日々雑記


入試

2010-2-1

気温も下がり雨模様。今日から入試開始。
朝、天気や交通情報を見つつドキドキしながら入試開始を迎えるセクション(入試本部)がある。

新聞夕刊でお馴染みの入試風景ながら、受験会場は大阪だけではない。全国27会場(札幌・仙台・新潟・東京・浜松・名古屋・津・金沢・福井・滋賀・京都・神戸・姫路・和歌山・岡山・広島・山口・松江・高松・徳島・高知・松山・小倉・福岡・熊本・鹿児島・沖縄)で同時に行われる。
○○会場では積雪などで交通機関に遅れが出ていないかなど、入試が定刻通りに無事始まるまで(終了するまで)、ピリピリした雰囲気らしい。

かつては雪の降るなか、早朝から自宅を出て京都まで受験に行ったが、今の自宅なら和歌山会場が千里山よりも近い。旅行社の「受験パック」も、もはや国公立大学向けだろう。

もちろん問題は大阪も含め各会場すべて同じ。普段熟知した校舎とは違う入試環境なので、教職員選抜組が派遣される由。

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学の実化

2010-2-3

ここしばらく、頻繁に学芸員募集の書類を頂戴する。お声をかけていただきたいへん有難いのだが、該当学生がおらず、書類は筐底に。

学芸員志望の学生に対して、掛軸や巻子を使ってよくイジメている?のだが、これまで「要経験者」優遇だったのだが、最近の傾向としては、要経験が少なくなり、替って「研究業績書」+「取扱い」。
受験年齢制限も34、5歳まで延びた。もう「院卒」の肩書だけでは、通用しない。
大歓迎。

「人様(業界)の役に立ちそうなテーマを見つけなさい」「一人で作品調査ができるように」とこれまで幾度となく言ってきたが馬耳東風。「10年間、勉強してダメだったら、その時にはいさぎよく諦めろ」ともいうが、雌伏(下積み)もイヤのようである。
即席簡単レシピで独立開店できるわけはない。

大学院口頭試問で「修了後の進路は?」と問うと、ハンで押したように「学芸員」と答える。でも研究テーマは『研究史』の本が出来るほど、手垢にまみれた対象。研究者の数も朝の通勤ラッシュほどに存在する。もちろん新しい知見は殆ど望めず、「研究史」を研究テーマにする気転も利かない。
採る側(美術館等)は、アンタの関心なんか、知ったこっちゃないし、館に所蔵していない作品や関連もないことを研究する者など必要とはしていない。

学芸員資格を取って、美術梱包・輸送会社にエントリーシート出して、面接を受けに上京する学部生のほうがよほど頼もしくみえる。

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諸連絡

2010-2-4

所用にてゼミ生にメールすると、「いよいよですね」と口頭試問日時を記した連絡葉書到着の報告。
まだ届いていない人は至急 連絡を乞う。
「葉書、持参しないといけないですか?」とも。たぶん要らないだろうが、「もう持参したら」とも。
口頭試問の諸注意は、【こちら】

既にこちらは時間も副査も決まって準備万端・・・と言いたいとこだが、種々諸々あって肝心の卒論はまだまだ。
今年は提出人数の関係もあって副査も当該専修のみ。他専修の卒論もいくつか読んでみたいものがあるのだが、口頭試問終了後のお楽しみということで。

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総天然色

2010-2-5

公民館で役員が須弥壇から坐像(仏像)抱えて降ろす途中、布貼黒漆塗りの像底に朱漆銘がみえ、そのままの状態で観察。「文和二二癸丑」と読める。南北朝時代、古い・・・と思っていると、背後から女性の声で「大丈夫?」と聞こえる。声をかけた相手は、私?役員さん?「願主」まで読んだ時、再び「大丈夫?」と聞こえ、体が大きく揺れる。

目が覚めた。傍で「もぅー!死んだと思ったわ」と家人。非番とはいえ、時計をみるとそろそろ夕刊が来る時刻。14時間も眠り続けていた。
黒・黄色の遮断機がある踏切を渡ると真新しい石の鳥居、左には広場があり、線路側に消防倉庫と錆びた火の見櫓、広場には紅葉した落葉が広がり、奥がベージュ色の公民館…。不思議がられるが、夢物語はいつも「総天然色」。普段は難しい『多聞院日記』英俊の「夢日記」もカラフルで、この時ばかりはちょっと親近感。

「予知夢」「デジャヴ」というのもあるらしいが、文和4年が「癸丑」では現実視には程遠い。でも、もうあと少し寝かせてもらえれば、「仏師何某」まで読めたのだが・・・。
さすがにここまで寝ると、ぼぅとした倦怠感が身体を包む。

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高校よ、お前もか

2010-2-6

朝より小雪舞う寒い1日。

深夜、晩酌傍ら新聞を見ると、末娘(高校受験)の志望校出願状況(私立・大阪)にアンダーライン。同じ紙面に京都府の私立高校も。2番目の受験ともなると余裕というか、慣れ(放任)というか・・・。
このⅠ類・Ⅱ類・・・というのはきっと成績順なんだろう。

次いでながら他高校も見ると、学科名こそ「普通」「国際」ながら、下位のコース名はやりたい放題?
「プログレス」や「パティシェ」などは序の口で、「エテルナ(クラス)」「ステラ(コース)」「ヴェルジェ(○○専攻)」「エスポワール(コース)」「ソフィア系」などなど。新車の名前かと見紛うほど。

かつて 文学部専修名を揶揄 したこと もあったが、国際日本学部、シティライフ学部、グローバル・メディア・スタディーズ学部・・・など、同業他社の学部名に比べれば(世間から見れば)、十分に常識の範囲内、と安堵していたが、「プリムラ関大(特別進学)コース」というのも見つけ、ガックリ。

うちの大学には、たしか農学部も園芸学科もないはずだが・・・。

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学びの扉

2010-2-7

入試・卒論・修論・・・諸々の傍ら、只今、S先生による冊子「学びの扉」改訂作業中。

これまでマイナーチェンジはあったが、来年度入学生からのカリキュラム改定に伴うフルモデルチェンジ。

手元にある冊子表紙下の発行元も、「哲学専修」から「哲学専修・芸術学美術史専修」、「哲学倫理学専修・比較宗教学専修・芸術学美術史専修」へと変化し、ここ数年間の変革をうかがわせる。

3専修の講義要項をはじめ、初年次導入教育、スタッフ紹介など、“専修版ハンドブック”として4年間使用できる内容にもなっている。
私の頁も最初はずいぶん気負って書いている。
カットに使っているサントリー・ミュージアム(天保山・閉館)を差し替え、国立博物館の第3土曜の入場無料を「友の会カード」に改める(うちは「キャンパスメンバーズ」に加入していない)など、こちらも改訂。
「なんで(冊子にココの)URL載せへんのですか?」と学生に言われたこともあるが、内容が貧相なヨタ話なので、URLは今年も載せない。

4月のオリエンテーションには新入生の手元に真新しい「学びの扉」が届く。ちなみに選択必修科目「学びの扉」(3専修)受講生以外にも本学文学部生なら誰でも無料配布。

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すべらない砂

2010-2-8

今日で入試も終了。
自宅の“お菓子のバスケット”にも様々な“合格祈願 お菓子”。皆がせっせと買い集めているみたいである。

天満宮の御守や鉛筆というのは定番だが、今やバラエティ。近郊では、南海電鉄高野線の学文路(かむろ)駅の入場券5枚綴りが有名で(「ご」「入」「学」)、最近は「すべらない砂」というのも付いているらしい。学文路駅は高野山ふもとのレトロな駅。キィーキィーと軋みながら急勾配を登るが、汽車じゃあるまいし、砂を撒いて電車が登るという光景もみたことがないが、全国の電鉄各社がこぞって販売しているので実際には存在するのだろう。
全日空では、御守の中にドライバーの先につける「すべらない砂」(←これは知っている)や合格祈願絵馬キップ。

おやおやとバスケットを見ていると、「砂~!」と上娘。同調する家人たち。ネジ用の砂とか電車の砂をどうやって集めるんや、ヲイ。
困った挙句、「ほな、食塩(塩化カルシウム)、買ってくるわ」と。「(問題を見て)凍って、すべらんように」と言ったものの大ブーイング。
いっしょやないか・・・。

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シャーロック・ホームズ

2010-2-10

資料には1994年11月邦訳版が付けられ、以下「ibid」ともあって学術論文みたいだが、冒頭、原稿用紙2枚ほどの“前振り”があって、学術論文(ペーパー)ではなく論文集(書籍)のようである。
このことからオリジナルの書籍は、1995年以降に出された学術洋書の邦訳本、“前振り”の長さは、ひとりの著者に拠るものと推測。
散りばめられたキーワードをもとに、各所でただいま「見当たり捜査」中。楽勝と思いきや、意外にもてこずっており、自白強要も視野にいれて・・・(ヲイヲイ)。

なんとなく、車両の皮膜片からひき逃げ犯を追う刑事のようだが、
「シャーロック・ホームズは、名探偵の条件として、「過去の犯罪についての豊富な知識」、「現場での詳細な観察」、「大胆な発想」の三つをあげている。美術史も同様で、古今東西の美術品についての知識と作品を前にした時の観察、そしてそれをまとめあげていく方法論が必要である。」
と述べた美術史研究者もいる。
本来はお手のもののはずなのだが・・・。

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先祖がえり

2010-2-11

家人が友人と連れ立って京都国立博物館「THE ハプスブルグ」を見学。
特に「西洋柱に囲まれた大部屋」(中央室)は、まるでヨーロッパ(の宮殿)で見るように雰囲気と作品がマッチしていたとの由。わたしゃ、ヨーロッパの宮殿には行ったこと、ございませんが・・・。

明治初期、欧米と比肩するためにはMUSEUMを、というわけで、東京・京都・奈良に博物館建設。東京(国立博物館)はJ・コンドルによる玉葱の塔屋が並ぶサラセン風の建物だが、京都と奈良は、片山東熊による西洋模倣の博物館。中身のほうは、彼地ではキリスト教絵画やギリシャ彫刻が並び、それに類する(対比できる)ものは仏画と仏像。加えて風俗画には屏風や掛軸が並ぶ。

爾来1世紀。対欧米の美術史と対峙する日本美術史という刷り込みのなか、「天平のミケランジェロ」やらが出現。間違っても「鎌倉時代の西太后」や「幕末の牧谿」とは言わない。ゴシック意匠の「西洋柱に囲まれた大部屋」に洛中洛外図屏風や鳥獣戯画、あるいは禅宗肖像彫刻が展示されようとも、さしたる違和感も感じない。

“格別の思い”を抱いたらしい京都国立博物館中央室でのハプスブルク家の肖像画も、もとを正せば、「先祖がえり」ということか。

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日も暮れて

2010-2-13

午後、京都大学で会議。

構内に入ると、各所に「タリーズ(コーヒー)をボイコットしよう」という(怪しげな)小ポスター。時計台記念館地下にタリーズが入店するらしい。正門横にもおしゃれな“学食”カンフォーラ (Camphora)があり、なぜ反対なのかはわからないが、なにごとも話題の尽きない京都大学である。

会議は順調に済み、夕刻には終了。一部では「あと1回(の会議)で御役御免」という話題も出たが、私は該当するのだろうか。

好天で観光客も多く、バスを待つ人の行列がちょっとうらやましい。帰途、寄り道と思い、東寺に向かったが、到着した頃には日も暮れてこの有様。
京都大学での会議はなかなか寄り道できない仕組みなのかもしれない・・・。

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会議

2010-2-14

会議“3連単”。
ちなみに「3連単」では、どれが1着(重要)かはあまり意味がない。着番順どおりにあてるので、どれも重要・・・(余談)。日時指定の会議だが、明日は学部の口頭試問。それぞれ色々と持参。こちらも持参するが、頭の痛いことも多い(これも余談)。

終了後、昨年の反省も含め、各試問場ごとに論文を束ねていると、某先生が来られ「私も手伝う」と。「畏れ多いことで」と固辞するも、未整理の論文を取り上げ、傍でてきぱきと整理・分類。一部の論文はまだ先生がたの手元にあるが、ほどなくして完了。深謝しきり。
某先生は文学部長也。

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子は親の姿をみて育つ?

2010-2-15

9:00から19:40まで口頭試問。
今年は5教室に分散。途中の会議&休憩をお昼、3時、最終と3回にしたので、例年より多く小休憩が入る。その後も学務案件の会議があり、終わる頃には“疲れ”を通り越して“躁”状態。

例年通り、卒業演習の出席と卒論の出来栄えは正比例(95%)。
就活等で忙しいなどと言っても所詮、言い訳に過ぎない。

もちろん、長谷ゼミの学生は私が主査。内容は既に演習で熟知。そこで、さも初めて論文を読んだかのように「卒論で一番主張したかったことは?」などと若干変化球を投げてみる。
「えっ~!いまさら何を・・・」という戸惑いの表情と共に論旨から徐々に逸脱(ヲイヲイ!)。また事前に想定問答の練習をしてきたようだが、試問の緊張に負けて、普段とはひとつ高い上ずった声で棒読み調。冒頭「緊張する?」と尋ねて「はい。」と応えたものの、次第に「・・・と考えると理解できますよねぇ。」と演習の時と同じく?タメ口調。
緊張すると、皆、“地”が出るようである。

帰宅後、そのことを家人に話すと、当方での日常事例を数多く掲げ、「子(ゼミ生)は親(指導教員)の姿をみて育つ」と。いや違う、と言いかけるも、天に唾する思いをみただけに、やはり影響するのかもしれない。

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日本のへそ

2010-2-16

ゼミ生(有志)による最後の見学会。

大阪から車で2時間、兵庫県多可町の杉原谷へ。「杉原紙の故郷」である。車中、あれこれと和紙のレクチャー。山間部を走ると天候は雨から雪に。

昼食後、杉原紙研究所へ。周辺には原料である楮(こうぞ)の黒皮などが干されている。杉原紙は「楮紙」。研究所(工房)の一部は、見学できる。宮中の歌会始めに使用されており「宮内庁御用達」の看板もかかる。

外の雪は激しくなり、さすがに待望の紙漉き体験とはいえ、水の中に手を入れての体験にやや不安顔。30分ほどは降りて来ないように袖をまくって防水エプロンをつけて、いざ・・・。

紙漉きの時期は、まさに今頃(真冬)である。地方によって農閑期に紙漉きを行ったところもあるが、窓から見る風景は林業が主。冬が紙漉きの時期であるのは、もうひとつの紙原料であるトロロアオイの根(サナ)が腐らないためとの由。ちなみにサナは接着溶剤ではない(べとつかない)。
ご覧の通り、ステンレス製の漉舟(水槽)内は白濁。楮の繊維(紙料)は水より重いので、通常は攪拌しても沈殿するが、サナを入れることで、繊維は水中で均一に分散することができる。

指示を仰ぎながら紙(30×40㎝)を漉く。ゴーフル並みの厚い和紙を漉き、色挿し、最後にコーティングのためにもう一度漉く。お子様用にも見えるが、意外に難しい。ともかく「世界で1枚しかないマイ紙」完成。
工程パネルを見ると「一番おいしいところ」を体験。

その後、ひと山越えて「達身寺」か、そのまま山を下って「岡之山美術館」かと迷ったが、厳寒の中、収蔵庫の仏像と長時間対面するのも酷だろうと思い、後者へ向う。
東経135°北緯35°の“日本の中心(へそ)”とされる位置に「岡之山美術館」は立つ。建物は3両編成の列車風で磯崎新によるもの。傍には「日本へそ公園駅」。

内部は西脇市出身の横尾忠則の作品。横尾のポスターやラッピング列車やY字路シリーズなどの作品が並ぶ。右側の出っ張りは瞑想室。
「にしわき織物まつり」など無名の頃の西脇市のポスター(リプリント)がかえって新鮮。誰しも無名時代(雌伏期)があるものだと実感。なぜ、ひとは原点を見ずに、先端ばかりみるのだろうかとも。

「岡之山美術館」企画展ポスターが販売。著作権か、ポスターが貼ってある美術館に行かないからかも知れないが、ここの企画展ポスターはこれまで見たことがなかった。学生とあれこれ選んで3枚購入。殺風景な研究室の扉に貼る予定。

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消えゆくもの

2010-2-17

出勤途上、大阪府立泉北考古資料館へ。

広大な泉北ニュータウン一帯は日本最大規模の須恵器生産地(陶邑〈すえむら〉古窯跡群)である。古墳時代の遺跡を知るためには、ここの型式編年を完璧にマスターすることが必須。多くの研究者が新旧の型式順序を作りあげ、ひとつのモノサシがある程度出来上がっている。

考古学の人と話をすると、なかなか「5世紀前半頃」など時期を明確に言ってくれない。「“TK73”と併行する頃 」という具合である。素人にとっては???で、一寸苦労した思いも。ちなみに「TK73」とは高倉・高蔵寺地区73号窯から出土した須恵器。

分厚い報告書もあるが、マスターするには実物をみて報告書を読むのが一番。かつてよく通ったが、このたびの“橋下行革”で3月14日をもって閉館、4月から堺市に移行される。
「部門:考古資料」ながら上位区分では「美術工芸品」の《重要文化財 大阪府陶邑窯跡群出土品》1件(2585点)も譲与。展示されている大阪博物場旧蔵陶磁器はどうなるのだろうか・・・。

既に大阪府HPでは休館・廃止のお知らせのみあって、展示情報は皆無。「ドンドン見せます!!重要文化財 春一番コレクション展 注ぐスタイル」がフィナーレだが、昨年同時期の企画とまったく同じ。
現状では学芸員がいないこともあるが、それにしても一抹の寂寥感は拭いきれない。
舞台裏からは「感傷に浸っているどころではない」との声も聞こえそうだが・・・。

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サロン

2010-2-18

終日、修論口頭試問。
まぁ、なんと評してよいのやら・・・。

質疑応答しながら、脳裏には20代後半頃に出席した研究会が思い浮かぶ。
都内某大学で開かれた陶磁器関係の研究会。発表は中年の研究者某。

発表時間いっぱいまで、意味もなく、ぐだぐだ、のらりくらりと“発表めいた雑談”を繰り返す。修了後も質問に対して我が身が置かれた事情を繰り返すばかり。若造の私からみても、「なんや、これ?」と呆れるほど貧粗な内容。

失望感と軽蔑がよどむ会場で、前方に坐していた中堅研究者(いまや重鎮)が、
「あなたねぇ、ここは“サロン”じゃない!」と一喝。
私の横に座った30代(当時)の研究者もそれを聞き、小声でポツリと「消えろよ!」。その後は激しくこちらに同意を求められる始末。懇親会でも罵詈雑言(本人不在ながら)。
ご当人は1990年代後半で研究者生命を絶った(絶たれた)ようだが・・・。

もとより大学院も“サロン”ではないはず。

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杭全神社

2010-2-19

平野・杭全神社で3月13日に1日だけの資料展示会が予定。なにわ・大阪文化遺産学研究センターによる調査報告展。

普段は結婚式などに使用されている瑞鳳殿を会場に以下の資料が出品(予定)。
平野郷社縁起 土佐光芳筆 享保3年(1718)
熊野本地絵草子 室町時代末期
平野郷牛頭天王祭礼図絵巻 嘉永6年(1853)
熊野三所権現棟札 永正10年(1513)
連歌所文台・連歌所硯箱 元禄8年(1695)
平野絵図 天和3年(1683)

このうち初出品(新資料)は、「平野郷牛頭天王祭礼図絵巻」と「平野絵図」。「平野郷牛頭天王祭礼図絵巻」は嘉永6年の杭全神社の夏祭りを描き、平野各町の堤燈を先頭に祭礼の行列が描かれる。「平野絵図」は大和川付替以前の絵図。

「熊野本地絵草子」は、細字で書かれた詞書と奈良絵風の挿絵。現在は巻子装だが、もとは冊子。挿絵を小パネルにして紙芝居風に「絵解き」もよいかなと思ったが、「それじゃ、センセが・・・」となると、「ベンベン!親の因果が子に報い~♪」とアブナイ親爺の覗きカラクリとなるので、企画報告を素直に拝聴。
P.D・R.A 諸氏による真面目な展示解説は11時、13、14、15時に開催の由。

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大学院入試

2010-2-20

午後より大学院入試。

【内規】
来年度以降、大学院入試〔学内入試(5月)・一般入試(10月・2月)〕で、当方の指導を希望する者(学内者・学外者とも)は、出願以前に次の所作を行うこと。
1.以下に掲げるものを事前に提出すること。
   (1)大学院での研究概要と研究計画書

   (2)修士課程(出願)は卒業論文、あるいは卒業論文の概要(12000字以上)
      博士課程(出願)は修士論文
 * 社会人入試の場合は(1)のほか、別途指定するもの。

2.提出後、出願以前の段階で、事前に当方と面談すること。

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反 ピタゴラスの定理

2010-2-23

書類を書きながら、「ハブ空港」ならぬ「ハブ都市」を思う。
県庁所在地を基点とし隣接県の二都市を公共交通で移動すると、直接結ぶ経路(斜辺)よりも別の都府県の都市を経由した(その他の辺)ほうが早い、あるいは移動な困難になる場合がある。
例えば、和歌山から奈良へは、両県が隣接しているにも関わらず紀ノ川沿いに遡るよりも一旦、大阪(天王寺)に出て奈良に向うほうが早い。
こうした都市の関係は全国にかなりある。岐阜と長野も名古屋経由でないと、野麦峠を越えることになる。徳島・高知も高松まで出ないといけない。

予想される経路が出てこなくネットの交通経路を何度も引きながら、岡山の人が北京へ行くために、なんでわざわざ関空や大阪で泊まらないといけないのだと憤っていたことを思い出す。

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TPO

2010-2-24

会議盛りだくさん。
朝、個研のカギを忘れ、事務の方にお世話になる。昨日、着たジャンパーのポケットに入れたままであったことに気づく。
普段はジーンズ姿の軽装ながら、会議や授業はスーツにコート。
ちゃんとした格好とダサい服装の落差が激しいと言われたこともあるが、「身なりで判断する」こともなかろうに。
終了後はあれこれ書類作成・・・。

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仏像とは違う

2010-2-25

怒涛の2月もあと少し。
末娘の公立受験も済んでひと息ついたようで、朝「お雛さん、出すからねっ!(片づけはそっちで!)」と家人から宣言される。
2躰だけなのだが、あれこれと付属品もあって、ちょっと面倒なので顔をしかめていると、「仏像で慣れているでしょ」と。

雛人形はちょっと苦手。扱ったことないし、形代や天児(あまがつ)・這子(ほうこ)といった過程は知るものの、何が古くて新しいのかもよくわからない。「まぁ、(雛人形は)民俗の分野でしょう。」と言い逃れる始末。今頃、あちこちの資料館などで雛飾りが展示されるが、時代はどのようにして決めているのだろうか。

大阪・和歌山の県境を越えてすぐのところに人形供養で知られる「淡島神社」(和歌山市加太)がある。古い仏像が集積していると欣喜雀躍するが、古い人形が積まれていると、一刻も早く立ち去りたい気になる。仏像の頭部を躊躇なく躰部から抜くことができるが、今動いたような、毛髪が伸びたようなことを言われると背筋が寒くなる。

仏像とは、ぜんぜん違いマス。

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福建省の旅

2010-2-25

詳細は こちら

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