長崎の唐寺探訪

二階堂 善弘


かねてより行きたいと思っていた長崎の地を、2003年夏にようやく訪れることができました。

鹿児島大であったシークの大会で発表したのち、九州をほぼ縦断する形で長崎に出ました。この日は台風の影響がかなり残っていましたね。

とにかく坂の多い街で、驚きました。ただ、それだけに夜景は見事ですね。


さて、長崎というと、まずオランダ文化を想起しますが、貿易を行っていたのはオランダだけではありません。当然、中国文化の影響も大きかったわけです。

オランダ人は出島に閉じこめられており、かなり自由が少なかったようですが、中国人もやはり唐人街に押し込められていました。ただ、オランダ人よりは制約が少なかったようです。

唐人街には、土神堂・天后堂・観音堂・福建会館などの建物があります。このうち、自分が特に見たかったのは土地神を祭る土神堂と、媽祖を祭る天后堂でした。

ものすごく狭い路地が連なる唐人街ですが、とにかく猫が多かったですね。どこの角にも何匹もいるのが印象的でした。

ただ、土神堂も天后堂も再建されたもので、古いものがそのまま残っているわけではありません。

天后堂


土神堂には、伝統的な福徳正神、すなわち土地神が祭祀されていました。

ただ「つちがみ」と呼ばれていたようです。驚いたのは、長崎の墓を見たら、どの墓も隣に小さな「土神」を祭っていることです。福建でも広東でも、土地神の祭祀のされ方は様々ですが、このような形式はあまり知りません。


古い建築を残しているのは、なんと言っても唐寺の方です。

唐寺は唐四箇寺とも呼ばれ、崇福寺・興福寺・福済寺・聖福寺の四寺があります。

崇福寺は福建の福州出身者が主となって建てられたものです。同様に、南京系の人が興福寺を、福建の漳州出身者が福済寺を建てたということになっています。

いずれも中国様式を持った建築ですが、一部では日中の様式が混合しているように思えます。宇治の黄檗山萬福寺にも見られるような黄檗様の美しい様式が見られます。

檀越に貿易商が多かったせいでしょうか。これらの寺院はほとんどが媽祖廟としての機能を併せ持っています。ですから、媽祖殿が必ずと言ってよいほど併置されています。


崇福寺(そうふくじ)は寛永六年(1629)に建立されたと言われます。 まず特徴的な形が著しい三門があり、石段を登ると、第一峰門があります。

崇福寺三門


第一峰門


長崎で最も古いと言われる大雄宝殿も見事な建築で、また中に安置されている十八羅漢像はすばらしかったですが、より印象に残ったのが媽祖堂と護法堂でした。

護法堂は、一般の中国寺院の天王殿に当たるもので、中心に観音菩薩を、そして脇に護法神である関帝と韋駄天をそれぞれ配しています。韋駄天と関帝の組み合わせは、普陀山などでもよく見た形式です。ただ、逆に弥勒と四天王がいませんでしたので、所謂中国の天王殿とは異なったものであると思われます。

媽祖堂は当然ながら媽祖を祭ります。脇士はおなじみの順風耳と千里眼です。

媽祖堂


崇福寺からちょっと上ったところに、八坂神社があり、それをさらに上ると、清水寺があります。ここの建築様式も、ちょっと唐様式という感じがありました。

さて、崇福寺よりも建立が古いとされるのが、興福寺です。とはいえ、現在の大雄宝殿は比較的新しいものだとされます。

この大雄宝殿には、伽藍菩薩が祭られていますが、その形象はちょっと華光菩薩に似ていました。とはいえ、三眼ではありませんでしたので、華光神ではなさそうです。

こちらも隣に媽祖堂があります。この媽祖堂には、関帝と、それから三官大帝が祭られています。

興福寺媽祖堂(手前に見えるのは順風耳と千里眼)


聖福寺はやや後に建立されたものですが、ここの天王殿はまさに弥勒と韋駄天が背中合わせに配置されている伝統的なものです。

ここは装飾の見事な瓦壁などで知られています。

聖福寺の天王殿


福済寺については、長崎の原爆で消失したため、ほとんど建築などは残っていません。いまは巨大な観音像があります。普陀山の南海観音とよく似ていました。

孔子廟も見てきましたが、これはほとんど新しく建てられたものなので、あまり強く印象には残っていません。グラバー園のすぐ近くなんですね。

孔子廟


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