斉天大聖(中国民間神紹介5)

斉天大聖とは

斉天大聖(せいてんたいせい)といえば『西遊記』で有名な孫悟空のことです。 その活躍についてはもはや述べる必要もないでしょう。花果山の仙石から生まれたサルの孫悟空が仙術を会得し、天界にて大暴れ、如来に退治された後、三蔵法師に従って天竺へ取経の旅をするなどの話は、中国のみならず、日本でも知らぬ人とてありません。またその神通や変化の多彩さ、妖怪討伐の腕などもよく知られています。

觔斗雲(きんとうん)という雲に乗り、瞬時に十万八千里を飛びます。またその手にする如意金箍棒(にょいきんこぼう)は、重さ一万三千五百斤で、使用者の意のままに伸び縮みします。これは東海龍王の所から奪ってきたものです。そして七十二の変化の術を持っています。 孫悟空が取経の旅において三蔵法師に逆らわないように、頭には緊箍児(きんこじ)がはめられてしまいました。三蔵法師や観音が呪文を唱えると、この頭の輪っかが締め付けられるようになっています(1)。

<『西遊記』世徳堂本より猪八戒と戦う悟空>

斉天大聖に関する記載

ところで孫悟空はまた「孫行者(そんぎょうじゃ)」とも「斉天大聖」とも呼ばれていますが、この称は何故かあまり日本では有名ではありません。孫悟空は始め、玉帝より「弼馬温(ひつばおん)」に任ぜられますが、これが馬飼いの端役であったために再び反乱を起こしまして、勝手に名乗ったのが「天にも斉(ひと)しい」大聖というものでした。 反乱の鎮圧に手を焼いた玉帝により、今度はこの称号に封じられます。いわば脅しとった称号となります。それでも玉帝から封じられたということで、道教の神としての孫悟空は、必ずといってよいほどこの名で呼ばれます。

しかしこの「大聖」の称は悟空の専売特許というわけではありませんで、例えば、明の雑劇『二郎神鎖斉天大聖』では「斉天大聖」が登場して「兄は通天大聖、弟は耍耍三郎(さささぶろう)」と述べます。小説『西遊記』では石猿に兄弟がいてはおかしいと思ってか、義兄弟が様々な大聖の号を名のっています。

また、幾つかの『西遊記』の後に出た小説には、西天取経から還ってからの悟空についての記載が見えます。何故かこれらの小説中では、悟空はだいたい斉天大聖と呼ばれているのです。 『八仙東遊記』は、四海龍王と八仙の争いを主題とした小説ですが、龍王側の味方の温元帥と関元帥が、八仙の鍾離権と呂洞賓と対峙する時、突如八仙側の助っ人として斉天大聖が登場します。そして得意の鉄棒で二元帥を打ち負かします。この話は取経の後ということになっています。

『南遊記』にも孫悟空は出てきますが、第一回では「孫行者」と称し、第十七回ではもっぱら「斉天大聖」と呼んでいます。 この回には奇怪な容貌を持つ悟空の娘や息子たちが登場します。どうやら取経後の悟空は結婚していて、子供もたくさんいるようです。その場合、仏教の神では都合が悪かったので、斉天大聖という道教風の称で出てくるのかもしれません。

廟に祀られていた孫悟空

『聊斎志異』に「斉天大聖」という一節があります。

福建に商売できた許盛なる者が、斉天大聖の神に土地の人々が祈るのを見て呆れ、それは小説のでたらめであると信用しなかった。しかし突如不幸にみまわれ、斉天大聖の力で免れる。そして後には大聖の熱烈な信徒になった。

これからすると、どうも福建地方では、実際に古くから孫悟空が神として祭られていたようで、多く、清代の随筆などに記載が見えています。『聊斎』の話もあるいは実話であったかもしれません。

自分も福建に行った時には、少なからず斉天大聖を祀っている廟を見ました。特に福州や莆田(ほでん)のあたりでは、小廟が多かったですが、幾つかの斉天大聖廟を実際に調べました。莆田の飛来閣という、幾つかの廟や書院が連なっている廟では、本尊として斉天大聖があります。

<福建莆田飛来閣に祀る斉天大聖>

福建の宗教の影響を受けることの強い台湾でも、少ないながらも斉天大聖廟が存在します。台湾では斉天大聖の称呼の他「大聖爺」「猴仔公」などの称があります。基隆市には聖済宮と斉天大聖廟の二座があるとされます。自分が直接見たのは、台北の聖徳宮という廟です。この廟には言い伝えがあり、淡水河に猿に似た木が流されていたのを民が拾い、これに斉天大聖の像を彫って神像を造ったといわれます。

シンガポールやマレーシア・タイなどにおいても、斉天大聖を祀ることは行われています。

<バンコクの斉天大聖廟>

悟空・八戒・悟浄

以前、ちょっとテレビ番組『トリビアの泉』に引っ張り出されたことがありますが、その時に「ガセビア」コーナーで否定することになったのが、「孫悟空のモデルはキンシコウではない」というものです。

これはモンキーセンターの所長さんがインタビューで述べたことが、いつの間にか広まってしまったようで、ご本人も後で否定されているはずです。 そもそも、キンシコウ(金絲猴)というサルは、珍しいもので、『西遊記』の作者たちが実際に見聞したとは到底思えません。またこの時代、動物の区分は極めていい加減であるのが普通ですので、ある特定の種類のサルをモデルにするという考え方自体が、何かずれています。 実際『西遊記』の挿絵を見ていても、かなりアバウトに単なる「サル」として描かれています。

猪八戒は小説の『西遊記』では天蓬元帥の下凡となっていますが、『西遊記雑劇』の方では摩利支天の配下の御車将軍となっています。摩利支天はイノシシと関連が深い神ですので、こちらの方がよりその由来を反映したものと言えましょう。

沙悟浄は『西遊記』では単に「水怪」とされます。日本では何故かカッパだと言われますが、カッパは日本の妖怪なので、中国にはいません。だから中国のドラマなどの沙悟浄はカッパの格好はしてません。沙悟浄がカッパというのは、日本だけの独自の説です。

どうも『西遊記』では、玄奘三蔵と同じように西に旅をした僧侶の名前を、弟子たちに流用したのではないかと言われています。たとえば「悟空」ですが、これは唐代に実在した僧侶の名前です。実際にこの悟空和尚も、インドに行って戻ってきた人です。もっとも、玄宗皇帝から派遣されたときは官僚でしたが、その後出家しました。

八戒も、明以前の記録では「朱八戒」になっていることが多いです。そしてこの朱八戒とは、中国の三国時代の高僧、朱士行(しゅしぎょう)の号であるとされています。この朱士行も、西域に取経の旅に出た人です。おそらく、『西遊記』の作者の誰かが、弟子たちの名を、取経した僧侶の名前を使って悟空や八戒の名としたのでしょう。


1.緊箍児・金箍児・禁箍児の三種がありました。あとの二つは、紅孩児と黒熊怪を制圧するのに使われています。


 <参考文献>

沢田瑞穂氏「孫悟空神」(『中国の民間信仰』工作舍)

鍾華操氏『台湾地区神明的由来』(台湾省文献委員会)