『水滸伝』柴進の「小旋風」の由来は?
高島俊男さんの『水滸伝の世界』(ちくま文庫)は名著ですねー。某『封神の世界』とはエライ違いだ(爆)。
ところで、読んでいてちょっと疑問に思ったところがあります。それは小さな問題ですが・・・。
梁山泊の豪傑のアダ名を考察する所があります。なんといっても、これは『水滸伝』の大きな部分を占めるものですから。
ちくま文庫版の317ページから、柴進のアダ名「小旋風」について書かれています。まあ、王利器氏の主張する「大砲の名前だ」なんてのは、完全にトンデモ説ですから気にしませんが、高島センセの言われる、「柴進と李逵が同じつむじ風なのはおかしいが、これは柴進の周りに豪傑が集まって、不穏な雰囲気を醸しだしているからであろう」という意もちょっと疑問です。
そもそも、『水滸伝』を見ていて誰しも疑問に思うのが、「黒旋風」李逵と、「小旋風」柴進が同じアダ名だいうことでしょう。
梁山泊随一の乱暴者李逵と、後周の世宗の子孫で、梁山泊に似つかわしくない貴族然たる柴進、確かにこの両者がなんで同じ「旋風」なのか、確かに不可解ではあります。
ただ、これは恐らく『水滸伝』の成立史と関わる問題だと思います。
『宣和遺事』を見てみましょう。すると、英雄たちの順番は次のようになっています。
・・・ 「豹子頭」林冲 「黒旋風」李逵 「小旋風」柴進 「金鎗手」徐寧 ・・・・
これは何を現すでしょうか。おそらくこの時点では、柴進は李逵の弟分であることを示していると思います。
『水滸伝』の中でも、アダ名が「何々」「小」と続くパターンは他にもあります。
例えば、孫立と孫新の兄弟は、兄が「病尉遅」、弟が「小尉遅」というアダ名です。また穆弘・穆春兄弟は、兄が「没遮欄」、弟が「小遮欄」です。
これからすれば、李逵と柴進の関係も、「兄貴分・弟分」と捉えるのが自然でしょう。
そもそも、柴進について、いまの『水滸伝』の形象から考えるのが間違いなのです。
柴進は、たまたまその姓が「柴」であったことから、後周の世宗の子孫、という設定がなされました。しかしそれはおそらく、水滸説話が発展した後で付加されたものであろうと考えられます。
『宣和遺事』の時点では、たぶん柴進は単なるあらくれ野郎だったと思われます。そして、その乱暴ぶりは李逵とペアでいい勝負だったのでしょう。それで、二人ともアダ名は「つむじ風」でよかったのです。
ところが、後に柴進は、突然「貴族化」させられてしまいます。柴「大官人」の登場です。これより柴進は、本来の形象がなくなったために、李逵とは違和感が感じられるようになってしまいました。でも、本来は違っていたと考えるべきでしょう。
李逵と柴進との関係で、高唐州(120回本系統では第52回)の一段があります。柴進の屋敷に逗留している李逵が、またまた騒ぎを起こして、柴進が危うくなるという段です。この段ではむしろ公孫勝に力点が置かれていますが、この話の元ネタでは、李逵と柴進の何らかの話があったのでは、とも憶測しています。
『宣和遺事』の三十六人という意味も、たぶん本来は意味が異なっていたと考えます。
これは、民間信仰でよく言われる「三十六元帥」の方を元来は指していたと思います。道教や民間信仰でも、三十六元帥の意味合いは多様で、時に玄天上帝の部下、時に雷声普化天尊の部下だったりしますが、おそらくこちらの意味だったのが、『水滸伝』になった時にちょっとズレが生じたものだと思います。
この点も、これまであまり考えられていませんねえ。まだまだ『水滸伝』に関しては、指摘されていない問題があると思ってます。