本を読もう!映画を観よう!10

2022.7.16開始、2024.4.27更新)

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世の中にはおもしろい本がたくさんあるのに、学生たちの中には「活字嫌い」を標榜して、読もうとしない人がたくさんいます。貴重な時間をアルバイトと遊びですべて費やしてしまっていいのでしょうか。私が読んでおもしろかったと思う本、一言言いたいと思う本を、随時順不同で紹介していきますので、ぜひ読んでみて下さい。(時々、映画など本以外のものも紹介します。)感想・ご意見は、katagiri@kansai-u.ac.jpまでどうぞ。太字は私が特にお薦めするものです。

<社会派小説>928.薬丸岳『友罪』集英社文庫922.垣谷美雨『七十歳死亡法案、可決』幻冬舎文庫913.堺屋太一『平成三十年(上)(下)』朝日文庫904.塩田武士『騙し絵の牙』角川文庫901.塩田武士『罪の声』講談社文庫

<人間ドラマ>964.手塚治虫『アドルフに告ぐ』(全4巻)文芸春秋950.三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』文春文庫928.薬丸岳『友罪』集英社文庫927.桜木紫乃『ラブレス』新潮文庫914.辻村深月『ツナグ』新潮文庫905.高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」(『文芸春秋』2022年9月号)904.塩田武士『騙し絵の牙』角川文庫902.藤野恵美『ハルさん』創元社推理文庫

<推理サスペンス>939.北森鴻『花の下にて春死なむ』講談社文庫906.伊岡瞬『本性』角川文庫902.藤野恵美『ハルさん』創元社推理文庫901.塩田武士『罪の声』講談社文庫

<日本と政治を考える本>987.植垣康博『兵士たちの連合赤軍』彩流社980.ロバート・ホワイティング『ジェシーとサリー ガイジン力士物語』筑摩書房979.坂口弘『あさま山荘1972()()』彩流社972.関裕二『継体天皇の謎』PHP文庫969.朝日新聞西部本社編『古代史を行く』葦書房968.牛島秀彦『昭和天皇と日本人』河出文庫913.堺屋太一『平成三十年(上)(下)』朝日文庫

<人物伝>981.こすぎじゅんいち『魔女伝説 中島みゆき』集英社文庫971.もりたなるお『力人 雷電為右衛門』新潮社962.山岡荘八『伊達政宗』(全8巻)講談社文庫951.瀧浪貞子『桓武天皇 決断する君主』岩波新書934.林真理子『白蓮れんれん』集英社文庫911.ハン・スーイン『長兄 周恩来の生涯』新潮社903.朝井まかて『眩(くらら)』新潮文庫

<歴史物・時代物>988.黒岩重吾『紅蓮の女王 小説推古女帝』中公文庫987.植垣康博『兵士たちの連合赤軍』彩流社978.中嶋繁雄『閨閥の日本史』文春新書972.関裕二『継体天皇の謎』PHP文庫971.もりたなるお『力人 雷電為右衛門』新潮社969.朝日新聞西部本社編『古代史を行く』葦書房966.大山眞人『昭和大相撲騒動記 天竜・出羽ヶ嶽・双葉山の昭和7年』平凡社新書965.土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』中公文庫964.手塚治虫『アドルフに告ぐ』(4)文芸春秋963.池波正太郎『真田太平記』(全12巻)新潮文庫962.山岡荘八『伊達政宗』(全8巻)講談社文庫961.吉川英治『私本・太平記』(全8巻)講談社文庫960.北山茂夫『日本の歴史4 平安京』中公文庫958.辺見じゅん『完本 男たちの大和 ()() 』ちくま文庫951.瀧浪貞子『桓武天皇 決断する君主』岩波新書949.服部まゆみ『レオナルドのユダ』角川文庫921.朝井まかて『藪医ふらここ堂』講談社文庫915.朝井まかて『花競べ 向島なずな屋繁盛記』講談社文庫911.ハン・スーイン『長兄 周恩来の生涯』新潮社909.竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』講談社学術文庫907.細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書903.朝井まかて『眩(くらら)』新潮文庫

<青春・若者・ユーモア>918.有川浩『空の中』角川文庫

<純文学的小説>945.川上弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』講談社944.西加奈子『さくら』小学館文庫920.平野啓一郎『マチネの終わりに』文春文庫905.高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」(『文芸春秋』2022年9月号)

<映画等>989(映画)堀江貴大監督先生私の隣に座っていただけませんか?(2021日本)986.(映画)白石和彌監督『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年・日本)985.(映画)新海誠監督『すずめの戸締まり』(2022年・日本)984.(映画)石川慶監督『愚行録』(2017年・日本)983.(映画)中西健二監督・立川志の輔原作『大河への道』(2022年・松竹)982.(映画)深川栄洋監督・古沢良太脚本『60歳のラブレター』(2009年・日本)977.(映画)戸田彬弘監督『市子』(2023年・日本)976.(映画)平野啓一郎原作・石川慶監督『ある男』(2022年・日本)975.(映画)熊澤尚人監督『隣人X 疑惑の彼女』(2022年・日本)974.(映画)廣木隆一監督『あちらにいる鬼』(2022年・日本)973.(TVドラマ)ひかわかよ脚本・狩山俊輔演出『テレビ報道記者』(2024年・日本テレビ)959.(映画)土井裕泰監督『花束みたいな恋をした』(2021年・日本)957.(映画)角川春樹監督『天と地と』(1990年・日本)956.(映画)中江功監督『Dr.コトー診療所』(2022年・日本)955.(映画)瀬々敬久監督『ラーゲリより愛を込めて』(2022年・日本)954.(映画)波多野貴文監督『サイレント・トーキョー』(2020年・東映)953.(映画)山田洋次監督『シネマの神様』(2021年・日本)952.(映画)周防正行監督『舞妓はレディ』(2014年・東宝)948.(映画)スタンリー・クレイマー監督「招かれざる客」(1967年・アメリカ)947.(映画)三木孝浩監督『思い、思われ、ふり、ふられ』(2020年・東宝)943.(映画)ガース・ディヴィス監督『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』(2016年・オーストラリア・アメリカ・イギリス)942.(映画)アンソニー・ミンゲラ監督『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年・アメリカ)941.(映画)ジョン・カーニー監督『はじまりのうた』(2013年・アメリカ)940.(映画)ブルース・ベレスフォード監督『ドライビングMissデイジー』(1989年・アメリカ)938.(映画)マイク・ニコルズ『心の旅』(1991年・アメリカ)937.(映画)セバスチャン・グローバー監督『コッホ先生と僕らの革命』(2011年・ドイツ)936.(映画)高橋名月監督『左様なら今晩は』(2022年・日本)933.(映画) 大九明子監督『勝手にふるえてろ』(2017年・日本)932.(映画)濱口竜介監督『ドライブマイカー』(2021年・日本)931.(映画)是枝裕和監督『ベイビーブローカー』(2022年・韓国)930.(映画)濱口竜介監督『寝ても覚めても』(2018年・日本)929.(映画)瀬々敬久監督『護られなかった者たちへ』(2021年・日本)926.(映画)行定勲監督『今度は愛妻家』(2010年・東映)925.(TVドラマ)東野圭吾原作・荒井修子脚本・河原瑶演出『天使の耳――交通警察の夜――』(前・後編)(2023年・NHK923.(TVドラマ)相場英雄原作・若松節朗演出『ガラパゴス』(前・後編)(2023年・NHK919.(映画)大友啓史監督・古沢良太脚本『レジェンド&バタフライ』(2023年・東映)916.(映画)岸善幸監督『前科者』(2022年・日本)912.ハーバート・ロス監督『チップス先生さようなら』(1969年・アメリカ)910.(TVドラマ)浅田次郎原作・松原信吾監督『壬生義士伝〜新選組でいちばん強かった男〜』(2002年・テレビ東京)

<その他>970.織田正吉『百人一首の謎』講談社現代新書967.宮本徳三『力士漂泊』ちくま学芸文庫946.牛窪恵『恋愛結婚の終焉』光文社新書935.西部邁『学者 この喜劇的なるもの』草思社924.速水由紀子『マッチング・アプリ症候群――婚活沼に棲む人々――』朝日新書917.清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』新潮文庫909.竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』講談社学術文庫908.土屋泰樹・中井検裕・沼田麻美子「大規模工場跡地利用転換に関する研究――神奈川県に着目して――」(『都市計画論文集』Vol.54,No.3、2019年10月)

<最新紹介>

989.(映画)堀江貴大監督『先生、私の隣に座っていただけませんか?』(2021年・日本)

 不倫がテーマですが、ドロドロしておらず見終わった印象は、割とさわやかで後味が悪くないです。売れっ子マンガ家の黒木華と、そのアシスタント的役割を果たす柄本佑がマンガ家夫婦を演じていて、柄本佑は妻の担当編集者である奈緒と不倫関係にあります。それに気づいた黒木華の方は自分も自動車教習所の若い指導教員と仲良くなっていきます。そして、その状況をマンガにしていき、夫がその原稿を読めるようにしておきます。マンガを読んだ夫も柄本佑は、マンガに描かれていることはすべて事実だと思い、焦ります。マンガの世界のフィクションなのか、現実なのかに思い悩みながら最終盤を迎えます。そこで実は、、、という展開です。そこがなかなか面白いのですが、全部書いてしまうと、見る楽しみがなくなるので、書かずにおきます。いずれにしろ、不倫ものによくありがちなベッドシーンなどは一切なく、心理劇として完結させているところがいいです。悪くない作品だと思いました。(2024.4.27

988.黒岩重吾『紅蓮の女王 小説推古女帝』中公文庫

 小説の体裁を取っていますが、黒岩重吾の古代史に関する推論として読めます。「小説推古女帝」となっていますが、内容的には蘇我馬子が権力を握るプロセスが描かれています。歴史の教科書では、仏教の輸入をめぐって、物部守屋と蘇我馬子が争い、馬子が勝って権力を掌握したということは教えられますが、この小説ではもっともっと複雑で、また多くの王位継承可能性をもった王子たちが馬子の策略から殺されていることが勝たれます。推古の夫だった敏達大王が亡くなったあと、推古の同母兄の用明が次の王位につきますが1年半で亡くなり、次いで推古の異母兄の崇峻が王位につきますが、5年ほどで馬子に殺されています。崇峻の同母兄の穴穂部皇子も、敏達の第1皇子で有力の王位継承者だった押坂彦人大兄皇子も、この小説では馬子によって殺されています。明確な資料はないようですが、可能性としては十分ありそうです。

 推古は日本お初の女性天皇ですが、多くの男性王位継承者がいた中で、なぜ推古が天皇になれたのか、また敏達と推古の子である竹田皇子がなぜ天皇になれなかったのか、黒岩重吾はすべて馬子の権力獲得のたまの戦略と見ています。なかなか面白い解釈だと思います。この頃まだ天皇という言葉もないし、後の時代ほどの権威もない時代で、馬子は大王家にとって代わるくらいのことを考えていたというのもありそうです。近江からやってきたこの時代の大王家のルーツである継体が数十年しか経ってない時代ですから、有力豪族ならそういう発想を持っていたというのも十分ありうることだと思います。

 黒岩重吾の古代を舞台にした小説は他にもあるようですので、また読んでみたいと思います。(2024.4.25

987.植垣康博『兵士たちの連合赤軍』彩流社

 赤軍から連合赤軍に合流し、あさま山荘に籠る前に逮捕された幹部でなかった人間のそこに至るまでの記録です。読後感としては、最低だな、こいつらという感じです。この著者は静岡県出身で高校時代から独学でいろいろ勉強し始め、弘前大学に入学してから積極的に反政府、大学闘争に関わっていきます。最初は民青(共産党の青年組織)に入り、その後ノンポリ・ラディカルになり、さらに赤軍派に入り、そして連合赤軍へと所属組織が変化していきます。もともとは、反戦、反ベトナム戦争、沖縄の本土並み復帰など、まっとうな目的があったはずですが、どんどん目的達成にとうてい繋がらないような活動ばかりするようになります。銀行強盗、万引き、車の盗難、交番襲撃と、犯罪を繰り返します。革命のためと勝手に自分たちで言い聞かせていたようですが、まともな感覚を失っています。

 連合赤軍としての話は、後半3分の1くらいのところで書かれていますが、改めてこんなひどい実態だったんだと、吐き気がするほどでした。20数人の集団で12人を死に至らしめる「総括」という名の、ただのいじめのようなことに、メンバーが無批判的に従っていく恐ろしさを感じます。「総括」という名でなされていることは、くだらない個人的なことを槍玉にあげていきます。この本の著者は、自分は兵士で幹部の言うことに従わざるをえなかったというトーンで書かれていますが、自分の身を護るためでも、仲間の殺害に積極的に加担していたことは間違いありません。もう懲役を終えて、社会に戻って暮らしているわけですが、どういう気持ちで暮らしているのだろうと思います。

 何かを信じ過ぎて、反社会的な行動をしてしまう恐ろしさを、みんな知るべきです。社会主義革命のために、こんなことをやる人は今や普通の学生にはほぼいないでしょうが、信仰や別の何かを信じ込みすぎて信じられない行動をする人は今もいるでしょう。「目的のために手段を選ばず」なんてことは絶対にやってはいけません。(2024.4.17

986.(映画)白石和彌監督『彼女がその名を知らない鳥たち』(2017年・日本)

 暗い恋愛ミステリーものに分類されるのでしょうか。なんかAMZONプライムに暗めの映画ばかりお勧めされています(笑)まあそれでも、この映画は最後にちょっと意外な展開になることと、俳優たちの演技力が評価できる映画だと思います。好感度の高い俳優陣が共感できなさそうな役柄をしっかり演じています。主演は、蒼井優と阿部サダオで、2人は同棲していますが、非常に不潔な部屋で、蒼井優は阿部サダオを罵倒しながら家のことも何もせず、働いてもいません。阿部サダオがひたすら献身的に尽くしていますが、不潔な感じを強く出しています。蒼井優は昔付き合っていた竹野内豊を思い出したり、また新たに松坂桃李と不倫関係になってしまいます。竹野内豊も松坂桃李も自己中心的な2枚目でひどい男です。

 ストーリーは見始めとはまったく違う展開になっていってそこは結構おもしろいのですが、細かいこと言ったら、かなり無理な展開ではあります。まあでも俳優たちの演技力でそれなりに見られる映画になっている気がします。タイトルは原作小説のままのようですが、映画を見る限り、どういう狙いでつけられたタイトルかわかりませんでした。(2024.4.7

985.(映画)新海誠監督『すずめの戸締まり』(2022年・日本)

 最近はアニメ映画にはほとんど興味がないのですが、評判が高かったものはテレビで放映した時は、一応見ておこうと思い、昨晩放映していたこの作品を見てみました。一応最後までやめようとは思わず見ましたが、特段の感想は持たなかったです。結局、何が言いたい映画なのでしょうか?日本が災害の多い国だということはわかり切ったことですし、このアニメで描かれたような形で防ぐこともできないわけです。少女の恋心なのかなあ。でも、会ってほんのわずかな時間しか共にしてないのに、あんな命を捨ててもいいなんて恋に落ちるかなあ、とか疑問に思ってしまいます。母への重いとかもあるのでしょうか?猫やら、ミミズやら、なんかよくわかりません。まあ、こんな見方をしていたら、全然だめなんでしょうね(笑)でも以前は面白いアニメ映画もあるなと思って見たこともあるんですけどね。ストーリーが読めずに最後は「えっ、そうなるんだ!」なんて展開があると、それなりに楽しめるのですが。この監督の作品って、そういうストーリーで楽しませるものじゃないですよね。この映画は、最初の場面が最後にどういうことだったのか明かされますが、別にそれほど絶対的に重要な場面とも思えなかったので、「ふーん、そうなんだ」くらいで終わりでした。この監督の作品を好きな人も多いでしょうから、あくまでもアニメ映画を観る感性のない年寄の感想と思い、聞き流してください。(2024.4.6

984.(映画)石川慶監督『愚行録』(2017年・日本)

 全然知らない映画だったのですが、AMAZONプライムでお勧めされたので、社会派映画かなと思い見始めたのですが、まったく社会派映画ではなかったです。しいて言えば、人間ドラマということかもしれませんが、出てくる人物がみんな悪意ある人間で見終わった際に思ったのは、「疲れた。しんどい」ということでした。こういう悪意に満ちたような映画はあまり好きではないのですが、感想はちょっと書きたくなったので、書いておきます。

 愚行は誰がするのかなと思いながら見ていたのですが、登場人物すべてが愚行をしていると言ってよい映画です。原作が貫井徳郎のようですが、確かに彼のミステリーはしばしば読んでいて気持ちが重くなるようなものがありますが、これもそのひとつなのでしょう。楽しい気分にはまったくなれないのですが、どう展開していくのだろうと思わず先が気になります。この映画もまさにそのパターンでした。こんなに悪意を持つ人間ばかり描けるというのも不思議な気がするほどです。映画は終わり方もなんか途中で終わってしまった気がしますし、結局作者は、あるいは監督は、何を描きたかったのだろう、悪意しか伝わってこないのだけど、と思ってしまいました。

 あと気になったのが、この映画で出てくる2つの大学が明らかに東京の名門大学W大学とK大学と思えてしまうわけですが、その扱い方です。特にK大学の方は家柄とかがいい附属校からの内部進学者と外部の高校から来た入学者の間に、大きな格差があり、カースト的なものにまでなっていて、それが悪意のきっかけにもなっているという感じで描かれているのですが、これは大学として放置していいのかなと気になってしまいました。あくまでもフィクションの世界のことですが、架空の大学名も含めて、明らかにイメージがその2つの大学を想起させるようになっているので、大学としてクレームをつけてもおかしくないのではと思ってしまいました。(2024.4.5

983.(映画)中西健二監督・立川志の輔原作『大河への道』(2022年・松竹)

 伊能忠敬を主人公に大河ドラマ作りをしようという話で、公開の時からちょっと興味があったのですが、ようやく観ることができました。伊能忠敬の出身地・佐原を含む香取市の役人が、伊能忠敬を主人公にNHK大河ドラマにしたいと思い動き出すのですが、途中から現代劇ではなく、伊能忠敬の時代の時代劇になります。市役所の役人役をやっていた人たちが、時代劇の人物として登場する面白い設定です。企画から関わった中井貴一が主役を務めていますが、彼は誠実感があって好きな俳優です。この映画も彼が作った感じがよく出ていて、心地よいです。

 この映画でいくつか新たに知った事実がありました。まず、伊能忠敬と言えば佐原市と思っていたら、香取市になっていたことです。映画の中で、「香取市と言えば、伊能忠敬です」というセリフがあるのですが、「いやあ、佐原だろう」と思って見ていたのですが、後で調べてみたら、佐原市は平成の大合併でなくなっていたんですね。知りませんでした。あと、伊能図が完成した時に伊能忠敬がすでに亡くなっていたことも知りませんでした。この映画も時代劇の部分は伊能忠敬が亡くなってから、その死を隠しながら、いかにして地図を完成させるかという話が核になっています。中井貴一が時代劇の中で演じているのは高橋景保で、この映画では描かれませんが、彼は後にシーボルト事件(伊能図の海外持ち出し事件)に関わり、斬首になっています。

 軽く見始めましたが、なかなか学ぶところの多い映画でした。原作が立川志の輔の創作落語ということで、ちょっと聞いてみたくなりました。(2024.4.4

982.(映画)深川栄洋監督・古沢良太脚本『60歳のラブレター』(2009年・日本)

 超駄作です。見ながら、何度やめようと思ったことか。薄ぺっらい脚本とダサい演出。馬鹿馬鹿しい、くだらないと何度呟いたことか。本当は、ここに書く必要もない映画ですが、また間違って見て時間を無駄にしないために、あえて酷評を記録しておきます。

男性が60歳前後のカップル3組が出てきますが、3人の男性が友人だというわけでもなく、それぞれのカップルの物語が語られますが、そういう撮り方をすることで、どのカップルの物語も浅く、薄ぺっらく感じてしまいます。メインのカップルは、夫が定年を迎えるとともに離婚し、愛人と住み始める中村雅俊と原田美枝子の夫婦ですが、そのキャラクター設定があまりにパターン通りで深みがまったくありません。中村は、仕事はできるが家庭を顧みない男、原田は文句も言わずに家庭をきちんと守る女性です、夫の希望を入れたのか、映画冒頭で2人は別れます。これは、後でよりを戻すパターンなんじゃないかとその時点で疑ってましたが、やっぱりでした。それも30年前の新婚旅行でたまたま立ち寄った写真館の主人の孫がその時の写真と、その時点で30年後の夫に向けて書いた妻の手紙を届けてくれるなどという、ありえない設定をきっかけに、夫の気持ちが妻に向かい、恋人と北海道に行っている妻に会いに行き、よりを戻すわけです。行先が富良野のラベンダー畑というだけで会えるわけないだろう、しょうもない布に描いたラベンダーを見て感動するとかありえないし、そもそもあその用意をしておかなければ、あのタイミングで見られるはずないだろとか、妻と一緒に来た恋人のことはこんなに無下にしていいはずないだろう、とかツッコミどころ満載です。他の2組のカップルの話も浅すぎます。絶対見ない方がいい映画です。時間の無駄です。でも、ここまで言われると逆に見たくなってしまうかもしれませんね。でも、やめた方がいいですよ(笑)(2024.4.2

981.こすぎじゅんいち『魔女伝説 中島みゆき』集英社文庫

 昨日NHKで中島みゆきのミニ特集のような番組がやっていて、引き込まれてしまい、中島みゆきは本当にすごいなあと思い、どうやって中嶋みゆきが出来上がったのだろう、そう言えば、昔、中身みゆき論みたいな本を持っていたなと探し出したのが、この本です。半日で読んでしまいましたが、正直ってがっかりでした。わかったことは、祖父が岐阜県から帯広に来た人で帯広ではの有力者だったこと、父親が産婦人科医だったこと、子どもの頃ピアノをやっていて、高校時代からギターに変えたこと、その高校の文化祭で一人で歌ったのが、人前で初めて歌った機会だったこと、『時代』という歌が世界グランプリを受賞した頃に、父親が倒れ、そのまま帰らぬ人になってしまったこと。基本的にそのくらいでしょうか。インタビューも3回ほど行っていますが、中島みゆき流のトークの世界を聞かされるのがほとんどで、深い本質的なインタビューはできていません。結局、なぜあれだけの圧倒的な歌を作り出せるのかについては、著者の勝手な推測以外には何も語られておらず、まったく期待に応えてくれない本でした。

 しかし、この著者の能力が低いというよりも、自分自身の人生をまじめに滔々と語りそうもない中島みゆきを相手にしたら、結局みんなこんな風にしか書けないのでしょうね。『中島みゆきの社会学』という本もあるようですが、きっと歌詞の分析とその社会的影響力についての本なのではないかと思います。まあでも結局、素晴らしい詩人の作品は、素直にその言葉たちを受け止めるべきだということなのかもしれません。ひとつひとつの歌の背景とかを考えるには、あまりにも中島みゆきは多作すぎますし、歌作りのプロすぎます。素直に「いいなあ、中島みゆきは」と呟きながら聞いておくだけにします。

 ちなみに、この本は1982年に書かれたもので、もうそこから42年もの月日が経っています。その間にも、中島みゆきは名曲を世に送り出し続けてきたわけです。デビューから7年で「魔女」とまで言われた人が、その後42年も第一線で活躍を続けているのです。もうなんと表現したらいいのかわからないほどのすばらしい才能です。この世代は、井上陽水、松任谷由実、小田和正、さだまさしと、いまだに第一線で活躍している人たちがいて素晴らしいですが、個人的にはやはり中島みゆきに一番惹かれます。(2024.3.29

980.ロバート・ホワイティング『ジェシーとサリー ガイジン力士物語』筑摩書房

 1986年に刊行された本で昔読んだのだと思いますが、久しぶりに見つけたので読み直してみました。ジェシーとは外向人力士第1号の高見山のことで、サリーとは小錦のことです。若い人は知らないでしょうが、大相撲ファンに衝撃をもたらした2人の力士です。著者は、『菊とバット』という野球を題材とした日本文化論、あるいは日米比較論を著し、一気に著名となったスポーツ・ジャーナリストです。野球により精通しておいて、アメリカ発祥のベースボールが、日本で「野球」としてなぜこんなに人気になったのか、外国人選手はどう感じているのかなどを語っていたはずです。(大昔に読んだので、詳細は思い出せませんが。)日本研究の古典であるルース・ベネディクトの『菊と刀』をもじったタイトルですが、決して人目を引くだけのネーミングではなく、それなりにしっかりした日本文化論になっていました。

 さて、その著者が野球と逆に日本の伝統格闘技である相撲の世界に飛び込んだアメリカ人――2人ともハワイ出身です――が、相撲の世界でどのようなことを経験し、感じているかを、2人へのインタビューを中心に執筆した本です。読んでみると、外国人としての苦労より、相撲界そのものの悪しき伝統に腹が立ったという内容が多いです。しあkし、ジェシー(高見山)の方は、40歳まで相撲を取り続け、すっかり日本人に愛される存在になっていた時期なので、そうした悪しき古き伝統にも、かなり馴染んでしまっています。他方、サリー(小錦)はこの頃、一気に地位を上げてきた時期で、その巨大な体とパワーで怪物のような目で見られ、かつ日本生活もまだ長くないし、ジェシーのような人を楽しませたいという性格でもないので、やや不平が多いです。ただし、全面否定というよりは、要は強くなればいいのだろうという割り切りが見られます。

 むしろ、今の時点でこの本を読むと、外国人力士に限らず行われてきた相撲界の風習がいかに問題かということに嫌でも意識が行ってしまいます。親方が竹刀を持って叩くのは当たり前、先輩力士が後輩力士をこき使うのは当たり前、未成年のタバコや酒も当たり前、ということが綿々と語られます。今は多少は変わったはずですが、閉鎖された世界ですから、まだいろいろ古い習慣が残っているはずです。昨今、時々ニュースになってしまうような事態は、大なり小なり今でもあるのだろうなと思ってしまいます。

 昨日、宝塚歌劇団と親会社の阪急阪神ホールディングスのトップが、これまでの先輩が後輩をこき使ったり、無理強いをしたりする慣習を変えてこなかったことを全面的に謝罪していましたが 相撲界にもそんな日が来るのかなとも考えたくなる本でした。(2024.3.29

979.坂口弘『あさま山荘1972()()』彩流社

 連合赤軍のあさま山荘事件で、最後まで警察と銃撃戦を行った人物が、なぜこんなことになってしまったのかを獄中でまとめた本です。彼は日本赤軍が海外で事件を起こしその際に釈放を求められたのに対し自ら拒否して獄中に残った人物です。その意味では自らのなしたことに関する反省の気持ちはかなりある人間だと思いますが、やはり自己弁護としての意味もかなり持つ本です。例えば、逮捕後に発覚する凄惨なリンチ殺人事件に関しては、あさま山荘に籠る前に逮捕されその後獄中で自殺した森恒夫が元凶であるという主張になっており、著者にも十二分に責任があるはずなのに、自分は本当はやりたくなかった、といった書き方になっています。

 しかし、そういう自己弁護的な内容がありつつも、自分の生い立ちから始まってあさま山荘事件まで行き着いてしまった1人の人間の人生を知れるのは興味深いです。この事件のことはそれなりに知っているつもりでいましたが、この本を読んでそうだったのかと改めて知る事実もたくさんありました。例えば、坂口は永田洋子と2年ほど実質夫婦であったこと、連合赤軍を結成する以前にすでに元同志を2人も殺していること、などです。また、あさま山荘に籠城した際に、犯人たちや人質になった管理人夫人がどんな風に過ごしていたのか、母親たちの説得をどんな気持ちで聞いたのか、などはこの本を読まないとわからなかった部分です。

 本書は1993年に刊行されており、その段階でまだ未完結でした。編集部の注が最後にありますが、坂口の死刑が確定したために、続きの部分の原稿をこの時点では編集部が入手できなかったためだそうです。先ほど調べてみたら、『続・あさま山荘1972』という本が出ているようなので、それが続きだと思います。下巻は前半にあさま山荘での日々について描き、後半にリンチ殺人事件の詳細を描くという構成になっていて、2人目が亡くなったところで終わっています。12人が殺されていますので、あと10人がどのように死に至ったかが「続」では書かれているのでしょう。でも、もう「続」は読まなくていいかなと思っています。正直言って、凄惨すぎて読んでいて苦しくなります。2人が殺され、2人が屋外で縛られ放置されているというところで終わる下巻で、もう十分だという気がします。

 もともとは、日本を二度と戦争しない国にしないといけない、貧富のない国を作らなければいけないといった純粋な思いから、左翼運動に関わり始めたのに、いつのまにか目的のためには手段を選ばない、というより目的達成など実際はできないだろうという合理的な判断をせずに、ただただ日米政府と警察を敵と考え、それと戦うことを正義と信じ込んで活動していただけです。社会をより良くするためという目標を持つこと自体は否定されるものではないですが、現実的目標と合法的手段を持たないといけないと改めて思いました。(2024.3.27)

978.中嶋繁雄『閨閥の日本史』文春新書

 タイトルに騙された感じです。ずいぶん以前に買った本で、研究室を整理していて見つかったので読んでみましたが、たいしたことは書いていませんでした。「閨閥の日本史」というほど、閨閥について詳しく書かれてはいません。『歴史読本』の元編集長だった人らしく、歴史上の有名人の家系の婚姻関係について少しずつ軽く触れるという程度の本です。各セクションごとに、関係系図が出ており、それもそれほどのものでないのがほとんどですが、徳川家康の系図はちょっと興味深かったです。家康には、正式に妻となったのが築山殿と旭姫ですが、この本ではこの2人以外に14人の側室の名前が掲載されています。そして、成長した実子だけで11名、養女が14名います。養女14名は、まさに閨閥を通して有力武将を味方につけようという家康の戦略だったのがよくわかります。(2024.3.15

977.(映画)戸田彬弘監督『市子』(2023年・日本)

 昨年末に公開されたばかりの映画ですが、AMAZONプライムで見られるようになっていたので見てみました。これも社会派映画です。杉咲花が演じる主人公の市子は、恋人と同棲していましたが、ある日突然失踪してしまいます。どうやら箕面の山中で白骨遺体が発見されたこととの関連がありそうだということで警察が動き、恋人も彼なりに市子を探そうとし、その過程で市子の人生を知っていくことになります。まだ公開されて間もない映画なので、これから見る人もいるでしょうから、これ以上はあまり書かない方がいいでしょうね。この映画の見どころは、市子という女性がどんな人生を送ってきたかがだんだんわかっていくところなので、それを書いてしまうと、見る楽しみがなくなってしまいますので。

 ストーリーとの関係はよくわからないのですが、妙に気になったのが市子と母親が鼻歌として「にじ」という曲を歌っている場面です。なんか聞いたことがあるなあと思ったら、つい先頃アメリカにいる孫たちがこの歌を楽しそうに歌っている動画を見たばかりだったのです。ただの偶然ですが、最近1週間でまったく違う状況で、この同じ曲を聞き、なんか強く印象付けられてしまいました。(2024.3.13

976.(映画)平野啓一郎原作・石川慶監督『ある男』(2022年・日本)

 2022年の日本アカデミー賞を多数受賞した作品ですが、そのことを忘れていて見たのですが、やはりそれなりに見応えがありました。宮崎にふらっとやってきて林業をしていた男性が作業中に亡くなってしまうのですが、亡くなった後に、名乗っていた名前の人物ではなかったことがわかり、一体彼は誰だったのだろうという謎解きが始まります。その謎解きの過程で様々な事実がわかり、本当の名前を捨てたくなった理由もわかってきます。結構面白い作品でこれから観る人もいるかと思いますので、ネタバレにならないように詳しくは書きませんが、ほぼストーリーの結末までわかったと思った後のラストシーンはなかなか予想外な余韻を残す終わり方で面白いなと思いました。(2024.3.12

975.(映画)熊澤尚人監督『隣人X 疑惑の彼女』(2023年・日本)

 AMAZONプライムでお勧めされたので、なんとなく見てみました。出だしは、異星人が地球人の姿をして暮らしており、それを日本人は受け止められるのか、誰が異星人かを見つけ出せという入りだったので、苦手な奇天烈なSFものかあと思い、最後まで見られるかなと思いましたが、全然SFもの的な作り方ではなかったです。テーマは異星人だろうと外国人だろうと、なぜそういう出自のような要素で差別されたりしないといけないのかということでした。

 最後まで見ることはできましたが、いろいろ気になることはありました。最初に、異星人探しをする雑誌編集部で、これが異星人かもしれない候補だと個人情報を提示し、契約記者の1人がそのうちの2人の女性の担当になり、その後のストーリーが進んで行くのですが、なんで最初にこの女性たちが異星人候補とされたのかがまったくわかりませんでした。そして、契約記者はそのうちの1人の女性と交際を開始するのですが、どうしてこんな感じで簡単に付き合いが始まるかも納得がいかない感じでした。最後に、この契約記者と女性の関係が戻りそうな終わり方になるのですが、あれほどひどい記事を書き、迷惑をかけた記者とよりを戻せるとは思い難いのですが、、、見られない映画ではないですが、いろいろ不自然なところが多く、それほど評価はできませんでした。(2024.3.10

974.(映画)廣木隆一監督『あちらにいる鬼』(2022年・日本)

 瀬戸内晴美(寂聴)と井上光晴の不倫(恋愛)を、井上光晴の娘である井上荒野が描いた原作に興味を持っていたのですが、映画化されたものが見られるようになっていたので見てみました。私の関心は、作品としての映画の出来よりも、歴史的事実の方にあったのですが、俳優たちについてもそれぞれ思うことがあったので、まずそれから書きたいと思います。

 まず、主役の瀬戸内晴美を演じた寺島しのぶの役者魂に驚きました。全裸でのベッドシーン程度は彼女なら当然やるだろうと思っていましたが、リアルな剃髪までする場面は、さすがに驚きました。髪は命と思うような女性が多い中で、ストーリー上必要だったとは思いますが、まさか本当に剃髪してしまうとは、、、すごい俳優さんです。

 次に、井上光晴の不倫を静かに受け止める妻を広末涼子が演じているのがなんだか皮肉な感じがして、逆に興味をもってしまいました。この映画の公開は202211月なので、彼女の不倫問題が大々的に報じられる前だと思いますが、公開されて間もなく、彼女自身が不倫問題で話題をさらってしまうわけですから、その情報を知った上で、この不倫に怒りを見せない広末涼子の演技を見ると、妙に気になってしまいました。

 井上光晴役は豊川悦司が演じていて、確かに豊川悦司ならモテるだろうけれども、実際の井上光晴の写真を見ると、決して豊川悦司のような男性には見えないので、なんで井上光晴はあんなにモテたのかはよくわからないままでした。

あと、ちょっと違和感があったのは、実年齢は瀬戸内美晴が一番年上で、その4歳下が井上光晴、その2歳下がその妻のようですが、これがこの俳優3人だと無理がある感じでした。現実には、豊川悦司が現在61歳、寺島しのぶが51歳、広末涼子が43歳なので、やはりそういう年齢に見えてしまいます。特に、豊川悦司と広末涼子が2歳違いの夫婦にはとても見えませんでした。

 さて、最初から気になっていた瀬戸内美晴と井上光晴の恋愛ですが、どこに惹かれあったのか、さっぱりわかりませんでした。ただ、事実としてわかったのは、2人が出会ったのは瀬戸内が44歳、井上が40歳という中年の恋だったということです。その後7年ほど継続しますが、その間にも井上は他の女性ともいろいろ関係を持っていたようです。あと、そうだったのかと知ったのは、井上の作品のいくつかは妻がゴーストライターだったということです。公式には認められていないのかもしれませんが、原作者である娘の井上荒野はそう確信しているようですので、たぶん間違いないのでしょう。

 井上光晴の小説は読んだことがなかったのでどういう作家かもよくわかっていなかったのですが、映画を観ながら、いろいろ井上光晴についても調べたので、少し興味が湧いてきました。たぶん読まなさそうな気はしますが、こういう作家だったのかなというイメージだけは得られましたので、とりあえずそれでよしとしたいと思います。(2024.3.7

973.(TVドラマ)ひかわかよ脚本・狩山俊輔演出『テレビ報道記者』(2024年・日本テレビ)

 昨日放送していたドラマですが、よい出来のドラマだったので紹介しておきます。日本テレビ報道部を舞台に世代の異なる4人の女性記者にスポットライトを当て、時代の変化、マスコミ報道の在り方、女性記者の立場といったことを、説教くさくなく考えさせる硬質のドラマでした。そのままモデルになる人がいるのかどうかわかりませんが、たぶんこういうことはあったのだろうなと思わせる十分なリアリティのあるドラマでした。

1人目は雇用機会均等法の施行以前に社会部記者をめざして入社した女性を仲間由紀恵が演じ、オウム真理教麻原彰晃逮捕の場面にも立ち合い、エース記者となっていくものの、プロポーズしてきた恋人は仲間由紀恵演じる記者が仕事を続けるという想定はまったくしておらず、仕事をしたい仲間由紀恵はそのプロポーズを断ることになります。その後もキャリアを積み、警視庁キャップの有力候補とみなされていたのに、後輩男性を支えるサブキャップになれと言われ、会社をやめます。

 2人目は木村佳乃、3人目は江口のりこ、4人目は芳根京子が演じます。この3人は2024年現在も社会部の記者として一緒に働いているという設定です。木村佳乃は仲間由紀恵が辞める少し前の1990年代半ばに入社していますが、接点は少ないです。女性初の警視庁キャップになり、現在は社会部長になっています。結婚はしていなさそうで、親の介護を抱えるものの、妹に押し付けて仕事一途という人物として描かれます。女性が出世できるようになってはきたものの、そのためには結婚はあきらめていたという位置付けになるようです。

 3人目の江口のりこは、1981年生まれという設定だったので、入社が2004年あたりになるでしょうか。社会部の同僚の結婚式に出席している最中の200868日に秋葉原無差別殺傷事件が起き、披露宴会場から抜け出して取材に向かいます。きっとこれは現実にあったことなのでしょう。その後、強盗殺人事件の時効廃止に一役買うという活躍を見せます。2020年からの新型コロナの流行で保育園が休みになり、仕事に行けなくなります。夫は同僚のカメラマンですが、なんとなく子どものことは女性がやるべきなんだろうと当たり前に二人とも思っていましたが、若手記者の芳根京子から指摘を受けて、夫は初めて育児休暇を取ることにします。ここには、仕事と家庭を両立させようという現在のアラフォー世代の女性の立場がうまく描かれています。2004年現在は、警視庁キャップになっていますが、芳根京子からは「先輩が時短勤務なのに働きすぎているのは、『ズル働き』です。先輩たちがそんな働き方をしていると、私たちもそうしないといけなくなるじゃないですか!」と責められている。仕事と家庭の両立はめざせるようになったものの、そのためには多少の無理は仕方がないとおもっている世代だという位置付けなのでしょう。

 4人目の芳根京子は2019年入社のZ世代の女性記者という設定です。新人の時は、電話のかけ方、インタビューの取り方もわからず足を引っ張ってばかりと落ち込みます。2020年には新型コロナの流行で仕事がめちゃくちゃになり、ストレスを抱え、それを同居している彼氏に愚痴り続け、彼氏が出て行ってしまうという経験をします。愚痴りながら手探りで仕事を続ける中で少しずつ自分なりのやり方を見つけていきます。東日本大震災の際のニュース映像を見ながら、新型コロナでも感染者や死者がただの数字になってしまっていることに疑問を感じ、ちゃんと生の声を集めようとしたあたりから、仕事に対するやりがいを感じるようになっているという設定です。ただし、上の江口のりこへの文句に表れているように、決して仕事中心人間にはなりたくないという立場だということが示されます。

 現実にあったエピソードを基にしているのだと思いますが、脚本がよくできています。また過去のリアルな映像をそのまま利用している演出もいいですし、演者たちも見事に演じています。来週火曜日まで、TVerで見られるようですので、よかったらご覧ください。(2024.3.6

972.関裕二『継体天皇の謎』PHP文庫

 第26代の継体天皇は、現在の天皇家に確実につながる王朝の初代とみなされることが多い天皇です。越前、ないしは近江から大和入りを目指すも抵抗に合い、20年かかってようやく大和に入れたと言われています。しかし、その御陵は高槻にある今城塚古墳とほぼ確定している――宮内庁では、茨木にある太田茶臼山古墳としている――ので、本当に大和に入り支配下に置けたわけではないのではないかとも考えられます。

 その継体天皇がどういう人物で、どうやって大和へ入れたのかを語ってくれるようなタイトルの本で、そういう期待をして読み始めましたが、古代史全体にわたる話が書かれており、むしろ継体天皇については情報量は少なかったです。

 この著者のオリジナルな主張は、初代天皇の神武、第10代の崇神、第15代の応神は同一人物であり、本来応神の事績だったことを、歴史を長く見せるために3人に分けて『日本書紀』等は書いているという部分です。でも、これはちょっと納得しにくいです。そもそも応神は、神功皇后の息子で、日本武尊の孫になります。どう考えても伝説上の人物としか思えない人物の事績を、この著者はかなり真実が含まれているとして解釈していきます。他にも300歳以上だったとされる武内宿祢も実在人物のように語りますし、邪馬台国の卑弥呼を神功皇后が殺して、自分が跡を継いだとかはとうてい納得できません。

 部分的には、なるほどと思えるところもありますが、私はもう少しシンプルに推測したいと思います。私の古代史に関する推理は、「私説・日本統一国家の誕生(2010.7.24公開) 日本統一国家の誕生の謎に迫る」で述べていますので、興味のある方は、そちらをご覧ください。(2024.3.6

971.もりたなるお『力人 雷電為右衛門』新潮社

 小説の体裁を取っていますが、かなり史実に即して雷電の生涯を紹介しています。いくつか新しく知ったことがありました。雷電は初土俵から関脇付出しだったこと。横綱・谷風が雷電との取り組みを怖れて、自分の弟子として自分と同じ西方に入れ対戦しなくて済むようにしたこと。横綱になれなかったのは雷電が松江藩の力士として抱えられ、その松江藩主の松平治郷が雷電が横綱になることを望まなかったこと。相撲会所も張り手や突きで相手力士を怪我させることの多かった雷電の荒々しい相撲を、横綱に見合うと考えなかったこと。雷電自身は、その荒々しいと言われる自分の相撲を変えようと努力していたこと。熊本藩のお抱えになった吉田司家が相撲の権威とされているが、もともとは京都五条家に仕える立場のもので、熊本に行ってからは、大大名細川家のおかげで、五条家よりも立場を強くすることができたこと。特に横綱という称号を与えることをめぐって吉田司家が勝利しえたことが大きかったこと、などです。

 まあいくつかは著者の推測もあるかもしれませんが、江戸後期の相撲をめぐる状況がいろいろわかり、まあまあ面白かったです。(2024.3.1

970.織田正吉『百人一首の謎』講談社現代新書

 最近平安時代に興味が高まっているので、その時代の和歌がたくさん入っている百人一首を改めて知りたいと考えはじめ、この本を読んでみました。藤原定家は百人をどう選んだのか、そこにはどんな意味があるのかは誰もが考えたくなる問題ですが、この本の著者の分析はかなりユニークです。百人一首に同じ言葉が多いところから、これらの言葉がジグソーパズルのようにつながっているのだと推測します。そして、そうした暗号のような百句を選んだのは、承久の変で隠岐に流された敬愛する後鳥羽上皇への鎮魂の意味と、密かに抱いていた式子内親王への思いを、一般にはわからないようにしながら表現することにあったという結論です。式子内親王と定家の関係は私はよく知らないのですが、後鳥羽上皇との深いつながりは有名ですし、最後の99首目が後鳥羽上皇、100首目が後鳥羽上皇とともに承久の変で佐渡に流された順徳上皇なのは、この2人への特別な思いは確実にあるだろうということは納得できます。(2024.2.24

969.朝日新聞西部本社編『古代史を行く』葦書房

 九州に視点を置いて古代史に関する様々な説を紹介しています。学術書ではなく、新聞連載を本にしたものなので、かなり思い切った説も紹介していてそこが面白いです。そうは言っても、それなりに根拠はあるので、納得できるところは多いです。九州は古代史において非常に重要な役割を果たしています。現在の天皇家にもつながる大和朝廷の成立は、朝鮮半島から北九州に入った勢力が深く関係していることは間違いありません。日本と朝鮮半島、さらには北方の騎馬民族との関わりを考える上で、九州にどのような遺跡と歴史が残っているかを知ることは不可欠です。

 この本は4部に分かれており、第1部は磐井の乱について、第2部は朝鮮半島、対馬、壱岐、沖ノ島、那の津(博多)を結ぶ古代からの海の道について、第3部は南九州の熊襲と隼人について、そして第4部は宇佐八幡について書かれています。いずれも教科書や日本の通史ではそこまで深く語られないところなので、そこをいろいろ語ってくれるところにこの本の魅力があります。天皇家を中心とした畿内の勢力が日本を治めるためには、この本で取りあげられた勢力との戦いや協力が必要だったということを改めて感じます。

 一番読みたかったのは、磐井の乱についてですが、やはりこれは反乱というよりは、北部九州に大きな勢力を持っていた筑紫君磐井と、越前から進出して大和の旧勢力と結んで新王朝を立てようとしていた継体天皇との継承の正統性をめぐっての戦争だったと思います。九州の古代史は面白いです。(2024.2.22

968.牛島秀彦『昭和天皇と日本人』河出文庫

 単行本として1976年に出され、1989年に削除・加筆修正された文庫本が出ています。私が読んだのは、文庫本なので、1976年版とはタイトルも違うかもしれないと思い調べましたが、タイトルは変わっていないようです。タイトルにこだわるのは、1976年はまだ昭和天皇が在位中で、一般的には在位中の天皇のことは今上天皇と言うことになっているのに、「昭和天皇」とタイトルにつけて本を出版できたこと自体に意味があると思ったからです。今、本を探すと「平成の天皇」というタイトルの本はありますが、「の」が入らないタイトルの本は出てきません。この時代でも目くじらを立てた人はきっとたくsなnいたでしょうが、一応発表できたというところに、現在との違いを感じます。

 さて内容ですが、戦後に人間宣言をして、象徴天皇となった昭和天皇を日本人はどう考えてきたのか、また昭和天皇自身はどういう意識だったかということを、様々な視点から取り上げたものです。結論を言ってしまえば、実は戦前の大日本帝国憲法時代と、国民の意識も昭和天皇自身の意識もほとんど変わっていないということです。著者は、自分自身が戦時中に少国民として天皇のために命も投げだすのだという教育を受け、かつ若き従兄や叔父が戦死したという経験を持っているために、昭和天皇に戦争責任がないかのように国民が考え、本人もある時期からそう思って行動しているのではないかという振る舞いをすることに納得が行っていません。特に、日本国民の大部分が「天皇教」とでも呼べるような「宗教」を信仰しているのではないかと疑問を提示します。

 文庫本の最終章は、昭和天皇が亡くなった後に書かれたもので、昭和天皇の病状が悪化した時に、異様な自粛ムードから、回復祈願の署名のために皇居に出向く人々、昭和天皇の葬儀、次代天皇への継承がすべて古式に則って行われたことなど、戦前とまったく変わらない状況だと指摘し、「象徴天皇制」とは何なのかと問います。最近、こういう問いすら聞かれなくなってしまいましたが、本当は日本人はちゃんと考えないといけないのではないかと、私も思います。(2024.2.21

967.宮本徳三『力士漂泊』ちくま学芸文庫

 面白い本です。文化人類学的要素と相撲の歴史と自分自身の体験とを織り交ぜて自由奔放に相撲について語った本です。資料に拘り過ぎずに軽やかな文章で知識をさらりと語るのですが、自ずとこの著者の様々な事柄に関する造詣の深さが自然と伝わってきます。読売文学賞を受賞したそうですが、賞を与えた審査員たちも、たぶん私と同じような読み方をしたがゆえに、この重厚さのない本に賞を与えようと思ったのでしょう。私もこういうトーンで文章を書いてみたいなと思いました。

さて内容ですが、相撲のルーツをアジアの草原地帯に求め、そこから騎馬系民族、朝鮮半島、そして日本へと伝わったと指摘します。これは一般的にも言われていることだと思いますが、中国ではなぜ相撲的なものが広まらなかったかなども考察しています。日本に伝承されてきてからの相撲には、様々な宗教的・儀式的意味合いが取り込まれていきますが、それ以上に見世物的要素も非常に重要なものであったと看破し、江戸時代以降の相撲では、強くなかったが人気のあった大型力士たちについて詳しく紹介しています。

また江戸時代に相撲がなぜ回向院で行われて来たのかについての説明は、なるほどそうだったのかとおおいに納得させられました。童相撲、女相撲についての叙述も非常に興味深いものです。大名のお抱え力士となっていた江戸時代医の相撲から、近代相撲に変わっていく中で高砂部屋に次々に現れる異人力士たちの紹介の仕方も面白かったです。

この本の解説で山口昌男という著名文化人類学者が、相撲について書かれた本の中で、この本は1,2を争うほど面白いと激賞していますが、私もそう思いました。(2024.2.20

966.大山眞人『昭和大相撲騒動記 天竜・出羽ヶ嶽・双葉山の昭和7年』平凡社新書

 昭和71932)年1月に、幕内・十両の力士の約半数が力士の待遇改善をはじめとする大日本相撲協会の改革を求めて、大井町の中華料理店「春秋園」に立て籠もるという、後に「春秋園事件」と呼ばれる相撲界にとっての大事件が起きます。立て籠もったのは出羽ノ海部屋の関取だけでしたが、当時の出羽ノ海部屋は関取の半数近くを抱える巨大部屋でしたので、その力士たちがストライキを起こすと本場所が成り立たなくなります。中心人物は、関脇の天龍で、彼らの主張はある意味非常にまっとうなものでした。しかし、協会はその要求を入れようとはしなかったために、立て籠もった力士たちは髷を切り、協会に脱退届を提出し、新たな組織「大日本新興力士団」を設立し、自分たちで興行を打つようになります。

 最初はうまく行くかに見えた新組織による興行でしたが、協会側の働きかけでこっそり抜けて協会へ戻る力士も出てきて、徐々に人気もなくなり、かつ日本全体が戦争へと一致協力して向かうべきだという時代になる中で、結局昭和121937)年1月に解散をします。リーダーの天龍は筋を通して大相撲界には戻らず、戦時中は満州国で官吏となり、戦後は日本に戻って実業界でそれなりに成功するという軌跡を歩んだそうです。この本を読むと、天龍は頭もよかったようですし、体格もよく相撲も強かったようなので、こんな事件さえ起こさなければ、大関、横綱になりえた力士だったのではないかと思います。

 副題の出羽ヶ嶽と双葉山も、この「春秋園事件」と関わりがあります。出羽ヶ嶽は当時としては非常に珍しい2mを超す巨漢力士で「文ちゃん」と呼ばれる人気力でした。天龍たちとともに「春秋園」に立て籠もりますが、髷を落とすのを嫌がり、1人だけ髷をつけたまま新組織の興行にも参加しましたが、当然のように早々と抜けてしまいます。協会に戻ってからの成績は芳しいものではなく、最終的には三段目まで落ちてしまいます。本名は斎藤文次郎と言い、歌人・斎藤茂吉の義兄弟――ともに齋藤紀一という人物に見込まれて、斎藤一族に入れられる――になります。この本でも、斎藤茂吉の出羽ヶ嶽に関する感想がいろいろ紹介されています。

 双葉山は相撲ファンなら誰も知る69連勝という今だに破られていない大記録を持つ伝説の大横綱ですが、彼が入幕できたのは、この「春秋園事件」で幕内力士がごっそりといなくなってしまった穴埋めでした。当時は100sに届かない体重で「うっちゃりの双葉」と言われるくらい相手力士にすぐに土俵際まで持っていかれてしまう力士でしたが、体ができてくると一気に強くなり、昭和111936)年1月場所7日目から昭和141939)年1月場所3日目まで約3年間負けずに69連勝をしたのです。日本が中国での戦線を拡大していく時期で、負けない双葉山は当時の日本国民を熱狂させたようです。彼の引退が昭和201945)年1125日という終戦の年というのも、象徴的な意味を持って捉えられたことでしょう。(ちなみに、「ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄」の引退は、197410月で、高度経済成長が終わったことが明確になった年でした。何か大スターには、そういう運命のようなものがあるのかもしれません。)双葉山は時津風親方となって相撲協会の理事長になり、様々な改革を進めたことも、この本で触れられますが、それは「春秋園事件」で天龍たちがめざしたものだったと、この著者は示唆しています。「春秋園事件」を知る双葉山だからこそ、改革を進めようとしたとも言えるのかもしれません。

 もうひとつ余談ですが、「春秋園事件」で天龍とともに中心になっていたのが大関だった大ノ里でした。今、相撲界には彼以来の「おおのさと(大の里)」を名乗る有望力士が出てきています。彼が大関になる日が来たら、きっとこの昭和初期の大関・大ノ里にもスポットライトが当たるでしょう。ちなみに、彼はこの新興相撲団体が満州で巡業している間に病を得て、結局そのまま日本に戻れず、満州で客死しています。死ぬ間際に、大日本相撲協会に戻った力士たちを暖かく受け入れてくれるように出羽ノ海部屋に手紙を書いていたそうです。立派な力士だったようです。(2024.2.16

965.土田直鎮『日本の歴史5 王朝の貴族』中公文庫

 藤原道長の活躍を知るために呼んでみました。道長という人物は天皇を軽視してでも強権を振るう人物だと思っていましたが、この本を読むとそうでもなかったようです。もちろん、自分の立場を強くするように動いてはいますが、意外に強権的ではなかったようです。道長は様々な幸運に恵まれていた強運の人物と表現した方がよさそうです。自分よりも先に出生していた兄2人が早くに亡くなり、藤原氏筆頭の立場がころがりこんできたこと、そして娘がたくさん生まれ、その娘たちが次々に天皇の后となり子をなしえたこと、これらが彼に栄華をもたらしたわけです。この頼通は関白になりますが、道長のように娘が天皇の子を産むことがなかったため、t殻を失っていき、頼通のあと摂関政治は終わりを告げ、院政時代にはいることになります。

 あと、この時代は女性の活躍が目立ちます。天皇の子を産むかどうかという点も大きいですが、様々な女流作家が出てきた時代であるということも忘れてはならないでしょう。遣唐使をやめ、国風文化が育っていく中で、かな文字文学が生まれやすくなったようだ。女性だけではないですが、この時期の著名人で日記を残した人が多いのも、この時代を知る上で大きな手掛かりとなるようです。(2024.2.14

964.手塚治虫『アドルフに告ぐ』(全4巻)文芸春秋

 捨てる前にもう一度読んでおこうということで、この本も30数年ぶりに読み直してみました。おおよその内容は記憶していたのですが、改めて手塚治虫という作家はすごいなあと思いました。手塚治虫作品ですから、もちろんマンガですが、普通に活字の小説として比べてもハイレベルな物語と言えるでしょう。1930年代から1980年代まで描かれる大河マンガ(?です。

アドルフ・ヒットラーにユダヤ人の血が混じっていたのではないかという説を核にして、それを証明する文書がドイツから日本に渡り、それをめぐって様々な事件が生じます。主要人物は、峠草太という新聞記者と、神戸に生まれ育ったドイツ人と日本人のハーフのアドルフ・カウフマンと、その幼馴染でユダヤ人のアドルフ・カミルの3人です。もともと仲のよかったカウフマンとカミルですが、カウフマンは父親の命令でドイツのヒットラー・ユーゲントに入学し、ユダヤ人撲滅の思想に染まっていきます。戦争末期にヒットラーの出生に関わる問題の文書を入手するように密命を受けて日本に送られたカウフマンは、カミルと再会をし喜びますが、カミルがその文書のありかを知っていること、また自分が好きになり日本に逃がしたユダヤ人女性と恋仲になっていたことから関係は切れます。ようやくカウフマンが秘密の文書を手に入れた時には、すでにヒットラーは死んでいました。その後、イスラエル建国後は、カミルは対パレスチナの軍人となり、他方カウフマンはパレスチナ解放戦線の同志となって、再び相まみえ、ついにカミルはカウフマンは殺します。何が正義なのかを、正義の下に如何に残虐なことが行われてしまうのかを問う反戦マンガともいえると思います。

物語の筋はこういう感じですが、非常に多数の人物が出てきて、そのわき役たちの様々な心理もしっかり描かれていて、さすがだなと思います。たくさんの名作を残した手塚治虫ですが、60歳の死去は早すぎました。もっと生きていれば、さらに素晴らしい作品を残しただろうと思います。(2024.2.10

963.池波正太郎『真田太平記』(全12巻)新潮文庫

962.山岡荘八『伊達政宗』(全8巻)講談社文庫

961.吉川英治『私本・太平記』(全8巻)講談社文庫

 これらの長編歴史小説はいつ読んだのかもう思い出せないのですが、研究室を整理していたら出てきたので、そうかあ、こういう本も読んだんだなあ、でも、すっかり忘れていたと思ったので、とりあえず読んだことがあるという記録のために、ここにも掲示しておくことにしました。まあ、この「本を読もう」のコーナーを作ったのは、2000年ですから、私はその時はもう45歳でした。それ以前にもたくさん本は読んでいたので、紹介していない本も山のようにあります。とうていここで紹介しきれませんが、まあこの本は記録しておこうと思ったら、載せていきます。

 あと2年で研究室がなくなるので、本を整理しないといけません。もしも本好きの人がいたら、どんどんあげますので、気になる本があったらご連絡ください。(2024.2.5

960.北山茂夫『日本の歴史4 平安京』中公文庫

 最近のマイブームである平安時代の前期について書かれた本です。桓武天皇から村上天皇までの時代です。平安時代は知らないことが多いなと気づかされ、非常に面白かったです。794年から967年までの170年以上ですから、この期間だけでもいろいろ変化があります。蝦夷の反乱があり、最澄・空海が登場し、菅原道真が現れ左遷され、平将門と藤原純友の乱が起こり、徐々に藤原北家が摂関家としての立場を確立していくという時代です。それぞれ教科書で知っていた事実ですが、改めて1冊の本として読むと、そうかあ、こういう背景があったのかと新知識が得られました。次は、平安後期を読んでみます。(2024.1.29

【追記(2024.2.14):この本は、528で一度紹介していました。】

959.(映画)土井裕泰監督『花束みたいな恋をした』(2021年・日本)

 坂本裕二脚本だし、評判もよかったみたいなので、公開していた頃から見てみたいなと思っていたのですが、AMAZONプライムで見れるようになっていたので見てみました。まさかこんな駄作とは想像もしていませんでした。坂本裕二ももう駄目ですね。得意のセリフに輝くものがひとつもなく、テーマもただの出会って恋してずれて別れてというだけの話です。そもそも出会い方がおかしいです。そんなにすべての趣味が一致するようなカップルはいるわけがないし、そこまで一致していたなら、就職したというだけで、そこまでまた価値観が変わるか、とツッコミを入れたくなります。

 有村架純と菅田将暉という今を時めく若手俳優の恋愛映画ですが、2人ともまったく魅力的ではありません。映画公開と同じ年に放送されていたTVドラマ「コントが始まる」の2人の方がずっと魅力的でした。脚本が駄目だとどうしようもないですね。「花束みたいな恋をした」というタイトルもしっくり来ません。どのあたりが「花束みたいな恋」だったのでしょうか?(2023.1.6)

958.辺見じゅん『完本 男たちの大和()()』ちくま文庫

 ようやく本の感想です。この本はノンフィクションの力作です。戦艦大和の計画から沈没、そして生き残った兵士たちのその後を描き切った大作です。1人の有名な人物に焦点を当てるのではなく、非常に多くの無名の兵士たちの生き様と大和への思いが語られます。あまりにもたくさんの人物が何回も登場したりするので、整理表でも作りながらでないと完全な理解は難しいです。しかし、さすがにそこまでの時間はないので、そのまま読み進めましたが、それでも十分面白かったです。上巻は、設計段階の話からいくつかの海戦に出向くものの本格的に戦わないまま時が流れ、追い込まれた大本営が大和を筆頭に海上特攻の実施を決め、出航するところまでです。下巻の前半は、大和が攻撃され沈没するまでの艦内の様々な人間模様が描かれ、その後生き残った兵士たちは、どのようにして海中から救われたか、救われて日本に戻ってからどのような扱いを受けたかが紹介され、最後は戦後それぞれどう生きたかが描かれます。ばらばらの個人の人生ですが、そこには沈没した大和に乗船していたという、各自の心に深く刻まれる共通項があり、それがこの本にひとつの統一した視点を与えています。

 この作家の『収容所からの手紙』を基にした映画『ラーゲより愛を込めて』にも共通する、戦争とは多数の無名の兵士たちが生き、そして死んでいっているのだということを訴えてきます。いや「無名の」というのは正しくないです。みんなちゃんと名前があります。ただ単に一般に広く知られていないだけで、無名ではないです。それぞれ家族がいて、その生還を待ちわび、その死に涙する、そういう物語が、何万も何十万もあるのだということを、この作家は示したかったのでしょう。(2023.1.5)

957.(映画)角川春樹監督『天と地と』(1990年・日本)

 上杉謙信が主人公で川中島の戦いを描いている映画ですが、ストーリーはまったく面白くありません。なのに、ここで紹介するのは、この映画がものすごいセットと圧倒的な数のエキストラを使っている映画で、それを語りたかったからです。製作費50億円と言われていますが、本当にそのくらいかかったのかもしれないなと十分思わせます。一番の驚きは、謙信の居城・春日山城として出てくるお城が竹田城だということです。もう20年ほど前から「天空の城」として大人気の石垣だけが残る城跡ですが、なんとこの映画ではその石垣の上に木造の城郭を造っているのです。3億円かかったそうです。ネットで調べると制作途中の写真も出てきます。こんなことができたんだと驚きました。今では絶対できないでしょう。

次に合戦シーンです。まだCGが使われていなかった時代に、これだけのエキストラと馬を集め、鎧を着せ、槍や刀を持たせるって、もうそれだけで一体どれくらい費用がかかったのだろうと驚くのですが、さらに驚くのはこの合戦シーンはカナダで撮られたそうです。「えーー、これだけの人数と装備をカナダまで運んだのか!」ともう驚嘆の域を取り越して信じられないという感じです。昔のハリウッド映画もべらぼうなお金をかけた大作がありましたが、この作品もなかなかのものです。バブルの時代だったのでしょうが、それにしてもすごいと思います。ストーリーも役者も全然魅力的ではありませんが、セットとエキストラの数と装備はぜひ見てほしいです(笑)

今はなんでもCGで作ってしまうのでしょうが、私はこのアナログの映画製作時代が好きですね。ゴジラなんかも最近のCGだらけの作品より、初期の円谷プロダクションのお家芸の特撮作品がいいです。よくこんなもの作ったなあ、こんな工夫をしているのかと知ると感動します。(2024.1.5)

956.(映画)中江功監督『Dr.コトー診療所』(2022年・日本)

 体調不良で外に出かけられないので映画三昧の正月です。昔、TVドラマを見ていたので、劇場版もなつかしく見ました。映画を観ているというよりは、TVドラマのスペシャル版を見ている気分でしたが。ネットの感想を読むと、いろいろ批判している人もいるようですが、個人的には医療マンガやドラマは、医師がスーパードクターになるのは約束事みたいなものだし、多少ミラクルな展開でもいいと思うので、そこは気になりません。というかTVドラマの時もそうだったので、このドラマはこういう展開と理解できていたから違和感がなかったのかもしれません。むしろ、最後の1年後くらいのシーンを現実と見るか、こうあってほしかったと見るかという謎を残したところは面白いなあと感じました。この映画を観た人とは、あのシーンをどう解釈するかという議論をしてみたいところです。

 私は、主役のコトー先生を演じる吉岡秀隆という俳優さんが好きなんですよね。1980年代初頭に始まった名作ドラマ『北の国から』の純くんとして知ってから、また映画『男はつらいよ』では寅さんの甥の満男としても、ずっと彼の成長を見てきたので、ただの俳優さんに持つ感情とは違う感情を持って見てしまいます。たぶん、こういう見方をしている人は年配者の中には結構いるのではないかと思います。『ALWAYS 三丁目の夕日』の茶川龍之介もよかったです。この『Dr.コトー診療所』では誠実さを絵にかいたような役柄で、こういう誠実な役柄も多い俳優さんですが、つい先日まで放送されていたドラマ『コタツがない家』のダメ夫ぶりなんかも最高でした。茶川なんかもそうでしたが、ダメ人間なのに許せてしまう感じを見事に出せるのが、吉岡秀隆のひとつの大きな魅力だと思います。

『北の国から』が始まった頃は9歳くらいだったはずですが、今は50歳を超えているんですよね。「寅さん」の方がもっと小さい頃から出演したようですが、そんなにまめに『男はつらいよ』を見ていなかった私は、彼が高校生以降になって、満男の恋愛が描かれるようになってからの作品での印象が強いです。いずれにしろ、子役からデビューして成長していく過程で、だんだんおかしな方向に行ってしまう人も少なくない中で、吉岡秀隆はきちんとした大人になっているようで嬉しくなります。なんか親戚の子の成長を見ている気分です。というか、50歳代になった純くんを見ている気分です。仕事をしっかり選んで出演しているのか、彼の出演作は名作――個人的好みもあるかもしれませんが、深みのある人間ドラマ――が多いのも嬉しいところです。

映画自体の話より、吉岡秀隆論になってしまいましたが、一度書いてみたかったので、よかったです。(2024.1.4)

955.(映画)瀬々敬久監督『ラーゲリより愛を込めて』(2022年・日本)

 第2次世界大戦後に、満州にいた日本人が捕虜としてソ連の収容所に連れていかれ、シベリア開発のために働かされたことは有名ですが、その中で日本に帰れず病死した人の遺書を収容所の仲間たちが届けるという実話に基づいた話です。しっかりした構成で原作があるのだろうなと思って調べてみたら、辺見じゅんの『収容所から来た遺書』というノンフィクションでした。ちょうど今、彼女の『男たちの大和』を読んでいる最中だったので、なるほど彼女の原作ならよい作品になるはずだと思いました。最後の場面を見ていて、なんか記憶にあるなと思いましたが、1993年にTVドラマ化されているようなので、たぶんそれを見たのだと思います。

 戦争ものもいろいろありますが、これは若い人たちにも見てほしい作品です。こんな時代があったんだということをぜひ知ってほしいものです。(2024.1.3)

954.(映画)波多野貴文監督『サイレント・トーキョー』(2020年・東映)

 なかなか豪華な俳優陣が冒頭から次々に出てきて、かつ爆弾事件がすぐに起こり、期待できそうな展開だなと思い、見始めました。何人も怪しそうな人物が出てきますが、最終的にはそこが犯人なのか、動機はそれかあ、かなり無理があるなあという感想で終わりました。まあ一応観たという記録のために書いておきます。原作小説があるようですが、小説だとディテールをごまかせますが、映像化してしまうと、どうやってそのセッティングをしたんだろう、無理だろう、とか思ってしまう場面が多いです。また、動機が平和を求めることのはずなのに、多数の市民を死なせてしまうような手段があまりにも過激すぎ、納得が行きません。平和ボケしている日本に活を入れるということなのかもしれませんが、無理がありすぎます。なかなかいい作品に出会いません。(2024.1.2)

953.(映画)山田洋次監督『シネマの神様』(2021年・日本)

 クランクアップしてから、主演予定だった志村けんが新型コロナで急死し、代役として沢田研二が演じることになったというニュースが大々的に流れていたことで有名になった映画ですが、NHKBSで放送していたので、録画して見てみました。全然ストーリーは知らずに見始めたので、最初は汚い老人となった沢田研二の演技を見るのがうっとうしく、最後まで見られるかなと思いましたが、意外に早々と若き日に時代は戻り、沢田研二の若き日を菅田将暉が、老妻の宮本信子の若き日を永野芽郁が演じ、北川景子が人気女優を演じる場面が展開し、そこから少し見る気が起きました。映画監督をめざし、「キネマの神様」という面白い脚本を書き、それを撮り監督デビューする予定だった菅田将暉ですが、自分の思った通りにできないことで、すべてを投げ出して田舎に帰ってしまいます。恋人の永野芽郁は周りの反対を押し切って彼を見捨てず彼の後を追うという展開で若き日のシーンが描かれます。その後、時代は現代に戻り、ギャンブル漬け、借金まみれの駄目老人になっていた沢田研二が昔書いた脚本「キネマの神様」を孫とともに書き直し、脚本大賞に応募し、それが最優秀作品に選ばれます。最後は映画館で映画を観ていると、自分が脚本に書いたようなシーンが主人公の妄想として現れ、それを最後に命が尽きます。

 ほとんど期待せずに見始めたので、思ったよりは面白かったような気もしましたが、役者がはまってない感じなのが気になりました。よかったのは、昔の人気女優を演じた北川景子と、恋人から妻になる永野芽郁と宮本信子くらいでした。後の俳優陣はなんかしっくりきていませんでした。山田洋次が自分の思い入れで俳優を選んでいるのでしょうが、魅力的ではなかったです。特に、主役の沢田研二とその親友役の小林稔侍は演技も下手な感じがして気になりました。予定通り、志村けんで作れていても、違和感は残ったような気がします。また時代設定がかなりおかしいのも気になりました。現代はコロナが流行っているというエピソードが出てくるので、2020年のはずですが、そこで78歳の老人の若き日は5055年くらい前のはずですから、1960年代後半あたりということになります。でも、若き日の映画撮影シーンは1950年代くらいのイメージです。たぶん、コロナを無理に映画の中に盛り込もうとしたことで、時代が10年以上ずれてしまったのではないかと思います。コロナで悩まされたので、映画に盛り込みたかったのかもしれませんが、ストーリーとしては奇妙なことになっています。この映画の原作小説は2008年に発表されているようなので、その時代が現代ならちょうど若き日の時代が合致します。コロナの時代にしたいという監督の無理を止められるスタッフはいなかったのでしょうか。巨匠扱いになった山田洋次には誰もおかしいと言えないのかもしれませんね。

 でも他方で、この映画を私が一番評価したいのは、内容ではなく、まさにそのコロナ禍の真っ最中に、みんながおそれひたすら自粛していた時期に、なおかつ主演予定の俳優がそのコロナで亡くなるという緊急事態が起きたにも関わらず撮影を続け、2021年というまだまだコロナ禍の時代に公開したという山田洋次の反骨精神です。ストーリーには無理に盛り込まずに、現代を2008年の原作小説の設定でしっかり撮り切ったらよかったのにと残念に思います。(2023.11.25)

952.(映画)周防正行監督『舞妓はレディ』(2014年・東宝)

 オードリー・ヘップバンの「マイフェアレディ」のパロディ的な作品だろうなと思い、見始めました。日本映画ではめったに作られないミュージカル調コメディで、映画評論家の評価も一般大衆の評価も高くない作品なんだろうなと思いますが、結構しっかりした作りで、さすが寡作の映画監督・周防正行が長年温めてきた題材だけのことはあるなと個人的には思いました。

 確かにコメディーの要素はありますが、決していい加減な装置や演出で笑いを取ればいいという感じでやっておらず、京都の花街の文化に対する尊崇の念を持って作られています。芸子や舞妓の化粧や着物、踊り、三味線、料理に至るまでしっかりした本物が提示されているように思えます。主役で方言丸出しだった地方出身の少女が舞妓になる役の上白石萌音は相当に稽古を積んだろうなということがわかります。

 たくさんのオリジナル曲も歌われますが、多くの曲の歌詞を監督の周防正行が書いているようで、かなり力が入っています。軽いノリの映画にも思えてしまうので評価は低いと思いますが、私はいい作品だと思いました。(2023.11.24

951.瀧浪貞子『桓武天皇 決断する君主』岩波新書

 この夏に歴代天皇の名前を全部言えるようになった頃に、紀伊国屋書店で平積みをされていたので、期待して買ってみたのですが、あまりにも読みにくい本でずっと読み終えられずに、最後は斜め読みしたことにしてがっかりしたという感想だけ書いておくことにします。

 75歳の歴史学者の方が、新書本らしく書こうとしたのかもしれませんが、資料の解説からの著者の推測がまったく説得的でなく、かつストーリーもうまく伝えてくれないので、桓武天皇がどんな人物であったのかさえうまく読み取れません。

 平城京を捨て長岡京を造り、その長岡京をも早良親王の祟りをおそれて捨て、平安京を造った人物なのですから、うまく描けば、そんじょそこらの歴史小説より魅力的に描ける人物のはずですが、この著者の手にかかると、天智系なのか天武系なのかといった一般読者があまり興味のないことばかりが強調され、桓武天皇のイメージが結べません。

 歴史学者の中にも一般向け図書をうまく書ける人もいると思いますが、この著者はまったくだめでした。二度とこの著者の本は読みません。ハズレ本をつかまないための記録として書いておきます。(2023.11.23

950.三浦しをん『まほろ駅前多田便利軒』文春文庫

 この作家は、映画「舟を編む」の原作者だということや、箱根駅伝を題材とした評判の良い作品があることは知っていて、いつか読んでみようと思っていたのですが、ようやく読む機会を得ました。読み終えた印象としては、確かに評価されておかしくない作家だなと思いました。この作品は直木賞を獲った作品ですが、連作短編集的な作品で、便利屋を営む主人公のところに、高校時代の同級生がたまたま転がり込んで、その2人の周りで様々な出来事が起こるというような話です。劇的な展開をするようなものではないですが、個々の短編はそれなりに起承転結があり、巧みにまとめられています。主役の2人以外の登場人物に対しても愛情ある描き方をしているのが、この作家が評価される理由でしょう。あと、文章がスムーズで読みやすいのも、この作家の評価が高くなる理由でしょう。

 べた褒めみたいですが、さて次もまたぜひ読みたいとなっているかというと、そうでもないです。心地よく読めますし、こういう作品を好きな人はいると思いますが、私はぜひ他の作品も読みたいという気持ちにはまったくなっていません。好みの問題なのでしょうが、私の琴線に触れる作家ではないようです。(2023.11.15)

949.服部まゆみ『レオナルドのユダ』角川文庫

 久しぶりに出会った力作です。この著者を知らなかったのですが、実に力のある作家です。翻訳小説ではないかと思うほど、ルネサンス時代のヨーロッパの状況にも詳しく、国名や人名もイタリア語読みで表記されています。レオナルド・ダヴィンチと彼を慕う弟子たち、およびダヴィンチを酷評したいある知識人が主要な登場人物ですが、他にもコロンブスやルターなどの名も出てきます。この小説を読みながら、そうかあ、ダヴィンチが生きた時代は、一方で大航海時代の始まりだったり、ローマカトリック教会の腐敗から宗教改革が唱えられる時代だったんだということに気づかされます。他にも、ベスト(黒死病)が流行していた時代でもあり、フランスが北イタリアに何度も攻め込み支配下に置いた時代でもあったんだということにも気づかされます。この著者の、広範かつ詳細な知識に感服しました。

 だからと言って、歴史書のような固い本ではなく、推理物的ストーリー展開で、かつ章によって異なる人物の視点で語られるので、各登場人物の像をつかめた後半は一気に読みたくなります。ダヴィンチは同性愛者だったのか、「モナリザ」のモデルは誰だったのかという謎が物語の核をなします。各登場人物のキャラクター設定も見事です。しかし、あまり書いてしまうと、今後読む人の楽しみを奪ってしまいますので、内容紹介はここまでとしておきます。

 なんとなく知っていた気分でいたダヴィンチに関しても、ルネサンス時代についても改めて学びなおしたいなと思いましたし、この著者の別の作品も読んでみたいなと思った1冊でした。(2023.10.28)

948.(映画)スタンリー・クレイマー監督「招かれざる客」(1967年・アメリカ)

 1967年のアメリカ映画ですが、なかなか面白い設定の映画です。リベラルな家庭に育ち、人種差別などはしてはいけないと教えられて育った白人の娘が、黒人の医師と知り合い、結婚したいと強く思い、結婚の承諾を得るために、サンフランシスコの両親のところに連れてきます。娘は自分に差別は絶対にいけないと教えてくれた両親なので、両親は気持ちよく結婚を承諾してくれるだろうと信じていますが、彼の方はそう簡単ではないだろうと躊躇する気持ちを持ったまま、彼女の両親に会います。

 まず会った母親はやはり驚きを隠せませんが、話しているうちに、その黒人男性が素晴らしい人物であり、娘が本気で結婚を願っていると知り、認める気持ちになります。他方、遅れて会った父親の方は、彼が素晴らしい人物だと知っても、白人女性と黒人男性の結婚には障害が多すぎると認める気になりません。そこに彼の両親も現れ、こちらも驚きを隠せませんが、母親の方が先に理解をし、父親は白人の父親と同様に認める気にはなれません。

 最終的には両家の父親も認めてハッピーエンドになり、ストーリーとしては安易な終わり方ですが、途中過程の登場人物たちの心理的葛藤が面白いです。差別主義者の白人が黒人を排除するという映画はいくらでもあると思いますが、この映画の実質的主役の白人の父親は長年にわたってリベラルな人物として地域の名士とも目されてきた人なのに、いざ自分の娘が実際に黒人男性と結婚したいと言った瞬間に、それは無理だと思ってしまうところがタテマエとホンネが見えて興味深いです。

 白人の父親だけでなく、黒人の父親も、さらにはこの白人家庭で長年にわたってお手伝いとして働く黒人女性も、この結婚を断固として認めないという姿勢を示します。保守派の白人が差別するのではなく、リベラル派や黒人自身が白人と黒人の結婚は無理だと考えていたことが、この時代の空気だったんだろうなとよくわかります。

 この頃よりは困難さは薄れているでしょうが、今でもそれなりには抵抗感をもつ人は多いでしょうね。単にアメリカの話として見るのではなく、日本でも娘が黒人男性を結婚相手として連れてきたら、両親はすんなり受け止められるかどうか。日本でも、このテーマで映画は撮れそうですね。(2023.10.22)

947.(映画)三木孝浩監督『思い、思われ、ふり、ふられ』(2020年・東宝)

 いかにも漫画原作の軽い青春恋愛映画でした。AMAZONプライムで紹介されていたので、なんとなく見てみました。4人の高校1年生の物語です。山本朱里(浜辺美波)と山本理央(北村匠海)が親同士が再婚したことできょうだいとして暮らしていますが、2人はその前からのクラスメートで理央は朱里に好意を持っていたのですが、きょうだいになったことで、その距離を縮められなくなります。同じマンションに住む朱里の同級生・市原由奈(福本莉子)と乾和臣(赤楚衛二)は、それぞれ理央と朱里に好意を持っています。由奈は理央に告白しふられますが、前向きな気持ちになります。理央は朱里にキスをして拒否されます。和臣は朱里から付き合おうと言われますが、理央が朱里にキスする場面を見てしまっており断ります。その後、それぞれ家族の問題等があり、結局、理央と由奈が、朱里と和臣が付き合うというハッピーエンドで終わります。こうやってストーリーを紹介すると馬鹿馬鹿しいですね(笑)まあ、4人の役者さんがそこそこみずみずしいので、時間を損したという気分にはならなかったのがせめてもの救いです。ただ、原作がそうだったから仕方ないのでしょうが、4人とも高校1年生に見えなかったですね。高3ならなんとかというくらいでした。一応、観たとい記憶が消えてしまいそうなので、感想を書いておきます。(2023.10.1

946.牛窪恵『恋愛結婚の終焉』光文社新書

 若い人的には、インパクトのあるタイトルだと思いますが、私からするともはや当然の認識で、内容も大体想像がつきましたが、一応読んでおこうと思って読みました。まあ、予想通りの内容でした。社会学者の文献等からの引用が非常に多く、オリジナルデータはほぼないので、書籍としての価値はほとんどない本です。とりあえず、著者が一番主張したかったこと――というかそれしか主張していることはないのですが――は、見合い結婚が不人気になってから結婚というものは恋愛の先にたどり着くゴールだという考え方にこだわっていては、今後婚姻率はさらに下がってしまうだろうから、結婚を恋愛と切り離して考えたらいいということです。

 恋愛と結婚が異なる論理で成立するものだということは、実際に結婚を経験したほとんどの人が実感していることでしょう。なので、特段新しい主張でもなんでもないのですが、独身のうちは、やはりいまだに「恋愛結婚が理想」と思っている人たちは少なくないので、この著者もあえてこういうタイトルの本を出して耳目を引きたかったのでしょう。この本の中で、恋愛・結婚・出産の三位一体をもう望むべきではないと主張していますが、確かにそういう風に考えていかなければ、日本社会はあっという間に縮減していきそうです。

 この著者が以前書いた『コンビニ化する性』では、恋愛関係なしに安易に性行為が行われているという主張もしていましたので、これも含めて考えると、「恋愛・SEX・結婚・出産」という、以前ならすべてつながっていなければならないと思われていた四者が、今やつながらなくてもいいという風に考えざるをえない時代に入ったということになるでしょう。まじめな学生たちは、「そんな風に考えたくありません!」と拒否しそうですが、理想を求めていると、どれも経験できないということになりやすい時代になっているように思います。面倒な時代になったものです。(2023.9.23)

945.川上弘美『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』講談社

 今週水曜日の朝日新聞の夕刊に、この本が紹介されていて読んでみたいと思い、すぐにAMAZONプライムで注文し、木曜日の夕方に本が届き、金曜日の午前中までに読み終えて、今(金曜日の午後)ここに感想を書き始めています。こんなスピードで本を取り寄せて読み終えたのは初めてです。こんな出だしからすると、そんなに面白い本なのかと思われそうですが、読み終わった感想としては、そこまでのものではありません。ただ、読みやすかったので、一気に読んでしまったという感じです。

 なぜこの本をそんなに読んでみたいと思ったかというと、60歳代の恋心が描かれている本だと紹介されていたので、共感できる部分があるかもしれないと思い、読んでみたわけです。正直言って、出てくる登場人物たちに自らを重ね合わせることはできませんでした。主要登場人物は、作者自身がモデルと思える女性小説家と彼女が子供時代にアメリカで暮らしていた時に友人だった女性と男性の3人です。60年来の付き合いという3人がコロナ禍の日本で時々会ってお酒を飲んだり、ネットでやりとりをする淡々とした日常が描かれます。

 主人公の女性小説家とその友人男性とは互いに憎からず思ってはいますが、何もドラマチックなことは起きません。時々会いたいなと思い、会って話したりするけれど、それ以上のことは何も起きないし、そのことで悩んだりもしていません。こんな生活が、こんな感覚がちょうどよいということを作者は伝えたかったのかなと思います。ただし、誰も60歳代で老けている、年寄りだという印象を与えません。60歳代だけど、ちょっと恋愛に似たような感情を持ったり、友情だったりを持ちながら、平凡だけど楽しく暮らしているんだよと描きたかったのでしょう。年齢が明示されなければ、若者の物語としても読めるかもしれません。自分たち60歳代だけでなく、その親にあたる80歳代、90歳代の普通の日常も描かれます。いくつになっても、様々な感情を持ちながら普通に毎日をごしているということが作者が描きたかったことでしょう。

 たぶん、この小説は89割くらいは実際にあったことをそのままエッセイ風に書いた私小説的なものだろうと思います。小説を読んでいるというより、エッセイを読んでいるような気持ちになります。この小説の登場人物にあまり共鳴できるところはなかったのですが、60歳代の日常をこういう風に描くという手法に関してはなるほどと思いました。私も自分の日常をこんな風な形式で小説のような、エッセイのようなものとして書くことはできるなと思います。今はまだ現役教師ですので、この作者のような淡々とした日常にはなっていませんが、引退したら、こんな風に日常を描いておくのもいいなと思いました。(2023.9.22)

944.西加奈子『さくら』小学館文庫

 この著者は関大卒で評価が高いと聞いていたので、読んでみないとなあとは思っていたのですが、なんとなく触手が伸びず、今回初めて読みました。この小説が2冊目だったようで、26万部も売れた大ヒット作と書かれていました。で、読み終えた私の感想ですが、とても文章のリズムがよく読みやすい小説ですが、基本的に純文学のジャンルに入るタイプの小説で、個人的には次をぜひ読みたいという気持ちにはなりませんでした。

 私が純文学に対する理解度が低いせいなのだろうと思いますが、作者が描きたかったテーマはなんなのだろうかというところがよくわかりません。確かに、登場人物はそれぞれある種の魅力は持っていて、物語の展開も平坦ではないし、触れにくいような問題も明るく爽やかに描いていて、なかなか力のある書き手だということはわかるのですが、読み終わった時に、私の心に残るものはほとんどなかったです。でも、こういうタイプの小説を高く評価する人たちは結構いるだろうなというのは理解できます。

 「さくら」というのは、飼われている犬の名前ですが、主題にする位置づけなのかというのも個人的にはよくわかりませんでした。こういうタイプの小説は読み手が共鳴できるかどうかで評価がまったく変わるのでしょうね。私はだめみたいです。(2023.9.14)

943(映画)ガース・ディヴィス監督『LION/ライオン〜25年目のただいま〜』(2016年・オーストラリア・アメリカ・イギリス)

 実話に基づく感動作です。インドの5歳の少年が迷子になり、施設に収容され、そこからオーストラリアの養親の下にもらわれ幸せに成長しますが、大学生の頃から故郷を探して実の母親に会いたいと思い、Google Earthを使ってコツコツ探し出し、ついに自分の記憶と合致する町を見つけ、25年ぶりに母親との感動の再会を果たします。実の母親とだけでなく、養両親との関係も感動的です。

 インドとオーストラリアでロケをしているのだと思いますが、それぞれの国の空気感もよく伝わってきて見応えのある映画でした。(2023.9.10)

942(映画)アンソニー・ミンゲラ監督『イングリッシュ・ペイシェント』(1996年・アメリカ)

 アカデミー賞で作品賞を含め9部門も獲得した映画ということで、期待してみましたが、今一つ、いや今三つくらいの映画でした。第2次世界大戦期のアフリカとイタリアを舞台にしていますが、社会的なテーマは本格的にはほとんど織り込まれておらず、ただの恋愛映画です。せめて、その恋愛がすばらしいものであればはまれたかもしれませんが、主要登場人物たちの心理に共鳴が全然できませんでした。アフリカでの恋愛は単に外見のいい男と女の不倫でしかなく、なんでそんなに惹かれあうのか、要するに顔が良いからなのかい?と聞きたくなるような恋愛です。

イタリア篇では、アフリカ篇の男が全身大やけどをした患者として現れるわけですが、その患者を従軍看護婦の1人が軍から離れて1人で面倒をみます。この看護婦の心理もまったくわかりません。別にその患者に恋したというわけでもなく、後でやってきたインド人将校と恋に落ちますが、これもなんで?という恋愛です。

なんでこの映画がアカデミー賞を9部門も受賞できるのでしょうか?私にはまったく理解できませんでした。無駄に長い映画でした。(2023.9.9)

941(映画)ジョン・カーニー監督『はじまりのうた』(2013年・アメリカ)

 めったに見ない音楽をテーマにした映画ですが、よい作品でした。音楽のパートナーであり恋人だった男と別れイギリスに帰ろうとしていた女性が、前の晩に鳴かず飛ばずになっていたアル中の音楽プロデューサーと出会い、2人で音楽を作って行くというストーリーです。音楽をともにする仲間が現れ、崩壊していた音楽プロデューサーの家庭もこの音楽制作過程で復活します。

 こんな風に紹介するとあまり面白そうではないですが、ニューヨークの様々な場所で音楽を仲間たちと作って行く場面は、見ているこちらもワクワクしてきます。音楽を聴きたくなる気持ちになる良質の映画です。(2023.9.8)

940(映画)ブルース・ベレスフォード監督『ドライビングMissデイジー』(1989年・アメリカ)

 好きな作品です。様々な社会問題が上手に織り込まれ、かつ心温まるドラマになっています。アメリカ南部のアトランタを舞台に1948年から1973年までの25年間の、気難しいユダヤ系老婦人デイジーと、彼女の運転手である黒人男性ホークとの人間関係の物語です。最初は拒絶していたデイジーですが、徐々にホークの思いやりや誠実さに気づき、信頼する関係になります。映画の中の時代はどんどん進んでいきますが、その間に南部アメリカの差別の問題がちょくちょく織り込まれます。1953年に隣のアラバマ州に出かけた時には、白人警察官にホークは差別的な対応をされ、またガソリンスタンドのトイレをホークは使わせてもらえないといった場面が描かれます。1966年にユダヤ教会が爆破されたというシーンもあり、ユダヤ人もアメリカ南部では差別の対象になっているということも描かれます。デイジーはキング牧師の講演に行きますが、彼女の息子は周りからいろいろ言われ商売に差し障るかもしれないので行かないという判断をします。最後は1973年で老いたデイジーは認知症になり、施設で暮らすようになっています。息子とホークが施設を訪ね、一時的に正気を取り戻したデイジーとホークが仲良く感謝祭のパイを食べるという場面で終わります。

露骨に描かれていない場面でも、お手伝いさんや綿織物工場の労働者などが黒人ばかりで、ホークが文字が読めなかったりと、第2次世界大戦後のアメリカ南部ではまだまだ黒人が劣悪な立場に置かれていたことや、今は豊かな生活をしているデイジーも子どもの時は貧しかったという話を何度かし、ユダヤ系も決してアメリカ社会の中では楽に生きてきたわけではないということも描かれています。社会学的に見ることもできる映画で、かつハートフルな映画なのでお勧めです。(2023.9.7)

939.北森鴻『花の下にて春死なむ』講談社文庫

 日本推理作家協会賞短編および連作短編部門受賞作という売り文句で多少は面白いのかもと思い読んでみましたが、まったく面白くありませんでした。間違いなく読んだことを忘れそうな本なので、間違って2度読みしないように読んだという記録のためだけに書いておきます。

 あるビアバーのマスターが客の話を聞きながら、いろいろな推理をするという安楽椅子探偵ものです。起きる事件も、客の造形も、推理もまったく魅力がありません。よく途中で放り出さなかったなと自分で感心するほどです。たぶん、初めて読んだ作家ですが、もう二度と読むことはないでしょう。(2023.9.6)

938(映画)マイク・ニコルズ『心の旅』(1991年・アメリカ)

 HDDに録画しており削除していなかったので、まだ見てないのかなと思い見始めたら、明らかに見た映画でした。割と最近だったようで細かいディテールまで思い出せるのに、ここに記録していないと今後見た記憶も消えてしまいそうなので、記憶が確かなうちに感想を書いておきます。

 ハリソン・フォード主演の映画です。やり手の敏腕弁護士だったターナーは、ある日突然買い物に行った店で強盗と出くわし、拳銃で頭を撃たれます。記憶や知能や運動能力を失った状態から、徐々にリハビリをしながら回復していきます。その回復過程で、かつては妻や娘にも支配的な夫であり父親だった自分を反省し、さらにかつて強引に勝訴に持って行った案件を自ら調べ直して、敗訴した原告に有利な結果になるように動きます。要するに、拳銃で撃たれたことを契機に、まったく異なる人格の持ち主になるわけです。

 正義が何かより勝利にこだわっていたエリートが、事故をきっかけに人間らしく変貌するというわかりやすいヒューマンドラマです。(2023.9.5)

937(映画)セバスチャン・グローバー監督『コッホ先生と僕らの革命』(2011年・ドイツ)

 ドイツ帝国が成立して間もない頃のドイツの学校を舞台に、イギリス帰りの教師がサッカーを通して生徒たちを変えていくというストーリーです。普仏戦争でフランスを破り、国家統一を果たしたドイツは愛国心に燃え、次はイギリスを打ち負かすぞという勢いのところに、イギリス帰りでイギリス発祥のサッカーというスポーツを子どもたちに教え込む英語教師・コッホが現れます。当然、学校の有力者たちは彼のやり方を苦々しく思い、彼や貧しい生徒を学校から追い出そうとします。しかし、サッカーを通して仲間意識とコッホに対する尊敬の念を抱いた生徒たちが団結することで、事態は好転するという話です。まあ、予想通りの展開ですが、わかりやすく納得できるので、個人的には嫌いな映画ではないです。

 ちなみに、コッホという教師は実在の人物で、実際にドイツにサッカーを広めた人物だそうですが、イギリス留学もしていなければ、英語教師でもなかったそうで、この映画はフィクション要素も多いそうです。(2023.9.4)

936(映画)高橋名月監督『左様なら今晩は』(2022年・日本)

 昨年尾道に行った時に、この映画のポスターが貼ってあり、尾道を舞台にした映画が撮られたということで、ちょっと見てみたいなと思っていました。AMZONプライムで見つけたので、見てみました。設定は、若い男性が住む部屋に呪縛霊となって存在する若い女性幽霊が現れ、なんとなく恋愛モードになっていくという話です。これは、考えてみると「怪談牡丹燈篭」と同じ設定ですが、おどろおどろしさが全然なく、なんか普通に青春恋愛映画のような感じです。最後はどんな風に終わるのかなと思いながら見ていましたが、まあこんなものかという感じでしたが、もうちょっと説明が欲しい感じはしました。マンガ原作があるようですが、そこでは説明はされているのでしょうか。

 一番期待していた尾道の風景ですが、わかりやすく尾道が出ていたのは映画館くらいでした。あとは、そこまで尾道らしい風景を使っていなかったです。せっかくなら、もう少し使ってほしかったなという気がしました。(2023.9.2)

935.西部邁『学者 この喜劇的なるもの』草思社

 一般の人が読んだらそれほど面白くないかもしれませんが、個人的には非常に面白かったです。1988年に起きた「東大駒場騒動」と言われる東大の教員採用人事をめぐる事件の顛末を、その問題の中心的人物で、この事件ゆえに東大を辞めた著者が、東大教員の実名をそのまま出して書いた本です。私は、この本に登場する人物の講義をかなり受けたことがあり、11人の顔や喋り方が浮かんでくるので、個人的におおいに楽しめました。また、著者はいかに大学教員におかしい人間が多いかと書いていますが、私自身ももう40年以上大学教師をやっていますので、「そうそう、そういう人いるなあ」という共感を持てる部分が多かったことも面白く読めた原因だと思います。

 東大を辞めた後、著者はマスメディアに保守の論客としてしばしば登場していましたので、社会問題や政治問題に関心のある程度の年齢層以上の人なら覚えている人が多いと思います。彼は、1960年の安保闘争の頃はブントの中心メンバーとして左翼活動をしていたのですが、60年代前半のうちに左翼の思想から離れ、保守派として活動するようになります。それでも、この「東大駒場騒動」で東大を辞めるまでは、大学教授としての活動もしっかりやっていました。ちょうど私が駒場で授業を受けた1970年代半ば頃は『ソシオエコノミクス』という本を出した頃で、授業の内容もその内容だったと思います。彼の授業はそれなりに面白かった気がします。

 この本の中で、著者が批判する駒場の教授たちの授業は面白くないものが多かったです。学会や論壇等では評価されている人たちもいますが、私にとっては面白くないものばかりでした。そして、彼の側に立った教授たちの授業は面白いものが多かったです。西部邁という人をそれほど評価していたわけではないですが、やはり学者という鎧兜に身を包み、象牙の塔から出ずに、浮世離れした美辞麗句や難解な学者言葉ばかり並べているような人は、やはりおかしな行動を取るんだなと、彼の人物評価に納得してしまいました。まあでも結局は、東京大学にとっても個々の問題教授たちにとっても、「東大駒場騒動」とこの著者による暴露も、蚊に刺された程度の影響しかなかった気はしますが。

 ちなみに、この本とは関係ありませんが、この著者は2018年に78歳で多摩川で自殺しますが、その際に弟子2人がほう助したことで逮捕されたことでニュースとなりました。著者自身が自裁すると色々な人に伝えていましたし、著者の2人の子どもたちも弟子2人の無罪を望みましたが、結局2人とも懲役2年、執行猶予3年という判決が下ったようです。誰も巻き込まずに自裁できたら一番良かったのでしょうが、体が効かなくなってくると、理想的な自裁も難しいのでしょうね。でも、自分の意思で自らの人生の幕を引けたのは本望だったろうなと思います。(2023.8.30

934.林真理子『白蓮れんれん』集英社文庫

 伊藤伝右衛門の妻だった柳原白蓮が若き恋人・宮崎龍介と駆け落ちした事件は、大正時代の一大恋愛スキャンダルとして有名ですが、その経緯と心情が見事に描かれた小説です。2人の間で実際にやりとりされた700通もの書簡をたっぷり紹介しながら書かれているので、まるでノンフィクションを読んでいるような気分になります。ただ、林真理子が上手いのは、書簡だけではわからない部分もしっかり調べ、まるで本当にそういう会話がなされたかのように話を展開できる点です。かなり事実に基づいた小説のはずですが、フィクションの世界でしかないのではと思えるドラマチックな大恋愛物語になっています。

 この小説がいいのは、白蓮だけでなく、他に登場する女性たちもそれぞれ悩んでいたり、許されざる恋をしていたりしているのですが、彼女たちの心理もしっかり描けていることです。林真理子が女性文化人を扱った作品を読むのは、下田歌子を主人公とした『ミカドの淑女』(No.665で紹介)、真杉静江を主人公とした『女文士』(No,667で紹介)に続いて3作目ですが、どれも面白いです。日大理事長職なんかで無駄な苦労せずに、作家活動をやらせてあげたい人です。(2023.8.27)

933(映画) 大九明子監督『勝手にふるえてろ』(2017年・日本)

 これも純文学的な小説が原作の映画ですが、原作が綿矢りさなので、そこまでわかりにくくはありません。基本的に妄想少女(若い女性)が主人公で、彼女の恋愛心理を描いた作品です。主役を演じているのは松岡茉優で、割と頑張って役になり切って演じています。ストーリーとしては、会社の同僚男性から付き合ってほしいと告白されますが、彼女には高校時代から10年片思いをしている彼が居て、その彼のことを思いきれないので、同窓会を企画し、彼と再会します。しかし、ちょっといい雰囲気になったかなと思っていたら、彼は自分の名前すら覚えていないという事実を知り、彼のことは諦めようと思い、同僚と向き合おうとしますが、彼女の仲のよい友人がよかれと思って、彼女は男性と付き合ったことがないから優しくあげてといったことを伝えていたことを知り、彼女は猛烈に腹を立て、会社も休職してしまいます。しかし、引きこもって暮らしてみると、寂しさに耐えられず、同僚を呼び出します。その結果、2人はよりを戻すことになります。結局ハッピーエンドものです(笑)結末まで書いてしまいましたが、まあぜひ観た方がいいですよという映画でもないので、お許しください。(2023.8.26

932.(映画)濱口竜介監督『ドライブマイカー』(2021年・日本)

 カンヌ映画祭や本場アメリカのアカデミー賞でも高く評価されたということだったので、たぶん面白くなさそうだけど一応観ておくかと考えて観てみました、予想通り、まったく面白くない映画でした。村上春樹の小説が原作らしいですが、読んでいないので、どのくらい村上春樹の世界なのかわかりませんが、正直言って村上春樹の小説が苦手な私としては、いかにも村上春樹の物語っぽいなという気はしました。

 登場人物の心理が誰一人共感できない上に、劇中劇である芝居が複数の言語やら手話やらで展開されるというのも、一体そこで何が描きたいのか私には理解不能でした。主人公の車を若い女性ドライバーが代わりに運転するのですが、芝居が予定通り公演できないかもしれない思った主人公は、なぜかその若い女性ドライバーの故郷が見たいと言い、なんと広島から北海道までその車で行きます。

 主人公もドライバーもそれぞれ親密だった相手との複雑な過去を抱えたりしていますが、それを互いに話し、抱き合って互いに慰めあいます。なんでドライバーに話すのか、またドライバーもなぜ話すのか、まったくわかりません。

 最後の最後の場面は、その女性ドライバーが韓国にいて、主人公の持ち物である赤い車に犬と一緒に乗ってドライブしている場面で終わります。なんで韓国にいるのか、なぜその車に乗っているのか、なぜ犬が乗っているのか、意味不明過ぎて、頭の中はクエスチョンマークだらけでした。一体、カンヌとアメリカのアカデミーは何が気に入ったんでしょうか。多言語+手話で芝居を作るというのが、ダイバシティーに配慮しているから、とかでしょうか。

 日本ではまったくヒットしなかったと思いますが、当然だろうなと思います。ちなみに、この映画監督、この作品で商業映画3本目だそうですが、『寝ても覚めても』も観てしまったので、3本中2本も観たことになります。2本とも私にとってはまったく興味のわかない作品だったので、もうこれからはこの監督の作品ならパスしようと思います。高尚な芸術作品っぽい映画は私には合いません。(2023.8.20)

931(映画)是枝裕和監督『ベイビーブローカー』(2022年・韓国)

 仕事に一区切りついたので昨日から映画鑑賞期間です(笑)昔なら、映画館で何をやっているかなと探して観にいくしかなかったわけですが、今はAMZONプライムでいろいろ探して寝転んで観られたりしますからね。便利な時代になったものです。

 で、本日2本目の映画は是枝裕和監督が韓国で撮った『ベイビーブローカー』という作品ですが、これはよい作品でした。是枝監督はあちこちで高く評価され、賞もたくさん受けている監督ですが、観てみると、個人的にはもうひとつだなと思う作品も多く、諸手を挙げて是枝作品を評価する人間ではないのですが、この作品はよかったです。

 是枝監督が得意とする疑似家族の中に芽生えてくる情のようなものが非常にうまく表現されていました。韓国を舞台に韓国の俳優さんを使っているので、役者さんたちに対する余計な情報がない分、素直に映画の世界に入れたことが大きいと思います。主役のソン・ガンホは有名俳優で、私も何本か彼の主演作を見ていますが、ちょっと小ずるそうに見えて実は情に厚い人といういつも通りの役柄でこの映画にも出演していますので、違和感なく観られました。日本映画だと俳優陣のイメージが強すぎて、素直に物語の世界に入れなかったりしますが、それがこの映画に関してはまったくなかったのがよかったです。

ソン・ガンホ演じる中年男と彼の相棒の青年がベビーブローカーとして赤ん坊を売ろうとするのですが、その赤ん坊の母親が現れ、さらには青年が育った養護施設から勝手に抜け出した少年も加わり、4人でなんとか赤ん坊を高値で売ろうとしますが、なかなかうまく行かず時間が流れます。その間に、赤ん坊を含めた5人が疑似家族のようになり、互いに情が芽生えていきます。そして、この5人を追う女性刑事2人もいるのですが、彼女たちの複雑な心理もうまく描いています。

 これから観る人もいるかもしれないので、最後どうなるかは書きませんが、気持ちの良い終わり方です。(2023.8.19)

930.(映画)濱口竜介監督『寝ても覚めても』(2018年・日本)

 Amazonプライムで何か見ようかなとなんとなく探していて、知らない映画だけど、まあ見てみるかと見始めたら、「あれっ、この女優、見たことがある気がするけど、誰だったかな?」「あれっ、この背の高い男優は東出では?あっ、さっきの女優は、唐田えりかかあ。ということは、この映画が2人の関係を生み出したきっかけの映画なんだ」と気づき、そこからは興味津々で観てしまいました(笑)

 恋愛ものの純文学小説が原作のようで、ストーリーはいかにも純文学っぽかったです。ヒロインの女性(唐田えりか)が写真展でたまたま出会った男性(東出昌大)と一目ぼれで恋に落ち、しばらく付き合っていますが、ある日急に男性は姿を消してしまいます。そこから数年むなしく生きていた彼女の前に、元カレとそっくりの男性(東出昌大の二役目)が現れ、彼女は惹かれていきます。似ているというだけで好きになってはいけないと思いつつ、元カレとは違う優しさを持ったその男性に段々と惹かれ、付き合い、同棲も始め、さらには結婚するところまで話が進みます。ところが、そこに元カレが現れ「迎えに来たよ」と言って、彼女の手を取ります。拒否するかと思いきや、すべてを捨てて元カレとともに生きようと思い、彼の車に乗り、北海道に向かいます。連絡してきた親友には、「もう私は彼のところには戻らない」と言い、携帯電話も車から捨ててしまいます。

 元カレとどんな生活を送ることになるのだろうかと思っていたら、一晩車を走らせて朝を迎えたら、彼女は「やっぱり、私はあなたとは生きられない。彼のところに戻る」と宣言し、無一文のまま車を降ります。元カレも「ああ、そうなの、じゃあね」と消えていきます。この展開、正直言ってまったくついていけません。たぶん12時間くらいの間に、今カレを捨て、また元カレを捨てるという、この心理はあまりにも現実離れしていて、純文学の勝手な心理遊びの世界でしか成立しない展開です。知り合いの家が歩いて行けるところにあったという都合のよい設定で、そこでお金を借りて、今カレと一緒に住む予定だった家に向かい、彼に会いますが、当然彼には「もう、おまえのことは信用できない」と突き放されますが、その後共通の友人だった男性の家を訪ね、なぜか重い病で寝たきりになっているその友人とその母と話をして、もう一度彼のところに会いに行きます。彼は「二度と来るな!」と叫びながら彼女から逃げたのに、結局なんとなく彼女を家に入れてしまうというストーリーです。自分勝手な元カレと甘々な今カレと、恋に落ちたらまともに思考できなくなる女性が作り出すわけのわからない恋愛模様です。

 ただ、この映画で東出昌大と唐田えりかが現実に恋に落ちたのはわかる気もしました。2人が恋に落ちる話ですが、演じているうちに、気持ちが入ってしまったのでしょうね。唐田えりかのおとなしそうな雰囲気は、男性に守ってあげたいという気持ちを起こさせる典型的なタイプです。演技と現実が入り混じってしまったのでしょうね。映画自体はたいしたことのないものですが、その後大問題化した2人の恋が始まった映画と思うと、ちょっと悪趣味かもしれませんが、面白かったです。(2023.8.19)

929.(映画)瀬々敬久監督『護られなかった者たちへ』(2021年・日本)

 好きな社会派映画で、俳優陣も演技派ばかりを集めていて、かなり期待して観たのですが、この映画のテーマと展開はあまりに重く、見終わった後にかなり疲れた気分になりました。東日本大震災と生活保護という2つのテーマが結びつけて描かれていますが、どちらも救いがない上に、さらなる犯罪を生むという展開です。社会派作品というよりは、社会的テーマを利用したミステリー小説なのでしょう。ストーリーを簡単に紹介しておくと、東日本大震災で家族を失ったりして出会った老女と青年と少女は疑似家族のように親密度を増していきます。数年後に、老女が生活難に陥っていたために、青年と少女が老女に生活保護を申請させますが、老女は自ら申請を撤回し、結局餓死してしまいます。そのことが伏線となって、生活保護の受理に関わった人間が2人も殺されることになります。青年が容疑者として逮捕され、自白もしますが、阿部寛演じる刑事は、青年が何か隠していると疑い、真相は別にあるとさらに探り続けます。そして、実は、、、という展開です。ここまで書くとおおよそわかってしまいそうですね(笑)どんでん返しを作るのはいいですが、実際にはそんなことは無理でしょとツッコミを入れたくなるタイプのストーリーです。やや期待外れという感じでした。(2023.8.18)

928.薬丸岳『友罪』集英社文庫

 約600頁の文庫本ですが、一気読みをしてしまいました。神戸児童殺傷事件の犯人を思わせる人物が医療少年院を出た後、どんな社会生活を送れるのだろうかという問題意識から書かれた小説です。見守るスタッフの監視から逃れて、個人として生きたいと望み、ある中小工場に勤めます。その時同時にその工場に勤めることになった同い年の青年が主人公です。その青年との出会いで、人との関わりに極端に憶病だった元少年犯罪者だった彼は少しずつ周りになじむようになります。他方で主人公の青年は、いくつかの徴候から、彼があの残虐な少年犯罪を犯した人物ではないかと疑うようになり、その事実にたどり着いてしまいます。元少年犯罪者だった青年は、主人公の青年に「どんな話を聞いても友だちでいてくれるならすべてを話す」と言いますが、主人公はすべてを聞いた上で友だちでいられる自信はないとその告白を聞かないまま、週刊誌に彼の存在を教えてしまいます。結果として、元少年犯罪者だった青年は工場から姿を消します。自分のやったことに思い悩んだ主人公の青年は、最後に友に語りかけるような文章を別の雑誌に発表することになります。

 大筋はこういうストーリーですが、この小説には元少年犯罪者だった人物以外に、それぞれ知られたくない過去を持った人物が複数登場し、その過去とどう向き合うかということ、さらにメディアや世間の興味本位の悪意がどれだけ人を傷つけるかということもテーマになっています。この作者の小説は3冊目くらいだと思いますが、少年犯罪などを中心に難しい社会的テーマを見事に小説に仕上げ読ませます。また何か別の作品も読んでみたいと思います。(2023.8.15

927.桜木紫乃『ラブレス』新潮文庫

 この作家はうまいです。人間の描き方が一面的ではないのがいいのだろうと思います。この物語は、北海道の開拓民の娘として生まれ、旅芝居の一座に加わり、そこで出会った女形と恋仲になり子をなしますが、女形は子どもを置いて消えてしまいます、その後、北海道の地元近くで再婚するものの、再婚相手は借金だらけで、その借金を返すために働かなければならなくなり、さらに妊娠・出産で入院中に、夫に預けておいた子どもが行方不明になってしまうという悲惨な人生です。しかし、この作者は、決してこの女性を悲惨で不幸な人生を歩んでいる人とは描きません。母や妹や娘、姪との関わりなどきちんと受け止めながら生きている人物として描いています。

 小説の冒頭は、この女性が死の間際にあり、妹、娘、姪などが病院に集まっている場面から始まりますが、すぐに時代が遡って昭和20年代から物語が始まり、そこから60年ほどの人生が描かれます。冒頭の死の床にあったこの女性が位牌を握りしめていて、それは一体誰の位牌なのか、本当に亡くなってしまった人なのかということが徐々に明らかになる推理小説的な要素も、この小説の魅力のひとつです。

 「ラブレス」というタイトルは、「愛がない」ということなのでしょうか。この主人公の女性の人生が「ラブレス」だったと作者は見ているのでしょうか。確かに、愛に溢れた生活ではなかったとは思いますが、「LOVELESS」とまで言えるのかどうか、読み終わった今もよくわかりません。(2023.8.12)

926.(映画)行定勲監督『今度は愛妻家』(2010年・東映)

 公開されていた時から観たかった映画でしたが、ようやく観ました。期待通りのよい映画でした。豊川悦司と薬師丸ひろ子の夫婦はそれぞれ非常に魅力的でした。舞台用に書かれた原作で過去に何度か舞台で上演されているようですが、映画から入ってしまったら、この2人の役者さんのイメージを払しょくすることはできないだろうなと思うくらい2人の雰囲気が役柄にぴったりでした。特に、薬師丸ひろ子のかわいい妻の演技は素晴らしかったです。彼女の主演映画としては20歳頃の「Wの悲劇」が最高傑作だと思っていましたが、この作品も肩を並べる傑作として位置付けたいと思います。13歳でデビューして10代のうちに大人気女優となった彼女が歳を経ても、こんな風なかわいさを維持できていることにちょっと感動します。2000年代に入ってから、彼女は優しい母親役が多くなっていますが、この作品では母でなく、かわいい妻です。こんな妻がもしも急に亡くなってしまったら、「今度は愛妻家」と夫が心に誓うのも当然だろうなという気持ちに観ている者をならせてくれます。若い人が見たら、こんな夫婦の形は古すぎると思うのかもしれませんが、昭和世代の男にとっては、「ああ〜、こういう女性と結婚したかったなあ」と思わせるに十分な作品でした。(2023.7.24)

925.(TVドラマ)東野圭吾原作・荒井修子脚本・河原瑶演出『天使の耳――交通警察の夜――』(前・後編)(2023年・NHK

 原作が東野圭吾の作品なので、なかなか面白いドラマでした。原作を読んでいないのですが、『交通警察の夜』というタイトルで1991年に刊行された短編集のようです。ネットで紹介されている内容を見ると、ドラマとは登場人物が少し違っており、内容も少し変わっているようです。でも、ドラマはドラマでうまくまとめており、脚本家の力を感じました。

 東野圭吾作品らしく、単純に勧善懲悪的にはなっていないところがいいです。まあ、3時間のストーリーに収めるために、ややつなぎ方に強引さはありますが、ドラマとしては仕方ないところかなと思います。ユーミンの音楽が効果的に使われており、この辺は音を使えるドラマの魅力が出ているところだと思います。ドラマタイトルにもなった「天使の耳」も、小説で読むよりは、ドラマの方が印象的に描けるシーンだなと思いました。いつか原作の短編を読んで、比較してみたいと思います。(2023.6.30)

924.速水由紀子『マッチング・アプリ症候群――婚活沼に棲む人々――』朝日新書

 正直言って、感想を書くのも不快な気分なのですが、読んだ記録として書いておきます。紀伊国屋でパラパラと見ていて、マッチング・アプリの現状が知れるのかもしれないと思い、買って読み始めましたが、半分も読まないうちに放り出したくなりました。この本は、マッチング・アプリの主たる利用層の20歳代、30歳代の人々がほとんど出てこず、40歳代、50歳代でマッチング・アプリをやっている人が紹介される本です。なぜ、そうなっているかと言うと。著者が50歳代と思しき女性で、その彼女がマッチング・アプリを使って出会った人々について書いているからです。

 読んでいて不快な気分になるのは、彼女自身が年齢も自分の外見に関する情報も一切出さず、一方で出会った婚活沼にはまった男性に関しては年齢、収入、価値観はもちろん外見情報もいろいろ書き、その上でほぼ全員酷評しているからです。マッチング相手である自分はのっぺらぼうな状態にして、こういう男性は困ったものだと書かれても、「いやいや、あなた自身の態度や考え方、外見等が影響しているという視点はないのですか?」と問いたくなります。

 ほんの少し女性たちも紹介されますが、基本的に如何に男性――特に中高年男性――がだめかということをしつこく書いている本です。最後になって、何度も日本社会は「ミソジニー文化」に侵されていると書いていますが、これまでの人生でよほど男性を恨みたくなるような人生でも送って来たんですかと問いたくなるくらい不快な本です。こんな本を出す朝日新聞社の感性も疑いたくなりました。まあ、最近の朝日新聞社は、そんな論調の新聞社になっていますので、当然と言えば当然なのでしょうが。とりあえず、この著者の本は二度と読みません。(2023.6.28)

923.(TVドラマ)相場英雄原作・若松節朗演出『ガラパゴス』(前・後編)(2023年・NHK

 これは原作小説がよいのでしょうが、読んでいないので、ドラマとして見たものを紹介しておきます。派遣労働の悲惨さ、それを生み出してしまった日本経済の問題を鋭くついた社会派ドラマでした。ストーリーも推理ものになっていて最後まで興味を持たせます。簡単に内容を紹介しておくと、5年前に身元不明の自殺者として扱われていた青年が、沖縄出身の派遣労働者で殺されていたということを突き止めた刑事が、その謎を解明していくという物語です。単に謎解きを楽しむ物語ではなく、その犯罪の背景にも派遣労働者の苦しい立場があったという話ですので、深く考えながら見ました。「ガラパゴス」というタイトルも、現在の日本の状況を表す言葉としてはぴったりなんだなと思わされます。「ガラケー」だけでなく、バブル期までの日本経済の勢いのまま、いろいろなことを進められると思っていたら、いつのまにか世界から置いて行かれるように、それをなんとかするために、人件費をカットする必要に迫られ、今の悲惨な状態が生まれたという原作者の主張は説得力を持つと思いました。

 ドラマの主役は織田裕二で、昔ながらの地道な捜査をする刑事という設定ですが、ぴったりでした。『踊る大捜査線』の頃よりは、貫禄がついて、古い昔ながらの刑事という役柄にぴったりはまっていました。他の役者さんも、それぞれ適役でよくできたドラマでした。(2023.6.18)

922.垣谷美雨『七十歳死亡法案、可決』幻冬舎文庫

 長寿は幸せではないのではと日頃から思っている私にとって、この過激なタイトルは非常に惹かれるものがあり、書店で見かけてすぐに購入しました。映画『PLAN75』のような展開で辛いストーリーなんだろうと思い、読み始めたのですが、全然違うストーリーでした。寝たきりになった姑を介護する専業主婦が一応主人公で、70歳になったらすべての人が死ななければならないという法律が2年後に施行される日を楽しみに今の辛い生活に耐えているという出だしです。そのまま2年くらい経って、さあ70歳死亡法の施行が近づいてきてどうなるかという展開かと予想していましたが、まったくそういう展開ではなく、わがまま言い放題の姑、家事や介護を一切手伝わず、早期退職して友人と世界旅行に出かけてしまった夫、家に寄り付かない長女、仕事がうまく行かず引きこもりになっている長男、といった家族の身勝手さについに専業主婦である主人公の女性が堪忍袋の緒を切らせてしまい、家出をするという展開になります。

しかし、それをきっかけに、息子や夫が変わり始め、姑も変わっていくという展開になります。家事労働をほぼ無償で搾取されていた専業主婦がいなくなるといかに大変かに家族全員が気づき、家族が反省しまっとうになっていくという展開になります。問題の「70歳死亡法」も施行前に廃止されるということになり、すべてハッピーエンドという結論になります。タイトルから想像したのとはまったく異なる、ちょっとしたユーモア小説を読んだ気になりました。なんか綺麗ごとでまとめすぎていて、物足りないなあというのが私の読後感です。

 ちなみに、この文庫本の解説を永江朗というフリーライターが書いていますが、この解説がとてもいいです。私と違って批判的な解説ではないですが、「書評家」と自称もしている人だけあって、文章は上手いし、解説もただ内容を紹介するだけでなく、自分の経験談を巧みに織り込んで、読ませる文章を書いています。この人の名前だけはしばしば聞いたことがあったのですが、今回初めて調べてみたら、フリーライターというだけあって実にたくさんの本を書いていました。どれも読みやすそうですが、わざわざ入手して読みたいタイトルの本はなかったので、このフリーライターの文章は、またどこかに掲載された時に読もうと思います。(2023.6.15

921.朝井まかて『藪医ふらここ堂』講談社文庫

 相変わらず上手い作家です。表紙のイラストや内容紹介から江戸の庶民を舞台にした連作短編のユーモア小説なんだろうなと思い、読み始めましたが、確かにそういう要素はありますが、長編小説として読ませるいくつものストーリーが織り込まれており、さすがだなと思わせてくれます。形式的には、天野三哲という小児科医が主人公ということになりますが、その娘や近隣の人々がいろいろ事態に巻き込まれて話が進みます。天野三哲なんて人は架空の人物だろうと思いながら読んでいましたが、モデルがちゃんといるそうです。篠崎三徹という医師でこの小説と同様に徳川家重の奥医師になった人物だそうです。よくそんな人物を見つけたなと思います。どの部分が事実に基づくのか、フィクションなのかもわからずに読まされます。元武士の薬問屋の番頭の過去も話に膨らみを持たせています。他にも、三哲の娘の恋心も巧みに描きます。また、江戸時代の医療や出産のシーンも詳しく、解説を書いていた医師が感心しているほどでした。

 それと、ブランコって明治になってから使われるようになった言葉なんだろうと勝手に思っていましたが、「ふらここ」という名で江戸時代にはもうあったんだということも初めて知りました。物語の面白さ以上に知識が増えた小説でした。(2023.6.6)

920.平野啓一郎『マチネの終わりに』文春文庫

純文学のジャンルに入るのでしょうが、ストーリー展開がそれなりにあり、比較的読みやすいです。プロのギタリストと国際的に活躍する女性ジャーナリストの恋愛を描いた作品です。途中で、その恋を邪魔するものが現れ、2人の恋は実らなくなるのですが、その後それぞれ結婚した2人ですが、互いに忘れられない思いを抱え、再び再会するかどうかという展開になります。

後半はどうなっていくのかなと読みたくなるのですが、前半は少しだるいです。そもそもいい歳をした2人が互いに一目惚れのような状態になるところが共感しにくいです。10代じゃないんだから、そんな恋の落ち方はしないだろうと突っ込みたくなります。2人の内面的魅力が伝わってこないので、単に女性はとびきりの美人で、男性はギターが素晴らしく上手いだけの魅力なのかなと思ってしまいます。

この作品は映画化されているようで、福山雅治と石田ゆり子がそれぞれ演じているようですが、イメージが合いません。彼らのイメージが邪魔するので、読みにくかったです笑(2023.5.20)

919.(映画)大友啓史監督・古沢良太脚本『レジェンド&バタフライ』(2023年・東映)

 いやあ、実につまらない映画でした。今年1月公開作品を早くもAMAZONプライムで無料で見られるというので、会費だけ払ってほぼ利用していないAMAZONプライムを使うチャンスかなと思い見てみましたが、ものすごくつまらなかったです。2時間48分と無駄に長く、時間を返せと言いたくなる駄作でした。今後は、公開から間もなくAMAZONプライムで無料で見られるような作品はなるべく見ずにおこうと思いました。

 まあでもつまらないと思いつつ一応最後まで見たのはここに感想を書くためですので、もう少し書きます。ストーリーは織田信長とその妻の恋愛物語です。映画の中で綾瀬はるかが演じた妻の名は一度も呼ばれず、ただ斉藤道三の娘ということだけが強調されます。昔は「濃姫(たぶん美濃から来た姫という意味)」、最近は「帰蝶」と言われることが多いので、おそらく「帰蝶」だろうということで「バタフライ」なのでしょう。「レジェンド」は信長のつもりでしょう。信長の妻になった道三の娘に関しては史実はほとんど残っていないので、様々なドラマや映画で好き勝手に描いています。この映画もそういう作品のひとつですが、通常は信長や戦国武将たちの活躍の影での、わずかな取り上げられ方なのですが、この作品では信長と対等の位置づけで、かつ二人が深く愛し合っていたということを描く物語なので、嘘っぽすぎて、歴史ドラマとして見られません。せめて、その二人の恋愛が興味深く描いていてくれたらいいのですが、浅くて、軽くて、馬鹿馬鹿しいのです。

 監督も脚本家も売れっ子ですが、彼らにとっては黒歴史になるような作品でしょう。岐阜の祭りにキムタクが信長役で登場したという話題性に騙されました。(2023.5.19)

918.有川浩『空の中』角川文庫

 有川浩の自衛隊3部作と言われる作品のうちの2作目です。1作目が陸上自衛隊を描いた『塩の街』(20042月)、ついでこの作品(200410月)で、3作目が『海の底』(20056月)で、スピンオフ作品として『クジラの彼』(20072月)、そして『ラブコメ今昔』(20087月)が発表されています。調べてみると、読むなら発表順に読むのがよいと書かれているのですが、実は私は何も知らずにちょうど逆順で読んできています。『ラブコメ今昔』が面白かったので、同じように自衛隊を描いた短編を探し、『クジラの彼』を読み、この作家にはまり、『クジラの彼』に登場する人物が活躍する『海の底』、そしてこの『空の中』まで来ました。正直に言うと、短編の方が面白く、『海の底』は奇妙な生物との闘いという少女小説感が強くなり、あと2作あるみたいだけど、ぜひ読みたいというほどでもないなと思い、この作品も古本として購入して持ってはいましたが、しばらく読む気が起らず放置していました。今回読み始めたのも特にきっかけはなく、何か気楽に読めそうなものを読んでみるかという感じで読み始めました。

 でやっぱり、未確認生命体との闘いというか、交渉物語になっていて、まあこんなもんだろうなという低めのテンションで読み終わりました。ただ、ちょっと奇妙な気持ちになったのは、私がこの本を読んでいる最中に、現実世界で自衛隊の幹部を多数乗せたヘリコプターが沖縄八重山諸島周辺で謎の墜落事故を起こしたというニュースがあり、なんかこの小説の未確認生命体と航空機がぶつかるというストーリーとの類似性が感じられたことです。この小説を読んだことのある人は、今回のニュースで、この小説のことを思い出した人もいるのではないでしょうか。

 読みやすい文章を書く作家なので、それなりに読めてしまいますが、未確認生命体との交渉というのはリアリティがなさすぎて、個人的にははまれない小説でした。あと残っている1冊『塩の街』を読むかどうか、今は微妙な気持ちです。(2023.4.14)

917.清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』新潮文庫

 以前から持っていた本だったのですが、それほど読みたいなという気が起きず放置していたのですが、前クールに放映していたドラマ「エルピス」は、この本が元になって作られたドラマだと聞き読んでみたら、力の入ったノンフィクションでした。「足利事件」で再審無罪判決が出たことは記憶していたのですが、近隣で起きた他の類似事件との関連性についての認識をあまり持っていませんでした。この本を読むと、連続事件として認めたくない警察の意向を汲んだ報道をしていたメディアも多かったようなので、日本テレビ系を意識して見ていないと、この著者と同様の認識にはならなかったようです。

 この本を読む限り、この著者が目星をつけている人物が真犯人だろうと思えるのですが、いまだにこの人物は逮捕されていないようです。その理由は著者が主張するように、警察・検察が自分たちのミスを認めたくないがゆえなのでしょうか。だとしたら、そんなプライドのために、事実調べを行わない警察に対する信頼度は大きく揺らぎます。

 この本を読んでいると、ジャーナリストという仕事が非常に立派な仕事に思えてくるのですが、テレビや新聞の報道を見ている限り、そんなに立派な仕事かどうかは疑問です。「ジャーナリスト」を自称する人に対して、やや懐疑的な気持ちを私は持っています。自分が正しいと思う価値観を押し付けてくる感じが強いので、そう思ってしまうのでしょう。

 ちょっと本の感想から横道にそれてしまいました。本としては読み応えのある本だと思います。(2023.3.19)

916.(映画)岸善幸監督『前科者』(2022年・日本)

 実はこの映画、人生初めてサブスクで見た映画です。1月ほど前に間違ってクリックしてしまい、Amazonプライムの会員登録してしまったのですが、映画やドラマとかはテレビで放映しているもので十分だし、Amazonプライムで見なくてもいいやと思っていたのですが、つい最近40歳代以下くらいでサブスクを使っていない人はいないと聞き、じゃあ時代についていくために、私も使ってみるかと考え、Amazonプライムで映画を観ることにしたのです。

 そう言えば、「花束みたいな恋をした」って映画はちょっと観たいかもと思ってたなあと思い出し、「有村架純」で検索したら出てくるかなと思い、検索したら出てはきましたが、レンタルか販売となっていて、別途費用がかかるようだったので、じゃあ他のでいいやと思い、社会派映画っぽそうなこの「前科者」にしてみました。倍速で見るのも当たり前ということだったので、倍速にしてみたかったのですが、Amazonプライムはちょっと特別な方法を使わないと倍速にできないようだったので、結局2時間ちょっとフルで観てしまいました。

 そこまで真剣に観たいと思える内容だったかと言えば疑問なのですが、なんでこんな若い女性が保護司をやっているんだろうとか、最初のシーンは後ろにどうつながっているんだろうとか、V6の森田君もすっかり中年になって意外に演技派なんだなあとか思っていたら、結局観てしまったという感じです。時間を無駄にしたとまでは思いませんでしたが、倍速で観られたら、倍速にしてみてもいいかなと思うところもありました。

 たぶん倍速で観るのは苦手そうな気がするのですが、いずれちょっと挑戦してみたいと思います。それにしても、サブスクで映画やドラマを次々と見始めたら、時間がいくらあっても足りなくなるのでしょうね。まあ、仕事がなくなって毎日日曜日になった時の時間潰しにはいいのかもしれませんね。でも、私にとってはあまり楽しそうな時間の使い方ではない気がしますが。(2023.3.13)

915.朝井まかて『花競べ 向島なずな屋繁盛記』講談社文庫

 朝井まかてという作家を知ってから、とても上手い作家なので、古本屋で見つけたら買っていたのですが、この本はタイトルが今一つで、また文庫の帯も魅力的でなく、単に江戸市井の人々を描いた人情物に過ぎないのだろうなと思ってしばらく読まず放置してました。まあでも、久しぶりに時代物でも読んでみるかという気になって読むことにしました。相変わらず読みやすい綺麗な文章で、やっぱりこの人は文章が上手いなあと思いながら読んでいましたが、だんだん単なる人情物ではなく、様々なストーリーが組み込まれていることに気づき、後半は一気呵成に読んでしまいました。この作品が実は朝井まかてのデビュー作だったと知り、なるほどこれなら一気に人気作家になったのもわかるなと思えました。

 さて、この作品はなずな屋という屋号で花師をしている新次という男とその女房のおりんを中心とした物語ですが、歴史上の実在の人物を含めて多様な人々が登場し、花の話だけでないふくらみを持った物語になっています。花の方も、実際に江戸時代に生まれた「紫式部」や「ソメイヨシノ」という花の誕生物語も組み込まれていて興味深いです。花の誕生物語は史実とは違うのでしょうが、なるほど、こういう史実があってもおかしくないなと思えるほどうまく組み込まれています。

 ストーリー、キャラクター、文章という小説の最重要3要素に関しては、高評価を与えうる好著です。お勧めです。(2023.3.5)

914.辻村深月『ツナグ』新潮文庫

 この作家の作品を読むのは初めてですが、読みやすい作家でした。物語は、死者とその死者に会いたがっている生者をツナグという話です。5つの短編連作になっていて、4編目まではそれぞれの事情で死者と会いたがる人の話ですが、5編目はそのツナグ役割を果たしている少年(高校生)が主役になっていて、ある種の謎解きのような展開になっています。悪くはないですが、特段の深みはなく、さらりと読める感じの小説です。時間潰しにはいいかもしれません。読みながら、これは映像化しやすそうな小説だなと思いながら読んでいましたが、読み終わって調べてみたら、文庫化されるタイミングでもう映画化されていました。もう10年以上前の映画ですが、役者陣はなかなか良さそうなので、いつか見てみようと思います。(2023.2.26)

913.堺屋太一『平成三十年()()』朝日文庫

 この小説は、平成9年から10年にかけて、20年後の日本を予測し描く新聞小説として書かれたものです。その後、平成14年に単行本化され、平成16年に文庫本として刊行されました。単行本にする時に多少修正しているようなので、15年後くらい先を描いた予測小説と位置付けられます。この本を令和5年――平成で言えば35年――に読むというのも、どのくらい予測が当たっているかを知る楽しみがあるわけですが、当たっているところもあれば外れているところもありという感じです。日本は改革を呪文のように唱えながら実際本格的な改革はできず、世界の中でその地位を下げてしまっているという予測は当たっている部分です。ただし、物価と賃金が大きく上がっているという予測はまったく外れています。まあでも、30年も物価も賃金も上がらないなんて予測は20世紀を生きてきた人間にはとうてい予測し得なかったのも無理はないですが。あと、現実に生じたインターネットをはじめとするIT環境の激変は著者の想像を超えていたようで、平成30年もFAXや携帯電話での連絡が主となっています。

 実は、この小説、未来予測の小説としてはあまり鋭くなく面白くないのですが、登場人物が戦国末期の武将名を使っているので、登場人物同士の人間関係と、歴史上の武将の人間関係を著者がどう利用するのかが気になって読み進めることができました。主人公は官僚である「木下」で、彼が仕える産業情報大臣が「織田」、総理は「三好」で官房長官は「松永」といった具合です。下巻に入ると、織田大臣の大改革案をめぐって政治家と官僚がどう動くかというのが焦点となります。木下とともに織田大臣に仕えてきた「明智」が最後の方で、織田大臣に切られることになり、それを恨んだ明智は、、、といった展開になり、もう後半は未来予測小説ではなく、戦国時代の史実や人間関係を、どう現代政治に置き換えるかという小説になっています。まあ読みはしましたが、それほど優れた小説ではありませんので、お勧めはしません。(2023.2.24)

912.ハーバート・ロス監督『チップス先生さようなら』(1969年・アメリカ)

 若い時から名前だけよく知っていた映画でしたが、先日NHKBSで放映していたので録画して観てみました。新聞の紹介で、ミュージカル映画と書いてあり、「えっ、ミュージカル映画だったんだ」と驚きましたが、まあ歌う場面とかはほんのちょっとしかばく、ミュージカル映画というイメージを持たれていなかったのも当然だなと感じました。

 さてストーリーですが、イギリスのパブリックスクールが舞台で、そこの堅物の教師・チップスが舞台女優と恋に落ち結婚します。しかし、伝統を重んじる学園の有力者たちは舞台女優という過去を持つキャサリンを排除しようとし、それに対して堅物だったチップスが情熱的に反抗し、二人は学園で居所を得ます。この辺までは恋愛映画かなと思わせますが、終わりの方になると、第2次世界大戦の時代に入り、戦時中の学園が描かれます。と言っても、あまり深みはないのですが。愛する妻キャサリンのために、校長の座に就きたいと思っていたチップスがようやくその内示を受けた日に、慰問活動に出かけたキャサリンはそこで爆撃を受け、亡くなってしまいます。

 その後も淡々と教師の仕事を続け、定年後も毎日学園に通い、生徒たちと挨拶を交わす場面で映画は終わります。最後までチップスは学園に居続けるので、なんで「チップス先生さようなら(原題Goodbye, Mr. Chips)」というタイトルなんだろうとよくわからないまま見終わりました。正直言って、なんでこの映画がそんな有名映画になったんだろうと不思議な気持ちでした。(2023.2.14)

911.ハン・スーイン『長兄 周恩来の生涯』新潮社

 周恩来という人物については、もしかしたら若い人は知らなかったりするでしょうか。毛沢東時代の中国におけるNo.2として1976年まで中国の発展に尽くした大政治家です。中国は、ケ小平が行った1978年の改革開放政策で一気に経済成長が進んだことで、ケ小平のことは今でもしばしば語られますが、そのケ小平を復活させ、改革開放路線を歩ませるように道筋をつけていたのが周恩来でした。日本と中国が国交回復した時の映像がたまに流れることがあると思いますが、田中角栄と握手をし書類にサインしている人物が周恩来です。

私は昔から周恩来という政治家は非常に優れた政治家だという認識を持っていましたが、どういう生涯を送ったのか、なぜ文化大革命で追い落とされずに生き残れたかなど詳しくはわかっていませんでした。この本は、そうした数々の疑問に答えてくれる好著です。また、周恩来は、中国共産党の創設から中心的役割を果たし続けた人物なので、周恩来の生涯を追うことは中国共産党の、あるいは20世紀の中国の歴史を知ることにもなります。ピンポイントで知っていた事件や事態が、そんな風につながっていたのかと、何度も感心しました。いちいちあげていたらキリがないですが、いくつか紹介しておきます。

@なぜ毛沢東が共産党のトップになれたのか?/A国共合作の実情は?/Bソビエトとの関係/C大躍進政策の実情/D劉少奇と周恩来の関係/E周恩来が文化大革命を生き残れた理由と果たした役割/F林彪の登場と失脚の経緯/Gアメリカとの関係改善とベトナム戦争/H四人組の台頭と失脚/I毛沢東と周恩来の関係/J周恩来の目指したもの

こんなテーマの羅列だけでは中身はわからないですね。でも、これらをわかるように伝えようと思ったら、何ページも書かなければならなくなりますので、興味のある人は自分で本を読んでください。最後の「J周恩来の目指したもの」だけ少し触れておくと、周恩来が目指していたものは、中国の人民の生活が豊かになるようにすることだったのだと思います。彼は、共産党のNO.2でしたが、共産主義者なのかどうかも、この本を読んでいると疑いたくなります。列強にいい様に踏みにじられてきた清の時代の中国から知る周恩来にとって、蒋介石率いる国民党より共産党の方が中国の人民を幸せにできるだろうという思いで、共産党の活動家になっていますが、彼はイデオロギーにとらわれることはほぼなく、国民党や非共産主義者も含めて、中国人が大同団結して、日本をはじめ列強を追い出し、中国人が自分たちで治める国家をつくることをめざします。中華人民共和国が建国された後も、この周恩来の考えは変わることなく、共産主義者でなくとも、中国を愛する中国人たちの力を結集して、「現代化」を進めることをめざします。

こんな方針で一貫してやっていたのだから、文化大革命の時は当然一番危うい立場に置かれるはずの人物だったわけで、実際、江青たちは何度も周恩来の追い落としを狙いますが、個人的権力を一切求めようとしない周恩来に対する毛沢東の絶対的信頼感が彼を絶体絶命の窮地に追いやることなく、文化大革命を乗り切らせました。周恩来は、生きている時に栄誉や財産や身内の引き立ても一切求めなかったのはもちろん、死んだ後も、自分の記念碑や銅像などを創ることを厳禁し、灰になった遺骨も空から撒かせて、自分が死後にシンボル化されないようにすら配慮しています。

 周恩来は、20世紀最高の政治家の1人だと思います。「政治家」というより「偉人」といった方がいいかもしれません。非常に読み応えのある本でした。(2023.1.26)

910.TVドラマ)浅田次郎原作・松原信吾監督『壬生義士伝〜新選組でいちばん強かった男〜』(2002年・テレビ東京)

 21年前に正月時代劇として放送されていて非常に面白く観たドラマが、今年再放送をしていたので、再度観てしまいました。やはり、よくできた作品です。この作品は翌年に映画化もされて、日本アカデミー賞を取ったと思いますが、私としては映画版よりこのドラマ版の方がよくできていると当時から思っていました。主役の南部藩脱藩浪人で新選組に吉村寛一郎をTVドラマでは渡辺謙が、映画では中井貴一が演じていますが、この役は渡辺謙の方が合っていました。妻のしづ役も映画の夏川結衣よりドラマの高島礼子の方がよかったです。何より、映画の2時間20分程度では描き切れない複雑な人間関係が10時間のドラマでは詳細に描かれていて、見応えがあります。

 今回再放送を見てちょっと自分の記憶になく驚いたのは、吉村寛一郎の壮絶な自死でドラマが終わったように思っていましたが、その後が1時間以上あったということです。小説の方も読んだのですが、吉村が死んだ後のストーリーが描かれていたかどうかも思い出せません。吉村寛一郎という人物の魅力とその最後が強烈な印象を残すために、後日談的部分は忘れてしまったのでしょう。今確認したら、小説の方の感想を20年前に書いていました(36.浅田次郎『壬生義士伝(上・下)』文芸春秋)。それを読むと、最後はぼろぼろ泣きながら読んだと書いていますので、小説の最後は吉村寛一郎の死だったのでしょう。時間ができたら、もう一度小説の方も確認してみます。(2023.1.4

909.竹内洋『学歴貴族の栄光と挫折』講談社学術文庫

 著者とは親しい間柄なのでいただいた本も多く、いろいろ読ませてもらっていますし、どの本も読みやすくてなかなか面白いのですが、この本が今まで読んだ本の中では一番の力作だと感じました。

 旧制高校に焦点を合わせ、旧制高校の誕生、変貌、消滅、そしてその後1970年代頃までの大学生たちを取り上げています。いろいろ詳しく調べておられるので、なるほどそうだったのかと初めて知ることも多かったです。かつては旧制高校から帝大に無試験で入学できたこと、明治中盤期までは、武士道精神を受け継ぐ運動部の力が強く、学問にいそしむ人間は「文弱」と馬鹿にされていたのが、私立高校に運動で勝てなくなる中で、西洋的な思想・文学といった教養を身に着けることが旧制高校生のあるべき姿になっていったこと、など興味深く読みました。

 また、1960年代末の大学紛争の背景に、大学進学率が高まり、かつては卒業すれば自動的にエリートになれた大学生がただの大衆的なサラリーマンにしかなれないという潜在的な憤怒の感情があり、旧制高校、大学を経て、大学教授というエリートとなっている人々への反発があったという指摘も面白いと思いました。

 後、この本を読みながらずっと考えていたのが、「教養」って何だろうということです。教養主義が支配的文化になった旧制高校や戦後の大学で読まれていた教養書は、今の私から見ると特に読む必要がない本のように思えてしまいます。著者がよく取り上げる『三太郎の日記』という本に関しては、数年前に一度ちゃんと読んでみようと読み始めてみたのですが、まったく面白くなく途中で読むのをやめてしまいました。まあ、60歳を超えてから読むような本でもないのでしょうが。他の教養書として挙がっている本も読みたいと思う本はほぼありません。

 私自身、読書は大切だと思うし、知識を持つことも非常に大切だと思っているのですが、「教養を身に着ける」というのは、いったい何を身に着けたらいいのか、正直言ってよくわからないところがあります。かつて大学には「教養学部」があり、今でも「教養科目」という名前があり、私も若き日には哲学書や思想書、生き方を考える書籍、文学などを手当たり次第読んだこともあるのですが、今「教養」とは何かと問われたらうまく答えられません。でも、その教養を重んじた時代が長くあったんだということをこの本で再確認し、教養って何なのかを改めて考えてみたいと思いました。(2022.10.7)

908.土屋泰樹・中井検裕・沼田麻美子「大規模工場跡地利用転換に関する研究――神奈川県に着目して――」(『都市計画論文集』Vol.54,No.3201910月)

先日、片桐社会学塾で、関西圏内の大型商業施設が、元工場だった跡地を利用してできているところが多いと知り、跡地利用というのは確かに興味深いなと思い、少し調べてみたところ、この論文に出会いました。読んでみたら、割とすっきりとまとめられていたので、ここでも紹介しておきます。

この論文で対象とされたのは、神奈川県で1981年以降に閉鎖された116件の工場跡地です。そのうち土地が分割され、複数の用途に転換利用されたところが49件あり、それを複数カウントすると、住居利用が58件、商業利用が40件、工場利用が49件、その他利用が26件、未利用が6件になるそうです。規模や敷地面積の大きさで主要な単独利用としてカウントし直すと、住居利用が53件、商業利用が26件、工場利用が27件、その他が10件となるそうです。

敷地面積と最寄駅からの距離という条件によって、跡地利用は大きく影響されます。予想できることですが、住居利用は最寄駅から近いことが重要な条件で敷地面積はそこまで広くなくてもよいという結果が出ています。住居利用は、最寄駅から1.5km未満が56件(複数カウント集計)に対し、1.5kmを超えるとたった2件しかありません。商業利用だと、駐車場などを広く取れれば、駅からの近さは住居利用ほどには求められないこと、他方で当然ながら敷地面積はより広めのものが増えています。工場利用は駅からの距離は商業施設より遠くなっていますが、敷地面積は商業施設より小さいところが多めです(5ha未満の敷地を利用している商業施設は18/4045%に対し、工場施設は28/4957%)。たぶん、もとあった工場ほどの大規模施設を必要としない工場が新たに入ってきたということなのでしょう。

もうひとつ興味深いデータは、「土地利用種別と閉鎖年代」です。1990年代後半から2009年にかけてほぼ毎年生まれていた商業施設への利用転換が2010年以降2016年までの7年間ではたった1件しかないことです。やはり、この頃から大型商業施設の需要が減ってきたことを端的に表しているデータかと思います。

なお、参考文献を見ていたら、軍用地の転用を研究している人や旧国鉄跡地の研究をしている人もそれなりにいるようです。もともと大名や旗本の屋敷だったところが明治になって新政府の建物や高官の住居、皇族の住居、さらには軍用地に変わったりしていたのが、戦後また使い方が大きく変わっていったわけですし、高度成長期には、戦前までの里山がどんどん切り開かれて○○が丘といった住宅地になっていったりしたわけです。土地が各時代でどのように使われてきたかというのは、社会の変化と深く関わっていて非常に興味深いです。

都市計画を学んでいる人にとっては常識的な発想なのかもしれませんが、個別事例の研究としてではなく、大きな社会の変化、人々の意識(求めるもの)の変化、国際情勢による産業構造の変化、テクノロジーの変化、といった様々な社会的要因との関連を捉えられないだろうかと考えてみたくなりました。

907.細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書

 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にはまっていたので、書店で見つけて手に取ってみたのですが、なかなかおもしろそうな本だったので、そのまま購入して早速読んでみました。何を面白そうと思ったかというと、内容がというより本の作り方が、です。新書でこのタイトルですから、読みやすい歴史書なんだろうと思って最初手に取ったのですが、中盤に小説が組み込まれていました。タイトルになっている三浦一族が滅んだ「宝治合戦」の話の部分が小説として描かれています。前半100ページほどで、まず鎌倉幕府の仕組みや宝治合戦に至る以前の関東の有力武士団が滅んでいった歴史的事実が歴史書の手法で紹介されます。そして、いよいよクライマックスの三浦一族が滅ぶことになる戦いに関しては、そこに至る詳細やそこに関わる人物たちの位置づけは、約200ページほどの小説の手法で描かれます。小説の手法を取ることによって、歴史的資料等ではまったくわかっていないような登場人物の心理や発言を作者は自由に描くことができるようになっています。そして、最後にその後の鎌倉幕府のことが50ページほどの分量で歴史書的手法で紹介されます。

 私自身、ある時代の歴史を知りたいと思った時に、歴史書を読むこともありますが、歴史小説を読んで知識を得ることの方が多い人間です。歴史書だとやや硬くて、各人物の特徴とかがつかみにくく頭に残りにくいのに対し、小説の形になっていると非常にわかりやすく把握できます。ただし、あくまでも小説なので、作家自身による人物造形の要素も大きく、どこまで事実に近いのだろうかということを批判的に考えながら読む必要があります。しばしば歴史小説家の描いた歴史が事実のように思われてしまうこともあります。司馬遼太郎の描いた歴史小説は「司馬史観」とまで言われ、まるで司馬遼太郎が1人の歴史研究者であるかのように位置づけられたりしています。

 この本の作者は経歴を見ると歴史学を専攻して博士号を取っている方のようなので、基本は歴史学者なのでしょう。学者という人たちはアカデミズムの世界から批判されないように、あまり遊び心を出さないようにアウトプットするものですが、この方はあえて破ったのでしょうね。小説家がちょっと歴史を調べて歴史小説を書けるなら、もっと詳しく歴史的資料を読めている歴史学者が小説的手法を用いて、その時代の歴史を描くことだって十分できるということを示したかったのでしょう。私も、社会運動を研究してきた人間ですが、運動と人間の関わりを理解してもらうためには、小説的手法を使うのもありだろうと思って、「紫陽花」という戯曲を書きましたので、この作者には共感するところがあります。

 ということで、なかなか興味深い本でしたし、三浦一族が滅ぶに至った経緯もよくわかってよかったのですが、しいて難点をあげるなら、武士たちの言葉遣いが荒すぎる気がした点です。たぶん、著者は、この時代の関東の武士はこのくらい荒っぽい喋り方をしていたはずだという思いから、意図的にこういう喋り方をさせているのでしょうが、なんだか江戸時代のごろつきの姿が浮かんできてしまう喋り方でした。従う郎従もたくさんいる武士団の棟梁たちなのだから、ここまで蓮っ葉な感じではなかったのではないか、もう一工夫できたのではないかと思いました。(2022.9.4)

906.伊岡瞬『本性』角川文庫

 この作家の本は、たぶん『代償』(892.伊岡瞬『代償』角川文庫)という本に次いで2冊目だと思いますが、『代償』同様、どうストーリーが展開してゆくのだろうと気になって、一気に読みたくなるミステリーです。魅力的で正体のよくわからない女性が登場してきて、彼女が様々な人間と関係を持ち、いろいろな事件が起きるという感じで進みます。1人の女性がこんな風にバラバラな場所で起きる事態に関わっているということは、間違いなく、それらがひとつのつながりを持つという展開になるのだろうと容易に想像されるのですが、どの程度うまく伏線を回収し、かつ、こちらが想定できなかったような結末を持ってこられているのだろうかと読み進めました。

最初の4章は連作短編小説のように読めてかなり期待感が増したのですが、5章以降の後半は、ベテランと若手の刑事による割とありきたりの謎解きになっていて、かなり興味をそがれました。当然ながら、その謎はそれほど意外なものではありませんでした。むしろ、若い女性1人で、こんなに殺人や死体処理はできないだろうとか、これほどの事件を起こす女性が本名を名乗っているのもおかしいし、関係者がほぼ誰一人、彼女の名前を憶えていません。そういうことは実際にはないよなあと、ツッコミを入れたくなりました。

 『代償』の方が、家族をマインドコントールするというテーマで、社会性も感じるので、よりよくできた小説だと思います。この『本性』の方は、エンターテイメント要素が強く深みはなかったです。(2022.8.31)

905.高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」(『文芸春秋』20229月号)

 今年秋の芥川賞を取った作品です。賞を取った時のインタビューで、「社会になじめない人物が主人公の小説を読み、『私自身はどちらかというと何とかこなしてしまう側の人間だな』と思ったのが、この話を書くきっかけだった。『きつくても適応して、どうにかしてしまう側の人間のことを書きたいなという気持ちがあった』」と答えている記事(『朝日新聞』730日朝刊)を読み、ぜひ読んでみたいと思っていました。

 ちょっと変わった文体で、1人称の女性の立場で書かれる部分と、男性を主人公とした3人称で書かれる部分が、交互に出てきます。何らかの意図があるのでしょうが、3人称の方も、かなり男性の心理をそのまま書いていますので、これなら両方1人称で書いた方がよかったのではないかという気がしました。主要登場人物は3人で、仕事を頑張れないけど、愛嬌とお菓子作りで周りから優しくしてもらえる女性(芦川さん)、その芦川さんにイライラする同僚女性の押尾さん(1人称で書かれるときの語り手)、そして芦川さんの行動を疑問に追いつつ、女性としてのかわいらしさで付き合っている二谷という男性社員(3人称の時の主人公)です。

 上記の作者の執筆動機からすると、ちゃんと仕事をしない芦川さんが社会になじめない人物で、残業も頑張ってやっている押尾さんや二谷が「何とかこなしてしまう側」の人間という位置づけになりそうですが、そう単純でもありません。芦川さんは頑張れない人間で彼女が頑張らない分を周りがカバーしているわけですが、押尾さん以外の人間は、その彼女を受け入れていますので、芦川さんは社会になじめていないとは言えないかもしれません。二谷との関係も一応結婚に向かっている感じになっていて、いろいろなことをテキパキこなせないけれど、社会に適応しているように見えます。

 他方、押尾さんはかつてチアリーダーもやっていた「頑張り屋さん」と評価されていますが、芦川さんに冷たい態度を取ることで、職場で浮く立場になっています。周りから受け入れられていないという意味では、彼女の方が社会になじめない人物という風にも思えます。

二谷という男性も普通に見えて変わっています。食事にエネルギーをかけるのが大嫌いなくせに、恋人である芦川さんが食事を作ってくれると、「おいしい。おいしい」と言って食べますが、彼女が寝た後、起き出してカップ麺を必ず食べています。芦川さんと価値観がまったく合わないことを自覚しながら、彼女のかわいさと肉体だけでいいとでも思っているかのような付き合い方をしています。彼女が会社に頻繁に持ってくる手作りのケーキやお菓子は食べたくもないので、後でこっそり捨てたりもしています。

 三者三様で、みんなおかしいという気もしますし、この程度の形で発散している分には、誰も不適応ではないのかなと思うべきなのか、よくわからないなというのが読後感でした。当初、新聞記事を読んだときに思ったのは、「社会になじめない人物が主人公の小説」とは『コンビニ人間』のことで、それと対極的な「普通の人物」が主人公で、その「普通さ」からおかしなことが起きるみたいな話かなと思っていたのですが、少し違った感じです。まあでも、押尾さんや二谷が、芦川さんに「いじわる」をするというのは、普通の人の逆襲とも言えるかもしれません。ただし、この物語は、その「いじわる」に気づかない(ふりをする?)、頑張らない芦川さんが勝利しそうな流れになって終わっていますので、結局、今の時代、頑張って普通に生きようとする人が損をせざるをえないのだということを、作者は結論とせざるをえなかったのかもしれません。(2022.8.30

904.塩田武士『騙し絵の牙』角川文庫

 大泉洋を主役としてイメージしてあて書きした小説だそうですが、読んでいると、大泉洋のイメージとは重ならないことが多く、私はわりと早い段階から大泉洋のイメージを忘れて読んでいました。舞台は、現代の出版社で、速水輝也という主人公は、その出版社のある雑誌の編集長です。紙媒体がどんどん売れなくなる中で、速水が担当する雑誌も廃刊の危機に立たされます。その危機を乗り切るために、速水がいろいろ活躍するという展開なのですが、なんか浅いんですよね。組織の人気者であるという以外は、これといった能力も感じさせない男でありながら、最後は会社を辞め、独立して大成功を収めるという展開になっています。そんなことができるなら、途中で雑誌が廃刊にならないように必死になっていたのはなんだったんだろうと、描かれていない心境の変化が飛躍しすぎていて、ついていけません。妻の万引きや離婚話も何かの伏線かと思わせておきながら、結局何も使っていません。

 逆に、最後のエピソードという章では、実は速水は関西出身で、もとは速水ではなかったこととか、編集者になりたいと思ったのは、義父の夢を叶えるためとかいった、それまでのストーリーとまったく関係ない話が隠されていた謎のように語られるのですが、「はあ?」って感じでした。それまでのストーリーとまったく関係ない謎を示し、その謎解きをしたって、まったく面白くありません。

 『罪の声』で力のある作家だと思いましたが、この小説を読むと、元新聞記者として社会派的テーマを取り上げたいという意欲はあるけれど、ストーリーテラーとしてはまだまだなのかもしれないなと感じました。作品によって当たり外れがありそうです。(2022.8.27

903.朝井まかて『眩(くらら)』新潮文庫

 葛飾北斎の娘・お栄を主人公にした小説です。お栄は葛飾応為という名の絵師で、数枚の肉筆画がお栄のものだとわかっていますが、晩年の葛飾北斎の作品はかなりお栄が手伝っているだろうと言われています。ネット上でも見られるお栄の作品として確実視されている「三曲合奏図」と「吉原格子先之図」を見ると、素晴らしい画家だったことがわかります。特に、後者の「吉原格子先之図」の光と影の使い方は斬新で見事な作品です。

 さて、物語はお栄の人生をたどるようなストーリーとなっています。ただ、お栄自身がとにかくひたすら絵を描くことしかしてない人間なので物語にドラマチックな展開はほとんどありません。せいぜい同じ絵師である渓斎英泉とのロマンスと、北斎とお栄に迷惑ばかりをかける甥の時太郎のエピソードが織り込まれていますが、どちらも小説全体の核を作るほどのものにはなっていません。絵具や絵筆を作る場面などが詳細に書かれており、よく調べて書いているなと感心しましたが、小説全体としてはやや薄味のものになっている感じがします。お栄という人物についてまったく知識がない人が読んだら、「へえー、北斎にはこんなに優れた絵師になった娘がいたんだ」とか「北斎の晩年の絵は娘との合作が多いんだ」と驚きながら読めるでしょうが、ある程度その辺のことを知っている人間からすると、ちょっと、いやかなり物足りない小説でした。(2022.8.11

902.藤野恵美『ハルさん』創元社推理文庫

 またちょっと帯に騙されてしまいました(笑)全然知らない作家でしたが、帯に掲載されていた書店員たちの「泣きますよ」という感想と、裏表紙の紹介文の中にあった「児童文学の気鋭が頼りない人形作家の父と、日々成長する娘の姿を優しく綴った快作」という売り文句で、読む価値があるかなと思い、購入し読んでみましたが、泣けもしないし、緩い物語で、読みながらかなり退屈してしまいました。一応、大人読者向けに書いたつもりなのかもしれませんが、私に言わせると、小学校高学年から中学生くらいの女子向けの小説という印象でした。

 物語は愛妻を早く亡くした人形作家のハルという男性が、一人娘を育て上げ結婚式までたどり着くということですが、娘の成長の時期に応じて起きたちょっとした出来事の謎を、頭の中に浮かんでくる妻の意見で無事解決していくという話です。児童向けミステリーというようなジャンルのものでしょうか。ただ、その出来事というのがたいした事件ではなく、謎が解けたからと言って、「そうだったんだ。なるほど」と感心するほどのものではないです。たぶん、もうこの作家の作品は読むことはないでしょう。(2022.7.24

901.塩田武士『罪の声』講談社文庫

 映画版(805.(映画)土井裕泰監督『罪の声』(2020年・東宝))を先に観てしまっていましたが、古本屋で小説の方も安く売っていましたので、読んでみることにしました。2時間20分ほどの映画では描き切れていなかった点も知れて映画とはまた違う面白さを感じました。映画を観た時にも感想に書きましたが、「グリコ・森永事件」を題材にしたフィクションですが、本当にこれが真実なのではないかと思えるほど説得力があります。犯人グループの関係も映画では十分理解できませんでしたが、小説では詳しく書かれていてよくわかりました。時代背景もしっかり関係づけられていてよく勉強して書かれた作品だと改めて感じました。(2022.7.16)