長谷川ゼミ・2003年8-9月テクノセンター・インターンシップ

A日程

TNCインターンシップ感想文(3NK)

 僕はTNCインターンシップに参加して中国人に対するイメージが変わりました。日本にいてるときは、中国人はせこくて、こわくて、盗人ばっかりのイメージでした。それはテレビなどで中国窃盗団のことや、中国に行った日本の観光客が騙されたということをよく聞いていたからです。だから、最初中国に着いた時は全ての中国人がそうだと決め付けて、全てのことに対して警戒していました。TNCに着いたときは僕たちを見る中国人の目が僕たちの荷物を狙っているように感じました。バイクタクシーの人たちの目も、どうやって僕たちから金を巻き上げようか考えているように感じました。
 しかし、実際にいろんな中国人とコミュニケーションをとりましたが、幸い悪い人はいませんでした。中国人の大多数が悪い人だと思っていた僕にとってこれはとても意外なことでした。
 寮のルームメイトは初日にいろんなものを貸してくれて、TNC周辺のことや、中国のことを何も分かっていない僕にいろいろ教えてくれました。そして、僕に対してすごく興味を持ってくれたみたいで、暇があれば日本のことや、大学のことを聞いてきました。その会話の中で少し驚いたのが、彼の知っている日本の都市が東京、大阪、京都ではなく、東京、広島、長崎だったことです。そして彼は広島と長崎を見てみたいと言っていました。僕は戦争のことについて中国人は皆、日本を批判すると思っていました。しかし、彼からは戦争のことについて日本と分かり合おうとしているように感じました。中国人にもこんな人がいてると思うと、すごくうれしかったです。
 寮ではあと一人、僕と親しくしてくれた人がいます。その人は僕たちが日本人だということをどこかで教えてもらったらしく、寮で僕たちを見つけるなり、走ってきて、友達になってくれと言ってきました。彼はサッカーと日本がすごく好きらしく、日本のサッカー選手の名前を知っていたり、日本製のものを何でもいいから見せてほしいとも言ってきました。僕たちと会った次の日には日本語の教科書を買ってきて、僕たちに日本語を教えるように頼みました。彼は「日本は自分にとって憧れの国だ」と言っていました。ほとんどの日本人は日本という国のことをすごいとは感じていません。しかし、発展途上国の人たちにとって日本はすごい国で、僕たち日本人は自分の国にもっと誇りを持っていいのではないかと思いました。僕は中国人の彼から日本のすばらしさを教えてもらった気がします。そして、このように日本を褒めてくれる中国人がいて本当にうれしかったです。
 僕はこの二人以外にも、もっと多くの中国人とコミュニケーションをとりました。この他の人たちもすごく親切な人が多く、僕は中国人に対するイメージがこの2週間でがらりと変わりました。これらのことは本当にいい経験になったと思います。TNCで友達になった人とは北京オリンピックでまた会おうと言って、連絡先を交換しました。このようなよい出会いの場を提供してくださった、石井さん、川副さん、テクノセンタースタッフの皆さん、テナント企業工場長の皆さん、本当にありがとうございました。この経験は一生の宝になりました。

(2003年12月27日)


B日程

自分で感じる(3NH)

 今回このTNCインターンシップに参加しようと思ったのは、前回三月に初めて参加させていただき、またTNCに行きたいと思ったからです。前回中国とTNCの活気に魅せられ、また研修に参加してもっとTNCを知りたい、熱気を感じたい、そこで今の自分を見つめ直したいと思いました。
 まず、今回のメンバーそれぞれの知識と考え方に衝撃を受けました。同年代の人がこんなに自分というものを持っていて、人に負けない何かに自信を持っているように見えました。しかし、それに対して自分なりの考えでぶつかっていく人もいて、そんな姿を見て私はやっと一歩置いて自分なりに考えることが大切であることに気づきました。それぞれの考え方や感じ方は様々で、何かに衝撃を受けたのであればそれを吸収してしまえばいい。それができる環境に自分から向かうことも大切だと教えられました。そこから新たに留学をしようかと考えるようになりました。
 また、今回は研修によって何かを残したいと思い、インターンシップのマニュアル作成に参加しました。私はその工場長さんへの取材でたくさんの大切なことを感じました。質問の一つとして、TNCのサービスに対する意見をお聞きしたところ、大抵の工場長さんは文句を述べるばかりか、「いまやっていけているのはTNCのおかげである。確かにインフラへの不満はあるが、問題解決は自己責任である」と言われました。そして、工員の労働環境を一番に考えておられたり、これからの目標を目をキラキラさせて教えて下さったりしました。私は将来このような方々の下で働きたい、辛いことがあっても明るさを忘れない人でありたいと思いました。
 今まで、社会で働くということについて考えても希望や夢とはどんなものかわからないままでした。しかし、あるメンバーの「恩を受けた日本のために働きたい」という言葉に衝撃を受け、TNCで働く方々をこの目で見て、自信を持って働く工員さん達の活気を感じて、自分にとって働くこととは何かわかってきたような気がします。
 このような大変貴重な体験をさせて下さった石井さんをはじめTNCの方々には大変感謝しております。今回感じたことを自分の糧にして、知りたい気持ちを大切にしていきます。本当にありがとうございました。


テクノセンターでの研修を終えて(3TO)

 私は今回「中国の生産現場が知りたい」という、かなり漠然とした思いでこのテクノセンターに来てしまいました。だから、こちらに来た当初は「私、いったい何がしたいんやろう」と、かなりとまどい、苦しみました。
 しかし、いろんな企業を訪問し、いろんな方々からお話をお伺いするうちに、「このままではいけない」という思いを強くし、自分を追い込んでみることにしました。
 まず、中国語をまったく話せないにもかかわらず、MORITEXの従業員寮に入れてもらい、中国人の子達に囲まれて過ごすことにしました。これは私にとってかなりの決断力を要しました。しかし、その不安はすぐにかき消されるほど、彼女達は本当に親切で、特に、風邪で寝込んでいた時にむいてくれた梨の味は絶対に忘れません。たくさんのやさしさに触れました。私も「もっと思いやりの気持ちを持って人に接しよう」と思いました。私は彼女達から多くのことを学びました。そんな彼女達と話がしたくて毎晩毎晩中国語を勉強していると、彼女達もまた、そんな私に付き合って、身振り手振りで中国語を根気強く教えてくれました。もともとそんなに語学に対しては興味がなかったのですが、こちらにきて初めて語学に対して貪欲になることができました。語学の楽しさを知ったので、日本に帰ってからも中国語の勉強を続けようと思います。
 もうひとつ、今回の私のメインとなったものは、宮川香港とPEACH JOHNでさせて頂いたライン実習です。合計4日間程お世話になったのですが、ここでは「働く」ということについてすごく考えさせられました。ワーカーさんがやっている仕事は、一見単純作業で誰でもできて、価値の低い仕事のように見えるけれど、単純作業ですごくしんどいからこそ誰もやらないし、だけど彼女達がいないとものづくりが成り立たないということがよくわかりました。そういう意味で、私は彼女達の恩恵を受けているし、私の生活のすべてが知らず知らずのうちに、まわりの多くの人の恩恵を受けているということに気が付きました。働く=支えあいであり、そうして世の中が成り立っているのだと思いました。私も働き始めたら、どんな仕事であっても、自分の仕事に誇りをもって働こうと思います。
 最後に、このような素晴らしい自己啓発の機会を与えてくださったテクノセンターの皆様、貴重なお時間を割いてくださった各企業の方々、そしてここで働くすべての従業員のみなさん、本当にありがとうございました。


中国パワーを浴びてきらきらひかりだす日本(3FI)

 私は今年の3月に一度テクノセンターのインターンシップへ参加させていただいたのですが、今回は前回では得られなかったものをたくさん得ることができたように感じます。まずは、他大学の人と一緒に研修ができたことです。色んな考えの人や知識を持った人が集まっており、一緒に話をすることで、「同じ学生なのにこんなにすごい人がいるんだ」と、とても刺激を受けました。
 今回の研修で一番考えさせられたことは「ワーカー」という言葉についてでした。私ははじめてワーカーという言葉を聞いた時、何の疑問も違和感も感じないまま普通に使っていました。けれど、今回参加した学生の数名が疑問を抱くようになり、「ワーカー」という言葉について議論する機会ができました。その時、初めて「ワーカー」という言葉についてどんな意味があるのだろう?と考えるようになりました。そして、その言葉についてテクノセンター内で働いている方の意見を伺ったり、今回出会えた学生達と議論をかわしているうちに、言葉の呼び方ではなく、自分が感じたワーカーさんの姿そのものが私の中のワーカーという言葉であるのだ、ということに気づきました。
 また、私は日本で研修計画を練る際に、絶対にテクノセンターにマニュアルというかたちで何かを残したいと考えていました。ですから、今回テナントリストのマニュアル作りに参加することができ、とても嬉しく思っています。このマニュアル作りをする過程で多くの工場長さんのお話をうかがうことができましたことも私にとってはとても貴重な経験でした。どの工場長さんも目がキラキラしており、「夢を持っている」ように感じました。寮で同じ部屋で生活したワーカーさんたちもとても目がキラキラしていました。日本では私を含めキラキラ目を輝かせている人はあまりいないと思います。しかし、今回この研修を進めていく中で、工場長さんやワーカーさんたちのパワーをそばで感じることによって、TNCへ来る前と比べて確実に私たちの目はキラキラ輝き出してきていると実感するようになりました。
 今回ワーカーさんと同じ部屋で生活することになり、彼女達と話したいことはたくさんあるにも関わらず、言葉が通じなくてとてももどかしい思いを感じました。それと同時に異文化の中で生活することにとても刺激を受けました。以前から留学することを考えていたのですが、この思いはさらに強くなりました。
 私にとって今回のインターンシップはとても貴重な体験になりました。日本に帰ってもこの思いを忘れずにがんばりたいと思います。今回このような機会を与えてくださった石井さんをはじめとするTNC関係者の方々、テナント関係者の方々に本当に感謝しています。ありがとうございました。


インターンシップ感想文(3AY)

 今回2週間テクノセンターで生活して、驚いていることは、日本に居るときと、実際今中国で生活しているときの自分の考え方が全く違うことだ。様々な人と出会いたくさんの刺激を受けたので、考え方が変わったのだろう。
 このインターンシップで、このテクノセンターの環境や、ここで生活している人と出会ったことももちろんだけど、偶然集まったB日程のメンバーと出会ったことも私の中でとても大きいことだ。話してみて驚いたが、このメンバーはみんな個性が強い。自分の考えをはっきり主張でき、正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと言い切ることのできる彼らを見て、私はとても衝撃を受けた。自分にはないものを持っている人がたくさん集まっていたので、最初の衝撃はすぐに刺激へと変わった。製造業についての知識も全くと言っていいほどなかった私。知識たっぷりのみんな。比較して、何にも持ってない自分や、話の下手な自分が嫌になった。
 しかし、テクノセンターで生活していくうちに明らかに私の気持ちが何かに共鳴して高鳴っているのを感じた。この様に色々なことを感じている!と実感することが私の自信にもつながったと思う。周りの知識にふらふら着いていくのではなく、自分で見たものや感じたことを大切にしたいと思えるようになった。
 また、私はモノづくりが好きだ。モノをつくることで、自分を表現するのが好きだ。テクノセンターでの製造業は機械的で心のこもってないものだから、自分の好きなモノづくりとは違うと思っていた。でも、実際宮川香港さんのラインに入り、ワーカーと一緒に働くにつれて、一人一人機械的な単純作業を繰り返しているように見えるけれどそうではないことを感じた。部品の一つ一つに、たくさんの女の子達の人生がめいっぱい詰まっていることを知った。同じ作業をすることで、彼女達の一人一人の人格や、人としての温もりまでも感じることができた。
 この様なことを感じることができて、私の気持ちは満足と達成感でいっぱいだ。悩んでいるときに背中を押してくださったキラキラしている石井さん、本当に感謝しています。最後にテクノセンターの方々、テナント企業の方々、お世話になった皆様、このようなことを学ぶ機会を下さって本当にありがとうございます。これからの毎日や、次またこちらに来させて頂くときにつながるインターンシップになりました。本当にありがとうございました。また、テクノセンターに来たいです。


私が見る、感じる。(3SO)

 私はテクノセンターでの2週間で、見るもの、出会う人全てに衝撃を受けるばかりでした。ここで出会ったたくさんの人たちから、私はいろんなことを学びました。
 まず、ワーカーとの出会いです。研修を始めて4日目に、石井さんの勧めでMORITEXワーカー寮に日本人一人ずつで入寮させていただきました。入寮前は,中国語が話せないことがかなり不安でした。しかし、部屋に入るとすぐ、女の子たちはこちらが中国語を話せないことなどお構いなしに話しかけてきて、重いバケツを運んでくれたり、世話を焼いてくれて、不安だった気持ちなんてあっという間にどこかへ行ってしまいました。話す言葉や文化は違っても、同年代の女の子同士で、楽しく過ごすことができました。
 また、中国に来て、富める世界と貧しい世界の両方を目の当たりにして、大きなショックを受けました。これまでも他国を訪れた際に貧富の差の問題を感じてはいましたが、どこか自分とは関係のない世界のことだと思っていました。しかしこの研修では、ワーカー寮で暮らし、その生活を体験すると、貧しさのすぐ隣にまるで別世界のような富める世界があることに、なにか割り切れないモヤモヤとした気持ちが生まれました。
 ある人に、「僕もここに来た当初は同じようなことを考えた。でも、それは中国の社会を分かっていないから、思うことだ。貧富の差のすべては給料の差から生まれている。良い生活をしたいと考えて、ワーカーたちも頑張るんだ。」と言われましたが、私の中でこの問題は簡単に答えが出せるものではなく、これから私の問題意識のひとつとして考えていきたいと思います。
 同じB日程のメンバーにも驚きを感じました。私の周囲に、同年代でこんな考え方をするような人たちは今までいませんでした。そのことに尊敬を感じたり、反発を感じたりといろいろでしたが、私にとって大きな刺激となったことは間違いないと今は思います。
 石井さん密着取材は、石井さんのご好意に甘えて、できる限り同行させていただきました。石井さんに実際にお会いすることができ、聞かせて頂いたお話や言葉から、私は多大な影響を受けました。石井さんの私たち学生に対するご配慮に、心から深く感謝いたします。また、私たちのために発表する場を作って下さった川副さん、学生たちのためにご尽力下さった斎藤さん、神谷さん、油谷さんなどテクノセンタースタッフ・関係者の皆さま、学生のために時間を割いて貴重なお話を聞かせて下さった工場長さんを始めとする各テナントの皆さま、仲良くしてくれた同じ寮のワーカーたち、共に学んだインターンシップ学生たち、私がこの研修で出会ったすべての人に心より感謝しています。
 たくさんの人に出会いいろんな考え方に触れましたが、人に流されることなく自分が見たもの、感じたものが一番大切だということに気付きました。日本に帰ってからも、テクノセンターで学んだことを、自分の成長の糧として大切にしていきたいと思います。またいつか絶対にテクノセンターを訪れたいと思っています。今後もテクノセンターの扉が学生たちに開かれていることを願っています。


自分らしさを大切にする(3NT)

 今回の研修で、私は色んなことをたくさん感じ、そしてたくさん悩んだ。それは,このテクノセンターという場所でたくさんの出会いがあったからだと思う。これは前回の研修では味わえないことだった。
 私はずっと“ワーカー”という言葉に何の疑いもなく,ただ「働く“work”+人“er”」という意味で用いられている言葉だと思い使ってきた。しかし、この意味は、ある学生によって違う意味のあるものだと知ることになった。この言葉は、“働くために生まれてきた”といった働き蜂のようなニュアンスを持った差別的な言葉であるということだった。私は、このことを熱く語り、そのような言葉を使って平気に過ごしているテクノセンター側に対し、怒りを感じ訴えるその学生を見て、身震いさえ覚えた。「私は今までどうして何も知らずに平気でこの言葉を使ってきたのだろう。無知なことってなんて怖いことなのだろう」と、その後3〜4日間悩みに悩んだ。私はここで働くワーカーを差別してきたのだろうか。三月にここへ来たとき、ワーカーにたくさんのエネルギーをもらい感謝の気持ちをいっぱいにして日本へ帰った。たまに断水があることなど、日本に比べ生活が不便なことも十分理解していたはずだった。しかし、いざまたこの生活を送ると水が出ないことに不満を覚えた。これは差別なのか。考えれば考えるほどに辛くなった。ワーカーと私は同年代の友達であるはずなのに、やっぱりどこかで差別?区別をしていた。ある学生は、これを差別だという。でも私には何かピンとこない。“ワーカー”という言葉も自分の考えも差別なのだろうか。
 いろんな人に話を聞くたびに色んな意見がごっちゃ混ぜになって自分の思いがわからなくなる。この思いを誰にぶつければこのモヤモヤはとれるのだろう。そう思ったとき石井さんの顔が浮かんだ。石井さんは何よりも人の心を大事にしてくれる人。それなのにどうして石井さんも従業員たちをこう呼ぶのだろうか。石井さんにも疑問を持っていた。
 石井さんに「話す時間が欲しい」と一言伝えるとすぐに時間を作ってくださった。真剣に話を聞いてくださり私の思いに答えてくださった。私はあっという間にずっと抱えていたモヤモヤを解消することができた。「ワーカーはね、一人一人ワーカーということに誇りを持って生きているんだよ。みんな向上心を持って生きているんだ」。石井さんは本当に一人一人のワーカーを大事にしている。そのことは石井さんと一緒にいればいるほどどんどん伝わってくる。「人はね、笑顔が武器なんだよ。ヘラヘラしてる奴だって思われてもいいじゃない。何も悩む必要はない。前向きに、自分が感じたワーカーの姿を思えば分かるでしょ」。石井さんの周りにはいつも笑いが絶えない。暗かった私の顔がどんどん笑顔に変わっていく。私は今までどうしてこんなに悩んでいたのだろう。ワーカーと共に暮らし、一緒に笑ったり時に踊ってみたり。私が笑えば彼女達も笑ってくれる。中国人も日本人も違いはなかった。同じ年頃の人間。何も考える必要なんてない。笑顔ってステキだな。一緒に笑うことでたくさんのことが分かった。
 今回の研修で得た,人との出会いは大きかった。一緒に過ごした学生との出会い。みんな個性が強くて賢い人ばかり。みんなのように賢い話もできなくてそれに戸惑ったりもしたけど、私は私。ここで出会ったいろんな人との出会いを大切に、色んなことを吸収して日本へ持って帰ろうと思います。
 このような大変貴重な出会いの場を与えてくださった石井さんをはじめとするTNCの皆様、ここで出会った全ての人に感謝したいと思います。ここでの経験を糧に,日々向上心を持ち続け,笑顔を絶やさず上を向いて歩いていこうと思います。本当にありがとうございました。


C日程

インターンシップを終えて(3KS)

 初めての中国、香港から陸路で入り、駅を出るといきなりタクシーの運転手の執拗な客引きに、戸惑いながらも中国の力強さを感じることができた。しかし、テクノセンターで過ごした二週間は、外国にいるという戸惑いを感じないぐらいに充実した時間だった。
 テクノセンターでのインターンシップでは、やれることが多くて選択肢の多さに目移りしてしまって、当初の目的から外れてしまい、興味の赴くままに色々なことに挑戦した。結果的に浅く広くになってしまったが、その全てに気づきと学びがあり、多大な刺激を受けた。
 その中でも私に最も大きな影響を与えてくれたのは石井さんだった。誰の目から見ても、石井さんの辞書には後悔という文字がないということは容易に分かり得るだろう。私も後悔する人生なんてまっぴらだと思っているのだが、迷ったときにあと一歩が踏み出せなくて後悔するということが少なからずあった。しかし、石井さんの話を聞いて、そのもう一歩を踏み出す勇気を与えられた気がする。テクノセンターに来るまで、留学に行くかどうか迷っていたが、行かなかったら一生後悔してしまうと思い、絶対なんとかして行ってやろうと心に誓った。
 石井さんはいつの元気で、どんなときでも笑顔を絶やさない人だが、見ず知らずの人からへらへらしたやつだと言われることがあると言っていた。もし私がそんなことを言われたら絶対落ち込んでしまうところなのに、石井さんは「へらへらしてると思われてもいいじゃない」と、スッパリ言い切った。そう言えるのは、心の中に確固たる信念を持っているからだということに気づいた。確固たる信念という一本の軸を持っている石井さんはすごく輝いて見え、いつも軸がぶれてばかりでいた私はその光を受け、背筋をピンと伸ばされたような気持ちになった。
 この二週間で、ここには到底書ききれないほどのたくさんの出来事を体験し、膨大な刺激を受け、人間として、男として成長できた。私はこのインターンシップが私の人生のターニングポイントになったと確信している。このような素晴らし過ぎると言っても過言ではないぐらいの貴重な機会を与えてくださった、石井さんを始めとする、テクノセンターに関わる全ての人に感謝をするとともに、これからもこのインターンシップが続いていって、将来自分の子供もテクノセンター・インターンシップに送り出すことができれば、と願っています。


インターンシップを終えて(3MK)

 テクノセンター(以下TNC)での2週間のインターンシップを終えて、まず思うことは、長いようであっという間だったなということです。やっぱりそれはこの2週間が充実していたからだと思います。
 私はライン実習と環境委員会と工場見学を計画しており、今回のインターンシップで3社工場見学・取材をさせて頂いたのですが、どの会社も中国に進出してよかったと言っておられました。進出理由も人件費のコストダウン,労働力などが主な理由として挙げられていました。言葉の壁を問題点としている会社もあれば、そうじゃない会社もありました。それぞれの工場を見学・取材させて頂いて、訪問時の服装,態度,言葉遣い、取材のやり方など、まだまだ勉強するものが多いと感じました。インターンシップ生を受入れて下さる企業が年々減っていることを知り、その現象をくい止めたい,それにはどうすればいいのか,自分達のやる気をどう表したらいいのか,悩んだこともありました。各企業へお願いしていたインターンシップ生に対するアンケートの結果を見てがっくりきたこともありましたが、その言葉を真摯に受け止めて、秋から始まる就職活動の励みにしていきたいと思います。
 次にライン実習ですが、正直ライン実習はしんどそうやし2日くらいでいいかと単純に考えていました。しかしライン実習初日、そんな考えは打ち砕かれました。しんどい時ももちろんあるのですが、そのしんどさも10分の休憩時間でかき消されるほどでした。10分の休憩時間にワーカーの皆さんが話しかけてくれたからです。普段は寝ているだろう時間に、全然中国語のわからない私にあきらめずに話してくれるその心遣いが嬉しかったのです。ワーカーさんと話すのが楽しくて嬉しくて当初全く予定していなかったのですが、ライン実習をもう一日増やし、ワーカー寮に移動してしまったほどです!ワーカー寮に移ったことで、ワーカーさんの一生懸命さ,優しさがより一層つたわってきて、ワーカーの子はお金もなくてかわいそうだなと思っていた自分が恥ずかしくなりました。石井さんの話の中で、「ワーカーたちはチャンスが限られているから、できることは何でも一生懸命する。日本人はチャンスがいっぱいあるから少し余裕をもってやってしまう。選択肢を狭める力を持って欲しい。」というものがありました。それを聞いて本当にその通りだと思い、強く心に残りました。
 今回インターンシップを終えて、工場見学やTNC事務所のお手伝いやライン実習などいろいろなことをさせて頂いて、本当に多くのものを吸収できたと思います。石井さんの話を聞き、ワーカー寮で生活させてもらったり・・・日本では経験できないことばかりです。どちらかというと受身な自分。そんな自分を変えたい!!「思い立ったら即行動」の精神で頑張りたい!と思いTNC行きを決意したのですが、企業訪問をする際のアポの取り方や、ワーカー寮移動にしても1人で行動してみて「私にもできるんや!こんな自分もおったんや!」と新たな一面が発見できました。就職活動を目前に控えた今、不安でいっぱいですが、この夏の経験を生かしていこうと思います。石井さん,斉藤さんをはじめとするTNC関係者の方々、テナント関係者の方々には大変お世話になりました。本当に感謝しています。ありがとうございました。


インターンシップを終えて(3TU)

 テクノセンターでの2週間は、毎日が驚き、戸惑い、そして感動の連続だった。当初、スケジュールを組む時点では少し余裕をもっていたが、日を追うごとに、やりたい事、知りたい事が増えていき、気が付けば時間があっという間に過ぎてしまった。途中、気持ちばかり焦って悩んだ時期もあったが、一日一日を大切にし、自分らしく、見るもの聞くもの全てを素直に感じようと思えるようになった。
 今回、私は日本語教師をしていらっしゃる油谷さんの提案で、授業の一部を担当させていただいた。フルーツバスケットというゲームをするため、ルールをできる限り分かりやすく説明しようと何度も教案をねり直した。本番では年配の方もたくさんおられ、「楽しんでもらえるだろうか?私が話す日本語を理解してもらえるだろうか?」と不安になった。しかし、実際授業を始めてみると、授業前の静けさとうってかわり、大声で笑いゲームを楽しんでくれているスタッフやワーカーの姿を見ることができた。仕事で疲れているはずなのに、一生懸命ゲームに参加してくれる彼女達。一体このパワーはどこからくるのだろう。テクノセンターに来て数日が経った頃、同じ年代の彼女達について、もっと知りたいと思うようになった。
 そして、宮川香港のライン実習に参加した。長時間の細かな作業で2時間もすると集中力がなくなり、1日終わる頃には肩や腰が痛くなっていた。けれど、ワーカー達は朝の8時から夕方の5時半まで毎日働き、残業をする日だってある。私なら、きっと逃げ出してしまうだろう。2週間という限られた研修期間の中だから、彼女達と一緒にラインに入りがんばれるのではないかと思い、自分が情けなくなった。同時に彼女たちの生活が毎日同じことの繰り返しのように感じてならなかった。
 しかし、ワーカー寮に移ったとき、これまで自分の中でモヤモヤしていたことが、だんだん解消されたのがわかった。私が部屋に入ると彼女たちは笑顔で駆け寄ってきて、手を引いて話しかけてくれる。部屋を見渡すと、アイドルのポスターが貼ってあり、花が飾られている。それは今まで私が想像していたワーカー寮とは全く違う、明るく活気のあるものだった。
 この研修をとおして、私は自分の甘さや、視野の狭さを実感した。知らないうちに自分の価値観を基準に物事を考えてしまっているということに気づいた。毎回のミーティングでは他大学の学生と意見を交わし、時にはぶつかり合うことで、たくさんの刺激をうけた。こんな貴重な経験が出来たことをテクノセンターの関係者の皆様に感謝するとともに、これからに生かしていきたいと思う。


テクノセンターでの2週間を終えて(3MY)

 今このあっという間にすぎていった2週間を思い出すと、MORITEXのワーカー寮へ入寮してからの日々が、一番私を刺激したように思う。
 日本で育った私は、固い板の上で寝たり、小さなシャワーボックスで体を洗ったり、ドサっと無造作に盛られたぶっかけご飯を食べたりということはしたことがなかった。しかしそれが彼女達の日常の生活なのだ。本や人伝いにワーカーの生活がどのようなものであるのか、ある程度は知っていたが、いざ自分がその生活をすると頭でわかっていた以上に日本での生活との違いを体でもって感じた。親元を離れて毎日働き、親に仕送りをする。一方私はたくさんある自由な時間を自分のために使っている。なんて自分はぬくぬくと育ってきたのだろうと感じる。
 今回私はA*という私より1つ年下のMORITEXで働くワーカーに密着取材を試みた。深夜12時頃にいつも二人で階段に座り、中国語、日本語、英語、ジェスチャー、筆談でいろんなことを話した。彼女の家族はテクノセンターからバスで8時間くらい走ったところにある広東省の梅州というところに住んでいる。大工のお父さんと、家で果物を栽培して売るお母さんの収入は少ない。彼女の兄は大学4年生で弟は高校3年生。学費がかかるのでAは働いているのだという。MORITEXで働いて1年。半年に一回の割合で家に帰るが、やっぱり家族にとても会いたいと言っていた。どんな時に幸せを感じるのかと聞いたときも、家族みんなで一緒にいるときと答えた。Aは決してニコニコと笑うタイプの子ではなく、どちらかというとムスっとした顔をした印象を持つがとても素直で、自分に正直だ。そして勤勉で、日曜日にこっそり部屋を覗きにいくと英語の勉強をしていた。休みの日は読書をするらしい。私はそんな彼女をとても好きになった。
 彼女達ワーカーの目はきらきらと輝いていて笑ったりはしゃいだりする姿を見ていると、とても幸せな気持ちになれる。そして自分にはない真っ直ぐな心や何にでも飛びつくハングリーさ、強さを持つ彼女達をうらやましくも思う。
 石井さんのお話の中で「日本は豊かすぎる。中国の子達は選択肢が少ないから1つのことにでも熱中する」という言葉があった。私はその時自分とワーカー達との違いの理由がわかった気がした。チャンスがたくさんあると余裕を持ってしまい、結局何にも熱くなることなくその数多くのチャンスを無駄にしていたのが私だ。
 このインターンシップを終え、甘えた自分を変えるという目的を達成することができたという実感は正直言ってない。けれどワーカーの子達に出会い、彼女たちのパワーやきれいな心、優しさに触れることができたことは、これからの自分に影響を与え続けるだろう。

(註)*原文では実名が表記されている。WEB公開にあたって匿名化した。


ひとつの製品から伝わる想い(4YG)

 私は、今回で昨年に引き続き2度目のインターンシップになる。昨年のこのインターンシップでは中国という環境の中で、様々な方々に自分の生き方を変えられてしまうほどのいい刺激を受け、日本に対する危機感・自分のもろさ・自分の将来に対する不安を持って帰った。そして、私は今回のインターンシップに至るまでの1年間でそれらの課題に悩み、意識も変わった。しかし、もう一度テクノセンターでのインターンシップに挑戦し、自分の目的を達成するためにこの場所にやって来た。
 私の今回のインターンシップの目的は「日本式技術移転とテクノセンター」というテーマを深く掘り下げることだった。そのために、日本の中小企業が中国で工場を操業する際、移転に関わる多面的な問題を各工場長様にお聞きし、様々な貴重な話を伺うことができた。私がこの2週間に取材を実施した企業は宮川香港・偉力工業・モリテックス・明星電気・JFEフェライト・ヒサダ・葵セイラの社長・工場長各位である。
 その中で、日本から中国へ企業独自の生産方式を移転する際、いくつかの重要な問題を越えなければ工場運営自体に支障をきたすことが予想される。例えば、大きな問題として挙げられるのは従業員(中国人スタッフ・ワーカー)への教育・通関業務・インフラ整備・中国独自に育まれた文化を理解することである。私はその中でも中国人スタッフ・ワーカーへの教育が最も重要であることを今回の研修で切実に感じた。工場移転に伴い、日本で維持していた生産能力や品質レベルをそのままこちらに移転する事は並大抵のことではなく、工場の看板である製品をよりレベルアップさせるのはそこで働く人材にかかっており、ワーカー次第でその会社が中国でやっていけるかどうかが決まるといえる。よって、工場の看板は製品を作りだして支えていくワーカーであるともいえる。
 例えば、今回私が注目したのは宮川香港のQCサークルの各課を追って取材したことだ。まず、QCサークルの大きな効用は各ワーカーが自発的に品質改善活動に取り組む姿勢にある。班長を中心に「人・方法・冶具・部品」といった要因を課単位でワーカーが思う存分議論する。そこには、ただ単に与えられた仕事をこなすだけでいいといったレベルを超越し、一つの電子基盤にかける想いが伝わってきたような気がする。あらゆる製品を手にとって感じるのは、一つの単調なラインの中で完成した製品の温かみだった。
 あるテナントの工場長が言った言葉、「工場の顔は工場長であって、ワーカーではない」…この言葉をずっと自分の中で引きずっていた。しかし、このインターンシップを終えてみると、私はその言葉を否定したいと思う。「工場の顔はワーカーであって工場長ではない」と。
今や、中国は安いコスト面が注目され、工場移転がさかんに行われている。今回のインターンシップで得たことは、企業独自の技術・方法をこの中国という地に根付かせるにはいかに「人」を企業独自の色に育て、高品質のモノを生み出すことの重要性であり、文化を越えてわかりあえる人対人の関係を築くかが重要であるということだ。
 最後に、石井次郎様、川副哲様、斉藤愛子様をはじめとするテクノセンターの皆様、各工場長の皆様この2週間大変お世話になりました。こうして2週間の充実した研修を振り返ると、自分の目的を素直に行動に移すことができ、また大きな成果を得ることができたと思っています。皆様方に感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとうございました。


インターンシップを終えて(3MO)

 私はこの2週間のインターンシップを通して、改めて自分を見つめなおすことができたと思う。
 私にとってワーカー寮で生活したことと、日本語教室で授業を担当させて頂いたことは自分を見つめなおす大きなきっかけになった。ワーカーの皆さんは見ず知らずの私に何の見返りも求めず、親切に接してくれ、様々なことを手伝ってくれた。ベッドを掃除してくれたり、プレゼントをくれたり・・・彼女たちと過ごした時間は本当に楽しく充実したものだったと思う。そのことを自分に置き換えた時、自己中心的な自分が浮き彫りになった。いつも自分のことばかりで周りのことを考えられていない自分がいた。彼女たちは自分のことを後回しにしてまで、いつも私のことを手伝ってくれた。なぜそこまで人に親切にできるのだろうか。私にはできるのだろうか。それが彼女たちと過ごして感じた率直な感想だ。
 そして、日本語教室ではみんなの一生懸命さに驚かされた。私が一言何か言うと、大きな声で返してくれた。必死でノートをとってくれた。私は自主的に何か一つのことに一生懸命取り組めているだろうか。今までも頑張っていたつもりだが、自主的ではなかった気がする。日本で育った私には常にたくさんの選択肢が用意されてきた。しかし、その状況に甘え、結局何事にも一生懸命になれずにいる。残念だが彼らには、私たちと比べると少ない選択肢しか用意されていないのが現状だと思う。しかし、だからこそ彼らは一生懸命なのだ。
 私は今まで、心のどこかで“中国人よりも日本人のほうが幸せなんだ、優位なんだ”と思っていた。ここに来て、“日本は豊かな国だ、自分は恵まれている”と再認識したことは確かだ。しかし、“私のほうが幸せだ、優位だ”ということは、全く感じなかった。むしろ、彼らから学ぶことばかりだった。私は彼らよりも豊かな暮らしをしていることが幸せだとか、彼らより優位だと考えていた。しかし、彼らは些細なことに喜びを感じることができ、純粋できれいな心を持ち、何事にも一生懸命取り組むことができる。とても羨ましく感じた。そんな彼らを目の当たりにして、これから自分の改善していくべき点を明確にできたと思う。心が洗われたような気がした。また、2週間という短期間でしたがたくさんのことを経験し、様々な視点で物事を考えられるようになったと思う。
 最後に、このようなすばらしい機会を与えて下さった、斉藤さんを始めとするテクノセンターの皆様、日本語教室担当の際の指導や、相談に乗って下さった油谷さん、私がテクノセンターに来て関わった全ての皆さん、本当にありがとうございました。ここでの経験を無駄にしないよう、日本でも頑張ります。


テクノセンターインターンシップを終えて(3MA)

 私がテクノセンターのインターンシップに参加したのは、中国を知りたいという理由からでした。
私の父は大阪で会社を営んでおり7年前にマレーシアに、そして3年前からは中国の東ガンに工場を移してきました。父の話を聞いていて中国には無限の可能性があると感じました。中国から生き生きとして帰ってくる父の姿を見て中国は人件費が安いということ以上に何か大きな魅力があると確信しました。工場の経営する側、雇われる側からみて中国の魅力を見つけ出そうと私は工場長の取材、ライン実習を研修計画の2本柱にしました。 
 実際、2週間の研修を終えた今、思っていた以上のたくさんのものを得ることができました。
 研修の始まった当初は日本の生活との相違に驚き、2週間も大丈夫だろうかと不安でいっぱいでしたがこの生活に慣れるとともに日本人、中国人を客観的に見つめなおすことができました。また、自分自身反省すべき点も浮き彫りにされました。ライン実習や、ワーカー寮でワーカーのみんなと触れ合う中で消して裕福とはいえない環境のなかで何事にも一生懸命で元気いっぱい私たちを受け入れてくれる姿を目の当たりにしました。限られた選択肢の中で精一杯がんばっている彼女たち。たくさんの選択肢のある中にいながら自分のできる範囲の中でしか動かない私。その上私は日本人だからといって優位に立っていたことに深く反省しました。また、それと同時に今回のインターンシップの与えられたチャンスを最大限に生かすことを決めました。
 そしてもうひとつ、私に大きな変化を与えてくれたのは、たくさんの工場長の方々にお話を伺えたことです。いち社会人として目上の方に向き合えたことは自分自身大きな自信になりました。どの方もきらきらと輝いており、中国の魅力というものはその人の捉え方によっていろんな形があるものだと気づかされました。
 私にとってのインターンシップとは、今までの自分の甘さに気づかされ、大きく成長を遂げた2週間でした。この2週間で自分的に何かをつかんだという感触を握りしめました。私の中での中国の魅力はたくさんのチャンスの場だと思います。今回のインターンシップで大きな大きなお土産を持って帰れたことに感謝します。


(タイトルなし)(3CK)

 この2週間インターンシップで、本当にたくさんのことを学んだ。それは知識というよりは内面的なものが多かったと思う。特に私が深く感じたのは「じぶんはなんて無知なのだろう」ということだ。今まで21年間日本で暮らしていく中で、自分の周りの環境や価値観に深く疑問を抱いたことはなかった。周りにいる人たちと話したり、自分が興味を持った本を読み、考え方や物事の見方を深めているつもりでいた。また、海外への旅行や短期留学を経て自分の視野は確実に広がっていると思っていた。
 しかし、ここ中国。ガンランのテクノセンターでワーカーたちと出会い、自分の価値観がどんな偏ったものなのか気づかされた。ワーカー寮へ行き、彼女たちに出会うまで、私は無意識に彼女たちを「かわいそう」だと思っていた。日本の金銭感覚ではとても考えられないような金額の給料で毎日朝から晩まで働き、私たちと比較すると、狭くて不衛生な寮で暮らす。そうして稼いだお金を家族へ仕送りするなんて、私にはとても耐えられない生活だと思っていたのだ。しかし実際に会ったワーカーたちはみんな元気に、楽しそうにしている。とてもパワフルで、たくさん笑い、何事にも一生懸命である。日本からやってきて、たった2週間でまた出て行く私に対しても、いろいろな世話をやいてくれるし、言葉が通じなくても何度でも話しかけてくれる。ある子は、お互い言葉がわからないためほとんど会話が進まず、境遇や育ってきた環境も違う日本人の私のことを「朋友」だといってくれた。そのとき私は自分の価値観だけで物事を診ていたことを知った。彼女たちはここで、彼女たちの生活を送っている。決して不幸なわけではない。私は彼女たちのことを「かわいそう」だと思っていた自分が恥ずかしくなった。私がいままでワーカーたちに対して抱いていた考え方は自分の価値観を押し付けただけのものだったのだ。そしてそれに気づいたとき、自分はなんて知らないことばかりなんだろう、と思った。私はいままで、自分の感覚とは違うものを「見る」ことはあっても、「知る」ことはなかった。どんなことも自分の偏った考え方の型に無理やり押し込み、それでわかったつもりになっていたように思う。そして、そのことがさらに自分の視野を狭め、物事を見えづらくしていた。安易に興味をもてるかどうかを判断し、自分の見たいものだけを見てきたのかもしれない。
 彼女たちとの出会いを通して、私はもっとたくさんの物事を知りたいと思うようになった。自分が無知であると気づいたことでいままで理解できなかったようなことも理解しやすくなり、またひとつの物事を深く、広く見ることもできると思う。そしてそうすることで、私の世界観は本当の意味で広がっていくに違いない。2週間という短い期間ではあったが、テクノセンターで私は本当に大切なものを学ぶことができたと思う。この気持ちを忘れずにどんどん前進していきたい。
 最後になりましたが、今回のインターンシップで大変お世話になりました、油谷恵津子様、斉藤愛子さまをはじめ、私たちを支えてくださったたくさんの方々に、心からお礼を言いたいと思います。この2週間、本当にありがとうございました。


Author: Shin Hasegawa
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