとり-」を見学。日本財団助成事業。
土曜日ながら雨天ゆえ閑散。興味深い資料も展示されていたが、構成が多岐に渡り展示資料もかなり多く、逆に散漫な纏まりのない展示ながらも、研究者向けの展示としては、よいのかも知れないと雑談かたがた。

中国山地をほぼ直線で縦断し2時間半弱で大阪。ディーゼル車ながら思いのほか速い。

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デッサン

2010-10-31

雨。神戸市立小磯記念美術館「古家新とゆかりの画家たち」を見学。

古家新(1897~1977)は第二神戸中学校絵画クラブ出身。後にここから小磯良平、東山魁夷を輩出する。京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)に学び1921年に朝日新聞社に入社。工芸学校では、デッサンしか学ぶことができずに“独学”で油彩を学んだか。1924年からは信濃橋洋画研究所で鍋井克之に師事する。
昔、天王寺駅コンコース中2階にかけてあった熊野巡礼の緞帳?は鍋井克之の原画に基づく。

初期の自画像から作品を眺めるが、むぅ・・・。
小豆島へ移住した1961~62年頃の作品だけがよろしいかと。最後の「日の出」シリーズは痛々しいばかりである。 どことなく暗い色調の色遣いは鍋井の影響もあるが、どの作品も画面構成がよくない。これは、ひとえにデッサン力が弱いためである。鍋井や小磯、向井潤吉、東山魁夷の作品と比べれば一目瞭然。

思い余って「基礎」をおろそかにしてはいけないという見本ともいえる。ちょっと残念。

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過去ログ