「死の自己決定権」とハイデガー哲学
後藤博和
関西大学哲学会『哲学』19号、2000年2月27日、21-44頁
本稿の目的は、今日のわが国の論壇で安楽死・尊厳死問題および脳死・臓器移植問題が論じられる際に大きな争点となる「死の自己決定権」の主張に関して、これを批判する論者たちによってたびたび論及されるハイデガー『存在と時間』の死をめぐる言説の解釈を通して、独自の視座を獲得することにある。
一 「死の自己決定権」の主張と、その批判
まず、現代医療で「患者の自己決定権」一般が主張されるにいたった経緯を概観しよう。ながらく医師と患者の間では医師のパターナリズムが容認されてきた。無知なる患者は、専門的な知識と技術をもつ医師が「患者のために」なると判断して決定した医療行為には、たとえそれが自分にとりイヤなものであっても黙って従うべし、とされてきたのである。しかし、六○年代あたりから先進諸国で死因の多数を占めるにいたったいわゆる成人病では、かつて猛威をふるっていた急性感染症の場合とちがい、治療ないし病状管理のための選択肢は通常複数ある。患者はそのうちのどれが「自分のために」なるかをあいかわらず医師の決定に委ねていてよいのか、むしろ、医師から十分な情報提供を受け、それを理解したうえで患者自身が選択・決定すべきではないのか――こうした反省が、まずは六○年代のアメリカで公民権運動と消費者運動の盛り上がりを背景に生まれ、その成果が「患者の権利章典」(七三年採択)に代表される一連の宣言やガイドラインに結実した。そして、このようにアメリカに発した「医師のパターナリズムから患者の自己決定権へ」という潮流は、パターナリズムの部分的正当性や自己決定権の限界に関する議論を一部に巻き起こしながらも、七○年代・八○年代を通じて多くの国々で押しとどめがたい勢いをもつようになり、かれこれ十年ほど前からわが国の岸辺をも洗いはじめたのである。
「死の自己決定権」に類する主張は、実はこうした「患者の自己決定権」一般の主張よりも古くからあった。末期患者の「死ぬ権利」の主張である。英米両国では、前世紀末から今世紀初頭にかけてすでに「安楽死」の正当性が議論されており、三○年代になると相次いで安楽死協会が設立された。これにより安楽死合法化運動が両国で活発化したが、この勢いに水を差したのが「安楽死」の名のもとにナチスが行った障害者・精神病患者らの大量殺害である。運動は決定的なダメージを受け、戦後ながらく、安楽死について公然と語ることはドイツはもとより他の国々でも多かれ少なかれタブー視される。しかし七○年代に入ると、延命技術の進歩の負の産物である人間疎外的状況が、ふたたび多くの人々の目を末期患者の「死ぬ権利」に向けさせた。欧米先進国を中心に安楽死運動は活気づき、日本でも七六年一月に日本安楽死協会が発足する。また、同年三月にアメリカでカレン・クィンラン事件の判決が下り、これが大きな契機となって、意識回復の見込みなしと診断された場合には延命装置を使わず人間としての尊厳を保った姿で死んでいきたいという少なからぬ人々の願いが「尊厳死」の主張というかたちをとるようになる(日本安楽死協会は後に方針を変更し、八三年には日本尊厳死協会に改称)。こうした七○年代以降の安楽死・尊厳死運動では、ナチスの蛮行から自らを区別するために患者の自己決定が強調される。安楽死では、医師や家族によるパターナリスティックな決定ではなく、知的判断力のある患者自身の自発的かつ持続的な要請こそがその正当性の根拠とされる。また尊厳死の場合でも、自らが回復の見込みのない末期状態になった場合には延命措置を望まないとのリヴィング・ウィルを作成していることが原則的条件とされるのである。
以上の歴史的概観から、ひとまず、「死の自己決定権」の主張とは、七○年代以降に急速に普及していった「患者の自己決定権」という「医師‐患者」関係の新たな思考枠組みのうちに、古くからあった末期患者の「死ぬ権利」の主張が自らを組み入れるかたちで生まれたものだといえよう。この組み入れを認めるか否かで、現在、欧米諸国は揺れ動いているのである
(1)。だが、これはあくまで海外での話であって、日本で「死の自己決定権」が主張されるにいたった背景、そしてこの主張をめぐる今日の論争状況には、ある特殊事情が大きく関わっている。脳死・臓器移植問題がそれである。周知のようにわが国では、脳死状態の患者からの臓器移植(以下、脳死移植)の是非をめぐって八○年代中頃から推進派・慎重派・反対派の間で数多の議論が積み重ねられてきた。そして、この論議・論争の中で、「『人の死』に関する自己決定権」とでも呼ぶべき奇妙な思想が登場する。これが人口に膾炙するきっかけとなったのは、日本医師会生命倫理懇談会「脳死および臓器移植に関する最終報告」(八八年)であろう。そこでは、「一種の自己決定権にも通じる考え方」として、「脳の死による死の判定」を是認するかしないかを一人ひとりに委ねればよいと主張されたのである
(2)。この論理は以後しばしば推進論者の口にのぼることになるのだが、実は上記「最終報告」の発表後すぐに日本弁護士連合会によって批判され、また同様の批判が脳死臨調の「中間意見」(九一年)と「最終答申」(九二年)でも繰り返された。たとえば臨調「最終答申」は、上のような見解を「いわゆる『死の自己決定』」の考え方と規定したうえで、こう述べている。「〔心臓死と脳死との間での〕こうした選択権を認めることは、本来客観的事実であるべき『人の死』の概念には馴染みにくく、法律関係を複雑かつ不安定にするものであり、社会規範としての死の概念としては不適当なものと考えられる」(3)。そして、このように「『人の死』に関する自己決定権」に批判的な臨調答申を受けて九四年に国会提出された臓器移植法案(以下、中山案)は、脳死を一律に「人の死」と規定するものであった。中山案は、九六年に再提出される際に臓器の提供意思に関するいわゆる「家族の忖度」を不可とし、本人の提供意思がドナーカード等書面により明示されている場合に限り臓器摘出を可能にするという大きな修正がなされるが、脳死を一律に「人の死」とする点の変更はないものと思われていた。しかし、九七年三月末に、「臓器提供により死期を早めることになってもその権利行使は許容されるかというドナー、提供者本人の自己決定権の視点から」(4)、脳死を「人の死」と規定しないまま脳死移植を可能とする対案が両院で提出され(衆議院では金田案、参議院では猪熊案)、さらに国会運営上の事情から臓器移植法の会期内成立がめざされた結果、会期終了の前日に急遽、臓器提供を望まない患者と家族に(移植を前提とする)脳死判定を拒む権利を間接的に保証する修正案が提出される。そしてこれが対案を破って、いわゆる臓器移植法(「臓器移植に関する法律」)となったのである。この法律は成立当初、先の「最終報告」と同じく「『人の死』に関する自己決定権」を認めるものと多くの人々に受け止められた。脳死状態での臓器提供を望む者は、脳死判定に従う旨を明示しておけば、判定確定時に「死んだ」と見なされるが、一方、提供意思がない者の場合は、治療方針決定のために行うテストで仮に脳死と判定されても心臓停止までは「生きている」と見なされる、と。しかし、衆議院法制局課長浅野善治氏によれば、この理解の後半は不正確である。氏は「脳死は『人の死』かという問題は決着したか」という問いを立て、これに対してまず、中山案が臓器提供の意思がある者の脳死を「人の死」とする論拠は修正後にあっても自己決定権ではなくあくまで社会的合意であること、また、臓器移植を前提としない「一般の脳死」に関しては臓器移植法は何も規定していないことを指摘した後に、結論としてこう述べる。「一般の脳死については、臓器移植法の制定も一つの参考となるが、依然として社会がそれを受容するかどうかという問題として残されているということではなかろうか」
(5)。法学者町野朔氏も、「移植のために必要なときだけ死んだことにしようなんてとんでもない」と、臓器移植法に「『人の死』に関する自己決定権」を見る解釈を認めない。それどころか氏は、「脳死というのは人の死なんだという前提で考えないと、この法律自体が非常におかしな法律ということになるだろう」と述べ、こうした解釈が法律家の間では「強くなってきた」としている(6)。たしかに、「『人の死』に関する自己決定権」を認めることは、先に見た脳死臨調最終答申でもいわれていたように、法的問題を複雑化・不安定化する。このことは相続問題ひとつをとって考えてみても明らかであろう。そして、本稿では論証抜きに語らざるをえないが、私自身、整合的で安定した法体系を現代社会存立のための必要条件の一つと考えており、この理由からも、「『人の死』に関する自己決定権」を認めることはできない(だからといって、「脳死というのは人の死なんだという前提」を町野氏らと共有しているわけでもないのだが(7))。さてしかし、法律家諸子がいくら脳死を一律に人の死と主張しても、かんじんの行政府が「社会的合意」云々と煮えきらない態度をとりつづけるかぎり、日本の医師たちはさしあたり、臓器提供の意思がない患者に対する積極的治療を脳死判定後に消極的治療へと切り替えたり、また家族と相談のうえで治療行為そのものを中止したりすることはあっても、脳死確定時にいきなり人工呼吸器のスイッチを切って死亡診断書を書いたりはすまい。彼らは、「一般の脳死」に関してもこれを「人の死」とする社会的合意ができあがるか、実際に法的問題が起こり、訴訟となって、司法府がこの厄介な問題に決着をつけてくれるかするのを待ちつづけるだろう。とすれば、当面の間やはりわれわれには実質的な選択権があることになる。このように修正中山案という「論理的には説明することのできない妥協策」
(8)の結果として暫定的に与えられているにすぎない「『人の死』に関する自己決定権」とは異なり、脳死を「人の死」としない金田案・猪熊案で脳死移植を可能にする論拠として考えられていた「提供者本人の自己決定権」は、より慎重に検討するに値する。というのも、これに基づく脳死患者の臓器提供とは、尊厳死と安楽死の特殊な混合形態として解釈できないことはなく、少なくとも、これらに類するものといえるからである。すなわち、こうしたかたちでの臓器提供は、意識の回復の見込みがない末期状態において機械によって延命されることを患者本人が人間の尊厳に反するとして拒否する点では尊厳死と重なり、一方、単なる延命治療中止ではなく医師の積極的介入によってすみやかに死が訪れることを本人が望む点では安楽死と重なる。しかし、両者からはみ出す点もある。まず、尊厳死は「自然死」と同義であるが、臓器を摘出されての死を自然だと強弁することはだれにもできまい。また安楽死では、耐えがたい苦痛の存在が前提されるが、全脳の機能が停止した脳死患者にそのようなものがあるわけがない。とすると、やはり尊厳死とも安楽死とも異なる第三の範疇を準備するのにこしたことはない。いずれにせよ、これら三者の主張を支えているのは、「自分の『死にかた』は自分で決めてよい、決める権利がある」という思想である。ここでの「死の自己決定権」を「『人の死』に関する決定権」から区別して「『死にかた』に関する自己決定権」と呼ぼう。以上、今日のわが国で問題とされている「死の自己決定権」の諸相を概観してきたが、(「死の自己決定」ではなく)「死の自己決定権」という日本語の普及に最も貢献したのはおそらく小松美彦氏だろう。氏はまず、九六年出版の著書『死は共鳴する』で、脳死・臓器移植問題をめぐる「死の自己決定権」に焦点を絞ってこれを徹底的に批判し、その後、批判対象を安楽死・尊厳死に関する「死の自己決定権」その他にまで拡げている。「死の自己決定権」を批判する論者は多いが、本稿では紙幅の関係上、小松氏に絞ってその所論を追ってみる
(9)。小松氏の議論では、「死亡/死」および「個人閉塞した死/共鳴する死」という二つの相関的な区別が決定的な役割を果たしている。「死亡」が死にゆく特定の個人における「ある一定の状態、ないしはある状態からある状態への移行過程を指す知覚的なもの」であるのに対し、「死」とは「死者と看取る者との関係のもとに成立する非知覚的な差異化的統一体」である(@一六七)
(10)。そして、「死亡は死を構成する最大の契機ではある」(同)が、両者は本来レベルを異にする。にもかかわらず、人の臨終の場面で強大な力をもつにいたった近現代医療は、死にゆく者の身体にのみ注視することで「死」を「死亡」へと全面的に還元してしまった(@一八三―二○六)。その結果、「死んだ人と死なれた人相互の間で分かちあわれる時間の流れの総体」(E一二二)としての「共鳴する死」は後ろに退き、代わりに、「死が個人の身体内で起こる客観的な現象とされ、したがって個人の所有物であるかのように見なすことを可能にする、死の把握の仕方」(E一二五)である「個人閉塞した死」が前面に出てくる。「個人閉塞した死」が圧倒的に優勢な現代にあって「共鳴する死」の復権を――これが小松氏の根本主張である。さて、先に述べたように、小松氏は具体的問題としてはまず脳死・臓器移植問題に関心を集中させた。臓器移植法制定前も後も、氏は、「死の自己決定権」こそが脳死移植推進派の論理であるとする。ここでの「死の自己決定権」とは、先に私が「『人の死』に関する自己決定権」と呼んだものである。これを臓器移植法そのものの「論理基盤」(E一一二)とする論定は、先に紹介した法の専門家たちには容れられないものであろうが、ともあれ小松氏は、この「脳死と心臓死との選択をめぐる『死の自己決定権』」(@一四八)に対して以下のような二重の批判を加える。まず原理的に見るなら、脳死と心臓死のいずれを「死」とするかという選択はそもそも意味をもたない。いずれを選ぶにしてもそれは「死亡」にすぎず、両者の間での選択の自由を謳歌することによってわれわれはますます「個人閉塞した死」に絡み捕られてしまう(@二○六―二二)。「死」は本来、死にゆく者と看取る者たちとの間で共有されるものであり、けっして個人の私的所有物ではない以上、はじめから個人の自己決定の対象とはなりえないのである(B一二○―二)。また現実的に見ても、「死の自己決定権」を認めることは危険である。脳死を死と思えない人は心臓死を選べばよいとするこの考え方は一見したところ民主的なようだが、将来、脳死を死と認める者が徐々に増え、さらに医療財政がいっそう逼迫してくると、脳死状態でありながら心臓死まで待つことを罪悪視する風潮が生まれ、あるいは脳死患者に対する治療が自由診療扱いに切り替えられ、こうして実際には「脳死しか選べないという非民主的な死の脳死一元化」(@一五八)が進むであろう
(11)。次に、安楽死・尊厳死について。先に私は、安楽死・尊厳死の主張における「死の自己決定権」を脳死・臓器移植問題における「『人の死』に関する自己決定権」から区別して「『死にかた』に関する自己決定権」と名づけた。小松氏もある箇所では、「『死の自己決定権』とは…(中略)…人間には死ぬ権利や死に方を選び取る権利もあるとするものである」と述べている(E一一三)。しかし、これは「死の自己決定権」一般の規定であり、実際、この箇所のすぐ後では、「〔「死の自己決定権」の主張に従うなら〕脳死を選びたい人は脳死を選べばいいし、心臓死を選びたい人は心臓死を選べばいい、ということになる。同様に…(中略)…尊厳死・安楽死を選びたい人は選べばいいし、選びたくない人は選ばなければいいとなる」(同)と言われる。このような論法での脳死・臓器移植問題と安楽死・尊厳死問題との同一視は論理的に見て乱暴といわざるをえないが、どちらの問題でも全面的な反対派である氏はこの点に頓着しない。ともあれ小松氏は、安楽死・尊厳死の主張における「『尊厳なき苦痛に満ちた生よりは、尊厳ある安らかな死(亡)を選ぶ』という死の自己決定の論理」には次のような「ねじれ」が存在すると述べる。「尊厳なき苦痛に満ちた生」が問題なら、われわれはあくまで「尊厳ある安らかな生」にこそ向かうべきなのに、なぜ「死の領域」へと逸れていくのか、と。そして氏は、こうした「ねじれ」を生み出す終末期医療の現状改善、および「人に迷惑をかけたくない」などと末期患者に思わせないような「広い意味での人間関係の拡充」こそを課題とすべきではないかと訴える(E一三一―九)。
以上、小松氏による「死の自己決定権」批判を概観してきた。氏はさらに批判の射程を生殖に関する女性の自己決定権、さらには自己決定権一般にまでのばしていくのだが(前者はD、後者はE一四四―五)、本稿ではもちろん論及できない。とりあえずここでは、小松氏の「死の自己決定権」批判全般に関して一言だけコメントしておきたい。
氏の批判の根底にあるのは、いかなる意味でも死を美化してはならないという、「論理」以前に存在する強烈な「感覚」だろう
(12)。詩人石原吉郎氏の言葉「人間は死んではならない。死は、人間の側からは、あくまでも理不尽なものであり、ありうべからざるものであり、絶対に起こってはならないものである。…(後略)…」(B一三二)を引く箇所や、ある対談での「さまざまな苦痛とかつらさがあっても……(中略)……人間はあくまで生きていかなければならないのではないか」(C二七二)という発言などに、氏の「感覚」はよく表れていると思う。そして、「いかなる死も殺人であり、時期尚早である」と語るレヴィナスにも通じるようなこうした「感覚」こそが、小松氏をハイデガー批判に向かわせたのだろう(13)。次に、この批判について見よう。その前にハイデガー研究徒の端くれとして一言述べたいのだが、小松氏のハイデガー読解(@一六五―八)は、氏自らそれが「ハイデガー自身の狙いからはずれている」(@二七一)ことを認めているようにかなり強引なものであり、細かい不正確な記述を除いても、いくつかの決定的な箇所で、小阪修平氏の評言を借りていうなら「半意図的な誤読」(14)を行っている。ただし、そうした点を一つ一つあげつらってみても、さして意味はあるまい。ここでは氏の批判の骨子だけを取り出す。小松氏によれば、「おそらくは死について哲学的にもっとも深く討究した『存在と時間』におけるハイデガー」(@二○六)が、にもかかわらず陥った誤りとは、「死の代理不可能性が死の個人内属性に置き換えられてしまうこと、そしてその置き換えを置き換えとして気づかぬこと」(@一六七)にある。はじめの引用における高い評価が何によるのかはよくわからないが、ともあれ氏も、われわれの日常的な「相互共存在(Miteinander 相互関係)」の本質的な構成契機の一つである「代理可能性(Vertretbarkeit)」が「死亡(Sterben 死ぬこと)」においては「完全に挫折している」というハイデガーの論定(240)には全面的に同意している
(15)。Aの「身代わり」となってBが死ぬということはもちろんある。しかし、この英雄的行為も「死亡(死ぬこと)」という定めをAに免れさせることはできない。Aもいつかは必ず死ぬのだ。このことは「否定しようのない揺るぎなき事実であろう」(@一六七)。しかし、こうした「死亡(死ぬこと)」の代理不可能性と、ハイデガーが「死(Tod)」に認める「各私性」(16)すなわち個人内属性は直結しない。Aが「死亡する(死ぬ)」とき、「死亡する(死ぬ)」のはたしかにA以外の何者でもないが、Aの「死」はAだけのものではなく、AとAを看取る者たちとの間で共有されるものである。ハイデガーは無自覚のうちに「死」を「死亡」へと還元してしまっており、ここから「死亡」の代理不可能性を「死」の個人内属性に置き換え、「『個人閉塞した死』という暗黙の了解」(@一六四)のうちにはまりこんでいる……。小松氏が取り上げているのは、『存在と時間』第四七節の後半(239の第四段落以降)はじめの二つの段落である。次節で見るように、ハイデガーはちょうどここから Sterben および Tod という日常語の常識的な用法からはずれていくのであり、これらの語に実存論的見地から独自の意味規定を施すべく、先行的な輪郭づけを行っている。そこに小松氏は自らの術語としての「死亡」および「死」を完全に重ね合わせて批判してしまっているのだ。こうした読解は、両者がそれぞれの術語にもたせた意味内容があまりにちがうだけに我田引水との誹りを受けてもしかたのないものである。しかし、それでも氏の批判は一定の意味をもっている。というのも、これも次節で見るように、『存在と時間』でのハイデガーは、彼なりの理由があったにせよ、「他者の死」という問題系を等閑視してひたすら「自己の死」のうちに沈潜して想いを凝らしていたのであり、その結果として彼は、小松氏が強調するような「死」のもつ豊かな共同性の側面を看過しているように見えるからである。
二 ハイデガー『存在と時間』における「他者の死」と「自己の死」
この節では、「死の個人閉塞化」という小松氏によるハイデガー批判の主要論点について検討する。だがその前にまずは、『存在と時間』の行論全体における死の言説の位置づけを確認し、小松氏も言及していた「ハイデガー自身の狙い」が何であったかを見よう。『存在と時間』の眼目はあくまで「存在の意味への問い」にあり、これに由来する視線の限局が同書の現存在分析論全体を貫いていることを忘れてはなるまい。死をめぐる言説が位置する第一部第二編にしても、ハイデガーの視線はとりあえず、「存在への問いの超越論的地平として時間を解明する」(第一部全体の表題の後半)ための準備、すなわち第一編で現存在の存在として取り出された「関心(Sorge)」の存在意味を「時間性(Zeitlichkeit)」として解釈するための「解釈学的状況」を仕上げることにのみ向かっている。彼がこの第二編の最初の章で死の問題系に取り組むのは、あくまで、その「解釈学的状況」の内実をなす現存在の「根源性(Ursprunglichkeit)」の二つの構成分、「全体性(Ganzheit)」および「本来性(Eigentlichkeit)」のうちの前者を確保するためなのである。『存在と時間』のこうした行論のうちに死をめぐるハイデガーの言説を置いて見るなら、そこで「他者の死」が等閑視される理由も明らかになる。以下、少しくわしく見てみよう。
第二編第一章の冒頭を飾る第四六節は「現存在的な全体存在を存在論的に把捉し規定することの外見上の不可能性」と題されている。「現存在のうちには常に、現存在自身の存在可能としていまだ『現実的』となっていない何かがなおも済まされずにある」(236 強調原著者)。この「未済分」の最たるものが「死」なのだが、「その取得は世界内存在(In-der-Welt-sein)の全面的な喪失である」(ebd.)。エピクロスを引き合いに出すまでもなく、人は己れの死を経験できない。したがって、自己自身に即して現存在の全体性を経験的に捉えることは原理的に不可能なのである。こうして、続く第四七節は「他者たちの死についての経験可能性と、全体的現存在の把捉可能性」と題されることになる。われわれの関心事からすると最も重要なこの節の冒頭で、ハイデガーは、他者たちに即して「現存在の終了(Beendung)は『客観的』に接近可能となる」のだから、われわれはこの「他者たちの死」の経験に基づいて「現存在の全体性を存在論的に確定することもできるにちがいない」と述べる(237)。しかしこの見込みは、ニーマイヤー社単行本版でわずか一頁足らずの「他者の死」に関する分析の後にくつがえされる。この分析については後でくわしく読解することにして、とりあえず、上の見込みを撤回するにあたっての彼の説明を聞こう。「〔遺される者たちによる〕喪失の受苦(Erleiden)においては、死にゆく者が『蒙る(erleiden)』存在喪失そのものは接近可能とならない。純粋な意味では、われわれは他者が死ぬことを経験しないのであり、せいぜいのところいつもただ『その場に居合わせる』だけである」(239)。こうしてハイデガーによれば、自己自身に即してはもちろんのこと、他者たちに即しても、死にゆく者本人が死において蒙る「存在喪失」は、したがってまた現存在の存在の全体性は経験できないということになる。そこで彼は、この段階で「経験」に定位したアプローチを捨て、以降、「唯一残された可能性」として、死を「純粋に実存論的に概念把握する」ことに邁進する(240 強調原著者)。その結果、「死(Tod)」にしても、「死ぬこと(Sterben)」にしても、第四七節前半までの用法に残されていた日常的な意味とはまるで異なる概念規定を受けることになる。「死」は「現存在の終末(Ende)として、最も固有で、没交渉的で、確実で、それでいて無規定で、追い越しえない、現存在の可能性」(258-259)と規定され、「死ぬこと」はこうした可能性としての「己れの死に臨みつつ現存在が存在するそのありかた」(247 強調原著者)といわれる(現存在に課せられるこの不断のありかたは「終末に臨む存在(Sein zum Ende)」ないし「死に臨む存在(Sein zum Tode)」とも呼ばれ、術語としては最後のものが多用される)。ハイデガーはこのように、「死」を人の生涯の終わりに訪れる出来事としてではなく、われわれが常に既に引き受けざるをえない比類なき存在可能性、すなわち「実存一般の不可能性という可能性」(262)としてとらえる。そして彼は、こうした「終末」の可能性としての「己れの死」にたえず(そこから逃避するという非本来的なしかたであれ)関わることによって、現存在に特有の「全体性」はそのつど達成されている、と考えるのである(259)。第二編はこの後、続く第二章で現存在の「根源性」のもう一つの構成分「本来性」を良心という実存的現象に即して証したのち、第三章で現存在の「根源性」つまり「本来的な全体存在可能」としての「先駆的決意性(die vorlaufende Entschlossenheit)」に即して現存在の存在意味として「時間性」を取り出すという道筋をたどる。このように見るなら、ハイデガーに対して「死の個人閉塞化」との非難を浴びせるのは、小松氏自身が認めていたようにやはり「ハイデガー自身の狙いからはずれ」た外在的な批判にすぎないということになる。ハイデガーが「自己の死」という問題系に沈潜したことをあくまで内在的に批判しようとするなら、レヴィナスのように、「自己の死」から出発して時間の問題を考えていくという上述の道のり全体を否定しなければならないのである。だが、たとえ外在的なものであっても小松氏の批判が一定の意味をもつことはすでに述べた。そこで次に、第四七節前半のより細かなテクスト読解を行って、小松氏の批判の当否を検討したい。
いまだ「経験」に定位したアプローチを(叙述の上で)とっており、また「死」という語をほぼ日常的な意味で用いている第四七節の前半は、死を自己自身に即して経験できないことの確認から始まり、そのうえで「だからこそ、他者たちの死がいっそう骨身にしみるのではあるまいか」といわれる(237)。われわれが実際に目のあたりに経験する「他者の死」とは、ほとんどの場合、肉親や友人などの死であろう。ハイデガーがここで念頭に置いているのも、そうした身近な人の「骨身にしみる」死だと思われる。だが彼は、具体的な分析の開始にあたり、まずは死者から実存論的な意味で《距離》をとり、その後、分析の中での時間的経過とともに段階的に死者に接《近》していくという手法をとる。ハイデガーいわく、「他者たちが死ぬことに即して、現存在(ないし生)というありかたに基づく存在者がもはや現存在でないものへと転化することと規定できる注目すべき存在現象が経験されうる」(次に示すまでの引用はすべて238)。この「もはや現存在でないもの(Nichtmehrdasein)」とは、積極的に規定するならいったい何なのか。彼はまず、「単なる眼前的なもの(bloses Vorhandene)」と答える。しかし、この解釈はすぐに撤回される。「眼前にある亡骸(Leiche)でさえ、理論的に見れば、なお病理学的解剖の対象となる可能性をもっており、そしてこの解剖の理解傾向は生の理念に定位したままである。かろうじてなお眼前にある問題のものは、生を欠いた物質的事物『以上』の何かである。それとともに出会われているのは、生を失った生きていないものなのである」(強調原著者)。しかし、この解釈もまた「現存在にふさわしい現象的実状を汲み尽くしていない」といわれたうえで、「故人(Verstorbener)」との「共存在(Mitsein)」に関する注目すべき議論へと移っていく。「故人」とはただの「死人(Gestorbener)」ではない。「故人」とは「遺族たち(Hinterbliebene)」の手から「もぎ取られた」者のことであり、ハイデガーはとりあえず、この意味での「故人」は「葬式や埋葬や墓参というしかたでの『配慮(Besorgen)』の対象である」と述べる。しかし、この規定はまたしても撤回される。「故人」は、「周囲世界的に手許にある(zuhanden)単に配慮可能な道具『以上』」の存在だからである。こうして「遺族たち」の「故人」への関わりは次のように規定される。「哀悼しながら、追憶しながら、『故人』のかたわらにとどまることにおいて、遺族たちは、尊びながらの顧慮(Fursorge)という様態で故人と共にある」(強調原著者)。「故人との共存在」という規定はハイデガーの用語法からすると一見したところ奇妙である。なぜなら「共存在とは常に同じ世界のうちでの共相互存在(Miteinandersein)を意味する」が、「故人はわれわれの『世界』を立ち去り、後に残して逝ってしまった」のだから。だがハイデガーは逆説的にこう続ける。「このわれわれの『世界』の内からこそ、残る者たちはなお故人と共にあることができる」(強調原著者)。この謎めいた一文
(18)の立場に身を置き直して考える――たとえば「亡骸」を拭き清めるという行為は、どれだけそれが特殊なモノであれ、つまるところ(職人が仕事道具を手入れする場合のように)モノの表面に付いた汚れを取り去るという「配慮」的な意味しかもちえないのだろうか。いや、そうではないだろう。遺された《近》親者は、いまでは冷たい「亡骸」となってしまったその身体のうちに、あるいはその身体によって刻み込まれたさまざまな記憶をよすがに、「故人」のことを偲びつつ清拭を行うのであろう。おおよそ以上のようなことを考えて、ハイデガーは、唐突な印象を読者に与えることは承知のうえで、あえて「故人」という語をあの箇所で用いたのだと解したい。この解釈がもし妥当するならば、ハイデガーがわずかに示唆するにとどまっていた「故人との共存在」は、小松氏の主張する「共鳴する死」とも重なり合う豊かな可能性を秘めたものであったといえよう。が、それでもなお次のような反論が予想される。ハイデガーの力点はあくまで「自己の死」の問題系にあるのではないか。「最も固有で、没交渉的な」存在可能性としての「自己の死」を自覚し、「単独化(Vereinzelung)」した本来的実存がたとえば尊厳死や安楽死、あるいは臓器提供を「決意」するとき、死にゆこうとする自分と自分を取り巻く者たちとの共存在、および自分の死後における、「遺族」(自分の家族)にとっての「故人(自分)との共存在」など眼中になくなるのではないか。
いや、そんなことはないだろう。なるほどハイデガーはこう述べている。「単独化によって明らかとなるのは、最も固有な存在可能〔=自己の死〕が問題となる場合、配慮されるもののもとでのあらゆる存在も、また、他者たちとのいかなる共存在も役に立たなくなる、ということだ」(263)。しかし、この文が描写しているのは、「ひと(das Man)」のうちに自己を喪失していた非本来的現存在が、「確実」でありながら何時かということに関しては「無規定」という不気味さをたたえた「自己の死」というものに気づく、というよりも、そのもののほうから気づかされ、その不気味さのうちに引きずり込まれていく場面であり、そして、いったんこの不気味さに襲われると、引きずり込まれまいとして手近なモノや身近な人々にすがりついても無駄だ、といっているだけのことである。実際、この一文あとではこういわれる。「このように配慮と顧慮が役に立たなくなるということは、現存在のこれらのありかたが本来的自己存在から切り離されることを意味するわけではけっしてない」(同)。これだけでは単に「共存在」が本来性/非本来性に関わらない中立的な規定であることを確認しているだけのようにも解せるが、もっと積極的にこういわれる箇所もある。「〔本来的自己存在としての〕決意性は…(中略)…他者たちとの顧慮的な共存在の中に自己を突き入れる」(298)。文脈からして、ここでのハイデガーが、死にゆく者と遺される者との、あるいは死んでいった者と遺された者との「共存在」を考えに入れていたとは思えない
(19)。だが、たとえハイデガー自身が考えに入れていなくても、われわれの方でこの箇所に上のような「共存在」をも読み込むことは十分可能であると思う。とすれば、「自己の死」のうちに先駆けた本来的実存が、死という「追い越しえない可能性」の一歩手前にある可能性、すなわち自己の「死にかた」に関する可能性として安楽死・尊厳死、あるいは(脳死を「人の死」としない場合での)臓器提供という選択肢を考慮するとしても、あるいは「遺言」として(脳死を「人の死」とする場合での、また心臓死の場合での)死後の臓器提供について考えるとしても、自分が遺していく者たちのことをいっさい「顧慮」せずもっぱら自分ひとりのこととして「決意」=「自己決定」することは、ハイデガーの立場からも認められないだろう。以上で、「死の個人閉塞化」という小松氏のハイデガー批判の主要論点は必ずしも的を射ているとはいえないことを明らかにしえたと思う。なるほどハイデガーは、現存在の全体性の確保という実存論的‐存在論的目的から、「他者の死」という問題系を等閑視し、「自己の死」に基軸を据えた。だが、そうした定位のもと取り出されてきた、「自己の死」に真正面から臨む「本来的自己存在」にしても、けっして「個人閉塞」してはいない。本来的実存はいかなる決定も「ひと」まかせにせず自ら下すが、そのときの彼の視野のうちには、たしかに他の人々が存在する。ハイデガーは人間存在を、孤立し浮動するアトム的個人としてではなく、「故人との共存在」をも含む豊かな広がりをもった関係性の中で見ていたのである。
三 結語に代えて――「死に臨む存在」のもう一つの可能性
「死の自己閉塞化」という小松氏によるハイデガー批判に駁するかたちで行われた前節での解釈は、ナチス加担期における死をめぐるハイデガーの発言を考慮に入れるとき、ある重要な補完が必要となる。つまり、民族同胞という他者たちの存在を「顧慮」するからこそ「自己の死」に英雄的に賭けるという意味での「死の美化」(A十一、ただしこれは笠井氏の発言から)の傾向が『存在と時間』にすでに存しているのではないか――こうした予想される再批判に対しても答えなければならなくなる。だが、この論点に関しても稿を改めて論じるほかない。ここでは最後に、前節での解釈に基づいた場合、「死の自己決定権」を最大の争点とする尊厳死・安楽死問題および脳死・臓器移植問題に関して何がいえるかを若干考察して、ひとまず擱筆することにしたい。
「一」で私は、「死の自己決定権」を「『人の死』に関する自己決定権」と「『死にかた』に関する自己決定権」に分けたうえで、法理的観点からなされる前者への批判に同意した。また私は、この選択権に対する小松氏の「現実的」批判も正鵠を得たものと思っている。だが小松氏とちがい、私には脳死移植を全面的に否定するつもりはない。とはいえ町野氏らに与するのでもない。反対に、金田案や猪熊案のように、脳死を「人の死」としないままでの脳死患者の臓器提供を、「『死にかた』に関する自己決定権」に基づくことによって、原理的には安楽死・尊厳死とともに容認できるのではないか、いや、せざるをえないのではないか、と考えている
(20)。「『死にかた』に関する自己決定権」の主張は、「自分の『死にかた』は自分で決めてよい」という思想に支えられている。この思想は自殺権にも通じる反面、「死にかた」を「生涯の締めくくりかた」と捉え返し「生きかた」の(きわめて重要な)一部にほかならないと考えるのならば、この意味での「死の自己決定権」とは実は「生の自己決定権」――自分の生きかたを自分で決める権利――のうちに包含されるものといえよう
(21)。もちろん、「死にかた」を「生きかた」と呼びかえたからといって、即座に「自分ひとりで決めてよい」とはならないだろう。ハイデガーがいうように、われわれは生きているあいだはもちろんのこと、ある意味では死後にいたるまで、徹頭徹尾「他者たちとの共存在」によって規定されている。われわれの「自己決定」は、その一つ一つがすべて他者たちに影響を与えるのである。その意味で、いかなる「自己決定」もけっして「自己完結」しておらず、自分の「生きかた」だからといって、すべて自分ひとりで決めてよいわけではない。「死にかた」というきわめて対他影響の大きい「生きかた」の場合なおさらのことでる。しかし、自分が遺していく者たちのことを十分「顧慮」したうえで(具体的には彼らと十分話し合ったうえで)、それでもやはり安楽死なり尊厳死なり臓器提供なりの「決定」を本人が下すのであれば、遺される側の者たちはたとえ辛くてもその本人の「自己決定」を尊重するしかないのではないか。互いに互いのことを思いやりながらも、彼我の間に埋めがたい溝が残ることはある。こうした断絶に耐えるということも、本来的「共存在」の本質的な構成契機の一つなのではないか。これまでその者の「生きかた」を認め、肯い、共に生きてきた以上、その者がこちらの側のことも十分に考えた上で最後に選択した「生きかた」としての「死にかた」であるなら、これも認め、肯わざるをえないのではないか。われわれは常に既に「自己の死」の可能性にさらされている。ハイデガーはこれを「死に臨む存在」と表現した。しかしわれわれは同時に、常に既に「他者の死」の可能性にもさらされており、この意味でも「死に臨む存在」であるといえる。そして、かけがえのない他者の死(の可能性)に臨むとき、われわれはその理解不可能性の前に立ちすくみ、うろたえる。とりわけそれが安楽死・尊厳死、また脳死状態での臓器提供というかたちでの死である場合、「人間は死んではならない」、「人間はあくまで生きていかなければならない」と叫びたくなるのも当然だろう。また生を軽んじ死をも軽んずる風潮の強まる昨今、一般論としてもそう叫ぶべきだと思う。安楽死にせよ尊厳死にせよ臓器提供にせよ、これを安直に美化する言説には最大限の警戒心を発揮すべきだろう(「生きている」脳死状態の患者からの臓器提供を肯定する本稿の主張は、「いのちの贈り物」という例の美辞麗句に絡み捕られるおそれがある)。だが、たとえば次の詩における一人の女性の、「死」を見据えたうえでの「自己決定」にわれわれはどう臨めばよいのだろうか。私は、自らの「生きかた」を貫いた彼女の決定と、その結果としての彼女の死を肯いたいと思う。ひとかけらのヒロイズムも美もそこに見ることなく……ただ黙って……うなだれて……。
こわれたビルディングの地下室の夜だった/原子爆弾の負傷者たちは/ローソク一本ない暗い地下室を/うずめていっぱいだった/生まぐさい血の臭い 死臭/汗くさい人いきれ うめきごえ/その中から不思議な声がきこえてきた/「赤ん坊が生まれる」と言うのだ/この地獄の底のような地下室で/今、若い女が産気づいているのだ/マッチ一本ないくらがりで/どうしたらいいのだろう/人々は自分の痛みを忘れて気づかった/と「私が産婆です、私が生ませましょう」/と言ったのは/さっきまでうめいていた重傷者だ/かくてくらがりの地獄の底で/新しい生命は生まれた/かくてあかつきを待たずに産婆は/血まみれのまま死んだ/生ましめんかな/生ましめんかな/己が命捨つとも――栗原貞子「生ましめんかな」
(22)
註
引用における強調は、断らないかぎり後藤によるものである。
(1) 五十子敬子『死の自己決定について』(批評社、一九九七年)、九○―一九七頁参照。
(2) 立花隆『脳死再論』(中公文庫版、一九九一年)、三四五―六頁参照。
(3) 立花隆『脳死臨調批判』(中公文庫版、一九九四年)、二九○頁。
(4) 一九九七年官報第一類第七号厚生委員会議録第十一号、三九頁。
(5) 浅野善治「臓器提供の承諾要件をめぐる問題点」(ぎょうせい「法律のひろば」一九九八年十月号、一○―六頁)参照。
(6) 厚生省のホームページ(http://www.mhw.go.jp/index.html)に記載されていた第十回公衆衛生審議会成人病対策部会臓器移植専門委員会(一九九八年六月一七日)議事録から。
(8) 斉藤誠二「海外における臓器移植の法的な状況」(前註5「法律のひろば」、一七―二四頁)の冒頭に紹介されている一九九七年六月のドイツ連邦議会におけるある議員の発言から。
(14) 「死の概念をめぐって」(情況出版「情況」一九九六年十一月号、二九―四○頁)三六頁参照。
(16) 小松氏はこの語でハイデガーのいう Jemeinigkeit (原・渡邊訳では「そのつど私のものであるという性格」)を念頭においている。
(18) ハイデガーに合わせるかたちで「《近》親者」としておくが、制度としての「近代家族」が崩壊しつつある今、このような限定が通用しないことはいうまでもない。
(21) 土井真一「『生命に対する権利』と『自己決定権』の観念」(日本公法学会「公法研究」第五八号、有斐閣、一九九六年、九二―一○二頁)参照。
(22) 『詩画集 小さな祈り』(男鹿和雄画、吉永さゆり編、汐文社、一九九八年)所収。