テーマ:「活版から電算写植・DTPへの変遷−大学の学術出版を横軸に−」
発表者:中西 秀彦(中西印刷株式会社専務)
日時:2008年7月26日(土)14:30〜16:30
会場:大阪市立大学梅田サテライトキャンパス
今回は学術出版界において長年の実績を誇る中西印刷株式会社より中西秀彦専務をお招きし、活版印刷の時代から今日に至るまでの学術印刷の変遷についてお話いただいた。以下はその概要である。
1997年の『タイム』誌のアンケートで「活版印刷」は他の様々な科学技術を抑えて二千年紀最大の発明の栄誉に輝いた。活版印刷はその発明から500年間、人間の文化のみなもとであり続けた。
中西印刷は江戸時代に起源を持ち、明治初期から京都において印刷業に携わってきた老舗の印刷会社であり、こだわりの活字技術を用いて様々な学術出版を手がけてきた。学術出版は、漢籍や東洋学文献における特殊漢字・変体がな、言語学・歴史学分野の世界の文字、数学・物理学の数式、生物学・医学における写真の再現性、世界共通の組み版規則など、特殊かつ高度な技術が要求された。学術印刷の現場には、そうした無理難題と思われるような要求に応え続ける職人技が確かにあった。
発明から500年間変わらなかった活字技術であったが、急激な経済発展と旺盛な読書需要は大量印刷を必要とし、その一方で一人前になるのに10年はかかるといわれる活字職人の数が追いつかない状況が生じた。それによって近代化の各種の試みが誕生した。
中西印刷では活版の自動化・機械化に挑戦し、1970年代に活版組版校正機の実用化に成功した。これはワープロで入力してそれを活版で出力するものであった。しかしあくまでも活版技術の範囲内での改革であり、最後には手先の器用な職人の技が必要な点で限界があった。それを根本的に変えたのが「電算写植」の導入であった。
電算写植が導入されたのは1986年のことであった。活版職人たちは活字をキーボードに持ちかえるという大きな変化に戸惑いつつも、新たな環境に挑んだ。融通のきかないコンピュータとの格闘が続いたが、なかでも最大の難関は漢字問題であった。しかし、活字時代の格闘との大きな違いは、職人の努力でコンピュータの欠点を補完したとしても、コンピュータがバージョンアップすれば、それがいともたやすく解決されてしまう点であった。
さらに次に待ち受けていた変革はDTP(Desk Top Publishing)であった。それは印刷の単なる電子化ではなく、出版そのものが机の上で出来る点で、プロの電算写植からアマのDTPへの大きな転換であった。学術出版に関していえば、出版者はいうまでもなく、簡単なものであれば著者自身でDTPができる。そのままアップロードしてしまえば、紙に印刷することすら必要がない。従来の枠組みでいうところの「印刷」の介在する場所が小さくなってきている。モノとしての本の文化は失われていくのだろうか。その答えを探すため、デジタル時代の学術印刷の新たな方向を模索し、日夜苦悩し挑戦し続けておられる。
中西印刷では1992年に活版印刷をすべてストップされた。活版印刷の道具はあまり残っていない。これらを収集し、後世に残すことにも取り組んでおられる中西専務。全体を通じて活版そして学術印刷への愛着、それを通じて学術や文化の発展に関わってこられたという矜持が強く感じられた。
(文責:村上泰子)