関西大学文学部総合人文学科
哲学倫理学専修

Kansai University Faculty of Letters Course of Philosophy and Ethics

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関西大学
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関西大学大学院

■ 学びの扉(三村 尚彦)

学びの扉
氏名 三村 尚彦
専攻分野 哲学(現象学)
主な研究テーマ フッサールという哲学者が創始した「現象学」という分野を研究している。現象学とは、世界、他者、時間、われわれを取り巻くさまざまな対象などがどのように現れ出てきているのかを手がかりにして、哲学的な諸問題を追究していこうとする一つの態度のことである。私は現象学の方法に依拠して、特に、心と身体はどのように関係しあっているのかという心身問題や、われわれ人類に多くの恩恵をもたらしてきた科学(自然科学)は、人間がそこで生きている生活世界といかなる関係にあるのかという学問論を考えている。
二回生以降に展開される
授業内容

せっかく興味をもっても、いざ哲学書を読んでみようとすると抽象的な概念に馴染めず、途中で投げ出してしまう人が多い。しかしながら多くの哲学は、人間が日々体験している現実に立脚して思索を展開している極めて具体的な営みでもある。私の講義内容はたえず、その点をふまえて行うように心がけている。つまり、なるべく身近な例を挙げて、わかりやすく内容を提示している。
 これまで2・3年次生の講義・演習科目で扱ってきた内容には、次のようなものがある。

○ われわれが事物(例えば机)を知覚する際、眼が感覚器官として働いている。光が眼球に入り込み、その刺激が伝達されて網膜像が結ばれる・・・。しかし身体はそうした機能だけを担っているのだろうか。机がそこで絵を描いたり、本を読んだりすることができる道具だという意味をもった対象となる場合に、身体の働きが関与している点を考えてみる。

○ 「言語と論理」というテーマを考察する。「論理」に関しては、コンピュータソフトを用いて、「述語論理」の基礎を身につける。これは単にコンピュータを使って論理学を学ぶというだけでなく、コンピュータと人間の思考様式に関する対比を考えるきっかけともしていく。「言語」に関しては、分析哲学や現象学の指示理論や意味論(固有名や確定記述)などを文献分析、報告(要旨発表)、討論を通じて検討していく。最終的には、コンピュータが実現している機能と、人間の心の機能を「言語のもつ潜在的な力」に注目して対照していく。

推薦図書

できれば入門書や概説書よりも原典にチャレンジしてほしいが、上記のようにいきなり読み進めていくには困難も多いので、身近なテーマに沿った形で比較的取り組みやすいものを以下に挙げておく(これらの図書はプレ・スチューデントプログラムにも挙げておいたもの)。

〔自己と他者の問題〕
村田純一編『新・哲学講義4「私」とは誰か』岩波書店、1998年
滝浦静雄『「自分」と「他人」をどうみるか』NHKブックス、1990年
大庭健『私はどうして私なのか』講談社現代新書 2003年

〔心と脳の問題〕
大森荘蔵『流れとよどみ』産業図書1981年
信原幸弘『考える脳・考えない脳』講談社現代新書 2000年

講義「学びの扉」のテーマと内容 第1回:現象学との出会い

「君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ、そしてそれは哲学なんだ」(ボーヴォワール『女ざかり』125頁)。この講義は、カント認識論に挫折して、現象学によって救われた男のドキュメンタリーである。
わたしは学部での卒業論文以来、一貫してフッサールという哲学者が創始した現象学を研究している。その出発点は、認識論への関心からであるが、上記のように、カント哲学を志したものの投げ出した(挫折した)という経緯もある。本講義では、認識論的な問題がわれわれの日常生活とどのように関わっているのか、現象学はそれに対してどのように考える哲学であるのかを、示したい。

第2回:脳がわかれば、心がわかる?

脳科学の飛躍的な発展に伴い、わたしたちの認知活動は脳の機能によって説明できるという見解が有力になった。では脳の機能を解明することは、心を理解することなのだろうか?心と脳の問題に、哲学は何を語ることができるのだろうか?講義では、心脳問題を紹介しながら、哲学という学問の特徴、哲学と自然科学の共同作業の可能性に関して、話したい。
リレー講義の参考文献 第1回分
現象学の入門書としては、
○谷徹『これが現象学だ』講談社現代新書1635、2002年。

フッサールの著作で、比較的読みやすいのは、
○フッサール(立松訳)『現象学の理念』みすず書房、1982年。

認識論という哲学分野が何を問題にしているのかをわかりやすく説明しているのは、
○戸田山和久『知識の哲学』産業図書、2002年

担当者が3回生の時に挫折したカント哲学の入門書としては、
○黒崎政男『カント『純粋理性批判』入門』講談社選書メチエ192、2000年をお勧めする。

第2回分
心と脳が同一であるという哲学的主張が展開されたのは、1960年代からであるが、その初期論文が収録されているのは、
○「C.V.ボースト編、吉村訳『心と脳は同一か』北樹出版、1987年。

哲学が心を扱う理由について、展望を与えてくれるのは以下の書、
○土屋俊『心の科学は可能か』、東京大学出版会、1986年。

「あくまでも私の痛みは私にしかわからない」という主観的なものを、自分がコウモリになるという思考実験を通じて考える、
○トマス・ネーゲル『コウモリであるとはどのようなことか』、永井均訳、勁草書房、1989年。

多彩な活躍で知られる脳科学者の見解においては、哲学思想(マッハ)が重要な役割を果たしている。
○茂木健一郎『クオリア入門 心が脳を感じるとき』筑摩書房、2006年
新入生へのひとこと

「哲学」と聞くと、日常生活ではほとんど用いることもないような言葉で抽象的な問題を考える学問といったイメージが浮かぶかもしれない。実際そうした側面はある(例えば、カントは『純粋理性批判』においてア・プリオリな綜合判断はいかに可能かという問題を考えたなど)。しかし同時に哲学には、身近なものを徹底的に考察するという面もある。私たちには身近すぎてこれまでほとんど考えたことがない事柄がたくさんある。そうした問題を「そんなことは常識だから」、「考えなくても何の不都合もないのだから」という言い方で納得せず、とことん突き詰めていくことも、哲学である。大学という主体的に自由な時間を過ごすことのできる場で、哲学的に考察するおもしろさを体験してほしい。

 
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