私の場づくりラベルワーク体験史


 今回,私は「何かある」チームのメンバーとして場づくりラベルワークを行いました。完成したラベルチャートに対する林義樹先生のコメントで,島づくりを一段階でやめてしまうクセが私にあることに気づきました。ラベルの数が多くても島づくりを一段階でやめてしまって,一気に全体を構造化しようとするのです。元々,場づくりラベルワークは思考プロセスを外部化・視覚化する(手で考える)ことによって,問題解決を迅速・容易にするものです。せっかくラベルによって一旦外部化・視覚化された思考プロセスを,再び内部化してしまうやり方を私はしてしまっていたのです。こうしたやり方では,構造化するにも跳躍が必要になり(しかもその思考プロセスは内部化されているので他のメンバーからは見えません),作成に余計な時間がかかってしまいます。このクセはいつ生まれ,何をもたらしてきたのでしょうか。このことを私と場づくりラベルワークとのつきあいをふりかえる中で考えてみることにします。

初めての場づくりラベルワーク

 1999年2月に京都府長岡京市において開催されたまちづくりワークショップで,私は初めて本格的な場づくりラベルワークを体験しました。1997年11月の林義樹先生とラベルワークとの出会いをきっかけに,授業において感想ラベルと学びのプロセスチャートは活用してきていました。しかし,場づくりラベルワークについては,私自身が未経験のためまだ導入していませんでした。そうした時に,京都で本格的なラベルワークショップが開かれて林先生が指導されると聞いて参加しました。ゼミが学生参画型へ移行するための準備として,ゼミを履修することを決めていた学生にも呼びかけて参加してもらいました。
 不思議な体験でした。我を捨て空になってラベルの声に耳を傾けると,自然と(勝手に)ラベル同士がつながっていく不思議。最初は同じことを言おうとしているラベルが見つからず孤立する「厄介な」ラベルが,最後にチャートにおいて重要な位置を占めることになる不思議。設計図をつくらずに,できた部品(書かれてしまったラベル)をシンプルなルールで組み上げることによってのみ自然で完成された全体(ラベルチャート)ができる不思議(イメージとしてはカオスから秩序が生まれる・自然発生的・自己形成的です)。作業を進めていくうちに自然とふさわしいアナロジーが浮かんでくる不思議。知らず知らずのうちに自分の頭で考えることができる不思議。いつのまにか没頭してしまう不思議。何者かに導かれている思いがしました。ラベルワークをわかり直した瞬間でした。
 この不思議な体験を学生にもさせようと考えました。約2ヶ月後の4月に,ゼミで場づくりラベルワークを主内容とする1泊2日の合宿を行いました。その時の様子は「長谷川ゼミ・ラベルワーク合宿(1999年4月)」1)を参考にしていただければと思いますが,多くの学生にとって熱中・没頭し「初めて自分の頭を使って考えた」経験となり,ゼミ生同士が仲間になれた機会ともなりました。このラベルワーク合宿は,4月から2月に開催時期が早まりましたが,毎年恒例となり現在に至っています。

感想ラベル+場づくりラベルワーク=感想ラベルチャート

 これと並行して,私が担当するゼミ,基礎演習,中南米経済論において,授業のふりかえりに活用するために,毎回の感想ラベル(あるいは先・後ラベル)を場づくりラベルワークによってチャート化する(感想ラベルチャートを作成する)ことを追求するようになりました。これまで授業で使っていた感想ラベルと,ワークショップで体験した場づくりラベルワークが私の中で結びついたのです。この感想ラベルチャートの作成方法は一見すると「型破り」です。本来場づくりラベルワークはある特定の問題を設定し,その問題に対する回答をラベルに書くものですが,この作成方法では感想ラベルを使用するのですから。しかしよく考えてみると,感想ラベルの記入者(授業参加者)は共通で特定の問題を意識しています。「今日の授業はどうだったかな」という問いに対して答えているのです。こうした感想ラベルを使ったラベルワークも「今日の授業はどうであったか」という問いに対する答えを求めて作成するので,場づくりラベルワークの基本を踏み外しているわけではありません。2000年度の基礎演習では,優秀な作品が毎週生み出され,5月6日には授業2回分の感想ラベルチャートを作成する合宿も行われました2)。

感想ラベルチャートからラベル新聞へ

 こうした感想ラベルチャートのとりくみは,2000年度の途中で次々と「ラベル新聞」へ発展的に解消されていきました。なぜならば第1に,特にこれは基礎演習において感じられたことですが,授業を終えた企画班(5名程度)が40枚以上の感想ラベルと格闘して感想ラベルチャートを4-5時間かけて作成するのは,これとは別に研究課題の遂行が求められるため過大な負担であったことです。第2に,感想ラベルチャートだけでは「今日の授業はどうであったか」を表現するには不十分だと感じるようになったからです。感想ラベルチャートでは,授業に対する学生の受けとめや印象に残った企画が何であるかはわかっても,その授業が実際にどのように行われたのか(授業の5W1H)は明示されておらず,記録としては不十分です。企画班が自ら企画した授業をふりかえるには十分過ぎる程ですが,これを1週間後にクラスでふりかえる(鑑賞する)には問題がありました。第1に,模造紙1枚の大きさとはいえ40名ほどの学生前で発表するには見えにくく,かといって縮小図解を作成する余裕がないので手元に残らないので,じっくりと読み返して味わうことができませんでした。第2に,授業冒頭の5分間で感想ラベルチャートを発表して前回をふりかえるのですが,企画班以外は1週間前の授業内容を思い出すのに時間がどうしてもかかるため,授業を進めるためのふりかえりがうまくできませんでした。

一人場づくりラベルワーク

 感想ラベルチャートは,私がその場で指導することも多かったのですが,作成者はあくまで学生でした。長岡京ワークショップ以来,再び私自身が場づくりラベルワークの作成者になった機会は2000年1月にめぐってきました。それは「1年間のゼミはどうであったか」(ゼミの現状把握)をテーマにした2000年1月の場づくりラベルワークでした3)。あの時は行き詰まりを漠然と感じていて,それが一体何かを明らかにしたくて作成しました。このラベルチャートは,模造紙4枚大のもので,学生参画型ゼミを始めて1年経った時点での私の苦悩がよく出ています。

原点に立ち返って気軽に場づくりラベルワーク

 以上に見たようなラベルワークを私は体験してきましたが,こうしてふりかえると,私は場づくりラベルワークが非常に「重いもの」と捉えていたようです。場づくりラベルワークを終えた学生が「とてもいい経験になったけれども,しばらくはやりたくない」との思いを抱くのも,私が研究面で場づくりラベルワークを活用できていないのも,この「重さ」があるからかもしれません。果たしてこの「重さ」はどこから来ていたのでしょうか。
 その重さは,島づくりを一段階でやめてしまう私のクセから来ていました。そのクセはおそらく最初からあったようで,これまで私が作成してきたラベルチャートと私が指導して学生が作成したラベルチャートを見ると,そのほとんどが島づくりを一段階でやめています。わずかに二段階島づくりを行っているものもありますが,これも記憶にある限り,島づくりを一段階終えた直後にさらなる島づくりを行ったものではありません。島づくりを一段階でやめてしまうと,その先の展開が困難になって時間がかかります。その結果,本来の場づくりラベルワークに比べてコストパフォーマンスを低下させ,「重い」ものになってしまいます。
 私が感じていた「重さ」は場づくりラベルワークのものではなく,私のクセによるものでした。場づくりラベルワークはもっと気軽に活用できるものとわかり,これまでの「重し」がとれた気がしています。これからは,このクセをなくして気軽に教育面でも研究面でも場づくりラベルワークを活用していきたいと思います。
 これまでラベルワークをじっくり検討するという機会がありませんでしたが,今回この看護ラベルワーク研究会のワークショップでその機会を得ました。そこで,これまで行ってきた私のラベルワークをふりかえることができ,今後の課題を発見することができました。林義樹先生ならびに看護ラベルワーク研究会のみなさんに感謝いたします。ありがとうございました。


1) http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/ ̄shin/se/se19990410-11.html.
2) この合宿で作成されたのは「班が一つになれた企画辻スペ最高!!!!!!」http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/ ̄shin/images/clc000420.JPG,「『授業』不思議発見!!参画授業は学生の学生による学生のための授業」http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/ ̄shin/images/clc000427.JPG.
3) 長谷川伸「1年間の3回ゼミをふりかえって―長谷川とゼミ生全員にとってのわかりあいと自己変革への険しき道―道半ばだか確かに前進した一年間」(第2期生ゼミ合宿で発表,2000年1月,http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/ ̄shin/lc000131.pdf)。

(看護ラベルワーク研究会『ニュースレター』第7号,2003 年5 月)