ヴァルデンフェルス「異郷のなかの故郷」(1)に寄せて

 

品川哲彦

『紀要』、第19巻、和歌山県立医科大学進学課程、1989320日、1-8

 

 

I 故郷世界(Heimwelt)という概念の淵源

II 「異郷のなかの故郷」

III 論評

 

I 故郷世界(Heimwelt)という概念の淵源

 二十世紀の初頭には、いくつかの世界論、宇宙論の試みが、とりわけ、現象学に関わるひとびと(フッサール、N・ハルトマン、シェーラー、ハイデガー)のなかから提出されてきた。十九世紀の後半にはほとんど主題化されなかった、世界論、宇宙論という問題設定に、この時期、ふたたび日が当てられたのは、ランドグレーベも指摘しているように(2)、十九世紀後半では「特定の世界概念がすでに自明のものとなり、且つ唯一の代表的なものとなって」いたのに対し、二十世紀初頭には「この自明さの動揺」が生じたからである。特定の世界概念とは、実証主義(3)による学の基礎づけに対応する世界概念のことである。つまり、複雑な現象を単純な事実の因果的、機械的な複合によって説明しようとする要素還元主義による学の基礎づけのことであって、自然科学や自然科学の方法に準拠した学、とりわけ、心理学が万学の基礎づけをする学として期待されていた。そして、その試みが成功すれば、高次な現象を均質に統一して説明することができるはずであり、均質に統一された世界像が獲得されるはずであった。これに対して、二十世紀初頭には、要素に還元できない、ないしは要素に還元しては無意味になるような意味のまとまり──それは、私たちが、「自然界」「動物の世界」「人間の世界」などというように言い表しているものと直接に結びついており、さらには「子どもの世界」「役人の世界」などと言い表されているものにも通じている──の独自性の復権が試みられたのである。

 ところで、そのような世界論の試みのなかから、フッサールのそれをとりあげるなら、その成果のひとつに、《私と他者とに同一の世界が、それにもかかわらず、つねに直接的には、この私の世界として現れている》ことの徹底した自覚という点が挙げられよう。

 世界は私の身体の位置するここを中心として、左右、前後、遠近の違いをともなって私に現れてくる。私が町を歩きながら見る左右の家並みは、ユトリロの絵に描かれたごとく、あるパースペクティヴをもって現れる。私がコンサートを聴いているときに近くの席で起こる抑えた咳払いは、離れた舞台から流れてくる音楽を私が聴くのを妨げる。むろん、私が位置を変えれば、事情は変わる。しかし、どのように位置を変えても、世界が私の身体を中心としたしかたで私に現れてくることに変わりはない。世界は私の世界である。

だが、それは私秘的な世界が現れていることではない。私が、他者が今占めている位置に移動するなら、いいかえれば、そこをここに変えるなら、私は他者が得ているであろう世界の現れを獲得することができる。だから、私と他者とに同一の世界が現れている。

 私は、ここでは、フッサールの他者構成の理論がいかに現実の他者に達していないか(4)という問題に赴くつもりはない。いずれにせよ、《世界は、直接的には私の世界として現れるが、それにもかかわらず、それは私と他者とに同一の世界である》というきわめて自明で、しかも逆説的な事態は、いくつもの問題を孕んでいる。ただ、話の脈絡からひとつ確認しておきたいのは、上述の分析(5)では、私と他者との違いがたんに身体の占める位置の違いだけであるように思われることである。しかし、それは上述の分析が、社会・文化・歴史などに由来する特性を一切欠いた、単なる知覚を念頭においた分析だからである。そこでは、世界は単なる知覚に対して同一な世界として現れるにすぎず、また、私と他者とは単なる知覚主観としてだれでもよいがだれでもない(jedermann)ひとりにすぎない。

 が、はたして、単なる知覚なるものは、現実にあるのだろうか。 ここで、フッサールの学説史における時代的順序とは関係なく、『イデーン』第二巻(6)という書物の抱えた奇妙な事態が思い出される。『イデーン』第二巻は、主観のとる態度に対応して、対象の存在領域を説明しようという意図をもっていた。すなわち、自然主義的態度に対応して「単なる自然」「生命ある自然」という領域が、人格主義的態度に対応して「精神的世界」という領域が論じられ、しかも、この順に、前者が後者を基づける(fundieren)という関係が証明されるはずであった。ところが、同書第三部に至って明らかになるように、じつは、人格主義的態度こそが根源的なものであって、自然主義的態度はそこからの抽象にすぎなかった。したがって、「精神的世界」こそが先なるものであって、自然主義的態度において営まれる自然科学の対象、単なる知覚の対象である「単なる自然」は、抽象された構築物にほかならなかったのである。

 この奇妙な事態は二つのことを意味する。ひとつは、自然主義的態度もまた人間のとるひとつの態度にすぎず、自然科学が一切の現象を説明するような学ではないということである。これは、現在はともかく、上述のように学の実証主義的な基礎づけが展望されていた時代にあっては、貴重な指摘であったろう。もうひとつは、フッサール自身の基づけ概念の座礁である。単なる自然(7)を出発点にとって、そのうえに高次の現象を基づけることはできないのである。

 こうして、ある社会・文化・歴史をともなった、私たちが生きている世界(生活世界(8)が、考察の出発点にとられねばならなくなる。生活世界もまた、直接的には、私を中心として、私の世界として現れることに変わりはない。そこには、私にとって遠い世界、近い世界の区別がある。私と思想や宗教や文化を異にするひとびとが形作っている世界は、私にとって遠い世界である。しかし、遠い世界と近い世界の区別は固定的ではなく、両者はたがいに閉鎖しあってもいない。回心や転向を通して、遠い世界が私の世界になることもあるからだ。世界は遠近を含みつつ、なお、ひとつの世界である。

 しかも、たんに空間的な表象のみではない。個々の主観はそれぞれの固有な精神史(9)を生きているのであり、その精神史において、主観をとりまく世界についてさまざまな意味づけをなし、それについて熟知していく。そこから、私が精通し、あれやこれやのことをやってのけることのできる世界(故郷世界)が生まれる。故郷世界は親密と熟知をその性格とする。その逆が、異郷世界である。また、私に先行して存在したひとびともある。それらの主観がなした意味づけは、故郷世界のなかに沈澱しており、私たちに受け継がれるのを待っている。「だれにとっても、ふるなじみのうちのなかにさえも、開かれていない地平がある」(10)。うちのなかによそがあるのなら、また、よそのなかにうちがあるということにもなろう。

 ところが、この遠い世界、近い世界、故郷世界、異郷世界といった概念は、フッサールの膨大な草稿(11)のなかに散見されるものの、いまだ、統一した問題系を形作ってはいない。そこで私は、以下、故郷という概念をめぐる議論を積極的に展開しているヴァルデンフェルスの論文「異郷のなかの故郷」をとりあげて、いささか考えてみることにしたい。

 

II 「異郷のなかの故郷」

 「異郷のなかの故郷」は、(I)生きられた空間、(II)親しまれた世界、(III)歴史的曲折、(IV)間領域性の四つの部分に分かたれる。この節では、文脈を追いつつ、大意をまとめてみよう。

(I) 生きられた空間とは、だれとどこ(たとえば、案内係と受付)とが結びついた空間であり、そのようなしかたで意味づけられた空間である。それは、幾何学的空間ないし幾何学的空間を基準とするような自然科学の空間とはちがって均質ではなく、私のいるここを中心に広がった、質の差異を含んだ空間である。ヴァルデンフェルスが故郷をとりあげるのは、故郷という概念が、場所の有意味性が偶然以上のものであることをよく示しているからである。

(II) 故郷は単なるここを超えている。なぜなら、こことは、私の身体がそのつど位置している場所を指すにすぎないからである。では、その違いはどこにあるのだろうか。次の問いを出発点にしよう。「君はどこから来たのか」。この問いに対して、三つの答えがありうる。たとえば、筑波で開かれた学会においてそう聞かれたとしよう。私は「東京からです」と答える。それは、私が前日、ないしはここしばらく宿泊している場所である。これを滞在地(Aufent-haltsort)と呼ぼう。また、状況がちがえば、私は「川崎から来ました」と答えることもある。それは私の生まれ在所(Herkunftsort)である。また、私は「和歌山からです」と答えることもある。それは、私が今暮らしており勤めている場所、生活の場所(Lebensort)である。では、これら三つの場所のいずれかに、故郷を限定することはできるのだろうか。

 滞在地にあっては、私は行きずりの人間である。それゆえ、私は滞在地を所有することもできないし、また、それを失うこともできない。故郷はそれを失うことが痛みであるような場所である。だから滞在地は故郷ではない。生まれ在所は、ふつういう意味での故郷だが、故郷世界という意味での故郷はこれに限定されない。私は生まれ在所を私の身体と同様に失うすべがないし、また、私はそことは別の場所を、第二、第三の故郷にすることもできるからである。生活の場所は失うことができる。けれども、生活の場所は任意に選ぶことができるが、故郷はそうではない。生活の場所には、たしかにうちがある。しかし、だからといって、そこがすべてうちにいるような(at home)気持ちを覚えさせる故郷であるとはかぎらない。

 故郷であるためには、次のような性格が必要なのである。それは、(1)獲得され形成されたものである。だれしも、ふと立ち寄った旅先を故郷にすることはできない。もし、そうできたとすれば、それまでに故郷化(heimisch werden)の過程があったはずである。(2)故郷は、親しまれ熟知された場所である。異郷はそうではない。(3)故郷には過剰な感情が寄せられる。そこから、故郷にいないのを悲しむ気持ち(郷愁)が生まれてくる。愛憎半ばする場合でも、そこに見られるのは他の場所にはありえない過剰な感情である。(4)故郷はたんに身体の位置しているここではなくて、習性的なここである。それは自分が自分となり、自分を作り上げた場所という意味をもつ。(5)故郷化とは、その場所に沈澱されている意味を獲得し習得することによって、その場所を自分のものにしていく過程である。ところが、第一の故郷、生まれ在所は、私に受動的にふりかかってきたものであり、私の出生に至るまでの前歴史が存在している。これに対して、生活の場所が第二、第三の故郷になるときには、その場所は能動的に選ばれる。しかし、いずれにせよ、すべての故郷に前歴史がある。「郷に入れば郷に従え」ということわざがあるように、生活の場所を故郷化するときにも、前歴史の習得が必要だからだ。その前歴史に由来する意味の獲得を含めて考えるなら、故郷化の過程は完了することはない。そしてまた、故郷化できるということは、故郷と異郷との区別が固定されていないことをも示している。

(III) 古代の空間意識には、家(oikos)・国家(polis)・宇宙(kosmos)という堅牢な秩序があった。しかし、現代では、もはやそのような秩序は保たれない。というのは、情報機関・交通機関の高度な発達によって、秩序の中心たるべき故郷がいやましに消滅しているからである。それはまた、親しさとよそよそしさ、故郷と滞在地の違い、場所とひととの特有のつながりの消滅にほかならない。だから現代では、特性なきひとびとが、どこでもよいがどこでもない場所にいるばかりである。

 このような状況に対して、ひとは二つの自己防衛手段をとろうとする。ひとつは、過剰な中心化、つまり、ここ(多くの場合は生まれ在所)を固定したここにしてしまうという手段である。すると、ここにおいて受動的に獲得されたもの、たとえば、田園風景とか一昔前の生活とかが憧景され固執される。一方、異郷はよそもの、敵と化していく。もうひとつは、過剰な脱中心化、つまり、いたるところをここにして、広い世界に逃避しようという手段である。全世界をまきこんで伝播、普及していく科学技術・官僚制・経済活動は、世界全体をそのように均質化し、任意の場所をここに変えているかのように思われる。しかし、全世界をまきこんでいる経済活動が、じつは、一部の先進国の利益に誘導されていることが象徴しているように、この均質化の背景では、超中心が隠れたしかたで機能しているのであって、それゆえ、こうした均質化は抽象的な構築物にほかならない。ひとびとはどこでもいながらにして(zu Hause)情報を学び知るが、同時に、いつでもよそよそしさを感じている。

(IV) このような状況を打開するために、ヴァルデンフェルスが提唱するのが、間領域性である。領域とは、他の領域から自己を遮蔽しつつ、しかも、他の領域と接触や連絡しあえるような中間的な場所を意味している。ヴァルデンフェルスはこうした中間領域が存在する可能性について、(1)滞在地の間、(2)中間-空間、(3)移行、(4)複数の場所にあること、(5)多中心性、(6)親しさのなかのよそよそしさという小節に分けて論じている。このうち、(1)では、滞在地の間の反復された往復運動による故郷化の可能性、(3)では、領域の自己閉鎖の突破という意味での移行の概念が言及されているが、以下では、枝葉を払ってその議論の枢要をまとめるおこう。

 (2)意味づけられた空間は、統一化、つまり唯一の中心のもとに単一構造化しないかぎりは、複数の中心とそれらを中心とした複数の意味のまとまりを入れ子にして成り立っている。それゆえ、私たちはひとつの場所において複数の意味づけに同時に関与することができる。(4)また、私たちは、身体が位置しているここに拘束されるものではない。たとえば、身体はここに居合わせているが、心は別の場所にあるという場合がそれである。したがって、居合わせには度合いがあって、その度合いは、私が今ここで関わっているものがもつ意味、私の生における重みにかかっている。(5)さらにまた、私たちは複数の中心、習性的なここ、故郷たりうる場所を同時にもつことができる。たとえば、住んでいる場所、週末を過ごす場所、働いている場所、私が子として、一族の一員として、友人として等々、存在している場所がそれである。これらはたがいに交換できない、共約不可能な複数の中心として、しかもたがいに通じ合っており、空間の意味構造の網目を織りなしている。(6)親しさとよそよそしさ、故郷と異郷とは同時に生じてくる。だから、故郷は異郷と交錯している。異郷があるゆえに、故郷は生き生きと保たれているのである。子どもは、遊び場の一角に、他人には教えない自分だけの秘密(Geheimnis)の場所、つまり非故郷的な(unheimisch)場所を作ることによって、その遊び場を自分の故郷にする。故郷からよそよそしさをすっかり放逐したなら、そこは人間の生きる場所ではもはやなくなり、死者のための場所に化してしまうにちがいない。

 

III 論   評

 以上見てきたように、ヴァルデンフェルスの立論は、Iに述べたような淵源をもつ故郷世界の概念の具体的な肉付けを試みており、かつまた、これに成功している。さらにまた、その立論はすぐれた文明批評でもある。そこでは、頑迷な保守主義や偏狭な民族主義が生じる由来と危険とが、過剰な中心化という概念によって説明され批判されている。また、過剰な脱中心化と説明された事態は、たとえば自宅で考えたことを、車中でワープロ打ちし、出張先からファックスで送るというような「引き裂かれ分裂した現在」(12)を個人に強いている進歩の幻影に対する警告であるとともに、平等な社会を志向するかのように推進されている地域の均質化がじつは特定の利益の誘導のもとで行われている現代世界に対する告発でもある。

 しかも、そのような文明批判の背景には、次のような哲学的、原理的な洞察が控えている。つまり、中心化、脱中心化は、異郷を排斥するか、無力化して併呑するかの違いはあれ、ともによそよそしいものに対する抑圧である。ところが、人間が生きる場はつねにここにほかならず、それゆえ、そこでは、親しいものとよそよそしいもの、故郷と異郷が同時に生じている。したがって、よそよそしいものに対する抑圧は、人間存在に対する抑圧にほかならない。そして、それを打開する道を、ヴァルデンフェルスはかれの造語「間領域性」を用いて解明しようとしていると考えられる。

 しかしながら、ヴァルデンフェルスの立論が単なる文明批判を真に超えていると考えるためには、その哲学的、原理的洞察に関して、私は以下の点について、なお、疑問なしとはなしえない。

(1) ヴァルデンフェルスは、他のところ(13)と同様にここでも、中間領域に活路を見出すという進路をとるが、その中間領域は、はたして、ある領域として存立するような画定されたものとなりうるのだろうか。いいかえれば、それは相対立するもののたえざる混淆状態にすぎないのではあるまいか。具体的には、ここでは、中間領域はつねによそよそしいものに対して開かれていなくてはならないのだが、もし、それが無条件に開かれるのであれば、その領域はそれの固有性、つまり故郷なるものもともども失わねばならないだろうということである。自己の領域を故意に閉鎖することに対するかれの警告(14)に啓発されつつも、こう問わざるをえないのである。

(2) この問いはよそよそしいものに対する私たちの態度決定にも関わっている。ここで、あえて、なぜ、よそよそしいものに対して自己閉鎖を行ってはならないのか、と問いなおそう。もちろん、それは、ヴァルデンフェルスが鋭く指摘するように、現在、よそよそしいものに対する抑圧が暴力的といえるまでに行われているからではあるが、そのような時代批評はここでは度外視することにする。 ヴァルデンフェルスは、さまざまな箇所で、よそよそしいものの存在こそが親しいものを生き生きと保っていると主張している。ここでは、子どもの作り出す秘密の場所がその子どもの遊び場を故郷にするといわれていた(II(IV)(6))。たしかに、子どもの人格の同一性の形成に秘密が大きな意味をもつことは、河合隼雄が児童文学作品に施したすぐれた読解(15)などから親しく教えられるところである。しかし、ヴァルデンフェルスが例にした秘密は、他人にはよそよそしいものの、やはり、その子ども本人にとっては親しいものにほかならない。だとすれば、ここにいわれているよそよそしさは、親しさを形作るためのものとして、親しいもののほうから看て取られているにすぎないのではあるまいか。それゆえ、そのよそよそしさは、字義通りのそれ、つまり無気味さ(unheimlich=うちではない)を欠いているのではあるまいか。こうした疑念は、かれが他の論文で「野生」(sauvage)「非日常」を扱っている箇所にも、感じられる(16)

(3) (1)に記した問いは、また、よそよそしさに対して開かれてあるべき私の固有性に関わってくる。

 ヴァルデンフェルスは、はじめ、その場所とその場所のもつ意味およびその場所にいるべきひととの相属性を強調している(II(I))。たとえば、案内係のいない受付は奇妙な不在感を感じさせる。この文脈では、その場所の意味は端的に場所の性格(受付)によって特定できる。私も案内係もともどもその場所の意味に包みこまれており、私には意味づけする主観の優位性はない。それゆえ、この文脈では、場所のもつ情態感がたくみに説明されるわけである。一方、複数の空間の意味づけ構造や複数の中心が論じられる文脈では(II(IV)(2)(5))、故郷という意味を帯びたここが問題であるゆえに、その場所の意味は端的な場所の性格だけでは特定できない。主観からの意味づけが必要なのである。後者のいわばフッサール的な文脈と前者のいわばハイデガー的な文脈とは、いかにして調停されるのだろうか。あるいは、いかなるしかたで補完しあうのだろうか。いいかえれば、ヴァルデンフェルスのいう、空間の意味構造が織りなす網において、その網を投げかける人間とその網にとらえられる人間のあいだには、いかなるメカニズムが見出されるのだろうか。

 なるほど、ここに居合わせている度合いは、つまり、ここが故郷という性格を帯びる度合いは、その場所の意味が私の生においてもつ重みによるとは説明されている(II(IV)(4))。しかし、生の重みという一見わかりやすい概念には、さらなる解明が必要だろう。なぜなら、ヴァルデンフェルスが明確に描き出した現代の生にあっては、生の重みという語そのものがすでに内容の空洞化したものかもしれないからである。かれと同じく、引き裂かれた現在を描き出したピカートの次の文章は、よくそのことを示していよう。「私はかつて一人の男がテレヴィのまえに坐っているのを見た。そのそばで同時にラジオが鳴っていた。しかも同時に、この人は時折りテレヴィから目をはなして新聞を読んだ。一体この男はどこにいるというのだろう。テレヴィのなかにいたのか、新聞、ラジオ、或いは安楽椅子のなかにいたというのか。彼はすべてであり、そして無であった。到るところにおり、しかもどこにもおらなかった。そして彼が望んだのは、正にこのことであった。すなわち、どこにもいないこと、自分自身を解体し、そしてふたたび自分を破片から組み立てることであったのだ。今日の死はなんと安直であり、今日の復活はまたなんと安直なことだろう! この人間は自己自身から逃走していたのだ、と言うのは間違っている。彼はそもそも自己を持たないのであって、したがって自己自身から逃げることは出来ない」(17)

(4) 最後に、間領域性についてはどうだろうか。いうまでもなく、間領域性はフッサールの間主観性をふまえた概念である。

 ところが、フッサールはたしかに客観性を間主観性として解明したのだが、しかし、たんに、さしあたりは孤立している、複数の主観が同意した結果を間主観性と呼んだわけではない。それは間主観性がもたらした成果であって、間主観性そのものではない。間主観性とは、勝義の意味では、複数の主観がともにそこにおいてはじめて主観であるような等根源的な事態をいうのである。したがって、間主観的な世界とは、はじめは別々であった私の世界と他者の世界とがあとから接合してできた世界ではなくて、Iに述べたように、まさにはじめから、《私と他者とに同一の世界が、私の世界として現れてくる》事態を意味しているのである。

 これに対して、ヴァルデンフェルスのいう間領域性は、相対立する故郷と異郷のあいだにあとから生じる中間領域以上に出ないように思われる。それは両者が分化してくる等根源的な事態ではない。なるほど故郷と異郷は同時に産出されるといわれる。だがその分析は、両者が対立概念だからそうであるという次元に留まっている。

(5) 私は、以上のような疑問を、提出せざるをえない。しかしながら、だからといって、ヴァルデンフェルスの試みが、たとえば、フッサールが行おうとした哲学的、原理的な解明からまったく逸れているというつもりはない。逆に、私の解釈では、その試みは、《世界は、直接的には私の世界として現れてくるが、それにもかかわらず、私と他者とに同一の世界である》というフッサールの発見を受け継いで、直接的な私の世界、自他に同一の世界を、それぞれ故郷、異郷に通じる故郷という具体的な概念に置き換えて論じようとしたものである。フッサールの発見した逆説的事態を具体的な場面において解明しようとするこの模索のうちに、フッサールの主題にもとづくヴァルデンフェルスによる変奏の特長──具体的な体験の学としての現象学たらんとする特長もまたあるのである。

 

(1) Waldenfels,B., “Heimat in der Fremde", in :In den Netzen der Lebenswelt, Frankfurt am Main, 1985.

(2)ランドグレーベ『現代の哲学』(細谷貞雄訳、理想社、1979年、79頁) 

(3)木田元「現象学とは何か」(『講座・現象学』1、弘文堂、1980年、14-20頁)

(4) Held,K.,“Das Problem der Intersubjektivität und die Idee einer phänomenologischen Transzendentalphilosophie", in: Phenomenologica, Bd. 49, Den Haag, 1972.

(5) Cartesianische Meditationen, Husserliana, Bd. I, §55.

(6) Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie II, Husserliana, Bd.IV.  

(7)ここでは、フッサールの学説史の時代的展開ではなく、問題そのものの展開を論じている。フッサール自身は、『イデーン』第二巻ののちにも、簡明のために、単なる知覚から考察を出発させることはしばしばであった。

(8) いうまでもなく、ここでは、 Die Krisis der europäischen Wissenschaften und die transzendentale Phänomenologie, Husserliana,Bd.VI における生活世界をめぐる錯綜した定義づけを単純化して論じている。Vgl., Aguirre, A., Die Phänomenologie Husserls im Licht ihrer gegenwärtigen Interpretation und Kritik, Darmstadt, 1982, S.86ff.

(9) 意味の形成と獲得については、拙稿「フッサールにおける習性の問題」(『関西哲学会紀要』第21冊、関西哲学会、1987年)

(10) Husserliana, Bd. XV, S.222.

(11) Husserliana, Bd. XIII-XV

(12) Waldenfels, a.a.O.S.209.

(13) Waldenfels,B., Zwischenreich des Dialogs, Phenomenologica, Bd.41, Den Haag, 1971.

(14) ebenda S.363.

(15)河合隼雄『子どもの宇宙』(岩波書店、1987年、 41-70頁)

(16) Waldenfels, B., “Das Geregelte und das Ungebärdige. Funktionen und Grenzen instituioneller Regelunugen",“Die Herkunft der Normen aus der Lebenswelt", in: In den Netzen der Lebenswelt, また、拙稿「隠れたしかたで働いている規範」(日本倫理学会編『規範の基礎』、慶応通信、近刊)

(17)ピカート『騒音とアトム化の世界』(佐野利勝訳、みすず書房、 140-141頁)


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