申公豹は雷公鞭なんか持ってません
『封神』の原作と安能版とで、一番キャラクターが変わってしまったのは、やはり申公豹でしょう。
はっきり言って、これは申公豹にとってよかったのか悪かったのか、なんとも言えません。
原作では徹底して悪役に徹している彼が、安能版では傍観者的な地位を与えられます。ただ、悪役としての役割が無くなってしまったため、かえって物語の中での重要度が落ちてしまいましたし、それに、「ニヒルな悪役」としての魅力も失われてしまいました。
申公豹と姜子牙の関係は、実は『封神演義』では重要なファクターなのです。
姜子牙と申公豹は、共に元始天尊の弟子で、二人は兄弟弟子の関係にあります。もっともこれは、十二仙なども同じです。
申公豹には才能と自信があります。そして、自分こそが封神の役割を与えられるべきだと思っていました。ところが元始天尊は、封神の役を、平々凡々たる姜子牙に命じてしまいます。
『封神演義』第三十七回において、申公豹が始めて登場します。これは元始天尊の「振り向いてはいけない」との命に従わなかった姜子牙に、運命のくびきがかけられる伏線でもあるのです。このタブーは、世界各地の神話伝承に見られますね。
そして、申公豹のあまりにも有名な「首切り」の策略によって、いったんは封神榜を手にするかもしれなかった彼ですが、これは南極仙翁によって阻まれてしまいます。
その後、申公豹は何かというと截教の側にたち、姜子牙に敵対します。申公豹は、姜子牙の「負の影」なのです。文学的にはまだ未熟な表現が目立ちますが、非常にいいモチーフを持っているのです。
ところが、このモチーフをまったくダメにしているのが安能版であると思います。
そもそも、安能版の始めに、「申公豹は許由だ」と書いてありますが、これは何の根拠もありません。許由は、いにしえの賢者として有名な人物ですが、申公豹とは関わりがありませんし、結びつけるべき要素もありません。
安能さんは、ほとんど教養の無い人ですから、せいぜいこの程度の有名人しか思いつかないのでしょう。他にもっとふさわしい仙人はいると思いますがねえ・・・。
そして、申公豹は仙界でも特別な地位を有しているとかいてありますが、これにも無理が多いです。例えば、女媧と申公豹が対等の立場で会話をしていますが、こんなことは、『封神』の天界序列をまったく無視した話です。結局、安能さんというのは、『封神』の世界構造を理解していないわけですね・・・。
『封神』の世界には、「ライバル」「負の影」として、聞仲と申公豹の役割が重要なのに、こんな基本的なことも壊してしまう安能版は、『封神』の名にふさわしくありません。
そして、問題の「雷公鞭」です。これは原作のどこにも出ていません。
そもそも、この名前からして変です。「雷公の鞭」でしょうか? もし雷公鞭という宝貝があるなら、普化天尊に封じられる聞仲か、あるいは雷震子が持つのがふさわしいと思います。それにしても、「雷公の鞭」なんてのは、宝貝の名前として、全然品がないですね。
原作の申公豹は、必ず宝剣を手にしています。挿し絵でも、必ずそうです。こういったイメージは、非常に大事なものなのに、安能版では台無しです。
それに、申公豹が乗るのは、「白額虎」です。どこから「黒点虎」になってしまったのでしょうか? それに、こういった騎獣は、まったく言葉を話しません。
申公豹は、『武王伐紂平話』に出てきませんので、『封神』の作者のオリジナルだと思います。ただ、その名前は、「崇侯虎」とよく似た構造になっています。崇侯と申公というのは、ともに諸侯です。
もっとも、いまひとつ教養に欠ける『封神』の作者は、名前を誤解して、「崇」「侯虎」と「申」「公豹」であると思っていますが、本来はこれもおかしいですね・・。
ただ、『武王伐紂平話』には、「申屠豹」という人物が出てきます。あるいは、この人物名をちと変えただけかもしれません。
「申屠」という姓は珍しいですが、申屠嘉のような有名な人物もいます。申屠豹は、豹尾神の化身であり、崇侯虎の築いた五星寨の第二寨を守ります。かなり重要な役割です。
申公豹についてもですが、まず『封神』の本来の姿を理解して、それからアレンジものを論ずるべきでしょう。いまの日本では、逆です。
申公豹は、かつて『封神』の影響で神に祭られたこともあるのです。かなり信仰にかかわる部分もありますし、うかつに考えてはいけません。なによりも、数百年にわたって語り継がれた申公豹像を、下手なアレンジでしかない安能版のイメージで壊すことは考えものです。