安徽九華山における地蔵信仰

二階堂 善弘


はじめに

中国安徽省の九華山は、中国の四大仏山の一つとして著名な山である。四大仏山は、それぞれ四大菩薩の聖地であると考えられている。すなわち文殊菩薩の五台山、普賢菩薩の峨眉山、観音菩薩の普陀山、そして地蔵菩薩の九華山である。

中国における地蔵菩薩の様相については、すでに別に考察を試みた(1)。

それによれば、現在九華山においては、唐の時代に新羅から渡来した「金喬覚」という王子が地蔵の化身であったという伝承が一般に知られている。

地藏菩薩の形象は、日本における姿とはやや異なり、神獣に乗り、脇に閔公と道明という従者を従えるという形象が知られている。ただ、他の菩薩と異なり、僧侶の姿すなわち「声聞形」或いは「比丘形」をとることは日中に共通している。

むろん信頼できる史書には「金喬覚」という人物の伝は見えず、さらに朝鮮側の資料にも、そのような王子が存在したとの記載は少ない。この伝承は、唐代に実際に新羅から九華山に来た釈地蔵の伝が後に発展していったものである。もっとも金喬覚の説話は、釈地蔵のみならず、釈無相など、幾人かの新羅からの渡来僧の伝承が合成されて作られたものである。さらに地蔵の脇侍とされる閔公と道明和尚については、それぞれ別に伝説が存在し、それが後に地蔵と結びつけられたものと推察される。

筆者は2005815日から20日まで安徽省九華山を訪れ、現在の九華山における地蔵信仰の実情について調べ、またこの地に特徴的な「肉身仏」信仰、すなわちミイラ仏の信仰についても調査した。時あたかも旧暦7月の地蔵盆が行われており、幾つかの寺院で行われた宗教活動について目睹することができた。本報告はこの時の調査を中心に、九華山における地蔵信仰の現状について考察を行うものである。


1.九華山の各寺院

九華山は安徽省青陽県の西南に位置する。景勝地として有名であり、また世界遺産に登録された黄山からそう遠くない所にある。両山とも自然に恵まれ、その姿には近いものがあるが、九華山の方はもっぱら仏教聖地として認識されており、参拝客の方が圧倒的に多い。

九華山の寺院は幾つかの地区に分かれて存在している。まず山の中腹が盆地となっており、九華街と呼ばれる。ここに化城寺・肉身殿・祇園寺・栴檀林などがあり、参拝の中心となっている。山の頂上部には天台峰・十王峰などがあるが、この天台峰に天台寺がある。ここに至るまでの地にも多くの寺が散在している。百歳宮や東崖禅寺などである。『九華山志』によれば、安徽省の重点寺院に指定されているものだけで30箇所に及ぶ(2)。

化城寺は現在、九華山歴史文物館と題した看板が掲げられ、九華山の文物展示館を兼ねており、寺院としての機能は減じている。ただ参拝客は多かった。

ここはかの金喬覚が住したところであるとされる。それはあくまで伝承であるが、実際に唐の費冠卿の『九華山化城寺記』に記載があることから、唐代からこの寺が地蔵信仰の中心であったことは事実である。歴代改修を経ているが、現在の建築は1981年に建てられたものである(3)。現在も修復中のようで、幾つかの文物が見られなかった。

化城寺(九華山歴史文物館)


肉身殿は、恐らく九華山で最も重視される寺院である。何故ならここにこそ地蔵の化身たる金喬覚の肉身仏が存していると考えられているからである。

伝承によれば、金喬覚は唐の貞元10年(794年)に九十九歳で没した後も、三年間にわたりその肉体は生けるが如くであっため、これをそのまま塔に入れて本尊にしたという。この後、九華山には同様の肉身仏、すなわちミイラ仏の信仰が発展し、それは現在でも続いている。ただ『宋高僧伝』に見える釈地蔵の伝には、ほぼ金喬覚和尚と同様の記載があり、恐らくはこの伝承については事実に近いものであったと推察される(4)。

場所は化城寺の西に位置する神光峰の頂上に存在する。前方下部には地蔵禅寺、後方には十王殿・霊官殿などを備え、広大な面積を有する殿宇である。肉身を収めたという石塔は、何十体もの地蔵像に取り囲まれた大きなものである。この塔をまるごと包みこむ形で地蔵殿が立っている。もっとも、この内部が現在どのようになっているかは不明である。さすがに唐代の肉身が存しているとは考えがたい。

『九華山志』によれば、明の万暦年間に朝廷によって重修され、清の康煕年間にも殿宇が建て直されている。その後咸豊年間に兵乱によって壊れ、光緒年間にまた再建された。しかし現在の殿宇は1917年に改修され、1917年当時、民国の大総統であった黎元洪が贈ったとされる額がある。さらに後に1955年と1981年にも数次の改築を経ている。(5)。

肉身殿


祇園寺は九華街の入り口の所に位置する。『九華山志』の記載によれば、創建は明代であるものの、元来はそれほど大きな寺ではなかった。清の嘉慶年間に隆山和尚が住持してより発展し、光緒年間以降、現在のような規模となったようである。かつては隆山和尚の肉身仏も民国期まで存したようであるが、現在は失われている(6)。

九華山における宗教行事の多くがここで行われているようで、筆者が訪れた際も、多くの僧侶と信者が水陸法会を催していた。

祇園寺


九華街にはこの他にも、甘露寺や栴檀林など、規模の大きい寺院が幾つか存在する。

百歳宮は高台にあるため、九華街からケーブルカーを使って登る。本来は万年禅寺という名称であるはずだが、通称の百歳宮で呼ばれることの方が多い。

ここには明の高僧である無瑕和尚の肉身仏が存在することで知られている。無瑕和尚は名を海玉、字無瑕といい、万暦年間にこの地で修行を行った。自らの血でしたためたという『華厳経』が残されている。百十歳で円寂し、崇禎年間に王朝から「応身菩薩」に封じられている。現存する最も古い肉身仏である(7)。

百歳宮の近くには、東崖禅寺などの多くの寺院があり、そこからいったん下っていくと、渓流が流れており、その近辺にも多くの精舎が存在する。さらにロープウェイに乗って上に行くと、天台峰と十王峰となる。

天台峰には地蔵禅寺があるが、これはその所在によって天台寺と称されている。峰の頂上にあり、かなり急勾配の石段を登っていく必要がある。明代の創建で、清代に発展したものの、例によって咸豊年間の兵乱で壊される。大々的に再建されたのは民国以後のことである。ここでも水陸法会が催されていたが、山の頂上にあることとて、供物の運搬にかなり苦労しているようであった。

天台寺


ところで、九華山においては、どの寺院も王霊官を祀っているのが共通した傾向であった。これは他の地域には少ない現象と思われる。

肉身殿の前には守護神としての王霊官を祀り、さらに後部には霊官殿がある。十王殿も存在するが、地蔵信仰の関連から十王が祭祀されるのはそれほど不自然ではない。しかし、王霊官との結びつきについてはやや奇異な感もある。

祇園寺などは、天王殿が大雄宝殿の前にあるにもかかわらず、さらにその前に霊官殿を用意して王霊官を祀っている。天台寺にしても、守護神として王霊官の座をわざわざ準備してあった。このように幾つもの寺院で王霊官が祀られている様子は管見によれば少ない。

王霊官


これが馬霊官であればまだ理解できる。馬霊官は日本の万福寺の例のように、伽藍神として寺院で祭祀されることがあったからである。また安徽一帯は馬霊官信仰の強かった地帯とされる。

或いは、元来馬霊官が祭祀されていたものが、「霊官といえば王霊官」との考え方から、祭神が入れ替わった可能性もある。この点については今後の調査の課題としたい。


2.肉身仏信仰と地蔵の乗獣

今回の九華山調査において、特に注目していたのは、当地における肉身仏信仰と、地蔵の乗る霊獣に対する意識であった。

九華山の地に特徴的なものは、この肉身仏信仰である。また肉身菩薩とも呼ばれる(8)。

肉身仏とは、完全にイコールではないが日本の所謂「即身仏」に当たり、ミイラ信仰と考えてもよい。とはいえ、九華山の地で多くの肉身仏が存在する理由については、まだ分かっていない。筆者が九華山を訪れた時も大雨や霧に悩まされた。この地方は多雨であり、決してミイラの作られやすい環境ではないと思われる。


むろん、肉身仏が尊崇される原因となったのは、地蔵の化身である金喬覚の肉身仏が実際に存在したからであると思われる。

現存するもので最も古い肉身仏は、先に少しふれた通り明の無瑕和尚のものである。無瑕和尚についても、円寂の後、三年間にわたりその肉体が腐乱しなかったとされる。周りを金箔で覆ってしまうためか、あまり遺骸という印象を受けない。一般の仏像と同じように祀られている。無瑕和尚の肉身菩薩などは、百歳宮においてほとんど信仰の中心として扱われており、多くの参拝客が群れをなして拝礼を行っていた。さらにその写真をラミネートしたものがお守りとして売られていた。

かつて甘露寺には清の常思和尚、祇園寺には清の隆山和尚の肉身があったとされる。だが現在は存在しない。すべてで十四体あったとされる肉身仏の大半は、文化大革命の時に破壊されたようである。しかし、1980年代以降にまたもや肉身仏の伝統は復活しており、現時点では無瑕和尚の他に四体の肉身仏が存在する。すなわち大興和尚・慈明和尚・明浄和尚・仁義比丘尼の肉身仏である。例えば大興和尚は、清の光緒年間の生まれであり、1985年に亡くなる時に、遺体を甕に入れて保存するように弟子に命じた。その後1989年に甕から遺体を取り出してみると、生けるが如くであったという。他の三名も類似の経緯から1990年代に肉身菩薩となったものである(9)。このように、現代においても九華山の肉身菩薩崇拝が継続していることについては、驚きの念を禁じ得ない。


地蔵の乗る霊獣については、日本ではそういった像が一般的でないためか、あまり意識されなかったようである。むろん四大菩薩のうち、文殊菩薩は獅子に乗り、普賢菩薩は六牙の象に乗ることは広く知られている。文殊と普賢に対しては、日中による像の差異は少ない。

観音菩薩もその乗獣についてはあまり意識されないが、『封神演義』の第八十二回においては、文殊が青獅子、普賢が白象を降伏させて乗獣とする一方、観音である慈航道人は金毛犼を従えるという記述がある。『西遊記』の第七十一回にも、観音の乗獣としての金毛犼が見える。犼の形象はいまひとつ明確ではないが、『封神演義』の挿絵などから判断するに、恐らくは獅子に近い姿を持つ。

しかし地蔵の乗獣については、『封神演義』には記載が見えない。『西遊記』では、諦聴という動物が登場し、これが地蔵に属する霊獣であるとする。諦聴についても、以前に若干の考察を試みた(10)。またこの点に特に注意して考察された論文に、ミシェル・スワミエ氏の「地蔵の獅子について」がある(11)。

スワミエ氏の指摘通り、確かに地蔵の乗る動物もその形象は獅子に近い。しかし獅子なのかどうかは疑問である。特に四大菩薩の乗獣が意識的に同じものを避けるとすれば、文殊と同じ獅子を充てることは考えにくいのである。

今回の調査において、九華山ではこれを諦聴として認識しているか、そして獅子と考えているのかを確認する目的があった。

まず諦聴であるが、これは文物館に銅像が収められており、地蔵の乗獣と明確に認識されていた。『九華山志』には次のような記載がある(12)。 

諦聴、一座。俗に「独角獣」と称する。伝によれば地蔵菩薩の坐騎であるとされる。長さ73センチメートル、高さ66センチメートル、重さは250キログラム。すべて純銅で鋳られている。上に刻文があり、「姑蘇梅誠吾造」と記されている。清の康煕年間に衆人に募金をつのり、九華山に献上されたものである。信徒はこれを珍宝とみなし、参拝客は吉祥物と考えている。現在、二級の蔵品に認定され、文物館に蔵す。

すなわち、諦聴は独角獣(一角獣)と考えられている。その姿は獅子に似るが、やはり異なるものである。ちなみに、幾つかの寺院で諦聴について尋ねたところ、その名を知るものは少なく、ほとんどの僧侶が「一角獣である」と答えていた。現在では、ただ一角獣であるとの認識があるようだ。

ところで、中国における一角獣といえば、すなわち獬豸が想起される。諦聴には森羅万象を知るという能力があるが、獬豸も真偽を弁別する能力がある。霊獣としての役割には近いものがあろう。ただ、獬豸がむしろ羊に似るのに対し、諦聴は獅子に似る。また銅像を見るに、むしろ龍に近い形象もある。一角獣であるからといって、獬豸というわけではないようだ。

スワミエ氏は、この動物が犬である可能性についてもふれている。その源流については、インド神話などの、地獄における犬が影響しているとするが(13)、これはやはり、新羅僧の金喬覚が連れてきた善聴という白い犬に由来するものと考えるべきであろう。

すなわち、これらの伝承を総合すれば、地蔵に関係する動物は、善聴という名の犬か、或いは諦聴という一角獣であるとすべきであろう。残念ながら、恐らく獅子ではない。


おわりに

短い期間の九華山調査であったが、着いてみれば、肉身仏と諦聴に関する疑問は驚くべき速度で氷解した。文献では不明確なところは、現地調査を行う必要性があることを改めて実感した。

しかし同時に、当地での地蔵信仰と王霊官信仰の結びつきや、水陸法会の実際の様子など、新たに検討しなければならない課題も発生した。今後とも引き続きこれらの問題については調査を行いたい。 


1.      拙論「地蔵菩薩新羅王子説について」(『東北大学東北アジア研究センター叢書』第3号・2001年)5774頁。

2.      九華山志編纂委員会編『九華山志』(黄山書社・1990年)113頁。なお、1990年代の九華山の状況については、末木文美士「現代中国仏教の研究」(『東洋文化研究所紀要』第119冊・東京大学東洋文化研究所・1992年)308320頁において詳しい記載がある。

3.      前掲『九華山志』102103頁。

4.      前掲拙論「地蔵菩薩新羅王子説について6667頁。

5.      前掲『九華山志』103頁。

6.      前掲『九華山志』104頁。

7.      前掲『九華山志』269頁。

8.      前掲末木文美士「現代中国仏教の研究」308頁。

9.      九華山

10.  前掲拙論「地蔵菩薩新羅王子説について6063頁。

11.  ミシェル・スワミエ「地蔵の獅子について」(『東方宗教』第19号・1962年)3752頁。

12.  前掲『九華山志』226頁。

13.  前掲ミシェル・スワミエ「地蔵の獅子について」47頁。


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