教学レポート

中南米経済論におけるビデオ教材の活用
Teaching Report: Video Materials for Latin American Economy

『関西大学視聴覚教育』第20号

1.はじめに

 私は,担当するすべての授業においてビデオ教材を使用しているが,今回は中南米経済論におけるビデオ教材を使った授業実践についてまとめ,それをふまえていくつかの提案を行いたい。96年度の中南米経済論では,ビデオ教材は以下の4点を使用した。

  1. 「台頭する新経済大国と日本―(1)中南米」(NHK,1996年1月4日放送分)
  2. 「第三世界―開発がもたらしたもの」(GEMCO,関大視聴覚教室:VT/330/K12/1)
  3. 「アマゾン 緑の再生に賭ける男たち」(NHK, 1995年10月29日放送分)
  4. 「山根一眞のアマゾン・フィールドノート」(NHK教育, 1996年5月18日放送分)

2.授業のイントロダクションでの活用

 イントロダクションにあたる年度最初の授業では,1年間の講義計画の説明の後,受講学生の現状を知るために「ラテンアメリカに対するイメージを思いつく言葉で表現して下さい」とのアンケートを実施した。その結果は,サッカー,リオのカーニバル,アマゾン,麻薬,貧困,森林破壊,インフレ,プランテーション,豊富な資源,経済危機,等が目立つものであった。多くの学生はラテンアメリカ経済について,工業化以前の段階で環境を破壊しながら混迷を続けているという不正確なイメージを抱いている。こうしたイメージは部分的には正しいが,統計でみればラテンアメリカの多くの国は工業化が相当程度進んでいることは事実であり,今日ブラジルやメキシコが中国・インドと並んで巨大新興市場として注目を浴びている中では,時代遅れとなってしまっている。

 こうした学生が描くイメージと現実のギャップを埋めるのに,ビデオは最適である。優れたビデオ教材は,言葉では表現できない人々の表情やその場の雰囲気を伝えることができるし,限られた時間内で手堅くまとめられているからである。ビデオを教材として使用した狙いは,そうしたイメージと現実のギャップに気づかせ,ラテンアメリカ経済の全体像と主要な問題を立体的に掴ませることにあった。

 アンケートを回収した後に(1)を上映し,ラテンアメリカ経済発展の現状を紹介した。番組の性質上,プラス面を強調したものであったために,学生にイメージギャップを感じさせるには効果があった。このことはビデオ上映後のアンケートのなかの,「今まではブラジルという国は経済的に遅れをとっていると思っていましたが,実際には非常に大きな成長を遂げている国であるということをはじめて知りました」との感想に典型的に示される驚きが多くの学生のものとなっていることからわかる。こうしたイメージギャップの自覚に留まらず,番組の主張を鵜呑みにせず,「国の経済は発展していくかも知れないが,貧富の差はますます広がってしまうのではないか」,「急速な成長は弱者を増やし,貧富の格差を広め,また環境などを破壊しかねない」等,経済発展の陰の部分を指摘した学生も少なくなかったのは評価されてしかるべきである。

 こうして「ラテンアメリカ経済には陰の部分もあるが,光の部分もある」と学生に掴ませた上で,第2回目の授業では,学生が指摘したマイナス面をより正確に―具体的には経済発展(工業化)と関連づけて把握させようと(2)を使用した。ラテンアメリカにおいては,経済発展の進展につれて所得格差が拡大したり,年間1000%以上のインフレ率が記録されたりと一般常識では想像できない現象が起きているが,これらはいずれも経済発展のプロセスの途上で発生したものであり,経済発展に対してコインの表裏の関係にあるのである。ブラジルを題材に,経済発展と貧困の関係を問うた(2)はその点では適役であった。(2)が収められているオープンユニバーシティの「第三世界の発展」シリーズはバイリンガル版であり,逐次解説が必要ないので効率的に授業に活用できる。(2)は経済発展と貧困が表裏の関係にあることの指摘とこの問題を考える上でのポイントを示すという内容になっているので,これからの授業への関心を高める働きをしてくれる。そうした関心に私の授業がどれだけ応えることができているのかについてははなはだ心許ないが,当初の狙いは達成できたのではないかと考えている。

3.「アマゾンにおける環境と開発」での活用

 通常の授業で使用しているテキストに含まれていないが,学生の関心が高いと想われるアマゾンの環境問題は,工業化の産物でもあるので,3回の授業時間を割いてこの問題について講義を行い,その中で(3)と(4)を使用した。

 アマゾンにおける環境破壊が深刻であるという認識は今や世界共通であるものの,誤解に基づくものが少なくない。最大の誤解は「アマゾンは世界の酸素の3分の1を供給する地球の肺である」とするもので,あたかもアマゾンの熱帯雨林が外部に対して酸素を大量に供給しているかのような幻想が振りまかれている。現実には,アマゾンの熱帯雨林は極相林であり,酸素の放出量と吸収量は森林内でバランスがとれている(西沢利栄・小池洋一『アマゾン―生態と開発』岩波新書,1992年,76頁)。そうした誤解に基づいた熱帯雨林保護論は,伝統的な焼き畑農業やゴム採取業をも否定し,森林とともに暮らしてきた人々の生活すら否定しかねない危うさがある。

 第1回目のテーマを「アマゾンの自然環境とそこで暮らす人々の生活」とし,アマゾンの自然条件について,またアマゾンで暮らす人々の様々な暮らしの在り方を把握させることを狙いとしたのは,こうしたことからである。その第1回目で使用したのが(3)である。この番組は,日本の自然科学者たちがアマゾンの熱帯雨林の再生をめざして,森林の生態を調べるとともに,そこで暮らす人々を訪ねる中で,森林再生のカギは何かをさぐるドキュメンタリーである。

 第2回目は「アマゾン開発の歴史と問題点」をテーマとし,前述の『アマゾン―生態と開発』の後半部分に基づいて講義を行い,アマゾンの開発は偽りのものであることを明らかにした。この回は,レクチャーが中心であったが,できるだけ生のデータに触れてもらうことを目的に森林破壊をしめす人工衛星写真のコピーをインターネットを通じて入手し,提示・配布した点が,強いて言えば視聴覚教育の要素であろうか。

 第3回目は「アマゾン開発を進める側の主張と論拠を知る」をテーマとし,今度は開発を進めている側から見るとどうなるか示した。教材として(4)とブラジルのアマゾナス州知事のインタビュー記事を使った。(4)はノンフィクション作家の山根一眞がアマゾンの地を訪ね,そこで行われた木材業者などの開発を進める側もパネラーに加えたパネルディスカッションを中心にまとめたものである。一部(日系人入植者の話)は(3)と重複するが,開発を進める側の主張を知るのには適しているし,「アマゾンは誰のものか」と問題提起することによって,アマゾンがそこで暮らす人々のものでもあること,「アマゾンの熱帯雨林を守ることが第一」という主張は先進国のエゴであることが描き出されている。

 この全3回を通じて学生がどう感じたか,狙い通りにいったのかどうかは,学生の感想を集約しなかったので定かではない。授業後アンケートを実施するべきだったと反省している。

4.ビデオ教材活用上のポイントと問題点

 この実践から私が感じたことの第一は,授業展開における位置をビデオ上映前に明確に示す必要性である。教師が漫然とビデオを見せれば,学生も漫然と見ることになる。それを避けるためには,前もってこのビデオを見せる意図を説明し,ビデオの内容のキーワードが印刷され,ビデオで知り得たことや考えたことを書き留めることができるレジュメを用意することである。うまくすれば,レジュメにメモを取りながら熱心にビデオに見入る学生の姿が見られるはずである。

 第二は,―これは理想を言えば通常の授業でも実行すべきものであるが―ビデオ上映後,アンケートやレポートを提出させて学生の反応を掴む重要性である。教師の授業目標は達成されたかどうかが,これによって手に取るようにわかり,その後のフォローもでき,何よりも今後の授業展開のプランニングにとって最高の参考材料となる。なお,前述のレジュメを配布せずにアンケートだけを配布したために,そのアンケートにメモを書いてしまい,学生の手元にメモが残らないという事例が少なくないので,レジュメとアンケート(レポート)はセットで配布する必要がある。

 次に,この実践をはじめとするビデオ教材を授業で利用する際にぶつかった問題について述べてみたい。それは,予想以上に時間と労力が必要であったことである。視聴覚資料を活用した授業の準備プロセスは,授業設計と視聴覚資料選択とに分けられうるが,この双方で時間と労力が意外とかかるというのが実感である。

 授業設計においては,熟練の問題ももちろんがあるが,視聴覚教室という関西大学の共有財産を使いながら,授業の工夫は個人的な努力に留まったことが一因ではないか。類似した授業実践についてのレポートを探しだし,目を通していたらより効果的・効率的に授業ができたのではないかと考える。その点では,この「教学レポート」のスペースは,実践の記録集として貴重なものであり,より一層の活用が求められている。

 視聴覚資料の選択において私は,第一に視聴覚教室を利用している。研究室や視聴覚教室で「新着視聴覚資料の紹介」や目録やカードに目を通し,授業に活用できそうなものを,ビデオデッキで内容を確認して選び出すようにしている。この一連の作業は,(1)複数の目録やカードを繰って探さないといけないこと(データベース化されていないこと),(2)教材候補となるビデオ教材を実際に見てみないとわからないこと(解説がリンクしていないこと),のためにある程度の時間が必要である。

 第二に私は,日常的に新聞等のテレビ番組案内に目を通し,私の担当科目に関連のある番組を必要に応じて録画している。新聞以外ではNIFTY-ServeのTV番組情報館(TVPRO)-番組ガイドを利用している(これは有料だがジャンル別に番組解説が載っているので便利である)。ただし忙しさの度が増すと,番組を見落とす,録画予約を忘れてなおかつ録画すべき時間に帰宅できない等でこれさえも困難になる。その点では,視聴覚教室のスタッフが代わって録画をしていただけるのはありがたい。

 以上の2つの方法で私は視聴覚資料の選択を行っているが,この点において視聴覚教室の資料・設備とスタッフの協力に負うところが大きい。以下ではこうしたリソースをより効果的・効率的に活用していくために,いくつかの提案を試みたい。

5.視聴覚教室への提案

 第一に,所蔵している視聴覚資料のデータベース化と,そのホームページ上での検索サービスの実施である。すでに相当量の書誌データがワープロの文書形式等で電子化され,また学内LANの整備も進んでおり,パソコンベースでのそうしたサービスの提供も可能となっているなど,それを実施する条件は揃いつつあるように思う。視聴覚資料のデータベースには,書誌的事項だけでなく,納入業者の協力も得て紹介文を,教員との共同作業として授業実践記録をリンクしたものが望まれる。これによって,所蔵資料の検索も容易になり,選定作業も効率的に行いうるはずであるし,実践記録がそのデータベースからすぐに取り出せれば,授業設計にも役立てることができる。

 そしてこのデータベースを全学的に広く活用するには,視聴覚教室でホームページを立ち上げて,その検索サービスを実施することである。ホームページを見ることができる環境にあればいつでもどこでも,資料のタイトル,所要時間,使用言語(日本語字幕や副音声はあるのか),スクリプトの有無,概要,実践記録等々が,視聴覚教室まで足を運んでスタッフの手を煩わせずに調べられるのは,教員にとっても,学生にとっても非常に便利である。この検索サービスの他には,利用案内や設備機器紹介の掲載が必要であろう。また,『関西大学視聴覚教育』の目次や全文,「受贈誌紹介―視聴覚教育関係の論文」もデータベース化してホームページから検索できるようにして欲しい。

 またこの検索サービスを学外にも公開することの意義も実は大きい。大学の広報活動にもなるからである。ホームページの内容が,大学案内と同じならわざわざ見る必要はない。ホームページでしか実現不可能なことを,その特性を活かした形で行うべきだ。それは,検索サービスであり,ここでいう視聴覚資料のそれである。実際に学生や教員が利用できる環境そのものある程度まで使わせることは,そのこと自体が効果的な広報手段たりうるのである。

 第二の提案は,他の視聴覚ライブラリー等の情報提供サービスの実施である。視聴覚資料といわれるものは,図書と比較して探しにくいのが現状である。そうした視聴覚資料の貸出サービスを行っている機関を見つけることはそれにもまして困難であるが,一方で有用な視聴覚資料を貸出している機関もある。例えば鋼材倶楽部では,フィルム・ライブラリーを有しており,鉄鋼業を中心として産業関連のビデオテープ等の貸出しを行っている。これは視聴覚教室のレファレンス機能の強化ということになるのだろうが,こうした機関からカタログを取り寄せ,紹介するサービスを実施してみてはどうか。

 多様なメディアを活用した授業づくりが求められている今日,視聴覚教室は関西大学の教材研究・開発のセンターとして充実・発展させることが求められていると私は考える。上記の2つの提案はそうした方向性を有するものであるが,これを実施するためには,人的資金的裏付けが必要であるし,視聴覚教室のユーザーである教員との共同作業が不可欠である以上,大学全体で取り組まれなければならない課題であろう。


| ホーム | 雑文集 |
shin@ipcku.kansai-u.ac.jp