岡本博公さん(同志社大学)からの返事


関西大学商学部

 長谷川 伸 先生

 拝啓

 『大学を学ぶ』をテキストにした「社会学概論」の丁寧なご指導に敬服しております。さて、私の担当箇所についてですが、ここでは研究と教育の両立に悩む教員の現実と学生への期待を率直に書きたいと考えました。あるいは、この表題では学生の研究(例えば卒業研究や自主的な研究会の組織等)のありようについて考えることが適切なのかもしれませんが、それは「学びの場としての大学」と重複するでしょうから教員の姿勢と要求を書くことにしました。少し、学生にはこの数ページは違和感のあるところかもしれません。

 ですから、あまり疑問も出ていないように考えます。以下、関連していると思われることのいくつかの点について簡単に書きます。

 *学生の役割期待は理系には妥当するが文系には何を期待するのか、という意見がありました。批判精神とは何か、まずは疑問でよいという意見に対する答えと共通するのですが、後者の意見は全くそのとおりで「学生からのストレートな疑問」を期待しているわけです。学生からの率直な疑問に誠実に答えることはしばしば簡単なことではなく、さまざまなこを考えさせてくれる、あるいは発見させてくれるわけです。文系の場合も学生の役割は大なのです。教員は往々にして既存の枠組みにとらわれがちだからです。

 *批判精神とは、まずは疑問を持つ、疑ってみるということでよいでしょう。変だぞ、妙だぞと、どうもしっくこないという気分を大切にする、あまりもの分かり良くならないということでしょう。わからない自分にこだわってみるということでしょうか。

 *学生から見て研究の場としての大学は「幻想」だという意見がありました。そう簡単に「幻想」と決めつけないことでしょう。もの分かり良くならないこと。実際、”普通”の学生もともあれ卒業研究を課されているでしょうから、「研究」に触れざるをえないのは間違いないことです。に専門領域に進むに従って学生が研究する楽しさ味わうことのできるように、教員は様々な刺激と仕掛けを工夫するでしょう。研究することのエキサイティングな世界にふれていただきたいものです。学生がどのようにその世界に接するのかは各大学、各教員の努力の産物でしょう。

 *教員の講義に工夫が足りない、刺激がない、という意見がありました。教員が痛切に反省しなければならず、研究との両立に悩みながらも、解決しなければならないことでしょう。

 以上、きちんとした回答ではないのかもしれませんが、学生諸君のレポートをみながら今考えたことです。

 宜しくご処理ください。

                       敬具