導入期教育科目における学生参画授業の試み
―関西大学商学部基礎演習における実践―


I. はじめに

 「水曜1限,朝5時半起き,眠たい目をこすりながらも,1日も休まずこの授業に参加した私。途中でいやになったときもあったけれど,なぜか休みたくなかった。それは『このクラスに行けば何か違った自分を発見できる』と思ったから。確かに10月21日いつもと違う自分を見つけた」。
 「しんどくて,そして楽しかったこの授業もすでに終わってしまいましたが,私がこの授業で得ることができた大切なものは,ずっと失われることはないでしょう。できるなら同じ船に乗った仲間達と一緒にこれからも“学び”を続けよう!!」。
 「一年間この授業を受けてきて学ぶことの楽しさを知った。与えられた課題をこなすことよりも,自分たちの興味のあることを徹底的に追求することのほうがはるかに楽しい。小中高で学ぶ教科の勉強も大切であるが,こうやって,自分の興味のあることを追求していくことの方が,本当の“学び”と言えるのではないかと思う。この一年間,本当に大変ではあったが,すごく満足しているし,充実感でいっぱいだ」。
 これらは学生参画授業をつくりあげた学生たちの授業終了後のメッセージである。こんな教師冥利に尽きるメッセージを書いてくれたら教員なら誰しも喜ばずにはいられまい。
 大学の教壇に立って3年目になる私は,昨年まで基礎演習では1年間で論文を作成する参与型の授業,専門科目である中南米経済論では講義形式の授業を試行錯誤しながら行なってきた1)。その中で痛切に感じられたことは,(1)教育効果の増大を期待して教員が資料を準備をすればするほど(中南米経済論),詳細に時々の課題を指示すればするほど(基礎演習),教員は自ら準備した資料とシステムに埋もれて学生を見失い,学生は「やらされ,受身」になっていくこと,(2)本来楽しいはずの学びという営為が,学生も教員もつらいばかりで楽しくないということである。「『出席』への点検や激励,表面的な『参加』のため,準備と後始末に追われてはいまいか。発信と交流という参加の理想は求めながらも,それを実現するためのしかけの不備が,理想を実現することのネックとなってはいまいか。良心的な教師は,この準備と後始末を,自ら背負い込んでしまって,くたびれ果ててはいまいか」2)。私はまさにそうした閉塞感漂う状況にあったのである。
 この問題の解決の糸口を見つけるべく参加したのが,1997年11月の経済学教育学会第13回全国大会であった。そこで林義樹氏の参画理論と出会い,全員参加型のラベルケーションを体験し3),学生が授業の企画・実行・評価・伝承の全てに主体的に関わるというにわかには信じがたい授業があることを知った4)。
 本稿では,経済学教育学会第14回全国大会第10分科会での報告にその後の展開も加えて,私と学生たちの授業実践を整理し評価を試みたい。なお分科会報告では基礎演習の他に中南米経済論のとりくみにも触れたが,紙幅の関係でここでは省略し別稿に期したい。


II. 基礎演習への適用とその結果

1.基礎演習の沿革

 関西大学商学部における基礎演習は,1クラス40人台(21クラス)で編成される1回生必修の導入期教育科目(通年)である。今年度の長谷川担当基礎演習は,林義樹氏の『学生参画授業論』におけるツールとシステムを利用して,学生自ら授業を企画運営すること及び1年間でグループで1つの作品を作り上げることを通じて,組織的問題解決能力を向上させるとともに,「学び」が集団的営為であり,文化的実践への参加であること5)を体感させることをめざした。ここでは,学生参画授業にとって基本的なツールとシステムをどのように基礎演習に適用し,どのような結果が得られたのかを中心に,参画型授業づくりの原理のキーワード(共有・分担・開放・伝承6))によってこの試みを整理することにしたい。なお授業の流れについては第1表を参照されたい。

2.共有

 共有のしくみは,クラスの全員がいつでも平等に発信し,受信するためのもので,名前等の発信者についての情報と授業に関して思考した内容についての情報を常にセットで交流することがポイントである7)。こうした共有のしくみとして,この授業では主として授業ラベルチャート(以下CLC)と「基礎演習デジタル」の2つを用いた。
 まずCLCは毎回の授業において,林氏が開発した3枚綴りの複写式ラベルを使って,今回の授業について授業開始直後に期待(先ラベル)を書き,授業終了直前に感想(後ラベル)を書く。CLCは毎回の授業の状態を表現するため,クラス全員分の提出された先・後ラベルを使って授業ごとに作成する。なおこの先・後ラベルは後述の個人ラベルチャート(以下PLC)の材料にもなる。
 このCLCについては,私たちの実践において部分的には共有のしくみとして威力を発揮した。例えば10月に崩壊寸前まで落ち込んだクラスでは,メンバー一人ひとりがラベルに自分の率直な思いを表現し,文具係が1回の授業の全体像をきちんと図解したCLCを鑑賞しながら,学生参画型をやめるか否かのクラス会議・班会議を重ねたことで危機を乗りきることができた。しかし全体としては,(1)ラベルの役割についての説明不足と記入時間の不足のためラベルへの記入が不十分なこと,(2)各係の役割についての説明不足のために「楽そうだから」と文具係を選んだ学生が多かったこと,(3)鑑賞の時間を充分とっていないために作成したCLCをみんなでしみじみと味わうことができず,文具係が仕事のやりがいを感じられる機会に乏しかったことにより,図解になっていないものが多く,共有のしくみとしては不十分な水準に留まってしまった。要するにラベル記入→CLC作成→鑑賞というルーチンを好循環に転換できずに形骸化させてしまったのである。
 「基礎演習デジタル」8)とは,毎週書記係が作成した日誌を情報係が受け取り,情報係がそれをインターネット上のWebページからデータベースへ入力すると,その情報が即座にWebページとして公開されるシステムである。実際には,(1)日誌をつけるという仕事の意義が理解されていないこと,(2)コンピュータ利用のスキルの習得が充分でないことにより,入力は思うように進まず,またWebページの閲覧もほとんどなされず,共有のしくみという点では失敗に終わった。

3.分担

 分担のしくみは,クラス全員が,平等に仕事を分担して,2つの課題(生産課題と維持課題)を達成するためのものである。生産課題に取り組む,すなわち研究テーマの作品づくりを行なう単位が班で,その生産課題を達成するためのクラスの組織・運営(経営)をめぐる維持課題に取り組む単位が係である9)。係と班は言わばクラス組織の横糸と縦糸の関係にあるが,この実践では係は「授業参加のための係の仕事内容」10)に基づいて8つ置き,班はクラスが40-41名で構成されているため,全員がいずれかの係に属し,全ての班に全ての係を1名ずつ置いて平等に荷を分かち合うため5つとした。
 毎回の授業を5班で交代で企画運営していくので各班は5回に1回,企画班として事前に企画会議を必要に応じて担当教員も交えて開き,企画書の作成と準備の手配を行ない,当日の事業運営にあたった。この「授業→企画会議→授業」というサイクルは,授業1コマの企画を立てること自体は企画を1-2回担当すればできるようになるが,前回の評価をしたうえで次回の授業を企画するというスタイルを定着させるまで相当な時間と担当教員による働きかけが必要で,最終盤になってようやくそれができるようになった。林氏の実践においてこのサイクルは「授業→反省会→運営会→授業」となっていたが,(1)後述の幹事会(IG)が機能しなかったこと,(2)反省会と運営会を授業時間外に別個に設けて学生が集まるかどうかには確信が得られず,また(3)システムが複雑化すると学生の理解が進まず授業そのものが頓挫してしまうと考えたため,企画会議として一本化しメンバーも次回企画担当班のメンバーとしたのである。その結果,(2)係活動のサイクルではなく班活動のそれの一部分に矮小化されてしまい,係よりも班,維持課題よりも生産課題に重点が置かれてしまうこととなり,また(2)前回の授業を振り返る機会が失われために,授業の企画運営の持続的発展が鈍化してしまったと考えられる。
 また林氏の実践においては,授業をクラスレベルでデザインする幹事会(IG)がある11)。係決定後すぐに開いた係会議において選出された係のリーダー(5名)で構成するクラス幹事会がこれに相当するが,実際にはほとんど機能しなかった。これは第1に,選出された幹事は係のリーダーであるとともにクラス幹事でもあるため,負担が重かったこと12),第2に,先述の係決定の段階で「楽だから」と誤解して自らの係(例えば文具)を選んだため,その係のリーダーも志が低かったこと,第3に―これが最大の原因だが,クラス幹事会の機能の多くをアシスタントと教員が担ってしまった結果,クラス幹事会の必要性が感じられず,いわゆる実戦化13)の契機を失ったことである。ここに実は,教員・アシスタントによる関与の適切な深さの見計らいの難しさがあるのだが,結果としてクラス全体の意志形成・意志決定は,短期的には企画班,長期的には教員が疑似的に行うことになってしまった。

4.開放

 開放のしくみは,クラスワークに新しい風とエネルギーを次々に呼び込み,クラスワークを発展的に持続させるためのものとされ,(1)外部への開放(フィールドワーク,ゲスト),(2)内部への開放(自己内部へのフィールドワーク)の2方向がある14)。私たちの実践では主に,外部への開放として現場取材と学生アンケート調査,内部への開放として『大学を学ぶ』感想文15)とPLCを行なった。
 現場取材については,夏休みに取材に行くことを提案した結果,取材のアポイントメントがなかなか取れず呻吟したり,取材先で勉強不足だとして怒られたりしながら,多くの班が関係者からヒアリングや現場の見学等々の取材を自分たちの力で精力的に行なうようになっていった。また,後期には学生に対するアンケート調査も提案した結果,自分たちのクラスや他クラスでアンケートを実施した班も少なくなかった。この自分たちへのアンケート調査は,研究ないし学問というものが自分たちと繋がっていることを自覚させる狙いもあったのであるが,その成果については判然としていない。いずれにしろ,現場取材と学生向けアンケートにとりくんだことは,学生のやる気と責任を呼び起こし,7月には中だるみ気味であったクラスの雰囲気をがらりと変え,作品のオリジナリティとリアリティを高めた点で,後期の頑張りの源泉となった。
 ゲスト・見学者については,作品発表会に取材対象者や関係者をゲストとして招くことを11月に提案し,幾つかの班で招待する努力がなされた。提案するのが遅く実を結ぶには至らなかったが,林義樹氏の協力も得て多彩なゲストを招待することができ,学生たちにほどよい緊張感と張り合いをもたらした。
 1年間の自分とこの授業とのつきあいを表現するPLCは毎回書き続けてきた先・後ラベル(全回出席無遅刻の場合50枚)を使って学期末に作成した16)。これに書きこまれたコメントを紹介しよう。「たしかにめんどくさいかもしれないが,やればやるほどおもしろい授業だった」「苦しかった思い出の方が多いけれども,それでもいろいろなことを体験することができた。非力なる自分を知った。可能性も見えた。『産み出す』力の大切さを知った」「この1年間いろいろなことがあった。まあほとんどが葛藤だったが,これを乗り越えることで人間が大きくなったような気がする。この基礎演で手に入れたものは多くある。実用的なスキルはもちろんのこと,人間関係の難しさなどは,今までに経験したことのないものであった。この1年で基礎演習の授業も僕自身も成長したと思っています」。PLCのタイトルも「旅―『学び』の探究―」「未知への出帆」「基礎演習の授業で見つけた本当の自分」と秀逸なものが多い。
 このようにほとんどのPLCには,それぞれの学生の個性と思いが表現されており,この1年間を振り返り,自分がなしえてきたことを再確認し,自分と授業・大学を見つめ直す姿が描かれている。また「ほとんどのラベルが,そのラベル1枚を読んだだけで,その日の授業内容が分かるラベルになっていて,ラベルチャートを作りながらいろいろと思い出すことができました。…様々な心境の変化が読み取れて,とても面白かったです」とのコメントからもわかるように,PLCづくりに思わずはまって熱中し,完成させたPLCを自慢したくて研究室を訪れる学生も多かった。

5.伝承

 伝承のしくみは,意識をも含めて次世代に伝える・教えることを通じて授業からの学びに豊かな厚みを増し,深い意味を与えるためのものであり,この伝承を担う人格としてステューデントワーカーが位置づけられる17)。このステューデントワーカーにあたるのが長谷川担当の基礎演習を97年度からボランティアベースでサポートしてきたアシスタントである。98年度7名の彼ら彼女らは基礎演習出身者で,学生参画授業を体験していないという困難のもとで,なかば手探りで授業運営を行って失敗もあったが,基礎演習に学生参画授業のシステムを適用するための議論と準備を行ない,受講学生が独り立ちする第7回まで企画運営を担い,学生参画授業の伝承機能をいわば疑似的に果たした。
 私たちの実践にとって来年度への伝承はこれからの課題であるが,前述のPLCに見られるように伝えたくてうずうずしている学生たちが何を企んでいるか楽しみにしている。


III. 結びにかえて

 本年度の基礎演習は学生参画型を採用することで,担当教員の側に残る学生不信が生み出す成果主義的傾向や請負主義的な傾向による足枷にもかかわらず,学生集団の巨大な学びのエネルギーを引きだすことができ,学生に学びの姿勢と方法を獲得させることとなった。この1年間学生も教員も,はらはらドキドキ,波乱万丈の授業展開18)を楽しむことができた。そのなかで学生参画授業とは学びの営みをまるごと実現するものであり,実は学びを目的とする場たる授業の本来の姿ではないのか,そう確信することができた。最後に学生参画授業の報告にふさわしくPLCにある学生のメッセージで結ぶことにしよう。
 「最初はなんだこの授業はと思い,企画をしたり,作品を作ったり,係の仕事をするが正直言って面倒だった。だから後期が始まってからは,やる気がほとんどなく,とりあえず授業に来ていたというのだった。しかしクラス会議をきっかけに自分からどんどん授業に参加していき,発表までの数少ない時間を作品に向けて自分で動いていった。そして最後の企画が終わった時,自分たちで作った授業は大変だったけど,充実した時間を味わえたと思えた。それまでの時間がもったいないような気がしたけれども,最後にこう思えたことで私はこの基礎演習の価値があったと思う。自分たちで何かを作ることの楽しさがわかったから。この基礎演習は終わったけど私は今からいろいろなことを初(ママ)めていきたいと思い,タイトルを『START』にしました」。


(註)
1) 1997年までの私の授業実践については,以下の長谷川研究室Webページを参照されたい。http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~shin/
2) 林義樹『学生参画授業論』,学文社,1994年,136頁。
3) 詳しくは竹迫和代「学会総括集会は『創造的な思考空間』に近づいたか」『経済学教育』第17号,1998年,122-129頁を参照されたい。
4) その点で,出会いの機会を与えてくれた経済学教育学会に感謝したい。
5) 佐伯胖『「わかる」ということの意味』(新版)岩波書店,1995年。学びとは何かについて,私は佐伯胖氏の一連の著作及びジーン・レイヴ,エティエンヌ・ウェンガー『状況に埋め込まれた学習』佐伯胖訳,産業図書,1993年から多くの示唆を得ている。
6) 林義樹「学生参画による大学の授業開発」経済学教育学会編『大学の授業をつくる』青木書店,1998年,26頁。
7) 同書,26頁。
8) http://fio.ec.kansai-u.ac.jp/bs/.
9) 林義樹,1998年,26-27頁。
10) 林義樹,1994年,表5-1,137頁。
11) 同書,143頁。
12) 林氏の実践では,幹事に選出され学生は班レベルの仕事から外れるため,幹事を出した班は欠けた係を改めて選出し直すが,私の実践ではこの再選出は前述のとおり,2つの係を担う学生が生じるため,8係5班制を変更しない限り事実上不可能である。
13) 同書,93頁。
14) 林義樹,1998年,27頁。
15) 『大学を学ぶ』(高等教育研究会編,青木書店,1996年)感想文のとりくみについては,拙稿「『大学を学ぶ』感想文から学ぶ」『大学創造』第9号,1999年を参照されたい。
16) 『学生参画授業論』におけるプロセスチャートにあたる。林義樹,1994年,50-54頁参照。
17) 林義樹,1998年,28頁。
18) 学生参画授業は,何事もなく淡々と進むことはなく,次から次へとつまづきや失敗が起こるようにプログラムされており,それらを克服していくことで成長する授業であると実感している。

(『経済学教育』第18号,1999年4月)