浙江・普陀山を訪ねて

二階堂 善弘


中国仏教の聖地は、四ヶ所あり、四大仏山とも称されます。

これは、文殊・普賢・地蔵・観音の四大菩薩がそれぞれ住むと信じられているところです。

すなわち、

山西省の五台山(文殊菩薩)

四川省の峨眉山(普賢菩薩)

安徽省の九華山(地蔵菩薩)

浙江省の普陀山(観音菩薩)

のことです。

これら諸山の文化的背景や歴史はそれぞれ異なりますが、現在では仏教信仰の中心であり、また多くの観光客が訪れる地ともなっています。

このたび、そのうちの一つ、浙江省の普陀山を調査する機会を得ましたので、いささか紹介したいと思います。


普陀山、と聞くと山岳地帯と思ってしまうかもしれませんが、実際には島を指します。浙江の舟山群島には様々な大小の島嶼がありますが、その中に普陀山があります。つまりは南海に浮かぶ島です。

これはすなわち、伝承では観音菩薩が南海の島にいると考えられていることによるものです。その名称は、「ポータラカ」=「普陀落迦」という音写語からきています。面積はだいたい12平方キロメートル、大きな島ではありません。

その環境は、むしろリゾート地として絶好、と言って良いかもしれません。奇岩が点在し、美しい浜辺と山が海に映えています。


普陀山は現在では普済寺・法雨寺・慧済寺(仏頂山寺)を中心に、大小の寺院と多くの観音菩薩にまつわる遺跡が存在しています。僧侶の数も多く、盛んに法要が営まれています。また全国から観音菩薩を拝する人が訪れ、観光地としても有数の地区になっています。

普陀山へは、上海からフェリーで行く方法もありますが、自分は杭州から行ったので、高速道路で寧波へ、その後舟に乗って舟山市へ、さらに沈家門という港から快速艇に乗り、普陀山へ向かいました。この快速艇は十数分おきに出ており、大変便利です。

港から入ると、すぐに山門があります。孤島ですので、タクシーの数は少なく、マイクロバスに乗って移動することが多くなります。水もガソリンも外から運んでくるようで、かなり貴重です。

この段階で、すでに熱心な信徒の団体を多く見かけました。それも1つ2つではありません。また、普陀山全体は驚くほどきれいです。中国はどこの都市もゴミが落ちているのですが、この普陀山では異様に少なく感じました。どうもここを訪れる人は信徒が多く、観音の霊場を汚すことに気をつかっているためだと思われます。


普陀山には奇岩が数多くありますが、特に有名なものがこの「磐陀石」です。観音菩薩が説法する場とも言われてますが、微妙なバランスで岩が載っています。手で押したら崩れそうなほどです。むろん危険なので、人はこの岩の上には乗ってはいけないことになっています。


心字石。巨大な「心」の字が書かれた岩です。縦5メートル X 横7メートルの心という字は、どのような由来で、誰が書いたのかはよく分かっていません。


普陀山の中心的な寺院となるのが、この普済寺です。続に「前寺」とも呼ばれ、観音信仰の中心地です。前身は、そもそもここが観音菩薩の聖地となった由来のある不肯去観音院です。

明や清の時代に何度も増築がなされましたが、基礎になっているのは、康煕・雍正年間に作られたもののようです。むろん文革による破壊を経て、1980年代に改装が行われています。

観音菩薩を祭る本殿は、円通宝殿と呼ばれます。この本殿の前に天王殿があり、その前は門と大きな池があります。門の外はお線香や紙銭や法具を売るお店でひしめいています。


普済寺のすぐ横にあるのが、多宝塔です。自分が訪ねた時は修復中だったようで、あまり近寄れませんでした。

この塔は元の時代に建てられたもので、当時の様式を残す数少ない文物の1つです。


ここから島の北に向かい、ロープウェイで仏頂山に登りました。

仏頂山の上には慧済寺があります。

ここでは熱心な信徒の姿を多く見かけました。寺までは千余段の階段があるのですが、それを「三歩一拝」しながら登っていく人がいます。また時には、「五体投地」をして登っていく人もいます。口に観音の称号を唱えながら、たいへん熱心な様子でした。こういった信徒も、1人2人ではありませんでした。


前寺に対して、「後寺」と呼ばれるのがこの法雨寺です。

明代に建てられた建物はその後火災などで焼失し、やはり康煕・雍正年間に改築されたもののようです。九龍観音殿が有名です。


南海観音の巨大な像です。これは新しく、1997年に作られました。この台から南方の海を見渡す風景は絶好です。


そもそも普陀山が観音の聖地と見なされるに至ったのは、日本人僧の慧鍔が唐代に観音像を日本に将来しようとして、その観音像がここから動かなくなったため、奉じて観音の庵を作ったことが発端となっているとのこと。

その慧鍔を記念して新しく作られたのが、この不肯去観音院の記念堂です。もともとも不肯去観音院は、普済寺に移り、その遺構が復興されて再び不肯去観音院となったのは1980年になってからのことだそうです。

ここは日本のお寺が協力して建てたようで、日本の各地の観音菩薩の模像が数多く安置されています。


滞在は2日間でしたが、小さい島ですので、ほぼそれで全島を見ることができます。

宿泊施設はかなりありますが、島のこととて、サービスはそこそこです。そもそも、水が貴重で、お湯が出る時間が限られています。

また新鮮な海産物が食べ放題です。まさに生きているのをその場で料理してくれます。ただ、観音菩薩の聖地にはちょっとふさわしくないかもしれません。

お坊さんの数も多く、仏教学院が島内にもあります。

しかし、なんといっても圧倒的だったのは信徒の姿です。数も多く、また非常に真摯に祈る姿が印象的でした。

観光が普遍的になる中、中国全土からお客が訪れる地となっているようです。仏教と観光と、ともに力強く復興している様子が強く感じられました。


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