『全訳封神』解説補充(雑劇小説と民間信仰1)

解説補充

ここでは、『全訳封神演義』1巻の二階堂解説の補充を行いたいと思います。

紙面の関係で書き切れなかったこと、それに写真などを掲載します(写真は多いので、サムネイルをクリックすると拡大します)。

なお、翻訳の訂正については、以下を参照ください。

 ・第1巻訂正

 ・第2巻訂正

風火院と青羊宮

まずは、シンガポールの風火院(ふうかいん)の写真を紹介します。

ハッキリと、鴻鈞法祖(鴻鈞道人)・太上老君・元始天尊・通天教主と書かれています。

とはいえ、その他にはむしろ封神系の神々は少ないですね。

 

<シンガポール風火院>

シンガポールやマレーシアでは、道教系よりも法術系の廟が多いので、『封神演義』の影響が強く出てしまうのは、やむを得ない面があります。風火院の「火」の字がひっくり返っているのは、これは意図してやっているものです。風火院はもともと田都元帥(でんとげんすい)の廟によく見られる呼称です。

坂出先生の『道教と東南アジア華人社会』(東方書店)を読んでいたら、158ページに先生が、フィリピンの廟について「洪鈞老師と通天教主についてはどういう神格かわからない」と書いておられました。これは逆に驚きました。いや、まさに東南アジアの廟を調べるには、『封神演義』の神格がわからないと難しいということでしょう。


とはいえ、 四川の青羊宮(せいようきゅう)はやや異なります。

<四川青羊宮>

青羊宮については、解説にも書いたように、道教の本山も本山、太上老君が転生して下った道観として、道教の歴史上でも名高い場所です。そこの三清殿(さんせいでん)に「封神系」の十二仙の像があるのは、やはり意外に感じます。青羊宮の十二仙の像は以下の通りです。

   

<燃灯・玉鼎・道行・清虚>

   

<普賢・慈航・文殊・広成子>

   

<赤精子・黄龍・太乙・懼留孫>

ただ、『封神演義』の十二仙ともやや異なっています。まずすべて「真人」と呼ばれて、天尊などの号を用いません。これは元始天尊などと差異をつけるためでしょう。

さらに、十二仙に燃灯道人(ねんとうどうじん)が入っています。このあおりで、霊宝大法師(れいほうだいほうし)が抜けてしまっています。

どうも、普通の道人の像に見えます。封神らしさにも欠けているかもしれません。

しかし、赤精子(せきせいし)が持っているのは太極図(たいぎょくず)のようですし、懼留孫(くりゅうそん)が持っているのは梱仙縄(こんせんじょう)に見えます。燃灯は定海珠(ていかいじゅ)を持ってますかね。

やはり影響があるような。

『封神伝奇』『封神英雄榜』

『封神伝奇』(邦題「バトル・オブ・ゴッド」リンク先・中文ウィキペディア)について、もう少し感想を書きたいと思います。

ジェット・リーですが、どうもいまは病気のため、激しいアクションが難しいとのことです。それで今回は、比較的動かない姜子牙役になったみたいです。時々、ジェットらしい動きもあったんですが、長年のファンとしては、やはり残念に思いますね。

『封神伝奇』は、正直「封神もの」と思って見ないで、単なるSFX超大作として見ると、かなり楽しめるのではないかと思います。特にCGはスゴイですし。

とはいえ、朝歌の都の様子、西岐の様子などは、完全にSF都市でして、逆にゲンナリします。

空飛ぶ戦艦の描写とか、空中都市とか、もう、どこの『スターウォーズ』かと。

雷震子(らいしんし)が「姫雷(きらい)」という名前になっていて、兄の姫発(きはつ)と冒頭から忍者コスプレで大活躍します。ただ伯邑考(はくゆうこう)はどうしたんでしょうね。

それにしても、雷震子と哪吒(なた)と楊戩(ようせん)以外はほとんど出てきませんし、これはやや残念です。主役は事実上雷震子ですよねえ。

申公豹(しんこうひょう)は黒い虎に乗ってかっこいいんですが、なぜかムチみたいな鞭持ってますよね。


中国大陸のドラマ 『封神英雄榜』(リンク先・百度)および『封神英雄2』(リンク先・百度)は、とにかくイケメン美女ばかりそろえた感がありますね。

特に姜子牙がやたら若いのが気になります。申公豹のイケメンぶりにも驚きですが。

ただ、申公豹は妲己の舎弟みたいな扱いで、三妖怪を姉と呼んでいるのが気になります。一応、殷の国師でエライ立場ではあるのですが。

ストーリーはものすごく変えられています。たとえば、四聖などは戦いのあと姜子牙と和解するのですが、あとでこっそり申公豹が殺したり。

「ニヒルな悪役申公豹」の魅力を描くために脚本があるんじゃないかと思うほど。

紂王もかなりイケメン系ですな。


しかし、なんといっても一番目立つのは、姜子牙の妻の馬氏でしょう。

このドラマでは、馬氏は馬招娣(ばしょうてい・マーチャオティ)という名まで与えられて、とにかく大活躍します。

武吉も、なんだかいつも馬氏とコンビになってワイワイやっている感があります。

姜子牙と馬氏がイチャイチャするシーンも結構あります。

これはもう、原作レベルでは考えられません。


楊戩が連れている哮天犬(こうてんけん)ですが、このドラマでは「ヒト化」してまして、いつも楊戩を「ご主人」と呼んで従っています。

しかも、やたらと強く、法術も使いますよね。

少し違和感がありますが。


法術使いといえば、姫発もそうなっています。すっかり崑崙の弟子扱いです。

梅山七怪(ばいざんしちかい)も、少しひねっていて、楊顕(ようけん)が女性だったりしますね。常昊(じょうこう)がなかなかいい味です。

また李靖(りせい)が全編通じて、すごくかっこいいお父さんなんですけど。

土公孫(どこうそん)は、女優さんが演じているんですかね。

しかし予算がないみたいで、戦闘シーンがややしょぼいです。どうしてみなカンフーで戦うのか。

法術合戦のCGは悪くないんですけど。

原作の矛盾点について

原作の矛盾点について、もう少し補足したいと思います。

最近は、日本でも中国でも、いろいろネット上で矛盾点を指摘してくれるので助かります。

一方で、自分も間違いを指摘されてしまったりもするのですが、まあそれもありがたいです。


孫子羽(そんしう)が2回殺されてしまう点については、日本でも中国でも、ネットで盛んに指摘されています。これは十分に参考にさせていただきました。

このほか、紙面の都合で書けなかったものもあり、多くは指摘されています。一応、少し注釈を振っていますが。

以下いくつか示します。

・蕭銀(しょうぎん)という武将が第31回に登場する。この武将は黄飛虎(こうひこ)を助けたあと、「十絶陣に登場する」と書かれる。しかしながら、このあとは全然登場しなくなる。十絶陣には、なぜかそれまで影も形もない蕭臻(しょうしん)という道士が出てきて殺される。この蕭臻と関係があるのではないかといわれるが不明。いずれにしても矛盾である。

・第67回にて、洪錦(こうきん)と龍吉公主(りゅうきつこうしゅ)が結ばれる。そのときに明らかに「紂王三十五年」という日時が記される。しかし、どうもこの記載は進行と合っていない。さらに、次の第68回では、今度は姜子牙が西岐の軍を率いて出立するのが「紂王三十年」と書かれる。いきなり5年も戻っている。おそらく、前の「三十五年」は「三十年」の誤り。それにしても、日時がやはり戻ってしまっている。

・第91回に高明(こうめい)と高覚(こうかく)が、「打神鞭で打たれて魂は封神台に飛んだ」という描写がある。しかしなぜか、あとで封神されることはない。

・第99回の封神表の人名は、かなりのメンバーの名が異なっている。四聖については指摘した通りである。また特にひどいのは丁策(ていさく)で、彼は帝輅星に封じられるとありながら、また大殺星も丁策になっている。同一人物を2回封じている。こういうミスがあまりに多いことから、流布本では封神表のメンバーをかなり入れ替えている。

封神表のメンバーにかなり問題がある点については、尾崎勤氏が「『封神演義』第九十九回の問題」(『汲古』第65号)にて指摘しています。尾崎氏の指摘によれば、封神表には『武王伐紂平話』に出てくるメンバーはかなり出てくるものの、『列国志伝』から登場する人物はやや少ないとのこと。さらに、第12回からの「哪吒故事」に登場する人物は、もともとの封神表にはなく、その後流布本にて加えられる傾向があるとのことも指摘されます。

このあたり、成立に関わる問題だと思います。尾崎氏は、『前封神演義』と呼ぶべき小説があったのではないか。そのあとにリストを直すのを忘れたのではないかと推察します。あり得そうです。

ただ、他にもまだまだ考えるべき点は多いです。そもそも、リストは不備が多すぎますので。


ちょっと話がそれますが、第12回からの哪吒故事は、確かに封神のメインの筋とは合わないんですね。

この故事では、すでに玉皇大帝を中心に整然と神の体系ができています。だから東海龍王もいるわけで。

ハッキリ言えば、そのように天界があれば、別に封神やる必要なんてないわけです。

しかも、玉皇大帝が別にいるなら、ちゃんと封神に関わってくるのがスジなはずです。

でも、物語にはほぼ登場しません。

明らかに別系統の物語を取り込んだために、こうなってしまったのです。

作者について

作者についても、解説ではあまり書けませんでした。

むろん、再三述べたように、複数の書き手がいるのは確かだと思います。

しかし、書き手を統括したプロデューサーにあたるヒトはいたと考えられますので、その点についてもう少し考えてみたいです。

許仲琳(きょちゅうりん)が作者の1人だと言われるのは、これは明版に署名が残っているから、確かだと思います。


また李雲翔(りうんしょう)という人物が制作に関わっているとも言われます。

これは『封神演義の世界』でもふれた通りで、章培恒(しょうばいこう)先生が主張されたことです。

岩崎華奈子さんが、「李雲翔の南京秦淮における交友と編著活動」(中国文学論叢第43号)において、李氏の活動について書かれています。

どうも、馮夢龍(ふうぼうりゅう)とも交友があったようですねえ。

そうなると、いろいろな交流関係から、通俗小説の出版に関わったことは容易に想像できそうです。


とはいえ、どうも作者たちのレベルについては、かなり気になることがあるんですよね。

まず、『封神演義』の作者が、司馬遷の『史記』の殷本紀・周本紀をちゃんと参照してないことは、その記述からすぐにわかります。

特に、后稷(こうしょく)と古公亶父(ここうたんぽ)を取り違えているのが最悪です。

文王や武王の妃などについても、全然わかっていない。

どうも、史書をちゃんと把握しているとは言いがたいです。


しかし一方で、『尚書(しょうしょ)』の文章はガンガン典故として引っ張ってきます。

泰誓編が多いですが、これは擬古文ですね。

おそらく『尚書』を勉強していた人たちが、作者に加わっているのは間違いないと考えます。

でも『史記』はあまり読んでない。

どうも、このアンバランスぶりに笑ってしまうのですが。

科挙で、『尚書』などを中心に受験していた人なのではないかと個人的には疑っています。

いずれにせよ、複数の書き手がいるのは確実だと思います。


「伯邑考」の文字の違いですが、書き手Aが書き手Bに、「ポーイーカオが出る」と伝えたんでしょうね。

書き手Aは、「伯邑考」という文字を想定していますが、書き手Bは、「伯夷」の漢字のほうが頭にあって、「ポーイー」を「伯夷」と書いてしまう。

そこで、書き手Bに関わる部分は、ほぼ「伯夷考」になってしまう。

書き手Aあるいは他の書き手は、ちゃんと知っていて、「伯邑考」にしている。

あるいは、第19回は『列国志伝』を見ながら書いているので、それで合っている可能性もあります。

発音上の誤りが多いので、おそらく口頭で指示しているところも多いのでは。

原作の不自然な点

あと、いくつか気になった原作の不自然な点について書きます。


登場人物ですが、毎度姓名が記されるだけで、字(あざな)はほとんど書かれません。

例外は主人公の姜子牙で、これは子牙が字であるとされます。

しかし、黄飛虎にしろ、蘇護(そご)にしろ、聞仲(ぶんちゅう)にしろ、本来は字があるべきでしょう。

だから『封神演義』では、みな姓名の呼び捨てになってます。これはだいぶ無礼なのでは。


商容(しょうよう)は、史書では殷の滅亡後も生きていたはずです。

この人は、諫言の場面のために殺されたといってもよさそうですね。

しかも、紂王もなんで諫言を全部言い終わるまで聞いているのか。さっさと途中で誅殺してもよさそうなもんですが。


微子(びし)ですが、なぜか『封神演義』では、微子・微子啓(びしけい)・微子衍(びしえん)と3人出てきます。

どうも微子というのが、殷の王族の称号とでも思われているようです。

それにしても、微子と微子啓は同一人物でしょうに。


黄飛虎の五色神牛(ごしょくしんぎゅう)も、どうして普通の武将であるのに、こういう神獣に乗っているのか気になります。

聞仲の場合は、截教の弟子であったから、墨麒麟(ぼくきりん)に乗っていても不都合がありませんが。

このほかにも、神獣があっさり出てくるのが気になります。


黄滾(こうこん)は武成王の父なのに、どうして関の守護などやっているのでしょう。

黄飛虎は一代で王になりあがった人物なんでしょうか。

しかし黄飛虎も、毎度「知っているのか、黄将軍」という感じで、完全に説明役になってますね。

『男塾』の雷電じゃあるまいし・・・。


黄飛虎は、そもそも『三国志演義』の関羽の役割を与えられている人物だと思います。

だから五関を突破する話があるわけで。

ただ、関羽に比べると、どうもイマイチな印象を受けます。

これは原作のストーリー展開が悪いんでしょうけど。


黄天化(こうてんか)も、行方不明になったのならもう少し捜索でもしたら。

仮にも王の太子なんでしょうに。

仙人の弟子だってんで納得しちゃってますけど、いや、人さらいにあったわけですからねえ。


周の文王ですが、崇侯虎(すうこうこ)の首を見て病気になって死ぬのは、ちょっとひどいのでは。

これまで、戦にかり出されたことがないんですかねえ。

西の諸侯の長ですから、討伐のひとつやふたつ、やってそうなもんですが。

あと、文王が亡くなるとき、雷震子は息子なんですから、特別に下山させてもいいと考えますが。

雲中子(うんちゅうし)も、そういう考えがないんですかねえ。

要するに、文王を殺したのは間接的にとはいえ、姜子牙ですよね。


あと文王は97歳で亡くなっていますが。

そうなると、長男・伯邑考も次男・姫発も、もっと年齢が上であるべきではないでしょうか。

少なくとも、60歳か50歳くらいでないとつじつまが合わないのでは。

しかし伯邑考は妲己に目をつけられるようなイケメン青年。

武王も「若くして」亡くなるはずですが。

どうも、こうなると年齢が全然合わない感じです。


伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、孤竹国(こちくこく)の王子のはずですが。

どうして、ちゃっかり殷王室の一族みたいな顔をして、朝廷にいるんでしょうか。


方弼(ほうひつ)・方相(ほうそう)は目が4つあったり、魔家四将(まけよんしょう)は背丈が「二丈四尺」とか、 もうどういう連中ですか。

明らかに人間じゃないでしょ、という連中が普通に武将をやってるのが気になります。

殷のころには、そういう連中もいたんだという意識なんでしょうか。


あと、この時期の農民や一般庶民は、あまり文字が読めないはずです。

しかし、物語に登場する庶民は、ほぼみな文字が読めるように思えます。

だいたい、武吉も単に木こりのはずですが、いきなりかなり教養ある感じで出てきます。


度厄真人(どやくしんじん)に定風珠(ていふうじゅ)を借りるとき、どうして散宜生(さんぎせい)とか、普通の文官を遣わすんでしょうかね。

弟子の誰かが、土遁で行ったほうが速いでしょうに。

哪吒の風火輪でもいいでしょう。

その後の展開の都合上なんでしょうねえ。


馬元(ばげん)は人をムシャムシャ食べるような怪物なのに。

どうしてすぐに「縁がある」からって、西方浄土のほうに行けるんでしょうかね。


接引道人(せついんどうじん)は阿弥陀仏、準提道人(じゅんてんどうじん)は准胝観音(じゅんていかんのん)がベースなわけですが。

懼留孫は倶留孫仏(くるそんぶつ)、燃灯道人は燃灯仏(ねんとうぶつ)がその元となっています。

文殊・普賢・慈航は、ほぼそのまんまですね。

ならば弥勒と地蔵も出すべきだったと思いますが、イマイチ仏教側をどう出すかの選択が理解できません。

なお「接引」は、仏教であれば「しょういん」と読みます。しかし、ここは直しませんでした。


「太師」という職は、おそらく1人だけだと思いますが。

しかし作中では、「太師杜元銑」が出てくる一方で、「太師聞仲」もあります。

杜元銑のほうが『列国志伝』にも出てきますので、こちらがもともとあったのに、聞仲をあとから加えたから、矛盾が生じてしまったんでしょうね。


闡教側の仙人たちが崑崙を拝するとき、毎度「東を向いて」拝みますが・・・・。

崑崙って、東の方角にあるんでしょうか。

むろん、原作での地理感なんて、あってなきに等しいものなのですが、これはさすがに通常の地理感と違いすぎると思います。

タイガーバームガーデンの封神場面

かつて香港にタイガーバームガーデンがあり、かなり有名でした。

しかし、現在では設備が崩壊しているようで、見学することができません。

一方で、シンガポールはタイガーバームガーデンを修復し、現在でも見られるようにしています。


シンガポールのタイガーバームガーデンは、ハウパーヴィラと呼ばれます。

地下鉄のハウパーヴィラの駅を降りると、目の前にあります。

入場無料ですので、誰もが見ることができる施設です。

というか、これ入場料取ったら怒られるレベルです。

かなり脱力系テーマパークといいましょうか。なぜシンガポール政府がわざわざ修復したのかもナゾです。


なぜ脱力なのか、この入り口のおどろおどろしい様子と、カニ女の写真をみていただければわかるでしょう。

全般的に、極彩色のドロドロした感じの像を飾ります。当時はこれがよく見えたんでしょうねえ。

<ハウパーヴィラ入り口>

<カニ女>


『封神演義』については、黄河陣の場面を描いたものになっています。

もっとも、人物はかなり入り乱れています。

<墨麒麟に乗る聞仲>

<下から、哪吒・楊戩・李靖、上のほうに黄天化、もっと上は老君など>


<姜子牙の像>

封神コーナーとは別に、カニ女の近くに別の姜子牙像があります。

釣りをしているところですね。

もしシンガポールに行く機会があれば、ご覧ください。