四天王の違い(日中仏教相違点1)

日中寺院の相違

中国のお寺に行くと、日本の寺院とはかなり雰囲気が違うので、驚くかもしれません。

日本の寺院も、むろん中国のお寺の影響を受けて建てられているのですが、それぞれ時代によって変化を遂げています。 いまの中国のお寺は、明(みん)の時代に整えられたものでして、その様式はあまり日本に入ってこなかったのです。 例外としては、宇治の黄檗宗萬福寺があります。このお寺は、明の末頃の中国の寺院の影響を受けており、いまの中国に広く見られる形式と同じです。

<宇治萬福寺の大雄宝殿>

いま中国で広く見られる寺院形式は、門である山門、その次に四天王を祀る天王殿(てんのうでん)、その次に本殿である大雄宝殿(だいおうほうでん・だいゆうほうでん)、そして後ろに講堂や法堂(はっとう)などが直線的に並びます。

また大雄宝殿の手前には、左右に鐘楼と鼓楼が設けられている場合が多いです。 脇には、観音堂や伽藍神を祀る伽藍堂などがありますが、それは各寺院によって異なります。 ただ、本尊が観音菩薩の場合、大雄宝殿でなく、円通殿(えんつうでん)などと呼ぶ場合もあります。 

四天王の違い

その天王殿に祀られるのが、四天王です。中国では「四大天王」や「四大金剛」と呼ばれるのが一般的です。

この四天王を見ると、日本の四天王と姿が全然違っているがの分かると思います。 すなわち、中国の四天王は、「琵琶」「傘」「蛇または龍」「剣」を持っているのが普通です。

 

<上海玉仏寺の四天王>

日本の四天王は、持ち物が一定ではありませんが、だいたい多聞天は塔を、広目天は筆と巻物、そして持国天は刀を、増長天は戟などを持つことが多いようです。以下に日本と中国での、四天王の持ち物の差について記します。

・日本 多聞天=宝塔と三叉の戟

     広目天=筆と巻物 戟・槍

     持国天=刀・槍・戟 金剛杵

     増長天=刀・剣・戟 金剛杵

・中国 多聞天=傘

     広目天=蛇、または龍

     持国天=琵琶

     増長天=剣

なお来歴の古い寺院では、多聞天は日本と同じく、塔を持っている場合もあります。 また多聞天は、銀の鼠を持っていることも多いです。 実は唐の時代では、中国の四天王は日本のものと変わりません。というより、日本が当時の中国の形式を輸入したわけですから当然です。

アジアの四天王

また韓国のお寺にも天王殿があり、こちらも四天王はやはり琵琶や龍を持っています。多聞天は寺院によっては塔を持っています。

<釜山(プサン)梵魚寺(ボモサ)の広目天>

実のところ、中国・韓国のみならず、チベットなどでも四天王はこの「琵琶・傘」タイプであり、要するにアジアではむしろ日本の四天王の方が少数派なわけです。

『封神演義』の魔家四将

中国の四天王の持ち物について、よくその典拠として示されるのは、『封神演義』です。

 『封神演義』に登場する魔家四将(まけししょう・まかししょう)の魔礼紅(まれいこう)・魔礼青(まれいせい)・魔礼海(まれいかい)・魔礼寿(まれいじゅ)が、その宝器として琵琶・傘・剣・蛇(貂)を持っているからです。 そしてこの4名が、姜子牙によって四天王に封神されます。

   

<魔家四将>

しかし、現在の四天王と魔家四将では、若干その持ち物に違いがあります。魔家タイプでは、琵琶と蛇を持つ天王が入れ替わっている形になります。 ただ、明末にはこのような四天王の姿がある程度成立していたことはわかります。

変容の時期

同じ明代の小説でも、例えば『西遊記』の四天王はどうも傘・琵琶を持っているという描写が見えません。また宇治の萬福寺の天王殿の四天王も、琵琶や傘は持っていません。或いは、こちらは日本の仏師が造っているからかもしれません。どうも地域や時期によって異なっている部分があるようです。

比較的古いお寺が残っている山西平遙の鎮国寺・双林寺も調べました。双林寺では、四大金剛と四天王がほぼ揃っており、こちらが古い形式を残すものと思われます。 ただ、四天王は比較的新しい時代のもののようでした。かつての寺院の構造を調べると、金剛殿と天王殿が別れていたようです。

いまのところ推論ですが、元の時代にチベット仏教の影響を受けて四天王の様相が変わったのではないかと考えます。 南宋時代の姿を残す、四川大足の像は、まだ旧来の四天王の姿を残すものが多かったですから。その元代における習慣が、徐々に明代に広まっていったのではないかと考えます。ただ、まだあくまで推論です。