北京灯市口の二郎廟跡地

二階堂 善弘


澤田瑞穂先生の『中国の民間信仰』(工作舎)64ページに、「二つの二郎廟−信仰と環境−」という文章があります。

そこでは、北京の灯市口に二郎廟があったことが書かれています。

>北京には二郎廟とよばれる廟が二箇所ばかりある。もっともよく知られているのは、

>東城灯市口東の二郎廟。現在でこそすっかり規模が縮小されて貧弱きわまる小祠と

>なりはてているが、唐代からあるといわれているほどの古廟で、地の利を得ている

>せいか、月の朔望には参詣客ひきもきらず、ために線香なども狭い廟内に山と積ま

>れて、景気はなかなかよさそうに見える。

北京の灯市口は、王府井や東単の北に位置し、いまでもものすごい繁華街になっています。

この二郎廟はどうなってしまったのか、一部の『封神』マニアなどの間で話題になっていました。実際には、このあたりには廟は無く、二郎廟は他の多くの北京の廟同様、消え去ってしまったものと思われます。


しかし、灯市口の東、まさに真正面に、二郎の哮天犬像の残骸が残っていることを、「電脳瓦崗寨」の千田大介さんが探し当ててくれたため、ようやくその位置が判明しました。

現在はその跡地は全く商店になっており、廟の面影は何処にもありません。

唯一残っているのが、半ば破壊された哮天犬の像です。

『北京寺廟歴史史料』には、この廟に関する記載が二箇所あります。そのうち、1928年の寺廟登記によれば、次のように記します。

>この廟は明の嘉靖年間の造である。後に清康煕年間に重修せらる。(略)廟内には二郎神の

>像が一体、従神像が六体、香炉が五箇、燭台一対、鉄の鼎が一つ、また三尖両刃刀が一つ。

 ただ、この像についての記載はありません。


伝承では唐代の建などと言われ、また『歴史史料』にもそのように記す段がありますが、おそらく早くても、明の嘉靖年間の創建とするのが妥当でしょう。

あるいは康煕年間とも思われますが、この哮天犬像も、そのときに造られた可能性が高いです。廟は無くなり、動乱の時代を経、また文革を経て、このような状態になってしまったものと思われます。なんとも、もったいない気がしますね。


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