済公(中国民間神紹介3)

済公とは

済公活仏(さいこうかつぶつ)といえば、中国では知らない人はまずいないと思います。でも、日本ではほとんどその名を聞いたことはないでしょう。済公は、また済顚(さいてん)とも呼ばれます。本来の名は道済(どうさい)ですが、敬称を付けてこう呼びます。

済公は、活仏とか活菩薩とか呼ばれますので、仏という印象を受けますが、どちらかというと、名僧とか羅漢といった感じです。 しかし、その姿は「名僧」というイメージからはかけ離れたものです。 ぼろぼろの僧衣と袈裟を付け、大きな破れた団扇を持っており、ぼさぼさの髪に、山なりの形をした帽子をかぶって、いつも笑っています。

<浙江天台県の済公故居の像>

それに、徹底した「破戒坊主」です。酒ばかり飲んで、いつも酔っ払っています。肉も魚も食い放題、娼妓の館に平気で出入りしますし、コオロギを闘わせる賭け事にもよく手を出します。 さらに、踊り狂ったり、とんぼ返りをしたりと、その行動はいつも奇矯で予断を許しません。

その由来

済公こと道済も、本当に実在した人です。とはいえ、正史に名を残すような人物ではありませんから、今ひとつその事績については不明な部分が多いです。 とりあえず、現在流布している伝によれば、次のようになります。

済公は南宋の紹興18年(1148)に生まれ、嘉定2年(1209)に61歳で卒した。台州の人で、俗名は李心遠(または李修元)、出家して道済との法名を名乗る。 始め、杭州の霊隠寺にいたが、後に浄慈寺に移り、そこで亡くなった。 人から狂っていると評されるほどの奇矯な行いで、戒律を守らず、酒肉を好んだ。

同時代の信頼できる記述によっても、この大筋では変わらないようで、実際に奇矯な言動で知られた禅僧であったことが分かります。 ただ、言動とはうらはらに、かなり純粋に仏性を探求した人のようです。その言葉とされるものが、『五灯会元補遺』などにも残されています。

これだけであれば、単なる「狂僧」に過ぎないのでしょうが、後世では済公への伝承が膨らんでいき、名僧であるとの評価が高まってしまいます。

伝承によれば、表面上は破戒僧に過ぎない済公は、実は、十八羅漢の降龍尊者の生まれ変わりで、神通力広大な金身羅漢であることになっています。 そして、世の不平を見るや義をもってこれを救い、貪官汚吏と対決します。しかし、それも真正面から行うのではなく、あくまで諧謔と風刺を交えて行動するのです。 また当時の宰相秦桧と対立することにもなっています。民衆の希望により、やや典型的な正義の味方になってしまった感はありますが、むしろのその故に、大衆に広く支持される活仏となったと言えます。

伝承の発展

明代に、『済顚語録』という書が現れますが、これは禅の語録というより、まったくの通俗小説です。

この後、済公に絡む小説は次々と出されます。『済公伝』『酔菩提』などという類似の小説が陸続と現れ、そして『三侠五義』と同様にものすごい数の続作が作られていきます。 『再続済公伝』から『三続』『四続』と延々と続き、『四十続』だとか、もっと多いとか言われるほどに続いていきました。或いは、中国小説史上、最長のシリーズであるかもしれません。

エピソードはたくさんあって紹介しきれないくらいです。

有名なのは、寺の修理費用を工面するよう、長老に命じられた済公が、高宗皇帝の皇太后に夢に現れて、寄付をするよう訴える話でしょうか。 このとき、皇太后は寺にやってきますが、「どのような報いがあるか」と聞かれた皇太后の前で、済公はとんぼ返りをしてみせ、その時にズボンが脱げてしまいます。 他の者たちは「無礼だ」と思ってあきれるやら怒るやらなのですが、皇太后だけが、それは自分の転生を示しているのだと納得するという話です。

現代の状況

現代でも、済公人気は衰えを知らないかのようです。特に台湾各地には多くの済公を祭る廟があり、お告げに現れることも多く、済公専門のタンキーがいるくらいです。

テレビドラマの『済公伝』も、人気が高いようで、数度にわたって作成されているようです。 游本昌主演の『済公』は特に流行し、その「南無阿弥陀仏~、南無阿弥陀仏~。鞋児破、帽児破」という主題歌は、いまでもしょっちゅう耳にします。

その中でも、異色の作品は周星馳(チャウ・シンチー)主演の『マッドモンク』でしょうか。天界の神々と賭けをして下界に降った降龍尊者が、済公として生まれ変わるというものです。もっとも、主題をうまく生かし切れていない感はありました。

<杭州霊隠寺の済公殿>

いまや杭州の霊隠寺や浄慈寺に行っても、済公がやたらと目立つ存在になっています。五山云々よりも、済公の方が売りになっているように思えます。

本来、中国にはこの手の「狂僧」が結構いたはずですが。

たとえば宝誌和尚など有名ですよねえ。さらに寒山拾得などもいます。ただ、こういう伝承も、だんだん済公一人に集約されてしまっているようです。宝誌も、「誌公」と呼ばれて大人気だったのですが、「済公」と同じような名称のためか、どんどん済公側にお株を奪われていきます。

<杭州浄慈寺の済公>


参考文献

澤田瑞穂『仏教と中国文学』(国書刊行会)
馬書田『中国仏教諸神』(団結出版社)
永井政之『中国禅宗教団と民衆』(内山書店)