「学び」の旅人たち

 私は担当する基礎演習クラスで学生たちを困らせている。基礎演習は商学部の一回生が全員履修しなければならない科目で、九七年度の私のクラスではテーマ自由で個人論文を一年間かけて作成してもらった。論文作成に最低限必要なルールや方法、図書館での文献検索、ワープロ操作を一通り教えた上で、あとは論文を実際に作成していく過程で論文作成方法を習得するという「習うより慣れろ」方式である。

 論文作成過程で、学生はさまざまな問題に直面し、困る。まず論じたいテーマが決められない。なんとか決まったテーマを論じている文献を図書館で探しても、見つからない。自説と引用(他説)の区別をしなさいと何度言いわれても、自説と引用を「織り交ぜて」しまう。序論―本論―結論という論理を組み立てなければと思ってもできない。「頭ではわかるんだけど実際にはなかなかうまく行かない」場面に何回も学生たちは遭遇するのである。

 学生がこうしたことで困るのは、考えることよりも憶えることが優先され、鉛筆しか持たせないというこれまでの教育の反映である。直面する問題を自分の力で解決していかなければならない論文作成過程は、学生たちにこれまでの教育と自分が抱える問題に気づかせ、これまで与えられてきた知識を実際に活かすことで自らのものとし、自らの頭で考え、自らの責任で行動する機会を与えるものである。それはまさしく大学での「学び」の姿勢への転換点であり、「学び」の旅人としての旅支度なのである。私のクラスの「学び」の旅人たちは、学びのパスポートである論文を携えて「しんどいけど、やりがいのある」基礎演習を旅立っていった。そして私は今年も基礎演習で新入生を困らせ続ける。

(関西大学教育後援会『葦』第109号,1998年4月)