長谷川ゼミ・2005年8-9月テクノセンター・インターンシップ

自分の視野が広がったインターンシップ(R)

研修の目的

 ゼミの先輩から「テクノセンターへ行って人生観が変わった」という話を聞き、テクノセンターに興味を持ちました。中国へ行く事を不安に思いながらも、自分が変わるチャンスを逃したくないと思い、テクノセンターインターンシップに参加しました。

ハプニングから始まったインターンシップ

 飛行機の到着が遅れ、待ち合わせしていた人と会えないというハプニングからこのインターンシップは始まりました。長谷川先生、石井さん、西村さんの助けを得てどうにかテクノセンターに到着しましたが、初日からこの調子でこの先大丈夫だろうかと不安でした。
 寮のトイレ、シャワーは想像よりさらに汚く、最初の3、4日間は早く日本に帰りたいと思っていました。しかし、しだいに「2週間は短い。もっとここで多くの人達の話を聞き、街を見て周りたい」と思うようになりました。

自分の目で確かめた現場

 ワーカー寮で水が止まるという事態が発生したこともあり、さらに水にあたって下痢を起こした日もあり、自分がいかに恵まれた生活を送ってきたかを痛感しました。寮に住むワーカー達は水を大切にするのだろうと思っていたのですが、お湯を出したままでどこかへ行ってしまうところをみて驚きました。また、高価な携帯電話を持っていて、想像していた姿とは少し異なりました。以前は給料の90%程を親に仕送りしていたが、現在では50%程度に減っていて、ワーカーの姿も変化しているようです。
 シンセンの道路はゴミが多く、信号がなく車線もないためクラクションが鳴り響き、歩くのを怖く感じました。店では、店員が御飯を食べながら接客をしている所もあり、文化の違いに驚きました。
 この研修では、多くのテナントでインタビューや工場見学をさせていただきました。どの工場でも、ワーカーの定着率が低い事が問題となっているようでした。中でも、山内香港有限公司はワーカーを定着させるために寮の一部を買い取ったと聞き、驚きました。ワーカーを定着させるためには、ワーカー達がもっとここで働きたいと思うような環境を整えてゆくなどの工夫が必要なのだと思いました。
 また、工場で実習を行いました。単純な作業で楽しいと思いましたが、私が働いたのは3時間程度。これを毎日長時間続けるとなると嫌になるでしょう。ワーカー達は休憩時間になるとすぐに仕事をやめ、休憩していましたが、時間になるとまたすぐに仕事を始めていました。朝から夜まで働くワーカーの集中力には驚きます。

日本語教室

 テクノセンターに入居しているテナントの工場長の多くは日本人なので、ワーカー達には日本語も必要であると思います。そこで重要な役割を果たしている日本語教室に興味を持っていました。
 当初私は日本語教室を数日見学し、できれば教えたいと考えていましたが、実際に中国へ来てみると全く言葉が分からず、この状態で教える事はできないと思い、一日見学するだけに留めました。しかし今考えると、すぐに駄目だと判断してしまうのは私の悪いところではないかと思います。
 初級クラスを見学してみると、教え方はほぼ私たちが外国語を習う方法と同じでしたが、一人が当てられなかなか答えられなかった時、他の子達が一斉に発言し始めるところが日本とは異なりました。見学のみのはずだったのですが、私達が教科書を読み、生徒が後に続いて読むということを行いました。歌も歌うこととなり、中国人ワーカーは非常に歌が好きだという事がわかりました。
 ワーカー達は、寮でも日本語教室で使う本を読んでいました。必要だから仕方なく日本語を勉強しているのではないかと思っていたのですが、彼女達は日本語に興味を持っていて、楽しんで学んでいるようでした。

寮でのコミュニケーション

 私は中国語が殆どわからないため、少しの会話をするだけで、自ら進んでコミュニケーションをとろうとはしませんでした。
 しかし石井さんは講演で「言葉が分からなくてもコミュニケーションはとれる」とおっしゃいました。言葉が分からなくてもあきらめるのではなく、伝えようとする気持ちが大切だったのだと思います。石井さんのお話を聞いたのが帰国する4日前であったことが残念です。
 この後、寮の子達と日本語教室の教科書を使ってお互いに言葉を教えあったり、一緒に歌を歌ったりしました。もう少し早く石井さんのお話を聞いていれば、私は寮の子達ともっと仲良くなり、寮生活がもっと楽しいものとなっていたかもしれません。

研修仲間

 様々な地域から来た人から、日本について考えていること、自分の将来についての話を聞く事ができ、日本へ留学している人からは、日本へやってきた当初は日本人が冷たく感じたという話を聞きました。私と同じ研修生達の話を聞いていると、テクノセンターやテナントの問題点や理想像など自分の意見を話していたので、皆それぞれ問題意識を持っていることに気付きました。

おわりに

 このインターンシップはテクノセンターの方々や工場長、様々な地域からやって来た研修生、ワーカーといった、住んできた環境も違い、それぞれの考え方を持つ人々の話を聞いて問題意識の大切さを再認識し、自分の意見に対する反論などを聞いて自分の考えがまだ浅いと感じました。さらに話を聞いていて、そのような考え方もあるのか、と感心したことも多く、自分の視野が広がったように思います。
 今回の研修で多くの人の意見を聞くことは、特に頭の固い私にとって非常に大切なことだと感じたので、これからも多くの人と会話をして自分の将来についても考えてゆきたいと思います。
 最後になりましたが、テクノセンターの石井さん、神谷さん、立石さん、西村さんをはじめ、テクノセンター関係者の皆様、各テナント企業のスタッフの皆様に心よりお礼申し上げます。

(2005年9月26日)


ワーカーさんたちから学んだこと(M)

 今回私がテクノセンターに来た主な目的は、ワーカーと接することによって中国と日本の文化の違い、価値観の違いを身をもって体験したいと考えたからです。14日間の研修は、とても長いようで短かったです。テクノセンターに着いたばかりの頃は、クーラーも無く、ベッドは寝心地が悪く、お風呂やトイレも今まで見たことがない程汚く、さらに夜になるとゴキブリが走り回るという状況に唖然としていました。話には聞いていましたが、二週間もの間この環境に耐えることができるのか正直不安でいっぱいになりました。その頃の私は「帰りたい、帰りたい」が毎日の口癖でした。
 テクノセンターでは川副さん、立石さん、石井さん、高原さんのお話を聞いたり、久田、宮川香港、モリテックス、肇英へ工場見学に行ったり、税関へ行ったりと様々な体験をしました。その中でも宮川香港でのライン実習が印象的でした。たった3時間という実習時間でしたが、私にはとてつもなく長い時間に感じられました。私はUの字型の針金を基盤にはめていくという作業をしたのですが、ものの10分もしないうちに飽きてしまいました。単調な作業、ゆっくりと流れるラインに私はうとうととなってしまい、危うく寝てしまうところでした。ワーカーの子とコミュニケーションを図ることが目的であるにも関わらず、中国語があいさつ程度しかできない私は、話したいのに隣のワーカーの女の子に話しかけることができずにいました。隣の女の子が話しかけてくれなければ、本当に退屈な3時間だったと思います。彼女は何度か中国語で話しかけてくれたのですが、わからなくて困っている私に、今度は英語で話しかけてきました。英語が話せる子がいるのだと驚きました。それからは片言の英語と筆談で色々なことを聞くことができました。
 私にとって今回の研修でのメインは日本語教室の見学だったので、5日間で、初級、中級、高級のクラスを見学しました。どのクラスでも言えることなのですが、ワーカーの子たちは一言たりとも聞き漏らすまいとして一生懸命授業を聞いていました。中級クラスの授業でたまたま私の隣に座っていた女の子は、日本語教室の先生の油谷さんによると一番日本語が上手らしく、18才なのにすごいなと感心しました。彼女はとても積極的で勉強熱心で、私にたくさん話しかけてくれました。私も色々質問したのですが、その中で「将来は何になりたいの?」という質問に、彼女はキラキラした目で「日本の企業で働きたいです!」と答えてくれました。私よりも4つも年下で一人で親元を離れて働きに来て、もう既に自分の将来を見据えてそれに向けて頑張っている姿に私は頭が上がらないなと思いました。結婚するまでは親に面倒を見てもらおうという甘い考えでいる自分が恥ずかしくなりました。
 日本語教室の見学も最後という日に、桃山学院大学4回生の渡部さんと共に1時間程時間をいただいて、授業を担当させてもらうことができました。クロスワードを崩した感じのクイズを作り、みんなに解いてもらいました。上手くいくか本当に不安でしたが、みんなからは自分が一番に解いてやろうという勢いが感じられ、口々に答えを叫んでいました。1時間はあっという間で、しりとりゲームもする予定でしたが時間の関係ですることができませんでした。もっと時間があればなと少し残念でしたが、楽しんで取り組んでもらえたようで本当によかったと思っています。貴重な体験をさせていただき、油谷さんには本当に感謝しています。ワーカーの子たちとも仲良くなれて、本当にやってよかったなと思いました。
 この14日間の研修で、何事に対してもひたむきに頑張るワーカーたちと共に生活できたことは、私にとって大きな意味がありました。これといった目標も無く、ただ毎日を過ごしているだけといった今までのだらだらした自分の生活態度を見つめなおす良い機会になりました。これらテクノセンターでの様々な経験は、これからの自分にとって大きな糧となるに違いありません。
 このような機会を与えて下さったテクノセンターのスタッフ並びに各テナントの社長、工場長さん、また日本語教室でお世話になった油谷さんには本当に感謝しております。ありがとうございました。

(2005年9月17日)


一歩ずつ前へ進むこと(T)

 今回、テクノセンターで私は多くの人に話を聞き、経営者がどうあるべきかを聞いてまわった。経営者にとって大切なことは4つあり、1.人づくり2.カネづくり3.市場づくり4.モノづくりである。特に人づくりに関しては石井さん、川副さん、久田さん、安部さんに聞いても同じであった。人づくりとは、企業間のつながり、人材開発、友人など様々である。中国に進出した経緯を聞いても、友人からの紹介があったり、仕事を紹介してもらうことがあったり、人とつながりを大切にしている事が共通していた。
 もう1つの共通点は、前向きな姿勢である。中国では、最低賃金が480元から580元にあがり更に週休2日になり土曜日の給料は休日出勤になり2倍の給料を支払わなくてはならない。このように厳しくなる状況の中でも、ものすごく明るい顔で挨拶を交わし活力にあふれている。CGK(肇英グループ換算委員会)この会は、肇英グループのPW、VEなどの幹部の方が集まる会議である。川副さんは、日本語、英語、広東語を混ぜながら、会議をしていた。会議中は厳しく、気になる事は徹底的に追求する。説明を求められた人も説明するのに必至であった。また経営者として知っておくべき事を次々と質問し、経営者としての意識を高めさせていた。今の中国の状況を見て、どのような経営体制にしていくべきかを検討していた。その中でもやるべき事をはっきりさせ、具体的にそれぞれの工場でどのような対策をとるのか意見を出すようにしていた。
 また、久田では、大きな声、あいさつ、速く歩くが大切であると言っていた。久田社長は人情が熱く仕事に対しても妥協のない人だ。挨拶は従業員1人1人に声をかけるようにしている。毅然とした態度は共通しており、ストライキが起きたときでも社長としての威厳を失うことなく、堂々と対応すること、また自分の考えをはっきりと伝えることが大切なのだ。しかし、自分の考えだけを押し通すのでなく、お互いの考えを考慮する事が必要で、根本的に考え方の違う中国人とのコミュニケーションをどう取るかが重要なのだ。久田社長は、経営から工場の仕事までなんでもすることができる。なでもこなせる事は経営において必要で、自らが手本となることで、従業員との信頼関係を築いているのだ。
 阿部さんは、私と同じようにインターシップでこのテクノセンターに来た。あえて自分を厳しい環境に置き自分を磨くために来たのだ。言葉の壁や環境の違いなど様々な障害を乗り越えて来た。安部さんの口癖は、「前向きに考える事」「ダークサイドにいくな」だ。前向きな姿勢で仕事に取り組む事で、様々なことが吸収できるようになり、自分自身のスキルにつながるのである。そこから、新しい発見やひらめきが得られるのだ。
 いつもポジティブに考えられるわけではないが、そんなときでも自分の理想とするものをしっかりと持つ事で自分との戦いに勝ち、少しずつ成長し変わっていくことが重要なのだ。自分の目標が漠然としたものでも、目の前にあるものに一生懸命取り組む中で新しい目標が見つかり、またそれに対して取り組む事で次が見えてくる。悩んでやらないのでなく、とりあえずやってみるような、勢いみたいなものも時には必要なのだ。
 今回のインターシップを通して、多くの方と話すことで自分を見つめなおす事ができた。他大学の人とのコミュニケーション、中国人ワーカーとのコミュニケーション、を取る中で考え方の違いや価値観の違いを改めて感じる事ができた。経営者からの貴重な話を今後日本での生活に生かせるように自分にできる事から少しずつやっていきたいと思っている。
 経営者になりたいといっていたが、具体的に何をしていいのかわからない自分がいた。しかし、今回の研修を通して感じたことは、自分にとっての目の前の課題を一つずつクリアしていくことが大切だということだ。いきなり経営者をイメージしても自分との差がありすぎて何をしていいかわからない。自分の能力の範囲内でできることをやり、自分を少しずつステップアップさせることで、過去の自分にはできなかったことができるようになる。そこから、また新たな目標を立てる。その繰り返しで本当の「夢」は見つかる。「夢」は思い描くものでなく、見つけるものだと感じた。

(2005年9月27日)


Author: Shin Hasegawa
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