プロジェクトaH
“aH”宣言
関西大学社会学部教授 木村洋二
笑う動物はヒトだけである。この事実は、笑いの謎を解くことがヒトの秘密を解くことにつながることを暗示する。しかし、笑いの謎は、いまだ解かれていない。ヒトはなぜ笑うのか、笑いはどのような意味を、働きをもつのか、すべてのヒトが口を開けて笑うにもかかわらず、その謎はまだ閉ざされたままである。人類進化の鍵をにぎるこの笑いは、精神と身体、こころとからだの結び目にあって、かくれたヘソのように、マジメな人間科学(Human Science)の探求の目を逃れている。笑いとはなにか、その謎のメカニズムと力を解明することは、21世紀人間科学最大の課題のひとつである。
笑いは、つまらない不真面目な現象であり、真剣な科学の対象には値しない、とおおくの真面目な人たちが考えてきた。しかし、その真面目な科学者や求道者が、教義や正義をふりかざして走りまわり、流血の惨劇を引き起こしたのが20世紀の現実である。「核兵器」をつくって人類を破滅の瀬戸際に追い込んだのはクソ真面目な物理学者である。社会科学の名のもとに、「真の人類史」を切り拓こうと、億の人類を殺して歩いたのも真面目な求道者である。このあり様をみて、笑わずにいることができる人間は不真面目である。
笑いは、真摯に生きることと対立しない。笑いは、意味がナイことをおかしみに変えてしまう不思議な演算子である。このゼロの演算(“aH”)が、リアリティとのスキマを生み出して、状況を明晰に理解すること(Aha!)を助ける。 “aH”は、メタ次元からヒトの可能なあり方を洞察することを可能にし、「意味」の呪縛から精神を解放する。地上の楽園は、山のあなた、海のかなた、遠いみちた場所にあるのではない。今、人類に必要なもの、それはみずからの愚行を直視して、“aH!”(アッハ)と跳躍する笑いの馬鹿力であり、ゆかいな自己認識の運動である。
私たちは、ゆたかな無と笑いの伝統をもつこの文明を愛する。そして、この日本から、笑いの総合科学(プロジェクト“aH”)を全世界に提案する。“aH”プロジェクトは、先端技術の力を借りて、意味世界の原点から「ゆたかな無」の躍動する自由空間へ脱出する、人間科学の冒険である。笑いによって原点の扉が開かれたとき、ヒトは意味世界への幽閉を解かれ、いまここに「躍動する無」(久松真一)のさなかに解放されるだろう。笑いは、愚かさの自覚であり、知の希望であり、最高の哲学である。ゼロの大笑いは、「世界」を再起動(restart)するバカ力をもっているのだ。
「古事記」に記された天の岩戸開きの神話によれば、岩穴に隠れた太陽神アマテラスを引き戻したのは、ひとりの勇敢な女神のストリップであった。アメノウズメの裸踊りによって誘発された神々の大笑いが、この世にふたたび太陽神を呼び戻したのである。古代の日本人は、笑いが神の化身であること、神がそれであったところのエネルギーが溢れ出したものであることを熟知していた可能性が高い。また、草薙の剣が収められている日本最古の神社熱田神宮には、「笑酔人」神事とよばれる不思議な儀式が伝えられている。暗闇で「笑い」を木箱に封入し、厳かに社に奉納するこの秘儀は、笑いによって生まれる余剰エネルギー、愉快な空無を、神のもうひとつの姿として未来に送る神聖な儀礼と解することができる。しかし、それは秘儀として秘匿されなければならない。なぜなら、笑いは0の演算子であり、すべてを無に帰す破壊者でもあるからだ。笑いを神に(いや、おそらく神として)奉納するこの神聖な儀式が、まさに夜、暗闇のなかで秘儀として執り行われなければならない理由がここにある。
しかし、時は満ちた。この間に起こった情報テクノロジー革命は、「神のもうひとつの姿」である笑いの本体を科学の目で精密に捉える可能性をひそかに準備していた。もちろん、そのことに気がついた人はまだ少数である。私たちは四半世紀まえ、世界に先駆けて「笑いの統一理論」を発表した。ほとんど笑えないこの仮説によれば、笑いとは、1)図式作動の振動を契機に(=ズレて)、2)負荷を脱離して図式駆動を停止する防衛メカニズムであり(=ハズレて)、3)これは、図式への備給(cathexis)を撤収して図式のリアリティを無化(カラッポ)するとともに(=ヌケて)、4)余剰化した予期ポテンシャルが「おかしみ」を生み出しつつ断続的な呼気の運動として放出される(=アフレる)ところの現象である。私たちはいま、この仮説に導かれて、「負荷脱離」によって余剰化した笑い出力が、一次的に横隔膜呼吸系に投射されるらしいことを、突き止めつつある。
私たち関西大学グループは、2007年10月、おかしみの笑いと同時に横隔膜に発生する特有の微細振動を電気的に観測・解析する「笑い測定システム」(DLM:Diaphragmatic Laughter Measuring System)の試作に成功した。これまで笑いは、顔と声に表れると信じられてきたが、顔でも声でもなく、横隔膜の微妙な動きから笑いを測定する私たちの試作機「笑い測定機(Laughogram/ “aH”gram/Ahogram)」は、今後改良を重ねることで、笑いの科学研究、したがって21世紀の人間科学に予想外の展開をもたらす可能性を秘めている。そう遠くない将来、ヒトの感情とこころの動きを一枚の横隔膜の微妙な揺れとして観測し、「目で見る」ことが可能になるかもしれない。
私たちは、この新兵器を手に、笑いの科学(Humor Science)に挑戦する。笑いの科学は、ヒトの進化を、意味の形成ではなく、無意味の発生から解明する。笑いの科学は、愚かさや間違いを糾弾する正義の知ではない。それは、エネルギーの解放(“aH”)と自己洞察(“aha!”)をふくむ愉快な科学、“aH”の科学(“aH”-science)となるはずである。まずは、文学、哲学、心理学、社会学、医学その他の伝統的な学問分野におけるユーモアの研究に加えて、脳神経科学、コンピューター・情報科学、分子免疫学といった先端分野を連携・総動員した学際的かつ国際的笑い研究プロジェクトを提案する。
笑いのメカニズムと機能が科学的に解明されたとき、人類はその偉大な無=ゼロの力によって、欲望と意味の呪縛を解かれてあたらしい進化の道を歩みはじめるだろう。20世紀は血腥いイデオロギーの世紀であった。21世紀が、豊かな無の躍動する笑いとユーモアの世紀となるよう、日本の知力と技術力の総力をあげて、「笑いの科学的解明をめざす総合プロジェクト」“aH”サイエンスにとり組もうではないか。賢愚を超え、貧富を超え、人種民族を超えて、笑いを愛するすべてのヒトとともに、人類史の余白にゆかいな1ページを開こうではないか。“aH”プロジェクトは、日本から世界へ、科学の名において発せられる「天の岩戸開き」の冒険である。
イデオロギーからユーモアへ
―21世紀における「笑いの総合科学」を提案する―
関西大学社会学部教授 木村洋二
20世紀は充ちた意味を目指して流血を引き起こしたイデオロギーの世紀であった.意味がナイことを豊かに享受する笑いとユーモアは、すべてのヒトに恵まれたゼロの演算子である.笑いは、「意味」の呪縛から精神を解放する.地上の楽園は、山のあなた、海のかなた、遠いみちた場所にあるのではない.笑いによって原点の扉が開かれたとき、ヒトは意味世界への幽閉を解かれ、いまここに「躍動する無」のさなかに解放されるだろう.
「天の岩戸開き」の神話をもつ日本民族こそ、この笑いの秘密を現代科学の総力をあげて、全世界に先駆けて解明すべきである.笑いのメカニズムと機能が科学的に解明されたとき、人類はその偉大な無=ゼロの力によって、欲望と意味の呪縛を解かれてあたらしい進化の道を歩みはじめるだろう.21世紀が、豊かな無の躍動する笑いとユーモアの世紀となるよう、日本笑い学会として、「笑いの科学的解明をめざす総合プロジェクト」をスタートさせることを提案する.
1.笑いとはなにか
笑う動物はヒトだけである.笑うサルがヒトに進化した、と仮定したい.しかし、人類進化の鍵をにぎるこの笑いは、精神と身体、こころとからだの結び目にあって、かくれたヘソのように、マジメな人間科学(Human Science) の探求の目を逃れてきた.ヒトの精神と生理を結ぶこの笑いのメカニズムと機能を科学的に解明することは、21世紀における人間科学の最重要テーマのひとつである.
依然として人類の知性にたいする「コシャクな挑戦」(ベルグソン)をやめないこの笑いの秘密を解明するために、文学、哲学、心理学、社会学、医学その他の伝統的な学問分野におけるユーモアの研究に加えて、脳神経科学、コンピューター・情報科学、分子免疫学といった先端分野を連携・総動員して超学際的「笑い研究プロジェクト」を組織化すべきである.
作業仮説:〈ズレてハズレてアフレる〉
- 1)笑いとは、通常両義的もしくは非一義的パターンの同化をめぐって図式の作動回路に生じるある種のスイッチング現象を引き金にして、
- 2)一瞬作動図式が賦活信号出力系から脱離する一時的な負荷脱離の現象であり
- 3)これは余剰出力の放出を通じて愉快感(「躍動する無」)を生み出すと同時に、
- 4)作動中の図式に急激なデ‐カセクシスを引き起こして、その図式について体験されていた現象学的リアリティを神経生理学的にキャンセルする.
(木村「笑いのメカニズム」『思想』1982.11)
2.プロジェクト0〔ゼロ〕→プロジェクトaH〔アッハ〕
2A 笑いの基礎科学
1) 脳内の「笑いの中枢」とその動作を確定する
- ・高機能MRI,PETなど最先端機器/装置を活用する
→筑波大学の野澤孝司氏の「くすぐり」実験(国際ユーモア学会での報告)
→2003年、Stanford大学のGroupが、即座核が発火することをつきとめた(Neuron,12) - ・笑いの回路メカニズムはまだ明らかなっていない.
2)笑いのホルモン(神経伝達物質)を検出・確定する
- ・ユーモア刺激によってアトピー症状/ストレス症状が(3時間ほど)改善することが木俣肇医師等によって報告されている.
→笑いによって脳内で生産されるアルカロイド(笑いの素!)は3時間で不安定化する? - ・ワライタケを栽培して「笑う特効薬」(免疫強化剤・ユーモアドリンク)を開発する
- ・「笑いの素」を集めて、「豊かな無」をばらまく「笑い爆弾」をつくる
→戦争するサルのアホらしさを、共に身をもって確認する「最終的化学兵器!」ができる?!
3)世界に先駆けて「笑うロボット」を完成させる
- ・「笑うコンピューター」を開発する
→シミュレーションによる研究促進を図る
(→北垣郁雄・広島大学の笑うコンピューター) - ・「笑うロボット」を開発する(私と笑う「アイボー」)
- ・マン−マシーン・インターフェイスへの活用
2B 笑いの応用科学(人間科学への応用)
4)ユーモア医療のコンセプトと技法を開発する
- ・笑いの発生するアルカロイド(余剰出力)で、からだのシコリとこころのネジレを解く
→ユーモアの免疫強化/抗ストレス機能(鎮アトピー、抗癌・・・中島英雄、木俣肇医師らの研究) - ・笑いのもつ脳内ファイル「初期化」機能を心理療法に応用する(すでにされている)
- ・笑いを促進・誘発する神経伝達物質を特定・合成し、臨床的に応用する
5)義務教育の授業カリキュラムに「落語」と「狂言」を組み込む
- ・コミュニケーションにおける笑いとユーモアの機能を科学的に解明する
→ユーモアにおける視点のシフトと認識の高次化機能(メタレベルへの跳躍)
→対人関係における脱中心化と自己理解の促進(寛容と自由な視点の獲得) - ・コミュニケーションにおけるユーモアと笑いの実践技法を開発・教育する
→不安と緊張の低減、余裕の発生と信頼感の醸成、関係のリスタート - ・学校、ホスピス、病院など全体的収容施設(アサイラム)へユーモア技法を公式に導入する
→教員免許に、落語とユーモア学の単位を必修化する
→権威主義の弊害をくいとめて自由な精神の生息を促す(→笑い学会メンバーが実践中)
6)大学に「笑い学部(ユーモア学科)」をつくる
- ・大学に笑い研究のネットワークを形成し発展させるための「核」を形成する.
→アカデミックな認知とHumor Scienceの蓄積を図る
→ユーモア学の教科書を編纂する - ・公的研究基金の支援を得て研究の発展と社会的還元を図る
→ユーモアセラピストの育成 - ・宇宙人・異邦人・未来人に見せるための「笑いのミュージアム」をつくる
→歴史的・伝統的・同時代的な笑いの技法/技術(お笑い文化)を収集・保存する
7)日本文明における笑いの位置と無の概念
- ・笑いは意味システムにおける「オペレーター0(ゼロの演算子)」である
- ・笑いは世界(脳)を「初期化」する(リスタート機能
- ・笑いによる「有」(への執着)から「躍動する無」(久松真一)への解放の可能性
- ・禅と公案、解脱と笑いの関係(→21世紀の人間科学)
8)宗教主義信条を問わず大笑いをする「笑いの日」をつくる
- ・国民・市民・移民・棄民・難民運動を展開する→“オペレーション0(Zero)”!
- ・全世界の宗教者、指導者をあつめて、「天の岩戸開き」をする
- ・富士山頂で「ミズ・アメノウズメ・コンテスト」を開催する
(以上、2003年度の日本笑い学会シンポジウム「21世紀は笑いの世紀」で提案.)
今後の課題(2003年当時、カッコ内は2008年現在)
・科学研究費を獲得する(2度アプライしましたが、なかなか通りません(笑)。今年は3度目の正直に挑戦!)
・大学に「講義科目」を開設する(寛容な同僚の理解と応援で、「笑いの総合科学をめざして」(全学部共通)、「笑いとユーモアの科学」「ユーモア・コミュニケーション実習」(大学院)の3つの科目が開設できました!)
・企業、団体の支援を得る(吉本興業から冠講座をご寄附いただくとともに、ご支援をいただきました!)
笑いを愛する同志ホモ・サピエンスのご支援にこころから感謝します.
(2008.2.23 木村記)
