Part24

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過去の「KSつらつら通信」

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<目次>

第934号 自分推し(2023.12.30)

第933号 今年も終わりですね(2023.12.29)

第932号 ヴィッセル神戸優勝!(2023.11.27)

第931号 令和5年九州場所総括(2023.11.26)

第930号 NHKは相撲解説者の発掘をしてほしい(2023.11.24)

第929号 何者かになろう!(2023.11.2)

第928号 教師のやりがいを搾取しているのは誰なのか?(2023.10.30)

第927号 お墓(2023.10.22)

第926号 冷蔵庫が死んだ!(2023.10.18)

第925号 スネ夫の夢は何だろう?(2023.10.15)

第924号 「今日、一杯どう?」と誘えない時代(2023.10.14)

第923号 我が読書遍歴――私がはまった作家たち――(2023.10.6)

第922号 「恋の季節」到来?(2023.10.3)

第921号 なぜ、こんなに教師がブラックな仕事になってしまったのだろう?(2023.9.28)

第920号 令和5年秋場所総括(2023.9.24)

第919号 「老人の日」なんてあったんだ!(2023.9.15)

第918号 半分余生のような、、、(2023.9.8)

第917号 女性とスポーツ(2023.9.5)

第916号 スポーツ人気の考察(2023.9.4)

第915号 日本って学歴社会なのかな?(2023.9.3)

第914号 ジャニーズ事務所問題になった(2023.8.29)【追記(2023.8.30)】【追記2(2023.9.7)】

第913号 えー、こんなに!(2023.8.25)

第912号 皆勤賞(2023.8.23)

第911号 ブラタモリ、いつまで続くかな(2023.8.22)

第910号 1週間ぶりに戻ってきたスマホ(2023.8.10)

第909号 令和五年名古屋場所総括(2023.7.24)

第908号 若い人は仕事にマイナスイメージを持ちすぎではないか?(2023.7.16)

第907号 覚えた!!!(2023.7.14)

第906号 名古屋場所が始まったけれど、、、(2023.7.9)

第905号 現代社会のジレンマ(2023.6.25)

第904号 ジェンダー平等とジェンダー否定をごっちゃしてはいけない(2023.6.24)

第903号 思い出(2023.6.23)

第902号 時が経つのは早いですね(2023.6.22)

第901号 河尻秀隆という武将を知っていますか?(2023.6.17)

第900号 阿波踊りは重要無形民俗文化財になっていないんだ(2023.6.7)

第899号 不倫とは何か?(2023.6.3)

第898号 令和5年夏場所総括兼1年後の予測(2023.5.28)

第897号 幸せな教師です(2023.5.16)

第896号 ChatGPTを使ってみた(2023.4.19)【追記(2023.4.22)】

第895号 詐欺という犯罪(2023.4.15)

第894号 衰退途上国(2023.4.6)

第893号 うーーん、無罪かあ、、、(2023.4.4)

第892号 マッチングアプリ婚(2023.4.2)

第891号 節目の2023年3(2023.3.27)

第890号 令和5年大相撲春場所総括&夏場所展望(2023.3.26)

第889号 驚きました(2023.3.24)

第888号 WBCにはまれない(2023.3.13)

第887号 ゼミ生の出身校・出身県(2023.2.23)

第886号 嬉しいものです(2023.2.20)

第885号 大河ドラマ第1作「花の生涯」(2023.2.10)

第884号 2023年初場所総括と春場所展望(2023.1.23)

第883号 ゼミ生の名前ランキング(2023.1.15)

第882号 医療関係の仕組みがよくわからない(2023.1.6)

934号(2023.12.30)自分推し

 昨日の1本で今年は終わりだろうなと思っていましたが、書きたいことが浮かびましたので、もう1本書きます。50歳代になった教え子が最近地下アイドルの推しをやっていて、生活が充実していて楽しいと言うので、そうかあ、私も誰かの推しになれたりするのかなと考えていたのですが、その結果、私の推しは自分自身だと気づきました。もちろん、外見とかの推しじゃないですよ(笑)自分の何が好きかというと、この「つらつら通信」をはじめとして様々なところに書いてきた文章とそこに現れている考え方です。電車の中だったり寝る前だったり、ちょっと何か少し読みたいなと思ったら、この「つらつら通信」をよく読んでいます。たくさん書いてきたので、こんなことも書いてたんだとちょっとした発見があったりして面白いです。その上、このHPを創ってから約25年ですが、その間に自分の考え方にブレはないので、読んでいて納得します(笑)自分の考え方なんだから当たり前でしょうと思われるかもしれませんが、人によっては考え方が大きく変わる人も中にはいます。私も20歳代や30歳代の頃は、そこまで自分の社会学観に自信を持ていなかった時期もありましたが、40歳を過ぎた頃からは、社会学観にブレがなくなり、その社会学的考え方に基づく現代社会分析や若者分析は今でも自分で納得が行くものばかりです。「つらつら通信」だけでなく、日本の歴史について考察したコラムも、2本の脚本もよく書けていると評価しています。中身だけでなく自分の文章のリズムが好きなんですよね。たまにもうひとつうまく書けていないものもありますが、基本的に読みやすくスイスイ読めます。

「先生、自分好きですね」と教え子に笑われそうですが、構いません(笑)68歳にもなって自分のここが駄目だとか、自分が嫌いだなんてブツブツ言っている人の方が面倒くさくないですか?向上心は大切ですが、もう人生は完全に下り坂に入っていますので、ここからまだ変わろうとするより、自分を自分で認めてあげた方がいい気がします。歳を取ったら、自分の一番のファンは自分と言えるというのはよくないですか?私は、当面「片桐新自推し」で行きます。

933号(2023.12.29)今年も終わりですね

 もう1229日ですね。2023年もあと3日。早いですね。12月は毎年忙しく、この「つらつら通信」の更新も止まってしまいますが、今年は特に止まってましたね。これが11月以来の更新です。特に書きたいテーマがあるわけではないのですが、1127日で終了ではちょっと寂しいので、何か書いておこうかなと思って書き始めています。

 しいて何か語りたいことを探すと、最近1年を振り返って明るい話題を探そうと思うと、スポーツ関連くらいしか出てこないということでしょうか。それは今年に限ったことでなく、毎年スポーツかノーベル賞の話くらいしか思い出せない気がします。政治や社会、経済のことは、犯罪や事件、物価高といった気持ちが重くなるようなニュースしか思い浮かびません。いつからこんな時代になったのかなと思うと、やはりバブル崩壊後ということになりそうです。そこからもう30年以上経っています。そんなニュースだけ見聞きしてきた若者が将来は明るくなさそうと思ってしまうのも仕方ないかもしれませんね。

私が若かった頃は、日本社会全体が成長期にあって、みんな少しずつ豊かになっていくことを実感しながら暮らしていましたので、ちゃんと自分が頑張れば将来は明るいと思えたものでした。今はそんな風に思えない時代なんでしょうね。なんだか今の日本は社会全体が高齢期に入っているような感じがします。でも、人間と違って社会に死は訪れませんから、このままでは永遠の高齢期になってしまいます。そんな社会ではだめですよね。なんとか活力を取り戻さないといけないですね。でも、どうしたら社会の活力が取り戻せえるのか、正直言って思いつきません。第3次世界大戦が起きて、今のぬるま湯のような日本社会のままではいられないとなったら、大きく変わるでしょうが、そういうきっかけでの変化は望ましいことではないでしょうね。(ただし、この可能性は結構ありそうな気はします。)

来年は2024年ですか。2000年代に入ってもう四半世紀近く経つんですね。2000年なんて子供時代にはずっと先のことと思っていたのに、そこを通り過ぎてもう24年。本当に早いです。私は自分の人生にあまり後悔はないですが、その時々でそれなりに一所懸命生きてきたせいかなと思っています。今の若い人たちもそんな風に思えるように生きていってくれればいいのですが。ずっとスマホを触っている生活ばかり続けていたらどうなるのかなとちょっと心配です。年寄りの繰り言かもしれませんが。とりあえず、このつらつら通信を読んでくれている方々にとって、2024年が素晴らしい1年になることを祈っています。

932号(2023.11.27)ヴィッセル神戸優勝!

 大相撲ネタを書いていたため、書くべきタイミングが少しずれてしまいましたが、先週土曜日のヴィッセル神戸の優勝は感動的でした。サッカーをテレビ観戦するは好きなのですが、時間がもったいなく基本的に日本代表戦しか見ないという人間なのですが、土曜日のヴィッセルの試合は生放送を真剣に見て、心の中でヴィッセルをめちゃくちゃ応援していたので、勝利で終わった瞬間ちょっと感動しました。

 今のヴィッセルが好きなのは、日本代表として活躍していた時に高く評価していた大迫、武藤、山口蛍、酒井高徳の4人がいるからです。特に、代表ではもうひとつ大活躍できていなかった武藤が、大迫とのコンビなら日本代表でも輝けると思っていたので、それが今ヴィッセルで見れるので、非常にワクワクしました。この日も大迫からのパスで武藤がシュートを決め、さすがという感じでした。4人ともまだやろうと思ったら、日本代表でもプレーできる力はあると思いますが、今の日本代表の好調ぶりでは呼ばれることはないでしょう。それはそれで仕方ないことですが、代わりに彼らの素晴らしいパフォーマンスがヴィッセルで見られて満足でした。彼らの活躍で、チーム創立以来29年目にして、初のJリーグ制覇は感動ものでした。

 まあでも、コアなヴィッセル・ファンでもないので、この4人のカルテット――特に大迫と武藤のホットライン――が崩れたら、あっという間に興味を失うでしょう。基本的に「ファン気質」ではないので、何年もずっと同じチームのファンなどになることはなく、日本代表にも選ばれる力を持ち、私が評価できる選手が複数いて活躍している時に、そのチームの一時的ファンになることがある程度です。でも、滅多にその条件を満たすチームは現れず、今回のヴィッセルが実は2チーム目です。1チーム目は、ゴン中山の絶頂期のジュビロ磐田でした。名波、藤田、福西、高原を擁する攻撃的サッカーは魅力的でした。1990年代後半から2000年代はじめは、ジュビロとアントラーズの2強時代で、両チームの試合は結構見ていました。今回のヴィッセルの試合はそれ以来のしっかり見た試合だったかもしれません。

 ただ、あの頃のジュビロは中心選手が20歳代でまだまだ伸び盛りでしたが、今回のヴィッセルの主力はみんな30歳代になってしまっているので、今年がピークの可能性は高いです。まあ、それはそれで仕方ないところでしょう。とりあえず、ヴィッセル優勝おめでとうと言っておきたいと思います。

931号(2023.11.26)令和5年九州場所総括

 恒例の大相撲本場所総括です。霧島の132敗の優勝で終わりましたが、今の実力だともはや霧島は勝つべくして勝ったという印象でした。しっかりした稽古量に裏打ちされた自信が霧島には生まれ、後半戦は平常心で自分の力をしっかり出し切って勝つという堂々たる相撲でした。あの姿を見ていると、来場所も大崩れすることはなく、12勝以上は余裕で上げそうな気がしますので、連続優勝で春場所には横綱という可能性も十分出てきました。十両に上がった時から、将来の横綱の器と見てきましたが、ここに来て、急速に力と自信をつけ、私の予想よりも早く横綱昇進が現実味を帯びてきました。ただし、できたら来場所は照ノ富士に出てきてもらい、照ノ富士にも勝って横綱昇進を勝ち取ってほしいものです。照ノ富士に1回も勝たずに横綱昇進というのは、ちゃんと世代交代がなされない感じで残念です。そうは言っても、照ノ富士の体はボロボロですので、出場は難しいかもしれませんが。霧島が横綱に昇進したら、バトンは引き継いだと安心したように照ノ富士はあっさり引退しそうで、それも残念です。

 霧島以外の力士についても語っておきましょう。2場所連続で優勝争いにからみ、将来の大関・横綱候補と見られ始めた熱海富士ですが、私はまだそこまで買えません。大きな体でパワーはあるので今は勝っていますが、技術はまだ身についていないので、最初から上位陣と総当たりする来場所はどうでしょうか。案外負け越しもあるのではとも思います。上位陣は相手の弱点をつくのが上手いので、熱海富士の相撲もそろそろ覚えられ、弱点を攻められ、負けが込むということもあるのではと思います。

 惜しかったのは琴ノ若ですね。霧島に負けた翌日の竜電戦がもったいなかったです。あの相撲に勝って今場所を12勝で終えていたら、今場所後に大関昇進も十分ありえたと思います。あの13日目に幕内下位の竜電になすすべもなく負けた段階で、今場所の琴ノ若の大関昇進はなくなりました。来場所も12勝が求められるでしょう。大栄翔も頑張っていますが、3場所合計33勝を基準にされると厳しい気がします。安定した成績をこの1年残しているので、少し甘めでも大関に上げてあげたいと思いますが、万一上がれても、大栄翔は大関止まりの力士です。横綱はないです。というか、冷静に分析すると大関も難しくなった気がします。若元春は69敗で平幕から出直しですが、彼も大関には届かなそうです。照ノ富士不在、大関も弱い貴景勝1人という大相撲戦国時代は終わり、これからは霧島時代が始まりそうです。この戦国時代に大関候補だった人で、今後大関に上がれるのは琴ノ若だけかもしれません。豊昇龍が霧島のライバルになるためには、最低でもあと10sは体重が欲しいところです。今の体重では高安のようなパワーのある力士には勝てません。まあ体重はいずれ増えるでしょうから、いつか横綱・豊昇龍も生まれるとは思いますが。

 若手で注目株は、十両の大の里です。あの体格と技術はかなりものです。来場所はたぶん新入幕すると思いますが、かなり活躍するでしょう。足が長く腰高になりやすいですが、意識して膝を曲げて基本に忠実な相撲を取っており、幕内下位なら二桁は固いでしょう。幕内上位というか三役もすぐでしょう。この力士も大関・横綱をめざせる器です。

 伸びると思った霧島(霧馬山)が予想通り伸びてきて満足感はありますが、個別力士のファンというよりは大相撲ファンの私としては、また新たな有望株を見つけないと、と思います。それも、大の里のような鳴り物入りで誰もが注目している力士ではない力士を見つけたいものです。幕下では、尊富士とか聖富士あたりがいい相撲を取っていて出世も早そうですが、熱海富士も含めみんな伊勢ケ浜部屋です。伸び盛りの若手がいて、照ノ富士もアドバイスをくれて、親方も厳しく指導し、良い力士が育つ環境にあるようです。元白鵬の宮城野部屋もよい素質を持った力士を集めていると言われていますが、NHKの相撲解説を聞いている限り宮城野親方の感覚的指導ではなかなか弟子は伸び切らないのではないかという気がします。北青鵬の毎場所まったく進歩のない相撲を見ていると、宮城野親方は指導をちゃんとしているのだろうかと疑問になります。その点、大の里の二所ノ関部屋の親方(元稀勢の里)は、自分自身も厳しい稽古で鍛えられたので、弟子も厳しく指導しているようなので、その点では期待できます。

 そうそう、1人気になる力士がいました。今場所、序ノ口優勝をした安青錦というウクライナ出身の力士です。なかなかバランスの取れた体格をしていておおいに将来を期待できそうなのですが、実はこの力士、今場所から番付に載ったのですが、1年前にロシアのウクライナ侵攻から逃れるために、相撲の世界選手権で知り合いになっていた関西大学の相撲部の山中新大さんという人を頼って日本にやってきて、彼の家にホームステイをし関西大学の相撲部で稽古を積んでいたそうです。なので、しこ名も山中さんの名前をもらって安青錦新大としているそうです。「新」と「大」は私にとっても縁ある字なので、偶然ですが嬉しいです。もう応援するしかないという力士です。欧州選手権で優勝をしたことがあるそうですが、確かに体格と相撲ぶりを見る限り、幕下までは一気にあがるでしょうし、うまくいけばそのまま十両、幕内というのも夢ではない力士のように思えます。ちなみに、顔もかなりイケメンですので上に上がってきたら、あっという間に人気力士になると思います。

 さて書き始めたらキリがないのでこの辺にしておきます。1年後の令和6年九州場所の頃には、横綱・霧島をはじめとして上位陣の顔ぶれがかなり変わっていそうな気がします。

930号(2023.11.24)NHKは相撲解説者の発掘をしてほしい

 最近の楽しみは、もっぱらテレビでの大相撲観戦ですが、北の富士さんが解説に出てこれないこの数場所の解説者がつまらなくてテレビ観戦の魅力が半減しています。北の富士さんが1場所で4回くらい正面放送席の解説をやっていた頃は、魅力がないと評価していた舞の海の解説が相対的にはましな解説と評価せざるをえない状況です。今や審判員になってしまったので、解説者になることはできない元稀勢の里の二所ノ関親方の解説も歯切れがいいだけで深みがないと思っていましたが、今となれば、ましな方だったなと思わざるをえません。

 今NHKが目玉解説者のように1場所に2回ほど出演させている元白鵬の宮城野親方の解説はひどすぎます。自分の感覚的な意見を歯切れ悪く喋るばかりで、視聴者が聞きたいような解説をまったくしません。元大乃国の芝田山親方も説教くさい解説で楽しく見られませんし、弟子育ての上手い元旭富士の伊勢ケ浜親方の解説はめちゃくちゃ暗いです。元栃東の玉ノ井親方も暗めでキレも悪いです。ましなのは鶴竜親方と元千代大海の九重親方くらいですが、前者は理論的な解説ではありますが、ワクワクさせてくれる感じがないのが残念なところで、後者は歯切れの良さはありますが、それだけと言えばそれだけです。

 北の富士さんの解説の素晴らしさは、理論的でもあり、かつ視聴者と同じように「おっ!」と声をあげたりする視聴者との一体感、さらには自分の現役時代の話や、千代の富士、北勝海という2横綱を育てた親方時代の話、審判部長を務めた経験などの昔話をさらっとできること、という豊富かつ魅力的な話題を提供できる解説だったことにあります。ついでに、ファッションもかっこよかったですよね。このレベルの経験とセンスを持った解説者を探すのは無理だとは思いますが、かつての玉ノ海、神風――みんな知らないですね――の解説から知っている私としては、北の富士さんほどの経験はなくても、鋭く面白く喋れる解説者はいるのではないかと思います。ただし、やくみつるやデーモンなんとかは嫌です。相撲を経験していないファン上がりの偉そうな解説は聞きたくないです。やはり、相撲経験をもつ人から解説者を見つけてほしいです。ちなみに、貴乃花とかは最悪ですから、間違っても絶対に呼んではいけません(CMで観るのも嫌です)。おにいちゃんの花田虎上は悪くないですが、彼を呼ぶとどうしても貴乃花を連想する人が多そうなので、やめた方がいいでしょう。豊ノ島あたりはどうでしょうね。明るいキャラクターでできそうな気がするのですが、、、

 まあでも、北の富士さんの穴はどうやっても埋められないでしょうね。なんとか復活してもらうのがベストなのですが、きっと難しいのでしょうね。この文章でも、北の富士さんだけには自然と「さん」をつけたくなってしまいます。今、私がそんな風に思うのは、タモリさんと2人だけです。尊敬の念が自然に湧いてきて、呼びつけで書くのが自分の中では不自然でできない感じです。

929号(2023.11.2)何者かになろう!

 26年前に、この「KSつらつら通信」の第1号として「半分「個」・半分「類」として生きてみたら」(1997.6.10)という文書を載せました。その頃は、個性重視の時代と言われており、学生たちが自分探しに悩んでいた感じだったので、あえてそんなに「個」としてだけ輝くことを考えずに、家庭をつくり、子を持つだけでも、人生半分は輝いたと思っていいのではないかと語りかけました。

 今回の主張は、逆にどうやったらもう少し個としても輝けるか考えた方がいいのではないかという主張です。こんなことを言いたくなったのは、四半世紀前に比べると、学生たちが目の前の課題をクリアすることだけに終始し、何者かになろうという意識をほとんど持たなくなってしまっているように感じるからです。

 この四半世紀の間に、大学はすっかり就職予備校になってしまい、この「予備校」に入った学生たちは「ゴール」である就職をまじめにめざしています。そして多くの学生が、とりあえずその「ゴール」にたどり着き、安堵するわけですが、その後自分はどう生きるのか、何をする人間になるのかといったことを、きちんと考えていない人が多いように感じます。とりあえず、ブラックでない企業で、福利厚生も給与も悪くなく、地方にも飛ばされない、地元にいられる、そんなところに就職できたら目標達成となっています。

 本来就職は、何者かになっていくためのスタートです。学生時代に自分はこういう仕事をやりたいと真剣に考え、その結果希望通りにならないこともあるかもしれませんが、真剣に考え、自分自身の生き方なども見つめることで、こういう人生を生きたいと考える意義があったものです。もちろん、その答えを見つけるのは難しかったので、第1号のような文章も書きたくなったわけですが、最近は悩むほど真剣に考えている学生はどのくらいいるのかなと思います。就職できるかどうか心配している学生は山のようにいるでしょうが、自分の生き方について悩んでいる学生は少ない感じがします。

 就職した後も、その企業でNO.1と評価されるような人間になろうなんて思っている人はほとんどいないですよね。とりあえず、自分が自由に使えるお金と時間を使って、なんとなく楽しく過ごせればいいやという生活をしているように見えます。結婚や子を持つことは以前と比べると社会的圧力は減っていますが、多くの人はいずれ結婚し子を持つことをひとつの目標にしていると思います。しかし、それだけを人生の目標にして生きるには人生は長すぎます。子育てが終わった後も平均で2030年くらいは、みんな生きることになるでしょう。いつまでも「○○ちゃんのママ」や「○○ちゃんのパパ」であることだけを生きがいにはできないでしょう。

 子育て以外にも、自分はこういうことのできる人間だ、こういう点で社会貢献をしてきたという自覚が持てないと、なんだか自分の人生が物足りなく感じることにならないでしょうか。それは、仕事でなく趣味でもいいと思います。自己完結して終わってしまうものではないのなら、趣味もなんらかも社会貢献につながっている可能性は高いでしょう。

 人は必ず老いていきます。その時に「なかなかいい人生だったな」と思えるように、若い時から、いやまだ道に迷っているなら中高年でも「何者」かたらんと欲してほしいなと思います。

928号(2023.10.30)教師のやりがいを搾取しているのは誰なのか?

 第921号にも書きましたが、最近教師の仕事に関して、「ブラックだ」「やりがい搾取だ」という声を学生からよく聞きます。たぶん、こういう発言をしている学生たちは、仕事量に見合う給与ではないという意味で言っていると思いますが、私はいつも「お金や給与だけで仕事量を評価するという発想はないなあ。教師という仕事には、それ以外のプラスアルファがたくさんあるから楽しいと思うんだけどなあ」と言ってきました。

 そのプラスアルファの大部分は、教え子たちの成長が見られたり、何か行事が終わった後に「楽しかった!」といった感想を聞けたりすることです。私はこれまでそういうプラスアルファをたくさん受けてきたので、教師という仕事はやりがいのある仕事だと言ってきたわけですが、最近「あれっ、私もやりがい搾取されているかな?」と思い始めています。

 というのも、最近学生たちからの行事後の感想が少なくなっているからです。この2か月間に、34回生それぞれでゼミ合宿を行い、34回生の交流会も行ったのですが、思ったほど感想が届きません。実に残念です。私にとって、行事の感想こそ企画という努力に対する対価なので、感想があまり届かないと「せっかく、みんなを楽しませようと企画したのに、反応なしは、やりがい搾取だよ」と言いたくなります。そして、こんなことが続けば、もう次からは行事を企画するのをやめようかなという気にもなります。

 ゼミを応募する時は、みんな片桐ゼミは「学遊究友」で学びも遊びも充実していそうで楽しみですとか応募書類に書いてくれたはずですし、行事の最中も楽しんでいるようには見受けられるのですが、終わってから、その思いを文章化して伝えてくれる人が減っていて非常に残念です。

 4回生なんか対面でのコミュニケーションを見る限り、明らかに1年前より私との心理的距離はなくなっていると思うのですが、感想を文章化して送る人は1年前よりかなり減っています。「文章にしなくても、先生、わかっているでしょ?」という感じなのかもしれませんが、そこはちゃんと文章にしてもらわないと思いは伝わりません。3回生ですら、春学期よりずいぶん減ってしまっています。今は、SNS全盛期で、短い文章やスタンプでリアクションするのが基本になっているのかもしれませんが、大事なことはちゃんと言葉を尽くして伝えられるように訓練しておかないと、いざという時にも言葉が出なくなりますよ。

 卒業してからも付き合いの続く片桐ゼミですが、やはり何か行事があった時、あるいは何もなくても近況等を、言葉にして思いを伝えてくれる人とはまた会いたいなと思いますが、そういう習慣のない人とはだんだん距離ができてしまいます。私にとってのやりがいの報酬は、そうした言葉たちです。教育の一貫として行った行事に関する思いが言葉になってちゃんと戻ってこないと、「やりがい搾取」されたような気にもなります。様々な面で、きちんと言語化することが軽視される時代になってきつつあるのではないかと心配です。

927号(2023.10.22)お墓

 先日久しぶりに高校の同窓会があり参加してきたのですが、60歳代後半の人々の集まりでは、昔話以外の話では、リタイア後の生活、まだ働いている話、そして病気にお墓、さらには逝去者の話なんかが話題の中心になります。日頃若い人や現役バリバリの社会人と付き合っている私からすると全然違う空気感で、あまり楽しい気分にはなれなかったです。そんな中でちょっと興味深いなと思ったのがお墓のことでした。私が若手教員だった1980年代によくニュースになっていたのが、マイホームは建てたけど、入る墓がないので、マイトーム探しが次の目標だという話題でした。戦後から高度成長期に田舎から都会に出てきて家族を創り、マイホームを建てた人たちが50歳代に入ってきてぼちぼちお墓のことを考えないとなったのが1980年代あたりからでした。それぞれ田舎には墓があったとしても、それは田舎にいる兄一家が継承するもので、自分たちは都会のどこかで新たに墓を見つけないといけなかったわけです。そして一所懸命探し、高いお金を払って自分たちが入る墓をなんとか手に入れたものでした。

 ちょうど私たちの親世代がそういう世代でした。私の場合も父親が亡くなった時に、母親がお墓を入手してそこに父親は納骨されています。他にも同じような人が何人もいます。で、今回話していて多かった意見が自分の世代で墓じまいをしておかないとという話でした。たった一世代なのに、もう墓じまいという話になっています。親世代が半永久的な落ち着き先として必死で探してようやく見つけた墓を、子世代はもう墓じまいしてしまおうとしています。でも、確かに時代はすっかり変わってしまって、自分たちを初代とする家の墓をほしがった戦前生まれで墓に関する戦前の価値観を持った世代と違い、我々はそこまでお墓への思い入れはありません。いや、我々自身はなんとかその価値観を継承したとしても、もう一世代後の我々の子世代になったら、墓の重要性より墓の管理の面倒臭さの方がはるかに強くなるでしょうから、子世代が困らないようにするためにも、我々の世代で墓じまいしてしまおうという考えが出てくるわけです。友人は墓じまいをして、自分が死んだときはもう墓には入らない形にしたいと言ってました。また先祖伝来の墓がある人でも、今住んでいる場所とは全然違うところに墓がある場合は、そこに入ることに疑問を感じているようでした。

 30年ほどですっかり時代は変わってしまいました。もう墓は不要な時代になって行くのでしょうね。私はまだ墓じまいをきちんと考えていませんでしたが、同世代のこうした話を聞くと、確かになあと思います。そう遠くないうちに私もしっかり考えないといけない問題だなと感じた次第です。

926号(2023.10.18)冷蔵庫が死んだ!

 昨日研究室に置いてあった冷蔵庫が突然死んでしまいました。一昨日までは動いてくれていたのですが、昨日ピタッと動きを止めてしまいました。前兆など何もなかったので、「えっ?どうした?」と驚きましたが、コンセントを抜き差ししてももはやピクリとも動かず、完全に死んでしまったんだと認めざるをえませんでした。考えてみると、一体いつから使っていたか思い出せないほど古い冷蔵庫です。2002年に今の研究棟ができ研究室を移ってきた時には当然あったはすですし、もしかしたらその前の第2学舎の方に研究室があった頃からあったような気もします。研究室に洗面台がついたのは今の研究室になってからなので、引っ越してから購入した可能性もありますが、いずれにしろ20年以上使ってきたものです。寿命を考えれば、いつ壊れてもおかしくなかったのだとは思います。冷蔵庫がないと結構不便なので、やはり新しいものを買おうかなと思っていますが、私が今の研究室を使うのももうあと2年半もないので、今度はまだまだ元気な状態の冷蔵庫を廃棄することになってしまいそうだなと思い、ちょっと躊躇もします。リサイクルとかで探せばちょうどいいのかもしれませんが、リサイクルで物を買ったことがないし、サイズがちょうどいいのがあるのかもわかりません。ネット時代の便利さを使い切れない高齢者です(笑)ああでも、リサイクル商品の購入だと、古い冷蔵庫の回収とかはしてもらえないですよね。やっぱり、ちゃんと家電量販店で買うしかなさそうですね。

 研究室の冷蔵庫なので大きな被害はなかったのですが、それでも冷蔵庫に急に死なれてしまうと、非常に困ることがわかりました。自宅の冷蔵庫の方もかなり古くなってきているので、なんとかしないといけないなと思い始めています。家の冷蔵庫に急に死なれてしまうと研究室の冷蔵庫どころの騒ぎではなく非常に困るので、今の冷蔵庫が生きているうちに、代替わりさせないといけないなと思っています。家電製品は、生前継承しないといけないものがおおいですよね。自分の余命を考えたら、もう1回は最低でも家電の買い替えが必要なんだろうなあ、なんてことも考えてしまった冷蔵庫の死去でした。

925号(2023.10.15)スネ夫の夢は何だろう?

 最近頭に浮かんでいた問いが、この「スネ夫の夢は何だろう?」でした。こういうのはドラえもん研究とかしている人がきっといるだろうから調べたら出てくるだろうなと思って調べたら、スネ夫がデザイナーになりたいと言う場面があるようです。でも、たぶん自分は親の会社を継ぐだろうからデザイナーにはなれないだろうと諦めたような発言もしているようです。なんで、こんなしょうもないことを考えていたかというと、以前「スネ夫のような国・日本」(第257号 スネ夫のような国・日本(2007.9.20)参照)という文章を書いて以来、日本がアメリカというジャイアンに逆らわないように過ごしているだけの国のように思えていて、そのイメージはますます強まっている気がしているからです。つまり、スネ夫の夢は何かという問いは、今の日本の向かうところはどこなのだろうということを考えたくなったということです。そして、スネ夫の夢が本格的に展開しそうもないように、今の日本社会も一体どこをめざして進んでいるのだろうとまったく見えない感じがします。

 外交は好きで世界のあちこちにでかけていく岸田総理ですが、国際関係において、日本が何か意味のあることをしているというイメージは一切ありません。経済的にも政治的にも存在感をどんどん薄れさせ続けているのに、国民はなんとなく幸せそうに生きています。明治になった時には、列強に負けない国になるために富国強兵をめざし、第2次世界大戦後は焼け野原となった日本を復興させ、再び世界から一目置かれる国となることをめざし達成してきたわけですが、調子に乗り過ぎたバブル経済崩壊後、相対的地位がどんどん下がっていくのに、誰も深刻に思わず30年以上過ごしてきてしまい、ふと気づいたら世界の中で存在感の薄い国になってしまっています。

 さすがに、今のままではまずいぞと思う人も多少は出てきていると思いたいところですが、政府のやっていることを見ると、内向きなことばかりで、国際関係はとにかく「ジャイアン・アメリカのおっしゃる通り」という外交方針しかない気がします。国民の関心も世間話的な話題に終始している気がします。ジャニーズ事務所がどうなろうとも、旧統一教会がどうなろうとも、日本社会に大きな影響は与えません。大阪万博もサッカーもラグビーも、大谷翔平も藤井聡太も、日本の将来には大きな影響は与えません。このスネ夫国・日本はどこに向かうのでしょうか?いや、どこに向かうべきなのか、わかっているのでしょうか?

 かつて高度経済成長でかなり豊かになり経済大国になったと思われた後、日本がめざすべき方向として、文化大国と言っていた学者もいました。文化大国ってなんなんでしょうね。アニメや観光で人気を呼んでいるという意味では、文化大国になっているのかもしれませんね。でも、なんかむなしい気もします。じゃあ、おまえが何か目標を提示しろと言われたら、私も素晴らしい目標など出せはしないのですが、もう少し独立国らしい矜持と、いざとなった時には自国だけでも苦境を乗り切れる力――単に軍事力だけでなく、経済力、政治力、国民の気概――を持たないと危ないのではないかと思います。個人の生活ばかりに目が行って、社会のあり方を考えるという人間がどんどん減っていくのを見過ごしていいのかなと疑問に思います。

 以前も書いた気がしますが、個人なんていつの時代も社会のことなんて考えない人が大多数です。でも、これまでは戦争期を除けば、個人がめざす幸せが社会を豊かにし、社会をうまく動かす方向に動いていたものです。しかし、今の個人の求める幸せは、社会をうまく継続する方向に必ずしも向かっていない気がします。せめて、国の舵取りをする政治家がしっかりした方針を出してほしいものですが、今の岸田総理は何をしたいのかさっぱりわかりません。選挙が気になるのか世論ばかり気にして、国民から反発されないように世論に迎合しているようにすら見えます。なれないかもと思いつつデザイナーいなりたいという夢を持っていたスネ夫の方が、日本よりましな気がしてきました。どこに向かっているのでしょうか、この国は。

924号(2023.10.14)「今日、一杯どう?」と誘えない時代

 本日社会学専攻の会議があり、全教員が大学に集まり、夕方5時過ぎまで会議をしていたのですが、終了後何もなく解散となりました。せっかく久しぶりにみんな集まったのだから、「一杯行きましょうか?」とか誰か言い出さないかなと思っていましたが、誰も言い出す雰囲気ではなく、私が言い出してみようか、いやみんな困るかと思って結局私も声をかけず、1人で飲みに行きました。

 なんか寂しいですよね。20年以上前なら、こんな時に必ず「行こうか?」と誘ってくれる人がいて、「じゃあ、行きましょうか」ってなってたんですけどね。前の大学にいた時なんかは、教授会の後は、当たり前のように必ず飲みに行っていましたし、関大に移ってきてからも毎回とまでは行きませんが、ちょくちょく教授会終了後に飲みに行っていたし、今日みたいなわざわざ土曜日に特別に集まった時なんかは、ほぼ必ず飲みに行っていたものでした。

 若手からは誘いにくいだろうから、私のようなベテランが声をかけるべきなのかもしれませんが、今はそんな急に今日とか声をかけても迷惑としか感じないだろうなとマイナスイメージばかりが浮かびます。上役や年配者が後輩たちを誘うのは「パワハラ」になるという言説が大きな声で語られる時代です。難しいです。

 こんな気を遣いながら過ごすのが正しいと言われるような職場で長く過ごすのは嫌ですね。私はもうあと2年半もないので我慢しますが、今40歳代くらいで、後20年以上この職場で働くなら、耐えきれないと思います。でも、時代はこういう生活を正しい生活と言うのでしょうね。仕事場での人間関係が、ひたすらビジネスライクなだけでよいというのは私には無理です。仕事での付き合いがプアラスアルファの楽しさも生み出してこそです。大学内も学会も、そんな楽しい人間関係を作ってきたので、しんどい仕事も頑張れたのです。人間関係の楽しいプラスアルファがない仕事なんてやりたくないです。

時代遅れ人間の愚痴だとわかっていますが、ストレスを吐き出したかったので書きました。気を遣いすぎる社会なんて楽しくありません。

923号(2023.10.6)我が読書遍歴――私がはまった作家たち――

 あと2年と数か月で研究室がなくなるので、その時点でたくさん本も捨てざるをえなくなるなあと思っていますが、その前に本の思い出をいろいろ書き残しておきたいなと思い、「読書遍歴」を随時書いてみたいと思います。今回は、その第1回目として、私がこれまでどんな作家にはまったかを書いておきます。

 小説をたくさん読み始めたのは大学入学以降のことです。しかし、大学(教養・学部)時代はかなり難解な専門書等にチャレンジしなければと思っていたので、小説も高橋和巳のような重厚な作品にチャレンジしていました。はまるというような大量消費的読み方は、大学院に入ってからかもしれません。修士論文を書く合間に気分転換で楽に読める小説にはまりはじめました。最初は、赤川次郎だったと思います。「三毛猫ホームズ」シリーズなど20冊以上くらいは読んだのではないかと思います。それからSF系にも少しはまり、筒井康隆、新井素子なども一時かなり読んでいました。テンポよく読める作家たちでした。いつのまにかまったく読まなくなってしまいました。

マンガ家ですが、三原順にはまっていたのも修士の頃だったと思います。こちらは、かなり考えさせる作品が多かったですし、結構な年齢になっても、引っ張り出して時々読んでましたが、さすがにもう20年以上読んでないですね(笑)三原順に限らず、大学院から若手教員だった頃は、マンガもよく読んでいました。はまったとまで言えるかどうかわかりませんが、あだち充や高橋留美子の本はかなり集めました。『タッチ』と『めぞん一刻』が連載されている時代でした。

 その後、司馬遼太郎、山崎豊子にもはまっていた時期があります。司馬遼太郎も20冊以上読んでいると思いますが、『竜馬がゆく』『国盗り物語』あたりが好きでした。世間でファンが多い『坂の上の雲』は個人的にはおもしろくなく、読み切れませんでした。司馬遼太郎の小説は、しばしば作家自身の見解が小説中に入り込み、その時代にどっぷりと浸らせてくれないのですが、それが気になりはじめるともうだめで、すっかり読まなくなりました。山崎豊子はその壮大な構想と緻密な取材力で社会学的にみても面白い小説をたくさん出しています。大体ネタ本があり、盗作疑惑等がしばしば話題になる作家でしたが、それなりに物語として面白く読ませるのは、作家本人の力量も大きかったと思います。『不毛地帯』『二つの祖国』などはワクワクしながら読んだ記憶があります。『大地の子』もまあまあでしたが、『沈まぬ太陽』が駄作で、もう山崎豊子はいいやと思い卒業しました。

 時代劇作家では、杉本章子にもはまりました。寡作の作家なので、知らない人も多いかもしれませんが、すばらしい小説を書きます。たぶん最初に『写楽まぼろし』という小説をなんとなく手に取り読み終えて感動し、見つけ次第次々に読んでいました。『東京新大橋雨中図』も素晴らしい作品でした。比較的若くで亡くなって残念でしたが、後半はシリーズものが多くなっていたので、それはほとんど読んでなかったです。

 推理小説系ではベタですが東野圭吾にもはまった時期があります。最初に読んだのが『秘密』でやや想像したくない設定だなと思いつつどうなるのだろうと一気に読み進めたくなり、その後2文字タイトルの彼の本を次々に読みました。2文字タイトルではないですが、『天空の蜂』も面白かったです。東野圭吾に関しては評価を下げたわけではないですが、多作すぎるので追いかけるのが面倒になり、最近は全然読んでいません。

 同じく多くのファンをもつ宮部みゆきにも少しはまっていた時期があります。たぶん最初に読んだのが『火車』で、これが社会派推理小説の典型で非常に面白く、宮部みゆきはすごいと思い、読み始めました。でも、彼女も多作で中には凡庸な作品もかなりあるので、ある時期からもうあまり読まなくなりました。むしろ、女性推理小説作家としては、乃南アサを私は買っていて、彼女の作品は3040作品くらいは読んだのではないでしょうか。『本を読もう!映画を観よう!』でもかなり多くの作品を紹介していると思いますが、プロの作家だなといつも思います。売れてからも、それほど作品の質を落とさずに書き続けています。今でも、なんか小説でも読みたいなと思いながら、これといったものが見つからない時は乃南アサにしておくかといった感じでたまに読みます。

 あと、誰がいたかなあ。松本清張も10数冊はよんでいるとおもいますが、はまったかというと、そこまでの記憶はないです。ちなみに、何冊か読みましたが、まったく評価できないのが村上春樹です。全然面白くないです。ある時期まで『ノルウェイの森』が日本で一番売れた小説というポジションを保っていましたが、読んだ感想としては「はあ?」という感じでした、なんで、この本がこんなに売れたんだろうとずっと不思議でしたが、先日ある番組で、1987年というバブルまっただ中の時期に、この本は出版され、上下巻がクリスマスカラーを彷彿とされる赤と緑で表装され、帯には「100%の恋愛小説です」と作家自身の推薦の言葉が書かれていたと紹介されていました。時代の空気の中で、この本を持つことがおしゃれだという流行のようなものが生まれ、中身が面白いからよりも、『ノルウェイの森』を持っているというポーズを取りたかったがゆえに売れたのではないかと、その番組でも言外に言っている感じで、なんか納得してしまいました。

 他にも一時的にはまったけれど、今思い出せない作家もいるような気がしますが、とりあえず、まずはこんなところにしておきます。

922号(2023.10.3)「恋の季節」到来?

 ちょっとワクワクするタイトルでしょ?(笑)誰の恋の話かと言うと、4回生女子たちのことです。最近、私との心理的距離が急速に埋まってきた4回生女性陣と話す機会がよくあるのですが、こぞって「恋をしたい」というか、「イベントにデートで行きたい」、「男の子と付き合う経験をしておきたい」と言います。今は、便利な時代で、マッチングアプリに登録すればあっという間に候補になりうる男性は山のように見つかるようで、「この間会いました」とか「今度会ってきます」と、いろいろ話を聞かせてくれます。みんなまじめな女性陣ばかりで、「えっ、○○もやっているの?信じられないなあ」と、こちらが驚いてしまうタイプの子ばかりです。

 4回生のこの時期に来て、急にみんなアクションを起こし始めているのも、よく考えるとむべなるかなという気もします。今の4回生は、大学入学時がコロナ恐怖が一番強かった時で、1回生の4月に学生証を受け取っただけで、後は夏休みまで大学に来てはいけない、サークル活動もバイトもほとんどできないという状態だったので、楽しみにしていたであろう「花の大学生活」をまったくスタートさせられなかった学年です。秋学期以降は多少大学に通学できるようになり、行動派の子たちはそこでサークルに入ったり恋を始めたりした子もいたとは思いますが、まじめでちょっとおくての子たちはなんか出鼻を挫かれた感じのまま1回生を過ごし、2回生以上になって、今更下の学年と一緒にサークル活動もやりにくいなあと思い、入りそびれしまったという感じでしょう。その後も、昨年度の3回生時まで、まだまだいろいろなことに制約がかかり、授業もマスクをつけて受けるのが当たり前という大学生活3年間を過ごしてきたわけです。

 ようやく今年から普通の生活を取り戻そうという機運になってきたわけですが、4回生たち――特にまじめな女子たち――はとりあえず就職を決めなければならなかったので、恋愛どころではなかったわけです。そしてようやく就活を終えた今、彼女たちはこの3年半まったく充実させることのできなかった「恋愛的なもの」にチャレンジする時間と気持ちができたわけです。後半年で学生生活が終わってしまう、学生時代にデートをした経験もないなんて青春はあまりにも悲しいと彼女たちは思い、そうだ、アプリで探して見ようとなっているようです。こうやって考えてみると、4回生のこの時期に、まじめな女子学生たちに「恋の季節」がやってきているのもなるほどなあ、と思えるわけです。

 マッチングアプリなんて、悪い男が手ぐすね引いて待っているのだろうと思いたくなりますが、ベテラン利用者の話を聞くと、いろいろ対処策もあるようですし、そこまで悪い男ばかりと考える必要もないようです。考えてみれば、対面で知り合った人なら、みんないい人だなんてこともないですからね。そもそも4回生のこの時期になって、大学で新たに知り合うなんてチャンスはほぼないので、アプリ利用に流れるのも、これまた仕方ないなと思わざるをえないわけです。

 ちょっと心配もありますが、とりあえず「恋してみよう!」という気持ちになっているまじめな女子学生たちを応援したいと思います。しっかり相手を見極めて、残り半年の大学生活を充実させてほしいものです。

921号(2023.9.28)なぜ、こんなに教師がブラックな仕事になってしまったのだろう?

 先日、新聞に教員試験の志願者が毎年どんどん減っているという記事が出ていました。2020年度と2024年度を比較すると15%以上減ったそうです。教師という仕事はブラックだというイメージが急速に広がっているようです。昔、小学生のなりたい職業で「先生」というのはベスト5には必ず入っていたものですが、今はきっとそういう結果も出てないんだろうなと思い調べてみたら、最近でも小中高生に意外にそこそこの位置には留まっていました。まあ、高校生まではどんな仕事があるかあまり知識がないので、一番身近で見てきた教師という仕事が浮かびやすいのでしょうね。(ちなみに、「先生」よりユーチューバーとかが上に来ており、その辺はやはり今時だなと思いました。)

 しかし、大学生になっていざ就職のことを本気で考え始めた時には、教員にはなりたくないという人が圧倒的に多くなります。以前は、とりあえず1回生の時は教職の資格も取っておきたいと考える学生は多く、入学してまもなく行われていた教職ガイダンスは満杯になっていたものですが、最近は少なくなっているのではないでしょうか。昔も1回生のうちは教職資格を取りますと言っていた学生たちも2回生以上になって、卒業必要単位以外に教職資格の科目をたくさん取らなければならないのは思った以上にしんどいと気づいて、途中で辞めていく人も多かったものですが、それでも私のゼミでも何人かの学生が教職資格を取っていたものでした。そう言えば、ここ何年も教育実習に行くので、ゼミを休みますという連絡をもらってないですね。実際に教師になったゼミ生を探すと10年近く前に遡ります。

 なんか残念ですね。私は、大学という場ですが、教師というのは素晴らしい仕事だと思って40年以上やってきたので、育てる年齢層は違うにしろ、教師という仕事が魅力的だと思われなくなっていくのは残念です。どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。考えてみたいと思います。

 ひとつの大きな転機は1980年代にありそうです。1980年代に入ると、校内暴力、いじめ問題が大きく取り上げられるようになります。その頃から教師の権限はどんどんなくなり、教師の仕事は難しくなっていったと思います。1970年代以前の学校でも、もちろんいじめはあったわけですが、社会問題化することはほとんどなく、個人で乗り切らなければいけないと思われていましたので、今のように「いじめ問題」への対応で、教師が追い込まれるようなことはめったになかったと思います。校内暴力も、不良という存在がおりちょくちょく生じていましたが、これも社会問題というより、出来の悪い生徒個人の問題という扱い方だったと思います。しかし、1980年代以降は、こうした問題が社会や学校が生み出す問題となり、教師や学校が解決しなくてはいけない問題となり、かつ解決は容易ではなく、教師の仕事は難しくなったのだと思います。こういう過程を経て、権威を失った教師に対して、言いたい放題の文句を言ってくるモンスターペアレントという存在が、1990年代には半ば以降多数現れるようになり、さらに2000年代に入ってからは、「ブラック○○」という言葉が広がる中で、教師の仕事もブラックだというイメージが強まっていきました。

私が影響を受けた1960年代後半から1970年代はじめ頃の学園ドラマ――高校を舞台にした「青春とはなんだ」(1965年〜)以後の、日本テレビ系の学園ドラマが典型です――の教師たちには、普通に情熱を持って教師となり、やる気と自信を失っていた生徒たちに「頑張れば、おまえたちはやれるんだ!」と気合を注入して、学園やクラスが一体となるハッピーエンドというストーリーがほとんどでした。水谷豊が小学校の先生を演じた「熱中時代」(1978年〜)も基本的には同じような作りでした。しかし、1980年代の教師が主役のドラマは、扱う問題が複雑になってきました。1979年秋に始まった「3B組金八先生」あたりが走りだと思いますが、中学生の妊娠だったり、校内暴力だったりがストーリーの核をなすようになってきます。1990年代半ば以降になると、今度は教師自身が様々な過去や出自を持ち個性強くスーパーマン的活躍をするといったドラマになってきます。「GTO」(1999年〜)、「ごくせん」(2002年〜)、「ドラゴン桜」(2005年〜)といったドラマが典型です。常人じゃない教師が生徒のために大活躍をしドラマとしては面白かったのかもしれませんが、普通の人が目標にできる教師像ではなかったように思います。

学園ドラマは今でもそこそこ人気があると思いますし、生徒思いの教師が活躍するドラマはあると思いますが、1960年代〜1970年代前半頃までのような、単純に教師っていいな、あんな仕事をしたいなと思えるドラマはほとんどないように思います。一方で、現実のニュースに目を向けると、様々な問題で疲弊した教師たち、ごく一部ですが問題を起こした教師たちが大きく取り上げられ、普通に生徒との交流で充実した仕事をしている教師が紹介されることはほとんどありません。小中高の時にそれなりになりたい仕事として挙げられている「先生」が、大学生ですっかり人気がなくなってしまうのにはこうしたことも影響していると思います。

 いざ就活となった時に、他の一般企業では厳しくなったコンプライアンスで従業員が守られるようになっているのに対し、学校という職場では、むしろそのコンプライアンスで教師が縛られるという状況も出来上がっています。一般企業の新人従業員は権力を持たない存在という位置付けになるので、コンプラで守られる側になりますが、教師は新人でも生徒に対して権力を持つ側という位置付けになり、コンプラを遵守しながら行動しなければならないという位置付けになるというのも、就職を考える学生からしたら、不安になるのかもしれません。人を育てるのが好き、対面で人と付き合うのが好きな人なら、教師の仕事は今でも魅力的なのではないかと思いますが、そういう価値観を持つ大学生は、スマホ普及以来、急速に減っていますので、その面でも教師志願者は今後もどんどん減っていくのでしょうね。親戚にもたくさん教師がいて、私自身社会学教師として幸せな人生を送ってきたと思っているので、教師という仕事がブラックだと思われていることが非常に残念です。

920号(2023.9.24)令和5年秋場所総括

 納得のいかない終わり方でした。優勝決定戦で、大関が再入幕の若手力士に立ち合いから変わるなんて、優勝に値しません。ちゃんと真正面からぶつかってやらないと、そりゃあ熱海富士も悔し涙が出ても当然でしょう。大関は2場所連続優勝すると、横綱になれる規定ですが、今場所の貴景勝の優勝は優勝の名に値しないので、万一優勝しても横綱に上げるべきではないです。まあ彼の実力からすれば、たぶん来場所優勝することはないと思いますが。最後の相撲で腹が立ったので、まずはこれを書かせてもらいました。これ以降は、気持ちを戻して冷静に総括したいと思います。

 基本的に今の大相撲は戦国時代です。横綱照ノ富士が休場すると、大関から前頭上位あたりまでの10数人の力が拮抗しており、誰も絶対的強さを持っていないため、星の潰し合いになります。結果として、中盤すぎまで上位と当たらない幕内下位力士が優勝争いに絡むことになります。今場所の熱海富士、先場所は伯桜鵬が典型ですが、このパターンは、今の相撲界の状況を見るなら、照ノ富士が元気になって出てこない限り、毎場所生じるでしょう。

 私の推しの霧島も豊昇龍も抜群の運動神経だけで相撲を取っていて、こういう形に持ち込めば、圧倒的に有利になるという型を持っていません。体も他の力士と比べたら、そこまで大きいわけでもないので、たまにパワーだけの力士にすら負けることになります。霧島がめざすべき相撲は立ち合いから前まわしを取って攻めるという、千代の富士や朝青龍のような相撲だと思うのですが、まだ今の霧島では急にそこまでは行けないです。器用で運動神経がいいので、10勝程度は今の相撲でもできますが、横綱を狙うには、毎場所13勝くらいできる力をつけないといけません。後1,2年はかかりそうです。豊昇龍も基本は同じだと思いますが、腕力が霧島よりも弱そうなので、より相撲が軽く感じます。もう後1015kgくらい体重を増やすことが先決かもしれません。

 関脇陣(大栄翔、若元春、琴ノ若)はみんなそこそこ強いですが、今のままでは大関昇進条件の3場所33勝するのはかなり難しい気がします。関脇止まりで終わってしまうかもしれません。小結・錦木はやっぱり完全に会得していなかったですね。先々場所後半、先場所前半と立ち合いを会得したかなと思いましたが、今場所を見ていると、やはり会得しきれてなかったということが明らかになってしまいました。ただひたすら上体の力を使って前に出ようとするだけなので、引き技で前に落ちます。先場所、先々場所のよかった頃は、下半身から前に出ていたのですが。

 朝乃山も相変わらず不器用なパワー相撲を取っています。錦木よりは腰が下りるので、勝ち越しはできますが、今のままではなかなか優勝に絡めるほどの安定した成績は残せません。まあそうは言っても地力はすばらしいものがあるので、うまく波に乗ったら、来場所あたりでも十分優勝に絡めるとは思いますが。あと、幕内上位では、予想通り豪ノ山が入幕2場所目でも、十分幕内上位の力があることを示しました。彼はそう遠くないうちに三役になるでしょう。他方、長期的にはより買っている湘南の海はやはり不器用でまだ相撲が完成していないので、今場所は78敗と1点の負け越しになりました。入幕2場所目の前頭5枚目での78敗はそれなりに通用したとも言えるでしょう。でも、大化けできるかどうかはまだわかりません。もっと前に出る力をつけないとだめですね。

 幕内下位で取り上げるべきはやはり熱海富士ですが、彼が大関・横綱まで行くかどうか今の段階ではわかりません。三役までは必ず行くと思いますが。足が長く腰高なので、そこが気になります。馬力はあるので、馬力でもある程度勝てるとは思いますが、どこまで行けるでしょうか。もちろん、彼もすでに幕内上位で戦える力はあるので、すぐに幕内上位の実力者の中に入っては行けるでしょうが。

 十両はやはり大の里ですね。確かに大器です。彼もすぐに幕内上位まで駆け上がるでしょう。彼もやはり足が長いのですが、熱海富士よりも膝はよく曲がり腰は落とせるので、将来性は熱海富士より上だと思います。次の九州場所でも十両でまた大勝ちするでしょうから、初場所には入幕、そして勝ち越しとなることでしょう。来年の5月場所あるいは7月場所あたりではもう幕内上位で戦っていることでしょう。

 あとはどの力士も怪我が心配ですよね。若隆元は今場所も十両で全休したので来場所は幕下ですし、先場所新入幕で優勝争いに絡んだ伯桜鵬も肩の手術をしたために、今場所から3場所くらいは休場し、これも幕下以下に落ちるのが確定的なようです。素晴らしい素質を持った力士が怪我のために大成できなかったということはこれまでにもあったわけですが、最近の方が多いと思います。昔の大相撲は、結構無気力相撲と言われるような相撲がたくさんあり、土俵際とか無理せずに土俵を割るとか結構ありましたが、12年ほど前に八百長相撲問題が社会問題化してからは、どの相撲もガチ相撲になり、面白くはなりましたが、その分力士の怪我は増えました。仕方がないのかもしれませんが、せっかく素晴らしい素質や技量を持った力士が怪我で力士生命を絶たれる、あるいは予想されていたような強い力士になれなかったというパターンが増えていると思うので、なんとかそうならないように無事これ名馬で行ってほしいものです。

 最後におまけでひとつ。毎日のようにたっぷり相撲を見ながら、ずっと思っていたのが、張り手は禁止技にした方がいいのではないかということです。特に、来場所新入幕する十両の東白龍という力士の相撲が汚すぎて見ていて腹が立ちます。彼は、張り手を乱用するのです。立ち合いの張り差しくらいは、技としてあってもいいかなと思っていましたが、彼はバタバタした突き押し引くという相撲なのですが、その突きあい、押しあいの最中に頻繁に張り手を使います。ほぼビンタを乱発している感じです。相手力士もだんだん腹が立ち、途中から応戦することがしばしばです。そして張り手慣れしていない相手力士の張り手が空振りした時などをチャンスと見て押し出して勝ったりするのですが、本当に汚い相撲で、引退勧告をしたいくらいです。技として許されているから使っていいのだという考えでやる力士もいるでしょうから、禁じ手にしたらいいんですよ。故意でないのに髷に手がかかって反則負けにするより、張り手を乱用する力士を反則負けにしてほしいものです。あと、ついでに言えば、今日の優勝決定戦の貴景勝ようなずるい勝ち方をできないように、上位力士は下位力士との勝負の時には立ち合いに変化してはいけないというルールも採用してほしいなと思います。以上長くなりましたが、令和5年秋場所総括でした。

919号(2023.9.15)「老人の日」なんてあったんだ!

 今ニュースを見ていて初めて知ったのですが、今日915日は「老人の日」なんだそうです。知ってましたか?もともと915日は「敬老の日」だったはずですが、第3月曜日に移されることが決まった2002年から915日は「老人の日」になったそうです。知らなかったです。「敬老の日」と何が違うのか調べてみたら、敬老の日が「老人を敬愛し長寿を祝う日」であるに対し、老人の日は「老人福祉などの啓発を呼びかける日」なんだそうです。でも、NHKニュースで取り上げられていたトピックは、高齢で元気に生きている老人の紹介に留まり、老人福祉に関する呼びかけなどまったくしていませんでした。大阪におられる日本最高齢の女性のところに、吉村知事が出かけてお祝いの言葉を述べ、何人かで阪神優勝を記念して「六甲おろし」を歌っていました――最高齢の女性は眉間に皺を寄せてうるさがっていたようにしか見えませんでした――が、こういうのってまさに「敬老の日」にやっていたことだったのではないでしょうか。ほとんど区別がないような2つもの記念日を作っても、そりゃ浸透しないですよね。ちなみに、915日から21日の1週間は「老人週間」なんだそうです。何をするのかさっぱりわからなかったので、調べたら内閣府の「『老人の日・老人週間』キャンペーン」には、以下のような内容が掲載されていました。

1.  すべての高齢者が安心して自立した生活ができる、保健・福祉のまちづくりを進め、ふれあいの輪を広げよう。

2.  高齢者の知識、経験や能力をいかした、就労・社会参加・ボランティア活動を進めよう。

3.  高齢者の生きがい・健康づくり、介護予防、感染拡大防止等への取り組みを進めよう。

4.  高齢者の人権を尊重し、認知症高齢者への支援のあり方や介護問題等をみんなで考え、高齢者や介護者を支える取り組みを積極的に進めよう。

5.  高齢社会における家族や地域社会等の役割を理解し、多世代がお互いに協力して安心と活力ある健康長寿社会をつくろう。

6.  減災や防災への取り組みに関心を持ち、日頃から地域でのつながりを築こう。

まさに「タテマエ」だけですね。こんなタテマエを掲げて何か老人のためにやっているふりなどやめて、本気で老人のことを考えるなら、安楽死や尊厳死について本格的考える週間とかにしてほしいものです。あるいは、「青年の主張」ならぬ「老年の主張」とかをやったらどうでしょうか。最近の世の中の動きはおかしくないかとか老人が堂々と主張する場があってもいい気がします。新聞の投書欄は、そんな老人の主張がいっぱい出ていますが、若い人は読まないですからね。若者と対話するというのがいいかもしれません。「老人の日」や「老人週間」を作ったなら、もっとちゃんと企画してほしいものです。

918号(2023.9.8)半分余生のような、、、

 最近毎日のように映画の感想をアップし、この「つらつら通信」も頻繁に更新しているので、まめにHPを読んでくれている人には、「先生、暇だなあ」と思われていると思います。実際、結構暇しています(笑)8月半ば頃まで、2022年大学生調査の原稿をまとめていた時はちょっと忙しかったですが、ほぼ原稿に目途がついてからは、かなり自由な時間ができ、時間潰しに録画していた映画を観たりしています。夏休みはこれまでもそれなりにゆったりすごせていましたが、今年の夏ほど暇な年は人生初めてです。

なんで、こんなに暇なんだろうと考えてみると、やはり理由はあります。今年の4月から再雇用の立場の教員になり、教育以外の仕事からはほぼすべて解放されいることが大きいのだと思います。大学教員生活41年目ですが、学内の役職なしで過ごせたのは、前任校の1年目と関大に移った1年目だけの2回でした。最初の時はまったくの新米教員だったし、まだまだ若手の立場だったので、授業の準備や研究業績を積み上げるために夏休みもそんなに暇ではなかったです。また、関大の1年目の夏休みは、子どもが31人、12人という大変な子育て期間中だったので、まったく暇ではありませんでした。

3回目の役職なしの夏休みはとても暇です。学内行政には興味もなくなり、研究もガツガツと結果を出したいと求めるような年齢ではなくなりました。学会関連の仕事も40歳代前半くらいからは常に何かやっていた感じでしたが、それも今はすべてなくなりました。大学教員は、教育、研究、行政の3つをきちんとこなさなければならないと若手の時から心に決め頑張ってきましたが、今は教育だけでよくなりました。秋学期が始まったら、また教育で忙しくなると思いますが、今は正直言って暇です。エネルギーが余り気味ですが、再雇用教員が「あれもやります、これもやります」と出しゃばるのは、同じ立場にある教員のことを考えてもよいことではないでしょうし、求められてもいない――他学部では教授会メンバー外としているところの方が多いです――ので、他の正規教員にお任せした方がいいわけです。

書庫に籠って研究するタイプでもないですし、そもそも私の考える社会学とはそんな学問ではなく、時代を鋭く見つめ分析するべき学問ですから、そのためにはこの「つらつら通信」を更新するくらいがちょうどいいのです。学会では評価されないかもしれませんが、そんなことも今やどうでもいいです。今更、獲得したい地位もなく、自分の好きな社会学的考察ができれば十分です。ただ、最近はなかなか興味深い新しいテーマを見つけるのが難しいです。24年も前からいろいろ書いてきていますので、このテーマはどうだろうと思っても、もう前に書いてしまったことが多いのです。まあそれでも頑張って何か見つけて書いていますが。

子どももうみんな30歳代になり、養育の責任はなくなりましたので、家庭が忙しいということも皆無です。プロ野球も高校野球も女子サッカーもバスケもラグビーもあまり興味がないので、結局録りためていた映画でも見るか、AMAZONプライムで探して見るかとなっているわけです。明後日から相撲も始まるので、それだけは楽しみですが。

こんな生活、みなさんはどう思うでしょうね。羨ましいと思いますか?あまり楽しくないですよ。人は、仕事や家庭やで忙しいと言っている時がきっと一番充実している時だと思いますよ。こんな半分余生みたいな生活は楽しいものではありません。まあ歳が歳なのだから仕方ないのでしょうが。もう少しで秋学期が始まりますので、適度に忙しくなってくれるのが楽しみです。

917号(2023.9.5)女性とスポーツ

 昨日の続きのようなものですが、今日は女性に焦点を当てて、どのようなスポーツが人気なのかを考えてみたいと思います。もともと日本において女性とスポーツはかなり遠い関係にあった思います。大衆化が進んだ江戸時代において歌舞伎や浄瑠璃なら女性たちもたくさん見に行っていましたが、相撲見物となると、女性たちがそんなにたくさん行っていなかったと思います。明治になってからも、基本的に女性とスポーツは遠い関係のままだったと思います。確かテニスとか自転車に乗るといったことが女学生で少し流行り始めたという程度です。スポーツは男性のものという意識は男女問わず強かったはずです。

 大正時代に新しい自由な風が多少吹く中でスポーツをやる女学生も出てきて、昭和の国威発揚ともからめた形でオリンピックの女子競技でメダルを取った陸上の人見絹江や水泳の前畑秀子が出てきますが、おそらく極々稀な女性たちという位置付けだったでしょう。女学校の体育の授業では、体操と遊戯という名の多少道具を使った運動が健康のために行われていたくらいでした。

 第2次世界大戦が終わり、野球人気に火が付いた時代も観客のほとんどは男性でした。女性たちの家事労働時間は長く、スポーツを見に行く余裕などなく、見ていなければルールもわからず関心も高まらないという時代がまだしばらく続きました。この状況を大きく変え始めるきっかけになったのは、三種の神器をはじめとする家庭電化製品の普及です。洗濯機や炊飯器は女性の家事労働時間を大幅に短縮し、そしてテレビは、試合会場に行かずともスポーツを楽しめるようにしてくれることで、女性たちにとってもスポーツが近づき始めたのです。野球、プロレス、相撲などをテレビを通して楽しむようになった女性たちもそれなりに生まれてきました。

 そして、1964年の東京オリンピックで、女子バレーボールが金メダルを獲得したことで、女性がするスポーツとしてバレーボール人気に火が付くことになります。もともとバレーボールは戦前の女学校時代からある程度楽しまれてきており、その素地があったからこそ、オリンピックで優勝できるほどの女子選手が集まったわけですが、この東京オリンピックで優勝したことで、これ以降中学校の女子バレーボール部は大人気となります。(「アタックNo.1」や「サインはV」といったマンガが大人気になります。)自分自身が経験すればルールも戦術もよくわかりますので、女性たちは見るスポーツとしてもバレーボールに注目します。この女性ファンが圧倒的に多いという状況をうまく利用して、1995年以降4年おきにバレーボールのW杯が日本で開催され、フジテレビとジャニーズ事務所がスクラムを組んで人気を盛り上げるというパターンを確立したために、日本においてバレーボールは女性ファンが圧倒的に多いスポーツになっています。

 大学紛争の余韻が薄れた1970年代半ばに入ると、テニスがおしゃれなスポーツとして女性のするスポーツとして急速に人気が高まります。1970年代前半からキング夫人の活躍――ベテラン男子選手にも勝つ――が影響を与えていますが、フェミニズム運動も参加になった時期で、女性たちがスポーツもせずにおしとやかにしているのがいいのだという価値観が弱まっていたことも影響していたでしょう。「エースをねらえ!」という女子テニスマンガの大ヒットもさらに後押しします。ただし、ここで選ばれたのは、明治時代から女性たちのスポーツとして認められ、女性性との矛盾も少ないと思われていたテニスであったということに注目しておきたいです。見るスポーツとしてのテニスは、人気のある四大大会――特にもっとも格の高いウィンブルドン――が時差の関係で楽しみにくいということもあって、そこまで大人気にはなりえなかったわけです。

 1970年代後半以降は、様々なスポーツをする女性たちが増えてきます。バトミントン、卓球、ゴルフ、フィギュアスケートなどは以前からやる人がいたものがさらに人気になった感じですが、マラソン、サッカー、柔道、レスリング、ボクシング、重量挙げ等は、かつては女性がするのは無理だろうと思われていたスポーツでしたが、今やする女性たちがそれなりに出てきています。それでも、競技人口を見るなら、やはり以前から女性性との矛盾が小さいと思われていたスポーツの方が人気があるのは間違いないでしょう。ダンスはスポーツと言えないかもしれませんが、あれだけ激しく動くダンスをやりたがる女性たちは非常に多いです。あの動きは女性性との矛盾が小さい、というより女性性の強調のようなものなので、多くの女性たちが魅力的と感じやりたいと思うのでしょう。

 さて最後に、女性の「見るスポーツ」人気について考えておきたいと思います。バレーボールの人気についてはすでに述べた通りです。フィギュアスケートも圧倒的に女性人気のスポーツですが、これは、音楽に合わせて動く舞踊的要素があるので、以前からそうした舞踊的なものを見る楽しみを持ってきた女性たちにとって受け入れやすいものだったからと考えられます。あとは、男性と同様にプロ野球、高校野球、男子サッカーといったところでしょう。ただ、男性ファンの見方とかなり異なるのは、選手のビジュアルへの注目度が女性の場合はかなり高い点です。すべての女性ファンがそうだというわけではないですが、選手の技術以上に、選手のビジュアルの方が気になるという女性ファンも多いです。男性でも「美人アスリート」と呼ばれるような人に関心は向くと思いますが、女性のビジュアルを求めたいなら、スポーツよりもアイドルを探した方がいいわけです。しかし女性の場合は、筋肉のついた肉体も含めて、男性スポーツ選手こそ、男性の理想像として捉えることもしやすいのだと思います。

こうした魅力的な男性を見て楽しむという見方が女性たちの間で強いために、女性が活躍しているスポーツだからと言って女性ファンが増えるわけではないという状況が生まれています。もちろん、自分自身がそのスポーツをやっている女性なら、活躍する女性選手に憧れの目を持って注目することになるでしょうが、ただ単に「見るスポーツ」として楽しんでいる女性たちなら、男子選手のカッコいい姿が見られる方がいいとなってしまうからです。女子スポーツで女性ファンがつくのは、女性性と矛盾が小さいスポーツなのだと思います。かわいさ、美しさと共存できる女性スポーツなら、多くの女性ファンがいる気がします。

書き始めると、このテーマもいろいろ書きたくなります。昨日より長くなってしまいました。キリがないので、とりあえずここらでやめておきます。

916号(2023.9.4)スポーツ人気の考察

 男子バスケットボールがオリンピック出場を決めたと大きく取り上げられていますが、ちょっと前には、男子バレーボールや女子サッカーのW杯も話題になっていましたが、終わってしまうと、一気に静かになってしまっています。バスケもどうでしょうね。今週からはラグビーW杯が始まりますので、とりあえずそちらにメディアの関心は向きそうです。ラグビーは2019年の日本開催のW杯で日本チームが非常に活躍しこれまでにないほど注目され、にわかファンがたくさん生まれましたが、そのまま固定ファンになった人はどのくらいいたでしょうか。今回も日本チームが活躍すれば、またにわかファンは増えるでしょうが、予選リーグで敗退にでもなれば、一気に人気は下火になりそうです。

 W杯やオリンピックのような世界大会がなくても人気があるのは、プロ野球と男子サッカーくらいでしょうか。大相撲も最近は毎場所ほぼ毎日満員御礼になっていますので、それなりに人気スポーツでしょう。年に2回ですが、甲子園の高校野球も人気がありますね。これらのスポーツはにわかファンではなく、固定ファンがついています。固定ファンを獲得できたのはなぜかを歴史を遡って考えてみたいと思います。

 もともと日本では、大衆が楽しむ「見るスポーツ」としては相撲くらいしかなかったはずです。明治になって外国の文化が輸入される中で、スポーツも輸入されたわけです。サッカーもアメフトもバスケットも結構早い時期に輸入はされたようですが、人気は定着せず、野球だけが学生たち中心にまずは「するスポーツ」として普及し、その後学生野球が「見るスポーツ」としても人気になります。野球だけが普及したのは、投手対打者の構図が、それまでの11スポーツ(相撲、剣術、柔術)しか知らなかった日本人に同じような11の対決のように見えたことが大きかったのではないかと思います。

 1934年に職業野球(プロ野球)が誕生してからは、「見るスポーツ」として人気になりますが、第2次大戦後に実質的にアメリカに支配され、剣道や柔道が禁止スポーツになる中で、アメリカ発祥の野球は一切の制約なしに楽しめる「見るスポーツ」になり、他を寄せ付けない人気となるわけです。特に、当時のプロ球団を抱える企業は新聞社や映画会社といったメディア関連会社が多く、マスメディアが積極的に野球を報道することで大人気となりえたわけです。基本的に、野球は人気が衰えたことはなく、常に人気スポーツの位置を保ち続けています。「見るスポーツ」として人気になるかどうかは、マスメディアの報道の効果が非常に大きく、テレビ創生期には野球とともにゴールデンタイムに頻繁に放送されていたプロレスも大人気スポーツとなっていました。

 他方、男子サッカーは苦難の時代が長かったです。1968年のオリンピック・メキシコ大会で銅メダルを取り、「するスポーツ」としては人気を持ち始めましたが、アマチュア企業チームによる日本リーグ時代が長く続き、「見るスポーツ」としてはそれほど人気を持っていませんでした。1993年にJリーグが始まり、夢舞台だったW杯にあと一歩まで行き、W杯出場が現実的目標になってからは、急速に「見るスポーツ」としての人気が高まるようになりました。1980年代前半に大人気だった「キャプテン翼」というマンガに影響を受けて運動能力の高い子どもたちがサッカーを選択するようになってきたことが1990年代の日本サッカーの急速な成長に繋がったはずです。世界でもっとも人気のあるスポーツのW杯に出られるかもしれない、さらには初出場、W杯開催、毎回出場、しばしば起こす「ジャイアント・キリング」となれば、固定ファンもどんどん増えるわけです。また、Jリーグがフランチャイズ制をきちんと取り、地域との密着度を高めたことも無関心層をファンへと変化させる見事な戦略でした。

 比較的最近話題だった男子バレーボール、男子バスケット、そしてこれから注目されるだろうラグビー、あるいはアメリカで大人気のアメフトなどが、いつの日か、野球や男子サッカーと「見るスポーツ」として人気で肩を並べる日は来るのでしょうか。長く大衆人気が出なかったサッカーが1990年代以降大人気スポーツになったという例もあるわけですから、まったく不可能というわけでもないでしょうが、今の時点で予測すると、かなり難しいだろうなという気がします。それぞれ、どの辺がネックかを指摘できますが、長くなるので、今日はここまでとしておきます。

915号(2023.9.3)日本って学歴社会なのかな?

 毎年のように、学歴社会について卒論で扱う学生がいるので、一緒に考えているうちに、現代の日本って、どの程度学歴(大学名)に意味がある社会なのだろうかと疑問が湧いてきました。中国や韓国の大学受験の際の熱狂ぶりはしばしば報道されますが、日本の大学受験って、あそこまで熱が入ってないですよね。大学入学共通テストで人生が決まってしまうとまで本気で思っている人は少なそうな気がします。もちろん、受験生たちはそんな気持ちに主観的にはなっているかもしれませんが、もしも共通テストで思ったほど点数が取れなくて、めざしていた国立一流大学はあきらめることになり、関関同立あたりにせざるをえなくなったとして、その人の人生にとって、どの程度大きなマイナスになっているのでしょうか。受験生の時に思っていたほどのマイナスにはなっていないというのが実態ではないでしょうか。

 逆にもしも共通テストでしっかりいい点が取れて、東大や京大に合格できたとして、その事実だけでその後の人生がどのくらい得になっているのでしょうか。明治時代の東京大学なら卒業するだけで、中央官庁の官僚になれましたし、もう少し最近の4050年くらい前でも、企業は大学別に求人票を出していましたから、一流どころの大学を卒業することは、高い確率で優良企業に勤められ、年功序列と終身雇用で、安定した生活を送ることができるようになっていましたので、メリットはかなり大きかったと思います。でも、ここ2030年くらいの就職採用は偏差値レベルの高い大学の学生なら一も二もなく採用しましょうなんて仕組みにはなってないですよね。大学名で足切りさえされなければ、後は本人の能力と魅力で決まるという仕組みのはずです。むしろ、東大や京大の学生の方が線が細く打たれ弱そうな学生も多く、あまり使えないのではというイメージすらある気がします。最近は結婚相手としても男女とも大卒くらいの肩書がないという空気もあると思いますが、これも東大、京大が一番モテるという風にはまったくなっていないと思います。こういう風に考えてくると、現在の日本における学歴効果ってどの程度のものなのだろうと非常に疑問が湧いてきます。

 小学校の中学年くらいからせっせと塾に通い、私立の中高一貫の受験校に入り、頑張って勉強して、東大や京大に入れば、その時点では成功した気持ちになるかもしれませんが、それだけではあまり意味がないというのが実際ではないでしょうか。医学部とかに入って医師になれば、それなりの地位と収入が得られると思いますが、それは学歴というのとちょっと違いますよね。合理的に考えれば、東大、京大の医学部は無理だけど、地方国立大学の医学部なら合格できそうなら、医学部以外の東大、京大に行くより、地方国立大学(医学部)の方が確実によい人生を送れると思いますが、そうであるなら学歴社会ではなく資格社会です。弁護士も公認会計士それなりの社会的地位と収入が得られますが、この資格を取る上でも、別に一流大学卒の肩書はなんの意味も持ちません。

 以前に書いたように「関関同立」くらいがちょうどよい(参照「第835号 関関同立ちょうどいい(2022.2.11)」)という社会なら、必死になって子どもの時から塾に通って勉強してこなくても、学校の授業にちゃんとついて行っていれば入れるのではないかと思います。みんな慣習的に「日本は学歴社会だ」と思っているだけで、もはや日本社会の実態は、学歴――実質的には大学名ですが――効果が薄くなった非学歴社会になっているのではないでしょうか。

914号(2023.8.29)ジャニーズ事務所問題になった

 ジャニー喜多川による性加害問題に関して、本日外部専門家の再発防止特別チームによる調査報告がなされましたが、予想以上に厳しいしっかりした報告でしたね。最大のポイントは、この問題は、ジャニー喜多川氏だけの問題ではなく、ジャニーズ事務所による組織的隠ぺい問題なのだという印象を強く与えたことです。ジャニー氏の姉で共同経営者だったメリー喜多川氏も今の社長であるジュリー藤島氏(メリー氏の娘)も、ジャニー氏による性加害問題を認識しつつ、なんの対応も取らなかったと厳しく批判し、ジュリー氏は社長を辞任すべきだとまで提言していました。

 この報告を受け止めて、ジャニーズ事務所がどういう対応をするかですが、まあさすがにジュリー氏はやめるでしょうね。この問題がこれ以上大きくならないほしいと思っているジャニーズ・タレントのファンたちは、ジュリー氏に対して思い入れはないでしょうから、ジュリー氏がやめて問題が収まるならさっさとやめてほしいと思っていることでしょう。ただ、ジャニーズ事務所の株は100%ジュリー氏が持っているそうですから、社長の座を降りても巨大な権力は持てるでしょう。その意味でも、社長の座にこだわることはないだろうと思います。ジュリー氏の院政が始まるのかもしれません。

 あとしなければならなさそうなことは、「ジャニーズ事務所」という企業名の変更でしょうね。「ジャニー」という名を使っている限り、ジャニー喜多川が思い起こされるわけですから、変えざるをえないでしょう。1960年代から存在する企業名で、「ジャニオタ」やら「ジャニーズファンクラブ」と言った形で、ファンにとっては愛着のある企業名でしょうが、ジャニー喜多川のイメージを振り払わなければならない組織としては、企業名の変更を選択せざるをえないでしょう。

 本来はこの程度で済むのはおかしな話です。創業者とその共同経営者に大きな問題があったことがわかった場合、その企業はもっともっと痛手を被り、場合によっては企業倒産が起きてもおかしくないくらいの事件ではないかと思います。もしも、これが女性タレントに対する性加害であれば、そんな創業者が創った企業は潰すべきだという世論がもっと高まったと思います。しかし、ジャニーズ・タレントは今でも毎日どこかのテレビで顔を見ます。売れているジャニーズ・タレントは、一切この問題について発言しませんし、マスメディアも発言を求めません。一般の企業や官庁や大学で問題が起きたら、その会社の社員や役人や学生にすらマイクを突き付けるマスメディアなのに、ジャニーズのタレントはもちろん、事務所の社員がマイクを突き付けられているのも見たことがありません。マスメディアはジャニーズ事務所に対してはやはり甘いです。

 売れているジャニーズ・タレント――元所属していたタレントも含めて――たちは何も言わなくていいのでしょうか。ジャニー喜多川氏が死んだときに、いかに素晴らしい人だったかと言っていたタレントのたくさんいましたが、今でもそう思っているのでしょうか。まあ、ジャニー氏による性加害は公然の秘密だったから、そういうことをする人だけど、タレントを見抜く能力はあったと割り切って評価しているということでしょうか。また、所属タレントに罪は一切ないのでしょうか。ジュリー氏が知っていながら何もしなかったように、長く所属しているタレントたちも知っていながら何もしなかった人たちではないのかなという気がするのですが…。売れているタレントたちが揃ってストライキでもする意思を持って、ジャニー喜多川氏にそういうことをやめさせようと思ったらできた可能性はあるのではないかという気もするのですが…。それとも、ジャニーズ事務所で一人前になるための割礼だとでも割り切っていたのでしょうか。

まあでも、今コアなファンたちが思っているのは、一日でも早く収束して、自分の推しのタレントがこんな余計なことに惑わされずに活躍できるようにしてほしいということだけでしょうね。でも、そういうファンの盲目的思いが、20年ほど前に裁判ですでにジャニー喜多川の性加害が認定されていたにもかかわらず、彼をそのまま野放しにし、さらなる犠牲者を生み出すことになってしまったのだということも思い起こさないといけないと思います。もうジャニー氏はいないのだから、同じようなことは起こらないはずだとみんな思いたいのでしょうが、どうなのでしょうねえ。

【追記(2023.8.30)】本日のワイドショーでどんな風に取り上げられるのかなと思っていましたが、なんとTBS系の「ひるおび」では全然扱いませんでした。最初に紹介する今日のキーワードにはデカデカと出ていて、司会やコメンテーターが軽く触れましたが、それで終わってしまいました。「ひるおび」は大谷の活躍やWBCやサッカーW杯や天候の話題に関してはもういいよと思うほどしつこく詳しく紹介するのに、ジャニーズ事務所問題は一切取り上げないとは、驚きました。「ひるおび」で取り上げないようだったので、1215分頃にテレビ朝日系の「ワイド!スクランブル」にチャネルを変えましたが、もう別のニュース――韓国の教師が苦境に陥っているというかなりマイナーなニュース――に変わっていて、それを長々と取り上げていました。「ゴゴスマ」は新聞見出しで、この問題をトップで取り上げるかのように書いていましたが、実際には番組開始から1時間後くらいに短く取り上げただけでした。昨日の報告で、ジャニー喜多川氏が野放しにされて被害者がたくさん出てしまったことに関しては、マスメディアの責任も大きいと指摘されたのに、翌日からさっそくこんな調子とは。マスメディア――特にテレビ局――のジャニーズ事務所に対する忖度は尋常なものではないですね。(ちなみに、読売テレビ制作の「ミヤネ屋」だけは本格的に取り上げていました。)

【追記2(2023.9.7)】本日ジャニーズ事務所が会見しています(現在進行形です)。14時から始まってすでに2時間半以上質疑応答が続いています。東山新社長は誠実に答えているように見えますが、自分が性的ハラスメントの加害者ではないかと最初軽く聞かれた時は「私はしていません」と断言していましたが、厳しく問われた時は、「したかもしれないし、しなかったかもしれない。記憶があまりない」とあいまいな回答に変化していました。この質疑応答の部分を、夕方や夜のニュースでどのくらい取り上げるかがひとつの焦点です。すでにまとめのビデオを作っている番組もあるので、それも見ていますが、東山新社長の性加害問題は取り上げていないですね。むしろ、藤島ジュリー前社長が、「こういうことが起きても応援してくれるファンの方々がありがたい」と涙ながらに話す場面が何度も流されています。やっぱりジャニーズ事務所に対してテレビ局は甘めのようです。

913号(2023.8.25)えー、こんなに!

 大阪府の公立の小中学校は今日から2学期が始まったようですが、日本中のすべての小中学校が今日が始業式ではないようですね。調べてみたら、近畿圏でも滋賀県や兵庫県は91日から2学期が始まるようです。私が義務教育を受けていた頃は、724日が終業式で91日が始業式と決まっていたものですが、今は自治体ごとにバラバラなんですね。夏休みの開始日も全国で見たら、717日、20日、21日、22日、25日、26日といろいろでした。1学期の終業式が早ければ、2学期の始業式も早いのだろうと思ってましたが、そんなこともないようで、夏休みの日数も26日しかない北海道が最も短期間ですが、岩手も30日、長野も31日と短いです。まあ、この辺は雪が多そうなので、冬休みを長くしているのかなと思ったのですが、北海道や岩手は少し冬休み期間が長かったですが、長野は冬休みも春休みも特に長くしてませんでした。

近畿圏でも、夏休みの日数は、滋賀が42日間、兵庫が41日間、大阪、奈良、和歌山が35日間、京都が34日間とバラバラです。最大8日間も違いがあります。冬休みとか春休みで調整している可能性を考えて調べてみましたが、冬休みは近畿圏6府県のうち、和歌山だけが12日で、あと5府県はすべて17日間、春休みは6府県ともすべて16日間でした。

 ということは、一番休みが多い滋賀県では1年間で75日も休み期間があるのに対し、一番少ない和歌山県では63日しかなく、両県の差は12日もあります。なんでこういうことが可能なのでしょうか?義務教育って教える内容や時間数がかなりきちんと決まっているものと思っていましたので、23日の違いくらいなら行事数の違いや時間割の違いでカバーできるかなと思いましたが、12日も学校に来る日数が違う滋賀県と和歌山県で同じ教育内容が教えられるのでしょうか。謎です。

 ちなみに、土日も休みですから年間104日間くらいはさらに休みが加わりますよね。それに土日や休み期間と重ならない祝日が9日ありますので、トータルで滋賀県の小中学生は今年は年間188日も学校に行かなくていいことになります。半分以上休みなんですね。じぇじぇじぇ!(最近「あまちゃん」の再放送を見ているので、うつりました(笑))

私が義務教育を受けていた時代は、土曜も学校がありましたし、祝日も今ほど多くはなく、夏休みは725日始まりの831日まで、冬休みは1225日始まりの17日まで、春休みは325日始まりの47日までで決まっていたと思いますので、計算すると、休みの日は127日くらいです。滋賀県の小中学生とは60日も学校に行く日数が違います。365日のうち、60日も学校に行く日数が違うとは……。これでは、教える内容を「ゆとり教育」時代よりは少し戻しましたと言っても、たいした変化につながらないのは当然ですね。

子どもの時から半分以上お休みという経験をしてきた人たちが、週に5日間も働けない、せめて週3日は休みが欲しいとなるのも当然なのでしょうね。ついでに、前回の「皆勤賞」のネタとからめて言えば、1年の半分以上休みなのに、それ以外の日も休んでいいよと言ってあげないといけないんですかねえ。さらに、この夏は夏休みの宿題を廃止した学校もあるというニュースも聞きました。この子どもに甘い「極甘社会」は将来に何をもたらすのでしょうか。あまり予測したくない気分です。

912号(2023.8.23)皆勤賞

 今朝の朝日新聞に皆勤賞を廃止するべきか否かについて読者の声がいろいろ掲載されていました。学校を「休んではいけない」と思いこませるような強迫観念を植え付けているから廃止すべきだという人と、頑張ってちゃんと出席したことを褒めてあげることをなぜ否定しなければいけばいのかと賛否いろいろあるようです。このテーマについては、春学期にゼミでもニュース討議として扱ったのですが、皆勤賞めざして頑張ってましたという学生が結構いました。

 学生の議論や新聞投書を読みながら個人的に思ったのは、私の通った学校って皆勤賞の表彰とかなかったんじゃないかなということです。「皆勤賞」という言葉自体は私も昔から知っていたので、「賞」として表彰されていたのかなとも思いますが、まったく記憶がありません。私自身ほとんど学校を休んだことがない子だったので、皆勤賞の表彰があれば覚えていそうなものなのですが…。夏休みのラジオ体操とか毎日ハンコを押してもらって、全部参加できたら「皆勤賞だね。頑張ったね」という言葉くらいはもらったと思いますが、表彰などはなかったように思います。学校に至っては、「皆勤賞だね」という言葉すらかけてもらった覚えがありません。

 今でも、皆勤賞を表彰するかどうかは学校ごと、校長次第で違うようですので、私がたまたま表彰を行わない学校に通っていた可能性はありますが、もしかしたら1970年代くらいまでは皆勤賞を表彰する学校は少なく、現代に近づくほど増えてきているという実態があるのではないかという気もします。昔は学校に毎日通うのは当たり前で相当しんどい病気でもしない限り休まない子ばかりだったと思います。なので、もしも皆勤賞を表彰するとなったら、クラスの半分、いや3分の2くらいの子を表彰しなければならなかったでしょう。(それも、昔は1クラスが40人台後半くらいの人数がいましたので、表彰しようと思ったら、1クラスで30人くらい表彰しないといけなかったのではないかと思います。)つまり、皆勤が当たり前だったので、特に表彰するようなことではなかったのではないでしょうか。ラジオ体操で「皆勤賞だね」と言ってもらえたのは、ラジオ体操は結構休む子が多くて、皆勤できる子が少なかったからだと思います。

 しかし、1980年代以降、学校が荒れ、不登校も増えてくる時代になり、学校に毎日ちゃんと来る子が多数派でなくなってきたために、学校に来てもらう動機づけに皆勤賞の表彰が広まっていったのではないでしょうか。ゼミでの議論を聞いていたら、今の大学生たちが通った学校はほとんど皆勤賞の表彰があったようでした。それでも、親の休みの都合に合わせて、学校を休んで旅行に行ったことがあるという学生も3分の1くらいいました。

 この推測が正しいなら、皆勤賞の表彰をやめる必要はないですね。別にこの表彰があっても休む人は休んでいたのですから、「休んではいけない」という強迫観念を植え付けているなんて極端過ぎる見方でしょう。頑張って毎日遅刻もせず休まずに学校に来た子に、「頑張りましたね」と表彰してあげていけないことなどまったくないと思います。

911号(2023.8.22)ブラタモリ、いつまで続くかな

 NHKの「ブラタモリ」という番組を始まった当初――「笑っていいとも」の司会役があったので東京近辺しか行けなかった2009年の第1シリーズ――からずっと見ていますが、最近タモリさんの歩き方がちょっとしんどそうで、そう遠くないうちに、タモリさんが「もう歩くのがしんどいからやめよう」と言い始めるのではないかと心配です。頭の回転はまだまだ抜群に良く、切れ味鋭い発言や博識ぶりを示してくれていますが、歩き方が気になります。タモリさんは、私の10歳上ですので、今年78歳のはずです。もうかなりの高齢であることは間違いないです。でも、まだまだ元気で現役生活を続けてほしいものです。タモリさんと同じ昭和20年生まれには、吉永小百合さんもいます。彼女も78歳と思えない美貌と若さを保っています。この2人が元気な間は、10歳下の私はまだまだ元気なのは当然だと思えるのですが、この2人が引退したら、かなりショックを受けそうです。でも、永遠はないので、いずれこの2人にも表舞台から消える日が来るんでしょうね。そうなったら、次は自分たち世代かと思ってしまいそうです。

 私と同学年のタレントは元気な人が多いです。郷ひろみ、役所広司、明石家さんま、桑田佳祐,etc.まだまだ、みんなバリバリの現役です。でも、彼らより、私はタモリさんが気になります。街歩きをしながら知識を楽しむという「ブラタモリ」の企画が、自分のやっていることと似ているからでしょうね。タモリさんが「ブラタモリ」をやり続けてくれたら、私もその年齢まで街歩きはできるなと思うからでしょうね。ゆっくりでもいいし、車移動を多めにしてもいいので、「ブラタモリ」、あと5年は続けてほしいです。頑張れ、タモリさん。

910号(2023.8.10)1週間ぶりに戻ってきたスマホ

 83日木曜日に茨城県のつくば市で失くしたスマホが1週間ぶりに手元に戻ってきました。ないことに気づいたのはつくば駅に向かうバスの中で、その日出向いたところは限定されていたので、施設のどこかに落としたのだろうと思い、出向いた施設2か所に電話をしたのですが、今のところ届いていないという返事で帰りの電車の時間もあったので、いったんあきらめて帰阪することにしました。サブで使っている方のスマホだったので、生活に支障はなかったのですが、やはりどこかで誰かかがそのスマホを勝手に悪用したりしては困るなと思いながら過ごしていました。

 何度かそのスマホに電話をしてみると呼び出し音は鳴るのですが、誰も出ず、どこか人の目につきにくい所に落ちているのかなと思い、2日が経ってしまいました。もうこれ以上は待てないなと思い、解約をしようと予約を取っていた3日目、出かける前にもう一度だけ電話してみようと鳴らしてみると、なんと茨城県警のつくば駅前交番のおまわりさんが出てくれました。拾った人が交番に届けてくれていたのでした。落ちていた場所は、やはり出向いた施設の近くだったようですが、あまり詳しいことはわかりませんでした。

 それにしてもほっとしました。ただ、つくばまで受け取りに行くのは難しいので、送ってもらうことはできるかと聞くと、あまりよくわかっていない若いおまわりさんだったようで、明確な答えがなく、ともかく日曜日までは交番にあるが、月曜日以降はつくば警察署に移されるということだけ伝えてくれました。できたら早く戻ってきてほしかったので、つくばに住む友人に取りに行ってもらおうと思うと伝えると、わかりましたという返事だったので、友人に連絡を取ったところ、数日前から奥さんがコロナに感染し、自分も熱が出てきているので、今すぐは動けないという状況でした。もうこうなったら、月曜日以降につくば警察署の方に取りに行ってもらうしかないなと思い、その旨駅前交番のおまわりさんに伝えると、友人の方が受け取れるようにしておきますとの返事だったので、これでいずれ無事戻って来るなと安堵しました。

 で、火曜日に友人がつくば警察署に出向いたところ、委任状のない知人には返却できないが、受取人払いで本人に送ることはできるという話をされたそうです。友人に暑い中、無駄足を運ばせてしまいました。申し訳なかったです。その後、私がつくば警察署と直接電話でやりとりをし、私のスマホだと理解してもらい、送ってもらうことになり、本日810日木曜日に受け取れたという次第です。

 今回のことで思ったのは、みんなやさしいなということです。最初に連絡した2か所の施設の方も親身になって心配して探してくれましたし、拾った方も――誰だかわかりませんが――きちんと交番に届けてくれましたし、駅前交番のおまわりさんも警察署の遺失物係の警察の方も、みんな丁寧にやさしく応対してくれました。警察とは、これまで運転免許の更新や交通違反や軽い事故の時くらいしか接点がなく、いつも上から偉そうに命令口調で言ってくる怖い人というイメージが強かったのですが、今回このスマホ紛失事件では、警察の人って、こんなにやさしいんだと認識を新たにしました。交番の若い(であろう)おまわりさんは、的確な対応策を教えてはくれませんでしたが、何度も電話をくれたり、親身になって心配してくれたり、非常にありがたかったです。友人には無駄足を運ばせてしまいましたが、そのことであの交番のおまわりさんを恨む気持ちにはなれません。みなさん、本当にありがとうございましたという気持ちです。

 いろいろな人にご迷惑をかけてしまいましたが、久しぶりに人のやさしさと日本社会のシステムの健全さを感じた1週間でした。

909号(2023.7.24)令和五年名古屋場所総括

 今場所は、先場所ほど書きたいことがないのですが、私の大相撲批評を楽しみにしている方も少しいるようですし、記録になるので総括を書いておきます。

 豊昇龍の優勝で終わりましたが、妥当な結果です。今場所フル出場した力士の中では、地位・実力ともにNo.1の力士でしたので、収まるべきところに収まった感じです。来場所から大関ですが、十分その地位に見合った活躍をするでしょう。霧島が怪我を完治させればよきライバルになると思うのですが、霧島の今場所後半の相撲を見ると、押された時の残り腰があまりなくてやはり痛みがあるのかなと心配です。初日から出場できれば、負け越して大関陥落なんてことはないと思うのですが、少しだけ心配です。

 大栄翔と若元春はともに9勝で、来場所で大関昇進を勝ち取るには1213勝で優勝にからむ大活躍が必要ですが、今の三役、前頭上位の力の拮抗ぶりから見ると、なかなか難しい気がします。過去にも関脇を長く務めたけれど大関になれなかった名力士が数々いますが、2人も下手をすると、そのパターンになるかもしれません。むしろ、琴ノ若や朝乃山といった四つ相撲でパワーがある力士が先に行くことになるかもしれません。朝乃山は怪我をして相撲がよくなりました。怪我する前は、左上手を取ることにかなりこだわっていましたが、左上腕を怪我して十分力が入らないからか、左上手に頼らずに勝つために、立ち合いからの前に出る攻めが厳しくなりました。再出場してからの4連勝の相撲を来場所取り続けたら、来場所の優勝候補の1人になりそうです。

 錦木は中盤までは破竹の勢いで、このまま優勝してしまうのではないかと思いましたが、精神面で意識しすぎて、中盤までの迫力ある前に出る相撲が取れなくなり、10勝止まりで終わりました。これで悔しいと本気で思えれば、もうひとつ上を目指していけますが、どうも無欲で人が良さそうなところがあるので、初三賞、初三役で満足してしまいそうな雰囲気があり、来場所は今場所ほど活躍しなさそうな気がします。錦木に豊昇龍のような負けん気があれば、もっともっと強くなれるのですが。

 新入幕3人は先場所予想した通り活躍しました。全員二桁勝利で三賞も獲得しました。来場所も、伯桜鵬と豪ノ山は活躍するでしょう。2人は相撲が出来上がっていますので。湘南の海は大器ですが、不器用感があるので、幕内2場所目となり、幕内中位に上がると、動きのよい力士たちにかき回されて大勝ちは難しいのではないかと思います。

 今場所の感想はこんなところです。秋場所をまた楽しみに待ちたいと思います。

908号(2023.7.16)若い人は仕事にマイナスイメージを持ちすぎではないか?

 大学生たちと話をしていると、仕事というものは辛くしんどいもので本当はやりたくないけれど、生活のためにやらなければならない必要悪のように思っている人が多いように感じます。私の大学生調査でも、「働かなくても楽に暮らしていけるだけのお金があれば、遊んで暮らしたい」という意見に「そう思う」と答える人は、2017年調査、2022年調査ともに3分の2を超えます。この質問を初めて導入した1992年調査では男子は約半分、女子は3分の1強くらいだったのですが。たぶん、もっと前の時代に遡れば、「遊んで暮らしたい」なんて考えに賛成する人はさらに少なくなるでしょう。このように働くこと、仕事をすることを、ただただ面白くないことのように思う若い人が増えていることを、私は非常に残念に思います。

 仕事を通して社会貢献をし、仕事を通して自らのアイデンティティを形成することが当たり前だったのに、一体いつからこんなに仕事にマイナスイメージが広まってしまったのでしょうか。仕事をせずにどうやって社会貢献やアイデンティティ形成ができるのでしょうか。たまに気が向いた時にボランティアをしてみる程度じゃ十分な社会貢献とは言えませんし、アイデンティティも確立しないでしょう。どんな仕事もはじめのうちはわからないこと、うまくできないことが多くて辛いと思うことも多いでしょうが、それは仕方のないことです。最初から完璧にできる人なんていません。そうした鍛錬期間を乗り切って頑張って続けていけば、どの仕事も基本的には面白くなってくるはずです。

 2020年に私のゼミの卒業生たち249名に仕事と余暇をどういうバランスでやっていきたいかを問うた質問の結果が右のグラフです。男性も女性も上の年代なればなるほど仕事を大事と思う気持ちが増していることがわかるでしょう。先日、このデータを大学1年生の授業で示したのですが、「仕事が生きがいになるなんて信じられません」といった感想が複数ありました。今、そういう感想を持つ学生さんたちは、一体将来どんなことが生きがいになると思っているのでしょうか?「推し」とか「SNS」とか「ゲーム」とかですか?そんなものに、たった1回きりの自分の人生をかけうるのでしょうか?私にはまったく理解できません。(ちなみに、卒業14年目の若い社会人の余暇重視派の比率は男女ともに大学生より高かったです。働き始めてしばらくの期間は大学時代に思っていた以上に、仕事がしんどく思えるのでしょう。しかし、ずっとそのままではないということにもぜひ注目してください。)

 私は幸せなことに、大学生に社会学を教えるという仕事がまさに天職で、教育が仕事でかつ趣味だとよく言っているのですが、そんな人は少ないでしょと言われそうですが、趣味とまでは言えなくとも、自分の仕事に誇りとやりがいを感じている人は結構いるのではないでしょうか。最近よく見ている好きな番組に、NHKでやっている「解体キングダム」という番組があります。そこでは古く危険になった高層ビルや高速道路などの解体の経緯が映像で紹介されるのですが、その仕事に携わっている方々の職人技に、いつも「素晴らしいなあ」と感嘆しながら見ています。建築物は造られた時に非常に注目され、設計したのは誰かなんて話題になり、建築家は有名人になったりしますが、時が経てば壊さざるをえないものです。しかし、壊す時は誰も注目しません。でも、古びて危険になった建築物は安全に壊さないと、社会は困るのです。で、そういう解体業をきっちりやってくれる人たちがちゃんといるわけです。まるで大型恐竜を思わせるような重機を微妙なタッチで見事に扱える職人さんとか見ていると、本当にこの人たちはすごい社会貢献をしているなと思います。メディアで寵児のように扱われることはないですが、きっとこの人たちは、自分の仕事に誇りを持ち、やりがいを感じて、仕事をされているんだろうなと思います。なんか素敵だなと思います。

 仕事って、そういう社会にとっても自分にとっても大事なものです。なのに、最近の若い人がそんな風に仕事のことを思えなくなってきているのは、深刻な事態だと思います。この2030年くらいの間に、「ワーク・ライフ・バランス」といった言葉が広がり、楽しい私生活を阻害するものとして仕事が位置付けられているような感じになってしまったのも大きかったと思います。「仕事人間」「仕事が忙しくて家事育児を手伝えないのはダメ夫」「育休取得率が低い」等々。いずれも、仕事は人生にとってのマイナス要素というイメージで作られている言葉たちです。でも、仕事ってそんなマイナスばかりでは絶対ないと思います。

 やりがいのある仕事、社会のためにもなっている仕事、そういう仕事をやってください。どんな仕事が社会貢献になっているかがわからないかもしれませんが、社会が必要としている仕事ならみんな社会貢献になっていますよ。逆に仕事なんて金を稼ぐための手段にしかすぎないと思う人は、「高収入バイト」とかにもひっかかってしまうのです。自分のやっているこの仕事はどんな意味があるのか、この仕事で喜んでくれる人がいるのかとか考えてみてほしいです。仕事は必要悪でするものではありません。自らの人生を充実させるためにするものです。

 ついでに、上司や先輩のいる職場での飲み会に対しても、ものすごくマイナスイメージを持っている学生が少なくありませんが、それもマイナスイメージを持ちすぎです。もちろん参加意思が問われずに強制で参加させられるというのは良くないと思いますが、参加するかしないかが自由なら、上司のいる飲み会はすべて参加しないという選択をしていたら、世界は広がらないし、人間関係も深まりません。仲の良い同期や友人とだけ交流していたら、すごく狭い世界に留まってしまいます。たまには年齢が異なり、立場も異なる人との懇親もしてみるべきです。若い時はいろいろ新しいことにチャレンジすべきなのに、そういう気持ちを持つ若者がどんどん減ってきている気がして残念でなりません。

 仕事にやりがいを見出し、新しい人間関係にも飛び込んでみましょう。古い価値観だと批判したい人もいるかもしれませんが、じゃあどんな風な「新しい」生き方をしたら、充実した人生が送れるのか教えてください。

【おまけ】たぶん、上の問いに、「家庭人として充実した人生を送る」という道があるのではと考えた人もいるかと思います。確かに、子育ては大きな社会貢献ですし、親としてのアイデンティティを作りやすかったりします。でも、子育ての基本は子どもにしっかり自立心をつけさせることです。いつまでも、親の方が「自分のアイデンティティはあなたの親であるということ」とか言い続けたら、子どもがしんどくなるばかりです。ある時期、親として忙しく他のことができない時期があるとしても、いつまでも「○○ちゃんの親」というだけでアイデンティティを作るのは厳しいはずです。やはり何か自分なりに社会貢献できる仕事が必要ではないでしょうか。この仕事は、別にお金を稼げなくてもいいものもあると思います。

907号(2023.7.14)覚えた!!!

 小学生くらいの時に、歴代天皇の名前を覚えようとしたことがあって、第50代の桓武天皇まで覚えたのですが、そこから先は覚えられず、ずっとそのままにしていたのですが、最近覚えようと努力してついに全員言えるようになりました。きっかけは、孫が「寿限無、寿限無、、、」を覚えたことでした。娘から、「すぐ覚えられるよ、やってみたら?」と言われたのですが、どうせ覚えるなら、知識として役に立つものの方がいいなと思い、そうだ歴代天皇の名前を本気で覚えてみようと思い立って、最近10日ほど暇があると覚えようとしてました。

 子どもの時に桓武天皇まで覚えた時は、個々の天皇の事績や生涯など何も知らずに、だだお経のように覚えたのですが、この歳になるとそういう覚え方はうまくできないというか、面白くないので、今回は11人の天皇がどんな時代を生きたどんな人物だったかを、ウィキペディアで調べながら覚えることにしました。調べていると、実に面白く、様々な新しい知識が得られました。満0歳で天皇になり満3歳で上皇になった天皇がいたり、応仁の乱の時に足利義政と酒宴ばかりし不倫を楽しんでいた天皇がいたり、火葬された天皇がいるかと思えば、40日以上埋葬もされずに放置されていた天皇がいたりと、まるで「トリビアの泉」かと思うほどの面白さでした。他にも、なんのかんの言っても、天皇は日本の中心に居続けたわけなので、天皇をどう利用するか、あるいは天皇自身が政治を動かそうとしたりすることもたくさんあり、知らない歴史的事実をたくさん知ることができました。

 丸暗記というと無駄な学びのようにしばしば言われますが、私は大事な知識になると思っています。つい最近まで桓武天皇までしか覚えきれていなかったわけですが、それでも古代史などを考えようとする時には、その知識はすごく役に立っていました。今回今上天皇まで126代全部覚えたので、これまで以上に歴史が面白く思えています。江戸期にいた2人の女性天皇もなぜ天皇になったのかも、今回覚えるために調べてよく理解できました。歴代天皇の名前を覚える過程で、さらに知りたい歴史が増えてきました。

906号(2023.7.9)名古屋場所が始まったけれど、、、

 楽しみにしていた名古屋場所が始まりましたが、推しの新大関・霧島――霧馬山のままでよかったのに――が急遽休場になり残念なのですが、それ以上に大好きな解説者の北の富士さんが今場所もお休みなのが気になります。かなり具合が悪いのではと心配です。初日の正面の解説者は元千代大海の九重親方でした。活舌はよく聞きやすかったですが、解説に深みはないです。

 そんな心配な状況もありますが、今場所の注目はやはり大関をめざす3関脇です。今日は一応全員勝ちました。「一応」とつけたのは、実は豊昇龍は本当は負けていたからです。翔猿の叩きで左手が土俵の砂を掃いていました。スロービデオで見ると、砂が飛んでいるのがわかります。目の前で見ていた元高見盛の東関親方の大ちょんぼです。他の審判員もそのまま流してしまったというのも問題です。ネットでは少し「手がついている」と声が上がっているようですが、サッカーのような人気スポーツではないので、大きな話題になることはないでしょう。

 かつて1969年に大鵬の連勝が誤審――戸田が押し出しで勝ったが、実際には大鵬が土俵を割る前に戸田の足が土俵外に出ていた――で45連勝で止まってしまい、その後物言いの際にはビデオ判定が導入されるようになりましたが、物言いがつかなければ、そのビデオが確認されることはありません。最近のスポーツでは試合の当事者がリクエストを要求してビデオが確認されるというルールが導入されることが多くなっていますが、相撲にも必要ではないかという声も少し上がりそうです。実際、今日の豊昇龍の相手だった翔猿は、豊昇龍の手つきを確信していたのでしょう。土俵を降りる前に、「気づいてないのかよ」というような皮肉な笑顔を見せてました。まあでも、相撲界にはリクエスト制度は無理でしょうから、やはり微妙な勝負の時は、確認のためにも物言いをつけてもらった方がいいと思います。それにしても、大関取りのかかった豊昇龍にとってはラッキーな1勝になりました。この1勝のおかげで大関になれたなんて言われないように、明日から納得のいく相撲でたっぷり白星を重ねてほしいものです。

 霧島が休場となった今場所の私の期待は、若元春です。彼の四つ相撲は魅力があります。この1年で急速に力をつけてきた若元春にはこのまま大関を射止めてほしいなと思っています。膝の大怪我からまだ復帰できない弟の若隆景は今場所も全休なので、来場所は十両に落ちます。来場所から出られるのか、さらに遅れるのかわかりませんが、膝はなかなか完治しないので、戻ってきたとしてもかつての力が出るかどうか微妙なところです。その若隆景の分も、兄の若元春を応援したくなります。

 大栄翔もけれんみのない気持ちの良い相撲ですので、ぜひ二桁勝利をあげて、彼も大関に上がってほしいものです。上の番付には横綱・照ノ富士しかいませんので、3人同時昇進もありえなくはないです。とりあえず、3人ともしばらくは勝ち続けてくれたら場所は盛り上がりそうです。

 朝乃山は先場所の総括で危惧したように、相撲が粗いので、今日も負けてしまいました。もう少し落ち着いて相撲を取ってもある程度勝てると思うのですが、まるで上位に上がってきたばかりの若手力士のように猪突猛進の相撲を取っているので、これでは土俵際での突き落としなどを喰いやすいです。「自分は本当は大関なんだ」というくらいの意識を持って、もう少しどっしりとした相撲を取った方が成績も安定するはずです。今の朝乃山には、心技体の「心」が足りません。こんな相撲を取っていては優勝争いには絡めないでしょう。

 あと注目はこれも先場所の総括で書いたように、今場所新入幕の3人(豪ノ山、湘南の海、伯桜鵬)です。3人とも今日勝ちましたが、新入幕と言えども間違いなく幕内上位くらいの力をもっていますので、当然です。特に、豪ノ山と伯桜鵬の相撲はできあがっているので、前半は確実に好成績で行くでしょう。星次第では後半は上位と当てられるということもありそうです。2人に比べると、湘南の海はまだ成長途上で幕内力士の上手さに翻弄され、そこまで星が伸びない可能性もありますが、将来性から言うと、この3人の中で一番あるのではと私は思っています。大型力士で力も強そうなのに、体が柔らかそうなので、期待できます。ただし、相撲を完全に会得するのに23年かかるかもしれませんが。

 北の富士さんの解説がないので、片()の富士が解説してみました(笑)

【追記(2023.7.10)】大相撲に興味のない人はまたですかと言われそうですが、錦木が照ノ富士を投げ飛ばした今日の相撲には、どうしても一言触れたくなります。先場所後半の錦木の相撲を見て、化けたのではないか、今場所に注目したいと書きました(第898号 令和5年夏場所総括兼1年後の予測(2023.5.28))が、どうやら本当に化けたようです。あの力強さは本物です。相手力士を正面におけば負けることはないと思っていた照ノ富士をあんな風に投げ飛ばせるとは、、、この東前頭1枚目での勝ち越し、初三役は確実だと思います。動きのよい小兵力士をうまく捌ければ、大勝ちも夢じゃないです。インタビューでは性格の良さもよく出ていて、ファンが一気に増えそうです。頑張れ、錦木!

905号(2023.6.25)現代社会のジレンマ

 現代日本社会は静かな危機状態にあるのではないかと思います。というのは、今後の日本社会を担っていく若い人たちの生き方が社会の発展どころか、維持存続すら怪しくしそうな気がするからです。

 戦争でもしていない限り、いつの時代も個々人は社会が将来どうなるかなんてことを考えて生き方選択はしていません。しかし、個人としてより豊かに幸せになろうとめざすことが、結果として社会を豊かにし、よい社会にしてきたというのが、これまでの歴史でした。結婚し子を持ち幸せに暮らしたいと多くの人が思い、その目標を達成するためには、努力をして頑張ることだと考えてきました。そういう目標を持った個々人が自らの幸せのために頑張ることで、社会で必要な仕事がちゃんと行われ、新しい社会成員が誕生してきたのです。

 しかし、今や生き方の多様性が叫ばれ、結婚しない生き方、子を持たない生き方、さらには働かない生き方、学校に行かない生き方、全部多様性の名の下に認められるべきことになっています。こんな生き方が1世代行われただけで、社会はあっという間に衰退します。教育や勤労は納税とともに、国民の三大義務でした。勉強がしんどくても学んでもらわないと社会成員になれないし、しんどくても働いてもらわないと社会で必要な仕事が回りません。給料が減るのは嫌でしょうが、公共サービスを提供してもらうためには税金も払ってもらわないと、社会は困るのです。結婚して子を産んでもらわないと社会は終わってしまうのですが、これが義務化されていなかったのは、かつては結婚し子を持つことが幸せになる唯一の道とほとんどの人が思っていたので、義務化する必要はなかったわけです。しかし、今ややらないと法的に罰せられる納税以外は、選択自由のような主張が幅をきかせています。

 もしも、このままこういう生き方が多様性の名の下に広まっていくなら、日本社会は大変な危機状態になっていくでしょう。今いる日本人の価値観を昔に戻すことも法的に縛りをかけることも難しそうなので、危機を回避する手段は、かつての日本人が持っていたような価値観――結婚し子を持ち頑張って働いて豊かになりたいという価値観――を持つ外国人を、どんどん新日本人にしていくしか方法はないのではないかと思います。

 個人の目標(幸福)追及行為が、社会の危機を生み出すという「社会的ジレンマ」が、現代日本社会では生まれつつあります。「多様な生き方を認めよう」というミクロレベルの価値観が生み出すマクロレベルでの潜在的逆機能なのだと思います。まあ、社会なんてどうでもいいと考える人は逆機能とは思わないのでしょうが、社会学者としては非常に気になります。

904号(2023.6.24)ジェンダー平等とジェンダー否定をごっちゃしてはいけない

 この数年の間に、ジェンダー関連の世論が急速に変わってきました。LGBTに関する報道や、SDGsのジェンダー平等に関する報道が増えてきたことの影響と考えられます。特に若い人たちは、中学高校でも新しい教育を受けてきたので、大きく意識を変えています。この状況でちょっと気になることがあります。それは、「ジェンダー平等」と「ジェンダー否定」を同じ目標のように思ってしまっている人たちが増えてきているのでないかということです。

 ジェンダー平等はどんどん進めるべきです。男女がその身体的違いで格差がつけられたり、可能性が閉ざされたり、一方に負担が偏ったりといった事態は徹底的になくしていくべきです。共働きなら、家事も育児も完全公平になるようにすべきですし、そもそも選択的夫婦別姓制度を導入して、結婚したからといって、どちらかがこれまでの名字を捨てなくてもいいとすべきです。女性の社会的地位に関しても、もしも「ガラスの天井」があるなら、取っ払うべきです。男女いずれもその性であるがゆえに道が閉ざされたりしないようにすべきです。

 ジェンダー平等は、男女の存在を前提としてその平等を進める立場ですが、他方で、「そもそも男女二分法をなくすべきだ」というジェンダー否定論もあります。生物学的性と主観的認識としての性が一致しない「T」の人たちは男女二分法を否定しているわけではないと思いますが、どちらの性とも言えない「Q」の人たちもいたりしますので、そうした議論も出てくるわけです。その結果、学校で生徒や学生を呼ぶときは、全員の名字に「さん」をつけて呼びましょうとか、女性(男性)としての意見を聞かせてくださいなどと言ってはいけませんといった禁忌がどんどん生まれてきています。こういう空気の中で、「男女」という区分があるから問題が起きるので、なくすのがジェンダー平等にとっての究極のあり方だと思う人が少しずつ増えてきている気がします。

 本当にそうでしょうか。ジェンダーを全面否定し、男女の違いを一切配慮しない社会が、暮らしやすい社会なのでしょうか。大多数の人たちは、成長過程で自分の性が嫌だなと思ったことは何度かあったにしても、それを乗り越え受け入れて生きています。自分が女性であること、男性であることを受け入れて生きている大多数の人にとって、男女の区別が一切配慮されない社会は決して生きやすくないと思います。人間は基本的に男女に分けられ、その身体的な違いを考慮しながらジェンダー平等の社会にしていくべきです。

 こういう主張は、多数派が少数派を押さえつける論理だと反発する人もいるでしょうが、「男女二分法」の存在で本当に苦しんでいる人はいったいどのくらいいるのでしょうか。社会はごくごく少数の人に合わせて基準を作っていくわけにはいきません。大多数の人が生きやすいように基準を作るべきで、その基準で生きにくい人たちのためには個別に配慮するというのが、まっとうな方針です。「LGBT理解増進法」もそういう観点から作られているものと解釈すべきでしょう。「ジェンダー否定」にはつながらない「ジェンダー平等」がめざされるべきです。

903号(2023.6.23)思い出

 昨日の続きみたいになりますが、過去のことで思い出せることって、非日常的体験、特に誰かと関わって何か特別なことがあったということがほとんどですよね。毎日あるいは毎週同じようにしているだけのことって、少し時間が経ったらもう忘れてしまいます。典型例が日常の食事だったりします。3日前の夕食に何食べたと聞かれてしっかり思い出せる人は少ないですよね。特別の食事会があった人は思い出せるかもしれませんが、家で普通に夕食を食べたという人は、なかなか夕食メニューを思い出せないのではないかと思います。

 50年前に大部分の時間を受験勉強に費やしていただろう私は、その頃、どんな風に受験勉強をやっていたかなんてほとんど何も思い出せません。大学に入って以降も、日常的なことはほぼ何も浮かばず、ちょっとした非日常的な出来事、それも誰か他者が絡むようなことばかり思い出します。まあ、これが普通ですよね。今でも若い人たちからたまに「思い出作りしよう!」なんて声が聞こえてくるときがありますが、そういう時に企画されることって、複数の人間が関わって、何か日頃しないようなことをしようということだと思います。みんな「思い出」がどういうものかわかっているわけですよね。

 最近、対面で人と関わるのは気を遣って面倒くさい、一人で好きなゲームをしたり、YOUTUBEを見たりしているのが一番楽でいいと考える若い人が増えてきているようですが、そんな生活をしていたら、50年後どころか10年後、5年後でも、自分の大学生活の思い出が何もないなんてことになってしまうのではないかと心配です。「思い出」を作るために人生があるわけではないですが、他者と関わらない平板な日常を送り続けることは、どう考えても人生を豊かにする生き方ではないと思います。

 今は、多様な生き方を許容しようという時代なので、こう生きるべきだとは言えませんが、歳を取った人間が、若い時のことを思い出すと、こんなことが楽しかったなと語ることはもっとなされてもいいのではないかと思います。「思い出」の多い人生の方が楽しいと、68歳になった私は今思っています。

902号(2023.6.22)時が経つのは早いですね

 先日ゼミで「昔はああだった、こうだった」とか話しながら、50年前はもう自分が高校3年生だったことに気づき、軽く驚きました。そうかあ、18歳、高校3年生が50年前かあ。早いなあ。いつそんなに時間が経ったのだろうとふと思ってしまいました。ついこの間のようなとまではさすがに言いませんが、たくさんの思い出が浮かんでくるのに、それが50年も前なのかあと不思議な気分です。これから50年生きることはないですが、22年経ったら90歳です。90歳になることなんか考えたこともなかったですが、22年前は2001年ですから、それこそついこの間のように思い出せます。この「つらつら通信」ももう書いていた頃です。あの時点から現在までの時間がもう1回繰り返されたら、90歳になります。うーーん、90歳の片桐新自かあ。どうなっているんでしょうね。想像できないというか、あまりしたくない気分です。70歳で仕事を失った後の、自分の人生がまったく見えない状態なので、そこからさらに20年後の自分なんてまったく想像できません。認知症にもならず、足腰もそこそこ元気なら生きていてもいいですが、自分が誰だかわからない状態になっていたり、寝たきりになっていたりなら、生きていたくないですね。自らの人生を自分の判断で終わらせていいという安楽死が認められる社会にしてほしいものです。

 まあでも、この年齢の人間が20年後のことを語るのは楽しくないですね。むしろ、この年齢になった人間は過去を語った方がいいですね。50年前の高校3年生の頃、恋してたなあと懐かしく思い出します。ずっと片思いをしていた彼女が高校3年の文化祭の日に来てくれたのは、18歳の時の最高の思い出です。付き合っていたわけではないですが、その時はなぜか来てくれたんですよね。彼女を案内しつつ、気持ちは舞い上がっていました。生涯忘れない大事な思い出です。そう言えば、通学電車の中で、まったく知らない高校1年生の女子高生から「付き合ってほしい」というラブレターをもらったのも高校3年の時でした。片思いをしている彼女もいたし、自分が受験生でもあるということで、「ごめんなさい」というお断りの返事だけ書いた覚えがあります。青春だったなあ(笑)詩もよく書いていた頃でした。片思いの彼女が来てくれた文化祭では、詩の展示をしてました。こういうエピソードは、飲んだ時などには時々話してきたものでしたが、こうやって素面で文章化するとめちゃくちゃ恥ずかしいですね。でも、高齢者の若い時代に若い人たちに興味を持ってもらうのも、長く生きてきた人間の大事な役割なのではないかという気がしてきていますので、書いてしまいます。

 ちなみに、私はまだ人生下り坂の高齢者気分には全然なっておらず、現在進行形でいろいろ楽しんでいる方だと思います。高校時代のような「青春」は無理ですが、「白秋」ならぬ「紅秋」くらいの気分です(笑)まだまだ人生を楽しみたいものです。青春の思い出話も、時々書いていきたいと思います。

901号(2023.6.17)河尻秀隆という武将を知っていますか?

 先日甲府に行き、その歴史をいろいろ調べていた時に、この人物の名前を初めて知りました。別に初めて名前を知る歴史上の人物などこれまでにもたくさんいたのですが、この武将のことを知らなかったのは、軽くカルチャーショックでした。でも、たぶんこのつらつら通信を読んでくださっている方でも、この人物を知っていたという方はほとんどおられないのではないでしょうか。もったいつけたような書き出しになりましたが、この後のこの人物に関する情報を共有してもらえたら、歴史好きの人なら私と同じような感覚を持っていただけるのではないかと思っています。

 なんでそんなにカルチャーショックだったかと言うと、織田・徳川連合軍が武田氏を滅ぼした後、信長から甲斐22万石と信州諏訪を与えられたのが、この河尻秀隆だったからです。甲斐と諏訪ですよ。武田氏の本拠中の本拠と言える重要な所領を、あの信長がこの河尻秀隆に与えたのです。そんな織田家の重要家臣のことをこれまで一切認識していなかったことが、自分にとって驚きだったのです。信長が活躍する戦国時代の物語やドラマは山のように読み見てきましたが、この武将に関するエピソードにひとつも記憶がありません。というか、名前を聞いた覚えがありません。信長の家臣なら10数人はすぐに名前をあげられるくらい知っているつもりでしたが、この人物はまったく知りませんでした。なのに、甲斐と諏訪を与えられるくらい信長からの信頼も厚かった武将がいたのです。気になって仕方なく、調べてみたところ、ウィキペディアにはちゃんと載っていました。しっかり知っていて書き込める人がいるんですね。ただし、歴史上の人物が映画やドラマで描かれた時に、誰が演じたかという情報が、この河尻秀隆の場合は一切なく、やはり映画やドラマ、ひいては小説等でもほとんど扱われてこなかった人物なんだということは確認できました。しかし、甲斐と諏訪ですからね。どう考えても、織田軍団の最重要武将の1人ですよね。

 ウィキペディアによれば、彼は1527年生まれで、信長の父の信秀の代から仕え、信長の黒母衣衆(信長直属の伝令部隊)の筆頭になり、さらには信長の長男の信忠の補佐役という重要な役割を任されています。戦いでも、信秀に従って戦った初陣から始まり、桶狭間や比叡山の焼き討ち、長篠の戦、そして武田勝頼・信勝親子を追跡して討ち取るといった、実に多くの重要な戦闘に直接関わっています。そして最後も壮絶で、本能寺の変で信長が死去した16日後に、武田遺臣団に襲撃され亡くなったそうです。なので、河尻秀隆の甲斐統治はわずか2か月の短命に終わりました。これだけドラマチックな人生なのに、この河尻秀隆は小説にもドラマにもほとんど扱われてこなかったのです。関係文書が少ないらしいですが、信長の妻・濃姫などもほとんど事績がわかっていないのに、様々に描かれスポットライトを浴びていることを考えると、この河尻秀隆もいくらでも描きようがあるのではないかと思います。いつか誰か、彼を主人公にした小説を書いてくれないかなと期待しておきたいと思います。

900号(2023.6.7)阿波踊りは重要無形民俗文化財になっていないんだ

 昨日3回生とのゼミで郡上踊りについての話をしていた際に、徳島出身の子が「阿波踊りは三大盆踊りの中で唯一重要無形民俗文化財になってないみたいです」と発言したので、驚きましたが本当でした。400年の歴史を持つと聞いていたので、てっきり指定されているだろうと思い込んでいましたが、認識不足でした。文化庁が重要無形民俗文化財に指定するためには、由緒がわかる資料が残っていることと保護団体が存在することが条件のようです。阿波踊りはこの何年か開催をめぐってごたついていましたが、保護団体がないわけではないでしょう。となると、由緒がわからないというのが指定されてない理由なんでしょうね。いろいろ調べていたら、確かに由緒ははっきりしないようでしたし、あと「阿波踊り」という名称も昭和になって生まれ、一般に広まったのは戦後だそうです。それ以前はいろいろな踊りが踊られていたようです。私が子供時代から、すでに阿波踊りは有名でしたし、400年の歴史があるといろいろなところで聞いていたので、江戸期以前でも、今のような踊りをしっかりやっていたんだろうと勝手に思っていましたが、そうでもなかったようです。

 ついでに興味が湧いたので、他の有名な踊りや祭りも調べてみたら、現在すごく人気のあるものでも重要無形民俗文化財になっていないものがたくさんあることを知りました。おわら節で有名な富山県八尾のおわら風の盆も選ばれていませんし、岸和田のだんじり祭りも、大阪の天神祭りも、浅草の三社祭も選ばれていません。他方で、京都祇園や博多祇園の山鉾行事は指定されていました。まあ別に、指定されていなくても人気のある祭りや踊りに関わる人たちにとってはたいした問題はないのだと思いますが、社会学的に見ると、重要という基準はどこなんだろう、単に由緒がはっきりしていてかなり時間が経っているものということになるのかなとますます疑問が湧いてきました。

 重要伝統的建造物群保存地区の場合、その地区を抱える市町村がまずその地区を保存地区として指定し保存していく姿勢を示さないと、文化庁が勝手に選定はできない手続きになっています。鞆の浦など、1975年に重要伝統的建造物群保存地区の制度ができるときから、文化庁はぜひ選定したいと考えていましたが、例の埋立・架橋問題があったために、2017年まで選定できませんでした。

 重要無形民俗文化財の方は、文化庁の指定となっているので、文化庁の方から動くこともできそうですが、全国各地の踊りや祭りといった民俗芸能に関して文化庁の職員がその由緒などを自主的に調べることなどとてもやってなさそうなので、やはり当該地域からの要望などを受けて指定していそうな気がします。だからなのかわかりませんが、現在「風流」(=踊り?)は43件指定されていますが、その中で私が知っているのは、岐阜県の郡上踊りだけでした。それらがユネスコの無形文化遺産に登録されたわけですが、あまりにも知られていないので、登録されたインパクトもほぼないでしょう。まあ保存に関わっている人たちには励みになるのかもしれませんが。

899号(2023.6.3)不倫とは何か?

 今放送中の「あなたがしてくれなくても」というドラマが非常に質の高いものになっていて、毎週真剣に見ています。マンガ原作があるようですので、若い人はマンガを読んでストーリーを知っているのかもしれませんが、私は原作マンガはまったく見ていないので、どういう展開になっていくのかと息を凝らして見ています。見ていない方のために、簡単にあらすじを紹介すると、2組の夫婦(奈緒と永山瑛太/岩田剛典と田中みな実)が登場し、それぞれセックスレスでそのことを片方の家庭は妻(奈緒)が、もう片方の家庭は夫(岩田剛典)が悩んでいて、その2人が同じ会社の同僚で、共通の悩みを持った「戦友」として徐々に惹かれあっていくという展開です。もう第8話まで来ているので、惹かれあっていくという段階ではなく、その恋心が夫の方の妻(田中みな実)にばれて、妻同士が会い、問い詰められるというところまで来ています。

その場面で、田中みな実が奈緒に「夫の浮気の相手はあなたですよね?」と問い詰め、菜緒は認めます。しかし、奈緒と岩田剛典は気持ちは惹かれあっていますが、一線を越えた関係にはなっていません。そのことは実は田中みな実も夫から聞いて知っています。むしろ、仕事で忙しくしていた自分が夫の欲求に応えてあげていなかったので、体の関係が1回や2回くらいあっても仕方ないと理解しようとしますが、夫は「自分と彼女はそういう関係ではない」と言い放ち、単なる遊びで付き合っているのではなく、心から好きなんだというようなことを言おうとし、田中みな実は「聞きたくない」とその場を離れます。

奈緒と永山瑛太の夫婦の方も複雑で、夫は妻が好きだけれど、妻に対してはセックスができなくなってしまっており、そのことを密かに悩んでいたのですが、店長を務める喫茶店のアルバイトで入ったさとうほなみ――「ゲスの極み乙女」のドラマーなんだそうですね。演技が非常にうまくて驚きました――と1度関係を持ってしまいます。そして、そのことをつい妻の奈緒に喋ってしまいます。それを聞いた奈緒は大きなショックを受けるのですが、しばらく経つと、岩田剛典に恋している自分こそ夫に嘘をついているのではないかという心境になって苦しんでいます。

 とりあえず、今週までのおおよそのあらすじはこんなところです。で、こんなことを「つらつら通信」に書こうと思ったのは、浮気とか不倫って何なんだろうと考えたくなったからです。このテーマは卒論で研究した子もいて何回か私も一緒に考えたことがあります。大雑把に言えば、この問題に関しては、かつては極端なまでのダブル・スタンダードが存在し、既婚男性が一線を超えるような行為をしても、それは「浮気」と言われて世間的にはあまり非難されないものだったのに対し、既婚女性が一線を超えるようなことをしてしまった場合は「姦通」と呼ばれ、戦前なら法的にすら罰せられる行為であり、戦後もとうてい許されることではないと世間の厳しい批判にさらされるようなものでした。それが最近はどちらも「不倫」と呼ばれ、非難の程度はまだ女性よりは弱い気がしますが、男性もかなり批判されるようになってきました。

 さて、ここで問いたいのは、ドラマの2人のように一線は越えていないけれど惹かれあっている――恋をしている――のは、浮気や不倫なのかということです。一般的には一線を越えていなければ、パートナーを裏切ったことにならないという見方があるとは思いますが、ドラマの田中みな実のように、1回や2回の体の関係なら許せるけれど、気持ちが奪われている方が辛いということも十分あるでしょう。何年か前の芸人W氏と男優H氏のどちらの不倫がより許せないかという議論を思い出します。その2組も結局体の関係のみを求めていたW氏は離婚せずに、気持ちも持っていかれていたH氏の方は離婚ということになったのを見ると、パートナーとして許せないのは、気持ちが離れてしまうことの方なのかなと思いたくなります。

 だとすると、既婚者はパートナー以外の人に、恋心を抱いてしまったら、その時点で「浮気・不倫」をしていることになるのでしょうか。でも、多くの夫婦は長年共に暮らす中で、パートナーに恋心など消えてしまい、その情熱を別の対象に向けている気がします。それが会社の同僚だったり、昔の友人だったりすると、典型的な浮気のように思われるのでしょうが、一線を超えるようなものではなく、仲のよい友人関係に近いものであったりしてもいけないのでしょうか?アイドルやタレントに入れあげている――ほぼ恋していると言ってもいいような――人はたくさんいると思いますが、あれはまったく問題ないのでしょうか。最近のアイドルやタレント中には、会えることをウリにしている人もたくさんいますが、そういう関係でも、一般の人と会うのとはまったく違い問題ないと言えるのでしょうか。また、お客の相手をしてくれる異性がいるようなお店――小料理屋、キャバクラ、ホストクラブ等――に通い詰めている人は、浮気や不倫はしていないということで問題ないのでしょうか。

 「あなたがしてくれなくても」というドラマを見ていると、別のパートナーを持つ2人の恋が「純愛」に見えてきます。しかし、もしもそれぞれ離婚して、2人が再婚したとしても、また何年か経てば、同じような悩みを抱えることになるのかもしれないなと思います。結局、既婚者でも一線を越えない恋心くらいは、パートナー以外に持ってもいいくらいでないと、夫婦なんて続かないものなのかもしれません。

898号(2023.5.28)令和5年夏場所総括兼1年後の予測

 最近本当に大相撲観戦が好きで、今場所は見られる日は午後2時くらいから幕下上位の取組から見ていました。北の富士さんの体調が戻らないようで、NHKの解説も「北の富士コラム」もお休みだったので、私が毎日解説を書きたいくらいでした(笑)とりあえず15日我慢してようやく本日千秋楽が終わりましたので、総括をしたいと思います。

 まず照ノ富士。本当に強いです。膝の不調がなければ100連勝くらいしてもおかしくないほどの強さです。まわしをつかめなくても相手の動きさえ止めてしまえば、照ノ富士に勝てる力士はいません。あの膝がいつまで持つかですね。もう一人横綱が生まれたら引退するかもしれません。一方、大関・貴景勝はごまかしごまかしでなんとか大関を守りましたが、彼はいずれ大関を落ちることになるでしょう。あの相撲に将来はないです。

さて、関脇陣に行きましょう。まずは、私が十両に入った頃から、末は大関・横綱の可能性を持っていると睨んでいた霧馬山は順調に強くなり、来場所からの大関を確定させました。足腰に柔軟さがあり運動神経もいいので、今後も安定した成績を残すでしょう。ただ、まだ圧倒的な力を持つところまで行ってはいないので、横綱になるにはもう少し時間がかかるでしょう。次に大栄翔です。千秋楽に若元春に圧勝して10勝に届いたのは大きかったです。これで、この3場所の成績が10勝、12勝、10勝になりましたし、相撲ぶりもいいので、思い切って今場所後に霧馬山とともに大関に上げてもおかしくありません。ただ、審判部は先々場所の10勝が三役としてあげたものではなかったため、今場所後は上げないようです。ここ2場所の勝ち星の合計がともに21勝になった若元春と豊昇龍とともに来場所11勝以上の成績を上げた人が大関昇進ということになりそうです。若元春はこの1年で本当に強くなりました。体に芯が通っているよう強さを感じます。相撲も安定しているので、来場所また二桁以上の勝利をあげ大関を決める可能性はかなりあるのではと見ています。豊昇龍は少し相撲が軽いのが気になります。来場所二桁以上の勝利をあげられるかどうか微妙な気がします。ただ負けん気が人一倍強く、ライバル心を持っている霧馬山が大関に昇進することになりましたので、「自分だって」という強い気持ちになり、こちらも大関昇進条件をクリアする可能性も小さくないようにも思います。いずれにしろ、この4人はみんな大関になっておかしくない実力をすでに養っていますので、1年後に4人とも大関になっている可能性は結構あるのではないかと思います。

小結以下幕内上位で今場所の注目は錦木です。彼はもともと強いお相撲さんでしたが、不器用なので立ち合いが下手だったり、前に落ちたりという相撲が多く、幕内の下位からなかなか這い上がれない力士でした。しかし、最近は急速に力をつけてきた4関脇陣との濃い稽古を続け、今場所後半は立ち合いから一気に寄り立てる技術を会得したように思います。もしこれが本物の会得なら今後の錦木は幕内上位から三役に安定的にいられる力士になります。ただ、白星を重ねていた後半もインタビューを受けた錦木は自分でも「どうして勝てるんでしょうね」とか答えているので、完全に会得したわけではなさそうです。そうであれば、来場所はまた以前の錦木に戻っている可能性もあります。来場所の錦木に注目してみたいと思います。

幕内下位では朝乃山と北青鵬について語りましょう。朝乃山は12勝しましたので来場所かなり番付をあげ、上位陣と総当たりの番付まで上がるかどうかですが、まあ上位陣と総当たりの位置まで上がらなかった場合は、今場所同様序盤は勝ち続けるでしょうから、後半は上位陣と当たることになるでしょう。ただ、朝乃山もやや不器用な力士で右四つ左上手の形にこだわり、その形になれないと苦戦するタイプです。また左上手の取り方が前まわしではなく、横から取る形なので、圧力が弱くなり、一気に持っていけない物足りなさがあります。大関時代からその傾向があり、同じ右四つの照ノ富士にはまったく勝てない相撲ぷりでした。もっと立ち合いの工夫をしないと照ノ富士はもちろん関脇陣にも負け越すでしょう。三役にはすぐ戻れると思いますが、大関に戻るのはそう簡単ではないかもしれません。

今場所強烈な印象を残した力士の1人が北青鵬です。2mを超える身長で肩越しにでもまわしを取れば、そのまわし1本で相手力士を振り回し勝ちをもぎ取るという相撲です。圧巻は8日目の朝乃山戦や10日目の明生戦でした。そのスケールの大きさに将来性を語る人もいますが、私はこの力士は弱点が多すぎて、いずれ膝を痛めて鳴かず飛ばずの力士で終わるだろうと踏んでいます。攻略法も13日目、14日目と外掛けで負けたのによく表れているように、あの棒立ちの長い足を来場所からどの力士も狙ってくるでしょう。大化けする力士ではないと思います。

今場所も非常に興味深かったのは十両でした。豪ノ山と落合が141敗という好成績で優勝決定戦をしましたが、この2人は今の時点ですでに幕内上位で戦える力を持っています。この2人とともに来場所新入幕するであろう湘南乃海もすぐに幕内上位に上がり活躍するでしょう。1年後、この3人が幕内上位で活躍しているのは確実ではないかと思っています。幕下10枚目付出しでデビューし61敗の好成績だった大の里という力士もスケールが大きいようであっという間に上位にあがってきそうだと解説の舞の海さんが言っていましたが、今場所は1番くらいしか彼の相撲を見ていないので、この力士の将来性に関しては、今は判断保留にしておきたいと思います。

897号(2023.5.16)幸せな教師です

 14日に誕生日を迎え、68歳になりました。こうやって数字を書いてみると、本当にお爺さんですね(笑)精神的には50歳代前半くらいの気分なのですが。まあ、1世代前に比べたら8掛けくらいだとよく言われますので、688掛けは54.4歳なので、まさにそのくらいかなと思います。

 さてそれはともかくとして、こんな個人的な話を書こうと思ったのは、私は幸せな教師だなとしみじみ思ったからです。14日以降本日までに30人以上の教え子からメールやLINEでお祝いのメッセージをいただきました。さらに、現役ゼミ生には3回生、4回生ともに今週のゼミでサプライズ誕生日祝いをしてもらいました。こんなに誕生日祝いをしてもらえるなんて、68歳の普通のおじさん(お爺さん?)としてはなかなかないことだろうと思います。本当にありがたいことです。

新型コロナが流行する前には、ほぼ毎年現役学生たちは何かお祝いをしてくれていました。思い出すといろいろな企画やプレゼントがありました。研究室にもらったプレゼントがいろいろ置いてあったので、目についたものを一部集めて写真を撮ってみました。「68」の数字は30期生が今日サプライズでくれたものです。左下の花が昨日29期生がくれたものです。花瓶代わりにしているのは、22期生がくれたスターバックスのカップです。隣の熊は16期生がくれたメッセージの書かれたぬいぐるみです。熊と花の後ろに「新自」と書かれた3本の日本酒は、10期生と21期生と25期生が、やはり誕生日祝いにくれたものです。お酒の後ろの色紙をくれたのは18期生でした。右上のドライフラワーは50歳の誕生日に50本の赤いバラをくれた他ゼミ生がいて、ものすごく驚きましたが、たぶん一生一度しか経験できないことだと思ったので、その一部をこうして記念に保存しています。壁に貼ってある写真たちは、誕生日とは関係ありませんが、各期の集合写真です。1期生から30期生までの写真がすべてあります。今回の写真を撮るために、14期生の写真が18期生の色紙の裏に隠れてしまっていますが、いつもは全学年の集合写真が見られるようになっています。

ここには記念品がないけれど、印象に残る誕生日祝いもたくさんありました。たぶん、8期生くらいから誕生日祝いをやってくれるようになったように思いますが、913期生あたりはすごく盛大でした。9期生の時は、確か教室中誕生日祝いの飾り付けがなされていましたし、10期生はゼミ室以外の別の教室を借りて、ゼミ教室に行ったら「どこそこの教室に来てください」なんて張り紙がしてあって、そこに行ったら真っ暗でその後盛大にクラッカーが鳴って、祝いが始まったりしました。そうそう、13期生は確か学生たちそれぞれが自分の地元の商品を取り寄せて、それをすべてプレゼントしてくれたので、帰りにはサンタのおじさんみたいな袋を抱えて帰ることになったなんてこともありました(笑)めちゃくちゃタイミングの悪いサプライズと、なぜか杖がプレゼントという不思議なお祝いをしてくれたのは、24期生でした。杖はまだに使ってません(笑)みんな、私の誕生日をネタに楽しもうという気持ちでいろいろ企画してたのだと思います。やらなくてもいいようなことを思い切りエネルギーをかけてやる学生たちが可愛くて仕方ありませんでした。サプライズ誕生日祝いは、ちょっと恥ずかしくもあるのですが、私の誕生日をネタにみんな盛り上がってくれるなら、それが一番だと思って、一緒に楽しませてもらってきました。

それが新型コロナの流行で、2020年と2021年の5月は対面でゼミができなかったので、こんなサプライズはしたくてもできない時期でした。昨年からようやく5月も対面でゼミができ、またこうやって私の誕生日でゼミ生たちが遊ぶことができるようになって、本当によかったなと思います。ようやく、片桐ゼミでも日常が戻ってきたなという気がします。とにもかくにも、とても幸せな3日間を過ごさせてもらいました。みなさん、本当にありがとう!

896号(2023.4.19)ChatGPTを使ってみた

 気になっていたChatGPTにアカウント登録をして、使ってみました。いろいろ質問を送ったところ、かなり得意、不得意があることがわかりました。得意なのは一般的な文章のようです。文学的な文章も割といけます。他方で、固有人名に関する回答はかなり間違いが多いというか、めちゃくちゃなものが多いです。以下は、「有村架純とは」という質問への回答です。

有村架純(ありむら かすみ)は、日本の女優です。1993213日、神奈川県川崎市出身です。身長は158cm、血液型はA型です。2010年に映画『コクリコ坂から』でデビューし、その後、『謎解きはディナーのあとで』『妻が受験する』『お迎えデス。』『昼顔』など、数多くのドラマや映画に出演し、演技力の高さが評価されています。2016年には、映画『ちはやふる』で主演を務め、第40回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞しました。また、モデルとしても活躍し、ファッション雑誌『CanCam』の専属モデルを務めたこともあります。私生活では、2017年に俳優の濱田岳との熱愛が報じられ、2019年には結婚を発表しました。現在も女優としての活動を続けています。

おいおい大丈夫かと言いたくなるほどの間違え方です。あんな有名女優で、こんな回答では後は推して知るべしです。ウィキペディアの方が多くの人の目に触れ、チェックや修正も入るので、大分信頼がおけます。ChatGPTの怖さは、その回答が質問した人だけに提示されるため、それが正しい情報とその人が信じ込んでしまう怖れが多いことです。有村架純なら、多くの人がこれは間違っているとすぐに思えますが、次の「太陽の塔とは」という質問に対する回答はどうでしょうか。

太陽の塔(たいようのとう)は、日本の彫刻家・藤本壮介が制作した、高さ30m、重さ約500トンの大型彫刻作品で、大阪府豊中市の万博記念公園内にあります。太陽の塔は、1970年に開催された大阪万博の公式エンブレムにも用いられた、太陽や惑星などをモチーフにした作品で、太陽を象徴する金色の円盤が、鉄骨製の支柱につながった構造となっています。塔の内部には、螺旋状の階段があり、上部には展望台があります。太陽の塔は、完成後から国内外で話題となり、現在も多くの観光客やファンに愛されています。また、大阪府を代表する観光名所の1つとしても知られています。

 多少知識のある人なら間違いに気づくと思いますが、結構正しい内容も含んでいるので、中途半端な知識を持っている程度の人なら、そうなんだと思い込まされそうです。ちなみに、私がすぐに間違いだと指摘できるのは、製作者は岡本太郎、万博公園は吹田市、惑星はモチーフにしていない、上部に展望台はない、です。岡本太郎はかなり有名なので、間違っていると気づく人は多いと思いますが、それを知らない人なら、丸々信じてしまいそうな内容です。ChatGPTは政府が国会答弁にも利用していきたいと言っていましたが、このレベルの情報だと思うと、怖さがあります。ただし、テーマによっては得意なものもあるようで、「日本の少子化問題の原因は?」と質問したら、以下のようなしっかりした回答をあっという間に送ってきました。こういう一般的問題は強そうです。

日本の少子化問題の原因は複合的ですが、以下のような要因が挙げられます。

1.高齢化:高齢化が進み、高齢者人口が増加するにつれ、出産や子育てに向けた時間や費用の負担が増大し、子どもを持つことが難しくなっています。

2.結婚年齢の遅れ:結婚年齢が遅れる傾向にあります。結婚や子育てに対する意識が低下し、女性の社会進出が進む中で、結婚や子育てを後回しにする傾向が見られます。

3.経済的な問題:貧困層においては、経済的な理由から子育てが難しくなっています。また、子育てにかかる費用や時間の負担が増大するため、子どもを持つことに踏み切れない人が増えています。

4.働き方改革:働き方改革により、正社員以外の雇用形態や非正規雇用が増え、安定した収入が得られず、子育てに必要な経済的な基盤が整いにくい状況が生じています。

以上のような要因が、日本の少子化問題を引き起こしていると考えられます。

 文学的なものも意外に得意そうです。「恋の俳句を作って」と質問したら、以下のような回答が届きました。

濃密なる/愛の果てに待つ/別れの風

あなたがいる/世界は輝き出す/永遠の愛

恋の炎が/燃え上がる胸の中/夜長かな

君に出会い/心に咲いた花は/一生枯れず

愛とは言葉/伝えるものではない/心で感じる

 なかなかやるなという感じじゃないですか(笑)

 あと、どうもパソコンで使う場合とスマホで使う場合は違いがあるようです。スマホはほぼなんの制約もなく回答してくれますが、パソコンだと同じ質問なのに回答を拒否されたり、前置きや注がついたりしていました。私が試してみたのは、「講義でみかけた名前を知らない女性に好きだと伝える手紙を書いて」という質問と「好きだと伝える手紙を書いて」という質問でした。スマホではどちらもあっさり作ってくれましたが、パソコンでは前者は「恐縮ですが、私たちはエージェントとしてご利用いただける内容に限定されております。恋愛関係の内容はお答えすることができません。申し訳ありませんが、他に何かお力になれることがありましたら、お気軽にお聞きください。」という回答が届き作ってくれませんでした。

後者に関しては、作ってくれましたが、はじめに「もちろんです。以下に、好きな人に贈る手紙の例文をご紹介いたします。ただし、手紙は自分自身の気持ちを素直に伝えることが大切ですので、できる限り自分なりの言葉で表現してみてください。」という文章がつき、手紙の後に、【注意点】として「手紙は、自分自身の気持ちを素直に伝えることが大切です。しかし、相手の気持ちを尊重することも同じくらい大切です。相手が不快に感じる内容や、迷惑になるような行為は避けましょう。また、手紙を書く前に相手との関係を再確認することも大切です。」とういう文章もついてきました。パソコン方だけ、ある種のセキュリティ的なものがあるようです。でも、多くの人はスマホで使うでしょうから、パソコンだけにこういうセキュリティ的なことをしてもほとんど意味がないですよね。

 今日初めて使ってみただけの超初心者なので、まだまだわかっていないことだらけですが、とりあえず興味深いものだということは実感しました。

【追記(2023.4.22)】固有人名に関する情報がめちゃくちゃなのは、プライバシー保護の観点から、あえて間違った情報にしているのではないかという見方もあるようです。ちょこちょこ調べているのですが、政治家に関してはかなり情報が正しく出る気がしましたが、人によっては間違った情報も入り込んでいます。何か操作が行われているとしても基準がよくわかりません。もう亡くなっている人なら、正確に情報を出すかなと思いましたが、必ずしもそうでもなかったです。人名に関する質問には使わない方がいいようです。

895号(2023.4.15)詐欺という犯罪

 犯罪というのは、社会状況を端的に反映するもので、しばしば社会学の研究対象になります。私がよく例に出す犯罪としては、小平義雄と大久保清の事件があります。ともに連続婦女暴行殺人事件ですが、それぞれの犯人が女性を誘いだした言葉がまさに時代を反映した言葉でした。食糧難だった戦後すぐの19451946年にかけて起きた小平義雄の事件では、若い女性たちに食糧の提供や就職の斡旋の話を持ちかけて誘ったのに対し、日本が経済的に発展してきて食以外の事柄に関心が高まってきていた1971年に事件を起こした大久保清の場合は、画家を装い、女性の美しさをほめ、モデルになってくれないかと誘いました。見知らぬ男の誘いに乗る怖さはどの時代でもあったと思いますが、その不安を乗り越えてしまう、人々の欲望がどこにあったかを容易に想像させる二つの事件です。

 こんなことを思い出したのは、最近テレビのニュースやワイドショー的な番組を見ていると、様々なネットを利用した詐欺が多発しているなと思ったからです。おそらく詐欺という犯罪は、人類にとって相当昔から存在する犯罪ではないかと思います。貧富の差が生まれ、より低コストで利益を得たいと人が考え始めた時に、すでに詐欺という犯罪は誕生したのだろうと思います。人を欺き利益を得ようとする人間は、いつの時代もどこの社会にも存在しただろうと思います。上の連続婦女暴行殺人事件の犯人たちも女性を騙しているわけですから、詐欺的要素も入っています。まあ殺人にまで至ってしまっていますので、詐欺事件ではなく殺人事件に分類されるわけですが。

 通常、詐欺と言うと、基本的には相手を騙して金銭を獲得する犯罪ということになるのでしょうね。投資詐欺などはわかりやすい例ですが、結婚詐欺でもお金を奪われる時にこの言葉が使われているような気がします。独身と偽わられて肉体関係を持ってしまったとか、結婚してくれそうだったので高価なプレゼントをたくさん贈ったのにあっさり振られたとかだと、結婚詐欺とは言われていないような気がします。でも、考え始めると微妙ですね。『営業と詐欺の間』という本も出版されているようですが、通常の営業活動でもプラス面ばかり強調し、マイナス面は説明しないなんてことは日常茶飯事でしょう。パンフレットなどでも、一見消費者にとって得に見えることが大きな文字で記されているのに対し、消費者に不利になりそうなことはすごく小さな文字で書いてあるなんてことはざらです。偽ったとまでは言えないのでしょうが、印象操作を変えているという点では、詐欺と五十歩百歩のような営業も少なくないでしょう。

 詐欺について考えていると、いろいろなことを思いつきます。旧統一教会の問題も信じる者がお金を払ってしまっているので、詐欺事件として成立していませんが、悪霊を払うために高価な壺や印鑑を買わせるなんて言うのも、信じていない人から見たら騙されている、詐欺に合っているようなものだとなります。しかし、これも拡大していくと、少なくない価値合理的行為が同じような位置づけになるかもしれません。地下アイドルやキャバクラ嬢に本気で恋しているような態度を示され、多額の金銭をつぎ込むのも、そういうものにはまっていない人から見たら、「騙されている」と言いたくなるでしょう。

 だいぶ話がそれてしまいました。最初にこの文章を書こうと思ったのは、かつての詐欺は基本的に対面で会って行われていたので、会える人も限られていたのが、今やネットを利用することで、対面で会わずに詐欺にかけることが容易になり、なおかつ詐欺の対象にしうる人は無限に見いだせるような時代になっているなということが気にかかったからです。さらに、みんなネットを使いながら、その仕組みはよくわからないため、不安を煽るような連絡が届くと、ついその指示に従ってしまうというようなことも起きているわけです。インターネットの普及は、詐欺犯罪被害額を異次元にまで増大させているのではないでしょうか。

 さらに、現代日本社会の特徴をよく反映した詐欺だなと思うのが、高齢者を狙った詐欺の多発です。現代日本社会には、都市で暮らす比較的裕福な一人暮らしの高齢者がたくさんいます。この人々を詐欺の対象とするのは、ほとんどの人が顔見知りの田舎で暮らす人、家族とともに暮らす人を騙すよりはるかに容易でしょう。「オレオレ詐欺」以来の一連の高齢者を狙った詐欺事件が多発するのは、まさに日本社会の現状をよく示していると思います。

きっとこれからも、時代状況を捉えた詐欺という犯罪は生まれ続けるのでしょうね。

894号(2023.4.6)衰退途上国

 先日NHKで放送していた「ジャパン・リバイバル」というNHKスペシャルを見た方はどれくらいおられるでしょうか。なかなか衝撃的な番組でした。「衰退途上国」とは日本のことです。日本の経済的衰退――それは国際的地位の低下にも直結――が様々なデータで示されていましたが、もっとも衝撃的だったのは、スイスのビジネススクールが発表している「世界競争力ランキング」というグラフで、1991年までは1位だった日本が2022年には34位となり、マレーシア(32位)、タイ(33位)にも抜かされていました。実際に、これまで繊維産業などが安い労働力が得られるからと進出していたベトナムなどでも、日本の企業の賃金は安いからと離職する人が増えているそうです。海外で生産するより、日本で生産する方がコストが安く済むと受注が国内に戻ってきたりもしているようですが、日本の労働人口ではその受注に応えられる人手はないそうです。

 あちこちで何百回も耳にしてきたことですが、1990年代のバブル崩壊後、物価も賃金も上がらないまま30年が過ぎてしまい、その間に日本は見事なほどに相対的地位を低下させることになったわけです。よく知っていたことですが、改めて現状をデータと取材で見せられると、なかなかショックでした。特に日本がまだ貧しかった時代からバブル期に至るまでのことを自分の体験として知っている高齢者世代には、すぐには受け止めがたいところがあります。私がまさにそんな世代です。高度経済成長期の始まりに生まれ、30代半ば過ぎまで、基本的には右上がりの日本社会しか知らずに育ち、「Japan as No.1」とか、儲けすぎている国としてバッシングを受ける日本というのを目の当たりにしてきた世代です。物価は高いけれど、世界のどこにも負けないくらいの競争力がある国に日本はなったのだ、ということを実感してきた我々世代にとって、ここまで日本が落ち込んでしまうのかというのは頭では理解できても、感覚的には受け入れがたい気がします。

 そして、さらに気にかかるのは、この日本の危機的な衰退状態を、若い人たちがほとんど気にしていない、あるいは気づいてもいないことです。高度経済成長も、バブル経済も、日本が豊かでバッシングされていたことも知らない30歳代以下の若い人たちにとっては、もともと日本なんてそこまでたいした国ではないとしか思っていないのかもしれません。ちなみに、今日の理論社会学の講義で90人ほどいた学生たちに聞いたところ、日本が国際競争力でベスト10以内にいると思う学生はゼロで、ベスト20以内でもパラパラしかおらず、ベスト30やベスト40以内が多かったです。番組を見ていた学生は1人もいなかったのに、日本の国際的地位に関する認識はほぼ合っていて、今時の学生にとって、日本はその程度の国という認識なんだと知り、ちょっと驚きました。

このままだと、日本の企業も人材もどんどん海外の資本に奪われていくでしょう。グローバリゼーションの時代なのですから、それでいいと言えばいいのでしょうが、一抹の寂しさを感じます。いや、一抹ではなく、多大な、かもしれません。ふと、以前にそんな日本になりそうな予測をしたことがあるなと思い出しました。それは、1992年の第2回大学生調査の結果を分析した論文の最後のまとめの部分でした。ちょうど30年前の論文です。経済の推移予測からというより若者の価値観からの予測でしたが、現実には予測通りの社会になってしまっています。下記に引用しておきます。

 最後に、専門家的禁欲さを破って多少大胆な予測をしてみたい。前回の調査を企画した際に持っていた「若者の価値観を把握することによって、今後の日本社会の趨勢を見極めることができるはずだ」という問題意識にひとつの答えを出してみたい。前回そして今回と確認された「個同保楽主義」という価値観は、単なる一時的なものではなく、現在の日本社会の特徴−−豊かで安定した中流意識社会−−が必然的に生み出したものなので、激的な変化−−たとえば、世界大戦の勃発等−−がない限り、今後も確実に広がり日本社会の中心的価値観になることはほぼまちがいないと思われる。少なくとも、後2030年経った時には、こうした価値観を身につけた現在の若者たちが社会の中枢を担っている。その時に、日本はどのような社会になっているだろうか。おそらく、社会的に沈滞ムードの漂う衰退期に入っているのではないだろうか。この「個同保楽主義」の価値観を持つ者は、指示を受けて働く組織のフォロワーメンバーとしてはそれなりに使えるが、失敗を恐れずに自分自身が全体を引っ張っていこうというリーダータイプではない。日本社会はリーダー不在の状況に直面することになろう。これまでの日本のように、経済的な発展を社会の進むべき方向として持ち続けることができれば、リーダー不在でも社会はそれなりに動いていくことができるが、すでに国際的に見てトップになってしまった日本が2030年後にも同じ目標を持ち続けていられるとは考えがたい。目標を失った社会の中で指示を待つ人々は、さらに社会を衰退へと向わせるのに大きな役割を果たすことになろう。長い世界の歴史の中で繰返し現われた繁栄から衰退への峠を今や日本が越えようとしているような気がする。もしかしたら、「個同保楽主義」という価値観は、この峠にさしかかったすべての社会で現われ、社会を衰退に向わせる価値観なのかもしれない。(片桐新自「若者のコミュニケーションと価値観」『関西大学社会学部紀要』第25巻第2号,123頁,1993年)

 経済も結局はそれを支える人々の営為の結果です。日本が衰退しようが、自分は楽しいYoutubeTikTockを見たいだけ見られたらそれで幸せという人だらけになったらどうなるんでしょうね。経済の弱体化は国際的地位の低下につながっていますので、こんな状態で戦争でも起きたら、日本はただただアメリカの言うがままに参戦するんでしょうね。企業も人も海外の資本に支配されていれば、それぞれの国の事情に引きずられることになるのでしょう。この30年で日本はすっかり活力を失ってしまいました。これからさらに30年経った時に、日本は一体どんな国になっているのでしょうか。

893号(2023.4.4)うーーん、無罪かあ、、、

 今朝の朝刊の社会面の隅に、「吹田の交番襲撃 上告断念 高裁で逆転無罪判決」という記事が掲載されていました。覚えている人も多いと思いますが、20196月に千里山駅交番にいた巡査を刺し重傷を負わせ拳銃を奪って逃走した男性の事件です。関大にとってはすぐそばの出来事で、その日はオープンキャンパスが開催予定でしたが、中止になりました。確かその「犯人」はその日のうちか翌日くらいに箕面の山中で逮捕されたはずです。

 その後どう裁判が展開したのかまったく追いかけておらず知りませんでしたが、1審では懲役12年の実刑判決が出たものの、当該人物が判決を不服とし控訴し、昨日「心神喪失で責任能力はなかった」という理由で無罪が言い渡され、検察側は「上告理由が見いだせない」として上告を断念し、無罪が確定したそうです。

 記事を見た時の率直な感想は、「えっ、あの事件で無罪になってしまうんだ」というものでした。これまでも「心神喪失で無罪」という判決はいくつもあるわけですが、身近に起きた事件で、結構詳しくニュースとかも見ていたので、30歳を超えた人物で虚偽の電話をかけて交番に巡査を1人だけにするとか、あんなに計画的に動いて警察官を刺し重体に陥らせても、無罪なのかあと軽くショックでした。

 新聞記事には出ていなかったのですが、どこか病院には強制的に入れられるんですよね?もしもそれもなく、今日からまったく自由の身になっていると言われたら、やはりちょっと怖いなと思ってしまいます。犯罪を結果責任ですべて裁くことはできないのでしょうが、意図して行った恐るべき犯罪であっても、その時点で「心神喪失」だったと判断されたら無罪になりうるというのは、昔からどうにも腑に落ちかねます。確か刑法39条ですよね。精神状態によって罪の軽減くらいはあってもいいかなと思いますが、無罪にまでなってしまうというのは、社会にとって本当に必要な条項なのかと疑問です。人を殺したり、傷つけたりしてはいけないとうのはほとんどの人が思っていることで、そのタブーを破る時に、人は平時の精神状態ではない方が普通でしょう。つまり、ある意味人を殺傷するような重大犯罪を犯す時に、その人物が正常な判断のできない状態だったと言えば、みんなそうなのではないでしょうか。

 弱者に優しくしようという時代ですから、この刑法39条がなくなることはないのでしょうが、誰が本当の「弱者」なのかなということも考えたくなります。この刑法39条をテーマにした小説や映画も結構あったと思いますが、多くの人が納得できない思いを共有できるので、物語もできやすいのでしょうね。

892号(2023.4.2)マッチングアプリ婚

 使ったこともないマッチングアプリですが、今やマッチングアプリで出会い結婚する人が職場結婚を超えて4分の1近くになっているというデータを見て、少し語ってみたくなりました。マッチングアプリ――あるいはその前身の出会い系サイトも含めて――なんかなかった時代は、みんなどこかで対面で出会った人の中で相手を選ぶか、見合いを含めて紹介してもらった人の中から結婚相手を探していました。その方法で結婚を決めようとするとある程度限定された中で選ばざるをえませんでした。コンピュータで相手を探してくれる結婚相談所的なものもありましたが、今のマッチングアプリほどには、簡単にたくさんの人の情報を入手はできなかったように思います。

 今のマッチングアプリの最大のポイントは、簡単にたくさんの異性の情報を入手できるところにあります。使ったことがないので間違っているかもしれませんが、何百人、何千人という人の情報を探すことができるんですよね?ある意味探そうと思ったら無限に探せるのではと思えます。で、こんなに膨大な情報を得られる際に、人はどんな風に選択をするのかを論理的に考えてみると、より自分にとって「都合のよい」相手――「理想の相手」と言い換えた方がいいかもしれませんね――を探したくなるのではないでしょうか?下手をすると、「最適基準」を求めて永遠に探し続けるなんて事態に陥る人も出てこないとは限りません。まあ、多くの人は「最適解」なんてさすがに見つからないとわかっていますので、自分なりの「満足基準」を定めて相手探しをしているでしょうが、情報がたくさん得られるとなると、その満足基準は高めに設定されやすそうです。特に、最初に設定した基準を超える人がたくさん見つかるようなら、もっと基準を上げて探してみようという気持ちになりそうです。下手をすると、これをやり続けてどんどん最適基準に近づいていき、なかなか相手を決められないということもおきそうです。もちろん実際には、そんな終わりなきループにはまる人はたくさんはおらず、どこかでこの基準をクリアするこの人にしようかと決める人がいるからこそ、マッチングアプリ婚が増大しているのでしょう。

 基準としては、どんなものが上がるのでしょうか。女性側からなら、居住地、職業、収入、外見、性格、男性側からなら、居住地、外見、性格あたりでしょうか。性格というのは大事でみんなタテマエでは一番重視していると答えると思いますが、ただこれは他の要素のようには簡単にはわからない部分だと思います。実際には、まず客観的に測れる他の要素で基準を定め、連絡を取り合う相手を決めているのではないでしょうか。そして、直接やりとりをする中で、話が合いそうとか、性格も良さそうと判断できたら、実際に会ってみようという流れになっているのでしょう。そこでしばらく対面での付き合いをして、うまく行きそうだなと思えば、結婚へという流れなのだと思います。それほど結婚を焦っていなければ、結婚相手探しというより、恋人探しという形で利用している人も多いようです。この交際期間が1年以上と長くなり、もともとの出会いがマッチングアプリだったかも半分忘れてしまうくらいの関係になって結婚するなら、それはある意味昔からの恋愛結婚とあまり変わらない結婚と見ることができるように思います。マッチングアプリで結婚したというカップルの中で1年以上付き合って結婚したカップルがどの程度要るかわかりませんが、まあ比較的長い恋愛期間を経てのゴールインなら、出合いがマッチングアプリでも特段「マッチングアプリ婚」と名付けて特別視することもないのかもしれません。

注目すべきは、やはり出会ってから短期間で結婚する「マッチングアプリ婚」です。たくさんの異性の中から条件をクリアした人と連絡を取り、何回かやりとりをし、対面で何回か会って、結婚してもいいと考えゴールインをするという人も多いと聞いています。考えてみると、このパターンは、昔の紹介者がいるお見合いに近い形です。仲介者が、紹介する両者の条件を比較し、「釣り合いが取れそう」という相手を紹介し、そこから紹介された2人が互いに嫌でなければ、短い付き合いを経て結婚に至るというパターンです。ほぼ似たようなものですね。違うとしたら、条件のところに、かつての見合いは結婚させる2人のことだけでなく、その家族のことなども視野に入れていたのに対し、「マッチングアプリ婚」ではとりあえず付き合う互いの個人としの情報がほとんどだというところでしょう。ただし、これも結婚をとなれば、互いの家族も知ることにはなるでしょうから、根本的に違うというほどではないかもしれませんね。

 こうやって考えてくると、「マッチングアプリ婚」と言っても、出会い方がマッチングアプリを使っているだけで、マッチングアプリスタートの恋愛結婚と、マッチングアプリスタートの「見合い」結婚的なものがあるというだけにすぎないですね。おかしいなあ。もう少し違いを語るつもりで書き始めたのですが、、、たぶん、やはり選択のところですね。選択さえしてしまえば、あとは従来の結婚とあまり変わらないですが、選択が難しいところが違うところなのではないかと思います。昔は、そんなにたくさんの人と出会えたり、紹介してもらえたりする可能性は小さかったので、みんな、結婚適齢期に結婚できそうな何人かの候補から選ぶしかなかったところが、今や何千人、何万人からでも選べる。そのことによって、まあこの人くらいでいいかという妥協と諦めの気持ちが持ちにくくなるということではないでしょうか。「妥協と諦め」なんて言い方をするとマイナスイメージがあるかもしれませんが、人生で重要な選択する上では、適度な「妥協と諦め」は大事だと思います。永遠に「理想」を追い続けていたら選択はできなくなると思いますので。

まあ、マッチングアプリを使ったことがないので、的外れな議論になっているかもしれませんが、、、

891号(2023.3.27)節目の20233

 本日退職者表彰式と名誉教授授与式がありました。名誉教授授与式は、以前学部長だった時代に出席していたので、こういうものがあることは知っていたのですが、退職者表彰式の存在は知りませんでした。この3月で定年を迎えた教職員が一堂に会し、職務の任を解くという辞令と、表彰状を理事長から受け取りました。ちょうど卒業式みたいでした。

 4月からも再雇用ですが同じように仕事をしていくので、軽い気持ちで行きましたが、そうかあ、やっぱり退職は退職なんだなという気持ちにさせられました。かつて学部長時代にともに学部長を経験した同年齢の先生方とも久しぶりに会えたり、職員さんも仲の良い方が同じ年に退職なんだなと、ちょっとしみじみしました。現在の理事長も学長も同学年なので、結構この学年、関大では優秀な人が多かったかなと思ったりもしてました。

 名誉教授授与式の方は、人生1回着てみたかったアカデミックガウンをついに着られました。私の前の学部長・研究科長まで数年間、卒業式や大学院修了式に学部長・研究科長はアカデミックガウンを着ることになっていたので、学部長・研究科長になった時に楽しみにしていたのですが、当時の学長が方針を変え、学部長・研究科長は着ないことにしてしまったので、着る機会を逃しました。ちなみに、その後学長になった現理事長は、また卒業式に学部長・研究科長はアカデミックガウンを着ることに戻しました。現在もその習慣が続いているはずです。いずれにしろ、これまで着る機会のなかったアカデミックガウンをようやく着られてちょっと満足でした(笑)ちょっとにやけていますが、写真を掲載しておきます。

 それにしても、この3月はいろいろ節目の年です。退職・再雇用という時でもありますし、私が関西に引っ越してきて丸40年です。大阪の堺が最初の住居でしたが、そこに越してきたのが1983324日でした。あれから40年です。早いものです。大学教員としての人生も40年です。あっという間の40年でした。ああでも、まだ感慨にふけるのは早いですね。あと3年、たとえ再雇用の立場でもこれまで通りしっかり学生育てをしていきます。節目はあくまでも節目です。ゴールではありません。頑張ります!

890号(2023.3.26)令和5年大相撲春場所総括&夏場所展望

 春場所は霧馬山の優勝で幕を閉じました。私が4年前の十両時代から必ず強くなると見込んでいた力士です。予想通り伸びてきました。3年前に「つらつら通信」に書いた文章をもう一度掲載しておきます。

23年後まで見据えて思い切った先物買いするなら、今場所新入幕で11勝した霧馬山に私は可能性を感じます。身体バランスが非常にいいです。まだ今の立ち合いでは幕内上位で通用しませんが、いずれ立ち合いが改善され、相撲を覚えたら、いつか横綱になる可能性を持つ力士でしょう。十両に入った頃から注目していました。」(「第725号(2020.1.26)令和2年大相撲初場所総括」より転載)

十両に上がったのが、平成31年(2019年)の春場所でした。その時初めて存在を知ったのですが、足腰がよく柔らかい体をしていて、さらに先々大きくなりそうな体をしていたので、これはきっと伸びると思ったわけです。当時はまだ解説者もまったく注目していませんでしたから、たぶんものすごく早い先物買いでした。でも、だてに60数年相撲を見てきてなかったことが証明されつつあり、嬉しいです。たぶん、来場所で大関を勝ち取るでしょう。

他方、私が「令和の四天王」(若隆景、豊昇龍、霧馬山、若元春)(「第861号 令和の四天王(2022.7.24)」参照)として期待する力士のうち、若隆景が膝に全治3か月の重傷を負ってしまいました。膝の怪我は、力士の場合致命傷になりかねません。来場所も休場するようですので、うまく回復出来て7月の名古屋場所からということになりますが、彼の相撲の質からすると、膝に不安があると今までのような相撲は取れない可能性が高いです。しばらくは、豊昇龍、霧馬山、若元春の3力士の切磋琢磨の時代となりそうです。今場所は、全員二けたの白星をあげましたので、霧馬山と優勝を争った大栄翔を含めた4人の出世争いになりそうです。

今場所、実は幕内の相撲以上に注目していたのは、十両の相撲でした。朝乃山は132敗で来場所幕内復帰が確実ですが、優勝はできませんでした。昨年名古屋場所で幕内最高優勝を飾った逸ノ城が十両に落ちていて141敗で優勝したからです。二人の力は十両ではやはりとびぬけていました。初日が始まる前から、この二人の優勝争いになるだろうと予想されていましたが、見ている限り、今の実力は逸ノ城の方が上でした。直接対決でも逸ノ城が勝ちましたし、それ以外の相撲も逸ノ城の方が圧倒的強さを示していたのに対し、朝乃山は結構どの相撲も熱戦になってしまっていて、十両でこんなに苦労しながら勝っていたら、幕内ですぐに優勝ってわけにはいかないだろうなと思いました。来場所は、二人とも幕内中位にまで上がるでしょう。力があるので、当然ある程度勝つとは思いますが、優勝に絡む可能性は逸ノ城の方が高そうです。朝乃山には早く大関に戻ってほしいのですが、その道のりはそう簡単ではないかもしれません。

来場所は、霧馬山の大関取りが最大の注目ですが、大栄翔も成績次第では、同時に大関に上げてもいいのではないかという話も出てくるかもしれません。この2人に豊昇龍、若元春を加えた4人が優勝争いをしてくれたら、来場所も面白くなりそうです。照ノ富士も出場できるのではという話もありますので、久しぶりに横綱が優勝争いに絡むかもしれません。まあでも、彼も膝に爆弾を抱えているから最終的に出場するかどうかは微妙です。ああそれ以上に、戻ってきてほしいのが北の富士さんです。今場所は体調不良で入院中だったようで、北の富士さんの解説が聞けず実に残念でした。来場所はぜひ元気になって解説を聞かせてほしいものです。

889号(2023.3.24)驚きました

日本中が大興奮したWBCが終わりましたね。基本あまりはまっていなかった私も日本が追い詰められた準決勝メキシコ戦の7回裏から9回裏までは真剣に見てましたが、決勝戦は初めの方だけ見て後は結果だけ知ったという感じです。さて、世間ではこの後は選抜高校野球に関心が移るのかなと思いますが、私の中では大相撲とサッカー、そしてカーリング世界選手権です。大相撲とサッカーはまた別の機会に書くとして、今日久しぶりに「つらつら通信」を書こうと思ったのは、昨日の深夜にやっていた日本vsカナダの試合でちょっと驚いたことがあったからです。

それは、カナダのリードの選手がかなりお腹の目立つ妊婦さんだったからです。調べたら、ハリスさんという人で6月に出産予定だそうです。リードの役割として、スイープという氷を力強くこすり、ストーンを走らせたり、曲げたりする役割も担わないといけないのですが、お腹が大きいことを一切気にしている感じもなくスイープしていました。すごいなあと感心しながら見ていたのですが、なんとスウェーデンチームでは4選手中、スキップとセカンドの2選手が妊娠中で、サードの選手は1月に出産したばかりだということも知りました。

現在の日本ではちょっと考えられない気がしますが、カーリングの世界自体がこれを当たり前としていくなら、いずれ日本選手でも出てきそうです。妊娠中でもひたすら安静にではなく、ある程度体を動かした方がいいとは日本でも言われていると思いますが、まさか世界選手権に出るほどのスポーツをするなんてちょっと考えられないのではないかと思います。

でも、女性の行動が妊娠したからといって、すべて制約されてしまうわけではないのだということを知ってもらうためには、今回のカーリング世界選手権をメディアはもっと報道すべきだと思います。WBCのお祭り騒ぎで、こういう素晴らしい選手たちの活躍が報道されないのは残念です。ちなみに、日本は今日のドイツ戦とニュージーランド戦に勝てば、決勝ラウンドに進出可能性が高くなります。BS1で日本時間の夕方(17時〜20時頃)と深夜(22時〜25時頃)に放送しますよ。ぜひご覧ください。特に、55敗で並んでいる、夕方に行われるドイツ戦が鍵になりそうです。

決勝ラウンドにはたぶん強豪であるスウェーデンもカナダも残ると思いますので、そこで日本のメディアも国民もこの素晴らしい女性たちのスポーツに注目してくれたらと思います。ロコ・ソラーレの本橋麻里代表理事は「カーリングが人生なのではなく、人生の中にカーリングがある」と述べているそうです。素敵な考え方です。スポーツだけでなく、すべての仕事にあてはめられそうです。

888号(2023.3.13)WBCにはまれない

 昨日まで毎日WBCの日本戦が行われ、視聴率が40%を超えたというニュースが流れていますが、私は今のところ全然はまれずにいます。一応大谷とかをちょっと見たいなという気持ちはあるので、試合開始時はテレビチャンネルを合わせるのですが、大谷の第1打席が済むととりあえずいいかとチャンネルを変えるか、テレビを消してしまいます。まあまたしばらくしたらどうなったかなとつけてみるのですが、中盤になるともう大きな点差がついていて、緊張感のない試合だなと思って、大谷の打席を見て、その後絶不調で自信なさげに三振してベンチ帰る村上を見て「かわいそうに」と思いながら、またチャンネルを変えるか消してしまいます。

 こんな退屈な試合なのに、視聴率は高いし、昼のワイドショーも長々と取り上げているので、それだけ関心が高いということなのでしょうが、私ははまれません。相撲で言えば、大関と十両力士の相撲ということで、力が違いすぎて試合が一方的で見応えがありません。たぶん準々決勝のイタリア戦も圧勝でしょう。アメリカに行ってから行われる準決勝、決勝になったら、もう少し緊張感のある試合になって興味を持てるのかなとも思いますが、ならないかもしれません。

 そう思う理由のひとつが、野球の展開が遅くて3時間もかかる試合を見ていられないということです。子どもの時は野球を見るのが好きだったのですが、サッカーファンになってからは集中して見る45分×2のパターンになじんでしまい、攻守交替や選手交代、けん制やサイン交換とか、無駄に時間が過ぎるなあと思ってしまいます。録画したら早送りで見られますが、スポーツはやはり生で見ないと面白くないので、録画もしていません。

 どうも最近は世の中の関心と自分の感性が合わなくなってきている気がします。現在、観戦するのが好きなスポーツは、相撲(推しは霧馬山)、サッカー(日本代表戦のみ)、カーリング(ロコソラーレだけ)という感じです。偏ってますね(笑)

887号(2023.2.23)ゼミ生の出身校・出身県

 前回の「名前ランキング」に続いて、今度はゼミ生の出身校・出身県を調べてみました。なんか暇ですねと言われてしまいそうですが、暇ではないんですよ(笑)でも、気になってしまったら、やらないと落ち着かないので調べてみました。

 ゼミ生は600名以上いますが、初期の頃は出身高校を必ずしも聞いていなかったので、データがあるのは581名分です。まず出身高校ですが、1人しか来ていない高校が192校、2人来ている高校が69校、3人来ている高校が25校です。4人以上来ている高校からは名前も出してみます。4人来ているのは、高槻北高校/三島高校/追手門学院高校/八尾高校/伊川谷北高校/星陵高校(兵庫)/西宮東高校/網野高校/育英西高校/橿原高校の10校です。5人来ているのは、南陽高校/大阪女学院高校/桃山学院高校/箕面高校/御影高校/親和女子高校/北須磨高校/高田高校/那賀高校の9校です。6人が市岡高校/寝屋川高校/千里高校/池田高校/富田林高校の5校ですべて大阪の高校です。あと残るは上位3校です。トップは予想が容易でしょうから、最初に紹介してしまえば、第1位は関大一高で41人もいます。となると、2位、3位も関大の併設校が来るんだろうなと思われるかもしれませんが、実は関大高等部は2人しか来ておらず、ベスト3どころかかなり下位です。一方関大北陽高校は8人来ており、第3位になります。じゃあ、第2位はどこでしょうか?「答えはCMの後」なんてテレビのバラエティ番組ならやるところですが(笑)、素直に書きます。第2位は10人来ている奈良の郡山高校です。6人以上来ている8校のうち7校が大阪府にある高校ですが、第2位に郡山高校が入っているのはちょっと驚きでした。確かに、郡山高校出身の結構いたなと思い出せるのですが、まさか関大一高に続いての2位になるとはちょっと予想していませんでした。郡山高校は関大と相性がいいのか、特に関大社会学部と相性がいいのか、はたまた片桐ゼミと相性がいいのか、まだデータが足りませんが、大事にしないといけない高校だなと思いました。

 さて、ついで出身校高校を出身地とみなして都道府県別のゼミ生数を数えてみました。その結果が右表です。第1の大阪から第4位の奈良までは順当なところですが、5位に広島県が入ってきています。すごく意外というほどでもないですが、より関西に近い岡山県からが10名しかいないのを見ると、広島県出身者との相性がいいのかなとも思います。まあでも、卒業後の付き合い方からすると、そんなに相性がよかったわけでもないかもしれませんが(笑)香川県の10名は今でも連絡がつく人が大部分で、「香川県出身者と片桐ゼミの相性はいい」と、私は常々言っています(笑)

 関東以北からの出身者が少ないのは仕方がないところですが、中国地方の島根県、九州・沖縄地方では長崎、鹿児島、沖縄からの出身者がゼミ生にはいません。まあそれぞれ人口が少なかったり、大阪までの交通路がそれほど便利でなかったりしますので仕方がないところですが、私が故郷意識を持っている長崎県から0人は寂しいですね。でも、ゼミ募集もあと1回ですから、この表が大きく変わることはないですね。まあそれでも、30期生までで35都道府県出身のゼミ生と出会えたという事実は、関西大学がそれなりに全国区の大学だということの証明にはなるでしょう。

886号(2023.2.20)嬉しいものです

 先日車検を受けるために、ホンダ大阪の某店舗に出向いたのですが、そこで関大社会学部社会学専攻出身の方がいて、「先生の授業を受けていました」と話しかけてくれました。私のゼミ出身ではない方でしたが、「先生のゼミの○○とは仲がよかったんです」と嬉しそうに話しかけてきてくれて、こちらも幸せな気持ちになりました。ゼミ生はもちろん卒業後も付き合いたいし、実際たくさんのゼミ生と卒業後も連絡が取れていますが、ゼミ生以外の卒業生となると、こちらで連絡先がわかる人は基本的におらず、卒業生の方から連絡を取ってきてもらわないとコミュニケーションを取ることはできません。でも、ありがたいことに時々連絡を取ってきてくれる人がいます。最近だと、片桐社会学塾がありますので、そこには、複数他ゼミ出身の方が在籍しています。このHPがあることで、他ゼミ出身の方でも、私に連絡を取るのは容易なので、たまにメールが届いたりします。昨年このHPへのアクセスについて調査した時も、ゼミ生以外の方が7人ほどいました。

 主として私を知ったのは講義だと思いますが、メールをくれる方の多くが「先生の講義は、前説が印象に残っています」とよく言ってくれます。私は、どの授業でも受講してくれた人はみんな教え子だと思っていますので、連絡を取ってきてくれると嬉しいです。そう言えば、20年ほど前に時々メールをくれていた1997年に卒業されて広島で高校教員をされていたKK君とかは、もうHPを見てくれてないでしょうか?見てくれていたら、またお時間のある時にでもご連絡ください。

 考えてみると、メールよりはいろいろな場所で出会うパターンの方が多いかもしれません。以前奈良公園を家族で歩いていたら、人力車のお兄さんがつかつかと寄ってきて、「いや、人力車乗らないから」と思っていたら、「僕、関大生で、先生の授業を取ってます」と嬉しそうに言われたこともありました(笑)あと、鞆の浦のホテルの支配人が2001年関大社会学部社会学専攻卒業のO君という人だった時は、ホテルが用意してくれる出し物の前に、彼が『基礎社会学』の本を取り出して、「この先生が書いている本です!」と宣伝してくれたこともありました(笑)O君、元気にしていますか?

 私ではないですが、アメリカにいる娘が関大社会学部社会学専攻出身の方と会う機会があって、「わあー、片桐先生の面影がある!」と言われたりしていました(笑)その彼女は関大一高出身で、2004年の夏に高校3年生として、一高向け説明会に来て私と話したそうですが、私もその時のことはよく覚えています。のちに、私のゼミ生となった子と親しく、社会学専攻にしようかなと思っているんですが、と2人で相談に来てくれて、その時私が強く勧めたので、社会学専攻にしたと娘にも話していたそうです。

 思い出すと、いろいろなゼミ生以外の方の顔が浮かんできます。私に連絡をしてきてくれた人でなくても、強く印象に残っている人もたくさんいます。AO入試で入ったユニークな子だったり、「野球バカ」みたいだったのにゼミで素晴らしい経験をしてその思いを学部HPに書いてくれた子だったり、「今度、スポーツ障害の本で、僕のことが出るんです!」と嬉しそうに報告しに来てくれた子もいました。基礎研究で存在感があって忘れられない子など、たくさん思い出します。昔は、社会学専攻のゼミ対抗ソフトボール大会などもあったので、他ゼミの子とも喋る機会も結構あったのかもしれませんが、懐かしいです。いや、考えてみると他専攻の子でも親しくなった子もいましたね。今の時代より、学生と教員の距離が近かったのかもしれません。

みんな、どうしているのかな?きっとそれぞれの場所で関大社会学部の看板を背負って、しっかり活躍してくれているんでしょうね。頑張れ、社会学部生!

885号(2023.2.10)大河ドラマ第1作「花の生涯」

 日本のテレビ放送が開始されたのは195321日で、今年は70年に当たるということで、NHKが特集番組をいろいろ組んでいます。テレビ好きの社会学者としてはどの番組を非常に興味深いです。特に、先日放送された「大河ドラマが生まれた日」というドラマで明かされた秘話には驚きました。

 大河ドラマの第1作は1963年に放送された「花の生涯」で当時小学校2年生だった私も見ていました。細かいストーリーや個々の場面は記憶になかったのですが、最後の雪の桜田門外の変の場面はなぜかくっきりと覚えていました。今回の「大河ドラマが生まれた日」というドラマで、そのシーンがどうできたかが紹介されていたのですが、雪が積もっていた私が信じ込んでいた場面は、なんと地面に白い布を敷き詰めていたと知り驚きました。小学校2年生には本物の雪だと十分思えたものでした。その後「カラーでよみがえる大河ドラマ第1作『花の生涯』」という番組で、そのシーンを改めて見ましたが、今見ても十分雪が積もっているように見えました。昔のアナログ技術の工夫におおいに感心しました。現代のデジタル技術を使えば、こんな苦労はまったくないわけですが、こういう苦労があるからこそ、後に知ると面白かったりします。

 あともうひとつずっと気になっていたことも、今回のドラマを見て、なるほどそうだったのかと納得しました。その気になっていたこととは、なぜ井伊直弼が主人公のドラマが第1作だったのだろうかということです。数々の歴史上の有名人の中で井伊直弼のランクはそう高いものではないはずです。2作目が「赤穂浪士」、3作目が「太閤記」、4作目が「源義経」とメジャーどころが続くのに、なぜ最初が「花の生涯」なのだろうとずっと疑問に思っていました。今回のドラマで、この1作目の時はまだ大河ドラマという言葉もなく、そもそもテレビにそんな本格的な時代劇など作れはしないだろうという薄い期待で始まったため、そこまで誰を取り上げるかについての議論はなかったようです。そして、中心になったプロデューサーの妻が彦根の出身だったと描かれていましたので、もしかしたらそのくらいのきっかけで井伊直弼の「花の生涯」に決まったのかもしれないというのは信憑性がありそうだなという気がしました。

 4月から12月まで放送されたこの「花の生涯」は大人気となり、翌年の「赤穂浪士」からは1年間続く作品となり、「大河ドラマ」という名称も生まれたそうです。ちなみに、今のように8時から845分という固定した放送時間になったのは1970年からのようです。テレビ草創期のエピソードは非常に興味深いです。今の若い人たちはすっかりテレビ離れしてしまっていますが、私はきっとずっとテレビ好きとして生きていくのだろうなと思います。

884号(2023.1.23)2023年初場所総括と春場所展望

 興味を持ってくれる人は少ないですが、自分の記録のために大相撲のことを書いておきます。今場所は、1人横綱の照ノ富士が休場し、大関は貴景勝1人、そして4関脇、4小結というこれまで見たことのない番付でした。実際、大関から前頭上位までの10人くらいの力は拮抗していて、誰が勝っても負けても不思議ではないという状況でした。飛びぬけた力を持った人がいないので、面白いと言えば面白いですが、しっかり強い力士が出てきてほしいなと思いながら見ていました。

 優勝は出場者の中で最上位番付の貴景勝でしたが、ラッキーな優勝だった気がします。千秋楽の一番は3敗同士ということで、琴勝峰との一番が組まれましたが、あれが貴景勝にとってはラッキーでした。本来なら、関脇の若隆景を相手にしなければならず、こちらの方が難敵で勝つのは容易ではなかったはずです。14日目が終わった時点で、貴景勝と琴勝峰という一番にならなければいいのだがと思っていましたが、結局審判部は安易な選択をしてしまいました。その2人の一番を組んだことで、星一つの差で追っていた霧馬山と阿武咲の優勝の目はなくなってしまいました。私としては、貴景勝は若隆景と、琴勝峰は霧馬山という取組を期待していました。これなら、4敗で最大4人が並ぶという可能性もあり、もっと楽しめたのに、と残念に思いながら見ていました。

 まあ優勝の方はともかく、私が期待している小結の霧馬山、若元春が11勝、9勝してくれたので、来場所はもしかしたら、若隆景、豊昇龍を含めた「令和の四天王」が関脇に勢揃いする可能性が出てきました。そういう番付を作ってくれたら楽しみです。4人とも非常に魅力的な力士ですが、なかなか2桁の白星を2場所続けられません。先々場所は若隆景が、先場所は豊昇龍がともに11勝を上げましたが、ともに翌場所は8勝止まりで、大関取りは白紙に戻ってしまいました。来番所は、私が4年前から将来必ず大物になると見込んでいた霧馬山の番です。ぜひ2桁勝利を続けて、5月の夏場所は大関取りをかける場所にしてほしいものです。

そして来場所のもうひとつの楽しみは、朝乃山が幕内に戻ってくるかどうかです。朝乃山は、今場所14勝して十両優勝したのですが、来場所幕内に戻れるかどうかが微妙です。公平に考えると、ぎりぎり難しい感じなのですが、なんとか幕内に上げてくれないかなと思います。上げてくれたら、来場所の幕内の優勝候補の1人となり、来場所が非常に面白くなるのは間違いありません。もともとコロナ中に飲みに行ったから1年間の出場停止で大関から三段目まで落とされたというのが厳しすぎる措置だったので、ここでその分を少し返してあげるという考え方で、審判部も判断してくれればいいのだけれど、と思っています。「令和の四天王」が関脇に並び、朝乃山が幕内に戻っていたら、来場所は非常に楽しみになります。

 ちなみに、2場所連続優勝した大関は横綱に上がるのが慣例ですので、来場所は貴景勝の綱取りの場所となりますが、彼には横綱になるほどの絶対的力はないので無理だと思います。なので、私個人としては、これは来場所の楽しみでは全然ありません。幕尻で白星を重ねた朝乃山が終盤、「令和の四天王」と戦うことになるという状況になるのが、私の一番期待する来場所の姿です。そのために、なんとか朝乃山を幕内に上げてほしいものです。すべての相撲ファンがそれを求めていると思います。

883号(2023.1.15)ゼミ生の名前ランキング

 関西大学片桐ゼミは、昨年秋に新ゼミ生として決まった2回生が30期生で、人数も600名を超えます。これだけの人数がいると、いろいろデータ分析もできるなあと日頃から考えていたのですが、今回ふと思いついて名前の読み方に注目して集計してみました。総勢611名のゼミ生がいますが、重複していなかった名前は4割弱の244人しかいませんでした。意外に重複しているものですね。2人重複が66組、3人重複が35組もありました。このあたりは多すぎるので、個別具体名は紹介せずにおきます。

 13組あった4名重複からは、具体的な名前も紹介します。4名重複の名前は、「アヤカ/カズキ/ケイコ/サキ/ダイスケ/タケシ/トモミ/ヒロミ/マサシ/マリコ/ミキ/ミホ/ユウキ」の13組です。5名重複の名前は、「ケンジ/タカシ/タカヒロ/タクヤ/チエ/ナオキ/ヒトミ/ユキコ」の8組です。チェックをしながら、こんなにこの名前のゼミ生がいたんだとちょっと驚きました。しかし、まだ上には上があります。左の表を見ていただいてわかるように、6名重複が1組、7名重複が2組、8名重複が1組、そして10名も重複していた名前が1組ありました。さて、どんな名前が重複名上位に来るでしょうか?(テレビ番組なら、ここでCMといったところですね(笑)CMは入りませんが、予想しながら楽しんでください。)

 6名が重複していたのは「ヒロキ」で、7名が重複していたのが「ナオコ」と「リエ」でした。では、いよいよ上位2つの名前を発表しましょう。8名が重複していた第2位の名前は「ユカ」です!そして、10名も重複していた、片桐ゼミ生にもっとも多かった名前は、、、、、、、「ユウコ」です!どうですか、予想は当たりましたか?正直言って、私も集計するまで、「ユウコ」がこんなにいたことにまったく気づいていませんでした。というのも、10名中その「ユウコ」という名前のままニックネームとして呼んでいた人は3名しかいなかったので、こんなに「ユウコ」がいたことをすっかり忘れていました。しかし、「ユウコ」だけでなく、第2位の「ユカ」や、3位同点の「ナオコ」や「リエ」も、第5位の「ヒロキ」も、全員をその下の名前で呼んでいたわけではなく、どの名前も3名以下くらいしか名前をニックネームとして使っていませんでしたので、この上位ランキングは非常に新鮮でした。

 4名以上重複の26組の名前の中に、「ユウコ」「ナオコ」「ユキコ」「ケイコ」「マリコ」と、「コ」のつく女性名が5つも入っています。さらに3名重複の34組まで視野を広げると、「サエコ」「タカコ」「マイコ」「マユコ」「ユミコ」「ヨウコ」「レイコ」という7つの「コ」のつく名前が入っています。「コ=子」は、今はかなり減っている名前のはずなので、どの時期のゼミ生に「コ」のつく名前が多かったかを確認してみました。

 30期生までいますので、10学年ずつ3世代に分けて比較をしてみたのが、右表です。当然の結果ですが、上の年代の方に圧倒的に「子」のつく名前の女性が多いことがわかります。特に、一番重複数の多かった「ユウコ」は一番若い21期生から30期生では1人もいません。まあでも、ここにあげた「子」のつく名前全体では、一番若い世代でも1割以上を占めているのは、それなりに関大片桐ゼミには「子」のつく名前の女性もいる方だと言えるかもしれません。1995年刊行の『子のつく名前の女の子は頭がいい』(金原克範著)という本の中で、「子」の名前の付いている女子高生グループと「子」がついていない女子高生グループの成績を比較すると、確実に「子」の名前のついているグループの方が平均得点が高いという、社会学的に面白い分析をした本があるのですが、やはり関大まで来ている女子学生には、それなりに「子」がつく女子学生がいるのでしょう。

 「子」はともかく、最近になればなるほど珍しい名前が多いのではないかと思い、重複しない名前の割合が増えているのではないかと思い、各期別に重複のない名前が何割くらいいるかを調べてみましたが、特にそういう傾向は見られませんでした。関西大学に入学してくる学生たちにはキラキラネームが少ないことはわかっていましたが、思った以上に名前の読み方はオーソドックスな人が多いようです。

もともとゼミ生の名前のことを考え始めたのは、「千春」「千夏」「千秋」と3人揃っていたので、あと「千冬」が揃わないかなとか思い始めたのが最初でした(笑)なかなか「千冬」という名前の人には出合いそうもないので、「まゆき」という名前のゼミ生がいるので、これで四季が揃ったことにしようかなとか思っています(笑)他にも、何か揃ったりしないかなとか、最初の2文字だけ同じものに注目すると、「リョウ」とか「ケン」とか「アヤ」で始まる名前がかなりいろいろあって多そうだなとか、いろいろ調べてみたいことが思いつくのですが、とりあえず今はこのあたりまでとしておきます。これだけ調べるのにも、かなり時間を使いました(笑)「先生、暇ですね」とか思わないでくださいね(笑)暇じゃないんですが、気になり始めたらある程度納得いくまでやらないと気が済まないんです。とりあえず、「自分の名前がある」とか「自分の名前は重複している人がいるのかな?」とか、興味深く読んでいただけたら、嬉しいです。

【追記:2022年1月16日】上で書いた最初の2音に注目したランキングも作ってみました。10人以上の重複があったものをすべて抽出したのが左表です。1位は「ユウコ」を含む「ユウ」でしたが、興味深かったのは、「ユウ」から始まる名前は男性の方がはるかに多いということです。「ユウキ」「ユウスケ」「ユウイチ」「ユウタ」「ユウト」と2人以上いる「ユウ」で始まる男性名はかなりありました。「ユウ」という音は、男性にも女性にも柔らかくて使いやすい音なのかもしれませんね。

 表を見ていただいて気づかれると思いますが、男女ともによく使われている初めの2音は意外に少なく、この2音で始まったら、大体男性名だとか女性名とか分かれてしまっているようです。そして、10人以上重複があった2音の中で、女性名の方が多かったのというのは「ユキ」と「アヤ」しかなく、同人数だった「トモ」を外しても17のうち14が男性の方が(圧倒的に)多いという結果が出ました。「ケン」「ダイ」「コウ」「シン」以外は、後ろに「コ」をつければ女性名になる音ばかりですが、全体に「子」をつける人が減っている中では、女性名の方がヴァリエーションが多くなり、最初の2音も男性よりも多様化しているようです。2音で他の人とまったく重複しない人は611人中わずか58人ですが、そのうち39人(67%)は女性で、男性は19人(33%)ですので、やはり女性名の方が多様化していると言えそうです。ちなみに、ゼミ生総人数における男女比は、女性が55%に対して男性が45%です。

【追記:2022年1月17日】男女両方がいる同じ読みの名前にはどんな名前があるか調べたところ、「ミキ」「ノゾミ」「ミズキ」「トモキ」「ナオ」の5つの名前でした。それぞれ男性が1名ずついます。その5人はすべて22期生以降の若いゼミ生です。やはり、若い世代の方が、名前だけで性別はわからなくなっていることが多いようです。

882号(2023.1.6)医療関係の仕組みがよくわからない

 私は非常に健康でほとんど病気にもかからないので、実は病院や薬のことがよくわかっていません。今日経験したことも普通のことなのかどうかよくわからないので、ちょっとここに書いてみます。

昨夏に蕁麻疹が出て皮膚科に行き、最初にもらった薬は効かず、2回目に行った時にもらった薬がよく効いてほぼ治ったのですが、今でも時々痒みが出ることがあります。前回行った時に、2か月分の薬をもらったのですが、もうあと少しでなくなってしまうので、薬だけもらっておきたいと思い、病院に連絡をしました。結構人気のある病院で待ち時間が長いのですが、薬だけなら受付で対応してもらえるということで、そのパターンで予約を申し込みました。で、病院に行って医師に会うこともなく、あっという間に調剤票を出してくれたのはよかったのですが、診察料として1290円払わされました。「診察してないのに、1290円も取るんだ」と軽く驚きました。まあきっといくらかは払わされるだろうなと思っていましたが、思った以上に高かったです。ちょっと間が空いていたので、初診料になったのは致し方ないにしろ、患者と会わずに診察料を取るのは違法ではないんでしょうか?まあ、時間的ロスが少ない方式をこちらが選んだので、そこまで文句を言う気もないのですが、ちょっと驚きました。

そして、次はその薬をもらうために、調剤薬局に行ったのですが、ここが結構待たされるんですよね。たった2種類の薬をもらうだけのために40分ほど待ちました。もっとちゃっちゃとできるのではと40分待つ間、ずっと思っていました。薬は間違えたら大変なのでしょうが、別に複数の人間で確認しているわけでもなく、もう少し効率よくできそうなものなのになあと思いながら見ていました。あと、「久しぶりなので保険証を見せてください」と言われている人もいて、「あれっ、どの薬をもらえばいいかわかっていたら、病院を介さずに、この薬局で薬だけ買えるのかな?」という疑問も湧いてきました。普通の薬局で市販されている薬は病院に行かずにも買えるのは、さすがの私もわかっていますが、こういう調剤薬局でも薬名さえわかれば購入できるのでしょうか?もしそうなら、診察料1290円が浮いたなあと思いましたが、結局、薬剤師さんに聞かなかったので、そういう風にできるのかどうかわかっていません。

そうそう。そう言えば、もうひとつ謎だったのは、この蕁麻疹に効いた薬、病院で医師が指示した薬品名と違うジェネリック薬品だったんですよね。今日薬局で待っている間に来た患者さんに、「ジェネリック薬品でもいいですか?」と薬剤師が聞いているのを見て、「あれっ、私には何も聞かずにジェネリック薬品にしてたなあ」と不思議に思いました。医師が患者に話した薬品と違う名称の薬品に、患者本人の承諾なく変えることはOKなのでしょうか?まあ効果は出たし、値段も安かったので、文句を言う気はないのですが、なんとなく手続き的には、患者の確認が必要な気がしました。調剤票をしっかり見てませんでしたが、医師が「ジェネリック薬品に変更も可」とか書いてあったのかもしれませんが。

そもそも、別名称の別の薬であるはずのジェネリック薬品が本当にまったく同じ効果が出るというのがよくわかりません。同じ材料、同じ製法で作らない限り、同じ効果が出ないのではと考えるのが普通だと思うのですが、値段が安いということは、同じ材料、同じ製法ではないですよね。なのに、副作用も含めて、まったく同じ効果が出る(あるいは出ない)というのがさっぱりわかりません。中身は一緒だが、パッケージや包装にお金をかけてないから同じものが安く売れると言うならわかるのですが、薬の名称から違うのですから、違うものなんじゃないのと素朴に思ってしまいます。

医療、製薬のことも、本気で調べ始めたら、社会学的にも面白いテーマなんだろうなと思うのですが、病院、検査、手術とか、あまり好きではないので、よく知らないまま、ここまで来てしまいました。20年以上前から、教え子たちに「先生、ちゃんと人間ドックを受けてくださいね」と言われているのですが、いまだに受けてません(笑)まあここまで来たら、ある日当然大病を患って余命1年くらいで逝くのもいいかなあ、なんて思ってます(笑)正月から、縁起の悪い話ですね。すみません。

いずれにしろ、たまにしか関わりをもたない医療関係のことは、本当に何もわかっていません。医療関係、製薬関係で働いている教え子も結構いると思うので、そのうちお暇なときにご教授ください。