『研究年報経済学』(東北大学)第55巻第1号,93-109頁,1993年。

 

政府系三大製鉄所体制とブラジル・モデル
―戦後ブラジル工業化における鉄鋼業(1)―

長谷川 伸


はじめに

 ブラジル鉄鋼業は,77年に粗鋼生産高で1000万トンを突破,79年に鉄鋼自給を達成,鉄鋼製品 1) 貿易収支は79年から黒字に転じ,85年時点で20億ドル余の黒字を計上した(図1図2)。現在ブラジルは,粗鋼生産高2057万トンで世界第8位 2) ,2.7%を占め,発展途上国では中国・韓国に次ぐ鉄鋼生産国となっている。

 こうしたブラジル鉄鋼業において,現在,膨大な累積赤字 3) を原因とする政府系企業の民営化に象徴される産業再編成がすすんでいる。この再編成は,政府の鉄鋼産業政策の決定機関で68年設立のConsider 4) の消滅,政府系鉄鋼企業を統括してきた73年設立のSiderbrasの解散,及び鉄鋼業からの政府系企業の全面撤退と特徴づけられる。これは,40年代における大規模銑鋼一貫製鉄所CSN 5) の建設・稼動以来,鉄鋼業の主力であり,鋼板生産を独占してきた政府系企業が消滅し,これに代わって外国系・民族系企業で鉄鋼業全体を担うことを意味する。この点で今日,戦後における鉄鋼業,とりわけ政府系鉄鋼企業の発展経路が問われている。

 この問題を検討するにあたっては素材産業である鉄鋼業ゆえ,他産業との関係に注目して分析することが必要である。この点で小坂允雄氏の論文「ブラジルの工業化と産業組織」 6) はそのための分析視角を提示しており,示唆的である。小坂論文は,「工業化を担った企業の成長,役割,さらには,それに伴う市場構造の変容など,いわゆる産業組織」を検討課題とし,1.において工業化の進展とその担い手である企業の役割・位置を政府系・外国系・民族系に分けて検討した上で,2.において鉄鋼業と自動車産業の事例研究を行なっている。

 小坂氏が企業を政府系・外国系・民族系に分けて考察を進めているのは,その三者で産業別に棲み分けており,各々の工業化における位置と役割が異なるからである。すなわち,政府系企業は基礎的投入財産業(鉱業,鉄鋼,石油・石油化学等)やインフラ(電力,通信,運輸等),つまり大規模投資を必要とし懐妊期間が比較的長い産業を担っている。外国系企業は技術集約度が高くかつ製品差別化が強い,そして国内調達不能な技術を要する産業(自動車,電機,薬品,情報機器等)を担っている。民族系企業は食品,繊維,アパレル,木材・家具,紙・セルロース,窯業といった非耐久消費財産業や非鉄金属,商業を主に担っているのである 7)表1)。そして,この三者は「相異なる役割を追求し,ある程度まで補完的」 8) であり,政府系と外国系との間には,「国家が基礎的投入財と外部経済を低コストで国内市場に供給する重大な責務を担うとともに,多国籍企業がそれを国内市場と輸出市場における自らの拡大に利用するという分業体制」 9) があると考えられる。

 これが,ブラジル経済は政府系・外国系・民族系企業の「三つの脚」(tri-pe)で立っていると言われる 10) 所以であり,この「三つの脚」企業体制とも言うべきものこそ,ブラジルの工業化の担い手としての企業のあり方と企業間の相互関係の総体に他ならない。工業化戦略はこの企業体制を媒介として展開され,また政府系企業中心の鉄鋼業の発展のあり方もこの企業体制に規定されてきたと思われる。こうした視角から,戦後から80年代に至るブラジル鉄鋼業の発展過程の概観を,工業化過程に即して得ることが必要である 11) 。本稿の課題は,この作業をさしあたり政府系鉄鋼企業に注目し,戦後から「ブラジル奇跡」(68-73年)までの期間を対象として行なうことである。


I 1950年代までの輸入代替進行局面

第1節 経済構造

 ブラジルでは40年代までに,非耐久消費財の輸入代替はほぼ完了していたが,耐久消費財・中間財・資本財はインフラ(電力等)の未発達のために,依然として相当部分を輸入に依存しており(表2),それが工業化の隘路となっていた。そのため政府は50年代において,インフラ建設と基礎的投入財産業設立をはかる一方で,自動車,造船,機械を「成長拠点」として育成し経済成長を実現しようとした。この「成長拠点」産業の政策機関としてGEI 12) が結成されて,主として政府官僚指導の下で部門別目標が設定され,それに向けての誘因提供と調整作業が実施された 13)

 こうした産業を経済成長の基軸にすべく,輸出入の調整を通じた産業構造の転換,積極的な外国資本導入と優遇が実行された。産業構造の転換のために,自国通貨の過大評価,通貨信用管理局(SUMOC)指令70号(53年10月)による為替競売制 14) を含む新為替制度導入によって,輸出の多様化,国産化めざす品目の輸入抑制,資本財・原材料の輸入優先を行なった。その結果,コーヒー輸出の相対的な地位低下と工業製品の輸入代替が進み,産業構造が変容した 15)

 上記の新為替制度は,ブラジルに進出し国内市場確保を狙う外国資本にとって有利に働いた。これに加えてSUMOC指令113号(55年)によって,機械設備の無為替輸入制度が創設され,機械等による現物出資とそれに対する関税免除を実施し,また利潤送金に対して有利な措置が設けられた。そうしたもとで,外国からの直接民間投資は55-61年で,47-54年の時期の約8倍にあたる年平均1億ドル以上に達した。自動車産業においては,欧米企業を中心とする自動車組立企業の対ブラジル進出を招いた完成車輸入禁止措置(53年施行)に基づく,急成長期(59-62年)を迎えており 16) ,この期間においては年平均成長率53%(ユニットベース)を記録し 17)図3),そしてVWやGM,Fordの市場独占が顕著になった。

 基礎的投入財産業・インフラの建設は結局,政府が担うことになった。というのも,それらには大規模投資が必要であるために民間企業では資金調達上困難であったし,外国系企業の場合にはナショナリズムと軍部の国家安全保障戦略の関係で進出が事実上不可能であったためである。政府系企業は言わば最後の切り札であった 18) 。基礎的投入財産業で目覚ましく進展を見た分野は,石油と鉄鋼であり,前者においては国営石油会社Petrobrasが53年設立され,石油の採掘と精製を独占した。インフラの建設においては特に,戦前外国資本によって担われていた電力産業分野での政府系企業設立が顕著であり,50年代から60年代前半にかけて政府系電力会社が相次いで設立され,電力生産の主力をなすに至った。こうした電力会社の設立は,その立地からUSIMINAS 19) とCOSIPA 20) への電力供給が念頭に置かれていたと思われる。また,このような政府系企業を金融的に支えるために,52年に国立経済開発銀行(BNDE 21) )が設立された。このBNDEの当時(52-62年)の融資配分は,政府系企業が担当する基礎的投入財産業(37%,大部分は鉄鋼),電力(32%),輸送(29%)となっている 22) 。こうして政府系企業は,工業化を進めるために―したがって成長の基軸として位置づけられた産業を担う外国系企業のために―最後の切り札として,基礎的投入財生産とインフラ建設(外部経済の提供)を担ったのである。

 以上に見た外国系・政府系企業の行動は,外国系企業が既存の民族系企業の買収をも通じて,主として技術集約的な産業へ参入し 23) ,民族系企業や外国系企業では担当不可能か担当しきれない産業に政府系企業が進出する形で「三つの脚」企業体制を形成し,経済成長を実現するものであった。その結果,55-62年で見て資本財,中間財,耐久消費財が各々10%以上の急成長を記録し,製造業全体も9.8%成長した(表3)。また輸入代替が進み,輸入依存度は製造業全体で49年13.9%から64年6.1%へと半減した(表2)。

 これらは外資の流入及び,政府支出による基礎的投入財産業・インフラ建設に支えられた結果だが,それが今度は,国際収支圧迫要因(外資流入の結果としての利子支払い・利潤送金)あるいは財政悪化・インフレ高進要因として立ち現れ,成長阻害要因に転化した 24) 。国際収支においては,利子支払い・利潤送金の増大に加えて,主たる外貨獲得手段である輸出収入が停滞してしまった。これは,貿易政策は戦前から基本的に変わっておらず,一次産品輸出によって外貨を獲得し,それにより工業化に必要な資・機材の輸入を賄うことであったので,50年代半ばからの一次産品価格下落が輸出収入停滞につながったのである 25) 。このため貿易収支は,53年以降59年までは黒字であったが,60年には2300万ドルの赤字に転じた。こうした結果国際収支の赤字は,59年の1.5億ドルから60年には4.1億ドルにのぼった 26) 。また輸入代替が一定の限界に達し 27) ,輸入代替による成長の余地が限られてきた。こうして60年代初めに財政赤字膨張,インフレの高進と国際収支困難に陥り,輸入代替による成長路線は一定の限界に達し,ブラジル経済は再調整が迫られて停滞局面に移行する。


第2節 鉄鋼業―政府系三大製鉄所体制の形成

 ブラジルでは,20年代の圧延製品生産開始,30年代にはブラジル初の一貫製鉄所(Belgo Mineira)の建設,初のLD転炉の設置など,鉄鋼業は戦前から一定の発展を遂げていた。しかし,Belgo Mineira以外は,鉄屑使用の電炉か小規模木炭高炉による企業 28) であり,そのBelgoMineiraも木炭高炉によるものであり,40年において,圧延製品で9.6万トンを生産するに過ぎなかった。そして,いずれの企業も生産は非鋼板に限られていた。そのため,「ブラジルは1930年代末まで依然として小鉄鋼生産国であった。1940年においても圧延製品消費の約70%は輸入されていたのである」 29)

 41年に,ブラジル初のコークス高炉による大規模一貫製鉄所CSNが,U. S. Steelの技術援助とアメリカ輸出入銀行の資金援助を得て設立され,初めて鋼板が生産可能となった。CSNは政府が直接生産活動に関与する嚆矢であり,ブラジル鉄鋼業史の画期をなすものであった 30) 。また,44年にはACESITA 31) が民間資本の手で設立されたが,相次ぐ救済融資の結果52年には政府系企業となった。このため,ACESITAは政府系としては小規模で 32) ,木炭高炉によるものであり,また特殊鋼を主として生産する点で,独自な位置を占めている。

 50年代に入ると,鋼板に特化した大規模一貫製鉄所2社(COSIPA, USIMINAS)が設立された。これにより,CSN,COSIPA,USIMINASによる三大製鉄所体制が形成され,鉄鋼製品の輸入代替が急速に進行することになる。この三大製鉄所体制の形成は,政府系鉄鋼企業の戦後的特徴を以下の2点において確定した。(1)当時輸入代替の重点がおかれた自動車,造船,機械の3部門に必要であり,民間企業では生産不可能であった鋼板に特化した生産体系でCOSIPAとUSIMINASは出発した。このことは,政府系鉄鋼企業の役割―鋼板供給―を象徴的に表現している。(2)政府系企業はCSNの時から,外国からの技術援助・借款を受け入れてきたが,USIMINASには一歩進んで外国資本(日本)が出資参加している 33) 。こうした外国資本の出資・経営参加を含む結びつきは,戦後における政府系鉄鋼企業の特徴である。

 こうした政府系企業の動きの一方で,外国資本のMannesmannの子会社が52年に設立され,54年に稼動した。これは,(1)同社資料によれば,Petrobrasによる石油開発向けの鋼管調達のためにブラジル政府が誘致した点,(2)そのために,その後Mannesmannが最大の継目無管メーカーとしてブラジル鉄鋼業において独自の位置を占め続けることになる点で重要である。

 CSNが稼動した46年において,鋼塊ベースで前年比66%の大幅増をみて以来,鉄鋼生産は急激な増加を続け,62年には,46年の生産水準(34万トン)の約6倍の237万トンに達した。圧延製品ベースで輸入との関係を見れば,48年から国内生産量が輸入量を上回るようになり 34) ,鉄鋼自給率は40年代後半において6割を越え,60年代には9割まで上昇していく 35)

 50年代の圧延製品需要構成の動向は以下の通りである。建設と伸線等加工業は56年においても60年においてもそれぞれ需要の3割・2割を占め最大の需要部門となっているがそのシェアは安定的である。一方,輸送機械全体では56年12.0%,60年15.6%とそのシェアを拡大している。自動車は国産化が始まった56年において,4.3%を占めるに過ぎなかったが,60年には7.1%を占めるに至った。造船も0.1%から0.6%にそのシェアを6倍に拡大している。鉄道は7.6%から7.9%へとシェアを微増させた。この期の鉄鋼業の成長要因は,見掛消費が56年132万トンから60年213万トンへと急拡大しているので,輸入代替過程を伴いつつ産業全般にわたって需要が伸長したことであるが,とりわけその中でシェアを拡大した自動車を中心とする輸送機械は注目に値する 36) 。自動車産業による需要伸長は先述の急成長期に符合しており,造船業によるシェア拡大は後述のように,59-60年における大規模造船所の相次ぐ稼動によって輸入代替過程が開始されたことと関連している。


II 1960年代における工業化の停滞局面

第1節 経済構造

 63-67年は工業化の停滞局面であり,製造業部門での生産能力過剰が資本財を中心に顕著になり 37) ,この期の実質年間成長率は62-67年で見てGDP3.7%,工業3.9%,製造業は55-62年のそれから7.2ポイント低下し2.6%となった。部門別では資本財-2.6%,非耐久消費財0.0%,耐久消費財4.1%,中間財5.9%となり,いずれも55-62年の数値を下回っている(表3)。工業とその大方を占める製造業 38) との成長率の格差は,工業に分類される製造業以外の部門の相対的に高い成長率によるものである。実際に,62-67年における実質年間成長率は,抽出産業4.9%,建設業6.5%,公益事業28.4% 39) といずれも製造業と工業のそれを上回っている。

 クビチェックから政権を引き継いだクワドロス・グラール両大統領は,国際収支困難の解決のために利潤送金の規制強化―外資導入抑制とインフレ抑制をうちだした。1962年に対外利潤送金制限法(法律4131号)が成立し,利子支払い・利潤送金は62年1.4億ドルから63年0.9億ドルへと減少した。しかしこれは同時に,62年の米系電話会社の接収 40) とあいまって,62年6900万ドルから63年3000万ドルへと外国直接投資を減少させ,資本収支を62年1.8億ドルの黒字から63年には0.5億ドルの赤字に転落させた。これに輸入代替工業化の行き詰まり(表2)が加わった結果,インフレはいっそう進み(61年35%から64年91%へ),工業成長率は64年には5.0%に低下した。一方で,グラールがめざした農地改革や税制改革などの諸改革は実行されず,政治的不安定を増大させた。

 64年の軍事クーデタによって成立したブランコ政権は,インフレ抑制を最優先課題とし,賃金抑制 41) と政府消費支出の実質的削減 42) を軸とする需要抑制を強力に推進した。こうした需要抑制政策の結果,政府需要と労働者の購買力が低下し,インフレは収拾した。こうしたインフレ抑制に加えて,経済成長のための基盤整備―(1)金融制度改革,(2)産業組織整備,(3)外資政策の転換―が図られた。

 (1)の金融制度改革については,通貨価値修正措置(インデクセーション 43) )の採用(64年),SUMOCを改組しての中央銀行設立(65年),資本市場法制定(66年),投資銀行創設などの措置がとられた。こうした諸政策の「全体に支配的な意図はインデクセーションの全面的採用によるインフレの『中和化』であり,それは株式・社債市場の振興と並んで,より長期的な金融資産創出によって従来,為替投機や不動産投機,さらには対外資産という形で不生産的に浪費され国外に流出していた資産階級の遊休資金を中心とする民間貯蓄の動員を目指すものであった」 44) 。(2)の産業組織整備は,GEIの統合を進める産業政策の中心をなすものとして,産業開発審議会(CDI 45) )が64年に設立された。その主たる機能は,IPI,ICM 46) の免除を通じて資本財輸入に対して財政的誘因を提供することにある。このCDI設置は産業政策一元化への第一歩であった。(3)の外資政策の転換については,対外利潤送金制限法の撤廃,接収された企業の補償などが行われ,外国資本及び借款の積極的な導入が再開されたのである。

 以上よりこの期間(64-68年)は,(1)インフレの収拾と(2)金融と産業の諸制度・組織の改革・整備,の2点において「奇跡」を準備した,との位置づけが与えられるであろう。


第2節 鉄鋼業―産業政策確立と生産能力拡張

 この期(63-67年)の鉄鋼業の特徴は(1)産業政策確立・産業組織整備と,(2)非被覆普通鋼板の生産能力拡張である。

 (1)については,鉄鋼業史上初めて総合的な産業政策が確立され,それを実施するための産業諸組織が整備されたことが挙げられる。66年にブラジル政府は,アメリカの鉄鋼コンサルタントであるBooz, Allen and Hamilton International社に調査を委託し,72年までの鉄鋼需要とそれに見合う生産能力の拡張計画を作成することによって長期的な産業政策の確立を企図した 47) 。この報告書は需要見通しを立てた上で,72年までに生産能力を623万トンに拡張すること(66年と比して約244万トンの増加)を提案した。また,後に見るように鉄鋼業の経営悪化を招いた国内炭使用義務と価格統制に関しては,国内炭使用比率引下げ,販売価格引上げを提案した。これを受けて政府は67年4月,鉄鋼諮問グループ(Grupo Consultivo da Industria Siderurgica - GCIS)が商工大臣の下に設置され,同年末に国家鉄鋼計画(Plano Siderurgico Nacional - PSN)を発表した。この計画は,鉄鋼需要を72年616万トン,77年989万トンと見積もり,これを自給しかつ77年時点で47万トンの輸出余力をもつ鉄鋼業にしようとするものであった 48) 。これに基づき,68年には商工省にConsiderが設置され,拡張計画,投資,価格,コスト,販売等について総合的な政策決定が行われるようになった 49)

 73年には,政府系企業の持株会社SiderbrasがConsiderのもとに設置された。このSiderbrasによって,政府系鉄鋼企業の直接的統一的な運営が可能となり,同社は80年代まで傘下企業のための海外の技術と石炭の買付を一手に握り,生産・販売・金融政策の方針を示すことを通じて,鉄鋼業の発展に重大な影響を与えることになる 50)

 (2)は,三大製鉄所体制の始動によるものである。この三大製鉄所の生産能力の鉄鋼業全体におけるシェアは65年で,銑鉄では47.6%(216/454万トン),鋼塊では52.4%(266/508万トン),厚板100.0%(224万トン),熱延薄板92.7%(188/202万トン)に至った 51)

 この期の消費・生産・輸出入の推移は,以下の通りである。圧延製品全体で見ると,見掛消費は62年233万トンから67年292万トンへ1.3倍化,生産は消費に追いつくべく62年205万トンから67年283万トンへ1.4倍に増加しているが,67年においても消費量にはわずかながら及ばない。輸入は62年28万トンから67年34万トンに増加したが,生産の伸長により年平均成長率は生産・消費のそれより低い4.0%にとどまっている。一方で輸出はこの期に事実上開始され,62年にわずか5571トンであったのが67年には実に46倍化して25万トン余を記録した。品種別に見ると,成長率がもっとも高いのは,レール・鉄道資材で,生産ベースで31.6%,見掛消費ベースで49.8%を記録し,圧延製品に占めるシェアは67年見掛消費ベースで4.8%となった。それに次いで,厚板・薄板(生産10.7%,見掛消費4.3%),ブリキ鋼板(同9.8%,9.5%)となっている 52)

 次にこの期の圧延製品需要を概観する。建設は需要の3割を占め,60年に引き続き66年においても最大需要部門となっている。それに次ぐのが輸送機械であり66年では23.6%占めている。特に自動車は60年に比してシェアを倍近く伸ばし13.3%を占めるに至っている。鉄道や造船もシェアを伸ばし,特に造船は―シェア自体は2.0%に過ぎないが―3.3倍にシェアを拡大した 53) 。この期に急激に生産能力が拡張された非被覆普通鋼板の国内販売先内訳を見ると,輸送機械が最大の需要者で全体(139.5万トン)の26.8%を占め,これは主として自動車(18.8%)と造船(5.0%)で構成されている 54)

 以上の需要構成分析に基づき,鉄鋼業の成長要因を検討する。当時製造業全体は停滞基調であったが,輸入代替の余地が最も残されていた中間財は最も成長し,62-67年の実質年間成長率は全体が2.6%であったのに対し中間財は5.9%を記録した(表3)。鉄鋼業もその例外ではなく,62年の自給率は鉄鋼製品で87.6%,62-67年における成長率(圧延製品重量ベース)は年平均7.6%であったが,この期の鉄鋼業の成長要因は輸入代替ではない。圧延製品の輸入依存度(輸入/見掛消費)は,62年12.1%から63年17.9%へ上昇した後,64-67年にかけては11%台で安定しているからである。では,この時期の鉄鋼業の成長要因は何か。それは,輸送機械産業の一定の成長と輸出拡大である。

 輸送機械関連需要は,自動車,造船,鉄道によるものである。まず自動車産業は,その発展過程から見ればこの期は停滞期に当たるが,それでも62-67年の年間平均成長率(ユニットベース)は3.6%と,製造業全体の成長を上回っている(図3)。造船業については,造船業の勃興による新規需要が挙げられよう。ブラジルの近代造船業は,大型船建造向けの3造船所が外国系と民族系の手によって59-60年に稼動することにより勃興した。62-67年における主要6造船所の新造船受注高は,88隻826,230D/Wに達し,そのための厚板を中心とする新規の鉄鋼需要を生じさせ 55) ,66年時点で鉄鋼需要の2.0%を占めた。鉄道業については,先に見た建設業の相対的高成長と関係している。鉄鋼製品の需要構成上は鉄道業に分類されるレールは,GDPを構成する産業分類上の建設業に需要される形になっていると推測される。これは,先述の通りレール・鉄道資材の見掛消費の急伸と以下の事実によって裏付けられよう。すなわち,ブラジルの鉄道輸送は67年時点で商品輸送量(トン・キロ)のシェアは14.8%にすぎない 56) ものの,鉄道のほとんどを支配する連邦鉄道会社(RFFSA)などは60年代半ばから,「非経済的な路線の廃止及び,設備の近代化に努力を傾注した。投資データは,鉄道投資が60年代後半から76年まで実質で高成長したことを示している」 57) のである。

 こうした追加需要だけでは,特に非被覆普通鋼板の生産能力を拡張したUSIMINASとCOSIPAにとって依然不十分であった。そのため,輸出が事実上開始されることになったと考えられる。輸出は67年までに,その生産に占める率を圧延製品ベースで9.0%まで上昇させたのである。この輸出率を品種別に見ると,67年時点で非被覆普通鋼板(厚板・薄板)が,他品種が軒並み0.0-2.3%である中で,群を抜いて高く19.2%を記録している。このことは,USIMINASやCOSIPAの非被覆普通鋼板生産能力の一部が,国内需要の伸び悩みの中で,輸出に向けられたことを物語っている。

 こうした成長要因は,鉄鋼業の稼働率を,66年の鉄鋼業全体で製銑部門65%,製鋼部門74%,鋼板圧延部門23%,非鋼板圧延部門47%と,他の産業と比較して高く維持することを可能にした 58) 。にもかかわらず,USIMINAS,COSIPAにとっては,操業開始したばかりであるがゆえ,十分な稼働率と言い難く経営を圧迫したと考えられる。

 鉄鋼業の経営を圧迫したのは稼働率の問題だけではなかった。三大製鉄所の財務状況は67年において,粗利益は売上高(7.3億クロゼイロ・ノーボ)の28.3%で黒字であるが,そこから販売費・管理費等を差引いた営業利益は赤字になり,売上高のわずか4.4%の黒字に過ぎなくなる。さらに営業利益から元本返済や利子負担等の債務返済,税金等を差引いた税引後利益は,売上高の5割を占める赤字(3.6億クロゼイロ・ノーボ)となっている。債務関連の支払いは対外,国内ほぼ同額で,合わせて4.4億クロゼイロ,売上高の実に3割を越える 59)

 こうした財務状況をもたらした原因は(1)政府の価格政策と国内炭使用比率規制,(2)圧延部門をはじめとする低い稼働率,(3)債務関連の支払い負担,である。政府の鉄鋼価格統制は60年代中葉から行われ,64年から67年までは一般物価水準に比して,鉄鋼製品の実質価格をかなり低下させた。この価格統制の当初の目的は鉄鋼需要産業の育成―それを通じての工業化にあった 60) 。ここで言う鉄鋼需要産業が輸送機械を主として指していたことは,先述の政府の成長戦略と需要動向からも明らかである。また国内炭使用比率規制は,政府は国内石炭産業の保護と外貨節約のため,鉄鋼業での使用比率を最低40%と規定している。65年のUSIMINASの1号高炉のデータによれば,この低粘結度・高灰分の国内炭の使用義務づけによりトン当り銑鉄生産コストは,輸入炭を全量使用した場合に比べ,コークス比の上昇(3.83ドル),石炭価格の差額(6.43ドル),高炉の生産性低下(2.43ドル)の計12.69ドル上昇するとされている 61) 。債務関連の支払い負担については,(1),(2)の結果であると推測される 62) 。要約すれば,政府系三大製鉄所は,鉄鋼需要不振の下で稼働率を高く維持することができず,原料調達部面と製品供給部面双方において国内産業の保護・育成という役割を課されて経営を悪化させたのである。


III 「ブラジルの奇跡」―高度成長局面

第1節 経済構造

 本節においては,「ブラジルの奇跡」の期間(68-73年)を検討する。軍事政権の停滞局面脱出の戦略は,フルタード(Celso Furtado)によってブラジル・モデルと命名されたものであり,絵所秀紀氏の適切な要約によれば,(1)富裕階層の耐久消費財需要に依存した経済成長,(2)多国籍企業に依存した耐久消費財生産,(3)上記(1)(2)を可能にした政府政策の大きな役割の3点を骨格としたものである 63)

 自動車産業は,耐久消費財産業である点,強力な後方連関効果を有する点からこのブラジル・モデルにおける成長基軸産業にふさわしいものであった。というのも,工業部門全体の稼働率が低下しているもとでは特に,波及効果を発揮して経済全体の成長を牽引することができるからである 64) 。  このブラジル・モデルは,50年代に形成された「三つの脚」企業体制を前提に,これを特に政府系―外国系企業との関係を軸にして,意識的に利用しようとするものである。こうした戦略に基づき,(1)自動車産業を中心とする耐久消費財産業の育成,(2)賃金抑制継続による所得集中と,(3)信用供与の拡大・対外借入の自由化が行われた。

 (1)について特に注目すべきは,輸出振興策BEFIEX 65) 制度が72年に設置されたことである。これは,工業品メーカーが輸出計画を提出し,承認されれば機械設備・部品を減税輸入できる制度である 66) 。この制度を最も活用し利益を得たのは,自動車を含む輸送機械産業 67) であった。しかし,この制度は輸出拡大のために資本財輸入に対するインセンティブを与えたため,自動車等の当該産業における輸出拡大と同時に,資本財輸入の増大を招く傾向にあった。また,この個別企業向けのBEFIEX制度とは別に,一般的に資本財輸入に賦課される関税率の引下げ及び減免措置も実行され,国内の資本財産業は不利な立場に立たされたのである 68)

 (3)に関して。長期信用は,BNDE,工業機械購入基金(FINAME)などによる供給の拡大がなされ,また消費者信用も耐久消費財購入や住宅建設を対象にした融資を拡大した。対外借入の自由化については,67年8月の決議第63号によって商業銀行による外国からの借入資金の国内貸出が可能になり,法律第4131号(62年9月)に基づくブラジル中央銀行外国資本監督登録局(FIRCE)通知第10号(69年9月),ならびに通知第20号(72年9月)によって,公共・民間機関の外国からの直接借入が可能となったのである。その結果,ブラジルの対外債務は67年の33億ドルから73年には126億ドルへと拡大したが,70-74年の期間においては投資全体の88.8%は国内貯蓄で賄われていた 69) 。この対外借入の自由化措置が,重大な役割を果たすことになるのは第1次石油危機後においてである。

 以上の特徴を持つ経済政策のもとで,遊休設備を抱えた工業部門はその稼働率を高めることによって生産を拡大し 70) ,実質成長率は64年の2.9%から,67年の4.8%に回復した。そして,GDP年平均成長率10.1%,年平均実質工業生産成長率12.9%を記録した「ブラジルの奇跡」と呼ばれる高度成長期(68-73年)へ突入するのである。

 ここで,この期における経済成長要因を検討しよう。高度成長期においてとりわけ成長率が高いのは耐久消費財(自動車24.0%・家電22.6%)であり,耐久消費財が主導的役割を果たしたことがわかる 71) 。自動車産業はこの時期,戦後を通じて最も急激に成長した。自動車生産台数は67年22.5万台から73年75.0万台へと3.3倍化し(図3),また国内工業生産高に占めるシェアも拡大し,自動車は67年7.2%から73年8.7%へと1.5ポイント上昇した 72) 。この期の自動車産業は,田中祐二氏の言う「製品差別化政策による急成長期」にあたる。これは,先に述べた所得集中と消費者信用制度の発展を踏まえて,販売対象を高所得者層に限定した。そしてモデルの多様化と頻繁なモデルチェンジによって,乗用車の複数所有と頻繁な買い替えを実現した。それにより需要を拡大して急成長を成し遂げたのである 73)

 耐久消費財の次に高いのは資本財であり,年平均18.1%もの成長率を達成している。そのことを踏まえた上で表2を見ると,74年時点で依然として一定の輸入依存度を示す部門は,金属(14.7%),一般機械(32.1%),電機(20.2%),化学(22.2%)などであり,電機,化学は著しく依存度を高めている。また,固定資本投資における輸入資本財のシェアは,60-64年の期間においては約10ポイント低下したのが一転して,軍事クーデタの翌年(65年)から高度成長期の終焉する前年(72年)まで拡大基調にある 74) 。以上のことから,国内の資本財産業の急成長と,資本財の輸入依存度の上昇とが同時に起こっていることがわかる。一見矛盾するかに見えるこの事態―高田裕憲氏の言う「一般機械の成長率と輸入依存度の上昇の同時的現象」 75) ―は,いったい何を示しているか。68-73年における年平均成長率10.1%を記録したGDPに占める機械・設備投資のシェアは増大傾向にあり,67年の6.2%から70年代初頭には10%前後を占めるようになる 76) 。つまり,国内の資本財産業がその市場のシェアを輸入資本財に奪われながらも,急成長を実現したほどの大規模な投資が行われたのである。

 この大規模投資は,政府系企業投資と民間投資促進のための政府貸付の形態で,主として政府部門によってなされた。すなわちこの高度成長期において,投資の約60%が国家によって行われ,70年代半ばに,投資を目的とする貸付の70%以上が経済開発銀行をはじめとする銀行によって行われたのであり 77) ,「国家セクターは単に基礎素材部門,インフラ部門の拡大強化を通じて民間部門への財・サービスの低価格供給に自らの役割を限定したのではない。それらが意味する膨大な投資需要は多国籍企業とともに直接・間接に輸入誘発をもたらしたものの,機械・設備等の巨大な販路を提供した」のであって,「国営企業を中心とするインフラ部門,基礎素材部門と私的資本による各種機械生産部門とは,素材連関と機械・設備需要の連関を通じて密接化していた」 78) のである。この政府系企業の設備投資による資本財需要の創出は,政府系企業がインフラや基礎的投入財産業,つまり大規模投資を必要とする産業を担っていたからこそ,かかる規模で実現できたと言える。つまり,「三つの脚」企業体制の下で,政府系企業が分担する産業の性格を生産設備調達の部面から活用したのである。だがこれは,政府系企業にとっては,第1次石油危機後の経営悪化につながってゆくのである。

 このような投資需要及び耐久消費財需要が,経済全体の高度成長を主導したと考えられる。「高度成長のためには,生産財の継続的輸入と外国資本の継続的導入が必要という前提に立てば,それを可能にするための輸出拡大は,いわば当然の論理的帰結であった」のであるが,「68-73年のブラジル経済における需要拡大要因としては,国内需要が圧倒的に多く,GDPに占める輸出のシェアは,6-7%に過ぎない」 79) ので,輸出は主たる成長要因ではなかった。

 68年より6年連続の2桁の成長率を記録したブラジルの高度成長も73年の石油危機後74年頃から減速し始め年平均成長率は67-73年の12.7%から73-80年の7.6%と減少した(表3)。その要因としては(1)消費者需要の伸び悩みと,(2)貿易収支悪化が挙げられよう。(1)の消費者需要の伸び悩みについては,不均等な所得構造 80) のために消費者需要の拡大が頭打ちになったのである。69年から増加の一途を辿ってきた民間最終消費支出の伸び率(前年度比)は,28.1%を記録した73年をピークに,74年22.6%,75年1.6%と縮小してしまった 81) 。この点で,高所得者層に所得を集中させることによって耐久消費財の需要を拡大し,経済発展を実現するブラジル・モデルは破綻したと言えよう。

 (2)の貿易収支悪化―74年には赤字が47億ドルに達した―の要因は,第1に,石油危機の影響で輸入額に占める石油のシェアが,64-73年約12.5%から74年23.4%へと急上昇したことである。これは,工業化の主導部門であった自動車産業に大きな打撃を与えることになった。約4倍にのぼる石油価格の上昇と政府の乗用車販売抑制政策が国内市場を不振に導いたからである。第2に,資本財輸入が厳しく規制されなかったために―だからこそ,耐久消費財産業を中心とする戦略産業の成長が可能になった―輸入が増加し,総供給における輸入設備機械のシェアが,66年の28.8%から72年には40.4%に達したからである。第3に,石油関連製品以外の基礎的投入財も,需要の急伸に生産が追随できず,輸入が急増したことである。74年において前年比で「輸入量増加の顕著なものは,鉄鋼131.2%,肥料27.9%,銅43.0%,アルミ76.7%,電気機器類33.4%,輸送機械類49.7%であった」のである 82)


第2節 鉄鋼業―鉄鋼需要急伸による輸入急増

 この期(68-73年)の消費・生産・輸出入の推移は,以下の通りである。見掛消費は,68年382万トンから73年736万トンへ1.9倍化したが,68年には見掛消費の99.0%に当たる378万トンに達した生産は,68年から73年へ1.5倍(598万トン)にしか増加せず,見掛消費との差が輸入の急拡大によって埋められる形になっている。輸入は68年34万トンから73年182万トンへ5.3倍化したのである(輸出は,68年30万トンから73年43万トンへ1.4倍化)。この輸入急増の主たる内容は半製品と鋼板であった。輸入依存度でこれを観察すると,68年当時でいずれも1%以下であった半製品(スラブ等),厚板,熱延薄板が73年には各々36.4%,32.7%,13.3%と急激かつ大幅に依存を深めているのである。また,もともと輸入依存度が高かった冷延薄板は,引き続き輸入量で第1位を占め,68-73年で3.6倍化し,全体の増加分の13.8%を占め,輸入依存度を更に高めて,38.3%となっている 83) 。こうした半製品と非被覆普通鋼板需要の急伸が,鉄鋼製品貿易赤字の主要因と考えられる。鉄鋼製品貿易赤字は74年には15億ドル余に達し(図2 ),ブラジルの貿易赤字の実に32%を占めるに至った。

 次に,こうした鉄鋼需要の急伸が,どこから生じてきたのか検討する。統計資料の制約から,非被覆普通鋼板(厚板・薄板)の需要構成の検討に限定せざるを得ない。しかし,この非被覆普通鋼板は,半製品とともに輸入が最も増加した鉄鋼製品であるので,この期の需要動向を特徴的に表現しており,またその生産は三大製鉄所によって独占されているため,三大製鉄所体制がどのような需要と結びついているのかを明らかにすることができる。なお,三大製鉄所は73年の圧延製品生産量の5割を占め,引き続き鉄鋼業の主力である。73年における非被覆普通鋼板の国内販売内訳を見てみると,販売・加工業(再圧延等)を除くと,最も大きなシェアを占めるのは輸送機械(31.5%)でありその内訳は,自動車は21.0%,造船は3.7%等であり,69年と比較すると輸送機械のシェア拡大が自動車によってほぼ担われている形になっている。これに次ぐものは,包装・容器と家庭用・事務用機器であり,両部門共5%程度を占めている。この家庭用・事務用機器は家庭向けや事務所向けの電気製品を含んでいる。以上の産業が非被覆普通鋼板の主たる国内販売先である。したがって,この鋼材の輸入急増を招いたのもこうした産業であったと考えるのが妥当であろう。「高成長期に,自動車,造船,電気機器を中心とした鉄鋼消費は,生産の伸びを上回って拡大し,輸入依存度は再び上昇した。とくに鋼板類の輸入は増加した」 84) のである。

 こうした需要の急伸に直面した鉄鋼業は,いかなる条件の下でいかなる対応をしたか。まず,この時期の三大製鉄所の経営状況を見てみると(表4),67年には純利益がマイナスもしくはゼロであったが,この期間を通じて資本利益率は改善されている。これは,価格統制の緩和による価格引上げ幅の拡大 85) と,稼働率の上昇によるものだと考えられる。

 当時第2次PSNの具体化として,70年で300万トンから75年720万トン,80年1075万トンへ上昇させる三大製鉄所の拡張が計画され,その第1期計画が71年から開始されていた。このうち73年までに稼動した主要設備は,USIMINASとCOSIPAのLD転炉計2基であり,これにより製鋼部門の年産能力は,60年代末の293万トンから380万トンへ1.3倍化した 86) 。製鋼部門の設備拡張が優先されたのは,スラブ等の半製品の輸入急増と関係がある。60年代の停滞局面においては,三大製鉄所における圧延部門は,製銑・製鋼部門と比して生産能力が大であるため,稼働率が相対的に低かった。高度成長期に入り需要が急伸し,製銑・製鋼部門は圧延部門より以前に生産拡大が限界に至ったため,スラブ等を輸入して,圧延部門の生産能力を活かして需要に応えようとした。その一方で,圧延部門との生産能力格差を埋めるべく製鋼部門の設備投資が急がれたと考えられる。

 生産能力として現れていないが,この時期に行われた設備投資額は,Siderbras全体で72年1.48億ドル,73年3.10億ドル,74年7.78億ドルと年々急激に拡大していることが注目される。この72年で見て1.48億ドルという投資額は,三大製鉄所の71年時点の売上高の34.6%,自己資本の32.9%に相当する過大なものであり 87) ,この投資とそのための債務負担が,政府系鉄鋼企業の経営を再び悪化させていくことになるのである。しかもそれは表5に見るように,当時特に生産段階の中核的設備(高炉,平圧延機等)の自給が達成されていないため,国内資本財産業へは周辺設備の需要を創出しつつも,資本財輸入を増大させ貿易赤字の一部をなしたと考えられる。


むすびにかえて

 ブラジルでは輸入代替による工業化を進めるため50年代を通じて,政府系企業はインフラや基礎的投入財産業を,外国系企業は耐久消費財を含む技術集約的産業を,民族系企業は非耐久消費財産業などを各々分担する「三つの脚」企業体制が形成された。50年代の政府系三大製鉄所体制の形成はその欠くことのできない構成要素であった。同時に,この「三つの脚」企業体制の形成は,(1)鋼板が非鋼板とは対照的に大量生産に適合的な生産体系を,したがって大規模な設備投資を必要とし,(2)外国系企業によって担われている自動車等鋼板需要産業向けに,鋼板を安定的に低価格で供給する必要があったこと,以上2点の理由から鋼板供給という政府系鉄鋼企業の戦後的特徴を確定したのである。

 そして「ブラジルの奇跡」を生んだブラジル・モデルは,この「三つの脚」企業体制を前提とし,これを意識的に利用して成長を図る戦略であった。「三つの脚」企業体制の下で外国系企業が支配的となった自動車産業が成長基軸として位置づけられ,自動車産業が本来的に持つ高い産業連関効果を利用しての経済成長の実現を図ろうとした。この連関効果が輸入誘発的にではなく,関連産業誘発的に作用させる前提として自動車用鋼板を供給する政府系三大製鉄所が位置づけられ,大規模投資も行われたのである。こうした自動車等の耐久消費財需要と政府部門の投資需要によって高度成長が実現したが,自動車産業が急伸するなかで,鉄鋼業をはじめとする基礎的投入財産業は,その需要に生産も大規模な設備投資も追随することができず,鉄鋼輸入の急増も招いたのである。

 にもかかわらずその設備投資は,資本財の輸入急増―貿易赤字増大を招きブラジル・モデルの崩壊要因に転化するのであり,鉄鋼業もその例外ではなかった。そしてこの過大とも言える政府系企業の設備投資は,第1次石油危機後その経営を急速に悪化させていくことになる。

 以上をもって,「奇跡」までのブラジルの工業化過程における三大製鉄所を中心とする鉄鋼業の位置と役割は,基本的に確定できたと思われる。次稿では,ブラジル・モデル崩壊後においてこれを検討する予定である。

 


1) 標準国際貿易分類(改正SITC)コード 670.00。
2) 重量ベース,90年。IBS, Anuario Estatistico da Industria Siderurgica Brasileira, 1991, p.1/4 による。なお,以下重量(トン)はメトリック・トンで示してある。
3) ブラジルの粗鋼生産の約66%を生産している政府系鉄鋼企業10社を統括していたSiderbras(Siderurgica Brasileira S.A., ブラジル鉄鋼株式会社)においてその赤字額は88年約23億ドル(William T. Hogan, Global Steel in the 1990s, Lexingtons Books, 1991, p.79)となっており,90年3月の解散の時点で約67億ドル(国内約23億ドル,対外約44億ドル)もの負債を残した(『海外鉄鋼情報』第45号,1990年,25頁)。こうした経営悪化は,鉄鋼製品のコスト構成に反映しており,金融コストが合衆国3.0%,日本7.6%,西独3.5%に対して,Siderbrasにおいては37.1%も占めている(Fischer,op.cit., p.203)。
4) Conselho de Nao-Ferrosos e de Siderurgia, 鉄鋼非鉄審議会。
5) Cia.Siderurgica Nacional, 国立製鉄会社。
6) 小坂允雄・丸谷吉男(編)『変動するラテンアメリカの政治・経済』アジア経済研究所,1985年,所収。以下小坂論文とする。
7) 小池洋一「ブラジル」(伊藤正二(編)『発展途上国の財閥』アジア経済研究所,1983年,所収),187頁。
8) Celso Furtado, "The Brazilian 'Model'", Social and Economic Studies, Vol.22, No.1,1973, p.128.
9) 高田裕憲「ブラジルにおける開発政策と累積債務問題」『商学論集』第59巻第6号,1991年,18頁。
10) Furtado, op. cit., p.128,小池洋一,前出,184-189頁など。
11) 管見によれば,ブラジル鉄鋼業の発展過程に関する代表的な研究としては,Werner Baer, The Development of the Brazilian Steel Industry (Vanderbilt UP, 1969) および, Francisco Magalhaes Gomes, Historia da Siderurgia no Brasil(Ed. Itatiaia, Ed. da Universidade de Sao Paulo, 1983) が挙げられる。日本においては上記小坂論文,同じ小坂氏による「鉄鋼業」(大原美範(編)『ブラジル 経済と投資環境』,アジア経済研究所,1972年,所収)がこれまででは最も適切な概観を与えている。しかしながら,これらの発展過程分析はいずれも60年代あるいは70年代前半までに限られ,またブラジル工業化の各発展段階における鉄鋼業の位置と成長要因が明らかにされているとは言い難いがために,80年代までの鉄鋼業の発展過程の概観を得る必要がある。
12) Grupo Executivo de Industria,産業実行グループ。
13) 小島眞「ブラジルの工業化と産業政策」『千葉商大論叢』第28巻第1号,1990年,12頁。
14) 輸入品目を緊要度に応じて5つのカテゴリーに分類し,政府はその緊要度に従って為替配分を行なう。 輸入業者はこの配分された外資枠のなかで,自由競争によって輸入権を獲得する仕組みとなっており,この緊要度が低くなるほど相場が上昇する,すなわち為替競売価格が高くなるようになっている(岸本憲明「ブラジルの工業化と貿易構造」『海外投資研究所報』第4巻第5号,1978年4月,25頁)。
15) 農業部門の対GDP比率は49年26.4%,55年25.1%,60年22.6%と低下し,工業部門のその比率は各々23.2%,24.4%,25.2%と年々上昇し,50年代後半に工業が農業部門を陵駕するようになる(岸本憲明,前出,20 頁)。
16) 田中祐二「ブラジルにおける自動車産業の発展」『アジア経済』第31巻第1号,1990年1月,28頁。
17) ANFAVEA, Anuario Estatistico 1957/1990, 1991, p.65 より計算。
18) Werner Baer, "The Role of Government Enterprises in Latin Amreica's Industrialization", Fiscal Policy for Industrialization and Development in Latin America, David T. Geithman (ed.), UP of Florida, 1974, p.266.
19) Usinas Siderurgicas de Minas Gerais,ミナス・ジェライス製鉄所。56年設立,63年稼働。
20) Cia.Siderurgica Paulista, パウリスタ製鉄会社。53年設立,65年稼動。
21) Banco Nacional de Desenvolvimento Economico.
22) 小島眞,1990年,前出,10頁。
23) 小池洋一,前出,191頁。
24) 利子支払い,利潤・配当送金は47年以降増大傾向を辿り,60年には 1.6億ドルに達した。財政赤字も,50年代を通じて膨張し,60年には歳入の35.6%,GDPの3.3%にあたる777億クロゼイロ,62年には各々56.4%,5.0%にあたる1304億クロゼイロに達した。こうした赤字がブラジル銀行からの借入とそれに伴う通貨の増発によって補填されたため,インフレ高進(59年40%,60年30%)を招いたのである(大原美範,前出,110-111頁)。
25) 岸本憲明,前出,22頁。
26) 以上国際収支関連の数値は全て IBGE, Estatisticas Historicas do Brasil, 1990, 2nd ed., pp.582-583 による。 以下,特にことわりのない限り,国際収支関連の数値はこれによっている。
27) 56年において,耐久消費財と非耐久消費財に関してはほぼ輸入代替を完了しており(各々92.5%,97.7 %という自給率),資本財,中間財に関しても62年には各々87.1%,91.1%という自給率であった(小島眞, 1990年,前出,13頁)。
28) 大原美範,前出,292頁。
29) Baer, op. cit., pp.63-64.
30) 小坂論文,117頁。
31) Cia. Acos Especiais Itabira,イタビラ特殊鋼会社。この設立経緯の詳細については,Baer, 1969, op. cit., p.68 を参照されたい。
32) 50年初期において高炉の日産能力はCSNの1/5であった(H.G.Cordero (ed.), Iron and Steel Works of the World 1952, 1st ed., pp.369-370より計算)。
33) COSIPAは,フランスと西ドイツの技術協力によって建設された経緯がある。
34) 大原美範,前出,296頁。
35) Baer, 1969, op.cit., p.84.
36) 大原美範,前出,297-298頁。
37) Werner Baer and Isaac Kerstenetzky, "The Brazilian Economy", Brazil in the Sixties, Riordan Roett (ed.), Vanderbilt UP, 1972, p.137-138.
 これによると,1965年時点での稼働率は資本財産業53%,消費財産業65%であった。
38) 工業に占める製造業は,63年80.2%,67年76.3%であった(IBGE,op. cit., p.126 より計算。なお,上記GDP,工業に関する数値も同様)。
39) IBGE, op.cit., p.126 より計算。
40) これは,民族主義的な動きというよりも,公益事業国有化によるインフラの統合を意図したものである(大原美範,前出,640頁)。
41) 65年に賃金凍結法を成立させ,賃上げ率がインフレ率を下回るように設定し,最低賃金の引下げと事実上のスト禁止を含む労働法の改悪が行われた(高橋正明「『ブラジル・モデル』の論理と矛盾」『アジア・アフリカ研究』第17巻第11号,1977年,16頁)。
42) 政府消費支出のGDP比率は63年の16.3%から,65年の14.3%に減少した(小島眞,1990年,前出,14頁)。
43) 通貨価値修正とは,インフレによって生ずる,名目価値と実質価値との差を指数により調整する制度のことである。この指数は,貯蓄,負債,家賃,財務会計,保険,利子,給料,不動産等に適用される。日本経済調査協議会『ブラジルの通貨価値修正』(1973年)を参照のこと。
44) 高田裕憲,前出,13頁。
45) Conselho de Desenvolvimento Industrial, 産業開発審議会。
46) Imposto de Productos Industrializados, 工業製品税(連邦税)。Imposto sobre Circulacao de Mercadorias, 商品流通税(州税)。
47) 小坂論文,前出,116頁。
48) GCIS, Plano Siderurgico Nacional (sintese), 1969, p.52. このPSN発表後,新たな需要予測が行われた結果, 71年にPSNの生産計画は上方修正され,80年時点で2000万トンを生産し,うち470万トンを輸出することを目標とした(ブラジル日本商工会議所『ブラジル経済・経営事典』ダイヤモンド社,1974年,174頁)。以下これを第2次PSNとする。
49) 大原美範,前出,305-308頁。
50) 『海外鉄鋼情報』第43号,1990年10月,17頁,及び第44号,1990年11月,12頁。
51) Baer, 1969, op. cit., p.89 より計算。
52) ILAFA, Anuario Estadistico 1969, 1970, Cuadro 73 より計算。以下この期の鉄鋼生産・消費・輸出入に関するデータはこれによる。
 68年のデータによれば,輸入代替が完了した製品分野は,厚板(輸入依存度0.5%),熱延3)薄板(0.2%),亜鉛メッキ鋼板(1.7%),棒鋼・コンクリートバー(1.3%),構造鋼(2.6% ワイヤーロッド(0.8%)等であり,輸入依存度の高い製品分野は,冷延薄板(21.7%),ブリキ鋼板(15.9%),特殊鋼板(シリコン鋼板39.2%,ステンレス鋼板100.0%),引抜鋼管(14.9%),レール等鉄道資材(54.7%),継目無管(10.5%)等である。傾向として,技術的に高度な製品の輸入依存度が高いが,特に冷延薄板は圧延製品輸入全体の34.0%を占めているだけに重要である。
53) 大原美範,前出,299頁。
54) ILAFA, Mercado y Estructura de la Industria Siderurgica en Brasil, 1971, Quadro C.3.2 より計算。
55) 大原美範,前出,733頁,430-431頁。
56) IBGE, op. cit., p.456.
57) Thomas J. Trebat, Brazil's Sate-owned Enterprises, Cambrige UP, 1983, p.150.
58)このなかで鋼板圧延部門の稼働率の低さが目を引くが,これは圧延部門の生産能力が上流部門と比して大であるためである(Baer, 1969, op. cit., p.89)。
59) GCIS, op. cit., 1969, pp.20-21 より計算。
60) Fischer, op. cit., pp.225-226.
61) 大原美範,前出,159-160頁,300頁。
62) 当時,物価上昇率が30%に近かった下で,鉄鋼業に対する最大の融資者であるBNDEの年間貸出利子率は67年に22%であるので実質利子率はマイナスであり,この点では鉄鋼業に利益を与えたと思われる(大原美範,前出,301頁)。
63)絵所秀紀『開発経済学 ―形成と展開―』法政大学出版局,1991年,87頁。
64) 小島眞「インドの工業化の停滞とブラジル・モデル」『アジア研究』第33巻第1号,1986年,18-22頁。
65) Beneficos Fiscais a Programas Especiais de Exportacao, 特別輸出計画に基づく租税恩典。
66) アジア経済研究所(編)『発展途上国の自動車産業』アジア経済研究所,1980年,236頁。
67) 田中祐二「ブラジル自動車部品輸出における政府と多国籍企業の役割」『立命館経営学』第24巻第5号,1986年,88頁。
68) 小島眞,1990年,前出,18頁。
69) 小島眞,1990年,前出,17頁。
70) Baer and Kerstenetzky, op. cit., p.138,小坂論文,101頁。
71) 高田裕憲,前出,11頁。
72) ANFAVEA, op. cit., p.39より計算。
73) 田中祐二,前出,30-31頁。
74) James Dinsmoor, BRAZIL: Responses to the Debt Crisis, IDB, 1990, p.47.
75) 高田裕憲,前出,12頁。
76) IBGE, op. cit., pp.111-112 より計算。
77) 土生長穂・河合恒生(編)『第三世界の開発と独裁』大月書店,1989年,95-96頁。
78) 高田裕憲,前出,18頁。
79) 岸本憲明,前出,31-34頁。
80) 所得分配の不均等性を示すジニ係数(ジニ係数は0以上1以下の値をとり,0の場合完全に均等であり,1の場合完全に不均等となる)は,60年の0.4999から70年には0.5684に上昇し(水野一「ブラジルの経済成長と所得分配」『上智大学外国語学部紀要』第7号,1972年,139頁),70年代以降,所得構造がほとんど変化しておらず,85年で所得上位10%の階層が所得全体の44%を占め,世界で最も所得分配が悪い国に属する(小池洋一『ブラジルの企業 ―構造と行動―』アジア経済研究所,1991年,131頁)。
81) IBGE, op. cit., pp.122-123, pp.186-191 より計算。
82) 小坂允雄「ブラジル経済の高成長と石油危機」『アジア経済』第8巻第10号,1977年10月,35-39頁。
83) 以上,IBS, Anuario Estatistico da Industria Siderurgica Brasileira, 1978, pp.34-37,56-59, 77 より計算。以下 非被覆普通鋼板の需要構成もこれによる。なお,この冷延薄板の輸入急増は,当時の三大製鉄所の生産能力 と技術水準の双方が関与していると考えるが,この詳細については資料に制約があるために今後の課題とし たい。
84) 小坂論文,116頁。
85) 大原美範,前出,304頁。
86) Harry G. Cordero & Raymond Cordere ed., Iron and Steel Works of the World, 5th ed., Metal Bulletin Books, 1969, and Raymond Cordero & Richard Serjeanston ed., 6th ed., 1974, USIMINAS, Usiminas conta sua Historia, 1990, より計算。
87) IBS, Anuario 1972, 1973, pp.120-126, pp.132-136, pp.154-157, CONSIDER, Anuario Estatistico Setor Metalurgico 1981, 1982, p.50 より計算。