なぜ私は学生参画授業を試みたか


■1996-1997年度における私の授業

 基礎演習:たくさんのプリントを配付して、学生に事細かに指示を出して、いろんな課題を出して、添削をこまめにして、一年間で一つのレポートを個人あるいはグループで作成してもらう「手取り足取り」「スパルタ式」参与型授業。

 中南米経済論:プリントを毎回たくさん配ってレクチャー中心の参集型授業。

■そこで何が起こったのか

(1)自分が準備をすればするほど肝心の授業前に疲れてしまうし、システムを大きくすればするほど、学生の行動や成果を点数化すればするほど、学生の気持ちが、学生が何を考えているのかわからなくなる。一方で、学生はやらされ、評価されるだけの受動的な存在になっていく。学生が大学、授業の主人公であるべきと考え、主人公にしようとして授業をやってきたつもりだったのにもかかわらず。

(2)「学び」というものは楽しくて嬉しいはずなのに、肝心の「学び」を主目的とする場である授業が学生も教員もしんどいだけ。確かに、レポートの作り方や文献の探し方はわかったが、何か楽しくない。しんどいばっかりだと、やる気の出せない学生はドロップアウトしてしまう。教員の方も、学生と共に学ぶ喜びなど、そこにはなかった。学生も教員も、学ぶ喜びが感じられない授業をやってしまっていた。

■林義樹氏と学生参画授業、ラベルワークとの出会い

 完全に行き詰まってしまって「これはおかしい。突破口はないだろうか」と探していたところに、1997年11月に林義樹氏と学生参画授業、ラベルワークに出会い、目からウロコが落ちた。学生でもラベルを使えば自らの手で授業を最初から最後まで運営できると確信し、1998年度から学生参画型を試みている。


Author: Shin Hasegawa
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